第245話 検問
翌日、再び俺たちは馬車に揺られていた。
米や味噌は手に入らなかったが、この先にも集落はあるし、目的地のセラータの柱には大きな街があるらしい。
そこまで行けば、まとまったものが入手できるのではないかということだ。
俄然やる気が出てきた俺は、意気揚々と旅路を急ぐ。
急ぐと言っても、馬車を引くクロックロンはマイペースだし、そもそもこの幌馬車は結構でかいので、そんなに飛ばせないのだった。
馬車自体はカプルが手を入れていたらしく、乗り心地も前より上がっている。
心配事がないわけでもないが、俺もまあ、のんきな性格なので、こう言うときはのんびり旅路を楽しむのだ。
レラ村を出てゆるい上り坂をしばらく行くと、突然視界がひらける。
目の前は一面の真っ赤な海だ。
なるほど、これが赤の海か、そのまんまだな。
御者台にはクメトスとスィーダが並んで座り、上の見張り台には、フルンとシルビーが仲良く上がっている。
エメオはパロンに付き合って、内なる館に入ったままだ。
竜の騎士ラケーラはクロックロンを連れて偵察と称して朝から出ているが、他のクロックロンの話では、森のなかで遊んでるらしい。
護衛じゃなかったんだろうか?
まあ、いいんだけど。
で、俺はネールに膝枕をしてもらいながら、エーメスに足やら腰をマッサージしてもらいつつ、キャビンに寝転んでほっぺたを太ももに擦り付けたりして遊んでいる。
平和だねえ。
そうしてゴロゴロしていると、クメトスとスィーダの会話が聞こえてきた。
「ねえ、師匠」
「なんでしょう、スィーダ」
「師匠は、戦うのって怖くないの?」
「急にどうしたのです?」
「うん、なんか夕べ眠れなくて」
「昨日の戦いのせいですか?」
「たぶん。あんな骸骨みたいな、わけのわからないのや、黒い怪物とかもいて、ギアントとかでもすごく怖いのに、あんなのと戦うのって、思い出すだけでも怖くて、どうやったら平気でいられるんだろうって」
「……そうですね、昨日の敵は、この世界で考えうるもっとも恐ろしい敵の一つであったと思いますが、それでも実際に剣を交える可能性というのは、この先も有るでしょう。そして当然、それは常に極度の緊張と死の恐怖をはらむものです」
「怖いのに戦えるの? 手が震えたりしない?」
「なんというか……正確ではないかもしれませんが、恐怖という感情は、慣れるものです」
「慣れると、怖くなくなるの?」
「怖くなくなるというより、怖いという感情を伴ったままでも、体が動くようになるのです」
「私でも、そうなるかな?」
「それは、わかりません」
「そっか……」
クメトスが嘘でもいいからできると言ってやれば、スィーダも安心するだろうに。
あるいはクメトスは、剣を置かせようと考えているのかもしれない。
スィーダも、冒険者を目指した原因である従姉に仲間がいると知って、一時期のがむしゃらさというか、無謀さが消えたような気がする。
それでも、やめると言わないのは、短いながらもクメトスに師事したことで芽生えた、師弟としての関係が、新たなモチベーションになっているからではないだろうか。
要するに、クメトスの弟子として教えを請うことが目的になっているとでも言うか。
クメトスは一流の武人であり、多少偏屈ではあるが、筋の通った高潔な貴族だ。
しかもスィーダの故郷の領主でもある。
子供の頃は、そうした立派な人物のそばにいるだけでも誇らしいだろう。
だが、それだけの理由で剣を学び、命をかけるというのは、いささか釣り合いが取れていないかもしれない。
クメトスも、それを感じているからこそ、スィーダの扱いに戸惑っているような気もする。
でも、はっきりやめろとは言えないんだろうな。
やっぱり、可愛い弟子を手放したくはないのだろうか。
「それでも……」
クメトスは熟考の末に、言葉を続ける。
「私は騎士ですから、誰かを守るために、槍を振るうのです」
「守る?」
「かつてはエッサ湖に暮らす人々を、今ではご主人様や、仲間の従者達を。それに……」
「それに?」
「あなたが一人前になるまでは、あなたのことも守りますよ、スィーダ」
「うん、ありがとう師匠」
はにかみながら、スィーダは頭をかく。
クメトスらしい、精一杯の回答だなあ。
などと、ぼんやり考えているうちに、俺はまどろんでいたようだ。
「何かあるよ!」
というフルンの声に驚いて飛び起きたら、いつの間にか俺の腹の上に乗っていたクロックロンに頭をぶつけてしまった。
「オウ、頭突キ!」
「いてぇ、大丈夫か、クロックロン」
「マアナ、ボスハドウダ?」
「俺は痛いよ。それよりも何事だ?」
御者台にいたクメトスが答える。
