第284話 右腕

 目が覚めたら昼前だった。

 すでにフルンたちは大会の見学に出ており、出遅れた俺はわざわざ見に行く気にもならず、遅めの朝食を一人で取っていた。

 何故一人かというと、フューエルとエディは連れ立って買い物に出かけてしまい、デュースらもそれに従ったからだ。

 クメトスとエーメスも、先々代の団長とか言う人のところに挨拶に行ったそうだ。

 残りの連中も、ミラーの大半を除けば内なる館から出て、勝手に遊びに行ってしまっていた。

 まあ、いいんだけどね。


 一人寂しく飯を食っていると、宿までローンがやってきた。

 こざっぱりした私服のコート姿は、一見地味だがそこはかとなく品位と色気を醸し出している。

 同行のごつい騎士も同じく私服だが、こちらは胡散臭いなあ。

 その同行者からなにかの報告を聞きながら、ローンは丸いパンをかじっている。

 俺と目が合うと、いやらしそうな顔でニッコリ笑う。


「おや、一人寂しく朝食とは、置いてけぼりですか」

「まさか、君を待ってたんだよ」

「まあ、エディが聞いたら、さぞ悔しがるでしょうね」

「人間、たまには刺激がないとな」

「そのエディは、こちらにはいないので?」

「今さっき、出かけたみたいだよ」

「そうでしたか、行き先は?」

「起きたら、すでに出かけたあとだったからなあ」

「それはまた、甲斐性のないことで」

「いつものことさ。それより、夕べはエツレヤアンだったんだろう、とんぼ返りかい?」

「今朝はコンザに駐屯中の第四小隊に小言を伝えてから、こちらに出向いたところです」

「髭の爺さんは元気だったかい?」

「ええ、孫に会うために髭を剃ろうとして、息子さんに止められたそうですよ」

「あのやり手爺さんも、孫のこととなると目がくらむようだな」

「そのようで」

「それにしても、いつもそんなにハードスケジュールなのか」

「大きな作戦がない時は、そうなりますね。書類も溜まっているので、できれば数日部屋にこもって片付けたいところですが、そうもいきません」

「大変だな。食事ぐらいはしっかり取らないと、あとでガタが来るぞ」

「わかってはいるのですが……、では少し休ませてもらいましょうか」


 同行の騎士を帰らせて、向かいの席につく。

 テーブルにあったフルーツとサラダなどを少し口にしてから、女将が持ってきたお茶をすすって一息つくと、ローンはこんなことを言った。


「そういえば、昨日もカリスミュウル殿下と逢引していたとか」

「都にいなかった割には、耳ざといな。しかし、物事の一面を恣意的に曲解してゴシップを作り出すのは、この上ない悪徳だとはおもわんかね?」

「私は耳にした噂をそのまま口にしたまでのこと。そこに意図を挟む余地もありませんね」

「世知辛いなあ。それで、カリスミュウルは都でなにしてるんだ?」

「さて、こちらがお聞きしたいところですが、先日話題にあった、追放などと言ったデマを払拭するために戻ってこられたのでは?」

「ふむ、しかし彼女は国王になる気があるのかな?」

「それは、どういう意味です?」

「いや、彼女は俺とは別の意味で、浮世に執着がなさそうに思えるが」

「紳士様も自覚はお有りだったんですね。そういうところに、皆がヤキモキさせられるのですよ」

「そういう君こそ、世間のしがらみを断ち切りたくて仕方がないって顔してるぞ」

「紳士様に察せられるようでは……、私も修行が足りませんね」


 そういってお茶を飲み干すと、話を続ける。


「昔、私が実家を出て、この都で学院に通っていた時のことです。面識のなかったエディが、突然私の前に現れて、こう言いました。『あなた、優秀ね。私の右腕にならない?』、と」

「随分ストレートだな」

「ええ、ですから……」


 当時は今以上に成金新興貴族と揶揄されることに辟易していたローンは、エディもキッツ家の力だけを利用しようと取り入る貴族の一人だろうと思ったのだそうだ。


「私は庶子です。私に取り入っても、なんの見返りもありませんよ」

「あら、あなたは学年一の秀才だと聞いていたけど、知らないこともあるのね。あなたの実家の権勢が不要な人間も、世の中にはいるのよ」


 その一言は、ローンに取って痛いところをつくものだった。

 家を捨てたつもりでありながら、未だキッツ家の一門であることを前提に世の中を見ていたのだと、改めて認識させられたからだ。


「それから、私は彼女とともに騎士団に入り、ひたすら修行しました。あいにくと武勇の方は並以下ですが、政治の方は、多少はうまくできているようです。でなければ、彼女の右腕は務まらぬでしょう」

「大したもんさ。俺なんてなんだかよくわからない紳士とかいう肩書も含めて、頑張って身につけたものはないからなあ。いつボロが出るかとビクビクしながら生きてるよ」

「えがたい身分をもって生まれたものは多くいますが、韜晦でも謙遜でもなく、ただ執着しない。そういう心構えは、積年の修行でもなかなか至れぬ境地だと思いますよ」

「もしかして褒めてる?」

「まさか」


 と言って笑うローンはいつもより可愛い。


「さて、私はそろそろ出発いたします。紳士様はせいぜい都の澱んだ空気をご堪能ください」


 彼女にしては切れの悪い皮肉を残して、屋敷を出ていった。

 入れ違いにフルン達が戻ってくる。

 どうやら昼飯のために会場を抜けてきたようだ。

 客人のメシャルナ、ラランの両剣士もいる。

 少し年上の二人も、すっかり打ち解けたようで、道場の高弟を一緒に応援してくれたらしい。

 飯を食う彼女たちに付き合いながら、試合の感想を聞いた。


「やっぱりねー、大人の試合はすごい人いっぱい居る。でも戦士な人ばっかりで、あんまり侍はいなかった」


 とフルンが言うと、メシャルナが、


「気陰流にせよ、炎閃流にせよ、侍というクラスはあまりメジャーではないので」

「うん、セスもそう言ってた」

「フルンさんは、なぜ侍に?」

「ん? 理由はないけど」

「ないのですか?」

「えーとねえ、従者になった時はまだ何も習ってなくて、先に従者になってたセスが先生になってくれたから、剣を習い始めたの。それで、セスが侍だったから、私も侍を目指したの」

「そうでしたか、ある意味、我々と同じですね。孤児だった私達を拾ってくださった師が侍だったので」

「きっかけってそんなもんだよねー、合わなきゃやめればいいんだし」

「はい。師も言っておりました。他に教えるものを持たぬので、私は剣を教える。ものになれば日々のたつきとなるやもしれぬ、と」

「うん。あのね、シルビーも剣で食べてこうと思ってるんだよ。私はご主人様のためだけど」

「主人持ちであれば、それで良いのでしょうね。しかしシルビー……様は、貴族なのでは?」


 と言うとシルビーが、


「様は不要だ、あなたは先輩格の剣士なのだから」

「そ、そうですか、ではシルビーさん、お答えしづらいことでなければ……」

「なに、簡単なことだ。貴族とはいえ私の実家は食うにも困るような貧乏貴族で、私も剣の他に何も知らない、故に、こうして剣で身を立てる術を模索しているところだ」

「そうなのですか、私は生まれが生まれだけに、貴族というものは、いつも豪華な屋敷で夢のような暮らしをしているのだとばかり。実際、故郷の街でも、領主様はお姿を拝見することもできず、たまに立派な馬車が通るのをお見かけするぐらいで」

「そのような者は、貴族の中でも一握りだな。贅沢をしたいのなら、今は商人のほうが裕福だろう。こちらのサワクロ殿も、商売で成功なさって、私も面倒を見ていただいている」

「そうだったのですか。パトロン……というものでしょうか?」

「それに近いかもしれないな」

「良いですね、私もそのような支援を受けて、剣を続けることができればと、常々考えていたのですが……」

「ではどうだ? サワクロ殿にお願いしてみては」


 とシルビーが俺に話を振る。


「食客として君たち二人の面倒を見るぐらいは可能だが、エディにスカウトされてるだろう。まずは騎士としての適性を見てみるのはどうだい?」

「そ、それはそうなのですが、あのようなお申し出を、その……真に受けて良いものでしょうか」

「そりゃあもちろん、赤竜騎士団には、古代種だけの部隊があってね、これが新設されたばかりで人を募集しているそうだ。君たちなら十分務まると思うがね」

「ですが、あのエディさんというお方、見たところ相当な腕前と思うのですが、ご本人は見習いのような事を……それで私達では本当に騎士になれるのかどうかも」

「彼女の場合はあれだ……その、腕はたつが素行に問題があるんだよ、たぶん。だから出世できないんだ」


 などとその場逃れのいい加減なことを言った所に、背後から怖い声が飛んできた。


「あらハニー、随分な言いようね」

「おやダーリン、なんでそんなに都合よく帰ってくるんだよ」

「さっきからいたけど、話が盛り上がってたから入るタイミングを図ってたのよ、残念ね」

「くそう、世の中罠しか無いのか」

「あなたは自分で墓穴をほってるでしょう。それよりも……」


 と客人の獣人ペアに向かって、エディがこう言った。


「まずは自分の腕を信じて、当たってみることよ。騎士に限らず、物事には運と適性があるわ。たとえ自分に不向きな職であっても、人の相性が良ければ続くものだし、自分の天職だと思えても、環境が悪ければ結局は合わないものよ。つまり、やってみなければわからないわ。そして、だからこそ、選択肢は多く用意するものよ」

