第255話 帰路(第五章 完)

 数日が過ぎて、妖精たちの一大箱物事業が落成の時を迎えた。

 大きくねじれた二つの螺旋を軸に、細かい蜂の巣状のメッシュが周りを覆う、いささか前衛的な建物だ。

 ただし直径が三キロ近く、高さも二キロはあるだろう。

 先端部分はチューブ状になって天井に接続されているが、構造的にメッシュなのと天井の厚みが薄いのとで、青空が一部見えている。

 一度、真下まで行って見てみたが、おニューの柱はセラミック的な白い物質でできていた。

 こちら風の言い方をすれば、これもステンレスらしい。

 かつて、銀糸の魔女が治めていた頃の妖精の里も、これと同じ材質のドームで覆われていたのだとか。

 俺達が訪れたときにはすでに原型は留めず、精霊化した名残が白く残っていただけだ、とパロンは言っていたが、正直良くわからんな。


 柱は螺旋状の二つの大きな通路があり、そこから無数に枝道が派生している。

 なかなか綺麗なもんだなあ。

 パロンの話では地上まできっちりつながっているが、上の方は土壌を抑えるために、壁を作ってはあるものの、仕上がりが微妙なんだそうだ。


「上からの取り付き部分には、人が手を入れて足場を作ったほうがいいですわね」


 下から双眼鏡で眺めていたカプルはそう話す。

 試しにクロックロンが登っているが、柱の詳細は後日わかるだろう。

 俺達が登らなかったのは、きっちり登れるか怪しかったからだ。

 クロックロンたちが数日かけて精査し、後日しっかり検討するという。

 また、地上では、自宅のミラー経由で連絡を受けた赤竜騎士団が派遣され、様子を見に来るはずだ。

 初動から三日は経っているので、そろそろ先遣隊がついてるんじゃないかな。

 紅の見立てでは、穴の位置はアルサの街から西に馬車で二、三日の距離らしい。

 将来的に街道を整備して宿駅を置き、馬を交換できるようにすれば一日で行けなくもないとか。

 もっとも、国境越えの人通りの少ない道だ。

 完全に整備するには何年もかかるという。

 しかし、クロックロンに頼めば、一日でアルサとアンファンを往復できるはずだ。

 前からクロックロンを使った流通は考えていたが、まさにこの時のためにあったアイデアだといえる。

 流通業者であるイミアの祖父も、新事業のために準備していたはずだ。

 商売上の話はあちらに任せればうまくやってくれるだろう。

 そして俺は毎日うまい米が食い放題。

 楽しみだねえ。


 大仕事を終えた妖精たちは、今は俺の中でくつろいでいる。

 さぞ疲れてるだろうと思ったが、どうも妖精というのは精霊を吸い込んで何かを作ってるとどんどん成長するらしい。

 数も増えた気がするが、細かいことは気にしないでおこう。


「今日からはまた、里づくりを再開じゃい」


 と女王様のパロンは言っていた。

 俺と違って、妖精は随分と勤勉らしいなあ。

 見習うことはできないので、感謝するだけにしておいた。


 で、今は比較的片付いた街の広場で祝賀行事の最中だ。

 主催は街の領主である、カンドスという初老の男で、事件の最中は柱探索の先陣を切っていて、避難対策が出遅れたらしい。

 こいつのせいで、俺が無駄な苦労をと思わなくもないが、その後、復興に尽力してるので良しとしよう。


 主賓として、俺だけでなく、カリスミュウルも呼ばれていた。

 控室でばったり顔を合わせると、最初は驚いた顔をして、次第に耳まで真っ赤にして、それから複雑に顔を歪めて、裏返った声でこういった。


「はん、貴様、まだおったのか。何をしに来た!」

「そりゃあ、お前と一緒だよ」

「い、い、一緒にするな! 貴様と同じところなど何もない!」

「どうした、今日はまた格別短気だな。寝不足か?」

「誰のせいで毎晩眠れぬと……、いいから出て行け!」


 と追い出されてしまった。

 くそう、あんなかわいいやつだとは思わなかったぜ。

 あそこまであからさまに意識されると、こっちが照れるじゃないか。

 そもそもエディと同年代なら、二十代後半じゃないのか?

