第320話 四日目午後
別荘でひと風呂浴びてさっぱりしたところで、ジョッキ片手に庭に出ると、フューエルとカリスミュウルがチェスを指していた。
冷やかしながら先程のことを話題にすると、フューエルは少しだけ知っていた。
「ウェドリグ派ですか。見たことはありませんが、確かにこの島の奥地にはいくつかのグループが存在するようですね」
「やばい連中って感じはしないけどな」
「そうですね、ただ、平地に住む我々とは価値観がずいぶんと違うそうですね。原始への回帰、文明批判、森と精霊を崇拝するといった感じでしょうか。平地に住んで農耕し、街を作るような人々とは相容れないようです。ですから、互いに距離をとってさえいれば、大丈夫でしょう」
「つまり、森に分け入らなきゃいいわけか」
「そうなりますね」
「じゃあ、別荘のために森を切り開いてると、怒るんじゃないか?」
「森の向こう側のことですか? しかし、島の西岸沿いは少ないとは言え集落が点在していて、いわばこちら側の領域ですから。逆に山を越えて東側は何十キロとジャングルが広がっているので、そちらの奥にまで踏み入るのでなければ、問題ありませんよ」
「そんなもんか」
この島は南北二百キロ、東西百キロほどで四国の半分ぐらいはあるそうだ。
結構でかいよな。
人が住むのは南の一帯と、西側の海岸沿いの一部だという。
「おそらくは、ですけど。そういえば、先程リヨンド婦人がおこしになって開発の噂をいろいろと」
初日に馬車に乗せた貫禄のある御婦人のことか。
「なんて言ってたんだ?」
「一部の貴族から不満が出ているそうですよ。人足がこの辺りをうろついて目障りだとか、こちらの街道を通らずに北回りで出入りしろとか」
「しみったれたこと言ってるんだなあ」
「貴族もいろいろいますから」
「そりゃそうだが。しかしさっきみかけた賑やかな成金連中が押し寄せてくると、来年あたりはもっと面倒なことになってそうだな」
「そうかもしれませんね。まあ、うちも新興貴族ですから、あまり気にしませんけど」
フューエルとカリスミュウルのチェスの腕前は拮抗しているようで、エキサイティングな試合を眺めながらエールを飲んでいると、来客があった。
先程の騎士、ランプーンちゃんだ。
「やあ、いらっしゃい。調査はどうだったかな?」
「今日のところは、何もわからず。これから町に向かい、件のけが人の話を聞くところです」
「そうか。他人事じゃないんだし、うちの方でも、可能な限り協力しよう」
と傍にいたクメトスを引き合わせるとランプーンちゃんは無垢な少女のように喜んだ。
「お会いできて光栄です、卿の御前試合は幼少の折に拝見しておりまして、あれをきっかけに騎士を目指したようなものなのです」
どうやら素で喜んでいるようで、割と無邪気な娘なのだろう。
そこに寝巻き姿でサンドイッチをかじりながらレルルがやってきた。
「おや、ご主人様、帰っておったでありますか、自分も先程起きたばかりで……」
と言ったところで客の存在に気がつく。
「ラ、ランプーン、貴公、なぜにこのようなところに!」
「レルルさん! あなたこそ昼間からそんな格好で、一体何を……」
「いや、その、これは」
レルルはしどろもどろだし、クメトスはこめかみを押さえて途方に暮れていたので、代わりに俺が答えてあげた。
「彼女には朝まで森の巡回を頼んでいたのでね、今起きたばかりなんだよ。ほらレルル、旧友との再会を祝う前に、身支度を整えてきなさい」
「か、かしこまったであります」
と慌てて奥に引っ込んだ。
それを見たランプーンちゃんは微笑んで、
「ふふ、彼女はあまり変わっていないようですね」
「まあね、そんなに急にはかわらんさ」
「彼女は一人で伝令に走ることが多かったので、それほど交流があったわけではないのですが、うちの小隊は若い女騎士は少なかったので、非番のときは一緒にトレーニングしたりもしてたんですよ。ですから、彼女が紳士様の従者となったときは、ちょっと寂しくもあったんですけど、元気にやっているようで安心しました」
「ありがとう、そう言ってもらえると俺も嬉しいよ」
しばらく雑談したあと、騎士のランプーンちゃんは帰っていった。
レルルはげっそりと疲れていたが、そこはいつものことなのでいいだろう。
「まったく、ランプーンは全然変わっておりませんな」
「仲が良かったのか?」
「そんなことはないであります。そもそも、彼女はキャリア組で、自分などとは格が違うであります」
「そうなのか」
「そうであります。名門出の隊長候補は、ああしてここのような地方の任地に出向して経験を積むでありますよ」
いろいろあるんだなあ。
そこに、エーメスやエレンらと連れ立ってクメトスがやってくる。
「明日から森を探索することにします。メンバーはこちらで決めてしまって良いでしょうか」
「ああ、まかせるよ。でも休暇に来てるんだから、程々にな」
「かしこまりました。とはいえ、すでに暇を持て余している状況でして。ご主人様もそうなのでは?」
「俺も暇でなあ、かわい子ちゃんでも訪ねてこないかな?」
「ご希望どおり、誰か来たようですよ」
覗いてみると、茶店の孫娘ミーシャオちゃんだった。
ひょいひょいと近づいていって声を掛ける。
「やあ、いらっしゃい」
「あ、サワクロさん、こんにちは」
「さっそく来たのかい」
