第306話 ラガリク峠
暖房があっても、雪の夜道で馬車は冷える。
カリスミュウルと一緒に薄手の毛布にくるまっているが、かなり寒い。
「こりゃ、おとなしく神殿で宿をとったほうが良かったな」
「う、うむ、冷えるな」
ちょっと震え気味のカリスミュウル。
「しょうがない、温めてやろう」
と全身をくまなく揉む。
「や、やめぬか、このような場所で」
「こんな場所だから、これぐらいしかできないんじゃないか。俺は断固たる決意で揉むぞ」
「その突然湧き上がるやる気は何なのだ」
「俺にもよくわからないんだけどな、たまにこうムラムラと」
一方、特に寒そうにも見えないエディは、窓の外を見ながら対面に移動したフューエルと話している。
「それにしても、よく降るわね。このあたりはめったに雪なんて降らないのに」
「ええ、この調子だとまた足が止まるのでは?」
「私は平気だけど、馬車で夜を明かすのは大変よね。野営したほうがいいかしら」
「クメトスたちも平気だと言うでしょうけど、見てるこっちが寒くなりますね」
「まあ、私達は体に結界を張るから、意識を張り詰めておけば平気なのよね」
「私は、神霊術をかじっていたわりには自分に結界を張るのが苦手なんですよ。以前アヌマールとやったときも、あっさり眠らされてしまって」
「あれはできる人とできない人で差があるわよね。騎士でもあれができないと前衛には立てないから、若い子は必死に覚えるんだけど、どうしてもできなくて泣いちゃう子とかいて、そういうの見てると辛いのよねえ」
「あれだけの数を率いるのですから、苦労も多いでしょう」
「そうなのよ。逆にあなたは領主として実際に領民の相手をしてるんでしょう。そっちも相当大変だと思うけど」
「そうなんですけど、民衆の相手は、そちらも同じでは?」
「私はほとんど現場にはでないから、でも見習いの頃は大変ではあったわね」
なんだか難しい話をしてる横で、ひたすらカリスミュウルの体をもみほぐして温めてやっていたら、次第に何も言わなくなってきた。
顔を真赤にして何かをじっとこらえている。
いじらしいなあ。
「ちょっとハニー、いつまでやってるのよ」
「誰かさんと違って、寒いのは辛いんだよ」
「カリもちょっとは何か突っ込みなさいよ」
「し、しかしだな、したいというのであれば、さ、させてやるのもだな……」
「まあ、それでいいならいいけど」
お許しが出たので、さらに揉む。
ちょっと温まってきた気もするなあ、と思っていたら、また馬車が止まった。
御者台に通じる小窓を覗くと、そこに陣取っていたコルスとエレンが、諦めた顔で前方の闇を覗いていた。
「どうだ?」
と尋ねるとコルスが答えて、
「だめでござるな、とうとう、進まなくなったでござる。これは長丁場になりそうでござるよ」
そう言って羽織っていたレインコートの襟元を締め直す。
「無理そうなら野営も考えよう」
「そうでござるなあ」
会話を打ち切り、席についてとろけた顔のカリスミュウルを抱っこし直す。
隣ではポーンから地図を受け取ったエディが、ランプ片手に眺めている。
「今、ラガリク峠の手前なのね。あそこは狭くて昼間でも停滞する場所だから」
「どこか野営できないのか?」
「峠につくまではむずかしいわね、もうすでに山道に入ってるし。峠には青豹の詰め所や宿なんかがあったはずよ。そこで考えましょう」
窓から外を覗くと、暗くてよく見えないが、細い林道で馬車二台分の幅を残して両サイドには枯れ木が立ち並んでいる。
ここは先程までの平地の道と違い、ゆるい峠越えの道は街灯も少なく、ずらりと並ぶ馬車の明かりだけが闇に浮かんでいた。
この光の点列をたどっていけば、どこに行くんだろう。
このアンカーは誰が残したものだろうか。
俺が迷わないように、いつも誰かが、こうして道標を残してくれてるのかなあ。
そんなことをぼんやり考えていると、はっと我に返る。
俺は今、真っ暗な空間に、ふわりと浮かんでいた。
「今度はどこだ?」
周りを見渡そうと振り返ると、反動で体がくるくる回り始めた。
どうも俺は、宇宙の真っ只中にぽつんと浮かんでるらしい。
きらめく星も、回りだす。
手のひらの違和感を確認すると、薄っすらと氷が張っていたが、すぐに消えてしまう。
息をすおうとしても、なにもない。
重力もないから慣性でくるくる回る。
時間をかけて反動をつけて、どうにか我慢できるところまで動きを抑えることができた。
それにしてもすごいな、俺。
宇宙空間でも平気なのか。
こう言うすごい力を普段から使えれば、みんなに余計な苦労をさせずに済んだんじゃないのか?
