第209話 ゲート

「判子ならさっきお使いに出したわよ」


 お隣のルチアは忙しそうな顔でそう言った。

 遠からず必要になるだろう、ということで、判子ちゃんにゲートのことを聞きたいのだが、なかなか捕まらない。

 居ると聞いて訪問してみても、今みたいにちょうど買い物に出かけたところだったりする。

 たぶん、俺の来訪を見越して姿を隠しているのだろう。

 いつも見張っているというしな。

 それに関しては半分諦めていたので、次善の策として、同じ異世界人にして近所で本屋を営むネトックに相談してみた。


「情報は依頼の成果と引き換えと言ったでしょ」


 とネトックはけんもほろろだが、俺も簡単には諦めない。


「うん、だから依頼された君の舟の調査は、順調に進んでるという報告を今したじゃないか」

「単に地下世界への入国許可を得たという段階でしょう」

「偉大なる成果の大いなる一歩と言うものは、そこだけ切り取れば得てしてちっぽけなものなのだよ」

「そのチープなレトリックで、情報が引き出せると思ったのですか?」

「思わないんだけど、俺の誠実さが君の心をうつこともあるんじゃないかと思ってな」

「こんな古めかしい媒体に書かれた文章でさえ、もう少し誠実な言葉が綴られていますよ、まったく」


 と言って、彼女は自分の商品である本を指差して、ため息をつく。

 どうやら、俺の巧妙な駆け引きに応じる様子はこれっぽっちもないネトックだが、以前よりも疲れてるように見えるな。


「具合でも悪いのか?」

「良くはないですね、舟がないので恒常性の維持に問題が出てきているようです」

「というと?」

「この肉体のメンテナンスが滞っているということです」

「つまり病気なんじゃないのか?」

「そうかもしれません。生身での生活に慣れたとはいい難いですし」

「だったら、治療しろよ」

「それをする舟が無いと言っているのではありませんか」

「君の体は、なにか特殊な治療が必要な物なのか? 俺達と同じに見えるが」

「遺伝レベルでは同じだと思いますよ、おそらくは同じリリーサーの蒔いた系統なのでしょう」

「じゃあ、同じように治療できるんじゃ?」

「……おおっ!」


 とポンと手を打つ。


「つまりそれは、医者に掛かるということですか」

「もしかして、そういう発想がなかったのか?」

「おほん。なんせ、医者にかかったことなど主観時間を確立してこの数百年、一度もなかったものですから、医者の存在は知っていても、自分がそれにかかるとは思いもしませんでした」

「とりあえず、うちに僧侶がいるから、診てもらえよ。万が一、人と違うことがあっても、うちのもんなら問題になることがないし」

「むう、然しそれでは借りができてしまうではありませんか」

「別にそれぐらいは、ご近所のよしみでかまわんが、お礼に情報をくれるというなら拒まんぞ?」

「……ウソを付くのは心外ですので、事前にお答えしておきますが、あなたがゲートを通るとどうなるかについては、私には判断できません。舟があればリンクをトレースすることも出来たかもしれませんが」

「そうか、まあしょうがない。とりあえず診させよう」


 家からレーンと紅を呼び、診てもらう。

 簡単な診察の後に、レーンが言うには、


「ただの不摂生ですね。贅沢病というやつでしょう。少し野菜などを多めにとって運動すれば良くなると思いますよ」


 紅も続けて、


「若干、肝機能に影響が見られます。レーンの言うとおり、摂生と運動が必要かと思われます。アルコールを控えるところから、はじめて見ては?」


 とのことだ。


「たしかに、ちょっと最近食べ過ぎかもしれません」

「この時期は、魚もうまいしなあ」

「そうなんですよ。明らかに必要以上のエネルギーを摂取していると思うのですが、どうにも耐え難い刺激で……」


 そういえば、実体の欲求に負けて逃げてきたようなことを言ってたよな。

 まあ、大したことがなくてよかった。


「じゃあ、代わりにゲートの仕組みでも話そうかしら」


 レーンが用意した薬をしかめっ面で飲み干してから、ネトックは話し始めた。


「あくまで私の認識している知識であるという前提で聞いてください。我々といえども、シーサの検閲の元でしか知識をもてませんので、それが完全な世界構造の描像であるとは限りません」

