第271話 噂の巫女 その四
三十男二人組の果てしなく暇な時間は続く。
ミカンに満足した俺は、ポットから熱々のコーヒーをカップに注ぎ、改めて匂いを楽しむ。
真空断熱は難しいらしいので、ただの二重構造のポットだが、保温効果は高い。
もっとも、コーヒーの場合は長くいれておくと匂いが飛ぶので限度があるが。
「あのぅ……」
と外から声がかかる。
参拝客かと顔を出すと、野暮ったい丸メガネと雑にまとめたおさげのお嬢さんだ。
女学生かな?
「どうしました、お嬢さん」
「す、すいません、その……ここ……まつ……ら」
「まつり? ああ、パラシナアル様にお参りですか?」
「は、はい、いえ、ちが……その、は……ひ、ふへ」
なんだろう、地味な表情が、俺と目があった途端、紅潮して怪しい笑いを浮かべた。
俺がイケメンすぎて動揺してる……わけじゃないよな、たぶん。
「緊張しなくても大丈夫ですよ、どうぞそのまま奥の祠に進んで、お参りください。終わったらお神酒を差し上げますので、もう一度声をおかけください」
「は、は、はひ……ふへ」
と丁寧に話しかけると、彼女は深々とお辞儀して奥に入っていった。
それにしても、「ふへ」ってなんだ?
言葉にするとアレだが、明確に発音しているというより、口の端から息が漏れてるような、そういう「ふへ」だ。
「変わった娘だな。アーシアルがいいとは言っても、もうちょっと普通の子がいいなあ」
とエブンツが奥を覗きながらそういった。
「ちょっと内気なだけだろう。それよりも彼女、アーシアル人じゃないんじゃないかな? 気配がホロアっぽかったぞ」
「まじで? 全然わからんぞ、どうやって見分けるんだ?」
「うーん、なんとなく。もしかしたら単に魔力の加減かもしれんが、なんとなく感じないか?」
「俺は魔法使えないんだよ、全然わからん」
「まあ、俺もなんとなくだけどな。古代種かも知れん」
ちょっとホロアにしては、魔力の気配みたいなのが弱かった気もする。
「それにしても長いな。いつまで拝んでるんだ?」
エブンツの言う通り、ただの参拝にしては長い。
気になって社務所を出て祠を覗くと誰も居ない。
訝しみながら奥に行くと、先日発掘した女神ポラミウルの御神体の前に額ずいて、深い祈りを捧げていた。
声をかけようとするエブンツを静止して、今しばらく様子をうかがうと、先日アンが儀式を執り行ったときのようにご神体が輝き出す。
しかもその眩しさは、あの時の比ではない。
あっという間に太陽のように光り輝き、その魔力は街を覆い尽くさんほどに膨れ上がった。
やばいんじゃないか、と思ったが、その力はどこまでも優しく、慈愛に満ちている……というと大げさだが、少なくとも危害を加える用な力には感じられなかった。
少なくともその時は。
「すげぇ、なんだありゃ」
隣であっけにとられてるエブンツはほっておき、改めて地味なお嬢ちゃんを見る。
先程までうつむいていた顔を上げ、宙を見つめて頬には涙が伝っていた。
その視線の先に目をやると、まばゆい光の中に、人のシルエットが見える。
あれは、女神だ。
いつぞやの燕同様、女神様がその力を備えたまま、地上に降り立ったのだ。
そのことが俺にもわかるぐらい、圧倒的な存在感だった。
目が潰れそうなほど眩しい女神を頑張って見ると、不意にこちらと目があった。
女神はニンマリと笑う。
あ、あれは悪いこと考えてる顔だ。
と思うと同時に、俺達を取り囲むように暴風が巻き起こる。
「あひゃあ」
エブンツはゴロゴロと転がり、茂みに頭を突っ込んだ。
俺はとっさに地面に這いつくばり、耐えしのぐ。
「ぶぎゃ」
そこに何か柔らかいものが突っ込んできた。
一瞬の間を置いて、それが大きなおっぱいだとわかる。
お嬢ちゃんがふっとばされて俺の顔に胸から直撃したのだ。
そのまま二人でゴロゴロともんどり打って地面を転がる。
「いってー、おいお嬢ちゃん、大丈夫か?」
「は、はひ、大丈……ふへ」
また「ふへ」か、ただの口癖かも知れん。
竜巻のような暴風は、未だ俺達の回りに吹き荒れていた。
(暴風ですか、
突然脳内に声が響く。
声の主を見上げると、さっきの悪い女神だ。
俺たちを見下ろしながら、すごく悪そうで、嬉しそうな笑みを浮かべている。
(彼の地で、我が体とともに、お待ちしておりますよ……ご主人様)
その台詞が脳内に響くと同時に、風は止み、光も消えた。
いや、女神の光は消えたが、俺の腕に抱きかかえられている別の光源が、赤く輝いていた。
よくあるパターンなので、いつものように対処しよう。
「お嬢さん、大丈夫かい? あの厄介な女神様は、いなくなったよ」
「は、はい、き、きこえ、て……おりました。女神様は、私に、あなたの従者となれと」
「そうなのかい? まあ、こうして光ってるということは、それもまんざら悪い選択じゃ、なさそうだけど」
「は……ふへ」
また「ふへ」か。
今のは肯定の返事なのかな。
ちらりと脇を見ると、エブンツはまだ茂みに突っ込んだまま気を失ってるようだ。
介抱するのはあとにして、彼女に自己紹介しておこう。
「俺はクリュウ、世間様では桃園の紳士などと呼ばれているが、普段はサワクロの名で通してるんだ」
「ぞ、存じております、先日もパルトー様の元をお尋ねいただいたと、お聞きしました」
「じゃあ、君が?」
「サリスベーラと申します。ふ、不詳の身ではありますが、なにとぞ、おそばに、お、おそば……ふへ、ふへへ」
と言ってまただらしなく破顔する。
「も、もうしわけありません。あなたのお顔を拝見していると、な、なぜか、顔が緩んで……こんな気持は、は、はじめてで」
「ホロアはそういうものらしいぞ。じゃあひとまず契約だな」
いつものようにナイフで指を裂き、血を飲ませる。
ふわりと赤く輝いて、彼女は俺の従者になった。
ホロアってよほどのことがない限り、即決で従者になってくれるのでいいよなあ。
同時に、あたりに人が押し寄せてくる。
まあ、あれだけ派手にやったんだ、そうなるだろう。
押し寄せる人を捌いていると、うちの連中もやってきた。
「ご主人様、何事です! さきほどの魔力は一体」
顔色を変えて飛んできたアンをなだめながら、社務所に避難する。
野次馬は遅れてやってきた騎士が対応してくれているようだ。
「では、女神様が降臨なされ、サリスベーラさんが従者になったと」
「簡潔にまとめると、そうだな」
「そういうことなら、良いでしょう」
いいのか、さすがはアンだな。
ここは賑やかすぎるので、まだ気絶してるエブンツも含めて、あとのことは騎士団に任せて一旦うちに帰る。
帰ったらもちろん、清く正しく契約のやり直しだ。
一見言動が不審者っぽかったサリスベーラは、一皮剥くとたおやかな黒髪と端正な佇まいを併せ持つ清楚系美人だった。
あと乳と尻もでかい。
思わず笑みがこぼれるぜ……ふへ。
契約を終えたサリスベーラは、アン達を交えて、一連の女神の件について、話していた。
「では、ポラミウル様のことを持ち出したのは、あなただったのですね」
とアンが言うと、
「そうです、その、色々とお手数をおかけしたようで、申し訳ありません」
「いえ、それは良いのですが、なにゆえあのように回りくどいことを」
「はい……最後の修行を終えて、奉仕請願を間近に控えたある夜のこと、ポラミウル様が夢枕に立たれてお告げをいただきました。我が肉体はこの地に舞い戻り、我が魂は街の北西に眠る。その両者を汝の力で我が前に捧げよ、と」
「肉体と魂ですか、つまり顕現し、受肉なされると」
「はい、そう考えた私は調査をはじめました。アウル神殿にはポラミウル様のことを知る方はいらっしゃいませんでしたし、汝の力でということは、やはりむやみに人を頼まず、まずは独力でやれるだけやってみようと思いまして」
「たしかに、女神様のお告げは一般に困難なものが多いようですね」
「ひとまず街の北西を調べていたのですが、闇雲に徘徊するだけで埒が明かず……、そのうちになにやら新たな女神を祀る動きがあると聞き、私の知る女神様の由来と、かのアップルスターを絡めた星辰教というアイデアを一筆したため、商店街の集会の場に投書したのです。そもそも星辰教という名は三千二百年前にタマーリアという小国に起こったとされる宗派に由来しており、当時の神霊術師が自ら称える名もなき神を祀って……」
と僧侶らしいうんちくが始まったので聞き流す。
「そのような由来を元に、提示したわけです。これにより、何か動きがあるのでは、と思ったのですが、先日御神体が出土したと聞いて……」
「想像以上に、それがうまく働いたようですね。しかしなぜ、アップルスターなのです?」
「それは、私がご信託を受けた日こそ、あのアップルスターが空に現れた日だったからです。肉体が戻られたとはすなわち、あれが御神体、もしくはあそこに女神の肉体がおわすということに違いないと」
「そうでしたか。何れにせよ、あの地まで、行かねばならぬと我々も考えていたのです」
「天に登る方法があるのですか?」
「方法はあるようです。具体的な手段はまだ知れませんが、我らのご主人様のお力を持ってすれば、必ずや成し遂げられるでしょう」
「は、はい。われらの……ふへ」
キリッとした顔で話してたサリスベーラの顔がまただらしなくニヤける。
美人なのにちょっと足りないところが、俺向けだな。
と思っていたら、急に表情が曇る。