 外見は小柄で少女っぽさもあるが、あれじゃあ、中身は小学生だよ。

 それを見ていたフューエルが、


「今だから言えますが、あなたへの好意を認めるのは、なかなかに癪なのですよ」

「そうかい?」

「ええ、紳士という肩書以外は身分も生まれも得体が知れず、実績だけは当代有数の物があり、それでいて鼻にかけるわけでもなく、当人は女の尻ばかり追いかけている。貴族としての嗜みを身につけた女にとって、そういう御仁へ好意を持つなどと……」

「ははは、彼女は俺に好意を持ってると思うかい?」


 と尋ねると、フューエルは非常に複雑な顔をして、何も言わなかった。

 俺も罪な男だな。


 その後、俺もいい加減な挨拶をさせられた。

 バッツ殿下自らが柱で入手した精霊石を寄付して復興基金を作ると言うと、他の集まった諸侯たちも我先にと寄付を申し出た。

 最後に民衆がありがたそうに万歳三唱するといった茶番を堪能して、疲れ切ったところに、領主のカンドスが、


「新たにできた柱を、二人の紳士様の功績になぞらえて、紳士の双柱と名付けたいと思いますが、いかがでしょう。御覧ください、あの柱はお二人が手を携え、身を寄せ合って天を支えているようではありませんか」


