第278話 壁

 翌朝。

 遅い日の出に合わせて、出発の支度を始める。

 カリスミュウル達は、朝一番の駅馬車で出るようだ。

 出しなにアンブラール姐さんがやってきて、夕べの礼を述べた。


「おかげで、久しぶりに楽しく飲ませてもらったよ」

「こっちこそ、世話になったな」

「あたしらもしばらく都にいる予定だ、顔を合わせたら、また一杯付き合っておくれよ」

「喜んで。あそこで隠れてるお嬢ちゃんにもよろしく」


 物陰からチラチラとこちらを見ているカリスミュウルに手を振ると、慌ててそっぽを向く。


「あいよ」


 と笑いながらアンブラールも手を振り、一行は旅立っていった。

 俺たちもそろそろ、行くとしよう。


 整備された道を高級馬車で進めば、あっという間に目的地に着く。

 スペツナの街はこの国の首都と言うだけあって、エツレヤアンやアルサの街よりもさらにでかい。

 街がでかいというよりも、例のステンレスの壁がでかいんだな。

 ドーム状に街を覆うその姿は、サッカースタジアムを何倍にもしたようなイメージだ。

 街の入口である南方を除き、三方が壁で覆われている。

 天井部分は開いているが、冬の低い太陽は、おそらくは真昼でも地上まで届かないだろう。


 壁の外にも街は続き、東西と南に伸びる巨大な街道沿いにアーケードが並ぶ。

 道幅だけで数十メートルはある大きな通りを馬車で進む。

 こちらはわりと景気良く賑わっているが、うって変わって壁の中はどんよりとして物静かな様子だ。


「ひとまず、宿を確保しましょう。定宿に連絡は入れてありますが、昨日のこともありますから、早めに行っておかねば」


 テナがそういうので、フューエルがいつも利用するという宿に向かう。


「何年ぶりでしょうか、懐かしいですね。あそこの支配人には、随分と絞られたものです」


 とフューエル。


「ホテルの支配人にか?」

「ええ。最初はたしか、こちらの学園に入学する準備に泊まったときだったでしょうか。テナも厳しかったのですが、それとはまた違った厳格さで、私の田舎者丸出しの躾をピシャリと叩き直されたのですよ。おかげで、初日から恥をかかずに済みました」

「へえ」

「それからもお世話になるたびに、貴族に求められる高潔さと公平さについて、教わりました。ずいぶんと勉強させてもらいましたよ」


 それを聞いていたテナが、こう言った。


「奥様の場合、田舎者と言うより、デュースとの旅でいささか悪い癖を覚えすぎていたのですよ。まったく、乳飲み子の頃から手塩にかけてお育てしたのに、ほんの僅かの旅で、あっという間にスレた冒険者そのものになっていたのですから」


 言われた方のフューエルは、聞こえなかったふりをすることに決めたようだ。

 何も言わないので、俺も何も言わずに景色を眺める。

 巨大な壁は天に突き刺さらんばかりの高さで、田舎から初めて都会に出て、ビルのデカさに驚いた時を思い出した。


「すっごい、でかい、あれが都の壁?」


 と尋ねるフルンにシルビーが答えて、


「そうだ、あれが古の大戦で黒竜の猛威からこの国を守ったと言われている」

「へーすごい、登ってみたい」

「残念ながら、人はあの壁に近づけぬ。敵も味方もなく、あらゆるものを拒むそうだ」

「ふーん」


 などと話すうちに宿につく。

 宿では支配人が出てきて、すぐに対応してくれる。

 さてどんな支配人かと思ったら、中年太りのみっしりとたるんだ男だった。

 あまり厳格なタイプには見えないが……、と思ったら、俺のあとに続いて出てきたフルンを一目見るなり、怒鳴りだした。


「君! 獣人なんぞに敷居をまたがせるな、さっさと馬車と一緒に裏にまわしたまえ! まったく、ここをどこだと思っているのだ、今日は偉大な紳士様がおいでになると言うのに、ブツブツ」


