第291話 バーゲン二日目 その一
時刻は深夜の二時過ぎだろうか。
塔の周りは赤々と火が焚かれ、人も多い。
それでも、前回の試練の塔のバーゲンほど密集していないのは、塔がでかいこととすぐ側に大きな街があるからだろう。
宿に戻ると明かりは消えていたが、俺たちの気配に気がついたのか、すぐに女将が飛びだしてきた。
「お、おかえりなさい。お怪我はありませんか?」
「見ての通り、ピンピンしてるよ」
実際は久しぶりの探索でヘロヘロだが、心配そうな顔で待っててくれたパルシェートちゃんのためにも、強がってみせる。
「お弁当も美味しかったよ」
というと、ぽっと頬を染める。
「夜食も用意してありますけど、どうしましょう?」
「じゃあいただこうかな。さすがにこの時間だと、腹も減るよ」
パルシェートちゃんのおさんどんでガッツリ夜食をとり、ひと風呂浴びてベッドに潜り込むと、そのまま即、眠りに落ちてしまった。
白いモヤの中にいる。
何度来ても、懐かしい場所だ。
だが、いくら待っても、懐かしい声は響いてこない。
モヤの隙間からのぞいた空をみあげると、網目状の光の筋ではなく、普通の星空が見えた。
ガラス越しの、星空だ。
もう長いこと声を発しなくなったそれに向かって、彼女は話しかける。
「母様、あの星の一つが、私達の故郷なの?」
「……」
「ねえ、母様、どうすれば母様をあそこに連れて行ってあげられるのかなあ」
「……」
「どうすれば、もう一度、母様のお声を、聞けるのかなあ」
「……」
「ねえ、母様……」
星空に包まれた小さな娘が、無限の虚空に向かってつぶやいていた。
目が覚めると、すでに日は高く登っていた。
久しぶりになんか夢を見た気がするが、内容を思い出すより先に、部屋に飛び込んできたフルンに叩き起こされてしまった。
「ご主人様、そろそろ起きないと置いてかれるよ!」
「置いてってくれても、いいんだけどなあ」
「でも、カリスミュウルちゃんが来て、フューエルが難しい顔してるから、行ったほうがいいと思う」
「そうかあ、行きたくないなあ」
「ほら、早く着替えて。顔洗って。家を出るときにアンが、ちゃんとご主人様の身だしなみを頼みますねって言ってたから、ちゃんとするの!」
「そうかあ、フルンは頼もしいなあ」
フルンに迷惑をかけるわけにはいかないので、渋々起きて支度を終えると、カリスミュウルがでーんと待っていた。
「貴様、いつまで寝ておるか、待ちくたびれたではないか」
「先に行ってどんどん進めてくれてもいいんだぞ。なに遠慮はいらん、英雄の称号は君のものだ」
「馬鹿め、そのような姑息な真似ができるか! 同じ時間だけ探索して、より多くの成果を得るのでなければ、賭けにならぬではないか」
物は言いようだなあ。
俺と一緒に行きたい、とか素直に言わないあたりが、特にいい。
結局、昨日と同じようにパルシェートちゃんに見送られ、昨日と同じメンツで、昨日の続きから探索を始めることにする。
女将のお弁当を朝飯代わりにかじりながら塔を見上げると、外周の階段は、思ったより空いていた。
これはどうやら、上の階がかなりの高難易度で、素人には無理そうだという話が広がったかららしい。
「下の方も、かなりの強敵が出ている様子。できれば地図を早めに用意したいのですが」
と語ってくれたのは、入り口で青豹をサポートしていたローンだ。
そんな彼女のために、すでにできていた地図を進呈する。
「まあ、よろしいのですか?」
「もちろん、君のために精魂込めて作った地図だ、ぜひ受け取って欲しい」
「では、先日の貸しを返していただくということで」
「ちょっと、貸しってなんのこと?」
食いつくエディにとぼけるローン。
「さあ、なんでしょうか」
「むぐぐ、カリだけじゃなく、あなたまで! 今日はもう最上階に行くまで降りてこないわよ!」
と啖呵を切ってエディは先に行ってしまった。
思春期かなあ、でなければ更年期か。
呆れて見送っていると、人足代わりにローンに貸していたクロックロンが数体、怪我人を運んできた。
それを見たベテラン冒険者が、ガーディアンかと驚くが、
「ハロー、オニイサン、私トッテモカワイイ人形アルネ、全然危険ナイアルネ」
などとクロックロンがとぼけた口調でアピールすると、冒険者の方も、
「なんだ人形か」
とあっけなく納得してしまった。