 そう言ってカンドスは、わざわざ離れて立っていた俺とカリスミュウルの手を取って握手させる。

 それを見た会場はさらなる熱狂に包まれて、賛成、賛成と声が上がる。

 カリスミュウルをちらりと見ると、ピクピクと耳を痙攣させて、決してこっちは見なかった。

 ういやつめ。


 めでたく行事が終わって、去り際にカリスミュウルが俺に向かってこう言った。


「き、今日のところは民衆に免じて勘弁してやろう、だが試練の際にはこうは行かぬぞ、覚悟しておれ!」


 といって去っていった。

 すっかり回復したらしいアンブラール姐さんがニヤニヤしながら手を振っていたので、それに答えて、俺達も出発の支度をする。

 事務的なアレコレはメイフルとフューエルがいい塩梅にまとめたらしい。

 あとは家に帰ってから改めてやればいいことだ。

 ただ、出発の前に一つ、やることがある。


 俺達はタッサン住職の寺に赴く。

 幸い、この一角は被害も少なかったようだ。

 墓前で一通り拝んでから空を見上げると、新しい柱越しに、青空が少し覗いていた。


「かかさまの好きだった青い空が、ここからだといつも見えます」


 メーナは嬉しそうに、だけど少しだけ寂しそうな顔でそう言った。

 俺は黙って彼女の頭を撫でてやる。

 さり際に、タッサンが一通の書類を渡してくれた。


「あの子の出生証明です。先代が残しておいたもののようで、後片付けをしている際に出てきましてな。これがあれば、地上人の血統であると証明できましょう」


 とのことだ。

 要するに魔族として奴隷扱いしなくて済むらしい。

 お礼とともに、更に幾ばくかのお布施を包んで、街をあとにした。


 帰路は当初の予定通り、フューエルたちが来た道を逆に辿って帰ることにする。

 魔族の姫アウリアーノと一緒に帰るという選択肢もあったが、まあぶっちゃけ面倒だよな。

 気の置けない従者だけに囲まれて、のんびり帰りたい。

 唯一の客分はドラゴン族のラケーラだが、彼女は騎士連中とすっかり打ち解けているし、オーレもすっかりなついてしまった。

 それにあの捌けた性分だ、俺も気を使わなくていい。

 もう一つ、理由があるとしたら、柱の主とでも言うべき幼女の存在だ。

 彼女は南、つまりカルボス島に向かって進んでいるらしい。

 後を追うクロックロンはまだ追いついていないが、探して見る価値はあるだろう。

 あくまで、ついでだけど。


 道中は安全とは言い難いし、馬車が多いとペースも遅くなるので、従者の半数ぐらいは内なる館に入ってもらった。

 馬車もタッサン住職に二台寄付して馬も全て手放し、一台は予備に中にしまい、今は昔からの幌馬車だけで進んでいる。

 内なる館は非常に万能なんだけど、強いて欠点を上げるとすれば、俺が中に入ると、そこから移動できないんだよな。

 入った場所に出てくるので。

 だから、移動中は常に俺は外に出ていないといけない。

 それ以外は、至って便利な仕組みだといえる。


 そんなわけで、出発前に内なる館の中を整えておいたのだ。

 館には程遠いが、天幕を幾つか張って、かまども用意し、家事組はそちらに篭っている。

 支度を整えたカプルは、


「こんなことなら、小屋の一つぐらい立てておくのでしたわね」

「そうだなあ、せめて資材があればな」

「あの妖精たちが生やしている木は、切り倒してもいいのでしょうか?」

「生やしたばかりだしなあ」

「まあ、家に帰ってからですわね。雨風の心配は必要なさそうですし、野ざらしのままでも生活はできそうですわ」


 とのことだ。

 今も有りものを使って中を整えているはずだ。

 俺は御者台の上に登り、魔界の景色を眺める。

 俺の隣には、メーナとピューパー、そして撫子がすわり、すぐ後ろにミラーがついている。


「魔界って、おばけとか怖いのがいっぱいいて、子供は食べられるとか聞いてたけど、空の色以外、一緒だった」


 と牛娘のピューパー。


「そりゃあ、そうだ。ちょっと海を渡ったり、地下に潜ったぐらいで変わってたんじゃ大変だろう」

「うん、でも、結構みんな信じてる。出発前にエブンツおじさんに魔界に行くって言ったら、びっくりして腰抜かしてた」

「ははは、あいつは特別臆病だからな」

「ルチアお姉ちゃんが、帰ってきたらお祝いにケーキを焼いてくれるって言ってた、楽しみ」

「そうかあ、楽しみだな」

「うん」


 馬車は緩やかな坂道を登り、峠に差し掛かる。


「ここを超えるとー、もう街は見えませんよー」


 御者台のデュースが声をかける。

 メーナは後ろを振り返り、小さく手を振った。

 それから、俺の顔を見上げて、ニッコリ笑う。

 俺はメーナの頭を優しく撫でてやり、みんなで街に向かって手を降ったのだった。


 その後は順調に進む。

 といっても道が悪いので、ペースは遅い。

 急ぐ旅ではないので別にいいのだが、デュースの話では、


「行きは随分急いだので気にならなかったんですけどー、これまたずいぶんひどい道ですねー。よく無事にあのペースで進めましたねー」

「心配かけたみたいだなあ」

「まあ、たまにはそういうこともあるでしょー」

「もうこの先はいらんよ」

「そうですねー」


 昼。

 海岸沿いの小さな漁村で昼食にする。

 行きは深夜に通り過ぎたので、デュースたちも立ち寄るのは初めてだ。


「あんたら、アンファンから来たのかい? あっちはどうだね」


 と土産物屋の老爺が話しかける。


「ひどいもんさ、なんせ柱がぶっ壊れちまってなあ」

「えれえこったな。うちの若い連中も、領主様のお声掛かりで、助っ人に行っちまって、魚も上がってねえんだが、干物ならあるよ。あと漬物もあるが地上のお人は食わないかねえ」