「確かに、偉大な紳士様に選んでいただけたことは、この上なき栄誉なのですが、実のところ、私はポラミウル様にお仕えするのだとばかり思っておりました。ですから顕現なされた時に、ご主人様に使えよとお告げを受けて、まるで神に見放されたかのような衝撃を受けてしまい……」
「それであの時、泣いてたのか」
と俺が言うと、
「は、はひ、その……ふへへ、お、おはずかしい」
と可愛く照れる。
知的美人っぽいのに、表情がゆるくてかわいいなあ。
「まあいいさ、似たようなのは他にも居るし」
とハーエルの事を話すと、
「な、なんとそのような、では、当家にはすでに女神様もいらっしゃると」
「居るには居るんだけどな、あまり期待しないほうがいいぞ」
「それはどういう意味で……」
「まあ、見たほうが早いか、誰か燕を呼んできてくれ」
すぐにやってきた燕を見たサリスベーラは、
「あの、この方は人形では?」
「体はそうだけど、中身は、えーとなんだっけ」
と首を傾げると、アンが、
「エクネアルです」
「そう、女神エクネアル、とか言うらしいぞ」
「随分な紹介ね」
と燕が俺にチョップしてから、サリスベーラに向き直る。
「新しい従者なのね、よろしく、燕よ」
「よ、よろしくお願いします」
「あなた、ポラミウルの子分なのね、あんまり憶えてないけど、彼女、よく考えたらウルの部下のくせに、アウル並に陰険だった気がしてきたわ、苦労すると思うけどがんばりなさい」
「は、はぁ……」
「なんていうか、計画的に暴れるのよね、ただの脳筋より始末が悪いわ」
それを聞いて思い出した。
「そうそう、あの女神はストームって名前になるっぽいぞ、自分で言ってた」
「自分で名前は付けられないでしょう、ご主人ちゃんが贈ったのね」
「そうかもしれん、ご主人様って呼ばれたし」
と言うと、燕以外が驚く。
驚いていない燕は、
「ふーん、あいつも従者になるんだ、それでどこに居るのよ」
「彼の地で待つって言ってたから、例のアップルスターじゃないのか?」
「結局、あそこに行かなきゃならないのね」
「そうみたいだなあ」
「まあ、受肉するのは大変だから、もうしばらく時間はかかるでしょ。頑張って方法を探しなさい」
「そうするよ」
それだけ言うと、燕は再び集会所に戻っていった。
あとに残ったサリスベーラは、
「あのう、ご主人様は本当に普通の紳士……いえ、偉大な紳士様に普通もなにもないのですが、その、ただの紳士とも思えぬ何かを……」
「なんか放浪者ってやつらしいぞ。他所の星からやってきてなあ」
「放浪者! 女神の盟友と言われる!?」
「そうそう、そういうやつ」
「ああ、では女神様があなたのもとに降臨されるのも必然なのですね」
「そうなのか?」
「はい、先年発掘された、パフ記の新たな写本にこうありました。女神はおのが体を楔として世界の支えとする。一万の一万倍のそのまた倍の年月が過ぎた後に、その勤めを終え、約束の地でその対価を得るであろう。すなわち永遠の忠誠を捧げるべき匣である、と」
「ほう」
「同じくパフ記には、放浪者パフェが、自らを匣と称する記述もあります。楔というのが何のことかはまだわかりませんが、使命を終えた女神は、その報酬として、放浪者に仕えるということなのです。それはつまり、先程のエクネアル様やポラミウル様があなた様に仕える根拠ではないかと」
「ははぁ、よくわからんが、燕もご褒美だと言ってた気もするな、しかし……」
楔ってなんだろうな、と聞こうとしたら、放浪者マニアのペイルーンが飛んできた。
「ねえ、例のギリオース写本、手に入ったの?」
「えっ……あの」
「私、考古学者で放浪者の研究をしてるのよ。あれ教会側に何度申請しても写しが手に入らなかったんだけど」
「は、はい、私はそちらの方も研究しておりましたので」
「じゃあ、あるの?」
「寮の方に写しが……」
「今すぐ取りに行くわよ!」
といって、ペイルーンがサリスベーラを連れて行ってしまった。
しっかり契約は済ませたので、まあいいか。
荷物なんかもとってこなきゃダメだろうし、手の空いたものに後を追わせて、俺は酒で飲むことにする。
保護者の神学者先生への挨拶は、明日でいいだろう。
しかし、俺に仕えることがご褒美か。
楔ってのが何かはわからんが、わざわざ女神様がやる大仕事の報酬としては、頼りないんじゃないかなあ。
もっと燕や紅を、凄いプレイで労ってやるべきなんだろうか?
それよりも、あの悪そうな女神様を、とっとと迎えに行くべきなんだろうな。
誰かさんみたいに、勝手に拗ねられても困るし。
しかし、宇宙か……遠いよなあ。
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