第319話 石垣
賑やかな声に目を覚ますと、俺は床で寝ていた。
ソファからずり落ちたらしい。
一緒に寝ていたカリスミュウルも、隣でへそを出してぐーすか眠っている。
むにゃむにゃと起き上がると、そばで編み物をしていたアンが手を止めた。
「おはようございます、そろそろお昼ですよ」
「もうそんな時間か、よく寝たな」
「そのようですね」
「外は賑やかだな、何やってるんだ?」
「ピザを焼いているようですよ」
「そういや、窯も作ったよな」
などと話すうちに目を覚ましたカリスミュウルと一緒に外に出ると、フルンたちがチーズをにゅーっと伸ばしてピザを食べていた。
「あ、ご主人様とカリちゃんおはよう! おいしいよ!」
そう言ってホントにうまそうに食べるフルン。
うまそうだが、寝起きにはちょっとヘビーだな。
コーヒーだけ頼んで、ピザパーティの様子を眺めながら、テラスのベンチに腰を下ろす。
きゃっきゃうふふとさわぐ少女や、木陰で談笑する美女に囲まれてのんびり飲むコーヒーは実にうまい。
まだ夢でも見てる気分だな。
最近ちょっとイベント密度が濃いというか、ようするに忙しすぎたのでしっかり骨休めをしとかないとなあ。
なんのために別荘まで来たのかわからんもんな。
コーヒーを飲み終わって、おかわりを頼もうか悩んでいると、家の中から学者コンビのエンテル、ペイルーンとその弟子アフリエールの三人が出てきた。
どうやら散歩に出るらしい。
「ご主人様、お暇でしたらどうです?」
とエンテルに誘われたので、ついていくことにした。
カリスミュウルはと見ると、ベンチで二度寝中だった。
傍に控えていたミラーに頼んで、コーヒーを水筒に詰め、ピザをお弁当に包んでもらうと、家を出た。
別荘から森の傍を通り、花畑を抜けると海岸沿いの小道だ。
昨日も通った道だが、今日もいい眺めだ。
「ここは本当に過ごしやすくて、いいところですね。引退した恩師が、ちょうどこの島の南側に居を構えてらしたので、一度お邪魔したことがあるんですよ」
とエンテル。
北側のこのあたりは小さな集落と別荘しかなく、ほとんどの島民は南側に住むそうだ。
大きな島なので馬車で移動すると何日もかかり普通は船で移動するが、南側にもゲートがあるらしい。
「その時に、私も老後はそういう暮らしをしてもいいかも、とちょっと考えてたんですけど、まさかこんな形で実現するとは思いませんでしたね」
「世の中どうなるかわからんな。そもそも、来年の今頃はどうしていることやら」
「試練さえ終われば、落ち着くのではありませんか? ご主人様は、政界に出るおつもりはないのでしょう?」
「俺に政治が務まると思うか?」
「務まるかどうかで言えば、務まると思うのですけど、それよりも個人的には教壇に立たれてみてはどうかと思うのですが。数学の講義などなされてみる気はありません?」
「講義ねえ、学生の頃に家庭教師のバイトをしたことがあるんだけど、自宅まで出向いたら生徒が逃げてたことがあってな」
「あら、私も一度そういう経験がありますよ。そういう子はどこの世界にもいるものですね」
「せっかく親が金だしてくれてるのになあ」
「個人教師を雇えるほど恵まれてる子供には、なかなかそういうところはわからないのかもしれませんね」
そんなかんじでたわいない雑談などしつつ歩いていたら、エンテルが急に足を止める。
「あら、こんなところに石垣がありますね」
と道端に積まれた石の壁を指差す。
半分崩れた、古い石垣のようだ。
「七百七十年ほど前ですが、この島を支配したリンプル家の当主リオ・リンプル四世が、代々友好関係にあったスパイツヤーデに反旗を翻し、南方諸国と手を組みました。当時スパイツヤーデは南方進出を目論むものの、この島にゲートはまだ発見されておらず、地勢的にも重要な島だったこともあり、たいそう困って激怒した当時のスパイツヤーデのガフロ敗走王が大軍を率いて攻めたんですよ」
「しかし、その名前じゃあ、負けたんだろうなあ」
