第280話 壮行会
エディからの使いが来たので、俺はフューエルと連れ立って、彼女の別邸に向かった。
「はぁい、ハニー。着いて早々、トラブルだったみたいね」
ラフな格好で出迎えたエディは、今日も美人だった。
「なあに、旅は男に試練を与えるものさ。一回り、凛々しくなっただろう」
「そうかしら? 隣町で女中に手を出したって噂しか、聞いてないけど」
「まさか、俺だったら噂が立つようなヘマはしないさ」
「あら、ハニーの実力を見くびってたみたいね。でも、ちゃんと聞いてないんだけど、何があったの?」
「宿で獣人はダメだって言われてね」
「ああ、そうかもしれないわね。こっちの屋敷なら平気だから、あとでフルンとシルビーも連れてきて頂戴。今夜は壮行会よ」
エディの別邸と言うのは壁の外にあるこじんまりとしたもので、とても大貴族のお姫様が住んでるとは思えないが、壁の中を好まない貴族は、こうした別邸を構えて、必要な時以外はこっちに住んでいるらしい。
「必要な時ってなんだ?」
と尋ねると、
「それはもちろん、陛下が国事行為を執り行うときよ。あとは議会が開いたときね」
「ふーん」
「ま、普段は役人が国を回してるから」
「役人ってのは平民なのか?」
「半分ぐらいはね、あとは下級、というか議席を持ってない貴族が多いわね。トップは大きなところが牛耳ってるけど」
「そんなもんか」
義父であるリンツや、先日出会ったローンのおじさんも、そういう役人だったのだろう。
そんなことを話しながら、どこかに出かけようという段になって、急にエディに急用ができてしまった。
「ごめんなさい、ハニー。どうも最近、あれこれあって大変なのよね」
と言って、出ていってしまった。
あとに残された俺達は、やることもないので宿に戻ることにした。
宿では、目一杯平静を装った女将のパルシェートちゃんが出迎えてくれる。
「お、おかえりなさいませ。ず、ずいぶんと、お早いお戻りで、な、なにか、お忘れ物でも……」
昨日までは、若いながらもしっかりとした振る舞いで立派な女将だったのに、すっかりだめになっちゃったなあ。
全部、俺のせいか。
「いやなに、訪問先に急用が入ってね。代わりに、夜はそちらにみんなで出向くので、遅くなるかもしれない」
「か、かしこま、こまりま、んぐっ」
あ、噛んだ。
「し、失礼しました、それではお寛ぎを」
どうにか切り上げて、パルシェートちゃんは奥に引っ込んだ。
かわいいなあ。
隣で見ていたフューエルは、何も言わずにさっさとお風呂に行ってしまった。
なにか言ってくれたほうが助かるんだけどな。
フルンたちを探すと、中庭でセスが稽古をつけていた。
と言っても、激しく打ち合うわけではなく、フルンとシルビーの二人がペアの型を使い、セスとコルスがそれを見守っているだけだった。
俺もしばらく黙って様子を見る。
舞うように交互に入れ替わりながら、時に攻め、時に守る。
そうした技の攻防が一体化して、とても美しい。
見とれていると、あっという間に型は終わっていた。
「どうにか、仕上がったようですね。今の呼吸を忘れなければ、二人の実力が十分に発揮できるでしょう」
セスはそこで一旦言葉を切り、二人に順に目をやってから、こう言った。
「鍛錬における緊張感と、試合における緊張感は、似て非なるもの。冒険の場における緊張を思い浮かべればわかるでしょう。どのような形であれ、緊張は常に心を縛るもの。かと言って、常に平静を保てばいいのかといえば、それも違います。つまるところ、自分に適した心の有り様を築いていくしかないのです。それは長い鍛錬の上に身につくかもしれませんし、一度の試合で、得られるかもしれません。明日はそうした絶好の機会だと思って挑めば、なにか良いものが得られるでしょう」
いささかどっちつかずの言葉で、セスは締めくくった。
「おう、もう修行は終わりか?」
と声を掛けるとフルンがうなずいて、
「うん、今やれることは全部やったから、もう大丈夫……かどうかはわからないけど、終わり!」
「そうかそうか、今夜はエディが壮行会を開いてくれるらしいぞ。しっかり食って、英気を養おう」
「やった!」
「それまでは、のんびりして過ごすか。試合の前日に遊び呆けるわけにも行かないしなあ」
「うん、そうかも」
その夜、改めてみんなでエディの屋敷に出向く。
見送ってくれた女将の熱っぽい視線が気になるが、まあ試合が終わってからだな。
着いたら早速、乾杯しながら、エディと近況を交わす。
「じゃあ、ヘルツナ経由で来たのね。あっちの街道は最近人通りが少ないから、道も荒れてたんじゃない?」
「道中、馬車がひっくり返った人がいてな、一つ前の街まで送ったりしたよ」
「都の兵士が巡回してるはずなんだけど」
「詰め所みたいなところには居たけどな」
「こっちはそんなものなのよ、みんな手を抜いてて。アルサみたいな活力に溢れた街とは大違いよ」
「そうかもしれんな。だが、その理由はあの壁のせいかも知れんぞ?」
「そりゃ、あれだけ目障りだとねえ」
「見かけだけじゃなくて、妙な結界を張ってるようでな」
「そうなの? 魔法封じの結界はあるから、中では大きな魔法は使えないけど」
「それ以外にもだな……」
と昨日の話を繰り返す。
「たしかに、そういう実感はあるけど、実際に壁が直接の原因なら、遷都も含めて考えなきゃならないわね」
「そうした方がいいんじゃないかなあ、ありゃ普通の人間はおかしくなるぞ」
「そんな気はしてたのよ。でも、あの中がいいって人もいるのよねえ」
「ふむ」
その後は豪華な食事を囲んでの壮行会となり、うちわだけで楽しく食って飲んだ。
「シルビー、明日は私も応援に行くから頑張ってねぇ」
酔っ払ったエディがシルビーの肩を叩くと、
「ありがとうございます、フルンとともに全力で臨みます」
「大丈夫よ、年少の部であなた達ほどの腕前は滅多にいないわ。それにいたらいたで、楽しいものよ。生涯のライバルに出会えるかもしれないものぉ」
「そういうものでしょうか」
「そうよぉ、それに勝負ってのも一期一会、明日の戦いも、明日一度しか無いのよ、そのたった一度の試合が、生涯忘れ得ぬ経験になるかもしれないんだからぁ」
だいぶ酔っ払ってるな。
隅に控えていたポーンに目配せすると、彼女も頃合いと見たのだろう。
エディを奥に引きずっていった。
あっけにとられるシルビーに、俺からもアドバイスを送る。
「みたか、天下の赤竜団長といえども、酒に呑まれるとああも醜態を晒すものだ。お前たちも大会の空気に飲まれれば、どんな失敗をするかわからない。くれぐれも油断しないようにな」
「は、はあ……」
とのシルビーの頼りない返事で。お開きとなった。
宿に戻り、フルンたちが寝たあとで、フューエルが一言。
「壮行会にしては、随分と頼りない幕切れですね」
「一期一会といっただろう、頼りない宴会もまた、一度限りの貴重な経験さ」
「キレの悪い屁理屈も、一度限りにしてもらいたいですね」
「フューエルは厳しいなあ。まあ今日という夜も一度きりってね」
などと調子のいいことをいいながら、宿のベッドで、貴重な経験を積んで過ごしたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます