第273話 獅子の後爪
都行きに備えて、ちょっとした雑用にエレンを伴ってでかけた帰り道。
寒さが堪えるので、東通りのパブで燃料を注入してみた。
要するに酒だ。
田舎のこ汚い酒場とは違い、この辺りは気の利いた店が多い。
ここも時々利用するのだが、店の雰囲気的に連れが限られる。
デュースやコルスなら大丈夫だが、エンテルやフューエルはちょっと難しい。
もちろんエレンも大丈夫だ。
要するに、少々カタギには入りづらい店と言ったところだ。
テナに言わせると何者にも見えるらしい俺の場合は、ちょっとよれた革のコートの襟を立て、帽子を目深にかぶっていれば、十分胡散臭い男の出来上がりというわけだ。
二人でカウンターに立ち、旨い酒をちびちびやっていると、店の隅のテーブルでグラスを傾けている美人が目に入った。
流れるような黒髪に切れ長の眼差しがセクシーな長身の美人だ。
ベテランの冒険者に見えるが、隠しきれない品位もあってこの店には似つかわしくないかもしれない。
どこか見覚えのある顔立ちだが、思い出せない。
あんなに美人なのに。
こんなことでは桃園の紳士の名がすたるな。
「旦那、顔がにやけてるよ」
隣でナッツをつまみながら、俺の顔を見ないでそう言うエレン。
「そうかな?」
「ああいう美人を狙うなら、もうちょっとキリッとしないとね」
「難しいことを言うな」
「旦那なら、それぐらい朝飯前だろう?」
「三分ぐらいなら、もつと思うがなあ」
などと話していると、バーテンが話しかけてくる。
「サワクロさん、あちらのご婦人が気になるご様子」
「顔に出てた?」
「ええ、そんな顔をしていては、お近づきになる前に呆れられてしまいますよ」
バーテンは俺より少し上だろうか。
人の良さそうな男だが、エレンあたりに言わせると、
「ああいうタイプは大抵、若い頃になにかしでかしてるもんさ」
とのことだ。
「見ない顔だが、旅の人かい?」
「なんでも都から休暇でいらしたとか」
「ふうん」
結局、その時は声をかけるでもなく終わったのだが、その翌日。
フルン達はまだ道場なので、いつものようにクメトスがスィーダに稽古をつけていると、彼女に来客がある。
応対したアンの話では、クメトスが都にいた頃に面識があったとか。
「都にいたとなると、もう十数年も前の少女時代、しかもごくわずかの期間になりますが……どのような人物です?」
「キャシィと名乗っておられました。妙齢のご婦人です。旅の冒険者と言った風体ですが、立ち振舞には品位が感じられます。おそらくは貴族かと」
「キャシィ……はて。とにかく会ってみましょう」
お店が営業中だったので、客人とはお隣のルチアの店で会うようだ。コソコソと後をつけていって様子をうかがうと、待っていたのは昨日の美人だった。
つまりこれは縁のあるご婦人だったということか。
いや、経験上、人間……アーシアル人だっけ?
その種族の美人と関わり合うと、面倒なことになる可能性が高いんだった。
あまり近づかないことにしよう。
とその場はスルーしたのだが、やっぱり気になるので客人が帰ったあとにクメトスに尋ねてみる。
「それで、先ほどのご婦人は誰だったんだ?」
「はい、あの方はケリュシーダ・セバイツェル殿ともうされまして、金獅子王近衛騎士団の騎士でいらっしゃいます」
「ほほう、金獅子。なんか聞いた名前だな」
「はい、国王直属の騎士団で、名門貴族より選ばれたものだけが所属できる、名誉ある騎士団です」
「ああ、そうそう。確か以前、シルビーが入りたいと言っていたな」
「たしかに、彼女はあの若さで腕も立ちますし、スーベレーン家程の伝統ある名家であれば、資格は十分でしたでしょうが、それを手放したとなると……」
「そうなんだよ。まあそれはいいとして、その金獅子さんがなにしに?」
「休暇だそうで、私の噂を聞き、訪ねてくださったのです」
「じゃあ、知り合いだったのか」
「面識がある、と言う程度ですが。彼女とは、私がかつて都の御前試合で十人抜きをやった時に、対戦したのです」
「ほほう」
「彼女がその一人目で、とても強かったことを覚えています。むしろ彼女に勝った勢いで、残りの相手も打ち破れたと言ってもいいぐらいに」
「先日フルンたちに話してた、その相手か。じゃあ、かつてのライバルが、旧交を温めにわざわざやってきたと」
「だと思うのですが……」
「ですが?」
「あるいは、他に目的があったのか。ご主人様を紹介しようと思ったのですが、本日はお忍びゆえ、偉大な紳士様にお目通り願える状態ではないから、などと言って断られました」
「俺がフレンドリーな庶民派紳士だと知らないのかな?」
「いえ、彼女ほどの人物が、その程度の情報をもたぬはずはないと思うのですが」
「ふーん、じゃあ、それこそ本当に、お前の顔を見に来ただけかもよ」
「そうかもしれませんね。しばらくは滞在するとの話でしたので、また改めて、ご紹介できるかもしれません」
その時もまだ、俺は思い出せなかったのだが、翌日、久しぶりに顔を見せたエディが、こう言った。
「ケリュシーダ・セバイツェル卿といえば、獅子の後爪の異名を持つ歴戦の騎士よ。ハニーお気に入りのアンブラールの妹さんよ」
「まじかよ、全然似てない……、いや似てなくもないか、そうだ誰かに似てると思ったんだ」
「名門中の名門で、姉妹揃って優秀な騎士だったんだけど、どうも姉の方は揉め事を起こして退団してたらしいわね。私も気になって調べるまで、知らなかったんだけど。普通ならニュースになりそうなもんだけど」
「あんな気のいい姐さんが揉め事をねえ」
「性格より、服装の趣味に問題があったんじゃないの?」
「いい趣味じゃないか」
「都の連中がみんなハニーみたいだったら、もう少しあそこも住みやすかったかもね」
「今からでも遅くないぞ。まずは赤竜騎士団でもああいうビキニアーマーにしてみるのはどうだ? ローンなんかも案外似合うと思うが」
と思わず本音を漏らすと、背後から恐ろしい声が。
「誰に何が似合うとおっしゃるのです?」
振り返るとにっこり笑ったローンがいた。
いつの間に現れたんだ?
「やあ、今日も君はとびっきりチャーミングだね」
「ありがとうございます。紳士様は少々舌が軽すぎるようですから、辛子でも塗って、腫らしてウエイトにするのがよろしいかと」
「君のアドバイスは無碍にはしないよ」
更に軽口を続けようと思ったが、どうやら客人を同行しているようだ。
「こちら、金獅子王騎士団のケリュシーダ・セバイツェル卿です。団長と紳士様に御用がお有りだそうで」
と紹介された彼女は、頭を下げる。
おっと向こうからやってきてくれたか、そうじゃないとな。
件の騎士は、今日はパリッとしたスーツを着ており、要するに正装だ。
「不躾な来訪、ご容赦ください」
「ご無沙汰しております、ケリュシーダ卿。獅子の後爪自らのご来訪とは、よほどの問題が起きているのかしら?」
とエディ。
「こちらこそご無沙汰しております、エンディミュウム卿。赤竜姫の手の内で、トラブルなど起ころうはずもないでしょう」
「じゃあ、魔界かしら?」
「いかにも。カリスミュウル殿下の消息について、お伺いしたいのです」
「彼女のことなら、私より、こちらの紳士様のほうがお詳しいはずよ。なんでも魔界でずっといちゃいちゃしていたそうだから」
と言って俺をじろりと睨むエディ。
やっぱり根に持ってたのか。
「お初にお目にかかります、紳士様。先日は私用ゆえに挨拶もなしにおりました無礼をお許し下さい」
「どうぞ、お気になさらずに。それで、カリスミュウル殿下の、何をお聞きになりたいのです?」
「魔界で何をしているのか、についてです」
「さて、かの風来坊のお姫様はどこにでも現れる気がしますが、前回会った時はルタ島に渡る道が魔界にあるのではないかと考えて、あちこち調べていたようです」
「そのようなものがあると、お考えですか?」
「個人的には、無いと思ってますね」
「その根拠は?」
「あの島出身の従者がいうには、長い間そうした抜け道を地上側から探したものの、見つけることができなかったと言っていたからです」
「なるほど」
「他に、お聞きしたいことは?」
「いえ、それだけです。ありがとうございます」
姉のことは聞かないのかな?