 といって見せてくれたのは、見事な大根の糠漬けだった。


「おお、いい糠漬けじゃないか。うちでも漬けたいんで、一つ糠床ごと売ってもらえんかな」

「そりゃあいいけど、お連れさんは鼻が曲がっとるが?」


 みると、フューエルが難しい顔をしていた。

 まあ、気持ちはわかる。


「はは、食えばこの旨さがわかるだろ」

「そりゃあ、そうだね」


 というわけで、糠床ごと、漬物を買った。

 これをもとに、家でも糠漬けが作れるといいな。

 コメを精米できるようになれば、糠も手に入るだろうし。


 漁村の外れで昼食を取り、再び出発する。

 後ろを振り返ると、山の切れ間からまだ新しい柱が見える。

 うまく経路が確立できれば、また来ることもあるだろう。




 それからゆっくり二日かけてカルボス島の地下につく。

 この辺りはだいぶ天井が近い。

 全体的になだらかな丘陵になっていて、山頂付近に大きな石組みの砦が天井に接するように作られている。

 たぶん、あそこから上に出るのだろう。


 俺達は裾野の町に一泊することにする。

 買い出しを兼ねて、数人で町の酒場に顔を出した。

 ここは地上との流通で栄え、また南に広がる広大な草原地帯の玄関口でもある。

 ラキアンラ地方と呼ばれ、点在する遊牧民が家畜を追って住んでいるそうだ。

 街道としては、東西に大きなものがあり、俺達がやってきた北側との交流は薄いらしい。

 それでも、アンフォンの異変の噂はここまで届いていたようで、あちこちで話が盛り上がっている。

 それを横目に、名物のラキアンラ牛のステーキを頬張りながら、地元の酒を飲む。

 きつい炭酸と切れのある味が肉によく合う、いい酒だ。

 褐色の胸元をミッチリ強調したウエイトレスにおかわりを頼むと、


「あら旦那さん、綺麗どころを揃えて、随分と儲かったのかしら?」

「まあね、君のところはどうだい?」

「先日までは、アンフォンを目指す冒険者で賑わってたけど、一昨日ぐらいからさっぱり。ねえ、北から来たんでしょう? あっちはどうだった」

「いやあ、ひどいもんさ。柱は崩れるし、得体の知れない魔物はいるしで、ほうほうの体で逃げてきたよ」

「まあ、災難だったわね。それよりも、偉大な紳士様が降臨なされて、奇跡を起こされたって聞いたけど、ほんとう?」

「さあ、俺も噂は聞いたけどねえ」

「見てないの?」

「見てたら、いい土産話になったのに」

「私も、聞かせてほしかったわ」

「案外、二人っきりになれば思い出すかもしれないよ?」

「あら、気になるけど、お連れさんの視線が痛いから、遠慮しておくわ。次は一人できてちょうだい」


 そう言ってねーちゃんは厨房に戻った。

 振り返ると、フューエルが素敵な笑顔で睨んでいた。


「どうしたんだ、酒が口に合わなかったか?」

「あなたの口には、ぴったりみたいですね」


 といって、太ももをつねられる。

 痛いぜ。


 その後、少し情報を集めたところ、柱がなくなったことは知っているが、詳細は不明のままのようだ。

 馬車で二日も離れれば、まだ情報も伝わらないか。

 柱の主の目撃情報もなかった。

 あんな白いスク水みたいな幼女がいれば、目立つと思うけどな。


「そういえば、追いかけてるクロックロンはどうしたんだ?」


 と聞くと、ステーキにかぶりついていた燕が、


「見失ったから、海で泳いでるみたいよ」

「そうか、あいつら錆びないのかな」

「あの子達もカーボン系の樹脂でしょう、中身は知らないけど」

「そういや、クロックロンって大昔の高度な技術で作られてんだろ、もうちょっと頑丈な装甲にできなかったのかな? 結構すぐ壊れるよな」


 実際に、今回の騒動でやられた者も何体か居て、今は内なる館にいれている。

 コアさえ無事なら、遺跡の設備で直せるらしい。

 今までも故障すると、勝手に遺跡に戻って、修理していたそうだ。


「さあ、普通、武器のほうが強いから装甲をいくら頑丈にしても無意味でしょ。だから程々にしてコストとか軽量化に走るのよ」

「へえ」

「騎士だってそうでしょう。地球でも銃器が発達したあとは、どんどん軽装になっていったじゃない」

「そうだっけ、こっちの騎士は重装備だな。魔法も銃に負けないぐらい強力だろうに」

「魔法は結界で防げるからでしょ。だから騎士は結界を使うんじゃないの? 結界で魔法を封じた上で槍で殴り合うんでしょ」

「ふーん。そういえばこの間、銃……短針銃だっけ、そういうのをクロックロンに貰ったんだよ」

