第277話 偽紳士 後編

「な、な、な……」


 顔を真赤にして言葉に詰まるカリスミュウルに爽やかに手を降ってやると、しばらく硬直した後にこっちにすっ飛んできた。


「ななっ、なんで貴様がここに居るのだ!」

「なんでって、ちょっと都まで行こうかと」

「そういうことを聞いているのではない! 貴様はっ! 目の前に偽物が居て、それでも平気でっ!」

「いいじゃないか、有名税ってもんだろう」

「良いわけがあるか! 貴様はそれでも我がライバルとして!」

「いやあ、終生のライバルとか言われると、俺も照れるな」

「な、な、そ、そんなことは、わ、わた、わたしは!」

「あっ、あのにーちゃんが逃げるぞ」

「なに!?」


 俺達がイチャイチャしている間に正気に返ったのか、偽紳士と仲間の女はそそくさと闇に隠れるように逃げていった。


「お、おのれ、貴様のせいで。アンブラール、追え、追うのだ!」


 と叫ぶが、言われた方のアンブラール姐さんは、腹を抱えて笑っている。


「ええい、まったく貴様らは揃いも揃って、貴様は紳士としての自覚があるのか!」

「いいじゃねえか、紳士たるもの、浮世のしがらみと無縁なところを、世間に見せてやるのもオツなもんだ」

「口先だけは浮世離れしおってからに!」


 カリカリ怒るカリスミュウルの隣に、どこからかやってきた少女がぽつんと立っていた。


「あ、あの……」

「む、なんだ、娘」

「紳士さま、弟に、祝福を……」


 そう言って差し示したのは、背中に背負った赤子だった。


「うむ、良かろう」


 カリスミュウルはキリッと表情を引き締めると、背中の赤子に手をかけ、何やらブツブツと念仏を唱える。

 それから、姉の方にも手をかけて、同じようにしてやった。


「カリスミュウルの名において、汝ら姉弟の行く末に、幸多からんことを」

「あ、ありがとうございます」


 そう言って何度も頭を下げてから、俺の方を見て、


「あの、あなたも紳士様なんですか?」

「うん? まあ、そうだな」

「こちらの人と、だいぶ違うみたい……」

「ははは、普段は控えめにしてるんだよ」


 と言って指輪を外してやると、カリスミュウル同様に光りだした俺を見て、目を丸くする。


「ほ、ほんとだ」

「じゃあ、俺も弟君の健康を祈って」


 と言って、つんとほっぺたをつついてやるが、なんか様子がおかしい。


「うん、この子、大丈夫か? 具合がわるいんじゃ」

「どれ」


 とカリスミュウルが見てやると、


「少し熱があるな、チアリアール、見てやってくれ」


 そう言うと、側に控えていた仲間の透明人形が赤子に術をかけてやる。


「軽い風邪でしょう。この街の乾いた空気は、赤子には少々厳しいもの、早く家にお帰りなさい」


 治療を終えた人形に礼を言うと、小さな少女は早足で帰っていった。

 入れ違いに沸き起こる、周りの喝采。


「さすがは本物の紳士様だ」

「あれが噂の桃園の紳士か」

「カリスなんとかって誰だ?」

「バカ、陛下の姪御にあたられる、カリスミュウル殿下に決まってんだろ!」


 などと囁く声も聞こえる。

 人気者は辛いな。

 カリスミュウルも毒気を抜かれたのか、平静さを取り戻していた。


「ふん、つまらぬ余興であったわ」

「いつものことさ。それより、せっかくの再開を祝して、一杯やってくかい?」

「何が悲しくてこのような寒空の下で飲まねばならぬのか。今から宿で一休みだ」

「宿は取ってるのか? さっき行ったらどこも満杯で追い出されちまったよ」

「む、では、ここまで来てまた野宿か」

「キャンプ場もいっぱいだぞ、そっちの端っこ貸してやるから、そこでおとなしく泊まっていけよ」

「むう、その程度で貸しを作ろうという気ではあるまいな」

「まさか、さっきの借りを返したんだよ。なんせ俺のあるかないかもわからんような、ささやかな名誉を守ってくれたからな」

「ほう、貴様にもその程度の道理が通じると見える。ならばその申し出を受けてやるとしよう」


 そう言って、俺達の隣に小さなテントを張り始めた。

 わりと素直なところもあるよな。

 側で見ていたフューエルが、俺のそばに寄って耳打ちする。


「あまり心臓に悪いことをしないでください。エディならともかく、私やクメトスのような辺境の一領主には、刺激が強すぎます」

「王族と思うからダメなんだよ、夫の仕事上のライバルだと思えばどうということはないだろう」

「そういう風に考えられる人間は、あなたぐらいしか居ないということを言ってるんです!」

「はは、まあ気をつけるよ」


 カリスミュウルは、俺から距離を取って食事を取り始めたが、気のいいアンブラール姐さんはこっちに来て、一緒に酒盛りを始めた。