ちょっとカマをかけてみるか。
「それにしても、アリュシーダ卿の妹御とは気が付きませんでした。彼女には何度も助けられたのですよ」
というと、一瞬だけ眉をしかめたのを見逃さなかった。
俺はそういうところだけ、目ざといんだよ。
だが彼女はすぐに笑顔を取り繕って、
「左様でしたか。その、姉はやはりまだ、あのような……格好で?」
「ええ。とても個性的で、彼女には似合っておると思うのですが、先日はそのせいで深手を負って、殿下にきつく叱られておりましたよ」
と言うと、再び表情が一瞬だけ変わる。
今度は驚いているような顔だ。
「そう、ですか。武門の風上にもおけぬ、あのような出で立ちでは、殿下の盾としていささか心もとなくはありますが」
「そんな事はありません、立派に務めを果たしておいででした」
「いえ、紳士の従者たる騎士は、クメトス卿のように文武のみならず品位に優れ克己心に満ちた人物でなければ」
「私の従者を評価してくださるのはありがたいが、いかんせん、私が平凡な庶民育ち故に、十分な活躍の機会を与えてやることができません。それゆえ、最近はクメトスも髀肉がたるんだなどと嘆いておりました。十分に従者の才を生かせぬ、我ながら不甲斐ない話です」
「ご謙遜を。もはや都でもあなたのご活躍を知らぬものはないでしょうに」
「噂は所詮噂、あまり真に受けられては、私などは気恥ずかしくて表を歩けなくなってしまいます」
というと、少しの間を挟んで、彼女はこう言った。
「その噂が、問題なのです。都では殿下は追放されたのではないか、魔界に亡命したのではないか、などという噂が立っておりまして」
「それはまた、なにゆえそのような?」
彼女の話を簡単にまとめると、こうだ。
現国王陛下の引退が現実味を帯びて、次期国王候補同士での駆け引きが激しくなっている。
その候補の中で、カリスミュウルは有力貴族の後ろ盾が無いものの、現国王の姪で非常に気に入られているので、国王は彼女を押す可能性が高い。
次期国王は選帝侯と呼ばれる貴族の投票で選ばれるが、現国王もそのうちの一人なので、確実に一票の見込みがある分有利なポジションに居る。
しかも紳士の試練を達成すれば、民の人気も盤石なものとなるはずであったが、なぜか海を渡らず、魔界で姿を目撃されている。
これは何らかの理由、例えば国王の不興を買ったなどで、国外に追放されたのではないか、という噂が立っている、というわけだった。
よくわからんが、まあそういうことらしい。
めんどくさいので、単刀直入に聞いてみることにした。
「それであなたは、どういう理由で殿下の消息を探しておられるのです?」
「私は……」
美人の妹さんは、言いよどむ。
さて、彼女はどういう人物だろうか。
アンブラール姐さんに批判的な物言いではあったが、内心は別のようだ。
俺にはよくわからない貴族の立場があって表立っては言えないが、つまるところ、あのチャーミングなライバルの味方なんだろう。
そこまで三秒ぐらいで考えてから、こう言った。
「殿下は私の大事なライバルです。彼女とは来るべき試練で正々堂々と渡り合い、完膚なきまでに叩きのめして私こそが真の紳士であると、見せつけてやらねばならんのですよ。そして彼女も、そう考えているでしょう。それ故に、もし試練以外の場所で彼女に害をなすものがあれば、それは私にとっても排除すべき敵となるでしょう」
俺の言葉を黙って聞いていたケリュシーダは、しばしの沈黙の後、こう語りだした。
「恥を忍んで、申し上げます。私は、殿下の期待を裏切ってしまったのです。姉ともども、幼き頃から殿下の側にお使えし、金獅子の騎士となってからも、陛下に並ぶ忠誠を殿下に尽くしておりました。そのつもりでした……ですが」