「ええ、そのとおりです。文献によれば、島の周囲に艦船を並べて魔法で攻撃したと記録に残っています。迎え撃つこの島の軍勢は海岸沿いに石垣を作り、しのいだとか。ですからこの島の海岸沿いにはこうした石垣がずっと続いていたんですよ。それが今でもこうしてわずかに残っているんですね」
「そりゃあすごいな」
「一説には六大魔女の一人、岩窟の魔女ロロイドが一晩で島を石垣で覆い尽くした、とも言われていますけど、ロロイドという人物はよくわかっていません。デュースも知らないそうですし」
「ふーん」
「この石垣も風化してますけど、この壊れ方から見ても、相当激しい攻防があったのでしょうねえ」
「こんな僻地なのになあ」
「そうでもありませんよ、この先にも港があるでしょう、そういう箇所は船をつけて上陸しやすいですから。その証拠にあちらの山の斜面にも城壁の跡が見えますよね」
エンテルの指差す方を見ると、海に面した崖の上に、小さな城のようなものがある。
「あそこは今、個人の住居となっているそうですが、かつては出城として機能していたはずです。あそこからなら港が一望できますからね」
「そりゃあ、守るのにも都合がいいかもなあ」
「逆に侵攻の拠点にもしやすいわけで、ここに上陸後陣を敷いて当時南にあったリンプル家の城を攻めるか、この一帯を割取するつもりだったのでしょうね。ですが実際は港に取り付くこともできなかったようです。嵐が原因だとも言われていますが、軍船の七割が海の藻屑と消え、今でも極稀に、漁の網に当時の遺物が引っかかると例の恩師が言っておりました」
そう言われて、改めてあちこち見渡すと、当時の風景が目に浮かぶような気がする。
ロマンだねえ。
そうつぶやくと、目の前の木陰で何かが動いた。
昼間からおばけかと思ったら、人が出てきた。
「す、すみません、立ち聞きするつもりじゃなかったんだけど、ちょっと休んでたら聞こえてきたから」
そう言って姿を表したのは、茶店の孫娘、ミーシャオちゃんだった
「おや、ミーシャオちゃん、こんにちは」
「こんにちは、レイルーミアス様のところの書生さん……だっけ、名前を聞いてなかったかも」
「そうだったかな、サワクロと言うんだ、よろしくね」
「皆さん、学者さんなんですか? すごく難しそうなお話で」
「彼女は偉い歴史の先生でね、ちょいと講義を受けてたところさ」
「そうなんだ……さっきの、この島のお話ですよね。昔は本土と戦争してたんですか?」
とミーシャオちゃんが尋ねると、エンテルがうなずいて、
「そうですよ、この島は今ではスパイツヤーデの領土だけど、そういう戦争を何度か経て、組み込まれていったんですね」
「じゃあ、もしかしたらここは南方の一部だった可能性もあるんだ」
「実際、ここよりもう少し南東にあるリビアーモ諸島はデールのカジマ領になっていますね」
教師モードのエンテルはその後もペラペラと喋り続けるが、ふいに鐘が鳴る。
「いけない、午後の配達があるんだった、またお話聞かせてもらっていいですか?」
「ええ、いつでもいらっしゃい」
「ありがとうございます、それじゃあ」
そう言って、南国日焼け美少女は元気に走り去っていった。
「可愛い子ですね、村の子ですか?」
「うん、もうちょっと先に茶店があってな、そこの孫娘だよ」
「ほんとに、どこにいても真っ先に可愛い子を探し出すんですね」
「まさか、向こうが俺を待ち構えてるんだよ、不可抗力じゃないか」
「とてもそうとは思えませんけど」
この話題は分が悪いので、話をそらすことにする。
「そんなことより、小腹がすいたな。そこいらで弁当くおうぜ」
というわけで、崩れかけた石垣に腰掛けて持ってきたピザを食べる。
まだ、ほんのりぬるくてうまい。
歩くと少し汗ばむほどに暖かいが、木陰で座っていると心地よい風ですぐに汗も引っ込む。
いいところだなあ。
こういうのんびりしたのは久しぶりだな。
日本にいたときは、長期休暇だとやることもないので一人でなにもない田舎町をブラブラしたこともあったけど。
あの頃との違いは、いつでも連れがいるところと、家に待つ人がいるところだよなあ。
ぼーっとしていると、通りの向こうから、なにかやってくる。
どうやら騎士が二人と、歩兵が十人ほどの集団だ。
例の魔物騒ぎの調査かな?