まあ、普通のガーディアンはしゃべらないしな。
あの調子でうまくやってるんだろう。
ローンはそんなクロックロンをねぎらってから、こう言った。
「青豹はまだ慣れていないので、助かってますよ。この子たちのほうが、ダンジョン管理はよほどベテランですから」
「しかし、怪我人も多いな」
「どうもこの試練の塔は、ムラがあるようですね。慣れた冒険者でも、予想外の強敵に苦戦しているようです」
「たしかに、敵の強さもバラバラだしな」
「それだけではありません。今頂いた地図をざっとみても、迷路の作り込みが甘いと言わざるを得ません」
「どれどれ」
と改めて地図を見ると、たしかに、通路が行き止まりばかりだったり、ただの格子状に部屋が並んでいるだけだったりする階もある。
天然のダンジョンと違って、試練の塔って女神が作るだけあって、いざ攻略するともっと練り込んだ、よくできたゲームのマップみたいな人工的な意図を感じるもんだけど、ここはだいぶ雑な感じだ。
「まるで、一夜漬けででっち上げたような作りだな」
「女神様でも、そのようなことをなさるのでしょうか」
「さあねえ」
そこいらで話を切り上げて、出発することにする。
「では、頑張ってくださいね」
いたずらっぽく笑うローンに見送られながら、長い階段を登ったのだった。
十一階から先も、特に変わりはなかった。
紅の見積もりでは、同じ間隔で各階が構成されていれば、おそらく六十階建てになるだろう、とのことだった。
百階超えも覚悟してたので、若干気が楽になったが、大変なことには違いあるまい。
敵もなかなかの強敵ぞろいで、手を焼く。
無論、このメンツで負ける心配はないのだが、いつも言うようにこちらがいくら強くても、毎回確実に首をはねて一発でけりが着くわけではない。
条件次第では三十分ぐらい長引くこともある。
一フロアに一、二回しか戦わなくても、十フロア進めば半日近くかかる。
特にエディはメシャルナ達騎士の卵に実践指導を始めるし、カリスミュウルは寝不足だったのか、ずっとあくびをしてるし、フルンはずっと走り回って魔物をどんどん倒すしで、忙しい。
俺は最後尾でデュースと定年退職した老人のような顔でそうした様子を眺めていた。
「いやー、みんな元気ですねー、私もあと九百年ぐらい若ければー、もう少しハッスルできましたかねー」
「俺もあと九年ぐらい若ければなあ」
「惜しいことをしましたねー」
「だが、年寄りには知恵があるのだ。若いものに頑張ってもらって、俺達はここで生暖かく見守ろうぜ」
「そうですねー」
老人の仲間入りを拒否するかのように、フューエルはウクレとオーレに実地で魔法の授業をしていた。
オーレはデュースの弟子ということになっているが、どうも実際にはほとんどフューエルが教えているらしい。
家にいたころも、毎日午後は地下に籠もって練習してたからな。
「いいですか、ここのように強敵が多い場所では、連携こそが重要です。戦いの主導権は、前衛の戦士や侍が握ります。そして攻撃には波があります」
「波? 水が揺れてるあれ?」
とオーレ。
「そうです。海岸では水が押し寄せたり引いたりするでしょう。あのように相互に攻防が続くものです」
「うん」
「そして時折、大きな波が来る。それはチャンスかも知れませんし、ピンチかもしれません。何れにせよ、そうした大きな変化のときに、魔法が生きてくるのです」
「なんで?」
「大雑把に言えば、剣とは異なる力の作用だからです。あなたの術で言えば、かわしきれないほど無数の氷を飛ばしたり、氷で足止めしたりできるでしょう」
「うん」
「拮抗した力の場合、かすり傷も致命傷となりかねません。まして足を封じられればなおのこと。たった一発の魔法が、そういう大きな戦の節目となるのです」
「じゃあ、氷礫と氷壁、どっちがいい?」
「それは、状況次第です」
「そこ、もう少し具体的に言わないと、言ってないのと同じ」
「簡単に分類できればいいのですが、実際には戦闘において同じ状況はまず起こりえないでしょう」
「じゃあ、どうする?」
「まずは一つを極めるのです。あなたなら氷礫の魔法ですね。これならダメージを与えることも、動きを封じることも、目くらましにすることもできます。魔導師に求められる役割を十二分に果たすことができるでしょう」
「そうかな?」
