第305話 ブルーム街道
ズサッと冷えた砂に頭から突っ込んで、我に返る。
体を起こして口に入った砂を吐き出した。
「またかよ、今度はどこだ?」
どうやらまた、砂漠らしい。
しかも夜だ。
青白い砂丘の稜線が、漆黒の闇に浮かぶ。
空には大きな青い月と小さな赤い月が浮かんでいた。
しばし見とれていると、遠くで火柱が上がる。
すこしの間を置いて爆風に吹き飛ばされた。
一瞬、目と耳が大変なことになった気がしたが、ゴロゴロと砂の上を転がるうちに治ってしまった。
手で顔を拭うとべっとりと血がついていたが、見なかったことにして、火柱の反対方向に走り出す。
砂の上は走りにくいなあ、などと思いつつ、走りに走って、小さなオアシスにたどり着いた。
綺麗とは言えない水で顔をじゃぶじゃぶ洗い、岩陰に身を休める。
さっきまで女体に埋もれてウハウハしてたのになあ。
早く帰りたい。
途方に暮れて、もう一度空を見る。
空の色は青い月が支配的で、赤い月の境界がうっすらと紫に染まっていて美しい。
あんな月をみながら、砂漠の歌姫と夜通し愛を語り合いたいものだなどと考えていると、赤い月がひときわ眩しく輝き出し、青い砂漠が赤く染まっていく。
と同時に、砂の隙間からにじみ出た黒いもやが空に立ち上っていき、一つの形をなし始めた。
あんなにでかいと、逃げても無駄だなあ。
そういや、逃げるのに必死で従者を呼び出すの忘れてた。
誰か呼ばないと。
疲れ切った体で、ぼんやりとそんなことを思う間も、黒いものは大きくなっていく。
でかい。
まだ、でかくなる。
やがて砂漠そのものを飲み込むほどにでかくなったかと思った瞬間、真っ二つに裂けた。
太陽よりも眩しい閃光が一筋、天地を切り裂き、黒いものを焼き尽くしていく。
そうしてあっという間に、砂漠にはもとの青白い静寂が戻っていた。
「あ、いたいた、ご主人様だいじょうぶ?」
巨乳をブルンブルン揺らしながら大人フルンが空を走ってくる。
それを見てたちまち元気になった俺は、景気よく手を振り返した。
「おーう、ここだここだ、俺は元気だぞ」
「よかった! 紅がねー、ここだって教えてくれたから! よかった!」
俺の手を取って喜ぶフルン。
大人になっても素直で可愛いなあ。
「ウクレはどうした?」
「ウクレは迷子! すぐ迷う!」
「そうかあ、しっかりしてるのになあ」
「しっかりしすぎてて、移動するときにアンカー打ちすぎてわけがわからなくなってると思う、もっと感覚でぴゅーっと飛ぶほうが速い」
「そうかあ、まあ人それぞれだよなあ」
「うん!」
元気よく返事したフルンは、急に表情を改めて空を見つめる。
「うーん、いっぱい来るなあ、ご主人様、むき出しだから、デストロイヤーがどんどん寄ってくる」
「俺のせいか」
「うん!」
「不甲斐ない主人で、すまんなあ」
「大丈夫、私が守るから! 起きて、ボクセス!」
そう言って指をパチンと鳴らすと、俺たちの周りを四角い壁が包む。
「ボクセスが守るから安心! ちょっと待っててね、出て、サアキレイト」
フルンの頭の上に、光る皿のようなものが浮かぶ。
「じゃあ、行ってくる!」
ドンと地響きを立てて空に飛び上がると、真っ赤な月に向かってあっという間に消えてしまった。
漫画みたいだなあ。
数秒後、蜘蛛の巣のような無数の糸が天を覆い、見えない何かが次々と切断されて爆発していく。
ボーッと眺めていると、いつの間にか隣に誰か立っていた。
ウクレだ。
「すいません、遅くなって」
「おう、迷子だったのか」
「そうなんです」
と苦笑してから、空を見上げる。
「七聖剣を起動しちゃったんですね。まだ先は長いのに」
「聖剣ってあれか、エンベロウブとかの」
「そうです。エンベロウブ、ストルリングス、サアキレイト、スフィアムス、ボクセス、トライオム、ドッツの七本。ウルが遣わした大いなる神器です。あれをすべて使えるのはうちではフルンだけですから」
「そりゃすごいな」
「戦神に愛されてるんですねえ。でも、あれだけで敵の本体を仕留めるのは時間がかかりますね。ウェルビネを召喚します、ちょっと壁をボクセスからスフィアムスに変換しますね」
そういうと、四角い壁が球型に変わった。
どういう意味があるんだ?
