第279話 民宿

 看板娘ちゃんの宿は、スラムと街の境目に建つ、小さなものだった。

 古い民宿風のつくりで、一見頼りなさそうだが掃除も行き届いているし、庭の植え込みのせいか、砂漠の乾いた空気も感じさせず、落ち着いた佇まいだった。


「良い宿ではありませんか」


 ベテラン女中の顔で一通り見て回ってきたテナが、合格点を出したようだ。

 かき入れ時だろうに他に客もおらずちょっと不安もあったんだけど、俺から見てもいい宿だと思う。

 貸し切りにして貰ったので、思う存分堪能できそうだ。

 まあ俺としては細かいところはなんでもいいので、ミラーに足を洗ってもらい、ソファに腰を下ろして早速ワインを開けている。

 隣で同じことをしていたフューエルも、


「どうにか落ち着けましたね。まったく、都というところは面倒なものです」

「そのようだな」

「明日はおとなしく旅の疲れを癒やして、明後日からの大会に備えるべきでしょうね」

「応援するのも疲れるからな」

「でも、フルンたちの試合は初日の午前中だけだとか。あとは大人の試合らしいですけど、そちらはご覧になるんです?」

「いやあ、見ないんじゃないかなあ、フルンたちは見るんだろうけど」


 と話していると、そのフルンが飛び込んできた。


「ねえねえ、ここ、普通のお家みたいなのに宿だって、すごい!」

「おう、アタリを引いたな」

「うん!」


 さっきの件で、フルンが一番ショックを受けてやしないかと思ったが、そうでもないようだ。

 後で話を聞くと、フルンはこう言っていた。


「あのね、昔、獣人だからって馬鹿にする人がいて、すっごい腹がたったんだけど、その時エレンが言ってたの。ああいう人は、私そのものが嫌いなんじゃなくて、獣人とか、盗賊とか、人に肩書きをつけて、それで尊敬する人とか馬鹿にしていい人とかを決めてるんだって。逆にそのせいで眼の前の相手が良いとか悪いとか、そういうのを自分で確かめる機会を捨ててるから、ちゃんと自分自身と向き合ってくれない人には、こっちからいくら自分の良さとかを言っても理解できないから、だから、相手にするだけ無駄だって言ってた。好きにしろ嫌いにしろ、私自身を見てる人を相手にしろって」

「ほほう、エレンはいいこと言うなあ」

「うん、きっとね、エレンは私よりももっと苦労して、そういうところに気がついたんだと思う。だから私もこの先自分の覚えたことを教える機会があれば、どんどん教えたいなあ、と思った」


 とのことだ。

 そばで聞いていたセスが苦笑していたが、そう言えば、セスとエレンが初めてあったときは一悶着あったな。

 もうずいぶん昔のことのようだが、これはそれよりもさらに昔の、俺の従者になる前のことらしい。

 フルンにはエレンがついててくれて良かったなあ、と思う。

 逆にパン屋のエメオなんかは、誰にも相談できなかったために、自分で角を切り落としちゃってるもんな。

 二度とそんな事にならないように、今後は俺がしっかり見ててやらないと。

 フルンよりもショックを受けていたエットも、フルンの話を聞いて、


「あたしも、いっぱい意地悪されてたから、船に乗って逃げたんだけど、こっちに来てはじめて友達とかできて、あたしをあたしだと思ってくれる人が、大事だって思った。さっきのは、多分違う人だから、えーと、その、気にしない!」