「いいえ、もしそうであれば、私達はあなたにとって、単に不要なものになってしまうだけですよ、マスター」
いつの間にか現れた紅が、そういった。
今回は、見慣れた人形の姿だ。
「必要かどうかで考えるもんじゃないだろう」
「心の有り様と、機能としての必要性は、不可分なものです」
「ふぬ」
「互いの必要性を満たせば、そこに作用が生じます。それによって生じた副作用が時間を生みます。そうすることでのみ、我々は非可逆な時間を生きることができるのです。そうして初めて、心も生きるのです」
そう言って紅は俺の手を取り、支えてくれる。
「なにより……なせることもなく、ただ側にあるだけというのは、寂しいものですよ。私達はあなたの中で、ただずっと存在していたのです。それはいつかあなたの為になるという、その日を待てばこそ。かつて世界のために楔となったように、いつかあなたの手となり足となって共に進むと思えばこそ、こうして待つことができたのです」
「ふむ、わるかった、そりゃあもっともな話だ」
「では、参りましょうか」
「今度はどこに?」
「過去へ」
と指さした宇宙の一点が、にゅーっとズームしてみえる。
光がドーナツ状に輪を描いていた。
「あの重力レンズの中心に、闘神の卵が眠っています。距離にして三億光年、かなり末の妹の痕跡です」
「重力レンズってブラックホールとかの?」
「そうです」
紅はそう言ってうなずくと、はるか宇宙の彼方を見ながら、こう言った。
「かつてアジャールの住民は恐れていました。この宇宙が寿命を終え、死を迎えることに。そしてそれは間近に迫っていました。この宇宙は本来であれば、もうずいぶん前に死んでいるはずでした」
「ふぬ」
「それはとても恐ろしいことです。人は死んでも子を残し、あるいは知恵と経験を残します。その営みは人の寿命を超えて生き続けます。その希望こそが、死を安らぎに変える。ですが宇宙そのものが終われば、あとには何も残らない。物質的文明の栄華を極めた彼女たちにとって、それはなおさら恐ろしいこと。ですからあの星の住民は、決して終わらぬ世界への脱出を試みたのです」
更に風景がズームしていく。
周りの星々は引き伸ばされ、流れていく。
紅は噴水のように光を吹き出す天体を指さした。
「あそこにかつての私と燕が眠っています。あのブラックホールの超重力の底、引き伸ばされ、すり潰された二人の人間の魂の残滓が、確率障壁の向こうに行く僅かな可能性にかけて、眠っているのです」
「どこに行くんだ?」
「どこにも……はじめはどこにもいけませんでした。ですが最初の闘神ネアルは、ある時自分が時空の向こう側で、この世界を超越した存在として生まれ変わったことを知ったのです。宇宙の外に逃れ、無限に広がるインフォミナルプレーンに、生きたまま到達したことを知ったのです。そして理解しました、あとに続く妹たちがこの世界を脱出するには、受け皿となる別の目的地が必要だと」
「目的地?」
「言い換えれば、別の宇宙です。ですから、ネアルはいくつかの世界と契約しました。闘神の受け入れ先として。それは少し変わった世界で、宇宙であると同時に、一つの自我を内包していました。すなわちそれが放浪者なのです。ですから……」
「お前たちは、俺の中に生まれ変わったのか」
「そうです。そうしてあなたという自我が生まれるまで、あなたの中でずっと、待っていたのですよ」
「気の長い話だな」
「ええ、ですがそれも今となっては、ほんの一瞬のこと。時の移ろう世界では、ただ待つだけでよいのです。時がなければ、孤独なものは永遠に孤独なまま。今という一瞬の前では、ささやかな喜びでもあるのです」
急に星々の流れが逆転して、元の場所に戻ってきた。