「こちらのほうが、召喚に融通がきくので。ボクセスは硬すぎるんですよ。さて、フルン!」
と空に向かって呼びかける。
「フォーブスとレッサーチが待機しています。どちらが良いですか?」
(うーん、硬いからフォーブス!)
空から返事が響く。
「わかりました、行きますよ」
ウクレが手をかざすと、眼前に無数の光の帯が広がる。
何かの記号を表示しているが、意味はわからない。
それから、
パンッ!
と音を立てて、ウクレが柏手を打つと、合わさった手のひらから光が漏れ始めた。
それをゆっくりと重そうに開いていくと、中から何かが出てくる。
巨大な、それはとてつもなく巨大な人型の、真っ白いロボットだった。
手のひらから引き出されたロボットは、空に飛んでゆく。
「どうです、私の召喚も、なかなかのものでしょう」
ちょっと鼻高々なウクレも可愛いので、頭をなでてやった。
「あとはフルンに任せましょう」
との言葉に、ロボットの飛んでいったあたりを見ていると、ふっと赤い月が消えて、ひゅーっとフルンが降りてきた。
「終わったよ!」
「またか!」
「え、なにが?」
「いや、なんかよくわからんうちに終わっちまったから、つい」
「見てなかったの?」
「いや、見てたつもりだけどな」
「あのねー、現象を見るんじゃなくて、主観を排して物自体を見るんだよ。だからご主人様のことも、ちゃんと見えてるよ」
「フルンは難しいことを知ってるな」
「うん、いっぱい勉強した」
「えらいぞ」
「うん」
頭をなでてやるうちに、周りの風景がどんどん崩れて混じり、灰色に染まっていった。
ウクレが歩み寄って俺の腕を取る。
「ダミー空間が消滅します。さあ、行きましょうか」
フルンももう一方の腕を取り、
「行こう!」
と元気よく叫ぶ。
「じゃあ、行くか」
そう言って、俺は目を覚ました。
「んー、なあに、行くって」
破廉恥な格好で俺にしがみついて眠っていたエディが寝ぼけ眼でそう尋ねる。
「んぁー、なんかいったっけ、俺」
「いったいった、なんか寝言」
「じゃあ、寝言だろう。寝言ぐらい、好きに言わせてくれ」
「だめよぉ、これからはハニーのことはぜーんぶ見張ってるんだからぁ」
寝ぼけたエディはほっといて、俺は起き上がる。
俺の太ももにしがみついていたカリスミュウルを引っ剥がし、反対のふくらはぎを枕にしていたサリスベーラもどかして布団から這い出し、控えていたミラーから受け取った服を羽織ると、女体がみっしり詰まったコテージから出た。
「おはようございます、ご主人様」
アンと一緒に朝の支度をしていたパルシェートが水の入った手桶を持ってきてくれる。
仕事柄朝は強いようだな。
顔を洗ってさっぱりしてから、焚き火の前に腰を下ろす。
お茶を飲んで温まったところで、今日の予定の確認だ。
スケジュール管理はミラーの仕事なので、彼女に予定を読み上げてもらう。
「まず、撤収した後に壁に行って健康診断を行います。ついでカンプ公にご挨拶に伺い、都を出立。ネアル神殿で要件を済ませたあと、パツナの町まで移動します。ただし、スケジュールが遅れた場合は、ネアル神殿で宿泊の予定です」
とのことだった。
撤収は手慣れたもので、昨日のうちに準備しておいたこともあり、朝食後にさっと終わってしまう。
女将のパルシェートは、全壊した自分の宿を少しだけ名残惜しそうに見ていたが、元気よく振り返ると、
「さあ、行きましょう。新しい土地で新しい商売のやり直しです」
笑ってそういった。
みんなで壁に向かうと、スラムの住民がぞろぞろと出入りしていて、すっかり馴染んでいる。
まあ、壁自体は彼らが生まれる前からずっとここにあったものだしな。
そこまで違和感もないのかもしれない。
あとはたぶん、女神様の凄いご利益ぐらいに考えてるっぽいな。
俺たちもみんなで仲良く健康診断をしたんだが、要領が悪くてずいぶん時間がかかってしまった。
検査自体はすごいセンサーみたいなのですぐなんだけどな。
節制して運動しましょうみたいな、よくある結果を頂いて、壁から出た。