 と、どうにか落とし所を付けたようだ。

 ちょっとずつ、自分をいい環境に置くように手伝ってやれると、いいんだけどな。

 俺も怠け者だからなあ。


 そうしてくつろいでいると、先程の看板娘がやってきた。

 名前はパルシェート。

 若いが、ここの女将らしい。

 この宿は彼女の生家で、しばらく使っていなかったものをリフォームして、昨年から始めたばかりだとか。

 七代続く宿屋の家系で、両親は今も別の町で大きな宿をやっているが、そこは兄弟が継ぐので、彼女はここで商売を始めたのだそうだ。

 頑張るなあ。


「当宿の湯殿は二四時間いつでもご利用いただけます、お先にいかがでしょう。もうすぐ食事もできますので」


 というので、先にフューエルらと入ることにした。

 貸し切りなので、一緒に入れるのだ。

 いささか小さなものだが、どうもお湯がかけ流しで温泉っぽい。

 女神像をかたどった人形のおっぱいからじょぼじょぼとお湯が溢れている。

 なかなかいい趣味だ。


「地上にも温泉ってあるのか」


 と尋ねると、湯船でぶよぶよと体を浮かべていたデュースが、


「井戸を掘るとー、お湯が出る場所というのはたまにあるらしいですねー。遺跡の近くだとあるとかなんとかー。魔界だと山の麓ででたりするんですけどー、地上はほとんど無いですねー。都でも出るとはしりませんでしたー」

「ふむ」


 匂いもしないし、単純泉みたいなやつかな?