「たしかに……、せっかく頂いたチャンスです。国に帰り、この賞金で師に療養してもらう手はずが整ったら、必ず門をたたきます」

「ありがとう、期待してるわ」


 俺も人のことはいえないけど、身分を隠してどうこうするのは、ちょっとずるいよなあ、とは思う。

 思うんだけど、極端な身分のように、ある種のチートじみたポジションは、おおっぴらにしてるとやりづらいんだよな。

 今ももし、エディが団長だということを知っていれば、二人の獣人娘が自分で選択し、決断する余地というものは大きく削られてしまっていただろう。

 自分で選んだという前提は、大きなモチベーションになるもんだ。

 そう言うわけだから、まあ、しかたあるまい。


 食事を終えると、フルンたちはまた試合に行ってしまった。

 エディは勧誘にもうひと押し要ると見たのか、試合見学に同行した

 全然俺の相手をしてくれないし、倦怠期だろうか。

 まあ俺としても、露出度の高いネーチャンがチャンバラごっこでもやってるならともかく、ごつい連中の戦いなんて見てもあまり楽しいものではないので、なにかして、時間を潰さないとなあ。

 などと考えながら、食堂でダラダラお茶を飲んでいると、女将のパルシェートちゃんがやってきた。


「あ、あの、ちょっとよい酒が入ったので、どうでしょう?」


 俺の前ではまだ緊張しているようだが、仕事は滞りなく進んでいるようだ。


「お、いいねえ。じゃあ、一杯貰おうかな」

「では、今グラスをおもちしま……」


 いいかけたところで、宿の表で騒ぐ声がする。

 と同時に、女将の顔色が良くない方にさっとかわった。


「ちょ、ちょっと失礼します。すぐに戻りますので」


 バタバタと出ていく女将の跡をこっそりつけると、宿の前には絵に描いたようなチンピラが押しかけていた。

 どうやら、借金取りらしい。


「おうおう、払うもん払えねえなら、とっとと立ち退いてもらおうか」

「今月分はちゃんと収めたじゃないですか」

「来月分も再来月分も残ってんだろうが、なんで来月分を来月まで待ってやる必要があるんだよ!」

「そんな、無茶苦茶です」


 たしかに無茶苦茶だな。

 助っ人に行きたいが、今、側にミラーしか居ないんだよな。

 仕方ない、自分でどうにかしよう。

 いざとなったら正体でも明かせばどうにかなるだろう。

 俺は懐の短針銃を確かめると、用心のためにミラーを連れて外に出た。


「真っ昼間から、都の往来で何を騒いでいる」


 なるべく偉そうに声を張り上げると、チンピラが俺に気がついて、


「あんだぁ、てめえ。おい、女将、てめぇこんな軟弱そうなおっさん連れ込んで、どうにかなると思ってんのかよ!」

「品のないやつめ、私は客だ!」

「あぁん、こんなボロ宿に泊まるやつが居たのかよ、とんだお笑い草だな!」

「こんないい宿の価値もわからんとは、見かけだけでなく中身まで三下のようだな」

「てめぇ、喧嘩売ってんのか!」


 といきなり殴りかかってきた。

 なんて沸点の低いやつだ、と思う間もなく掴みかかってきたので、短針銃を抜く暇もない。

 だが、襟元に伸びた腕をひょいとかわすと、足を引っ掛けて相手の上体をちょんと押すだけで、相手はゴロゴロと地面を転がってしまった。

 道場で散々習った体術の基本だが、乱取りではまったくうまくいかなかったのに、今日に限ってうまくいくとは。

 続いてもうひとりのチンピラが側の木の棒を掴んで殴りかかってくるが、これまた、ひょいとかわしてドンと突くと、ドカンと塀にぶつかって気絶した。

 すごい、俺めっちゃ強くなってない?