まあ、今後は定期的に調べてもらおう。
もうちょっと簡単に見て貰える場所があればいいんだけど。
デュースの心臓についても改めてたずねてみたが、正規に出回っていた人工心臓ではないらしくわからないという。
ただ、手術自体はどこかの遺跡、つまりここと同じような医療施設で行ったらしいことと、経年変化からみて、数百年は経っているのではないか、とのことだった。
もしカーネが言っていたなんとかの心臓というものだとしたら、五百年前のものだろうが、カーネは詳しくは知らないらしい。
そもそも、デュースが生まれてからの、この千年ぐらいは中世ないし近世ぐらいの文明レベルだろうし、いくら魔法があっても人工心臓なんてそのままじゃ、たぶん作れないんじゃないだろうか?
どっかの遺跡と、それを使える人間がやったんだろうな。
でも、ちぎれた腕を魔法で生やす事もできると言っていたし、心臓でも作れるのかなあ。
そういう方向から調べる必要があるな。
次いでぞろぞろと宮殿に向かって移動する。
壁の結界がなくなったせいで、日が差さずに薄暗い以外は、外と変わらなくなってしまった。
これで少しは都も過ごしやすくなるんじゃないかな。
もっともあの陰鬱な空気が好きだったやつには、住みづらくなるかもしれんが。
宮殿で再びカリスミュウル・ママと何食わぬ顔で挨拶をした。
はじめのうちは落ち着いて話をしていたが、あとのことは任せておけと母親に言われたカリスミュウルは、母親の胸で静かに泣いていたようだ。
感動的なシーンではあるが、正直、そんな簡単に身分って捨てられるものなのかな、という気もする。
この世界は良くも悪くも個人主義だよな。
無論、社会的な縛りはあるが、それが全てじゃない。
そういう世界では、こういうこともありうるのかもしれないなあ。
なんにせよ、カリスミュウルは継承権を放棄し、一人の紳士として生きることになったのだ。
別にそれで親子の縁が消えるわけでもないが、人によっては大きな損失に見えるだろう。
それでも、彼女はそれを選んだわけだ。
カリスミュウルを母親のそばに残して先に別室に移動すると、エディがこんなことを言った。
「彼女、たぶんずっと限界だったのよ。子供の頃から、ただ寂しいだけだったのに、ここにいると更に孤高の存在たることを求められるのよ。それに耐えられる人はめったにいないし、彼女もそうじゃなかった」
「ふむ」
「そんなときに、ハニーみたいな人がいて、それがライバルとしてでも対等に扱ってもらえたら、そりゃあコロっといくわよね」
「別にそんなことを意識してたわけじゃないけどな」
「だから落ちちゃうんでしょ。まあいいじゃない、もう決まったことよ。これからの根回しが大変だろうけど、私も協力してゴリ押しするわ」
さらりと笑うエディも、いろんな物を捨てて俺を選んだんだろうけど、まあそこは俺が慮ることじゃない。
どうやってイチャイチャするかを考えるのが、俺の役目だよな。
お茶を飲みながらカリスミュウルを待っていると、ちょっとおめかししたアンブラール姐さんがやってきた。
「やあ、色男。ついにカリをものにしたって?」
「まあね、また敷かれる尻が増えちまった」
「あんたなら何人でも大丈夫だろうさ」
とひとしきり笑ってから、こう言った。
「カリが決心したんだ。あたしもここいらで色々始末をつけようと思ってね、しばらく実家の方に残ろうと思うんだ。試練までには駆けつけるから、しばらくカリのことを頼むよ」
そういえば、彼女も名誉ある騎士の立場を捨ててカリスミュウルのもとに来たわけだ。
あるいはそういうカリスミュウルの脆さを理解していたのかもしれないな。
そんな彼女に任せられたことを、今は誇りに思うとしよう。
都から南に向かう道はブルーム街道といい、この道を終点まで行けば、懐かしのエツレヤアンにつく。
道中いくつもの町や施設を超えて、最低二週間はかかるという。
かつて江戸から大阪まで同程度で歩いたと言うから、それぐらいのイメージかな?