様子を見ていると、すぐ近くで先頭の騎士が馬を止める。
そのまま向きを変えるとこちらに近づいてきて、馬を降りた。
「もし、失礼ですが、クリュウ殿ではありませんか?」
と透き通った声で話しかけてくる。
俺がうなずくと、騎士は兜を脱いだ。
短い金髪がふわっと揺れて、赤らんだチャーミングな顔が現れた。
「私、赤竜第五小隊所属の、ランプーン・セヴォイと申します。先年、竜退治や飛首退治の折にお姿を拝見する機会に預かり……」
などと頭を下げる。
第五小隊といえば、レルルがいたところだな。
四から六の三小隊は、ヒゲおやじのゴブオン配下で、機動部隊としてあちこちに派遣されるらしい。
うちも旅の途中で何度も世話になった。
後で聞いた話だが、駐留騎士団のいないこの島には、主に赤竜から定期的に人が派遣されて現地の兵士を監督しているらしい。
彼女もその一人だった。
「では、今日は例の森の調査に?」
「はい、魔物などとはいささか眉唾ものですが、場所が場所だけに、調査せぬわけにも参りませんので」
「迷惑をかけるね」
「とんでもない。あの折のご活躍は、目に焼き付いております。こうして改めて御身のお役に立つのであれば、光栄です」
まだ若いようで、少し興奮気味に話す。
かわいいなあ、この場にエディがいなくてよかった。
「実は昨夜、我々も森で狩りをしてね。角の生えた狼を二匹仕留めたんだ。あるいはそれが魔物の正体かもしれないが、違うかもしれない。良ければ、うちに寄って話を聞いていくといい」
レルルも喜ぶだろう、と言おうとしてやめた。
あいつが同僚と会って喜ぶ姿というのは、なかなか想像しづらいからな。
「ありがとうございます。一旦現場を確認した後に、ご挨拶させていただきます」
などとうやうやしく礼をして、かわいい騎士ちゃんは去っていった。
あとに残った俺に向かってエンテルが、
「たしかに、いたるところに待ち構えているようですね」
「そういっただろう、この調子だと、どこに伏兵が潜んでいるかわからんな、一旦帰るとしよう」
ブラブラと帰路につくと、今度は道の脇に馬車が止まっていた。
どうやら脱輪したらしい。
乗っていたのは昨日出会った医者だ。
名前は何だったっけ?