今度は別の方向の星々が消え始める。
「闘神たちは、宇宙を超越した存在となり、この世界を生きながらえさせました。ですがその歪みは黒竜を呼び寄せ、別の形で宇宙を貪りはじめたのです。ですから、我々はシーサと共にそれを退けました」
「シーサって敵だったんじゃないのか?」
「そうです。我らは戦い、それによって引き起こされる超絶破壊の応酬という、膨大な情報を持ってして、黒竜という虚無を塗りつぶしたのです。ですから我々は望んで敵となり、戦ったのですよ。同じことは、あのペレラールでも起こりました。我らは戦って死ぬことで生み出される膨大な情報を以って、黒竜を倒したのです」
「もうちょっと気の利いたやり方はなかったのか」
「それがあれば、もう少し楽だったのでしょうが……しかし、全ては終わりました」
「ふむ」
「いくつかの残滓は残っているでしょうが、エネアルが復活すれば、それも解決し、コンスル・ハークォ、すなわち執政官判子の使命も終了します。マスターがここに来るのは少々勇み足だったのですが、来てしまったからには、話しておきたくなるものです」
そう言って紅は笑う。
「さあ、今はまだ、いいでしょう。帰る時間です、マスター。あの場所に帰り、起きる時間です」
なんだか急に眠くなってきた。
「さあ、マスター、起きてください、マスター」
いつの間にかうたた寝していたようで、俺は紅の声に起こされた。
「んぁ、どうした?」
「ラガリク峠に着きました。場所を確保できたので、今夜はここで夜を明かしましょう」
他の連中はすでに馬車を降りていた。
ここは峠から少し脇にそれた高台で、青豹騎士団の詰め所や、店が立ち並んでいる。
道の駅みたいなものだな。
使い慣れたキャンプ場と同じように、旅の連中が思い思いにキャンプしている。
国を南北に走る大街道だけあって、昼夜を問わず賑わっているが、先日の騒ぎのせいで、交通量は普段の数倍だとか。
それ故こんな夜中でも混み合っている。
試練の塔のバーゲン目当ての冒険者も少なからずいることが、更に輪をかけているのだろう。
そう言えば都に一番近いゲートのあるネアル神殿には、冒険者がうじゃうじゃいたからな。
混むのも仕方ない。
二台の馬車を風上に向かってならべて風よけにし、火をおこしている。
設営を仕切っていたカプルに、内なる館からコテージなどを引っ張り出すか尋ねたが、スペースが狭いので、やめておこうという。
「寝床が足りない者は、内なる館に入れていただきますわ」
とのことだった。
フューエルやカリスミュウルはその場にいたが、エディは居なかった。
そのことを尋ねるとフューエルが、
「ポーンを連れて砦の責任者に挨拶に行きましたよ」
「ふぬ」
「なんでも昔の知り合いだとか」
ついでクメトスがフォローするように、
「責任者のミアンレブ卿は元赤竜第一小隊から出向されたと聞いております。この地域を守護する青豹騎士団南方方面隊隊長のボーゼ・ラキチェンヌ公は、ミアンレブ卿の主筋に当たるので、隊長就任の際に、たっての願いでこちらに転属されたそうで」
「わざわざ引き抜かれた割には、こんな辺鄙なところで勤務なのか?」
「それは……その、この峠は地勢的には南方警護の要ですし、重要な役職ですが……」
言葉を濁すクメトスの代わりにカリスミュウルが一言、
「閑職だな」
と呟く。
ついで透明人形のチアリアールが、
「ミアンレブ卿はあまり政治がうまくなかった、と聞いております。まだ五十前の偉丈夫で、武勇に優れるものの、財力血統ともに頼るところが薄く、都で栄達するのは、難しかったのでしょう」
「それでもこっちにこなきゃならないとは、宮仕えは怖いねえ」
