第246話 托鉢の娘
海沿いの道を馬車で進む。
この海からは、アルサではほとんど感じなかった、磯臭さを感じるなあ。
途中、小さな漁村で土産を売っていたので覗いてみる。
この辺りは徴発の影響がなかったのか、量は僅かだが米に味噌、更に醤油も手に入った。
小躍りしながら買い求め、ついでに酒はないかと尋ねると、奥から丸い壺を持ってくる。
米の酒だと言うので味見してみたら、きゅっと辛口のいい日本酒だった。
さらに蒸した饅頭もいくつか買い求める。
フルンが喜んで、あっという間に平らげてくれるだろう。
代金を金貨で払おうとしたら、そんな大きなお金は困るというので、ここも精霊石で払っておいた。
釣り銭は作りの雑な銅銭だ。
先のレラ村での薬代も合わせると、多少この辺りの現金が手に入った。
サンプルが少ないので何とも言えないが、精霊石の相場から想像すると、物価は地上の半分ぐらいな気がするな。
それだけの価格差があれば、商人がこぞって乗り込んでくるのもわかる気がする。
もっとも、ここが田舎で物価が安いだけかもしれないが。
前に魔界に来た時はもっと立派な街ではあったけど、お姫様の接待づくしでよくわからんかったからな。
そんなことを考えながら、お釣りの銅銭をジャラジャラさせつつ、海岸を散策する。
赤い海は赤い天井に照らし出されて、キラキラと赤く輝いている。
どうやら相当な遠浅のようで、かなり遠くで小舟を引きながら海を歩いている漁師が見えた。
漁の様子を眺めていると、腰の曲がった老婆が声をかけてきた。
「旅の人、土産に干物はいらんかね?」
「干物もいいが、煮付けにあう魚はないかな?」
せっかく醤油が手に入ったのだ、そういうのも食べたくなるじゃないか。
「メバルがあるね、あとはカレイなんかもどうかね?」
「いいねえ、じゃあその辺を適当に頼むよ」
というわけで、魚もたっぷりゲットした。
猪と違って、魚ならおろせるしな。
思いの外色々手に入って、思わず顔がにやけてきた。
魔界っていいところだなあ。
などと先日の大乱闘も忘れて、浮かれる俺。
馬車に戻りしな、両手に荷物を抱えた俺にラケーラがこう言った。
「随分と買い占めたものだな。導師はそういった買い物はまったくせぬのでな」
「彼女も商売人じゃないのか?」
「だからこそだそうだ。投資と浪費は別物だ、人に使う金は生き金となるが、楽しみに使う金は死に金となる、金は生かして増やすのだと常に言っていたな」
「へえ、そういうイメージはなかったけどな」
「あの時は命をやり取りする、いくさの場であったからな。金をやり取りする商売の場では、商売人の顔になるものよ」
「なるほど」
「だが、その魚などはうまそうではないか。金は死んでも、腹は生きそうだな」
「そうだろう、今夜はこいつでしこたま飲むとしよう」
「それは楽しみだ」
更に少し馬車を進めて、まだ明るいうちにその日の宿泊地を決める。
地上同様、街道沿いにあるキャンプ地で、行商人や運送業者に混じって、冒険者らしき連中も目に入る。
それとなく話を聞くと、みな例の柱に向かっているらしい。
当地に集まった諸侯が大金をはたいて腕自慢を集めているそうだ。
柱の中の状況までは分からないが、混雑してそうだな。
そうなるとエンテルが来てもあまり満足に調査できないのではと思ったが、さっき念話で話したら、すでにカルボス島についたらしい。
今夜はそこで宿を取り、明日一番で魔界に降りる。
早ければ明後日には柱につくとかなんとか。
俺ものんびりできないな。
こちらは順調に行けば明日の夜に柱だろうか。
エレン達も同じぐらいのペースらしいので、エンテル達に一日先行して下調べぐらいはしておいてやりたい。
まあ、それはそれとして、料理だ。
メバルはエラから取った気がするが、こっちのメバルはどうだろうな。
鱗を落としてワタを出し、捌いた魚にさっと湯引きをして臭みを取ってから、酒と醤油、砂糖で作った煮汁に浸す。
グツグツ煮えると供に、香ばしい醤油の匂いが広がってくる。
たまらんな、これ。
「おお、良い匂いではないか」
鍋をのぞき込んだラケーラがつばを飲み込む。
「導師は贅沢はせぬが、それなりに色々なものを食わせてくれてな」
「ほう」
「心が忘れても、口が覚えた味は体が覚えていると言ってな。なんでも昔、いくさのショックで心を病んだものに、故郷の食べ物を与え続けたら、徐々に回復したことがあったそうな。それと同じ働きが、もしかしたらあるかもしれぬとな」
「ふむ」
「残念ながら、私の体が覚えている食べ物は、今のところお目にかかっておらぬが……覚えておらぬでも、うまいものはうまいな」
「そりゃあ、もっともだ」
そんなことを話していると、匂いにつられたフルンが寄ってきた。
「ご主人様、これなんて料理?」
「メバルの煮つけだな、いい匂いだろう」
「すごい、嗅いだことない匂い、でもうまそう!」
「うまいぞー、よし、こうやってお玉で煮汁を時々かけておいてくれ。俺はその間にご飯を見るからな」
ご飯の方は、精米具合があまくてほぼ玄米っぽかったが、手持ちの道具だけで精米する方法がわからなかったので、仕方なくそのまま使う。
しっかり研いでから、内なる館に転がっていた蓋のしっかりしたアルミ鍋にぶち込み、強火の焚き火で沸騰させる。
一度吹きあがったところで火から離して、後はじっくりととろ火だ。
二十分もするとぱちぱちとした音とともに米の炊けた匂いがしてきた。
火から下ろして、しばし蒸らす。
並行して味噌汁も作る。
先程メバルと一緒に買い求めたカリカリの目刺しのワタを取り、出汁を取る。
具がネギしかないが、十分だろう。
ぶつ切りしたネギをトロトロに茹でてやるのが俺好みだ。
仕上げに味噌を溶いて出来上がり。
煮付けに味噌汁、そして白いご飯。
パーフェクトな晩餐ではないか。
「すごい、ごちそう、おいしそう!」
フルンが無邪気に喜ぶ横でパン屋のエメオも感心して、
「サワクロさん、お料理お上手なんですね。いろんなことをご存知ですけど、働いてるところを見たことがなかったので、家のことは何もしないタイプかと思ってたんですが」
「ははは、こう見えても数年前までは一人暮らしで家事全般をこなしてたからな。これぐらいなら、お手の物さ」
「サワクロさんはほんと、見かけからはわからないことばかりで」
「しかし、味の方は食べれば一発でわかってもらえると思うぞ、さあメシだメシ」
というわけで、早速手製の料理に舌鼓を打つ。
うーん、こりゃたまらん。
うまい。
うますぎる。
故郷に未練はないと思っていたが、故郷の味には未練たっぷりだったよ。
あー、ほんと魔界に来てよかった。
「なんじゃい、うまいやんけ、われ」
と味噌汁をすするパロン。
「やっぱ、これがないと飯を食った気にならんよな」
「そうじゃのう、里を出て、最初に覚えた味がこの味噌じゃったからのう」
「魔界までやってきた時はどうなることかと思ったが、怪我の功名ってやつだなあ」
「ふんっ、別にその為に連れてきたんちゃうわい」
「まあ、いいじゃねえか。煮付けもいけるぞ、しっかり食ってくれ」
「言われんでも食うわい」
そう言って魚をつまむパロン。
俺たちを巻き込んだことを、まだ気にしているようなので、たまにはこうして冗談交じりに気晴らししてやらんとなあ。
こう言うときに、腫れ物に触るように、触れないようにした方がいいタイプもいるだろうが、パロンは積極的に俺たちが気にしていないことをアピールしていったほうがいいと思う。
根拠は主人としての勘としか言いようがないが、従者に関しては俺の直感は外れたことがないような気がする。
それはそれとして、パロンもせっかく従者になったのに、まだ正式なやり方に則った契約をしてないんだよな。