「あら、いいのがあったのね」

「なんかすぐに弾切れになったけど」

「予備はないのかしら」

「その時点ではなかったな。なんか一部のクロックロンだけが持ってるらしいぞ」

「じゃあ、ちょっと確認してみるわ……、今そばにいる子は持ってないみたいね。あとで呼び寄せておきましょ」


 食事と情報収集を終えてキャンプ地に戻ると、何やらごちそうの支度をしていた。

 買い出しに出ていたアンたちの話では、


「どうやら柱探索を見越して仕入れていた商品がだぶついたとかで、叩き売りだったんですよ。帰りの船もすぐに捕まるかわかりませんし、多めに買っておきました」


 とのことだ。

 船の手配は、コルスが先行して上に登り、今夜のうちにやってくれる手はずになっているので、なるようになるだろう。

 今、分厚いステーキを頂いたばかりだが、しっかり食って夜に備えるとしようかな。




 翌朝。

 何事もなく目を覚まし、出発する。

 丘のてっぺんの砦では、出入りを管理していた。

 どうやら通行料を取っているらしい。

 その代わり、中は明かりがくまなく灯り、石畳の通路が整備されてるし、階段もしっかりしたものが有り、籠で運んでくれるサービスもある。

 魔物も出ないと言うので、金額分の価値はあるんだろう。

 俺達は大半を内なる館にしまい、徒歩で地上を目指した。


 整備された道は歩きやすいし、特に徒歩で荷物を運ぶ人足などには都合がいいのかもしれないが、はっきり言って土の道を歩くよりしんどい。

 山登りなんかでもそうだが、傾斜のきつい赤土の斜面を歩くより、舗装された林道や階段を上るほうが疲れるんだよな。

 理由はよくわからんけど。

 そんなわけで、数時間かけて地上に出た頃にはすっかりヘロヘロだった。


「下りは、はぁはぁ、気にならなかったのですけど、ぜぇぜぇ、階段を登り続けるのは、しんどいものですね」


 流石にフューエルでさえ息が上がっている。

 デュースに至っては、喋る元気もないようだ。

 それでも、久しぶりに地上に出て真っ青な空を拝むと、心が晴れやかになる。

 初めて間近に空を拝んだメーナは、言葉を失ってひたすら見入っていた。


 何処かで一息つけようと考えていると、半日先行していたコルスがやってきた。


「みな、お疲れでござるな」

「流石にあの階段はやばかった」

「船の確保はできているでござるよ。あと二時間ほどで出港、日没前には、アルサにつくでござるな」

「おう、おつかれさん。じゃあ、早めに準備するか」


 港にはすでに船が停泊していた。

 独特の色気を放つ女船乗りたちが、隆々たる肉体を潮風に晒しながら、荷物を担ぎ込んでいた。

 かっこいいなあ。

 俺たちも船に乗り込むと、奥まった立派な部屋に通される。

 小さな浴室もついており、しっかりと旅の疲れを洗い流してもらってさっぱりしてから、デッキにでると、出港の時間だった。

 見送りの人々に手を振りながら、徐々に小さくなる島影を見送った。

 帰りを急く気持ちもあるが、従者がみんなここにいる以上、もう少しのんびりしても良かったかもなあ。


 俺達の客室は甲板より上で、そちらは高級客室が並んでいるが、下は二等船室のような雑魚寝部屋だ。

 貨物船ではなく、西のシャムーツとアルサを結ぶ客船らしい。

 アルサには明るいうちに着くので、大半の客はデッキに集まって、酒を飲んだりカードの博打をやったりしている。

 そうした連中に混じって、俺も何人かで酒を飲む。

 港で買い求めたきずしをアテに飲む日本酒もいいもんだ。

 土産のつもりで買った酒だが、ここ数日であらかた飲み尽くして、これが最後の一本だ。

 うちに帰ったら、改めて取り寄せよう。


 テーブルに備え付けられたチェスには見慣れたロゴが彫られていた。

 うちの店の屋号であるピーチヒップのロゴだ。

 それを手に取ったレルルが、


「ほほう、このような所にまで卸しているとは、いやメイフル殿の商売も実に巧みでありますな」

「あいつは売り込むのがうまいからなあ」

「我が家の家計を一手に担われているわけですな」

「そうなんだけど、メイフルの話じゃ、フューエルの実家のあがりの方が大きいらしいぞ」

「それはまあ、アルサ近郊の大地主でありますし、あのあたりは豊かな土地も多いですからな。私も第八で見習いをしていた頃に、モアーナらと連れ立って領地を巡回したことがありましたが、どの村々も実によく治まり、黄金色に輝く麦の立派なこともまたこの上なく」