「ふむ」

「ゲート、この星にあるのはショートゲートですけど、この宇宙は異なる物理系である宇宙、例えば私の所属する宇宙とも繋がっているわけです。その連なりは無数の枝のように遥か無限に広がることから、木に例えてファーツリーと呼んでいますね。その繋ながっている枝の先端部分がゲートだと思ってください。概念的な話ですけど」

「ほう」

「一つの宇宙は、無数の接続箇所があって、そこを通じて上位次元と行き来できる……と言うと語弊がありますね、肉体は物質ですから、そのままでは上位次元、つまり宇宙の外では存在できません。物質や時空と言った状態は閉じた宇宙という系の中でしか成り立ちません。それと等価な情報だけが行き来できるのですが、その情報だけが存在する次元をインフォミナルプレーンといいます」

「ふぬ」

「そこから無数のゲートを通じて情報を物質世界、こちらはマテリアルプレーンといいますが、そことやり取りしているわけです」

「ふむふむ」

「これがゲートの全てです。別に移動手段ではないのです」

「そうなのか」

「ですから、ゲートに入ると、一度情報体に変換されて上位次元に上がり、出る時は再び元の場所に元通りに再現されるわけなのですが、その時に細工をすれば別のゲートで再構成されるというわけです。具体的にはゲートのアドレスで物質情報をタグ付けするのです」

「ははあ」

「ですから、あなたがゲートに入って、元の世界に戻ったということは、何らかの細工があったか、そこが本来最初に入ったゲートであったからそこに出たのではないかと考えられます」

「そういやゲートってのは、その場所の記憶を持つものを持って入ると、そこに出るらしいな」

「記憶という言い回しはどうかと思いますが、タグの作用を結果だけから見ればそうともいえます。ですから、あなたがゲートを通じてこの世界に来た旅行者であれば、何の細工もなしにゲートに入れば元の世界の戻るのは必然なのですが……」

「うん?」

「あなたは放浪者なのでしょう。この世界に来るときに、ゲートは使わなかったのでは?」

「ああ、そういや、急に意識を失って気がついたらここにいたんだ」

「なるほど。私の推測では放浪者とは自身がゲートそのものではないかと思うのですが、あなたを見る限りゲート特有のフォス波も検知できませんし……」

「フォス波って聞いたことあるな」

「時間方向に伝播する波です。電磁波や重力波と同じですよ。ゲートの外には空間だけでなく、時間もありません。その時間の流れに穴を開けるようなものですから、歪みから重力波だけでなくフォス波も発生するのです」

「ははあ、よくわからんな」


 こっちに来たのって、最初は判子ちゃんの注射が原因かと思ったりもしたが、やはり俺自身の能力なんだろうなあ。

 それならそれで、もっと色々行き来できても良さそうな気もするが。

 他の放浪者ってのはどうなんだろうな。

 もっと頻繁にあちこち飛ばされるもんなんだろうか。

 そもそも、紳士と放浪者ってのは別物だったのかな。

 紳士はそこそこいるっぽいけど、放浪者にはあったことないもんな。


「そのレクチャーはまたの機会にしましょう。それよりも、ゲートを通じて再びここに戻ってきたそうですね」

「ああ」

「その時のゲートは、やはり小さいものだったと」

「うん、こっちにあるのと同じやつだな」

「それもおかしいですね。世界間を移動するゲートは、最低でも数キロ、場合によっては惑星サイズのものになります」

「そんなにか」

「この世界で言えば、空に浮かぶソプアルの門というのがそれですね。あれはすでに相が変わり、物質の転送は不可能ですが」

「あの白い星か」

「そうです。おそらく、この世界の女神という連中は、あそこを通じてやってきたのでしょうね」

「なるほど」

「考えられるのは、あなたはこの宇宙の別の星の出身で、案外距離が近くてショートゲートでやってこられるような場所、例えば数光年と言った距離に住んでいたという可能性があります」