「は、はい。お屋敷の方に荷物を納めに行ったら、こちらだと聞いて……、でも、ずいぶん大勢いらっしゃって、お嬢様の使用人……ではないですよね?」
「みんな紳士様の従者さ」
「そうなんだ、噂には聞いてたけど、こんなに大勢……、じゃあ、紳士様もいらっしゃるんですか」
「ああ、いるよ」
「お姿だけでも、拝見……いえ、やっぱり恐れ多い」
「どこにでもいそうな、普通のおじさんだけどなあ」
「そ、そんなはずは……」
おどおどするミーシャオちゃんを横目に周りを見回すと、手頃な場所に姿見が置かれていた。
「見るだけならいいんじゃないかな、こっちこっち」
と手招きして鏡の前に立つ。
「ほら、ここからなら見えるだろう」
言われるままに鏡を覗き込み、訝しい顔で俺の顔を見返してから、もう一度鏡を覗き込むと、みるみる彼女の顔色が変わる。
「え、え、ええ! し、紳士様!?」
「どうだい、言ったとおり、どう見ても普通のおっさんだろう」
「え、でも、紳士様って、ええっ!」
そこにフューエルがやってくる。
「おや、ミーシャオではありませんか、またお世話になりますよ。おばあさんは元気にしていますか?」
「お、お、お、お嬢様! ほ、ほんとうに、この方が紳士様、なんですか?」
「ええ、とてもそうは見えないでしょうけど、この人が私の夫である、桃園の紳士ことクリュウその人ですよ」
「うう、もっとすごく神々しい人だと思ってたのに、ちょっとショック……、あ、いえ、決してそういうわけじゃ、いや、その……」
「構いませんよ、私もはじめてあったときは、紳士だとは想像もつきませんでしたから。それよりも、せっかく来てくれたのですから、ゆっくりしていきなさい」
そういえば、エンテルの話を聞きに来たんだったな。
「彼女はエンテル教授の講義をご所望だよ」
「あら、そうですか。二階にいたはずですから、誰か、呼んできてくださいな」
混乱気味のミーシャオちゃんはエンテルに任せよう。
俺の手には、今ミーシャオちゃんが持ってきたサイダーがある。
フューエルと二人で悪い顔をしながらカリスミュウルを探すと、ちょうどエレンと将棋を指していた。
「今、村の子がサイダーを持ってきてくれたんだけど飲むか、うまいぞ」
「ほう、ちょうどのどが渇いておったのだ、いただくとしよう」
「キリッと辛口で、さっぱりとした甘みがたまらんぞ」
「ほほう、それはよいな。どれ……」
と栓を抜き、グビグビと飲む。
「うむ、うまいな、これはなかなか……なんだ、うぷっ、おふ……」
ゲップと言うには強烈すぎる炭酸の暴走に、目を回すカリスミュウル。
「な、なんだこの強烈な炭酸は、貴様、はめおったな! フューエル、お前もか、おの……ぼふっ」
「ははは、俺も食らったばかりでな。この土地の洗礼をお前にもおすそ分けしてやろうと思ってたんだ」
「そういうところばかりに、げふ、貴様というやつは、ごふ」
「うんうん、同じ苦境に立つことで、絆がより一層深まる気がするだろう」
「何をバカなことを、おふ、まったくなんという炭酸、ぼふ」
しばしあふれる炭酸に翻弄されるカリスミュウルを堪能し、然る後にこっぴどく絞られた。
夕方。
日焼け娘のミーシャオちゃんは帰っていった。
また明日もエンテルの話を聞きに来るらしい。
「彼女も、歴史家志望なのかい?」
とエンテルに尋ねると、
「そういうわけではないようですよ、ただ学問に興味があるようですね。彼女は幼い頃から祖母に育てられたそうで、店番をする祖母の横で、ずっと本を読んで過ごしたせいで、文学に興味があるようですね。その延長で歴史にも興味があるようです」
「ほう」
「ですが、このあたりには日曜学校もありませんので、ごくたまにラスラの町まで徒歩で三、四時間かけて通っていたそうですよ」
「そりゃ大変だ」
「そんなわけですから、講義を聞けるだけでも、嬉しいのでしょうね。私もそういう子にレクチャするのが、最近は楽しみになっているようです」
あの子、見かけによらず向学心旺盛だなあ。
まあ、勉強は楽しいしな、楽しい勉強に限るけど。
「あのねー、ミーシャオちゃん、エッペルレンの望郷篇持ってるんだって、明日持ってきてくれるって」
とフルン。
「エッペルレンというとあれか、お前たちのお気に入りの本か」
「うん、あのね、望郷篇って、すっごく最初の方のやつで、ネトックも見たことないっていってた、幻の本!」
「ほう」
「ミーシャオちゃんのお母さんが、まだ結婚前に、外の海の船に乗ってた頃に、乗ってたお客さんからもらったんだって」
「へえ」
「それで、三冊しかエッペルレン持ってないっていってて、だからうちのも貸してあげようと思うから、来週家に戻るときに取ってくるの」
「そうかそうか」
楽しそうだなあ。
俺も楽しいことをしたいが、まだあんまり疲れが取れてない気がするというか、肉体疲労はそんなにないんだけど、やはり怒涛のイベントづくしで精神的に追い込まれて無気力になってるんだろうな。
だいたい、平凡な日本人サラリーマンがいきなり命がけの戦いみたいなのに何度も放り込まれたら病むだろう、普通。
俺が常人より脳天気だとしても、やはり反動から無気力になってしまうのも仕方がないのだ。
つまり俺に必要なのはエンターテイメントより癒やしだ、すなわち酒とおっぱいだ。
というわけで、夜はかわいい従者と旨い酒に囲まれて過ごしたのだった。
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