「そんなにか」

「当時はよもや自分がその領主のご令嬢を我が主人の奥方として迎え、お仕えするとは想像だにできませんでしたが」

「世の中どこがどうなるかなんて、さっぱりわからんからな」

「あるいは、この乗客の中にも後日従者となる仲間が、孤独な旅をしているのかもしれませんな」

「まったくだ」


 そんなことを話していると、周りの出来上がった連中の声もでかくなってくる。

 その中のひとりが、もっとも優れた紳士は誰か、などと演説をぶち始めた。


「まずは何と言っても深愛の虎ことブルーズオーンだ、二メートルを越す巨漢が繰り出す豪剣は、巨大なノズも真っ二つ。相棒のピルもまた強い、現代屈指の大賢者で、あらゆる術を使いこなすと評判だ」


 弁士の如き巧みさでまくし立てる。


「続いて新進気鋭の大紳士、吉兆の星コーレルペイト! 彼が手を触れただけで、枯れた井戸がたちまち蘇り、病気の牛もけろりと治って犬より早く駆け出すと評判だ!」


 それを聞いていたレルルが、


「そろそろご主人様が出てくるでありますかな?」


 などと期待しているが、そういう期待は裏切られるものだぞ。


「忘れちゃいけないのがヘショカの若き王、ハンドレッド・エンペラーことサンザルスン。多くの従者を従えたその姿を見たものは、まだ誰もいない!」


 よく響くだみ声に、船上の注目が集まる。


「忘れちゃいかん人物は、他にいるでありますよ」


 とレルル。


「そうそう、あのお人を忘れちゃいけない……」

「お、来るでありますかな?」


 と身を乗り出すレルルに、


「まあ落ち着け、ほら、寿司でもくいねえ」

「むう、いただくであります」


 しめ鯖をぺろりと食べて酸っぱさに顔をすぼめるレルル。


「か、変わった味でありますな」

「アジじゃなくてサバだよ」

「そういう話ではないであります。おっと、続きを聞かねば」


 と語りに耳を澄ませる。


「ペーラー家の次期当主と目されるは若き女紳士カリスミュウル殿下! 未だ活躍の場を得られぬ物の、秘めたる力は随一との噂!」

「うぐぐ、なんでありますか、あの男は」


 レルルはいきり立つが、声を上げるよりも早く、別の聴衆がこう叫ぶ。


「おいおい、我らがスパイツヤーデの救世主、桃園の紳士様はどうした!」

「ん、桃園の紳士? ありゃあ、女の尻を追いかけるだけのスケコマシ、桃尻に生えたヘタの切れっ端よ」

「なんだとてめえ、俺の故郷はあの人が竜を退治してくれたおかげで助かったんだよ!」


 踊りかかってポカリとやると、何をこいつと殴り返す。

 あとはよくある乱闘だ。

 あっけに取られて出そびれたレルルは、歯ぎしりしながらこういった。


「まったく、けしからん奴でありますな」

「ははは、しかし、俺の味方も居てくれるようじゃないか」

「そうでありますな、どれ、自分も助っ人に」

「やめとけ、もう止めに入ったようだぞ」


 見ると船長が腕っ節の強そうなのを集めて乗り込んできた。

 殴り合っていた連中はたちまち引き離されてしまった。


 そうこうするうちに、懐かしい港が見えてきた。

 海からは初めて見るはずなのに、なんだか妙に懐かしい。


「やっと帰ってきたなあ」


 と言うと、アンが、


「全員揃って、無事に戻ってこられて本当によかったです」

「まったくだ、今後はこんなことのないように、なるべく家から出ないようにしたいな」

「子どもたちは、行きはともかく帰りは物見遊山の心持ちで、楽しんでいたようですけど」

「そうかあ、だったらまた、どっか連れてってやらんとな」

「そうですね、奥様もどちらかと言うと、旅がお好きなようですし」

「みたいだな」


 その奥様は、少し離れたところで、港を指差しながらメーナに何か話しかけていた。

 これから、俺もいろんなことを教えてやりたいな。




 無事に家に戻って、数日が過ぎた。