「どうやら、検問のようです」
「検問?」
「面倒なことにならぬように、皆を内なる館にしまっておいたほうが良いのでは?」
というわけで、クメトスと俺、それに馬車を引くクロックロンを残して、全員を中にしまいこんだ。
俺はちょっと間の抜けた商人みたいなふりをして、つまりおっぱいのことばかり考えてる時の顔で、検問に臨んだ。
検問所というほど大仰なものではないが、魔族の兵士らしき連中が、通行人や馬車を止めて、荷を改めたりしているようだ。
やがて、俺達の番が回ってきた。
「商人か、どこに向かう?」
そう話しかけたのは、立派な口髭の中年憲兵だった。
魔族らしい褐色の肌に、横に広い顔立ちだ。
「これから地上に仕入れに戻ろうと思ってましてね」
「何の商いだ?」
「薬ですよ、ペンドルヒンといえば、ご存知でしょう」
「地上の薬売りと言えば、緑の帽子と相場が決まっているが、お前は違うようだな」
「そいつはうちの親方の方でして。親方は今、でかい商談でこの先で踏ん張ってましてね、私は大急ぎでカルボスに向かってるんですよ。あっとこいつは手形です」
カーネから受け取っていた手形を、もったいぶって懐から取り出す。
髭の憲兵はいぶかしそうに書類を見、ついで空っぽのキャビンや馬車の底を確認する。
「荷がないな」
「だから困ってるんですよ、仕入れをミスっちまって」
「ふむ、怪しい物はないな。ところで、その四角いのは何だ?」
憲兵は馬を引くクロックロンを指差す。
幸い、ガーディアンだとはわからなかったようだが、気にはなるだろうな。
「最近、地上で流行ってる人形でしてね、簡単な荷運びもできるすぐれもんですよ」
「そんなものがあるのか、まあいい」
そう言って、髭男は急にモゴモゴと口ごもる。
はてなんだろうと少し悩んでから、賄賂の催促かと気がつく。
緑のお姉さんカーネに色々教わっていたので、事前にくるんでおいた、手持ちの精霊石を手渡す。
こちらの現金といえば、昨日村で売った薬の代金ぐらいで、もしものためにとっておきたい。
かと言って、金貨だと袖の下には高額すぎるので、精霊石の現物贈与となったわけだ。
憲兵は包を確認すると、満足して俺たちを通した。
通り際に、吐き捨てるようにこう言った。
「この先の柱で、あちこちの軍隊が兵を展開しておる。万が一ということもあるから、海岸沿いに迂回していくんだな」
とのことだった。
だが、俺達の目的地はそこなんだよな。
ホントは迂回してさっさと帰りたいんだけど。
距離を取ってから、クメトスがくすりと笑う。
「どうした?」
「いえ、ご主人様はなかなかの役者だな、と思いまして」
「そうかな」
「私では、あのようにアドリブで返答ができません。どうしても、騎士としての地が出てしまいます。さぞいろんな経験をなさってきたのでしょう」
「そうでもないと思うが、どうかな?」
なんだろうな、漫画や映画でいろんなシチュエーションを見慣れているからかな?
そういえば、こっちの世界に来てから、映画みたいにリアルなフィクションってのは見たこと無いし、そうなるとこの世界の人間は自分の振る舞いは自分の経験からしか、学ぶことができないってことだよなあ。
「ところで、ラケーラ殿やクロックロンたちは、無事に検問を突破できたのでしょうか?」
「あいつらなら、森のなかでもなんでも隠れてやり過ごせるだろう」
と俺が言うと、馬車を引くクロックロンが、
「オウ、今ハ森ノナカデ隠レンボシテルゾ、百三十二号曰ク、完璧ニ隠レスギテ、見ツカリヨウガナイト豪語シテルナ、探シニ行クカ?」
「せっかく隠れたんだ、そっとしといてやれ。それより、ラケーラはどうしてる?」
「サッキマデ狩リヲシテタナ。モウ戻ルンジャナイカ?」
言葉通り、森に分け入る小さな小道から、ラケーラとクロックロンが数体出てきた。
クロックロンの背中には、大きな猪が積まれていた。
「よう、遅いと思ったら随分とまた大物だな」
「ちと川で血抜きをしておったのでな。旨い酒を馳走になったからには、これぐらいはせぬとな」
「そりゃあ、楽しみだ」
「それにしても、久しぶりの狩りは良い。あいにくと弓がないので手こずったが、魔法も使わず、槍一本で追い詰めるのは、心が躍るな。こういうことは記憶がなくとも体が覚えているようだ」
と言うラケーラの言葉に頷いてクメトスが答える。
「そうですね、狩りは騎士の本分を思い出させます。次は私もご一緒したいですね」
「それはよい。明日もまた森を抜けるはずだ。その時にでも」
「ええ、ぜひとも」
クメトスはこの竜の騎士を気に入っているようだな。
仲のいいのは結構なこった。
そういや、エメオとパロンは、中で仲良くやってるかな?