「先生、大丈夫ですか?」
と声を掛けると、途方に暮れた顔の老医者は、ニヤリと笑う。
「おう、ちょうどよいところに来たな。お前さん、ちょいと手伝ってくれ」
「そりゃあ構いませんけど、俺は力仕事は苦手でどうにも」
「何を言うておる、リースエルの奥様も、孫に良い婿が来てくれたと、そればかり言うておったぞ」
「そりゃあ、孫可愛さの贔屓目ってやつでしょう。俺は見ての通りの青二才でね」
「ごちゃごちゃ言わずに、ほれ、このてこをぐいっと持ち上げんか」
どうして年寄りというのはこうマイペースかねと思いながら、棒をグリグリ押して馬車を持ち上げようとするが、ピクリとも動かない。
「ダメじゃのう」
「だからそういったじゃないですか、誰か人を呼んで……」
とそこで、内なる館に巨人のレグを入れていたことを思い出す。
うちと違って、別荘は巨人が住めるようにはできてないので、夜は中にしまってるんだよな。
というわけで、中から連れてくる。
状況を説明すると、レグは腕まくりをしながら馬車のわきに立つ。
「この馬車を、動かせばいいんですね」
「うん、頼むよ」
「お任せください」
そう言って軽々と道の真中に動かしてしまった。
「おう、おつかれさん。助かったよ」
俺にほめられて嬉しそうなレグには改めて中に戻ってもらう。
一緒にいてもいいんだが、巨人を見た馬がなんかビビってるからな。
ビビってるのは馬だけではなく、医者の連れていた看護婦っぽい女の子もだ。
「ほう、巨人か。この島では見たことがなかったのう」
「いい子でしょう、俺の自慢の従者の一人でね」
「なるほどのう、しかし紳士というものは、人を出したり消したり変わった力を持つもんじゃな。なんにせよ助かったわい。往診がつまっとるんで、この礼は後日改めてのう」
「楽しみにしてますよ、ではお気をつけて」
医者を見送り再び歩き出すと、今度は怪しいフードをかぶった十人ちかい集団と出くわした。
どうやら山手の森から出てきたらしい。
先頭の年長の男がこちらをじろりと見ると、顔をしかめて無言のまま去っていった。
「あれはウェドリグ派といわれる、精霊信仰の人々ですね」
とエンテル。
「ウェドリグ派は森の奥で原始的な生活をしながら、森の精霊をたたえているそうです」
「ふーん、物好きな連中もいたもんだ」
「滅多に人前には姿を見せませんが、完全に交流を絶っているわけでもありませんし、おそらくこの近くに集落があるのでしょう」
「なるほどねえ、そういえば、先日見た、森の怪しい人影はあの連中だったのかな?」
今のフードは薄汚れた灰色だったが、闇の中に照らし出されれば、白っぽく見えるかもしれない。
「怪しい人影とは?」
「なんかシーツみたいなのをかぶった人影を、遠目に見たんだよ。変質者かと思ったんだが……」
そう言って俺は去っていくフード集団の後ろ姿を見送った。
今の連中も一見胡散臭そうではあるが、それは文化的に馴染みがないというギャップから生じる違和感であって、それを言いだしたらこの世界も俺のかつての日常からは十分かけ離れているんだし……みたいなことを途中まで考えたものの、面倒になってやめた。
まああれだ、利害関係のないもの、しかもよく知らないものを想像でどうこう言ってもしょうがないんだよ。
自分と関わりを持つようになってから考えれば十分だよなあ、などと考えつつ歩いていると、今度は着飾ってはいるが上流階級と言うには若干けばい御婦人の集団が、ぞろぞろと馬車でやってきた。
ハイキングって感じじゃないな。
俺たちの姿を見つけると、そのうちの一人が声をかけて俺を呼び寄せる。
遠目にはおばさんばかりかと思ったが、案外若いのも多いようだ。
俺に話しかけた女も、もしかしたらエンテルより年下かもしれない。
なかなか美人だったので、ホイホイと飛んでいく。
「ちょっとそこの書生さん、新しい別荘があるのはまだ先かしら?」
「工事中のやつですかね、それなら、ここを真っすぐ行って森を抜けた先の左手ですよ」
「そうですの、それにしてもカープル島は避寒地と聞いておりましたけど、想像以上に暑いところですわね、おほほ」
などと話す御婦人は、無駄にゴテゴテと服を着ている。
そりゃあ暑いだろう。
でも、ストレートな成金っぽさに溢れてて好感が持てる。
「突き当りのゆるい坂を登ると、見晴らしのいい丘に出ます。見学なさるなら、そこも見ていくと良いですよ」
「あら、それは良いことを聞きましたわ、みなさん、参りましょう、おほほほほ」
と賑やかな御婦人集団は去っていった。
楽しそうだなあ。
商売で一発当てて、有名な別荘地に土地でも買って、上流階級気分に浸ってやろう、みたいなたくましさを感じる御婦人方だった。
強い女性はいいものだ。
美人を拝んで気を良くしたところで、別荘に帰るのだった。
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