第208話 探偵と馬 後編

 ちょうどうちにいたレルルにクロ、それに紅を連れて船で厩舎に向かう。

 エーメスも誘わないとまた拗ねるんじゃないかと思ったが、今日はクメトスの手伝いで砦に行っているらしい。

 まあ、そういう日もあるよな。


 現地では騎士が数人ウロウロしていた。


「それで、探偵とやらはこういう場合、どうするの?」


 尋ねるエディに、


「まずは現場を見ないとな」


 と、調教師アスレーテの部屋に向かう。

 部屋の中には騎士が一人いて、何やらごちゃごちゃと調べていた。

 現場を荒らされると困るなあ、と思いつつ、どう困るかまでは俺も素人なのでわからないんだけど。

 エディに気づいた騎士は敬礼する。


「これは団長自らお越しとは」

「ご苦労様、ここは私が調べるわ。少し代わってくれるかしら」

「はっ、かしこまりました」


 今日はエディがいるので気兼ねなく調べられるな。

 ここは調教師や所属する騎手の寄宿舎で、内装は簡素なものだった。

 ベッドと小さな机、それに衣装箪笥だけの部屋だ。

 探偵っぽいことをしようと這いつくばって虫眼鏡を取り出したい気持ちをぐっと抑えて、まずは目につくところを見ていく。

 机の上には証拠の品であろう、血の着いたシャツが置かれていた。

 証拠はほったらかしなのか、いい加減だなあ。


「紅、どうだ、何かわかるか?」

「何か、とは?」

「こう、指紋とか血痕以外の体液とか、髪の毛とかそういう個人を特定できそうなものだよ」

「確認してみます」


 そう言って証拠の品や室内を確認する。


「……出血量は多くはなさそうです。ナイフには指紋が数種類あります。そのうちの一つが机に残っているのと同じですから、この部屋の住人のものである可能性が高いでしょう。刃には衣服と同じ血、それに何かの木くずが微量にのこっています」

「木くず?」

「削ったあとのようです」

「ふむ。このナイフの持ち主はわかってるのかな?」


 俺が尋ねると騎士が答えて、


「容疑者の私物だとのことです。柄に名前も掘られていました」

「どれどれ」


 みると、たしかにあった。


「それにしても変わった形だな」


 ナイフは小さな鎌のような形をしていた。


「それは馬の爪を切るナイフでありますよ、装蹄などで使うであります」


 レルルが口を挟む。


「調教師ってそういうこともするのか」

「専門家がすることもあるであります、騎士団には専属の装蹄師がいたでありますよ」

「なるほどね」


 指紋はあとで調教師のアスレーテちゃんのものか確認してみようかな。

 数種類ってことは、ここを調べた騎士たちの指紋も含まれてるんだろうなあ。


「証拠の品は、どこからでてきたの?」


 エディが尋ねると騎士が答えて、


「はっ、その衣装箪笥の奥に古新聞に巻かれて詰め込まれておりました」


 タンスの中はごちゃごちゃと衣服がぶら下がっていたが、他に気になるものはないようだ。

 うーん、わからん。

 彼女が騎手を殺して、ここに血の付いたナイフと衣服だけしまってたのか。

 じゃあ死体は?

 ナイフはともかく、衣服は死体と一緒でも良かったんじゃ……。


「何かわかったかしら、探偵さん」


 とエディ。


「さあねえ、まあこれからだよ。調教師の身元とかはわかってるのか?」


 との俺の問に騎士が答える。


「母親の代からここで働く調教師だそうです。父親は同じくここに所属の騎手だったそうですが、十五年近く前に落馬して足が不自由に。その後治療で回復はしたものの復帰までは出来ず、現在は騎手のコーチだとか」

