第321話 別荘五日目
翌朝。
今日は妙に暑い。
ミラーによると前線が通過した影響で気温が上がっているのだとか。
というわけで、本日は海水浴をすることにした。
こちらの水着はフランネルのワンピースのようなもので、地球で言えば百年ぐらい前のイメージなんだろうか、よくわからんけど。
子供は着古したシャツなどを羽織って遊ぶようだが、うちは貴族の子女なので、ちゃんとした水着を用意してあるようだ。
以前水遊びしたときは素っ裸だったから、それに比べると進歩したなあ。
最近の水着の流行りはへそがちょっぴり出るツーピースのもので、フューエルはバッチリ最先端スタイルで決めているが、テナはだいぶ小言を言っていたな。
俺の常識ではまだ控えめだけど。
あと十年ぐらい頑張ればこの世界もビキニになりそうだな。
じゃぶじゃぶと水と戯れていると、フルンとエットがクロックロンの上に立って遊んでいるのが目に入る。
面白そうなので、俺もクロックロンにのっかり、波乗りと洒落込んでみた。
クロックロンはどういう原理かわからんが、底面に水流を起こして水上を進むことができるようだ。
「すごい、ご主人様、水の上走ってる!」
と喜ぶエット。
「いいだろう、お前たちもついてこい」
「うん、いくいく!」
フルンにエットはすぐに乗りこなし、スイーダ、ピューパーもどうにか乗れるようだが、あとはダメだった。
俺もうまく乗れてるとはいい難いが、十分遊んだのでビーチに引き上げると、フューエルたちが砂浜にサマーベッドを並べてくつろいでいた。
セレブっぽいなあ。
「お前たちは泳がないのか」
「見ているだけで満足ですよ。あなたこそ、ずいぶん器用にクロックロンを乗りこなしていたじゃありませんか」
「まあ、たまにはね。面白いぞ」
「後で試してみますよ。それよりもほら、沖に大きな船が」
フューエルの指さした先には、大きな帆船が見えた。
立派な船だが、あれで何週間、あるいは何ヶ月もかけて航海するわけか。
旅はいいけど、そういうのはちょっと遠慮したいな。
まあ、やったらやったで楽しいかもしれんが。
俺もベッドに寝そべって特製のトロピカルドリンクをすすり、波に戯れる可愛い少女たちを眺める。
極楽だなあ。
だいぶバカンスが実感できるようになってきた。
この調子でハメを外して行きたい。
たとえば貴族のご令嬢……はもう十分お近づきになったので、地元の美女と仲良くなりたい。
とりあえず向学心あふれる美少女のあしながおじさんとして、がばちょと貢いだりしたいなあ。
今日も仕事が終わったら遊びに来るそうなので、俺も顔を出そうかな。
でも紳士に幻想をいだいてたようだし、俺のような平凡なおじさんには興ざめしてしまったかもしれん。
切ないなあ。
太陽はあんなに眩しいのに。
乾いた空気にとめどない波の音。
チリチリと照りつける日差しが、肌を焼く。
はあ、贅沢だねえ……。
気がつけばうたた寝していたようで、目を覚ますとみんな帰り支度を始めていた。
「ご主人様、立って立って、椅子片付ける!」
とフルンに追い立てられて立ち上がると、微妙に焼けた肌がヒリヒリする。
日焼け止めとか無いからなあ。
帰ったら、レーンに治療してもらうか。
こういうのも魔法で治るんだろうか?