 ご近所さんに土産片手に挨拶に回ったり、エメオの件でパン屋の親方に挨拶に行ったりはしたものの、後は概ねぐーたらしたりイチャイチャしただけだ。

 パロンにもご奉仕してもらおうと思ったのだが、


「あほかい、そういうのは生身のもん同士でやるもんじゃ。ちゃんと側で仕えちゃっとるじゃろが」

「そういわずに、物理的にイチャイチャさせてくれよ」

「しょうがないやっちゃのう」


 というわけで、頑張ってフワフワした体をなでたり舐めたりしてみたが、いまいち要領を得ない。

 かと言って、術をかけて変身した状態では、ちょっとキスしただけで興奮して術が解けてしまうのだった。


「妖精の体はそういう風にできとらんのじゃい」

「ううう、ご奉仕だけが俺の生きがいだというのに」

「子供でもそないにダダはこねへんぞ、そばにおっちゃるから、ほかのもんとイチャイチャせんかい」


 というので、パロンを抱きかかえたまま、もう片方の腕でアンを抱っこしてイチャイチャしてたら、なんだかじわじわと妙な感触がしてくる。

 試しにアンの敏感な所を撫でると、身体を捩った瞬間、俺の背骨にも言い知れぬ快感が突き抜ける。


「これ、もしかして感覚がつながってない?」

「た、たしかに、何やらご主人様の体を触ると、触られたような感触が」


 色々試すと、どうやらパロンのふわふわした体がめり込んだ部分が、感覚を共有しているようだ。


「妖精は肉体と精神の境界が曖昧じゃからのう、そういうこともあるかも知れん」


 とパロン。


「これを使えば、二倍気持ちよくご奉仕が捗るんじゃ」

「それなら、わしもご奉仕できる、ちゅーわけじゃな」


 というわけで、その日から夜毎のご奉仕が新たなるステージに進化したのだった。


 そんなこととはつゆ知らず、俺のことを心配してエディもやってきたが、結果的に従者が増えただけだと知って、なんとも言えない顔になる。


「ハニーにしてみれば、いつものことなんでしょうけど」

「まあ、そういうことにしといてくれ」

「それよりも、例の大穴、なかなか大変ね。古い地図だとギリギリうちの領地内だと思うんだけど、すぐ近くにシャムーツの樵小屋があったりして、縄張りでもめそうね」

「そりゃ大変だ。あそこはうちががっぽり貿易で儲ける予定なんで、しっかり頼むよ」

「しっかり出すものを出してもらえれば、結果的にそうなるかもしれないわね」


 と言って、指で輪っかを作るエディ。


「この国じゃ寄付の強要は罪にならんのかね?」

「場合によりけりよ。だから、出して貰えたら、たまたまそうなるかもしれないという可能性の話をしたのよ」


 忖度を強要されて、怖くなったので、話題をかえることにする。


「そういえば、魔界で君の親友に会ったぞ」

「嫌な方向に話題を変えるわね。それで、どうだったの?」

「アンブラールが怪我をして、そこそこ大変だったな」

「アンブラールってあのときの露出狂みたいな人よね、どっかで見たことあるんだけど」


 と言うと、傍に控えていたポーンが、


「あの方はアリュシーダ・セバイツェル卿、かつて獅子の前爪と称されたお人です」

「え、ほんとに? 昔宮殿で見かけた時と、全然印象が違ったけど」

「あのような破廉恥な……もとい、独創的な格好はなされてなかったので」

「そうなんだ、でも、たしかにセバイツェル家の騎士ならカリに仕えててもおかしくないのかも」

「有名なのか?」


 と尋ねると、


「そうねえ、まあこの国では有名よ。だけどあれほどの手練がやられるなんて、そんなにやばい相手だったの?」

「うーん、というか街中で混乱してたからなあ」

「市街戦は大変だものねえ、どうせカリがドジッたんでしょ。ちょっと噂が流れてきてるけど、また随分と大勢の人を救ったって話じゃない」

「それこそ、結果的にそうなったって話だよ」

「今目の前でだらしない格好でお酒飲んでる人を見てると、なかなか信じられない話よねえ」

「俺だってあんまり信じてないけどな」

「そういえば、都の剣術大会にシルビーとフルンが出るんでしょ? 都合つけて、私も見に行かなきゃ」