その最初のポイントがネアル神殿だ。
都から半日の距離にあるここも大きな神殿で、特に有力貴族や王族の墓所があることで有名だ。
何度も舞台にかかるような人気の王や騎士の墓などは、観光スポットになっているらしい。
その一角にカリスミュウルの亡き父の墓があった。
「何年か前に一度、ここを訪れたことがあるのだ」
静かに手を合わせながら、カリスミュウルはそう語る。
「そのときは、どうしても墓前まで来ることができなかった。まるで見えない鎖に縛られたように、体が動かなくてな。だが、今日来てみれば、何ということはない。今までの親不孝を、しっかり詫たよ」
と苦笑するカリスミュウル。
「さて、出発に手間取ったので遅くなった。行くとするか」
「もういいのか?」
「うむ。来年からは、母とくればよかろう。その頃には、称号を得た真の紳士として、報告できよう」
冬の短い日はすでに暮れかけていたが、目的地のパツナまでは、今から急げば夜半にはつく。
街灯のある整備された街道なので、夜でも移動は可能なのだ。
そこで翌日の早いうちに用事を済ませ、ここのゲートまで戻ってアルサの我が家に帰るという計画だ。
都に近いゲートはいくつかあるが、ここか、俺達が行きにつかったヘルツナが定番だという。
こっちのほうが近そうな気もするが、大きな街道故に混むこともおおく、
「馬車はのんびりと進むほうがたのしいのですよ」
というフューエルの判断であちらにしたのだとか。
帰りもパルシェートの件がなければ使わなかっただろう。
実際交通量は多い。
シルビーは一緒に帰らずに、ここのゲートで一度両親のもとに帰る事になった。
「サワクロさん、エディも、みなさんもおせわになりました。私は今度のことで、生きる道筋をつけられた気がします。そのことを両親に報告したら、すぐにアルサに戻ります」
シルビーは、そう言って挨拶をすると、手を振って旅立っていった。
炎閃流の二人もここまでだ。
彼女たちには、金に困らないように準備をしておいた。
行きは徒歩と馬車でのんびり来たらしいが、帰りはゲートの費用も用意してあげた。
「ありがとうございました。かけがえのない経験を積むことができました。この御恩は、すぐには返せないでしょうが、いずれ必ず」
そう言って帰っていった。
故郷に戻り、一段落ついたら、きっと騎士団の門を叩くだろう。
あとに残るは俺の家族だけだ。
夕暮れに輝く街道に長く影を引きながら、俺達は神殿をあとにしたのだった。
行きに使った六人乗りの馬車には、俺とフューエル、エディにカリスミュウル。
そしてポーンとチアリアール、そしてアンの七人が乗っていた。
一人余るが、余ったカリスミュウルは俺の股の間だ。
「なぜ私だけこのような場所に」
「あら、そこが一番特等席じゃない?」
愚痴るカリスミュウルをエディがからかう。
そのエディは右隣で腕にしがみつきながら、俺の匂いを嗅いでいた。
「貴様はさっきから何をやっているのだ」
「見てわかるでしょう、ハニーの匂いを胸いっぱいに吸い込んでるの」
「天下に名高い赤竜姫ともなると、変態趣味も一流だな」
「毎晩一人寂しく、ハニーのことを思いながら寝てたのよ、匂いぐらいかぎたくなるわよ」
「ばかめ……そんなに良い匂いがするのか?」
「いいかどうかはわからないけど、なんだか頭の奥がとろけそうね」
「むう……くんくん、言われてみればそんな気も」
「でしょう、ああ、たまらないわ」
発情したアラサーの情熱は恐ろしいものだな。