魔法も割と融通がきかないよな。
片付けを終えて、ぞろぞろと帰路につく。
小川に沿って花が咲き乱れる堤防の小道を進むと、向こうから日傘をさした、見るからにお嬢様って感じのお嬢様が子犬と侍女を連れてやってきた。
お嬢様はフューエルに気がつくと、お嬢様っぽく会釈した。
「こんにちは、フューエルお姉様。ビーチにいらしたのですね」
「ごきげんよう、メヌセアラ。今日はお加減もよろしいようですね」
「はい、今朝は気鬱も晴れて何やら久しぶりに清々しい気分でしたから」
「それは良いことですね、そうして体を動かせば、ますます元気になりますよ」
「そうであると、嬉しいのですけれど。ところで、お連れの殿方は?」
「あなたにはまだ紹介していませんでしたね。夫のクリュウです」
「まあ、ではこの方が。あらためて、おめでとうございます。噂とは大違いで、優しそうな殿方ですこと」
「ありがとう、あなたにも良いご縁がきっとありますよ」
「両親もそのことばかりを気にしておりまして」
「そうでしょうねえ、でも、だからといってそれを重荷に感じてはまた体の負担になりますから、気楽になさるのが、良いですよ」
「そういたします」
「長話になってしまいましたね、そろそろ風の出てくる時間です、もうお戻りになったほうがよいのでは?」
「お心遣い、ありがとうございます。ではそうするといたしましょう。こんど旦那さまとご一緒に、遊びにいらしてくださいませ、ぜひとも救国の武勇談をお聞かせ願いたいんですもの」
ちょっと儚げなお嬢様は、ゆっくりとした足取りで去っていった。
「今のはメヌセアラ・シャフといって、この先の若草荘で療養中の娘さんなんですよ」
「体が弱いのかい?」
「幼い頃は大半が寝たきりだったそうで。私が初めてあったのは、もう十年も前ですが、あれでも見違えるほど元気になったんですよ。ただ、そうした少女時代を過ごしたせいか、体が良くなってもいささか内向的で、しかもこのような土地にこもっていると社交界にも出ないものですから、つい鬱々としてしまうのでは」
そこでカリスミュウルがフューエルに、
「シャフといえば、カジホーン地方のシャフ家のことか」
「ええ、小さいながらも伝統ある名家ですね」
「そうだな、うちとも政治的に近い関係にある」
「私も紳士に嫁ぐとなったときに、交友のあるシャフ家を通じて、あなたのご実家からいろいろと情報を得たりもしたのですよ」
「紳士の婚姻は、何かと面倒なことが多いからな。なんと言っても人ならざる高貴な血を迎え入れるのだ。古代種の愛妾を抱えるほうが、まだ気楽であろうよ」
カリスミュウルはそう言って鼻を鳴らすと、こう続けた。
「私も当主のラスロフ卿とは面識があるが、あのような娘御がおるとは知らなんだ。卿はこちらにいらっしゃるのだろうか」
「この時期であれば、いてもおかしくはありませんけれど。あとで父に確認しておきましょう」
「ふぬ、訪問するときは、私も付き合うとしよう」
「そうですね、では、見舞いの品などを整えておきましょう。明日はラスラの町にでてみますか。寄りたいところもありますし」
「大きな町なのか?」
「大きくはないのですが、ここの貴族連中を当て込んだそれなりの店が並んでいますから、滞在が長期のときは重宝しますよ」
明日の予定が決まったところで家についたら、水遊びの疲れが出たのか、そのままうたた寝してしまう。
つぎに目がさめたら、ちょうど茶店の日焼け少女ミーシャオちゃんが遊びに来たところだった。
いくらフューエルがリベラルだとはいえ、ここは庶民の娘がホイホイ遊びに来る場所ではないし、今までもそんなことはなかったそうだが、同年代で貴族でもなんでもないフルンたちの存在があったればこそだろう。
今も仲良く並んで、エンテルの話を聞いているようだ。
リビングにはうちから持ってきた本の他に、ミーシャオちゃんが持ってきたという本が数冊積まれていた。
どれも年季の入った古い本で、手製のカバーを縫い付けて修復したあとがある。
大事に読んでいるのだろう。
だが、そのうちの一冊に違和感を覚えた。
薄汚れてはいるが、つるつるとした光沢のある表紙に、版画とはまったく違うフルカラーの印刷が施された本だった。
これ、どう見ても現代の本じゃないよな。
中を開くと、どうやら漫画チックなイラストの多い読み物のようだ。
現代の文字とは少し違うが、頑張れば読める。
読みすすめるとみんなの大好きなエッペルレンというキャラが出てきた。
「あら、珍しいものを読んでるわね」
どこからともなく姿を表した考古学者のペイルーンがそう言って、ひょいと本を取り上げる。
「いつ頃のかしら、この手の本が最後に作られたのは、二千年ぐらい前なのよね」
「見た感じ、俺の故郷と同等ぐらいの技術で作られてるっぽいな」
「ご主人様の話からの推測だと、たぶん三千年前あたりが同等水準で、その後どんどん技術が低下してるっぽいのよね。たとえば千年ぐらい前になると、紙が風化してて、よほど保存が良くないと読めなくなってるのよ」
「ははあ、となると、これはまだ俺の故郷より上かもな。こんな娯楽書籍に使う紙は、そんなに長期間はもたないと思うし」
何千年も残る印刷技術がありながら、電子書籍じゃないんだな。
そのへんのバランス感覚って、文明が異なれば必ずしも一致するわけじゃないんだろうか。
それとも、物理媒体に拘る理由があったのかな?