そこで一度、深い溜め息をつく。
「殿下が試練に旅立つと決断なされた時、私と姉は、ある任務で遠征中でした。私は騎士として任務を遂行しておりましたが、姉は任務を放棄して、殿下のもとに馳せ参じました。戦時であれば極刑もありうる不祥事です。姉はもっとも不名誉な形で騎士団を追われ、私は残りました。ですから、私は……もはや殿下のお役には立てぬのです」
しばしの沈黙。
しかる後に、顔を上げてケリュシーダはこう言った。
「だからせめて、私の手の届く範囲で、殿下のお力になりたいと。それがただのエゴに過ぎぬとわきまえてはおりながらも……せめて」
「話はよくわかりました」
一旦咳払いをしてから、こう言った。
「あなたが彼女を敬愛していることはよくわかりました。その上であえて言わせてもらえば、それは全部カリスミュウルが悪い。あなた達姉妹の忠誠がわからぬ彼女でも無かろうに、そういうタイミングで事を起こすのが悪いんですよ。今度あったら私がとっちめておきましょう」
「は、いえ、それは……」
俺の予想外の台詞にあっけにとられるケリュシーダ。
代わりに突っ込んだのはエディだった。
「あーら、ハニーったら、随分と彼女のことを、ふかくふかーく理解していらっしゃるようね」
「ははは、ダーリン、それはまったくもって君の誤解というものだよ。ボカァあくまで試練のライバルとして、彼女の性質というものを研究したにすぎないのだ」
「そうなの、よーく憶えておくわ。あとで言い訳など、なさらないことね」
「まさかまさか、男に二言はないよ」
と俺達の軽口に毒気を抜かれたのか、ケリュシーダは笑いだした。
「はは、なるほど、殿下も随分と私の常識を超越したお方であったが、紳士という方々は、我々とは違う地平に精神が根ざしておるのでしょう」
「君の皮肉も、なかなかのキレだと思うよ」
「これは失礼いたしました。ですがお言葉を聞いて、私も胸のつかえが取れました。私はあくまで金獅子の騎士として、改めてあのお方に忠誠を誓いましょう。あのお方のそばには姉が、そして紳士様もいてくださるのでしょう」
「試練の時が来れば、そうなるでしょうね」
「では、私は私の勤めを果たします。本日はお会い出来てよかった。いずれ改めて、お会いいたしましょう」
そういって、獅子の後爪ケリュシーダ・セバイツェル卿は満足そうに帰っていった。
「あれほどの御仁が忠義を尽くすほどのカリスマが、カリスミュウルにはあるのかね?」
というとエディが呆れた顔で、
「カリスマの固まりでしょう、あなたと一緒で。あいつの前で気を抜くと、私だって膝を折りたくなるもの」
「俺の前だと?」
「抱きついてキスをしたくなるわね」
「ソッチのほうが、健全だよ」
「そうかしら?」
「どうだろうな」
「まあいいわ、カリのことはハニーに任せるから」
「任せるのかよ」
「他の誰に任せられるのよ、あのクソッタレの幼馴染の事を」
「まあいいや、彼女には借りもあるからな」
「そこのところは、詳しく聞いておきたいわね」
「ははは、俺にだって胸の奥に大切にしまっておきたい青春の一頁が有るのさ」
「やっぱり癪ねえ。まあいいわ、忙しいから今日は帰るわ。ハニーも都に来るんでしょう?」
「ああ、大会の前日までにはつくようにしないとな」
「じゃあ、あっちで待ってるわね」
と言って、ローンと一緒に帰ってしまった。
慌ただしいな。
もっとも俺の方も、都行きの準備で忙しいのだった。
細かいことは、帰ってきてから考えるとしよう。
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