「その上で、少しずつ選択肢を増やしていくのです、大勢の足を封じるなら、氷壁のほうが最適だと思えばそちらを選ぶ。ですがそれは、万能の選択肢として氷礫があるからこそ、そこからより良い選択を選べるのです」
「でも、それだと氷壁なら良かったのに氷礫じゃ封じきれない、とかある。それで負ける」
「そうですね」
「そうしたらどうする? 負けたら終わり、次はない」
「それは、そうなのですが、しかしいきなり万全の状態まで修行してから戦いに出ることも、また不可能でしょう」
「それも、そうだな。困った」
そこでデュースが、オーレの肩をぽんと叩いて、こう言った。
「ですからー、後衛は前衛を信頼するんですよー。万全を尽くしてもだめな時はありますがー、それでも前衛が守ってくれると思えばー、次のチャンスを狙えますからー」
「そうかな?」
「そういうものですよー、そして前衛も後衛の魔法を信頼するのですよー」
「信頼されたら、余計失敗できない。期待を裏切る、よくない」
「そこを勘違いしがちですがー、信頼と期待はー、ちょっと違うんですよー」
「どう違う?」
「期待はうまくやってくれることを一方的に望むものですがー、信頼は双方向の関係ですからー、もし仲間が失敗してもそこは自分が補ってやれるからー、相手に安心して全力を尽くしてもらうんですよー、そういう関係を築くことが信頼ですよー」
「難しいな」
「だからレーンたちがいつも連携の練習をしてるでしょー。あれがー、信頼につながるんですよー」
「レーンいっつも怒ってる、あれ、意味あったか」
オーレが納得すると、少し前にいた僧侶のレーンが、急に振り返ってこう言った。
「おわかりいただけたら恐縮です」
「でも、もう少し優しく言ったほうがいい、オーレは平気、神経が太いってよくばあちゃんに言われたから。でも、レルルやハーエルはいつもビビってる、ビビってないほうが信頼できる」
「これは、ますます恐縮です。たしかに、私の指導は直情的すぎると、お姉さまからもよく言われておりました。私も精進しましょう」
「うん、それがいい」
と言ってみんな笑う。
「いいわねえ、従者って」
いつの間にか隣りにいたエディが、そういった。
「うん?」
「ハニーのとこは特に人数が多いから顕著だけど、これだけ能力も性格も違うのに、うまくやってるじゃない」
「相性ってやつだろ」
「それよそれ、これが騎士団になると、みんなてんでバラバラで」
「そりゃそうだろうなあ」
「でも、それじゃあ任務を果たせないから規律で縛るんだけど、兵士ならともかく、騎士は貴族が大半だから、みんなプライドも高いし、さっぱりなのよ」
「苦労しそうだな」
「そうよ、だからせめて能力だけでも保証できてることが重要なのよ。結局、軍隊ってのは一番弱い人間に合わせて機動を行うことになるから、そこのところを底上げするのが重要なんだけど、育てるにも限度があるから」
「だったら、貴重な戦力を逃さないように、しっかり面倒見てやれよ。カリスミュウルと遊んでる場合じゃないぞ」
「それもそうね、じゃあ、カリとはハニーが遊んでちょうだい」
と言って笑いながら、前の方にいたメシャルナちゃんたちの方に小走りで去っていった。
いい気なもんだ。
ちょうど隣を歩いていたシルビーが、そんなエディの後ろ姿を見ながら、こう言った。
「エディはメシャルナ達の獲得に本気のようですね」
「だろうなあ。しかし、あれだけ派手にやってれば、そろそろ正体がバレてるんじゃ?」
「どうでしょうか。私の時もそうでしたが、流石にこの実力で見習いはないだろう、名のある方が、身分を隠しているに違いない、とは早い段階で思っていました。それはサワクロ殿もそうで、どこかの大店の子息か、貴族に連なる方なのでは、と思っておりましたが……」
「そうかい?」
「それでも、団長とまでは想像できませんでしたし、ましてや紳士様ともなると流石に、思いもよらぬことで」
「ははは、まあ、そんなもんかな」
次の二十階のボスは、身長五メートルほどの四つ目の巨人だった。
丸太みたいな棍棒を振り回してすごい速さで突進してくるので、危うくちびるところだった。
その極太棍棒の一撃をクメトスが盾で正面からうけとめ、敵がひるんだところを、エディが側頭部を槍で貫いて決着となった。
「すげーな、クメトス。よくあんなものが止められるな」