されるがままに、匂いを嗅がれていると、急に馬車が止まった。
「あら、どうしたんでしょう」
左隣でうたた寝していたフューエルが、窓から顔を出して覗く。
並走していたエーメスが、確認してきますと馬を進めた。
今の編成は、エディの用意した馬車にセスやフルンたちがのって前を走り、エーメスとクメトスが騎乗でならぶ。
更に赤竜騎士団の護衛騎士も四騎、同行している。
親衛隊と呼ばれ、どこの小隊にも属していないポーン直属の精鋭らしい。
白象は一号隊がメリー直属の部隊で、親衛隊のようなものだったらしいんだけど、赤竜にはそういう小隊はないんだよな。
第一小隊はどっかの魔界に通じる穴を守ってる。
そこで副長であるポーンと、その直属の騎士がエディのそばに控えているという。
にもかかわらず、俺が今まで一度も見たことがないのはなぜか?
親衛隊をよく観察すると、フルフェイスのマスクで完全に顔を隠しており、よくわからないが、体つきからして全員女性のようだ。
そしてきっと、若い女性に違いあるまい。
「なあ、あの親衛隊って……」
と尋ねるとエディは、
「駄目よ」
とにべもない。
「何が駄目なんだよ」
「あの子達は腕は立つんだけど、精鋭というより幼い頃からポーンが鍛えて、心身ともに服従を誓う、私兵なの」
「それで?」
「だから駄目よ」
「まあ、わからんけどわかった」
「ハニーは物分りが良くて助かるわ」
すごく気になるが、まあアレだ、ポーンがどのくらい俺に好意を持ってくれているのかはわからんが、体を許す最大の理由はエディの夫になるからだろう。
その理屈は彼女たちにもそのまま通じるのかもしれない。
俺は自信家なので当然ポーンにはモテていると信じて疑わないが、名前も知れない親衛隊に現時点でモテてるとは流石に思えない。
つまり個別に一人ずつ、親密度を上げていけというわけだな。
俺がそのように都合よく解釈した親衛隊は、殿を務めている。
頼もしいな。
しばらく待っていると、エーメスが戻ってきた。
ここだと話しづらいので、外に出て話を聞く。
馬車の中は、精霊石で暖房を入れていたので暖かかったが、外はかなり寒い。
「寒いな、外は大変じゃないか?」
「いえ、このあたりはまだましですよ。先程までは山裾の道で、吹き下ろす風が流石に堪えました。それより、どうも荷馬車が横転して、材木が道を塞いだようです。小一時間ほど復旧にかかるかと」
荷馬車ってよく崩れるよなあ、と思いつつ、まわりをみると、大きな街道にはみっしり馬車がつまっている。
この通行量だと、迂回もままならないのだろう。
大半は荷馬車で、大きな荷物を都に運んでいるようだ。
通常の貨物に加え、復旧の資材が多いという。
こんな時間まで頑張ってるなあ。
馬車でイチャイチャしてるだけの俺とは大違いだ。
しかし一時間か。
今の時刻は八時頃だ。
出発前に食事は済ませたが、小腹がすいてきた。
見ると、少し戻ったところに店があって何か食えるようだ。
ちょっと覗いてみよう。
御者台のエレンに声をかけて、先に席取りを頼み、中の連中に声をかけた。
「事故で一時間ほどかかるらしい。そこのくいもん屋でも覗いてみるか?」
カリスミュウルとエディは行くというが、うたた寝していたフューエルは寒いので残るそうだ。
二人が眠気を優先させるほど枯れないうちに、夜のデートを楽しむとしよう。
アルサ神殿までは完全に砂漠の風景だったが、このあたりは少し緑も増えている。
そう言う場所を選んで街道を作ったのかな?