焚き火をつつきながらそんな事を話していると、テナとパルシェートが夜食を運んできた。
さっき団子を食ったばかりだが、寝たり起きたり揉んだりしてりゃ腹は減るもんだ。
特に血中アルコール濃度が下がって、生きる意欲が減退する。
時刻は今、十時頃らしい。
雪は止んだが、気温はぐんぐん下がっている。
食って飲んで温まろう。
鉄串に刺した塩漬け肉を火で炙りながら、辛味の強い酒を飲む。
やっぱり旅はいいねえ。
馬車から見る景色もいいし、毎日違う場所で火にあたって酒を呑むのは、なんとも言えない楽しみがある。
分厚く、どす黒い雲さえ、見上げてみれば趣があるじゃないか。
そう思いながら、ニヤニヤしていると、カリスミュウルがこう言った。
「しかし冷えるな、長く魔界に居たせいか、まだ冬の寒さに体がなじまぬ」
「魔界なあ、しばらくは行きたくないが」
「そうか? あちらは気候も穏やかで飯もうまい、悪くないと思うがな」
「そこはいいんだけどな」
といい渋っていると、向かいでデュースと酒盛りしていたフューエルが、
「アウリアーノ姫に搾り取られるのが怖いのでは?」
「まさか、それこそ俺の本懐だよ」
「アウリアーノとは?」
と尋ねるカリスミュウルに、フューエルが答える。
「デラーボン自治領の宰相アウリアーノ姫ですよ、この人はずいぶんと見込まれたようで」
「ふぬ、聞き覚えがあるな。そういえば、先の女神の柱騒ぎのときも、きておったな。貴様、あの時は確か孤児の娘も従者にしておっただろう。地の底でも貴賤構わずだな」
「そう言われてもなあ、彼女はちょっと権力欲が強すぎて、持て余すんだよ」
「魔界は未だ覇権争いが活発だと言うからな」
「そう言うのの何もかもが面倒くさくてな」
「ま、そこのところはわからんでもないが」
益体のない会話を繰り広げていると、エディとポーンが帰ってきた。
「おう、おつかれさん。何かいい話でも聞けたのか?」
と尋ねると、エディは肩をすくめた。
「なにもないわねえ、ここの責任者のミアンレブ卿って、私達の先輩に当たるから、ちょっと挨拶にね」
「こっちに出向したんだって?」
「そうよ。干されてるって聞いてたから、あわよくば引き抜こうと思ったんだけど、どうも隠居するつもりみたいね。娘婿にあとを譲ると言っていたわ」
「苦労が耐えないんだろ」
「ああしてやることもないまま無為に過ごすのはしんどいわね。彼と話してたら、なんだかこっちまで老け込んできた気分だわ。ちょっとハニーから養分を吸い取らないと」
と言って、隣りに座って腕を絡めてくる。
「そう言えば、宿はいっぱいだったけど、お店は夜通し開いてるみたいよ。後で覗いてみる? お土産もあまり買ってないし」
「そいやそうだな。お前たちのことは家には伝えてあるはずだけど、レルルとかどんな顔してるだろうな」
「今の所、それが一番の楽しみね」
と笑うエディ。
それからさらに三十分ほど飲んでいたが、とにかく寒い。
山の中だけあって風も強くて余計寒い。
じっとしてるのも辛いので、コートを羽織って、店を冷やかしに出た。
街道とキャンプ場をつなぐ道路沿いに宿や食堂、土産物屋が並んでいる。
一緒に来たフルンとエットは走り回って物色していた。
「これなに? これなに?」
と尋ねるエットが手にしているのは、なにか丸い木のボールだ。
手にとってもなんだかわからない。
「なんだこれ?」
「ご主人様もわからないの?」
「わかることもある」
「なに?」
「木で出来てる」
「うん」
「まるい」
「それから?」
「つるつるしてる」
「それで?」
「それだけだ、それが俺にわかる全てだ」
「ご主人様……」
「どうした?」
「道場の先輩の、おばさんの人が、男はエッチしすぎるとバカになるって言ってたけど、大丈夫?」