「ほほう、そうなのか?」

「しかし、私の調査では、この星の近傍に知性体が住んでいる痕跡はないようでした」

「まあしかし、宇宙に出るのも難しいぐらいの野蛮人だからな」

「なんですか、野蛮人呼ばわりされたことを根に持ってるんですか?」

「根に持たれるようなことを言っているという自覚はあったんだ」

「シーサの連中はよく我々を野蛮人扱いしておりましたので、つい」

「あー、君らでもそういう格差はあるんだ」

「おおありですよ。まあとにかく、その件に関しては謝罪しておきましょう」

「いやまあ、別に気にしてるわけじゃないけどな」

「いずれにせよ……歌で踊り、舞台に涙するような文化はあったのでしょう。であれば、ファーツリーの枝は伸びているはずですから」

「ファーツリーの枝?」

「……そこはまた、次の機会にしましょう」


 ゲートとやらの仕組みを少しだけ教えてもらったものの、ゲートを使っていいのかどうかという肝心な情報は得られなかった。

 諦めて家に戻ると、アンが慌てて駆け寄ってきた。


「よかった、今呼びに行こうと思っていたところなんです」

「どうした?」

「なんでも、奥様の遠縁に当たる方が亡くなられたとかで、今からお通夜に」

「そりゃ大変だ。で、フューエルは?」

「屋敷の方にご支度に戻られるところです。ご主人様も急いでお支度を」

「ふむ、わかった」


 一応、この世界での冠婚葬祭のやり方はテナから教わっているが、葬式なんて取引先のお偉いさんが亡くなった時以来だな。

 そこに慌てた顔のフューエルがやってくる。


「あなた、急な話ですが、今日のうちに向こうに着くようにしないと」

「そりゃいいんだが、誰が亡くなったんだ?」

「サアバアナ卿と言って、上の母方の叔父の妻の祖父にあたります」

「ややこしいな、というか、そのレベルの親戚の葬式に毎回出てたら、大変じゃないのか?」

「普通は出ませんよ。先々代の宰相を務めた大物なので」

「ああ、そういうのね。で、遠いのか?」

「はい。そうだ、ポンダーロに行くにはゲートを使わなければならないのでした。その後、ゲートのことはわかったのですか?」

「いや、それがまだ」

「困りましたね。親戚筋ではあなたの顔を見ようと手ぐすね引いて待っているはずですし」

「困るな」

「では、急病ということで」

「それでいいのか?」

「一度ぐらいなら……ですけど」

「うーん、まあなんだ、悩んでもしょうがあるまい。行ってみるか」

「大丈夫ですか?」

「わからん」

「またそんな、いい加減な」

「本当にやばいことなら、判子ちゃんが止めに来る気がするしな」

「勝手に期待されても困りますよ!」


 突然の声に振り返ると、うちの中に判子ちゃんが立っていた。

 どこから入ったんだろう、などと野暮なことは聞かない。


「やあ、判子ちゃん。ちょうど君の顔が見たかったところだよ」

「人を都合のいい女みたいに扱わないでいただきたいですね」

「それで、どうなんだ?」

「上位層へのリンクは遮断しています。大丈夫……と言いたいところですが」

「ですが?」

「何者かがリンクを強引につなごうとしているようですね。この世界の人間が独力でライズしようと言うのであれば、私が妨害することはないのですが、どうやら純粋に独力とは言いがたいようで」

「というと?」

「どこぞの不法移民の持ち込んだ装置を利用しようとしているようです」

「うん? 不法移民って……ネトックか?」

「そうとも言いますね」

「もしかして、彼女の無くなった舟って、それが何かをわかってる奴が盗んだ、ということか?」

「物分りだけは相変わらず良いようで。そういうことです」

「へえ、この世界にもそんな技術を持った奴が居るんだな」

「何を感心しているのですか、そういうのは困るんですよ」

「別にいいじゃないか、ケチケチするなよ」

「困るのは私じゃなくて、あの不法移民ですよ。彼女の舟で偽装もせずにインフォミナルプレーンにライズすれば、一発で彼女のことがシーサにバレるでしょう。そうすればどうなるか、あなたならおわかりでしょう?」

「ふむ、彼女のささやかなバカンスも終わりか」

「そうです。それに私の監視にも当然、良くない方向で影響が出るでしょう」

「じゃあ、俺にその何者かから舟を取り返すなりして妨害しろというわけか」

「そうですね」

「自分でしたほうが早いんじゃないのか?」

「私はこの世界に干渉できません。以前も下手に干渉したせいで随分苦労しましたので」

「そうだっけ」

「そうですよ」


 そういえば、見捨てられたとかなんとか言って、落ち込んでたよな。


「ですから、あなたにやっていただかねばなりません」

「その見返りに、ゲートの情報をくれたのか?」

「その通り」

「なら、商談成立ということでいいかな?」

「よろしくおねがいしますよ」


 それだけ言うと、判子ちゃんは今度は歩いて出て行った。

 隣で聞いていたフューエルは、首を傾げながら、


「今のはどういう会話だったのです?」

「つまり、本屋のネトックがこの世界に来るのに使った乗り物を盗んだ奴が悪用しようとしているので、それを防げ。その見返りにゲートは安全だという情報をやろうという話だよ」

「なるほど、で、その乗り物はどこにあるのです?」

「魔界だという話だな」

「ではレーン達が準備していた魔界遠征は、その件だったのですか」

「一応な。まあそれはそれとして、その前に葬式か」

「では、私は支度をすませてきます。一時間で戻りますので、あなたもよろしくおねがいしますね」


 フューエルと入れ違いにアンが真っ白いスーツを持ってくる。


「出発前に着付けを確認しておきましょう。奥様のお言いつけで仕立てておいて良かったです」

「その白いのが喪服か?」

「ええ」

「俺の故郷じゃ喪服は黒なんだけどな」

「そうなのですか、こちらでは黒は黒竜の闇に通じるというので、冠婚葬祭の礼服では避けるのです。庶民は原色の派手なものを着たりもするのですが、身分のあるものほど白やグレーに身を包みますね」

「ほほう」


 一時間ほどかけて支度を終えると、フューエルが戻ってきた。


「では行きましょう。夕食はあちらで取れますから」

「父上たちは?」

「すでに出発したはずです。あちらで落ちあいましょう」

「ふむ」


 俺たちは神殿にあるゲートまでやってきた。

 同行する数人の従者とともに、ゲートに並ぶ。

 こればかりは身分を問わず、順番に並ぶしかないようだ。

 しかし、大丈夫だと言われても、いざ使うとなるとドキドキするな。


「さあ、行きますよ」


 とフューエルに手を惹かれて真っ白い光に飛び込む。

 次の瞬間、体が光のシャワーに包まれて……真っ白い空間にでた。


「どこだここ?」

「な、なんですかこれは?」


 俺と手をつないでいたフューエルも驚く。

 内なる館にも似ているが、モヤに包まれてよくわからない。

 すぐにモヤが晴れると、やはりここは内なる館に似た草原だった。

 空には網目状の光の筋があり、周りはどこまでも草原が広がる。


「ここって、俺の内なる館かな?」

「というと、その身につけた精霊石の中にあるという世界ですか?」

「そうともいうが、詳しくはわからんのだよな」


 キョロキョロとあたりを見回していると、


「また、こんなところで引っかかって」


 いつの間にか目の前に判子ちゃんがいる。

 やはり、どこから来たなどとは聞かない。

 聞くのは別のことだ。


「判子ちゃん、大丈夫って言ったじゃないか、どうなってんだ?」

「それはこちらが聞きたいところです。リンクの途中に、こんなモナドを作って」

「モナド?」

「言ってみれば、ゲートが上位次元と繋がるリンクの途中に、あなた専用のバイパスを作ったようなものです」

「俺が?」

「そう、あなたがです」

「それがあると、どうなるんだ?」

「自分の中に、ゲートができたようなものでしょう」

「ほほう、よくわからんが凄いな」

「ほら、あそこにゲートが有ります。あれに入れば、本来の目的地に出られるでしょう」

「そうか、助かったよ」


 いつの間にか判子ちゃんは消え、あとには俺とフューエルだけが残った。


「何だったのです、今のは?」

「わからん。とにかく、今はあのゲートにはいろう」

「大丈夫なのですか?」

「大丈夫さ、俺は女の子の言うことは無条件で信じるんだ」

「そのようですね」


 フューエルは呆れてはいるが、動じてはいないようだ。

 肝が座ってるなあ。

 改めて目の前にあるゲートに飛び込むと、今度は広い部屋に出た。

 どうやらここが目的地らしい。

 入ったところと同じような木造の建物で、周りには人が溢れている。

 係員に促されてゲートから離れたところで後続の連れを待つ。