「ふむ」

「容疑者は十年ほど前から調教師として、母親とともにここで働いていたようです」

「特に怪しいところはないわけか」

「そう思われます。それ故、レースにまつわるトラブルが原因ではないかと」

「なるほどねえ」


 改めて紅に尋ねる。


「床に血痕とかは残ってないか?」

「目視できる痕跡はないようです」

「そうか」


 これが現代ミステリーなら、ルミノール反応とかそういうので痕跡が出てきたりするんだろうが。

 それ以前にルミノールってなんだろうな、何かの薬品なんだろうけど。

 そこに他の騎士がやってきた。


「くまなく調査しましたが、件の騎手は見つかりませんでした。近くの茂みか、湖にでも遺棄したのでは?」


 それにエディが答えて、


「面倒ね、この寒空の下、湖をさらいたい人はいる?」

「ご命令とあらば……」

「命令するだけでも凍えそうね。やっぱりここは探偵様にどうにかしてもらわないと」


 とエディ。


「そうは言ってもなあ。しょうがない、クロックロンを呼んで目ぼしいところを探してもらうか。クロ、手配してくれ」

「オーケー、ボス。デ、何探ス? ソノ死体ハドンナヤツダ?」

「えーとなあ、なんか見本ないのか?」


 これがミステリー物のゲームなら都合よく机の上に被害者の写真でも乗ってるんだろうが、この世界には写真はないんだよな。

 ちょうど窓の外にトレーニング中の騎手が見えたので、あんな格好のやつだと伝えておいた。


「オーケー、ボス。ヒトマズコノ近辺カラ探スゾ」


 捜索はクロックロンに任せたので、次は容疑者の調教師アスレーテちゃんに会いに行く。

 彼女は拘束されて、宿舎の一室に用意された騎士団の控室にいた。

 ここが捜査本部というわけか。

 騎士が数人に警吏も何人か、下っ引のウルーダちゃんもいた。


「おや、ウルーダ。君一人かい? 親分は?」

「今日は別口で騎士のお供ですわ。あっしはここで現場を見て覚えろってことで」

「そりゃあ、ご苦労さん」


 容疑者のアスレーテは手枷をはめられ、しょんぼりした顔で椅子に座ったままうつむいている。


「どう、何か話した?」


 エディが聞くと、見張っていた騎士が、


「いえ何も。参謀が先程、くれぐれも手荒なことはするなというので、本格的な尋問はまだであります」

「あら、そうなの。それでわかっていることは?」

「ここの者の話では、容疑者は騎手の失踪前から馬の調整のためにつきっきりで、厩舎を離れてはいないそうです。また当日は騎手がここに帰った様子もないと」

「騎手はここの所属なの?」

「そのようです」

「他には?」

「容疑者の両親もここの所属なのですが、都のレースのために、先月から不在でして、現在、人をやって呼び寄せているところです。それ以外は特には……」

「まあいいわ、私達が尋問して見るから」


 というわけで、俺が早速話を聞く。


「やあ、先日はどうも」


 と声をかける。

 俺のことは覚えていたようで、一瞬眉をひそめるが、またうつむいてしまう。


「今回は、災難だったね」

「あなたも騎士団の人だったんですか?」

「いやあ、俺はただの協力者さ。だからもし、君が無実で、それを証明したいと考えているなら、君にだって協力できると思うけどね」

「……私、殺してません」


 そう言って、俺を睨む目つきはなかなか鋭い。

 気の強そうなお嬢さんだな。


「そうかい? じゃあ、彼は無事なのかい?」

「……」

「彼はやくざ者に追われているんだろう、心配じゃないかい?」

「私は……あの人が嫌いでした。馬を無理やり走らせるし、それに……」

「八百長のことかい?」

「それは……証拠がないので、わかりません」


 ポツポツと俺の問いに答えるアスレーテの瞳をじっと見る。

 嘘をついているような顔には見えないんだけど、そんな都合よく顔だけ見て本心がわかるかと言えば、まあわからないよなあ。

 自分に惚れてるかどうかぐらいなら、最近わかるようになってきたんだけど、彼女はあんまり俺には気がないようだ。

 残念。


 それにしても、彼女は明らかに騎手の消息を知っていて隠しているように思える。

 だとすると理由はなんだろう。


 彼女が犯人だった場合、隠すのは当然だろうが、もうちょっと証拠を隠したり言い訳したりするのではなかろうか。

 あるいは、そういう発想自体がミステリーに毒されているだけで、毎日昼下がりに二時間サスペンスを見るわけでもない異世界人は、犯行を本格的に偽ったりするという発想がない可能性もある。

 まあ、その場合は遠からず遺体が見つかって解決となるだろう。


 そうじゃないなら、彼女は騎手を匿っていることになる。

 嫌いな相手を匿う理由はなんだろう。

 元カレとかかな。

 同じ厩舎で働く調教師と騎手だ、恋仲になってもおかしく有るまい。

 それがレースにおけるスタンスの違いで別れた。

 だが、やくざ者に追われてピンチだった元恋人に同情し、匿っている……なんてのも有りかなあ。

 どうだろう。

 何れにせよ、クロックロンが見つけてくれれば判明するだろうが。


 改めて彼女を見る。

 じっとうつむいたままだが、時折もぞもぞと動いて顔を歪める。

 手枷が痛いのかな?