 どうやら俺に言ってるらしい。

 まあ、俺は誰が見ても偉大には見えないから、御者か使用人に見えたんだろう。

 続いて降りたフューエルは、それなりに貴族っぽく見えたらしい。


「これはこれは、お待ちしておりました。お初にお目にかかります、私、支配人のデガリットと申します。フラウ・レイルーミアス様でいらっしゃいますね」


 と言うと、フューエルはびっくりするほど冷たい声で、


「おや、見ない顔ですね。当ホテルの支配人は、もっと品のいい人物でしたが」

「先代は昨年引退しましたもので、現在は、この私が務めさせていただいております」

「そうでしたか、どうりで」

「なにか?」

「いいえ、お気になさらずに」

「ところで、紳士様はご同行なされてはいらっしゃらないので? 本日はオーナーも夕食をご一緒にと申しておりましたが」

「だそうですよ、どうします、紳士様」


 と俺に振るフューエル。


「さて、俺は今、追い払われたところだからな、ご一緒するのは無理じゃないか?」

「そのようですね、では失礼するとしましょうか」


 とさっさと馬車に乗り込んでしまった。

 どうやら、だいぶ怒っているらしい。

 俺は色んな所で侮られるのに慣れててあんまり気にしてなかったけど、フューエルは怒ると怖いな。

 結婚前は随分、いびられた気がしていたが、こうして比べると、あんなものは照れ隠しの小学生のいたずらみたいなもんだったなあ。


「え、あの、それは……」


 混乱したままの支配人を残して、俺達はさっさと宿をあとにしてしまった。


「ふぅ……」


 宿を離れるまで怖い顔をしていたフューエルは、大きく息を吐いて、いつもの顔に戻った。


「あなた、どうしましょうか」

「まあいいさ、別の宿を探そう」

「しかし、この街でも宿はいっぱいかもしれませんね。親戚がいないでもないのですが、いきなり押しかけられるほど親しい相手は……」

「宿がなければ野宿でもするさ。あるいは、暇そうな知り合いでも探すか」


 というわけで、宿を探すべく馬車をしまい、街に繰り出す。

 しばらく黙っていたテナも、


「それにしても、あのような対応とは。支配人が代わっていたとは知りませんでしたが、失礼にも程があるというもの」


 テナも不満があるようだが、手配したのがテナなので、その責任も感じているのだろう。

 フューエルが気を使ったのか、


「良いではありませんか。むしろ、あの宿に彼がいないことで、あのサービスがもう受けられないというのは、残念ではありますが、言ってみればそれだけのことです」


 と言うと、テナも苦笑して、


「誠に申し訳ありません」


 と言った。

 それで、この話は終いとなった。


 壁の外側は、建物の作りや衣装が違うほかは、さほどアルサと変わりはない。

 でも人間以外の種族は少ないかな。

 居ても大抵が冒険者っぽい連中だ。

 要するによそ者だな。


 折角なので、壁の中にも入ってみることにする。

 真っ昼間の明るい町並みが急に薄暗くなると、体感温度も数度下がる。

 おまけになんだか頭がぼんやりと重くなる。


「やはり、この空気は……馴染めませんね」


 とフューエル。


「なんかやな空気だな」


 周りを行き交う連中の顔もなんだか暗い。

 月曜朝の通勤時間帯とでもいうか、みんなやる気はないけど、義務感だけで動いてるようなイメージだ。


「こんなところには住みたくねえなあ」


 そう言ってフューエルを見ると、今にも倒れそうなどんよりした顔をしている。


「おい、大丈夫か?」

「なにが……ですか?」

「何って顔色がひどいぞ」

「ここは……そういうところ……ですから」


 と無気力に答える。

 いや、そういうところで済まされるレベルじゃないぞ。

 どうしたもんかと困っていたら、後ろに居た紅が声をかけてきた。


「マスター、この一帯には特殊な結界のようなものが張られているようです」

「結界?」

「一定のパルスで可聴域外の低周波が充満しています。更にコアに変調をきたす魔力の波動も感じます」

「まじかよ、それでこう、鬱々としてくるのか?」

「その可能性は十分に考えられます。対策を講じるまで、外に出たほうが良いかと」

「ふむ、じゃあそうしよう」


 というわけで、俺達は慌てて壁の外に出る。


「結界とはどういうわけなのです?」


 暫くして元に戻ったフューエルがそう尋ねる。


「要するに、気分を鬱々とさせたり、体調をおかしくするような効果のある結界みたいなものが充満してるみたいだぞ」

「しかし、魔法の力は何も感じませんが」

「低周波ってのは、耳に聞こえないぐらい低い音でな、それのせいで気分が悪くなったりするんだが……」


 それに続いて紅が、


「他にも、通常の魔法とは異なる、より高周波の魔力の波動を感じます。これによって魔法の効果が打ち消され、更にその反動として体内の魔力にも悪影響が出ているようです」

「つまり、私達には検知できない特殊な結界が張られていると言うことですか」


 と頷くフューエル。


「有り体に言えばそうです」

「まさかそんな秘密が都に……、それはやはり壁が原因なのですか?」

「まだ断定はできません。中からは調査ができませんでしたので、壁の外周を調査してみるべきだと思います」

「気になりますが、まずは今夜の宿泊地を探さなければ」

「と言っても、闇雲に探すのもなあ」

「蒸し返すようでなんですが、そもそも都で古代種が泊まれる宿というのは、あまりないのです。特に貴族向けの宿では。あそこは大丈夫だったはずなのですが、支配人が代わって、方針も変わったのでしょうね」