 うちも下が遺跡だし、掘れば出るのかなあ。

 温泉の熱源って、必ずしも火山性だけではないらしいし。

 そういえば、地下には下水だけじゃなく、上水道や電気も流れてるようなことを言ってたな。

 そういうあれで、お湯も流れてるのかもしれん。


 ひとしきり温泉を堪能しおえると、来客があった。

 赤竜騎士団参謀のローンだ。


「こちらにおいででしたか。エディの命で宿をお尋ねしたのですが」

「いや、すまんすまん。ちょっといろいろあって、宿を代わってね」

「あちらでは随分と混乱していた様子で、支配人は顔を青くして走り回っておりました。どうやら、噂の紳士様を一目見ようと、都の有力者が何人も顔を出していたようですよ」

「そいつは無駄足だったな」


 あの丸っこい支配人も、気の毒だとは思わんが、かと言ってことさら非難する気にもならない。

 俺は別に正義の味方じゃないので、自分の利害の範囲でしか批判も同情もする気はないんだよな。

 つまり、フルンやエットが怒ってない時点で、もう終わった話なのだ。


「私も顔見知りの何人かに尋ねられましたが……」

「俺は持病のぎっくり腰で、家に帰ったと伝えといてくれ」

「かしこまりました。しかし、良い宿ですね。困っているようなら、エディの別邸にご案内しようと思ったのですが」

「日頃の行いがよかったのさ」

「どなたのです?」

「文脈からわかるだろう」

「わからないからお聞きしているのですが?」

「ローンはすぐ、難しいことを言うな」

「エディにもよく言われます。そのエディも、明日には都入りしますので、改めてご挨拶に。私はこれからコンザまで出向くので、なにか御用があれば伝えておきますが」

「今のところは大丈夫だけどな。それより、エディの要件はなんだったんだ?」

「慣れない都で、紳士様が困っていないか確認してこいと」

「紳士様ってのも、随分尻に敷かれてるようだな」

「そのようで。ではまた明日」

「おつかれさん」


 ローンを見送ったら食事となった。

 都は内陸で、しかも四方が砂漠ということで、これと言った特産品もないらしいが、そこは大国の都だ。

 いろんな物が集まってくる。

 フューエルに言わせると都の料理は微妙らしいが、この宿は十分、俺の舌を満足させてくれた。

 料理人は専属シェフではなく、なんかパートのおばさんだったが、腕はなかなかのもんだ。

 宿が変わって予算が大量に余ったようなので、たっぷりチップを弾んでおいた。

 明日も期待したいところだな。




 しこたま飲み食いしたせいか、あるいは長旅の疲れからか、眠りが浅く夜中に目が覚めてしまった。

 ちょっと硬めのベッドの隣では、あられもない格好でフューエルが寝息を立てている。

 フューエルも育ちがいいのか悪いのかわからんな。

 テナの教育が絶妙だったのだろう。

 毛布をかけ直してやり、寝室を出るとソファーに座ってピタッと静止していた紅とミラーが動き出す。


「どうなさいました?」


 と尋ねるミラーに、


「ちょっと目が覚めちまったもんで、ひと風呂浴びてこようかと思ってな」

「お供しましょうか?」

「いや、さっと温まるだけにするよ。酒でも用意しといてくれ」


 それだけ言って、タオル片手にお風呂に向かう。

 例の人形から溢れるお湯の音が、ジャバジャバと深夜の宿に響く。

 脱衣所にはフルンやエットが脱ぎ散らかしたらしい服が残っていた。

 家だとアンたちが片付けてるからなあ。

 さっとまとめて籠に詰めておく。

 あとでミラーに片付けておいてもらおう。

 などと考えながら浴室に入ると、ばったりとおっぱいに出くわした。


「ひゃっ!」


 妙な声を出したおっぱいの主は、宿の女将だった。

 ぷるんと揺れるおっぱいに、ピンと立った耳。

 一瞬の硬直のあと、彼女は慌てて耳を隠す。

 そのせいで首から下は完全に無防備になって丸見えだ。


「ひひゃっ!?」


 また妙な声を出して慌てて前を隠そうとするが、今度は耳がぴょんと立つ。

 またそれを隠そうとして、おっぱいがぽろりと。

 着痩せするタイプなのか、生で見ると思ったよりボリュームが有るな。


「ふひゅ!」


 そう叫んで、また前を隠す。

 そういうコントみたいなことを数回繰り返してから、


「し、し、失礼しましたー」


 とドタバタ出ていってしまった。

 いいものを見せてもらった。

 しかし、彼女は人間じゃなかったか。

 耳の形的にはプリモァに見えたが、髪は黒かったな。

 まあ髪や肌の色はいろいろあるらしいし。


 さっと温まってから部屋に戻り、冷えたワインを飲んでいると、紅が来客を告げる。

 宿の女将だった。


「さ、先程は、大変お見苦しいところをお見せいたしまして、誠に申し訳ありません」

「いやいや、こちらこそ確認もせずに、申し訳ない」

「そんな、滅相もない」


 むしろ大変ありがたい物を拝ませてもらって、お礼を言いたいぐらいだ。


「ご覧の通り、私はプリモァの、ハーフでして」


 そういう彼女は、今は耳を出している。


「け、決して隠していたわけではないと言うか、その、隠していたのですが、ええと、大変申し訳ありません」


 ははあ、プリモァでも都じゃ肩身が狭いのか。


「なに、私は都の人間ではありませんし、プリモァハーフの従者もいます。なにより、ここの宿はとてもよいもてなしを提供してくれています。満足していますよ」


 と優しく言ってみた。


「あ、ありがとうございます。そのように言っていただけると、わ、わたしは、う、ううぅ……」


 ちょろいなあ。

 なにより、ちょろい子をみるとすぐ、ちやほやしたくなる俺がもっともちょろいんだけど。


「さあ、夜も遅い。また明日もよろしく頼みます」


 そう言って彼女の肩をぽんと叩くと、ポワッと光る。

 あ、またやっちまった。


「え!?」


 一瞬の混乱の後に、状況を理解する女将のパルシェートちゃん。


「ち、ちが、こまります、私、こま、こまりますー!」


 と叫んで、走り去ってしまった。

 悪いことをしたな。


「オーナー、追いかけなくてよろしいのですか?」


 と尋ねるミラーに無言で手を振り、俺は寝直すことにした。




 翌朝、朝食をとりに食堂に向かうと、目を真っ赤に腫らした女将が出迎えた。

 体の光は消えていたが、ずいぶんと寝不足のようだな。


「お、おはようございます」


 と目をそらして、パタパタと奥に逃げ込んでしまった。

 それを見たフューエルが、


「昨夜、何をしでかしたんです?」

「何があったのか、と聞くべきじゃないのか?」

「同じことでしょう」

「まあ、そうなんだけど。ちょっとこう、手が触れたら体がピカッと」

「またですか。それで、どうなさるんです?」

「どうと言われても、彼女は一国一城の主だし、ホロアでもないからなあ、特にこちらからなにか言うのもアレかと思って」

「そうですか。私も、ホロアや古代種の感情がどのようなものかは、よくわかりませんので、なんともいいかねますが……」


 とそこで一旦言葉を切ってから、


「従者の件で、あなたが致命的な失敗をすることもないでしょう。金銭等の社会的な問題があれば、相談してください」


 話がわかりすぎる奥さんというものも、スリルを要求されて大変だなあ、などと思いながら、控えめに朝食を堪能したのだった。

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