第285話 火事

「そもそも、スラムの歴史を紐解けば、ケルシタン王の御代、時の宰相カッシルが隔離政策を敷き、獣人を街から追い出したことによるのござるが……」


 青豹騎士団長バティーユのダラダラと長い前置きが続く。

 要するにこの都では今、スラムをぶっ壊して、街を拡張しようとしてるらしい。


「近年は壁の内側の空洞化が進んでおりましてな、貴族連中もこぞって街の外に居を構えるようになりもうしたが、見ての通りこの一体はそれほど人の住める場所は多くはなく、結果的にスラムの追い出しにかかっているのでござる」

「しかし、追い出された方はたまらんでしょう」

「さよう、さよう。ですが、そうした連中は古代種を歯牙にもかけない輩でしてな。と言っても実際に人は住んでおるので、そうした金持ち連中の意向を汲んだチンピラ共が、最近このあたりを荒らしておるのでござるよ」

「困ったものですね」

「いかにも、街の治安を司る我が騎士団としても、放置するわけには参らぬが、そこはまた、なんとも……」


 はっきりとは言わないが、騎士団も貴族だしな。

 あるいはバックについてるスポンサー的な連中が、地上げ推進派なのかもしれない。

 それ以前にこのオヤジは、一体どういう訳で、俺にこんな話を聞かせてるんだろう。

 よくわからないままに、話を終えて、団長殿は帰っていった。

 アンブラールの姐さんも、カリスミュウルが待ってるとかで一緒に帰ってしまった。

 入れ違いに女将がやってくる。


「あの、サワクロさんって、どういうお方なんでしょう? 騎士団長様ともあんなに親しげに……」

「なあに、ただの旅の商人だよ。それよりも、ああいうチンピラ連中はしょっちゅう来るのかい?」

「はい、最近急に増えて。以前は両親も居てくれたので、心強かったんですけど、今、兄の宿のほうが大変でそちらにかかりきりで」

「物騒だな。俺がいる間だけでも、うちのもんに警戒させよう」

「ありがとうございます。でも、お客様に、そこまでしてもらうのは」

「まあいいじゃないか、それよりも、なにかいい酒があったんじゃないのかい?」

「あ、そうでした。今、支度しますね」


 バタバタと奥に駆けていく女将のパルシェートちゃん。

 入れ違いに、クメトスとエーメスが帰ってきた。


「表の植え込みが壊れておりましたが、何かあったのですか?」


 とクメトス。


「ちょっと地上げ屋がやってきてな」

「地上げ屋? 陛下のお膝元でそのような輩が」

「青豹騎士団のバティーユっておっちゃんが追っ払ってくれたよ」

「バティーユとは、団長のバティーユ・レンブルトン卿のことでしょうか」

「ああ、団長らしいな」

「かの御仁は、公明正大で民の信頼も厚く、人道主義者として知られております。」


 人道主義といっても、いわゆる博愛主義的なそれなのか、広義のヒューマニズム的なそれなのかでも違うよな。

 俺の脳内翻訳もたまに頼りないし。

 ただ、この場合は、前者の意味の人道主義っぽかった。

 要するに篤志家だ。

 私財をはたいて貧乏人に施したりするタイプらしい。

 行為自体は嫌いじゃないが、仲良くするなら、為人を慎重に見極める必要がある気がするな。

 せめて女の子なら良かったのに。


「ご主人様も、一部の者からは偉大な人道主義者として、讃えられているようですよ」

「まじかよ、どこをどう解釈すればそうなるんだ?」

「それは……、しかしご主人様はそう呼ばれてもおかしくないだけの活躍を、なされておりますし」


 どうやら、クメトスも少なからず俺のことをそう見ているらしい。

 そういや、森でゴーストの墓場を探してたときも、俺の行動に妙に感心してたしなあ。

 まあ、誤解はそのうち解けるだろう。


「じゃあ、あの団長殿が、妙に馴れ馴れしく話しかけてきたのは、同輩と見たわけか」

「そうでありましょう。かの御仁は幾度か挨拶を交わしただけではありますが、たしかセバイツェル家の庶流で、小さな家でありながらも叩き上げで団長の座に上り詰めたと聞いております。ご友人としてお付き合いなさるにも、ふさわしい方かと」


 全然そうは思わないが、まあ、そこはそれとして、女将が酒を持ってきてくれた。


「お待たせしました、あら、お連れ様もお戻りだったんですね。ご一緒にいかがです? 母の故郷の酒で、このあたりではちょっと手に入らない、一品ですよ」

「ふむ、ではいただきましょう」


 と言って、クメトスやエーメスも交えて、しばし旨い酒を堪能したのだった。




 その夜。

 テナの短いけど柔らかい太ももを枕に寝ていると、外から大声が響いた。


「火事だー!」


 ん、火事?