「ところで、他の面子はどうしたのだ?」
とラケーラ。
「さっき検問があったもんでね、面倒なことにならないように、内なる館にしまっといたんだよ」
「ふむ、連れのエメオと言う娘、料理が巧みであっただろう。あれにさばいてもらおうと思ったが、任せて構わぬだろうか。私はこの先のやり方がわからんでな。クメトス殿はどうだ?」
「いえ、私もそちらの方はあまり……」
じゃあ、猪を持って中に入るか。
クロックロンに担がせたまま中に入ると、たまたま近くにいた妖精がぴゃーっと飛び跳ねる。
「死体だー、死体きたー」
「いくさだー、またいくさがはじまったー」
「パローン、じゃなかった、女王様ー、いくさだよー」
とピュンピュン飛んでいく。
「なんじゃい、騒々しい。ってどないしたんじゃ、われ」
とパロンが入れ違いにやってきた。
「いや、猪を手に入れたんで、エメオちゃんにさばいてもらおうかと」
「検問とやらは終わったんかい」
「そっちはな。それより彼女は?」
「向こうで小麦をふるっとるぞ、荷物の中に小麦があったそうじゃ」
「そうだったか」
いくさだと騒ぐ妖精達を鎮めつつ、クロックロンに頼んで、猪を運んでもらう。
妖精たちは興味本位で近づいてくるが、パロンが追い払ってしまった。
「おーい、エメオちゃん、ちょっとこいつを料理してくれよ」
といって、エメオの前まで猪を運んでいくと、ひゃあっ、と言って腰を抜かす。
「そ、そんなでっかいの、む、無理です!」
「えっ、だめ?」
「豚……ですか、それ」
「猪だよ」
「そんなでかいの、さばいたことないです。鳥ぐらいなら〆たことありますけど、四足の動物ってさばいたことないですし、街でも塩漬け肉ぐらいしかなかったし」
「そうか、困ったな」
料理人なら誰でもさばけるもんだろうという認識は甘かったか。
なんせパン屋だもんな。
もちろんパロンもだめで、他に捌けるものはいないようだった。
こんな時モアノアがいれば、ちょちょいと捌いてくれるのに。
もしかしたらフルンはどうかと思ったが、どうやら妖精達と遊び呆けているらしい。
シルビーが妖精と戯れてるところなんかは絵になりそうだと思ったが、冷やかすのはまた今度にしよう。
今は猪をさばかねば。
「しょうがないな、じゃあ俺が適当にやってみるか」
結局、猪と一緒に外に出た。
「エメオは料理できなかったのですか」
とクメトス。
「そうなんだ、まあ肉なんて焼けば食えるんだからどうにかなるだろ。適当に切り分けて、焼いて食っちまおう。余った分は氷漬けにしとけばいいだろ」
「確かに、何事も経験でしょう」
というわけで、俺達は木陰に馬車を止めて、猪の解体ショーを始めることにした。
改めて見ると、でかい。
俺一人じゃ、動かすこともままならない。
ラケーラが内蔵を抜いて血抜きをしてくれていたので、後はたぶん、分解すればどうにかなるはずだ。
「最初はどうするんだ?」
と俺が聞くと、ラケーラが、
「ここまでは以前導師殿と狩りをした時に教わったのでわかるが、その時は残りの作業を近くの村に任せてしまってな。さばいたあとの肉を分けてもらっただけなのだ。こんなことならちゃんとやっておけばよかったが、如何せん、昔のことをほとんど覚えておらぬのでなあ」
「そう言ってたな」
長い眠りから覚める時に、記憶が失われた、とかなんとか。
「しかし、記憶が無いと、何かと大変だろう」
「日常に支障はないぞ。いや、獲物もさばけぬのでは、支障があるな、ははは」
笑い事じゃないと思うが、豪胆だなあ。
「とにかく、もう少し小さくせねば焼くこともできぬな」
とラケーラ。
「たぶん、皮をむくんじゃないかな」
俺がそう言うと、クメトスが、
「手足をばらしたほうが、さばきやすいのでは?」