目当ての店は小さな茶店に見えたが、奥の入れ込みは思ったより広く、テーブルがいくつも並んでいる。
事故のせいか、人足や冒険者で混み合っていた。
先に席をとっていたエレンと一緒に四人でテーブルに付く。
「間一髪だね、もう満席だよ」
そういいながら、エレンは売り子を呼ぶ。
忙しそうに駆け寄ったのは、この寒空に薄っすらと汗ばんだ胸元を大胆に開いた、色っぽいねーちゃんだった。
「あーら、色男さん、ご注文は?」
「エールを四つと、あとおすすめはなんだい?」
「甘じょっぱくてエールに合う団子が名物よ」
「たしかに、でかいのが二つ転がってるな」
「こちらのほうがお好みかしら」
「好みはそっちだが、ひとまずその団子を貰おう。あと土産にいくつか包んでくれ」
「これも包む?」
と胸を持ち上げる売り子ちゃん。
「うまそうだが、今夜は食いきれないな。残念だが団子だけにしとくよ」
「まいどありー」
色っぽく手を振って去る売り子に手を振り返していると、向かいのエディが呆れた顔でこっちを見ていた。
「そういうことして、フューエルは何も言わなかったの?」
「そういえば、よくつねられてたな」
「だそうよ、カリ」
「うむ」
返事と同時に、隣のカリスミュウルにつねられた。
愛の痛みか。
「旦那も懲りないねえ」
運ばれてきたエールを飲みながら、エレンは他人事のように笑う。
「お前、俺からこれをとったら、なにも残らんだろう」
「飽くなき女性への探究心は、どこから来るんだろうねえ」
エレンのつぶやきを受けたエディも、
「ほんと、何十人ものハーレムを抱える貴族ってのはたまにいるけど、大抵は金でかき集めた飾り物みたいなものなのに、ハニーの場合は、一人ひとり従者として付き合ってるものねえ。ある意味すごい管理能力とも言えるわね」
「褒めてるのか?」
「どうかしら」
「まあいいけどな。しかしこの団子うまいな」
というと、黙々と食っていたカリスミュウルもうなずいて、
「うむ、旅の醍醐味の半分は食い物にあるな。都のそばにこんなうまいものがあるとはしらなんだ、噛み切るときの歯ざわりといい、甘みを引き立てる塩加減といい、絶妙ではないか」
するとエレンが手元の皿を差し出し、
「殿下、こっちのは中にナッツが入ってて、いけるよ」
「ほう、いただこう。もぐ……うまい」
「だろう」
「うむ、よいな。お主、名はエレン、だったか」
「そうだよ、ま、ケチなこそ泥上がりさ」
「盗賊か、派閥はどこだ?」
「灰色熊の子分さ」
「灰色は、変装が巧みだと聞くが」
「よくしってるね」
「貴族はよくお忍びで変装をするが、あれは素人目にも見れたものではないな、だが盗賊の変装は、役者も驚く化けっぷりと言うではないか」
「機会があればご披露するよ」
ジョッキをあけたエディがおかわりを頼みながら、こう言った。
「彼女はうちのポーンも一目置く、斥候のエキスパートよ。試練のときには、いつも先頭に立ってくれるわよ」
「ほほう、それは頼もしい。チアリアールもアンブラールもその方は苦手でな、下らぬ罠に何度もかかったものだ。そう言えば一度盗賊を雇ったことがあるのだが、前金を渡したら、そのままとんずらしおったわい」
それを聞いたエレンが気の毒そうな顔で、
「あはは、そりゃあ殿下が悪い。盗賊の仕事はお宝をいただくことだからね。もらっちゃったら、そこで終了さ」
「まったく、世の中には学ぶことが多すぎる」