「どうだろう、お前から見てどう思う、エット」
「ご主人様は、すごく賢い、あたしの三倍は賢い。でも、たまに変なこと言う」
「そうなあ。でもな、世の中にはわからないことのほうが圧倒的に多いんだ。でも自分が賢いと思ってしまうと、そこで知ることをやめてしまう。だから自分は無知で物を知らないのだと知っている必要があるんだよ」
「うん」
「でも時にそうした行動は馬鹿に見えてしまうこともある。だから馬鹿なことをしているからと言って必ずしも馬鹿なわけじゃなくて、賢くなる可能性を模索してると言えるんだな」
「よくわからないけど、フルンがご主人様は困った時は難しそうで適当なこと言うって言ってた、たぶん今のがそう」
「ははは、よくぞ見破った。そのとおり、今のはすごく適当な発言だ」
「やった!」
馬鹿なことを話していると、新人のパルシェートが申し訳なさそうにこう言った。
「あの、ここで正解を言うのは無粋な気もするのですが、これは水桶やお風呂に浮かべて匂いを楽しむ木球なんです」
「ほほう、そうなのか。そういや俺の故郷にもそう言うのがあったような」
「このあたりで取れる香木を使ってて、土産物としても定番なので、都土産としては喜ばれると思いますよ」
「そりゃあ、良いことを聞いた。買っていこう」
フューエル達三人のマダム勢は、隣の少し高そうな店で高そうな毛皮を物色していた。
仲良くショッピングを楽しんでくれてるようで、何よりだ。
寒いので俺も買おうと、エットやパルシェートと一緒に覗くと、人の良さそうな店員のおばさんが寄ってきて、エットを捕まえ隅に招く。
「お嬢ちゃん、今日はえらい貴族様がいっぱいいるから、あんまりそっちにいかないほうが良いよ、怒られるからね」
「うん、都もあんまり楽しくなかった」
「今帰りかい? 都は大変だったらしいねえ。怪我しなかった?」
「あたしは平気だけど、ご主人様は大変だった」
「そうかい、あんたこっちのお人の従者なんだね、小さいのに偉いねえ」
「うん、あのね、あたしは寒くないけど、ご主人様寒がりだから、服買う!」
「じゃあ、おばちゃんが見繕ってあげようねえ」
と安そうな服を見繕ってくれる。
「あっちの高そうな服じゃなくていいの?」
と尋ねるエットにおばちゃんは声を潜めて、
「いいんだよ、どうせ同じ毛皮を使ってるし、職人だっておんなじだよ。ただちょいと飾りにレースが入ってたり、有名な先生のお墨付きが付いてるだけなのさ」
「ふーん」
と言って、これも良い、あれも似合うとどんどん選ぶので、何着もかわされてしまった。
このおばさん、商売上手だな。
まあなんだ、都近郊にも獣人に優しい住民がいるとしれただけで、良しとしよう。
店を出るとフューエルたちもどっさり荷物を抱えていた。
持ってるのはミラーだけど。
エディもカリスミュウルも、自然に荷物をもたせてて、育ちの違いなんだろうなあ、と思う。
俺はまだ、全部持ってもらうのに抵抗があるんだよな。
ミラーが持ちたがるので任せるんだけど。
ちなみに今俺達が買った分は、みんなで均等に抱えていた。
「何だ、ずいぶんと買ったようだな」
とカリスミュウル。
「お前たちにゃ負けるよ」
「予想以上の寒さだったからな、毛皮の一つもないと、耐えきれん」
と今買ったばかりのコートの襟を立てて首をすくめる。
「金持ちってもっと衣装もガッツリ抱えて旅するもんじゃないのか?」
「基本は徒歩の旅だぞ、限度があろう」
「内なる館にぶちこんどけよ」
「あそこは……、あまり良い印象がないのでな。それに貴様に取り込まれてしまったではないか」
「まあ、次にどっか行くときは、もうちょっと考えよう」