「ばらすってどうするんだ? やっぱ骨を取り外すのかな?」
「叩き切ればよいでしょう、どれ」
とクメトスが剣を抜く。
「ご主人様は、その足先を抑えておいてください」
「お、おう」
と答えると同時に、クメトスが猪の足を骨ごと断った。
見事な切れ味で、足は四本とも分離したが、たぶんこんなやり方はしないだろうなあ。
その後、紐で木に首から吊るして、手頃なサイズに輪切りにする。
巻藁の試し切りじゃないんだから、もうちょっとマシなやり方はないんだろうか。
それにしても、血抜きしてあっても結構血が滴るものだな。
日本にいた頃の俺だと、卒倒してるかもしれない。
まあ最終的に、焼けるサイズになったので良しとしよう。
転がっていた石でかまどを作り、火をおこして、網を載せる。
この網が古いものだったのか、微妙に錆びててあれなんだけど、まあいいや、焼けば消毒されるだろう。
骨どころか皮までついた肉の塊に適当に塩を降ってそのまま火で炙る。
火が通ると、だんだんいい匂いがしてきた。
いや、なんか毛が焼けて臭いぞ。
「そういえば、豚も毛は毟っていたような……」
とクメトス。
「皮ごと切り落とすか」
「それが良いでしょう」
皮を脂肪ごとごっそりと切り落として再度チャレンジする。
今度はいい感じだ。
直火なので表面は焦げているが、焦げごとそいで、フライパンに取るとまだ肉汁が赤い。
「もうちょっと焼くか」
と今度はワインをぶっかけてフランベだ、と思ったが、なんかうまく火がつかない。
なかなか難しいもんだな。
それでも火が通ったので、味見してみると、ちょっとワイン臭いがしっかり焼けてる。
「なんか行けそうだな、みんなを呼んできて、飯にしよう」
全員揃って、少し遅めの昼飯となった。
献立は肉だ。
肉とワイン。
ワイルドだな。
男の料理ってやつだろう。
日本にいた頃は、もうちょっとちゃんと御飯と味噌汁をつくったりしてたのに、メイドさんにちやほやされてるうちにこんなに雑になってたのか。
はー、早く家に帰って、モアノアの手料理が食べたい。
とかなんとか言いつつ、肉ばっかり食べまくった。
砕けた骨とかが混じってたけど、気にしない。
そういえば、山登りしてた時はもっと雑なもの食ってたしな。
さばくのは嫌がっていたエメオちゃんも、食べる方は文句も言わずにガッツリ食べていた。
わりと体格いいし、食べる方なんだろう。
一番少食なのはシルビーで、骨を掴んでかぶりつくフルンの隣で、ナイフで小さく切り分けながら口に運んでいた。
さすがは名家のお姫様って感じだ。
「どうだ、フルン。いけるか?」
「うん、おいしい! でもちょっと生臭いとこある」
「焼きが足りないんじゃないか?」
「うーんよくわかんないけど、前にモアノアが、内臓のところは丁寧に切り分けないとくさみが移るとか言ってた」
「そうかあ、まあ適当に切り刻んだだけだからな。ちゃんとした肉料理は、家に帰るまでお預けだな」
「うん!」
ついでシルビーにも口にあうかと尋ねると、
「騎士は狩りの獲物を捌いて晩餐にすると聞いていましたが、こんな感じなのかと思いながら食べていました」
「まあ、ここまで雑な料理をするところはめったにないと思うけど……」
とそこで声を潜めて、
「クメトスには内緒だが、白象の狩りの晩餐は、だいぶ気まずいあれだったから、案外こんなものかも知れんぞ」
「ふふ、それはそれで、興味深いですね」
と言って笑うシルビー。
結局、うまいかどうかは教えてくれなかった。
大人だなあ。
肉をがっつり腹に詰め込んで、残りはネールの魔法でガチガチに凍らせ、内なる館にしまっておいた。
さて、もう少し先に進んでおくか。
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