 彼女の手元を見ると、少し血が滲んでいた。


「痛そうだな、おいエディ、もうちょっとマシな手枷はないのか?」

「そうは言ってもねえ、それしかないわよ」

「じゃあ、外してやれよ、多分逃げないだろ」

「ほんとに? ハニーが保証するの?」

「俺かよ。まあ仕方あるまい」

「安請け合いしすぎよ、まったく。まあいいわ、私が責任を取るから、彼女の手枷を外してあげて。でも見張りはちゃんとしててよ」


 エディの命でアスレーテの手枷が外された。

 改めて彼女の手首を見ると、拘束時とは別についたような傷跡があり、そこから血が滲んでいたようだ。


「怪我をしてたんだね」

「……はい」

「どれ、手を貸して」


 俺は懐から真新しいハンカチを取り出し、傷を押さえる。

 傷は数日前のものだろうか、元々深くないようで、かさぶたが外れて血が滲んでいただけのようだ。

 傷口を軽く圧迫するだけですぐに血も止まり、俺は血の付いたハンカチをしまった。

 アスレーテは手首をそっと撫でると、少し頬を染めて、またうつむいてしまった。

 気の強そうなお嬢さんが不意に見せる、こう言う態度はそそるものがあるよなあ、と思いながらなんとなくエディの顔を見たら、難しい顔をして笑っていた。

 怖いなあ。


 宿舎から出ると、日はすでに傾いていた。

 あと一時間もすれば、あたりは闇に包まれるだろう。

 そろそろ面倒くさくなってきたので、さっさと解決してくれないかなあ、と他人事のように考えていたら、広場の方から馬のいななく声がする。

 見ると、クロックロンが数体、馬を追いかけ回していた。

 しょうがねえな。


「それで、進捗状況はどうだ?」


 と紅に聞くと、


「現在、クロックロン七十二体で捜索範囲を牧場全域に広げて捜索中。厩舎内はすでに調査済みです」

「いないか」

「そのようです」

「じゃあ、森の中にでも隠れてるのかな?」


 隣接する森に目をやる。

 すでに森の中は暗い。

 これから乗り込んで人探しってのは勘弁してもらいたいね。


「しかし、ここは冷えるな」

「そうね、今日のところは引き上げる?」


 とエディ。

 引き上げたい気持ちは山々だが、アスレーテちゃんをあのまま容疑者にしておくのは忍びないな。


「いや、もう少し……探偵としてだな」

「今のところ、探偵とやらの力は何も発揮してないようだけど?」

「ふむ、やはりもっと探偵らしいことをすべきだな。パイプとか」

「パイプ? ハニーってタバコをやるの?」

「いや、探偵にはつきものってだけだよ」

「この国じゃ、外洋の船乗りぐらいしかタバコは飲まないわよね」

「そんなもんか。他につきものと言えば、安楽椅子かな?」

「椅子で何するの?」

「証拠を元に考えて結論を導き出すんだよ」

「そんなに都合よく行くわけ?」

「都合よく行ったときだけ、話題になるんだよ」

「それはまた、都合のいい話ね」


 厩舎には来客用の応接室があるということで、そちらに向かう。

 暖炉には火が入っており、室内は暖かかった。


「ハニーはここで休んでて、私は少し部下に活を入れてくるわ。ガーディアンに負けてられないでしょう」


 そう言って出ていくエディを見送り、俺は安っぽいソファに腰掛けて思案する。


 アスレーテの動機に関しては……ちょっとわからんな。

 そもそも、人殺しにそんなに都合よく動機なんてあったりするんだろうか。

 大抵の人は殺したいほど憎んでても殺さないし、恨みなんて無くてもはした金目当てに殺す人もいる。

 結局、動機がほしいのは事件を解釈する周りの人間だけだよな。

 言ってみれば動機は常に後付で、推理の材料としては弱い気がする。

 となるとやはり状況証拠から考えるしかあるまい。


 血の付いた衣服とナイフ。

 そもそも、あの血は騎手のものだったんだろうか。

 アスレーテだってさっき怪我してたじゃないか。

 そこでふと思い出して、さっきの血の付いたハンカチを取り出す。


「紅、この血をさっきの衣服のやつと比べられないか?」

「サンプルが少ないので……試してみます」


 彼女はハンカチを手に取ると、血痕部分に指を触れる。

 指先がめくれて、ガラス状のパーツがあらわれ、それを何度かこすりつけていた。

 あんなギミックがあるなんて知らなかったぜ。

 あ、でも前に血液型とか調べてたっけ?