「使ってみると、あっけないものだったな」

「そういうものですよ」


 とフューエル。


「ふむ」

「先ほどの変な場所には驚きましたが」

「俺も驚いたよ」

「とにかく、ここから馬車で三十分ほどです。迎えが来ていると思うのですが……」


 と周りを見回すフューエルに声がかかる。


「フューエル様、ようこそポンダーロへ」

「まあ、チャリアではありませんか。あなた、こちらにいたの」


 と驚くフューエル。

 相手は年の頃は二十前後、真っ赤な外套をまとった背の高い娘だ。

 どうやら彼女が迎えの者らしい。


「カシュマル様のお供で、先年よりこちらの屋敷でお仕えしております。お連れ様は全員おそろいでしょうか」

「まだ、ゲートを待っているの」

「かしこまりました。先に荷物を」

「ええ、お願いね」


 チャリアと言う娘は、俺達の荷物を馬車へと運ぶ。

 四頭立ての立派な馬車で、まるで王侯貴族のようだ……って貴族だったか。

 ゲートでやってきた残りのメンツとともに馬車に乗り込む。

 馬車は内装も豪華だった。

 こういうのもあるんだなあ、とキョロキョロしていると、フューエルに太ももを叩かれた。


「何をキョロキョロしているのです」

「いや、あんまり豪華な馬車だから」

「まったく、向こうについたら大人しくしていてくださいよ。父が恥をかくではありませんか」

「それは心苦しいが、いくら隠しても根の卑しさは隠しきれんよ」

「あなたは黙っていれば貫禄があるので大丈夫です。くれぐれも通夜の場でナンパなどしないでくださいよ」

「それぐらいはわきまえてるつもりだけど、基本的に向こうから言い寄ってくるので如何とも」

「それをどうにかしろと言っているのです!」

「フューエルはすぐに難しいことを言うなあ……」


 とそこまで話して、目の前にさっきのチャリアちゃんが座っていることを思い出した。


「おい、彼女が見てるぞ」

「あ、そうでした。チャリア、今のは聞かなかったことに」

「わきまえております。それにしても……フューエル様はおかわりないようで。紳士様と婚約されたと聞いて、驚きましたが」

「私も驚いていますよ。まさか自分が紳士様に嫁ぐことになるとは」

「ですが、リースエル様も大層お喜びで。先程ご挨拶差し上げましたが、あなた様と紳士様のことばかり話しておいででした」

「お祖母様もすでにおいででしたのね」

「はい。皆様のご到着をお待ちです」


 屋敷に着くと両親とともにリースエルが出迎えてくれる。

 フューエルと内輪で式を上げた時以来だが、元気そうで何よりだ。


「クリュウさん、フューエルは妻としての務めを果たせているかしら」

「もちろん、彼女がいない生活なんて、今では想像もできませんよ」

「それは良かったわ。デュースやテナも一緒にいてくれるなら、私は安心して隠居できるわねえ」


 俺としても、育ててくれた祖母を、ろくに孝行も出来ないまま亡くしてしまったので、代わりと言ってはなんだが、リースエルには色々尽くしたい気もする。

 何と言ってもデュースの友人であり、フューエルの祖母なのだ。

 そういう人がいてくれるというのは、それだけで嬉しいもんだよな。


 一息ついたところで、屋敷を出る。

 この屋敷はフューエルの親戚であるカシュマル卿と言う壮年の貴族のもので、ここに引きこもって蝶の研究をしているとかなんとか。

 要は道楽貴族らしい。

 物故者である元宰相のサアバアナ卿とは、同じ隠居仲間であったらしく、この界隈はそうした貴族が大勢住んでいる。