要するにナニしてないというか。
パロンに限らずここ数日まったくご奉仕してもらってないんだけど、流石にだいぶムラムラしてきた。
こんなに禁欲的な生活をしたのはこっちに来てから初めてだぞ。
以前一晩我慢しただけでも大変だったのに、何か変な病気にならなきゃいいけど。
エディに会うために魔界に降りたときも、ちゃんと夜はそれなりのことをしてたからなあ。
あとでこっそり、エーメスあたりに……、と思ったが、この状況では無理そうだよな。
エクを始め、ペイルーンやアフリエールみたいにご奉仕の得意な連中ならバレないようにサクッとナニしてくれるのになあ、などと考えていたら、
「何をニヤニヤしとるんじゃい、メシの時はメシを食わんかい」
とパロンにたしなめられた。
まったくそのとおりだ。
俺は気を取り直して、うまい飯と酒を堪能した。
満腹な腹を擦りながら、砂浜に腰を下ろして空を眺める。
光の消えた天井は、どこまでも真っ暗な闇だ。
視線を海に向けると水平線の彼方に小さな光がいくつも見える。
沖で漁でもやってるんだろうか。
「何を見とるんじゃい」
とパロンがふわっと飛んできて、俺の隣にすわる。
「沖の光を見てたんだ。漁にでも出てるのかなって」
「うん? このあたりの海は船で沖には出られんぞ」
「そうなのか?」
「沖にはツーチカーマやら海魔やら呼ばれちょー魔物がようさんおってな、船なんぞあっという間に沈められるそうじゃ」
「怖いな。じゃあ、漁はどうしてるんだ?」
「このあたりは遠浅じゃからのう。みんな船を引きながら歩いて漁をしたもんじゃ。もうちょい東に行けば立派な干潟もあって、ようさん取れとったはずじゃ」
「そうなのか、地上の海にはあまり魔物はいないと聞いてたけど、魔界の海は怖いな」
「昔、えらい勇者が海魔退治に乗り出したらしいが、諦めて帰ったらしいからのう」
「勇者様でもだめか」
「だめじゃな」
魔界にも色々有るんだなあ。
などと黄昏れていたら、どこからか鐘の音がする。
見ると小さな子どもが、修験者みたいな格好で歩いている。
それを見たパロンがこう言った。
「親なしじゃのう。親のない子は教会が引き取るんじゃが、食い扶持が足りんようになると、ああして托鉢の旅に出すんじゃ」
「じゃあ、あんな小さな子が一人で旅してるってことか?」
「そうじゃな、村にも年に数度はああした子が流れてきおったもんじゃ。わしらも少ない食いもんから施してやったもんじゃのう。地上ではあまり見なんだが」
「地上にも物乞いの孤児はいたけどな」
エットはまさにそうだったわけだが。
「そういえば、昔、旅の途中でくたびれた格好で道端に座ってたら、従者になる前のイミアに施しを受けてなあ」
「わりゃあ、ぼーっと座っとりゃ、頼りないからのう。そのくせ、妙に気になってほっとけんのじゃい」
「ははは、俺も罪な男だな。乙女の心をひきつけてやまんとみえる」
「それが不思議なんじゃい。未だになんでわしも、従者なんぞになったんか良うわからんわ」
そりゃあ、ご奉仕してくれてないからだよ、と言おうとしてやめた。
「ん、なんぞ言おうとしたじゃろうが」
「いや、あの子にもなにか食わせてやろうかと思ってな」
「そうじゃな、呼んでやろうか」
二人で托鉢の子のそばまで行く。
真っ白い襦袢に破れた毛皮のショールをはおり、右手に杖、左手に鐘を持って鳴らしながら歩いている。
心なしか足を引きずっているようだ。
「おう、おまえさん。あっちで火に当たらんか?」
パロンが話しかけると、うつむいていた顔を上げてこちらを見る。
薄い褐色の肌に、クリクリとした黒い瞳がかわいい女の子だった。
年の頃は牛娘のピューパーと同じか、もう少し幼いかもしれない。
「よ、妖精!?」
「安心せい、べつにとってくったりはせん。わしらも旅のもんじゃ。すぐそこに火もあれば、残りもんじゃが暖かい汁もある」