テントに戻ると、何やら周りが騒がしい。
またなにか面倒なことが起きたんじゃないだろうな、と警戒するが、様子を見てきたエレンの話しでは、熊が出たという。
「今年の夏は天気が悪かったろ、それで餌が少なくて山を降りてくるそうだよ。ほら、アルサの方でも熊が出てクメトスが何度も出張ったりしてたじゃないか」
「そういやそうだったかな」
しかし、こっちの熊は冬眠とかしないんだろうか。
しないのかもなあ。
青豹騎士団と兵士の面々が、周りの連中に順番に声をかけて注意を促していた。
うちはというと、クメトスやエレン、そしてポーンらが顔を突き合わせて今夜の警備計画を練っている。
俺は主人としての崇高な責任感から会議を冷やかす。
「では、親衛隊の面々には南側の歩哨に立っていただくということで」
とクメトスがいうと、ポーンがうなずく。
「私とエーメスが馬車の西側に、コルスとセスが二台の間に、エレンとポーンは東側で適宜交代しながらということで。残りの戦闘要員は、非常時の控えにしましょう。」
クメトスの言葉に皆がうなずくが、俺が異を唱える。
「問題があったでしょうか?」
「おおありだぞ、新入りのポーンは、ベッドの中で護衛するのが筋ってもんだろう」
俺がそういうと、ポーンが呆れた声で、
「この方は、いつもこうなのですか?」
と尋ねると、みんなが一斉にうなずく。
「では、仕方ありませんね。謹んで、寝所の警護を務めさせていただきましょう」
すまし顔で答えるポーンは、割と冗談が通じるタイプだよな。
「東側は、エレンと紅に担当してもらいましょう。現在、ネールが上空から近辺を見回りに行っていますが、人も多いことですし、熊が団体で踊りこんでくることでもなければ、まず大丈夫でしょう」
とクメトス。
「お前そういう事言うと、だいたいひどいことになるぞ」
「そ、そうでしょうか?」
「そうそう」
「旦那は被害妄想気味だよ、団体でおっぱいに責められる方を心配するんだね」
とエレン。
「そりゃあ怖いな、ああ怖い怖い、ポーン、今夜は頼んだぞ」
「お任せください」
とうなずくポーン。
頼もしいなあ。
俺たちの乗ってきた馬車は、フューエル自慢の一品でしかもカプルが相当カスタマイズしている。
見た目はこじんまりとした六人乗りのものだが、背もたれを外してゴニョゴニョすると、ベッドに早変わりだ。
ワゴン車にベッドキットをつけたようなもんだな。
普通のキャンプをロクにしたことがない俺にとって、キャンピングカーはあこがれの一つだったわけだ。
それをカプルに頼んでおいた成果の一つがこれだ。
「どうです、なかなかの仕上がりだと思いますわ」
セッティングを終えたカプルが自慢するだけあって、見事な寝室に早変わりだ。
「なんだこれは、こんな馬車があるのか」
「凄いわね。テントがなくても眠れるじゃない」
感心するカリスミュウルとエディ。
褒められたカプルはこう言った。
「来る試練の際は、これのもう一回り大きい馬車を指揮車として用意中なのですけど、更に快適な居住性を実現する予定ですわ。ひとまずは前哨戦として、お楽しみくださいな」
もう一台は、エディが用意した十人乗りぐらいの馬車で、左右向かい合わせにシートが並ぶだけのシンプルなものだ。
ここに何人か雑魚寝して、外にも小さなテントでフルンとエット、それに見張りの交代要員が仮眠するらしい。
フューエルやデュースは、内なる館に泊まるという。
「気を使っておるのではないか?」
と尋ねるカリスミュウルに、フューエルは笑顔で、
「そう言うわけではありませんが、あの馬車は四人でも少し手狭でしょう。今日のところは預けておきますよ」
それを聞いたエディも笑ってこう返す。