 火事ってなんだっけ……。

 えーと。

 寝ぼけた頭が、徐々に覚醒してくる。


「なんじゃーっ!?」


 慌てて叫んで飛び起きると、周りのみんなも目を覚ます。


「どうなさったんです?」


 と寝ぼけまなこのフューエルが尋ねる。


「あれ、夢かな、今火事だーって」

「火事だー!」

「うわ、やっぱり!」


 再び響く表の声に、みんなも慌てて飛び起きた。

 同時に、隣室からミラーが飛び込んでくる。


「今、紅が火元を確認するために、外に出ました。近くではないようです」

「そうなのか」

「……連絡が入りました。紅によると、火元はスラムの外れ。木造のバラック故に、一気に燃え広がっており、ここまで延焼する可能性もあるということです。急ぎ、避難の用意を」


 なんかつい最近も似たようなことがあった気がするんだけど、お祓いとかしたほうがいいんじゃないのか?

 などと考えていると、女将が素っ裸で飛び込んできた。

 また夜中に入浴中だったらしい。


「おおおお客様、か、火事です、い、急いで避難を」

「大丈夫、君こそ落ち着いて。避難の支度はしておくから、君もまず服を着て、大事なものを持ち出すんだ」

「服?」


 といって、自分の体を見る。


「ひ、ひゃぁああっ! すすすすみませんーっ!」


 とドタバタと出ていった。

 そばで見ていたフューエルは、呆れた顔で、


「たしかに、あなたと相性は良さそうですね」

「そうだろう、ぜひとも連れて帰りたいが……」


 話すうちに、避難の支度は整う。

 まあ、かさばるものは内なる館に入れてあるし、頭数も多いからな。

 ひとまず状況を確認しようといそいで外に出ると、確かに燃えてる。

 すげー燃えてる。

 大丈夫なのか、あれ。

 燃え上がる火の粉が、風に乗ってここまで届きそうな勢いだ。

 自警団っぽい連中が、必死に消火にあたっているようだが、全然追いついていない。

 なにか加勢したほうがいいんだろうが……、どうしたものか。

 と悩んでいると、通りの物陰から人影がにゅるりと現れた。


「ご無事でしたか、紳士様」


 そういったのはエディの片腕にして、赤竜副長のポーンだ。

 どうやら、俺の安否を確認に来てくれたらしい。


「わざわざすまんな」

「おっつけ、エディもやってくると思いますが、避難なさるなら、屋敷の方に案内せよとのことです」

「そりゃあ、助かるが、アレを見捨ててはいけんだろう」


 俺の言葉に、ポーンも現場を見る。


「本来なら青豹が仕切るのですが、昨日の午後から、街を離れている様子」

「街を守るのが青豹の仕事じゃなかったのか?」

「そうです。が、年に一度のカンプ公のご参拝に同行して、ネアル神殿にいます」


 カンプ公ってのが誰かは知らんが、ここでいうネアル神殿ってのは都から半日ほどの距離にある、大きな神殿だそうだ。

 昨日、俺と別れたあとに、街を出たわけか。

 そんなギリギリまで団長自ら街を警戒してたとなると、やっぱあれか。


「都合よく、そんなタイミングで火事になるもんだな」

「不思議な事もあるものです」


 いつものように表情を変えずに答えるポーン。

 つまり彼女も付け火と見ているわけか。

 まあ、地上げと言えば放火だよな。

 となるとやっぱり、見捨てて逃げるのは忍びない。

 案外俺も、慈善家なのかもしれん。

 さて、そうなると、まずは相談だな。

 紅と一緒に様子を見に行っていたエレンが戻ってきたので、声を掛ける。


「そうだね、今燃えてるのはスラムの旧市街で、あまり人の住んでないところだから、手伝うとしたらクロックロンに頼んで、避難を優先すべきかな。その後、デュースの魔法か何かで、建物をふっとばすのがいいと思うけど」

「そこまでやって、大丈夫かな」

「さあねえ、責任者がいれば、いいんだけど」


 というので、改めてポーンに尋ねると、


「治安の責任者はバティーユ卿ですが、先程も申し上げたとおり、現在、不在です」

「代わりの責任者が居るもんじゃないのか?」

「そうかも知れませんが、あいにくと私はかの騎士団へのパイプがありません」

「うーん」


 ポーンはローンよりも、だいぶシビアだからな。

 基本的にエディのためにしか動いてくれない気がする。


「よし、ひとまずクロックロンを出そう。エレン、そっちは任せた」

「あいよ」


 クロックロンの集団を引き連れて、エレンが現場に向かった。

 紅とエーメスもつけておく。

 そうこうするうちに、パラパラと逃げてくる連中がやってきた。

 中には怪我人も居るようだ。

 ひどいことするなあ。

 都はまったく、俺の性に合わん。

 そこに支度を終えた女将がでてきた。


「ああ、ひどい、あんなに燃えて……」


 女将はかなり動揺している様子だ。

 地元民だしな。


「女将、避難してきた連中には怪我人も居るようだ。それにこの寒空だ、休む場所を用意してやろう」

「そ、そうですね。えっと、ま、まずは、なにから」

「ひとまず、火をおこしてあたってもらおう。それと怪我人の治療だ、それはこっちで引き受けよう」

「は、はい」


 女子供を優先して、避難スペースを大急ぎでこしらえる。

 幸い、ひどい怪我人はいなかったが、皆着の身着のままで逃げてきたので、寒さを凌ぐのも一苦労だ。

 内なる館の備蓄の薪や毛布も引っ張り出して提供して、どうにか体裁を整える。

 俺もずいぶん苦労したので、こう言う場合に備えて、カプルに色々頼んでおいたのだ。


「まさか、こんなにすぐに役に立つとは思いませんでしたわね」

「まったくだ、備えあれば憂い無しとはよく言ったもんだ」


 並んで燃える焚き火を見ながら話していると、ススにまみれたおっさんがやってきた。


「おーい、あの四角い連中の人形遣いはどこだ?」


 大声で叫ぶのは、髭面のいかつい男だ。

 自警団のボスらしい。


「俺だが、どうした?」

「あれには助かってるんだがな、どうにも火の回りが早い。避難もだいたい済んだから、建物をぶっ壊して延焼を防ぎたい。頼めるか?」

「よし、やらせよう。魔法で吹っ飛ばせるが、それでいいか」

「ん、魔法か。都の近くででかいやつはまずいな、騎士団がいれば、どうにか話も通るんだが」

「だめなのか」

「王宮の周りは何やら規則があってな。何年か前の火事でも、許可が降りずにずいぶん消火が遅れて……」

「面倒だな」

「とにかく、あの人形で建物を壊してくれるだけでも……」


 そこによく通るチャーミングな声が響き渡った。


「なにをチンタラしておる。さっさと避難を済ませて、火を消さんか!」


 声の主はもちろん、かわいいカリスミュウルちゃんだ。

 寝起きのまま、雑に上着を羽織って飛び出してきた感じが、さらにかわいい。


「おう、いいところに来たな。避難はおおむね済んだから、火元を魔法でぶっ飛ばそうと思ったんだが、なんか規則で都じゃでかい魔法が使えないって言ってるんだ。お前がなんかこう、超法規的なアレでパパっと許可してくれよ」

「なんじゃそれは、そんな法は知らんぞ?」


 カリスミュウルが隣りにいた透明人形のチアリアールに尋ねると、


「たしかに、そのような法はございます。ですが、詳しい解釈は省きますが、あなたの名において命じることは可能でしょう」

「うむ、ならば我が名において……」

「そういうことなら、私が命じるわ、ぱぱっとやっちゃって」


 今度は別の色っぽい声が響き渡る。

 もちろん、エディだ。


「何だ貴様は、割り込むな。ここは私が」

「あなたはお忍びで試練の真っ最中なんでしょうが、引っ込んでなさい」

「うるさい、貴様こそ越権だぞ、ここは貴様の管轄ではあるまい」

「あなたこそ、どこの管轄でもないでしょうが!」


 面倒なことになってきたな。


「ああもう、どっちでもいい、とにかく火を消すから、あとは二人仲良く後始末しといてくれ」


 二人をほっといて、俺はデュースに頼む。


「どうだ、行けそうか?」

「どうもあの壁が魔法を邪魔してる気がしますがー、あの一体を吹き飛ばすだけならどうにかー、紅に確認してもらいましたが、すでに避難は大丈夫そうですねー、用心のためにー、まずは結界を張りましょー」