 通夜の会場は近くの神殿で、これから揃って移動する事になった。

 馬車に揺られて十分ほどでついた神殿は、田舎にしては随分立派なもので、さすがは隠居した貴族が大勢暮らしているだけのことはある。

 毎朝、聖堂には隠居貴族が大勢集まって祈りを捧げているのだとか。

 たぶん、寄付とかもバンバン集まるんだろうなあ。


 通夜と言っても、集まって念仏を聞かされると言った感じではなく、棺の前に花を添えて、祈りを捧げると言った簡単なものだった。

 棺の周りでは、近しい親族と思しき連中が固まって深く祈りを捧げていた。

 彼らの邪魔をしないように、俺はフューエルと並んで済ませると、奥の部屋に通される。

 こちらは立食の用意がなされており、身分の高そうな連中がアチラコチラで談笑していた。

 俺も興味本位でよってきた親戚連中ににこやかに挨拶をして、すっかりやつれ切ってテラスに逃げ出す。


「あなたにしては、よく辛抱したことで」


 とフューエル。


「それは褒めてくれてんのか?」

「もちろんですよ」

「なら、喜ぶとしよう。それよりも腹が減ったな」

「戻るまで我慢してください。ここでガッツクわけにも行かないでしょう」

「そりゃそうかもしれんが、結構ごちそうが並んでたのになあ」

「誰も手を付けていないでしょう」

「そうでもないぞ、ほら、あのご婦人は両手に皿を抱えてるぞ」


 ちょうどテラスに出てきた女性を見ると、なんだか見覚えがある顔だ。

 グレーのスーツを着ていてピンとこなかったが、あれってビキニアーマーのアンブラール姐さんじゃないか。


「よう姐さん、妙なところで会うな」

「おや、あんたかい。そういや、お連れさんの父君はシャボア家からも嫁を取ってたんだねえ」

「まあね。姐さんがいるってことは、あの紳士様もいるのかい?」

「今頃、棺の前で祈りを捧げてるだろうさ。幼いころに故人に世話になったらしくてね。危篤と聞いて、あわてて来たばかりなんだが、残念なこった」

「そりゃあ、気の毒に」

「それでも、死に目には会えたからね。まあ、九十をいくつも超えてたって言うから大往生だろうさ」


 そう言ってアンブラールは皿に盛ったミートパイをかじる。


「ところで、お国の方であのお嬢さんの消息を探してるそうだが」

「はて、なんかオイタでもしたのかね」

「さあね、どこにいるのかわからないと、下っ端は心配なんじゃないか?」

「はん、子猫じゃあるまいし、そんなに心配なら、縄でも付けてりゃいいのにねえ」


 そこまで言って、アンブラールは手にした皿を突き出す。

 俺はうまそうなパイを二つ取って、片方をフューエルに手渡した。


「ところで、あたしらはずっと魔界に潜ってたんだが、先日、デラーボンの王様と赤竜が組んで竜退治をやらかしたそうじゃないか」

「らしいな」

「そこで妙な噂を聞いてね。なんでもガーディアンが魔族に協力して竜を討ったとかって。バッツ王は太古の力を得てガーディアンを使役したんだって、魔界じゃ話題になってるね」

「ほう」

「バッツ王といえば地上にもその武勇が聞こえる若き剣豪だって話だが、そんな特殊な力を持ってるとも思えないんだけどねえ」

「ふむ」

「あんた、なんかやったのかい?」


 といやらしい目付きで尋ねるアンブラール。

 一瞬悩んでから、とぼけることにした。


「何故俺が?」

「あんた前にも小さいガーディアンを連れて歩いてただろう。あたしも世界中を回ったけど、ガーディアンを従えてる人間なんて、あんたぐらいしか見たこと無くてねえ。しかも赤竜のエンディミュウム閣下といえば、あんたのコレだろう?」