 まあ、何度も魔物相手に死線を乗り越えてきたわけで、チンピラぐらい、どうということはないのかもしれない。


「て、てめえ、ふざけやがって」


 テンプレっぽいセリフと共に、最初のチンピラがナイフを抜く。

 うっ、刃物を抜かれると、結構怖い。

 魔物はあんまり刃物は使わないからな。

 棍棒だって、ぶっちゃけギアントのあの巨体で殴られれば一発でぺちゃんこなんだけど。

 仕方がないので、懐から短針銃を抜いた。

 こいつはクロックロンの話では、象も眠らせるほどの強烈な麻酔銃らしい。

 人間だと効きすぎるんじゃないかしらん。


「な、何だそいつは」


 俺の手にした中を見て、チンピラが叫ぶ。


「知らんか、こいつはこう使うんだ」


 そう言って引き金を引く。

 パシュッと飛び出した針は、まっしぐらにチンピラめがけて飛んでいき、ハズレた。


「な、何も起きねえじゃねえか!」

「あれ? もう一発」


 続けて引き金を引くが、やっぱり当たらない。

 くそう、こんなことなら剣を持っときゃよかった。

 慌ててミラーに銃を渡そうとするが、そこにナイフを腰に構えて下からえぐりこむように襲いかかってくる。

 うわ、こいつ、まじでやる気だ。

 さすがの俺も身構えてどうにか交わそうとするが、自分の後ろに女将が居ることに気がついて、一瞬迷いが生じる。

 その一瞬が命取りだった。

 俺は避けそこねてチンピラのナイフをモロに受けてしまった。


 ……と思ったんだけど、全然痛くない。

 よく見ると、チンピラの体は、すんでのところでごつい甲冑に抑えられていた。


「ぎゃあっ!」


 そのまま棍棒のような腕で殴られ、ふっとばされるチンピラ。


「馬鹿者! この方に傷をつければ、貴様だけでなく、貴様のボスまで首が飛ぶぞ」


 そう言い放ったのは、俺より一回りぐらい年上の男だった。

 見たところ騎士のようだが、面識はない。

 もっとも、俺の男の顔を覚える能力はかなり頼りないが。


「ひ、ひぃ、バティーユ!」

「その男を連れて、さっさと去れ」

「ち、ちくしょう、覚えてやがれ」


 チンピラはもうひとりのチンピラを連れて、逃げるように去っていった。


「だ、だいじょぶですか、お客様」


 駆け寄る女将にニッコリと微笑みかえす。


「なあに、ピンピンしてるよ」


 そこにミラーも駆けつけて、


「申し訳ありません、オーナー。私が身を挺してでもお守りせねばならないのに」

「こっちこそすまん、ちょっと調子に乗りすぎたな」


 二人のお嬢さんを安心させてから、改めてごついおっさんに話しかけた。


「おかげで命拾いしました、ありがとうございます」


 というと、男は少しコケた頬に笑みを浮かべて、こう言った。


「なに、ちょうど通りがかったのだが、貴殿のお役に立てたのなら、何よりでござるよ」

「ところで、初対面だと思うのですが、もし面識があればお許し願いたい。私はサワクロともうします」

「これはご丁寧に。拙者、青豹騎士団長バティーユと申す。以後お見知りおきを。貴殿のことは、こちらの御仁から、今お聞きしていたところでな」


 そう言って紹介したのは、なんとアンブラールの姐さんだった。


「姐さん、あんたどうしてここに」

「ちょいと里帰りしてたんだけど、居心地が悪くて逃げ出したら、ちょうどこのバッチのオジキと出くわしてね。あんたの話をしてたら、いい塩梅に目の前で死にかけてるじゃないか。こいつは日頃の恩を返しとくいい機会だと思ってね」

「そいつは助かった。やっぱり日頃の行いは大事だな」

「はは、そうだろう。ま、あんたにもしものことがあれば、カリが悲しむだろうからね」

「御婦人を泣かせる趣味はないんでな。それよりも……」


 とさっきからなにか言いたそうにしている青豹騎士団団長さんとやらに、話を聞く。


「さよう、拙者は都の治安を預かる身でござれば、昨今のスラムの治安の乱れに頭を悩ましておりましてな」


 と突然、ローカルな話題を振ってきた。

 俺の正体を知ってるなら、都の生活事情なんて知らないことぐらい想像がつきそうなもんだが、だいぶマイペースなおっさんらしいな。


「といっても、スラムの住人の問題ではござらん、いわゆる立ち退きの問題がありましてな、先程のチンピラも、その一部でござるよ」


 なるほど、俺に関係ある話題だったようだ。

 なんとなれば、この宿の女将は目下の最重要人物だからな。

 詳しく話を聞くとしよう。

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