 ついで先ほどの証拠の衣服も取り寄せて確認する。


「おそらく別人です……が、血縁である可能性があります」

「ははあ、血縁だったか」


 それならかばう理由もわかるな。

 いや、でも恨んでるんだっけ?

 肉親で仲違いすると他人のそれより溝は深まるとも聞くし。

 やはり動機を想像すると迷うな、ダメだダメだ。


 彼女が犯人で殺してるなら、死体を見つけて終わり。

 そうでないなら、どこかに匿われているのか、それとも遠くに逃げたあとなのか。

 逃げたのなら、自分が疑われるリスクを背負ってまで隠す必要もないのではないか。

 だとすると、やはり隠れているのだろう。

 しかも、この近くで、彼女が知っているところに。

 彼女がここを動いていないなら、そういうことになる。


 以上が安楽椅子紳士探偵の名推理だったわけだが……穴だらけな気もするな。

 まあいいや。

 俺は足元でクルクル回って遊んでいたクロに尋ねる。


「おい、ほんとに騎手は見つかってないのか?」

「ナイゾ、見ツカッタ死体ハ、カラスト、ネズミト、カエルグライダナ」

「ちょっとまて、もしかして死体しか探してないのか?」

「ソウダ、死体ヲ探シテルゾ、ボスハ死体ヲ探セト言ッタゾ」

「そりゃすまん、頼み方が悪かったか。生死は問わないから、さっき教えたような格好の……」


 いや、待てよ。

 衣服の一部はここに有るんだ。

 そもそも騎手の格好をしているとは限らない。

 となると、探す相手の特徴は……。


「たぶん怪我をしていて、どこかに身を隠している男はいないか?」

「イルゾ」

「いたか」

「イタゾ」

「どこだ?」

「ココノ隣、馬ガイッパイイルトコロノ脇ノ小屋ノ地下ダ」

「おっしゃおっしゃ、よくやった」


 じゃあ、早速ご対面……の前に、今連れ出しても大丈夫なんだろうか。

 出てきて大丈夫なら、アスレーテもだんまりを決め込んだりはしないのではないか?

 となると、騎手のラドッポには後ろ暗いところがあるのだろう。

 そこを確かめるのが先か。


「紅、エレンに連絡はつくか?」

「……現在、自宅にいます。念話をそちらにつなぎます」

「たのむ。おーい、エレン、聞こえるか?」

(なんだい旦那、団長さんとデート中に僕の声が聞きたくなったのかい?)

「まあね。ところで例の騎手の消息がつかめたようなんだが」

(ほんとかい? こっちも報告があって待ってたんだけどね)

「どうした?」

(八百長やってた組織を見つけてね、ギルドの緑組の方で今、片をつけてる頃だと思うよ)

「それで、例の騎手はクロだったのかな?」

(さあ、まだわからないけど、見つかったならそっちで確認すればいいんじゃない?)

「隠れてるから、引きずり出していいものか、悩んでるんだよ」

(うーん、じゃあ三十分ほどおくれよ、確認してくるよ)

「よろしく頼む」


 ウルーダちゃんが下っ端らしく置いてあったティーセットで入れてくれたお茶を飲んでいると、エディが帰ってきた。


「よう、どうだった?」

「だめね、こう寒いとみんなやる気が出なくて」

「おいおい、街を守る騎士がそれで大丈夫なのか?」

「そうは言っても、山賊相手の大捕り物とかならともかく、行方不明者の捜索なんて普通は警吏の仕事なのよ。そっちで埒が明かないからこうして出張ってきたわけだけど、そこまで士気を求めるほど、私も酷なことは出来ないわねえ」