パロンがそう言うと、娘はペコリと頭を下げて、
「ご報謝、感謝します。ではお言葉に甘えまして、わずかばかりのお慈悲を……」
しゃちほこばった口上を述べかけたところで、ぐらりと体が傾く。
どうやら気が抜けて、足が立たなくなったようだ。
慌てて抱きかかえてやる。
「大丈夫かい?」
「ご、ごめんなさ…ぃ」
とっさのことで地が出たのか、妙に幼い声で謝る娘。
見ると、草履は破けて、足には血が滲んでいるようだ。
相当無理をして旅をしてきたに違いあるまい。
おじさん、そういうのに弱いのよ。
まあ俺じゃなくてもほっとけない状況だが。
俺は娘の手を引いて、火の側に座らせる。
煮付けはほとんど残っていなかったが、味噌汁を温め直してご飯と一緒に出してやると、畏まって食べ始めた。
「おいしい……、あったかいお汁、久しぶりです」
「口にあってよかった、まだ、おかわりもあるよ。おじさんたちはもうみんな食べたから」
娘は何度も頭を下げながら、ご飯を食べた。
ゆっくりと食べ終わると、娘は手を合わせて俺を拝み、
「宿願立てたる時よりものもらいありく日々、本日もお情けを持ちまして、明日を迎えることが叶います。願わくば皆様の旅路にも女神の祝福があらんことを」
口上は立派だが、言葉遣いは幼くたどたどしい。
きっとこうして必死に生きてきたんだろう。
もう一度娘は頭を下げると、荷物を担いで、出ていこうとする。
「お嬢さん、きっと志のある旅なんだろうが、その足で無理を続ければ、もういくらも行けないだろう。今夜はここで休んでいってはどうだい?」
急な提案に、娘は返す口上のストックが無かったらしい。
年相応にたどたどしく、
「あ、あの、でも……」
「おじさんの故郷では急がば回れと言ってね。その傷だらけの足で、這うように進むより、手当をして、一晩ぐっすり休養を取ったほうが、かえって早くすすめるというものだ」
「で、でも……アンフォンまで、あとすこしと聞いて」
「アンフォン?」
「セラータの柱の近くの、街です」
「それならなおのことだ。おじさんたちも、明日一番にここを出て、セラータの柱に向かうんだ。そこまで馬車で乗せていってあげよう」
と俺が言うと、娘は大慌てで首を振って、
「もしかして、柱に入るんですか?」
「そのつもりだけど」
「だ、だめです、柱に近づいては。女神様が、厄災が起こるからって」
「厄災?」
「そうです。恐ろしいことが起こるって、夢にお告げが」
「そりゃ大変だ。しかし、それなのに君は行くのかい?」
「柱には近づきません。でも、ととさまの元にかかさまをお連れしなければ……」
そう言って娘は胸元にたすき掛けにした袋を擦る。
はっと気がついた俺は、娘にこう聞いた。
「そこに君のお母さんが?」
「はい……、去年のはじめに。かかさまのご遺言で、遺髪をととさまの元に届けて欲しい……と」
「それで、一人で旅をしてきたのかい」
「そうです。だから、急いでととさまの所に」
「お父さんは、そのアンフォンの街にいるのかい?」
「そう、聞かされていました」
「じゃあ、なおさら急ぐためにも、同行させてもらえないかな。そうして用事をすませればいい」
「でも……」
そう言って話す間も、彼女の膝はかくかくと震えている。
どう考えても歩ける状態じゃないだろう。
「さあ、もう一度そこに腰掛けて。まずは足の治療をしよう」
俺がそう言うと、娘ももう立っているのが辛かったのだろう、諦めたようにその場に腰を下ろした。
薬を用意しながら、エーメスに治療を頼む。
こう言う治療は今いるメンツだとエーメスかクメトスが向いているようで、ネールだと派手な骨折をざっくりくっつけるみたいなあら治療は得意だが、潰れたマメを癒やすといった、比較的細かい治療は無理みたいだな。
レーンにレクチャーを受けていたはずだが、先日の様子からしても、まだ成果は出ていないようだ。