「となると、庶民向けの宿をさがせばいいのか。お前は大丈夫なのか?」

「なにがです?」

「安っぽい宿でも」

「ああ、それでしたら大丈夫。デュースのおかげで、昔はずいぶんひどい宿にも泊まったので」

「そういえば俺は、こっちに来てからテントばかりで、宿屋に泊まったことがほとんど無いかも」

「それはもったいない、宿はもっともその土地の特色が感じられるもの。旅の醍醐味の一つですよ、さあ、探しに行きましょう」


 と俺の手を引き、フューエルは先頭を切って歩き始めた。




 どんよりとした壁の内側は別として、壁の南、縦に細い出入り口から外側はアルサにも劣らぬ賑やかな街が広がっている。

 南北のメインストリートに交差するように伸びる東西の大通りは、東が貴族の別宅や大きな召喚が並び、西は庶民向けの町が広がっている。

 さらに西の端には、よその土地の商人や冒険者が泊まる宿があり、そのあたりを回ってみたものの、手頃な宿は満杯で、ちょっとお高いところは獣人禁止だったりして、なかなか宿が見つからない。

 そうこうするうちに、街外れまで来てしまった。

 ベンチに腰を下ろして、相談する。


「仕方ありませんね、さらに北西に下ったところに湖があって、その辺りならキャンプができると思います」


 とフューエル。

 言われてそちらを見ると、確かに湖が見えた。

 その右手、壁の外周から少し距離をとって西壁に沿うように並ぶバラックが見えた。


「あっちはなんだ?」

「いわゆるスラムですね。アルサにもあるでしょう」

「あったっけ?」

「ありますよ、闘技場の裏手や、西通りから少し南にそれたあたりにも。もっともあれほど貧相な建物ではありませんが、獣人や古代種を中心にした集落ですね」

「へえ」

「世間で思われているほど、物騒な場所ではありませんが、それでもよそ者が気軽に立ち入る場所ではないでしょうね」

「そんなもんか」

「では、移動しましょう。日が暮れる前に場所を確保しなければ」


 そう言って腰を上げると、突然背後から声をかけられた。


「もし、旅のお方。宿をお探しでは?」


 若い娘っぽい声にホイホイ振り返ると、果たしてかわいこちゃんだった。

 手作りの大きな看板を持ち、首からも看板を下げた立派なサンドイッチマンだ。

 異世界にも居るんだなあ。


「やあ、お嬢さん。大人数で、獣人も居るけど大丈夫かな?」


 と俺が言うと、看板を背負った看板娘は、自信満々に控えめな胸をそらして答える。


「もちろんです! 小さな宿ですが、三十人まではお泊り頂けます」

「そりゃあいい、じゃあよろしく頼むよ」


 即決する俺を見て、フューエルは何も言わずに同意するが、そんな彼女の装いに気がついた看板娘ちゃんが、少し驚いた感じで、


「あ、こ、これは貴族様の御一行でしたか。当宿は冒険者や商人向けでして、その……」


 と急に自信がなくなる。


「なに、うちもおおむね冒険者みたいなものだから心配はいらないよ。さっそく案内してくれるかな、なんせ長旅で疲れててね」

「かしこまりました。では、早速ご案内を。失礼ですが、お名前は?」

「サワクロだよ」

「承りました、では早速、サワクロ様御一行、ごあんなーい」


 再び胸をそらして看板を掲げ、看板娘は俺たちを率いて歩き出した。

 看板の下は割烹着に大きな白い帽子で、すそから黒い髪がちょろっと覗いている。

 小柄なせいで給食の準備をする小学生のように見えなくもないが、それも様になっててかわいい。

 どんな宿かはわからんが、かわいい女の子がいるほうがいいに決まってる。

 都はめんどくさそうだと思ったが、ちょっと幸先が良くなってきたな。

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