「しかしそういう本なら、貴重なものじゃないのか?」
「そうでもないわよ、この手の娯楽本は遺跡から何万冊と出てきて、かなりの数が今も残ってるから、骨董的な価値はないわね。もちろん、ものによっては好事家が金を出すでしょうけど」
そう言ってパラパラめくりながら、
「これ、遊びに来てるミーシャオちゃんが持ってきたのよね。南方の出土品かしら、このエッペルレンの話は、読んだことないわね」
「そのエッペルレンってキャラは、そんな昔から居たんだな」
「あるいは実在してたんじゃないかしら、ご主人様だって別の世界から来たんでしょう……、確かこの主人公も不思議な世界をあちこち……あっ、ってことはもしかして、これ放浪者の話なのかも!」
異世界を体一つで旅するという放浪者、すなわち俺のことだが、そいつはこの世界にも伝説のように伝わっていて、考古学者であるペイルーンは放浪者の研究をしているのだ。
地球にはそんな言い伝えはないと思うが、こっちにはあるということは、そう遠くない時代に実在したのかもなあ。
スイッチの入ってしまったペイルーンはくいいるように本を読み始めてしまった。
こうなると、もう周りが目に入らなくなる。
代わりの遊び相手を探して別荘をうろつくと、女中の控室でアンやテナがお茶を飲んでいた。
俺に気がついたアンが、席をすすめる。
「どうなさったんです、若い娘さんが遊びに来てるんでしょう」
「彼女はエンテルのファンでね、俺の出る幕はないさ」
「それはお気の毒に。彼女が持ってきてくれた、この土地のお茶を入れたところです。ミルクで煮出してから砂糖をたっぷり入れて飲むそうですよ」
そう言って出されたお茶を一口すする。
チャイっぽい味だな、甘くてなかなかうまい。
「明日は町に行かれるのでしょう。昼はあちらで取るとして、夜はどうなさいます?」
「なんせ行ったことのない町だからな、なんとも言えんが」
「それもそうですね、一応、支度はしておきます」
「お前は行かないのか」
「テナがお供をするので、私は残らないと」
「ふぬ、じゃああとは任せるよ。フルンたちは行くのかな?」
「どうでしょうか、フルンやピューパーは行きたがるかもしれませんが、エットやスィーダは少々引っ込み思案ですし」
「そうだなあ、まあ行きたそうなら連れてくか、様子を見といてくれよ」
「かしこまりました。そう言えば自宅の方から連絡が入っていまして、チョコショップの内装のことで問題が出たとかで、カプルに戻って欲しいと」
「そうなのか、まあしょうがないな。あいつには話したのか?」
「ええ、先程伝えておきました。明日の朝一で戻るそうです」
「ふぬ」
チョコショップに関しては、すでに建物の方は完成していて、あとのことはメイフルやパロンが残って進めていたんだけど、やっぱりカプルが居ないとうまくいかんか。
カプルは内なる館の整備を進めたいと俺についてきたんだけど、まあ、しょうがないよな。
今夜のうちに、カプルと夜のバカンスを楽しんでおくことにしよう。
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