治療を見守っていると、少し距離をおいていたフルンがやってきた。
「ねえ、あの子、どうしたの?」
「訳あって一人で長い旅をしてるんだってさ。だから夕飯と寝床を提供させてもらったんだ」
「そっかー、またご主人様がナンパしたのかと思った」
「ははは、そういうのはまた今度な」
「そうだ、さっきのおまんじゅう、夜食にしようと残してたんだった。あの子にあげよう!」
「そりゃあいい、きっと喜ぶぞ。でも、疲れてるみたいだから早く休ませてやれよ」
「うん!」
エーメスの治療が終わると、フルンが饅頭を手にあれこれ話しかけたようだ。
例のごとくすぐに打ち解けて、色んな話をしていた。
彼女の名はメーナといい、ここから遥か西、赤の海の途切れるところからラーケン河という大河を上ると、マーサンという高原に出る。
そこで農家の下働きであった母と暮らしていたそうだ。
「ふーん、私はアルサってところから来たの。海沿いの大きな街で、お店をやってるんだよ」
「地上は全部空が青いって、ほんとう?」
「うん。魔界は全部真っ赤だよね、やっと慣れてきた!」
「魔界でも、私の住んでたところは、空がちょっとだけ見えたの。天井の上だと、空がもっと近いってかかさまが話してくれました」
「うーん、でも地上の空は、魔界の天井よりもっと遠くにあるけど、でも夏は雲がパーッと広がって、すごく近くに見えるし、逆に冬はすっごく高くなってじっと見てると広すぎて怖いぐらい!」
「凄いです。ととさまは、カルボスのお生まれで、お仕事で魔界に来てかかさまとご結婚したそうです。だから地上の話をいっぱい聞いてたから、私も見てみたくて……」
「お父さんに会いに行くんでしょ、じゃあメーナもいっぱい聞けばいいよ」
フルンがそう言うと、メーナちゃんは寂しそうに頷く。
あまり会うのが嬉しくないのかな?
別れて暮らしてたうえに、孤児になった娘をほっとくような父親なら、仕方ないかも知れんが。
それでもコミュ力抜群のフルンにかかれば、時折笑いも溢れるようになってくる。
そんな様子を暖かく見守っていると、時折目があう。
するとメーナちゃんはちょっと恥ずかしそうに微笑み返す。
かわいいなあ。
可愛い女の子を眺めながら飲む酒もうまいな。
メーナちゃんは、やはり疲労が相当溜まっていたのだろう。
しばらくすると、まぶたが重くなってきたようだ。
「あっちにお布団あるから、一緒に寝ようよ。みんないるから、安心だよ」
とフルンに手を引かれていってしまった。
「あの娘、かなり衰弱していたようです。あのまま旅を続けていたら、いつ倒れてもおかしくなかったかと」
とエーメス。
「随分と遠くから旅をしてきて、目的地まであと一息となると、気もせくんだろう。明日は早めに出発して、連れてってやろう」
「それが良いかと思います」
「となると、ぐっすり寝るためにも、もっと飲まないとな」
「それは良いのですが、もうツマミが」
「ふぬ」
見ると煮付けはもう無いし、他に食べられそうなものもないなあ。
残ってるのは味噌汁に使ったネギぐらいか。
これで焼き味噌でも作るか。
というわけで、さっと酒や砂糖と混ぜ合わせてから火で炙る。
適当に作った割にはいい匂いだ。
これをちびちび舐めながら、酒を呑むうちにいい心持ちになってきた。
俺は焚き火の前でごろりと横になると、そのまま眠りこけてしまった。
気がつくと、白いモヤのまとわりつくような感触にたゆたっていた。
ぼーっとしていれば、誰かから声がかかるかな、と思ったが、いつまで経っても誰も来ない。
ぼーっとしすぎて、いつの間にか足元の地面がなくなっていたことにも気が付かない。
そのぽっかり空いた空間を眺めていると、遠くに赤い大地が見える。
赤くて丸くて、きれいな星だ。
時折、軌道上に光の筋が見える。
流星かな?