「あら、貫禄を見せてくれるわね。いいわよ、夜通しかけて、あなたの分まで骨抜きにしておくわ」
「お願いします、明日はパルシェートのご両親に会うのですから、少し枯れてるぐらいのほうがこの人はちょうどいいのですよ」
などと言って、内なる館に入ってしまった。
怖いなあ。
結局、特製寝台馬車には、俺とエディとポーン、そしてカリスミュウルが入った。
チアリアールとミラーが、すぐに声の届く御者台に控えておくという。
中に入ると、しっかりと暖房が効かせてあって温かい。
着込んだコートを脱ぎ捨てて、柔らかいベッドに横になる。
「ふわふわではないか、なんと贅沢な馬車だ。万国の財を集めたという古のマハラジャでも、このようなものは持ち合わせておらんのではないか?」
ゴロゴロと転がって喜ぶカリスミュウルは子供っぽくて可愛いが、今からすることを考えると、かえって劣情を催すな。
窓にかかったカーテンをめくると、よその連中はまだ火の前で呑んだくれたり歌ったりしている。
朝まで騒ぐ気かもしれない。
つまり、俺達も多少音を立てても平気なわけだ。
反対側の窓から覗くと、エレンやセスが、酒盛りを始めていた。
じっと見ていると、エレンが親衛隊の一人に声を掛ける。
しばらく渋っていたが、交代でご相伴に預かることにしたようだ。
俺と一緒に覗き見ていたエディは、
「あの子達、思ったより融通がきくわね。もっと頑強な性格かと思ってたわ」
とポーンにいうと、彼女は一言、
「私は見ておりませんので、分かりかねます」
とだけ答えた。
いい気なもんだ。
馬車の内装はシンプルだが、壁面に小さな棚があり、ボトルが並んでいる。
グラスを手に取り、クッションを立てて寝そべり、小さく乾杯する。
俺の股ぐらに抱きかかえられたカリスミュウルは、ふーっと熱い息を吐くと、こう言った。
「まったく、貴様はいつも、このような怠惰な生活をおくっておったのか」
「まあ、概ねそうだな」
「私は、その、そう言う方面には疎いのでよく知らぬのだが、貴族の私生活は退廃的だとはいうが、こう言ったものなのだろうか」
というと、エディが、
「私もよく知らないけど、いかがわしいのは確かよね」
「何を言ってるんだ。俺のために生涯を捧げて尽くしてくれる女の子と身分の違いなく愛を育むだけだよ。つまり至って健全なんじゃないか?」
「どうかしら? ま、そう言う事なら、たっぷりと愛を育んでもらいましょ」
と言って、残りの衣服も色っぽく脱ぎ捨てる。
足先に引っかかったショーツをそのままに、むっちりした体を押し付けてきた。
退廃的だなあ。
しばし四人で健全な愛を育んで、まったりしていると、外から物音がする。
壁にかけた懐中時計を見ると、時刻は夜の十二時半だ。
結構、頑張ったな。
「それ、アクセサリかと思ったら、時計なの? ずいぶん小さいのね」
と、まだ余裕がありそうなエディ。
「まあね、うちのシャミ特製のやつさ」
「こんな小さな時計があれば便利ね。大規模な作戦行動では、時間を合わせるのは重要なのよ。昔の合戦だと、大将の側にはこんなでっかい時計を抱えた歩兵がついて回ったりしてたそうよ」
「そりゃ大変だな」
同じく呼吸一つ乱れていないポーンが、
「少し拝見してもよろしいですか?」
というので手渡す。
「ずいぶん、軽いですね。これで時間がわかるとは」
感心してしばらく眺めていたが、ふいに耳に当てる。
「音がなっていますね、深夜の隠密行動では響くかもしれません。野戦であれば申し分ないでしょうが」
そういやポーンはコルスと同じ忍者らしいな。
道理で暗闇から突然出てくると思ったよ。
「音は歯車が回ってるから、難しいだろうなあ」
デジタル時計なら、うってつけだろうが。