「よし」

「派手にやるのでー、近づかないように伝えておいてくださいー」


 というわけで、改めて自警団のおっさんに話しかける。


「これからふっとばす。そっちは現場からなるべく離れるようにしてくれ」

「そりゃ助かる。避難は概ね終わってる、あとは任せよう。それより、あの二人は何者だ、大丈夫なのか?」


 言い争うエディとカリスミュウルを指差す。


「なに、二人共偉い貴族様だ、どうにかしてくれるさ」

「そうか、よくわからんが、とにかく頼む」


 いくつか打ち合わせを済ませると、ススまみれのおっさんは、ふたたび火の中に飛び込んでいった。

 その間に、俺達も準備をする。

 エディの供の騎士数人と、透明人形のチアリアールが協力して結界を張る。

 それが終わるとデュースが雷撃で火元をすべて粉砕するという計画だ。

 そうして、三十分ほどで結界を張り終わった。


「準備はできた、やってくれ」


 再び戻ってきたススまみれのおっさんが、そういうのに合わせて、デュースが杖を掲げる。


「ではー、小刻みに行きますよー、それー」


 杖を振ると、燃え盛る現場の上空に無数の光の玉がポコポコと湧き上がる。

 そこから無数の雷がスパークして地上に降り注いだ。

 一発ずつはたいした威力はないが、機銃掃射のように連続して火の上から降り注ぐ。

 たちまちのうちに燃え盛る家々は崩れ去り、チリと化す。

 魔法の特性と結界の効果もあって、うまい具合に火元だけを粉砕できているようだ。

 それが十分も続くと、目に見えて火が小さくなってきた。


「しかし、改めて思いますが、デュースの術は桁が違いますね。これほどの複雑な制御はおよそ人間技とは思えません」


 とフューエル。


「普段はだらしなく寝っ転がってるだけなんだけどな」

「そういうところは、あなたの従者という気もしますが」

「そうだろう」


 などと話すうちに、火はほとんど消し飛ばされてしまった。

 気がつけば街の方からも歓声が上がっている。

 どうやら一件落着かな。

 とはいえ、家を焼け出された連中は、大変だろうな。


「いや、助かった。しかし、あんた他所から来たようだが、なんでまた」


 と自警団のおっさん。


「なに、たまたま居合わせてね。困ったときはお互い様さ。しかし、ずいぶん燃えちまったな」

「たしかに。もっともあのへんは、スラムでも古い区画でね。ほとんど人も居なかったから、避難もスムースにすんだのさ」

「そりゃあ、不幸中の幸いだな」

「そうとばかりも言えないが……」

「うん?」

「とにかく助かった、ゆっくり礼をしたいが、今は取り込み中だ。街を代表して感謝する」


 そう言ってススまみれのおっさんは去っていった。

 気がつけば、あたりには避難民がうじゃうじゃ居て賑やかになっている。

 とりあえず、まだ言い争ってるエディとカリスミュウルに礼を言っとくか。


「おう、おかげさんで、どうにか火は消えたぞ」

「ほほう、やるではないか、この何処かの口だけ騎士とは大違いだな」


 とカリスミュウルが言うとエディも、


「あーら、夜の夜中に、街を徘徊する趣味のある誰かさんは、たしかに口より手のほうが早そうね」

「誰が徘徊しておるか、貴様こそなにしに来たのだ!」

「決まってるじゃない、恋人の安否を気遣ってきたのよ」

「わ、私も! いや、私は、火元が心配でだな」

「なら火事の現場に行けばいいじゃない、なんでこっちに来るのよ」

「こ、こっちが燃えてるように見えたのだ!」

「それでそんなボタンもかけちがえたまま飛びだしてきたの、大したお姫様だこと」

「う、うるさい! 貴様こそ、ナイトキャップをかぶったままではないか!」

「こ、これは夜冷えるからよ!」

「フハハ、取り乱しおって、そんなことでは貴様に使える騎士共も苦労が耐えまい」

「あんたに言われる覚えはないわよ!」


 女の闘いは、見目麗しいものだなあ。

 ほっといて、避難民の面倒でも見るかと向きを変えたら、派手な甲冑の騎士が視界に飛び込んできた。

 今度はなんだ?

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