と思ったら、次の瞬間、大きく爆ぜた。
ああして、みんな楔になったのか。
「そうです、マスター。我々の集めた叡智は、この一瞬の中で光に消え、その対価をもってして、世界を支える楔となったのです」
いつの間にか俺のそばには紅がいた。
「時が満ちれば、その役目も終わる。今また、一つの楔がその役目を終えようとしています」
「役目を?」
「彼女は、我が宿敵にして友たる騎士はすでに目覚めました。ならばその寝屋は閉じられましょう」
「うん」
「どうか、お気をつけて……」
ぐっすり眠ったせいか、まだ天井が明るくなる前に目が覚める。
見張りをしていたクメトスと一緒に出発の支度をしていると、フルンが起き出してきた。
「おはよー、ご主人様。よく眠れた?」
「おう、お前はどうだ?」
「ばっちり! でも、メーナはちょっとうなされてたみたい」
「そうか、まあ疲れすぎてると熟睡できないもんだしな」
「うん、あとやっぱり、体が弱ってると思う」
「ふむ。なにか精のつくものがあればいいんだが、こんな状況ではなあ」
「とにかく、支度を終わらせて、出発しようよ。街に付けば、お医者さんもいると思う!」
フルンの言うとおりなので、俺達はさっさと出発の支度を整える。
朝食には、パン屋のエメオが焼いたパンを食べる。
「パン酵母はないんですけど、いつぞやのふくらし粉が荷物の中にあったので、これとフライパンだけでも行けるんです」
そう言って出したのは、ナンのようにもっちりしたパンだった。
うまいが、ミルクが欲しくなるな。
リプルやパンテーのおっぱいにしゃぶりついて、ごくごくとダイレクトに飲み干したいなあ。
ほんの数日あわないだけで、従者たちのことばかり考えてるな。
やっぱあいつらがいないと俺はまったくだめだな。
試練のときに、何人かは置いていかないとだめかも、なんて考えてたけど、そりゃ無理な話だ。
何が何でも全員連れて行こう。
などと考えてる俺の横で、エメオはパンに味噌を塗りだした。
「これにその味噌って調味料があうと思うんです。塗りやすいように少しワインで溶いてみましたが、もっちりしたパンに塩気のきいた味噌の風味が……もぐ。あ、やっぱりいけますよ、これ」
俺の常識はパンと味噌の組み合わせを否定的に捉えてるのだが、まあここは異世界の、しかも魔界だ、パンに味噌ぐらいぬるさ、ってことで食ってみると、なかなか美味かった。
酸味の効いたワインで流し込むと、悪くない。
そんな和洋折衷な朝食を食っていると、メーナちゃんが起き出してきた。
見るからに疲れてそうだ。
「おはよう、メーナちゃん」
「おはようございます、お世話になってるのに、何のお手伝いもせずに……」
「客人をもてなすのはホストの役目ってね。具合はどうだい? 朝食はできてるが、食欲はあるかい?」
「では、少しだけ……」
パンを手渡してやると、ちょっと恥ずかしそうに受け取る。
メーナちゃんは時間をかけて、わずかばかりのパンを食べた。
そうして支度が終わる頃には、あたりも明るくなっていた。
出発の時間だ。
天井には慣れてきたが、遠くに見える巨大な柱の存在感は、また別格だな。
まとわりついた雲が赤く照らされて、なんとも言えない不気味な感じだ。
そういや天井の下にも雲はできるんだな。
三百メートル程度の低山でも雲に覆われたりするので、場所によっては二、三キロは高さのある天井の下にできててもおかしくないか。
雨も降るんだろうか?