 と言って、小指を立てる。

 この下世話な感じが彼女の魅力だよな。

 なんせビキニアーマーでダンジョンをうろつく姐さんだもんな。


「で、どうなんだい?」

「世界は広いぞ、どこにどんなやつがいるかなんて、わからんよ」

「それももっともだ。まあなんだね、従者を何人従えようが、人は羨むだけだろうが、ガーディアンとなると話は別だ。利用しようって輩には、注意するんだね」

「肝に銘じとくよ」


 そのとき、室内が急にざわついたようだ。

 覗いてみると、例の紳士様こと、カリスミュウルが入ってきた。

 彼女は周りの貴族連中を無視してキョロキョロと誰かを探していたが、アンブラールが手招きすると、こちらに気づいてテラスに出てきた。


「カリ、もういいのかい?」

「うむ、別れは済ませた」


 そういう彼女の目尻は、ほんのり赤い。


「そりゃあ、何より。腹が減ってんだろう、何か食うかい?」

「いや……今はいい。それより、お前は何をしているのだ」

「見ての通り、いい男をナンパしてたのさ」


 俺を顎で指し示すと、カリスミュウルはジロリと俺を見た。


「ふん、貴様か」

「この度はご愁傷様で。故人とは親しかったそうだな」

「む、まあな」


 俺の控えめな態度に毒気を抜かれたのか、頼りない返事を返す。

 カリスミュウルはしばし物思いに耽る表情を見せてから、ふうっとため息を付いた。


「腹が減ったな。貴様もそうであろう」

「まあね」

「ちょっと付き合え。相手がおらんと面倒な輩が寄ってくるんでな」


 俺達は用意された料理をテラスのテーブルに運んで、酒盛りを始めた。

 集まったお偉いさん方は遠巻きに好奇の目を寄せていたが、誰も近づいてはこない。

 俺と同様、カリスミュウルもそれを気にするタイプではないようだ。


「あの爺さんは賑やかな食事が好きでな、こんな片田舎に隠居したのも、都で食う飯は辛気臭くていかんというのが理由だとか」

「都ってのはそんなに辛気臭いのかい?」

「どれだけ人が集まっても、みんなしかめっ面で苦虫を噛み潰したような顔でむっつりと押し黙っておる。あれでは何を食っても味もせんわ」

「そりゃあそうだろうな。一人で食うのも悪くはないが、みんなで食うなら料理と会話を楽しく分け合って食うもんだ」

「大体、都に住むと息が詰まる。あやつらはあれが平気なのか? 毎日毎日肝の臓でも病んだような顔をして。そもそも、あの城壁がいかん」

「俺は都に行ったことがないんだけどな」

「遠からず行くことになろうよ。あ、貴様、その肉団子はなんだ」

「これはフルーツのソースがかかっててうまいぞ」

「ちょっとよこせ。お主にはこのスパイスが効きすぎたソーセージをやろう」

「いや、それはちょっとエグすぎだろう」

「私の勧めるものが食えんというか」

「食ったけど、口にあわねえって言ってるんだろ」

「ならばこちらはどうだ、この真っ赤に染まった魚のフライは。見るからに辛くてうまそうだ」

「おっ、いいじゃねえか、モグモグ……ぐへえ、なんじゃこの辛さは」

「ははは、まんまと乗せられおって、私はこのうまそうな肉団子を……むぐ、甘すぎる、肉にこんな味付けをするやつがあるか!」

「ははは、俺もそれはひどいと思ってたんだ」

「うまいと言ったではないか」

「まずいと言ったら、俺の味わったまずさを共有できないだろ。分け合って食うのが良いってさっき言っただろうが」

「おのれ、ハメおって」

「こっちの酒はうまいぞ」

「どれ……ほう、イケルではないか。ええい、料理が足りん。もっと取ってくるぞ」


 結局、そんな調子で夜が更けるまで飲み食いし続けてしまった。

 カリスミュウルは酔いつぶれてテーブルに突っ伏して眠っている。

 こうしていると、普通のお嬢さんなんだがな。

 そんな彼女にコートを掛けてやりながら、アンブラールがこう言った。


「すまないね、カリもだいぶ落ち込んでたんだが、あんたのお陰で多少は気が晴れただろうさ」

「なに、ライバルに塩を送っただけってね」

「あはは、そうだったね」


 アンブラールはカラカラと笑ってから、


「お礼に一つ良いことを教えようか。古い文献によると、ルタ島に渡る秘密の道があるって話なんだよ」

「ほう」

「詳しいことは不明なんだが、虹の道、なんて言われてたらしいね。あたしらは魔界経由で海の下をくぐっていけるんじゃないかと踏んで、そっち方面に足を伸ばしてたんだが、このあたりの魔界の南西には錆の海が広がってて入れないからね、南下するための道を探してるところなのさ」

「なるほど」

「ま、見つかる可能性は一割もないと思うが、春までのんびり待つのもあたしらの性に合わないからね」


 それだけ言うと、アンブラールは酔いつぶれたカリスミュウルを抱えて出ていった。

 隣で黙って付き合っていたフューエルは、ふうっとため息を付いてから、こう言った。


「あれほどナンパはよせといったではありませんか」

「今のもナンパに入るかな?」

「世間様では噂になるでしょうね」

「呆れたもんだ」


 俺がそう言うと、フューエルも苦笑するが、すぐに表情を改めて、こう言った。


「カリスミュウル様も随分と落ち込んでおられたようですね」

「そりゃあなあ」

「結果的に、あなたも良いことをなされたのでは」

「別に、あれぐらいは普通の人付き合いだろう」

「その普通が普通に出来ぬのが、身分というものでしょう」

「そんなもんかね」

「少なくともあなたは、どのような場所でも、孤独を病むことは、ないのかもしれませんね」


 そういうフューエルの眼差しは、妙に優しげだった。

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