「もっとも、殿下ぐらいの上客なら、アカを出してもコネを作るのが、優秀な盗賊ってものだけど、正体を見抜けなかったんだろうねえ」
「いずれにせよ、ハズレくじを引いたわけか、難しいものではないか」
「そういう時は、旦那みたいに対象を絞って学ぶんだね」
「ほう、具体的には?」
「もちろん、これのことさ」
と自分のこぶりな胸を掴んで見せると、カリスミュウルは、カラカラとわらう。
「ははは、そうであったな」
エレンはさすがの話術で、カリスミュウルもあっという間に打ち解けていた。
店はその後も客が増え、落ち着かなくなったので早々に切り上げる。
馬車に戻ると、最後尾の親衛隊は馬から降りて、手ずから水をやっていた。
「この土産の団子を彼女たちにやるのも駄目かね?」
とエディに尋ねると、嫌そうな顔をしたが駄目とは言わなかったので、ひょいひょいと近づいて声を掛ける。
「ご苦労さん、外は寒いだろう。差し入れだよ、温かいうちに食べてくれ」
話しかけた騎士は驚いて、フェイスマスクを開ける。
鳶色の大きな瞳がチャーミングなかわい子ちゃんだ。
「きょ、恐縮です。紳士様自らこのようなことをしていただくとは」
「こちらこそありがとう。まだ先は長い、よろしく頼むよ」
「はっ、お任せください」
四人揃って敬礼する彼女たちに見送られながら馬車に戻る。
「ハニーって、相手が一番喜ぶ対応を無意識に選んでるわよね」
「そうかな?」
「そうよ、あれと同じことをローンやポーンに言っても、感銘は受けないでしょうに」
「気のせいだろ」
エレンに頼んで前の馬車にも土産を届けて、馬車に乗り込む。
フューエルは起きていたが、アンがいなかった。
フルンたちと一緒に用足しに行ったらしい。
さっきの店にトイレがあったのだが、見ると行列ができていた。
女は大変だな。
「なにかいいものがありましたか?」
と尋ねるフューエルに、土産を渡す。
「美味しそう。でも馬車の中だと、あまりお腹が空きませんね」
そう言うフューエルにエディが、
「あらそう? 私は食べても食べてもお腹が空くのよね」
「それは、鍛えているからでしょう。私は食べるとすぐに脂肪になるんですよ」
「そうねえ。そう言えばカリはちょっと下腹がたるんでるわよね」
言われたカリスミュウルは顔を赤くして怒る。
「う、うるさい、そんなところを見るな。これから控えればいいのだろう」
「いやあ、俺はたるんだ腹も好きなので、無理に痩せなくてもいいぞ」
「たしかに、貴様の従者は体型だけ見れば千差万別ではあったが」
「別に体で選んでるわけじゃないし」
「しかし、今さっきもでかい乳に鼻の下を伸ばしておったではないか」
それを聞いたフューエルが、
「この人は筋金入りの鼻下長族なので、誰にでも伸ばすんですよ。気にしたら疲れるだけです」
「お主も、苦労しているのだなあ」
「ええ、これからは共にこの苦しみをわかち合って行きたいものですね」
「うむうむ」
二人の茶番を聞き流しながら、窓の外を見ると、馬車が動き始めたようだ。
それと同時にアンも戻ってきた。
「よう、間に合ったのか?」
「ええ、どうにか。思ったより早く復旧したので、日が変わる前に街につけそうですね」
「だといいけどな」
俺が余計なことを言ったせいでも無かろうが、それからすぐに雪が振り始めた。
都の周辺は乾いた荒野が広がるが、たまには雪も降るらしい。
まだまだ、先は長そうだ。
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