「ヘルツナからお忍びで都入りしようと思ったら、あんたの噂を聞いてねえ。カリが居ても立ってもいられない風で追いかけてみれば、あの偽物騒ぎだろう」

「世の中、どこで何があるかわからんな」

「ところで、あんたらは何しに都に?」

「剣術大会ってのがあるんだろう。うちの可愛い従者が、それに出たいって言うんで、応援を兼ねてね」

「ははあ、もうそんな季節かい。あの大会は、都にしては珍しく賑やかな催しだからね、どうりで人が多いと思ったよ」


 そんなことを話すうちに、話題はさっきの偽物の話に移る。


「ああ言う詐欺も珍しくはないんだろうが、なんで壁を壊すなんて話になるんだ? それこそ、試練の予算が足りないとか、困ってる人を助けるとか、騙しやすそうなネタもあるだろうに」

「さあねえ、あるいは本気で壁を壊したかったのかな?」

「というと?」

「壁を壊そうって話は、割と昔からあるんだよ。中興の祖と言われたパリスン王なども、かなり時間をかけて取り組んでたようだけど、一年がかりの結界でも壁に取り付くのがやっとだったって話だね」

「取り付くって、じゃあ、あの壁は近づくこともできないのか?」

「そばによると力が抜けるんだよ。魔法も無効化されるし、黒の精霊石の類が埋め込まれているって話だけど」

「そりゃあ面倒だな」

「遷都の話も何度もあったはずだけどねえ。あの中にいると、力だけじゃなくて気力まで抜けちまうんだろうさ、だから何度も立ち消えになったようだよ」

「なんだか、もう帰りたくなってきたぜ」

「ははは、大会の闘技場は、壁の外側だ。中まで入らなきゃいいのさ」

「そりゃ良かった」


 そう言って笑いながら、アンブラールに酒をついでやっていると、カリスミュウルが千鳥足でやってきた。


「にゃーにを辛気臭い話をしておる! 私にも酌をせんか、このウスラトンカチ」

「なんだおまえ、酒癖悪いな。ちょっとここに座れ」

「むう、なんだえらそうに」


 などと言いながら、俺の隣にぴょこんと座る。


「酒ばっかり飲むから、すぐに酔いが回るんだよ。ちゃんとつまみも食って、合間に水も飲め」

「にゃにをぬるいことを抜かしておる、酒などはガバガバ飲んで酔いつぶれてしまえばよいのだ、ぷはー、ほれ、おかわりじゃ」

「まったく、しょうがねえな」


 などと言いながら、チェイサー用のボトルから水を注いでやると、うまいうまいと言いながら水を飲む。

 かわいいもんだ。

 しばらくそうして飲んでいたが、ふいにプッツリと動きが止まったかと思うと、パタンと俺の膝に突っ伏して眠ってしまった。


「あはは、普段はそこまでスキだらけじゃないんだけどね」


 とアンブラールは笑う。

 俺の膝枕でスヤスヤと眠るカリスミュウルの寝顔は、年齢よりも随分と若く見える。

 アンブラールは、そのほっぺたをツンとつついてやりながら、こう言った。


「こうしてると、年相応の十代半ばの小娘だねえ」

「うん? エディと同級生だったと聞いてるが」

「ああ、エンディミュウム卿かい? そうだね、彼女が女学生だった頃は、同じ年齢だったろうが、この子はその後、十数年も閉じこもってたのさ、紳士の内なる館ってやつにね」

「閉じこもる?」

「父親をなくしたショックだったんだろうねえ。紳士ってやつは、内なる館の中じゃ、年を取らないっていうじゃないか」

「え、そうなの?」

「何だ、知らないのかい?」

「俺はそのへんのことを全然知らなくてなあ」

「そうなのかい、とにかく、チャリだけを連れて、ずっと引きこもってたもんだから、体もそうだが、心だって人と交わらなきゃ、成長だって遅れるもんだ、だから当時のままってわけさ」

「そうか、父親をなあ」

「おかげで色々言われてたんだけどね。立場の割に、主だった後ろ盾が居ないのも、大事な時期に都に居なかったからさ」


 誰だって生きていれば、いつかは親しい人を失うものだが、それを乗り切る心構えなんてものは、いくつになってもできるもんじゃない。

 それを甘えと切り捨てるのは、薄情ってもんだ。

 人間いつだって、もうちょっと甘えて生きても、いいと思うんだよなあ。

 そう思いながら改めてカリスミュウルの寝顔を覗き込むと、口元に糸を引いていた。


「あ、こいつ、よだれなんて垂らしやがって」


 だらしなく半開きの口から、よだれを垂らすカリスミュウル。

 スマホを持ってきてれば、写真にとってやったのに。


「あはは、こりゃあいい」


 と笑うアンブラールにつられて、俺も苦笑しながら酒をあおったのだった。

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