まだ一度も雨に降られたことはないが、降らないと作物も育たないよな。
このあたりは海から少し離れたせいか、それなりに田畑が並ぶが、荒れた未開拓の土地も多い。
「塩害があるとかいうとったな、一山超えると田んぼも多いんじゃが、このあたりは、どこも貧しい村が多かったはずじゃ」
とパロン。
「お前の住んでた村はどこなんだ?」
「こっちとは方角が違うのう。懐かしくはあるが、機会があればまた知り合いにも会えるじゃろ」
余裕があれば、寄り道してやってもいいんだが、今回はそうも行かないよな。
なにより旅の幼女を目的地まで運んでやらんといかんのだ。
こう言うときぐらい、やる気を見せんでどうするというのか。
そのメーナちゃんは、さっきまで頑張って起きていたようだが、いつの間にかキャビンで横になっていた。
フルンとシルビー、そしてスィーダが交代で様子を見てくれているようだ。
昼前。
大きな十字路で街道が混み合っていた。
あちこちから集まった荷車や乗合馬車で停滞しているのだ。
やはり例の柱に向かっているらしい。
メーナちゃんの話では、柱は危ないらしい。
知らないとは言え、そもそもわけのわからん所に大挙して乗り込むなんて魔界の連中も欲の皮が突っ張ってるなあ。
知識欲の皮が突っ張ってるうちの学者先生も、今頃鼻息を荒くして、柱に向かっている頃だろう。
エンテルには悪いが、ほんとに危ないようだと、調査はさせてやれんな。
どうにか混み合った所を抜けたときには、すでにお昼を過ぎていた。
今から昼飯の支度も面倒だと思っていたら、ちょうど手頃な食い物屋があった。
留守番はクロックロンにまかせて、みんなで店に入る。
店内は賑わっていたが、どうにか隅っこの席を見つけて昼食にありつけた。
「こんなことまでしてもらって、本当に、なんとお礼を……」
と恐縮するメーナちゃんに、
「困ったときはお互い様さ。だからメーナちゃんもしっかり食べて立派なおとなになったら、困ってる子にメシの一杯ぐらいおごってやれるといいな」
などと偉そうなことを言う。
「はい」
と弱々しく笑って頷く。
うーん、早くちゃんとした医者に見せてやりたい。
「それで、アンファンの街まで行けばいいんだね」
「はい」
「さっきの停滞で時間を食っちゃったけど、どうにか今日中につけるといいんだが」
「すみません、私のために、無理してるんじゃ……」
「なに、おじさんたちもそこで待ち合わせててね」
アンファンの街はセラータの柱から数キロの所にある、そこそこ大きな街で、どうやら柱の探索拠点もその街らしい。
エレン達ともその街で落ち合うことにしている。
少しペースを上げれば、日が暮れる前につけるはずだ。
うまく行けば、今日中にメーナちゃんを父親のところまで連れていけるだろう。
だが、疲れからかメーナちゃんの表情は暗い。
やはり、あまり父親に会いたくないのだろうか。
あるいは……、と、ある考えに思い至ったが、俺は頭を振ってその考えを飲み込んだ。
賑やかな街道を進むと、思いの外順調に街に近づいてきた。
噂以上の人の群れで、それほど大きいとはいえない町の外まで、人や馬車が溢れていた。
こりゃあ、宿をとるのも一苦労だな。
アンファンの入口では、馬車の規制をしていて、徒歩でしか入れなかった。
馬車を内なる館に取り込み、俺達はメーナちゃんを連れて、街に入る。
メーナちゃんは懐の守り袋から、住所を書いた紙を取り出す。
それを元に訪ね歩いてたどり着いたのは、小さな神殿だった。
出迎えた神官に、メーナちゃんが自ら来訪の意を告げると、神官は頷いておくに案内する。
通されたのは、こじんまりとして古びた、墓地だった。
「ここが、お父様のお墓です」
という神官の言葉に礼を述べると、メーナちゃんは墓前にぬかずいて、淡々と話しかけた。
「ととさま、かかさまをお連れいたしました。かかさま、随分とおまたせして、申し訳ありませんでした。これからは、ととさまと、いつまでも一緒に、どうか……」
あとは言葉にならず、懐から小さな包みを取り出して、墓前に供えた。
ああ、やっぱり、そうだったのか。
この子も、両親を失っていたのだ。
この小さな体に、あの時の俺と同じ、あんな悲しみを抱え込んでいたのか……。
一心に祈りを捧げる小さな背中を見ながら、俺は曖昧な記憶を呼び起こされていた。
あの時、ばあちゃんはどんな気持ちで俺のそばに居てくれたんだろうな。
この子の側に、俺の時のように誰かがいてやるべきではなかったのか。
誰もいないなら、俺がいてやらなきゃ、だめなんじゃないのか。
いつも、従者に関しては受け身に徹していたが、この子とここで別れるなんて、できるわけ無いだろうに。