俺が褒めると、恐縮して、
「さすがに、腕がしびれました。あそこで彼女が仕留めてくれなければ、危うかったでしょう」
とは言うものの、特にダメージを受けてるようにも見えない。
ボスを倒してガッツリ財宝をゲットして、バルコニーに出ると、やはり下に繋がる階段ができていた。
毎回、このパターンっぽいな。
「良い頃合いですし、ここで昼食にしましょうか」
とレーン。
すでに昼は過ぎてるが、朝が遅かったので、時間的にはちょうどいいだろう。
バルコニーはそれなりにスペースがあるので、場所を分けて陣取り、弁当を広げる。
内なる館でミラー達と食事の支度をしていたテナが、特製のお弁当を振る舞ってくれた。
テナもすごく強いんだけど、女中としてのこだわりが強いのか、よほどのことがない限り、戦闘には参加しないんだよな。
雲ひとつない空を眺めながら食べる弁当はうまい。
あんまり食べすぎると、戦闘時に支障が出るのでアレなんだけど、どうせ出番はないし気にせず食う。
フルンやエットはいつものようにもりもり食べてるが、それにつられたのか炎閃流のメシャルナとラランもよく食べている。
ラランの方はグッグ族だけあって、相当食べるな。
「何をご覧になっているのです?」
とテナ。
「いやあ、よく食べる子は見てて気持ちいいなあ、と思ってな」
「食べない子も、控えめで可愛らしい、などとおっしゃるのでしょう」
「言うだろうなあ」
「なんでも肯定的に捉えるところは、ご主人様の長所ですね」
「無理に褒めるところを探さなくてもいいんだぞ」
「残念ながら、従者というものは、常に主人の良いところを探してしまうもののようですよ」
「大変だな」
「いいえ、それが従者の喜びというものです」
とすまし顔でお茶を入れるテナ。
テナのお茶は、旨いなあ。
「食事が終わったのでしたら、コーヒーを点てましょうか?」
「いや、あんまり飲むと、トイレが近くなるからな」
ダンジョンって結構トイレで困るんだよな。
油断すると物陰で致してるやつもいるし。
食事を終えて出発の準備をしていると、紅がやってきた。
「そろそろ、アンたちがこちらに着くようです」
「早いな」
「試練の塔ができたということで、予定を早めて昨夜のうちにヘルツナに移動して馬車を抑えておき、夜明けとともに出発したそうです」
「ははあ、そういやそうかもな。バーゲンの情報が伝われば、馬車の確保も大変になるか、そこまで気が回らなかったよ」
「パーティはこのまま上を目指すとのことですが、どうなさいますか。下にミラーは居ますが宿を手伝っておりますし、他に誰かやって、合流したほうが良いのでは」
「それをやるのは当然、主人たる俺の仕事だろう。なあ、デュース」
「そうですねー、私も年長者としてー、仲間の長旅の労をねぎらわねばー」
「だよなあ」
というわけで、その旨をフューエルに伝えに行く。
「下にはミラーがいるでしょう。あなたが居なくては皆が締まらないではありませんか」
「その理屈はわからんでもないが、今日はもう、十分探索しただろう」
「その理屈もわからないではありませんが……」
と言って、少し離れたところで何故か一緒に飯を食っているエディとカリスミュウルの方を一瞥してから、
「私もそろそろ切り上げてもいいとは思いますが、あちらがやる気満々では、どうしようもないではありませんか」
「しかし、カリスミュウルはともかく、エディまであんな女学生みたいなはしゃぎようで、ちょっと驚いたな」
フューエルは、少し逡巡してから、こう言った。
「あの二人は御学友だったのでしょう。幼い頃に仲の良かった相手と久しぶりに会えば、当時の心境に戻ってしまうものですよ」
「誰かさんもそうだったな」
「誰のことです?」
「さあ」
しかしまあ、そう言われると仕方がないので、俺は残ることにした。
結局、デュースも残るようだ。
出迎えはテナに頼むことにする。
「というわけで、出迎えは頼むよ」
「かしこまりました」
「もしあいつらが塔に登るようなら、ちゃんと一休みさせてからにしてくれよ、ここはハードだからな」
心配しなくても、だいたい皆、俺よりうまくやってくれるんだけどな。
外周の螺旋階段を下るテナを見送って、俺達は再び出発した。
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