エディも手にとって、
「でも良いわね。帰ったら、私もシャミに頼もうかしら」
「部隊一揃えとか言うなよ、手作りだから大変なんだよ」
「量産しなさいよ」
「秘伝の技術があるんだよ」
「これもハニーの故郷が関係あるの?」
「まあ、そんなところだ」
そんな事を話していると、まどろんでいたカリスミュウルが起き上がる。
「むう、何だ、もう朝か?」
「いや、そういや物音がしたんだった、ちょっと見てくれ」
と頼むと、ポーンが外を覗く。
「何やら、青豹の騎士が数名、松明をかざして斜面に分け入っていきました」
「物騒だな」
「様子を確認してきましょうか?」
「いや、何かあれば外の連中が教えてくれるだろう」
「かしこまりました」
そう答えて、ポーンは肌着だけを身につける。
いざとなれば動けるようにするためだろう。
一方、まだ寝ぼけたカリスミュウルは、
「のどがかわいた、みず」
などと甘えている。
「しょうがないわねえ」
と寝汗を拭いてやっていたエディが、水差しの水を口に含むと、ダイレクトに飲ませてやった。
「ん、んんっ……んーっ!」
「んはぁ、どう、おいしかった?」
「よさんかばかもの! 目が覚めたではないか」
「だったら、さっきの続きをする?」
「腰がたたぬわ! これだから体力の有り余ってる騎士連中は!」
「頼りないわねえ、ハニーはまだいけるんでしょ?」
と俺の少し柔らかい腹をつつくエディ。
「たまに寝てる間も絞られることがあるからな」
「案外ヘビーにやってるのね。従者ってもっと献身的なのかと思ったわ」
「なんせあの人数に対して、俺の体は一つしかないからな。こう順番待ちがずらーっと」
「今夜は独占しちゃって悪かったかもね」
「なあに、今だけだろ。それより、俺にも水をくれよ」
「いいわよ、ってもう水差しが空ね」
御者台のミラーに頼んで、代わりをもらう。
ついでに外の様子を聞くと、そう遠くない山裾で、明かりを見た者がいるという。
そのあたりは山道も無い深い森なので、警戒を強めているのだとか。
「私がいるから、余計気を使ってるのかもしれないわね。ハニーもカリも、名前は出さなかったんだけど」
とエディ。
出せば当然挨拶に来るわけで、いろいろ面倒なのだ。
面倒なことは面倒なので、もう一眠りしよう。
ポーンはしばらく隅に座ったまま控えているつもりのようなので、俺はカリスミュウルとエディを両手に抱えて横になる。
カーテンを少し開けると、深い森のてっぺんと、星が見えた。
エディが俺に頬を擦り寄せながら、
「星を見ると、火が恋しくなるのよね」
「うん?」
「ほら、家にいれば星は見えないじゃない。落ち着いて星を見るときって野営で、しかも火がたけないような状況で毛布一枚で夜通し耐えてるような時なのよね」
カリスミュウルも頷きながら、
「そうだな、たとえ夏でも落ち着いて星を見上げるような時は、どうにも寒い思い出しか無い。こうしてガラス越しに星を見るのは、不思議な気分だ」
「ハニー、次はあの星の世界まで行くんでしょう? あそこまで行くと、どんなふうに見えるのかしら?」
「うむ、想像もできんが、興味深いものだな」
「そうよねえ。ねえハニー、もう寝ちゃったの?」
なにか返事をしようと思うが、もう眠くて頭が回らない。
でも星はなあ、くるくる回るんだよ。
「ふふ、口ほどにもない」
「私達も寝直しましょう。ポーン、あとはお願いね」
やがて二人の寝息が聞こえる。
多分、俺もすでに眠っている。
眠っている自分を、何処かで把握しながら、俺の意識はすうっとどこかに飛んでいった。
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