そういう感情が次々と溢れてくるが、それをどうにか抑えられたのは、年の功なのだろうか。
気がつけば、フルンやスィーダはポロポロと泣いているし、エメオも嗚咽をこらえていた。
メーナの母の遺髪を墓に収めて、神官の長い祈祷がつづく。
父親は、役人としてカルボスのダンジョンを行き交う商人を相手にしていたらしいが、魔界側に赴任していたときに、メーナの母と出会い、結ばれたそうだ。
魔界と交流の深いところでは、そうしたことも珍しくはないが、それほど自由が効くわけでもない。
アンファンの街に居を構え、暮らすうちにメーナも生まれたそうだ。
数年のうちは幸福だったのだろうが、荷馬車の事故で父がなくなり、母親は娘を連れて故郷に引き上げたそうだ。
そこで母もなくし、こうして天涯孤独の身で、父の墓を尋ねてきたという。
「お陰様を持ちまして、我が本願を叶えることができました。旅の最後に、このようなお情けを受けることができたのも、女神様のお導きでしょう。皆様の旅の無事をお祈り申し上げます」
そう言って深々と頭を下げるメーナちゃん。
「それで、これからどうするんだい?」
「もうしばらく、ここで過ごしたら、国に帰ろうかとおもいます」
「そうか」
故郷に身寄りはいないが、他に行く場所があるわけでもない。
だったら、俺と一緒に来るかい、と言いかけて、言葉が出ない。
いつものようにナンパできないのは、彼女の不幸がおもすぎるからか、相性がわからないからか。
あとから考えると、両親を失った幼い彼女に自分を重ねてしまい、うまく受け止められていなかったのだろう。
我ながら、情けない話だ。
そんなことで多くの従者を受け入れていけるつもりだったのだろうか。
ほんと俺はあいつらがいないとだめだな。
魔界に来て、つくづく従者たちのありがたみを噛み締めてるよ。
だったら、ためらってる場合じゃないよな。
いつものように、爽やかに誘うとしよう。
「メーナちゃん、もし他に当てがないのなら、おじさんのところに来るかい?」
「え?」
とメーナはキョトンとした顔で俺を見て、
「それは、フルンちゃんみたいな従者になれってことですか?」
「うーん、相性が良ければそれもいいけど、あわないかもしれないし、それはまだわからないな。ただおじさんもね、天涯孤独の身で流れ着いた土地で、たまたま出会った人が従者や友人になってくれて、どうにか一人前に店を構えて家族を養えるようになったんだ。だから君とここでたまたまで会ったことも、もしかしたら意味があるのかもしれないなあ、と思ってね」
「意味?」
「そうさ、それはおじさんにとってだけじゃなく、君にとってもそうかもしれない」
「でも、私……」
「地上に行くのは怖いかい?」
「ううん、行ってみたい、ですけど……ご迷惑じゃ」
「客人としてくるのが嫌なら、女中として働いてくれてもいい」
「そ、それなら……」
「じゃあ、決まりでいいかな」
「はい、お願いします」
そう応えたメーナちゃんは、初めて心から笑ってくれたように見えた。
「ありがとう、じゃあ、これからよろしくな」
と言って彼女を手を握ると、ふんわりと赤く光った。
「あ……」
と同時に声を出す俺とメーナちゃん。
なんだよ、ちゃんと相性もいいんじゃないか。
「はは、相性も良さそうだな」
「あの、わたし……」
と顔を真赤にしてもじもじとうつむくメーナは見かけ以上におませな感じだ。
このまま勢いで契約を……と思ったら、
「ま、魔族のハーフでも、け、契約……してもらえるんですか?」
「ハーフだろうが、魔族だろうが、おじさんはなんでもOKさ」
「良かった、私……」
とそこで張り詰めていたものが切れたのか、またふらりと倒れかける。
それをがっつりと抱き支えると、より赤く光りだした。
「契約してもいいかな?」
「おねがい、します」
俺はいつものように指を割いて、メーナに血を飲ませた。
ふわりと全身が輝くと、すぐに収まり、それで契約完了だ。
「やったー、よかったね、メーナ!」
とフルンが駆け寄ってメーナの手をとる。
「おいおい、メーナは疲れてるんだ、あんまり激しくしてやるなよ」
「うん、でも良かった! あのね、ご主人様と一緒にいると、絶対幸せになるから、それだけは安心していいと思う!」
などと言ってメーナを励ます。
どんな励まし方だよ。
だが何にせよ、これでよかったんじゃないかなあ、と思う。
結局俺がするべきことって、これだけだよなあ。
いつもあれこれ悩み過ぎだよ。
わかっちゃいるんだけどね。
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