 と今度はエディが話題を変えてきた。


「都って遠いのか?」

「そうねえ、ちょっと面倒なところね」

「気が進まんが、二人の晴れ舞台は見てやらんとなあ」

「もちろんよ」


 その後しばらく雑談を交わして、エディは帰っていった。

 エディとの会話でカロリーを大量に消費してしまったので、小腹を満たすために台所を覗くと、エメオとパンテーが、パイを作っていた。

 エメオはプロの職人だけあって、レパートリーが限られているものの、仕上げのクオリティが違う。

 要するに、お店で売ってるようなやつを作る。


「お客様は帰られたんですか?」


 とエメオ。


「ああ、色々怖い話を聞かせてくれたよ」

「あの方、赤竜のエンディミュウム団長様なんですね、商店街で何度かお見かけしましたが、まさかそんな大貴族のかたが、うちでパンを買ったりしてたなんて」

「彼女はあんな性格だからな」

「でも、本当にご主人様も、紳士様なんですねえ。奥様も、こう言っては失礼ですが思ってた以上に大きな領地をお持ちの貴族様で、昨日お屋敷にはじめてお供したんですけど、びっくりしちゃって。私、本当にこのままお仕えできるのかとか不安になります」

「私も初めて知った時、驚いて気を失ってしまって」


 とパンテーが言うと、エメオも笑って、


「気持ちはわかります。つい先日までは、こんな暮らし、想像もしてなかったのに」


 そういうエメオは、家では帽子を脱いでいる。

 金ピカの角の断面がなかなかインパクトがあるが、ピューパーはすごくかっこいいとうっとり眺めたりしていた。

 スィーダの折れた角も、後日綺麗に断面を整えておけば、徐々に中から染み出した成分で断面が金色にコーティングされるとか。


「パイはこれから焼くので、代わりにラスクならありますけど」


 とエメオが戸棚からカゴいっぱいのラスクを取り出す。


「そろそろおやつの時間なので、裏で遊んでる子達に出そうと思ってたんです」


 というので、それを持って裏庭に出た。

 裏庭では、フルン達が木刀を振るって稽古をし、撫子達はままごとをしている。

 おやつだと声をかけると、みんな一斉に集まってきた。


 汗を拭うスィーダに声をかけると、


「どうだ、調子は」

「うん、いっぱい素振りした。もっと強くなって、私もちゃんとみんなを守れるようになる」

「おう、あてにしてるぞ」

「まかせて!」


 と屈託なく笑う。

 なんだか、スィーダも強くなりそうだな。

 近くで稽古を見守っていたセスに、そう話すと、


「あの子も、道が晴れたようですね。クメトスの根気強い指導が一つの結果を出したのでしょう」

「そういえば、あの小さな体でガルペイオンを使って敵をやっつけたんだよな」

「槍のように、貫いたのでしょう」

「そうなんだよ、あれってクメトスが教えてたのかな?」

「どうでしょうか、ただ、小さな体で大きな獲物を使うとなれば、必然的にやり方は限られてきます。スィーダは特に重心が低く、腕力も立派なものですから、クメトスもそのつもりでいたのでしょうね。私でもおそらくは、そのように指導したでしょう。実際、毎日槍の稽古は欠かさなかったようですし」

「なるほどねえ」


 その後はメーナ達と遊んでやりながら、のんびりと過ごす。

 日が暮れると、いつものようにフューエルと酒盃を交わしながら、冗談を飛ばしたり、色っぽい会話を交わしたりした。

 完全に、日常を取り戻したようだ。


 たぶん、明日も明後日も、こうして過ごすんだろう。

 そうして、時々、また何かしでかしたり、巻き込まれたりするんだろうが、従者たちが揃っていれば、まず間違いはないのだ。

 間違えさえなければ、これからも毎日、イチャイチャして過ごせるだろう。


 さて、今夜はだれとイチャイチャしようかね。

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