 相変わらず、フランクな騎士団だ。


「まあ、お茶でも飲んで一息ついてくれ、もうすぐ終わるよ」

「え、ほんと? なにかわかったの?」

「それも連絡待ちさ」

「焦らさないでよ」

「探偵ってのは、焦らすものなんだよ」

「探偵とやらは随分面倒な職業みたいね、ハニーにぴったりだわ」


 愚痴りながらお茶を口にしたエディは、お茶の熱さに更に顔をしかめた。


 そのまましばらく時を過ごす。

 窓の外は真っ赤に染まっていた。

 牧場の向こうには湖が広がり、キラキラと輝いている。

 いい眺めだねえ。

 そこに一台の馬車がやってきた。

 中から降りたのはエレンとヘンズ親分だった。

 数分後、エレンが部屋に入ってきた。


「やあ、旦那。またせたね。こっちは全部片付いたよ」

「それで、どうだった?」

「結論から言えば、大丈夫かな」


 とのエレンの言葉を受けて、ヘンズ親分が、


「危害を及ぼすような連中は軒並みしょっぴいたんで、ご安心いただけるかと。件の騎手もやましいところは無いようで」

「そりゃよかった、そしたら謎解きタイムと行こうか」


 そこでエディが、


「謎解き?」

「そうさ」


 俺は一同を引き連れて、クロが言っていた小屋の前まで行く。

 一応、確認のために紅に調べてもらうと、


「該当者と思しき人物が地下にいます」


 と耳打ちしてくれた。


「なら行くか」


 俺が扉を開けると、同行していた騎士が、


「そこはくまなく調べましたが」

「大丈夫、見過ごしがあっても君たちの怠慢ではない、この世には探偵にしか見えぬものが有るということさ」


 少し芝居がかって話す。

 小屋の中ほどまで歩いて見渡すと、物置小屋らしく雑然と物が置かれているが、たしかに人が隠れそうな場所はない。

 もちろん、地下に部屋があるとは思えないだろう。

 俺は声を張り上げ、舞台俳優のように朗々と口上を述べた。


「ラドッポ君、聞こえているかね? 君を狙う連中は捕まった、ここにいるのは君を保護するために集まった騎士団だ。安心して出てくるといい」


 しばしの沈黙。

 返事はない。


「君の大切な家族であるアスレーテ嬢は、君を殺害した容疑で騎士団に捕らわれている。彼女の身を案ずるなら、すぐに出てくるべきだと思うがね」


 更に沈黙。

 まるでいつぞやの舞台だな。

 ついでカチャリと何かの仕掛けが動く音がすると、床板の一部が開いて、黒いシルエットの人物が姿を見せた。


「諸君、紹介しよう。当代一の騎手、ラドッポ君だ」




 冬の競技場の枯れた芝をさっそうと駆け抜ける競走馬の群れ。

 その一群を抜けて飛び出したのは、我らがグルーネワイデンだった。


「御覧くださいご主人様、グルーネワイデンがすでに半馬身、いえ、もうあんなにリードして」


 珍しく興奮して叫ぶ巫女のハーエルと一緒に、俺も先頭をかけるグルーネワイデンとそれを駆るラドッポを応援する。

 迫る二番人気のベクトフォガードンを振り切り、グルーネワイデンが一着でゴールしたのは言うまでもない。

 観客の喝采を受けるラドッポは、噂通りの荒くれ者らしい悪そうな笑顔で声援に答えるように腕を突き上げた。

 その姿は実力にふさわしい自信がみなぎっているが、あの時、地下に隠れていたラドッポは衰弱していた。

 ヨロヨロと歩くラドッポに手を貸し、アスレーテの元まで連れて行くと彼女は騎士の静止を振り切り、ラドッポに駆け寄る。


「どうして出てきたの!」

「へっ、お前がドジふんで捕まったと聞いちまってな」

「でも……」

「まっ、なんだ……どっちにしろ、このままじゃあ、保たなかったよ……」


 それだけ言うと、ラドッポは気を失ってしまった。


「危ないところでした。素人治療で傷が膿んでおり、あのままでは腕を切り落とすところだったでしょう」


 とは治療した医者の話だ。

 その間に、妹であったアスレーテがことの仔細を話してくれた。


「彼は……兄は、父が私の母と再婚する前につくった子で、父が故郷のタバッソに残してきたそうです。あちらでは随分と悪さもしたそうで。ただ、生母を亡くし、騎手になりたいと言って父を訪ねてきたのが十三年ほど前、父がコーチに専念し始めた頃でした」


 ラドッポは騎手としての腕は一級品だった。

 アスレーテの母親が悋気持ちで気の強い女であったがゆえに、血縁であることは母には隠して父親の古い友人の息子ということでここで働いていたらしい。

 それでもアスレーテにだけは正体を打ち明けていたそうだ。

 アスレーテにしても年頃になってからいきなり兄であると紹介されても付き合いづらく、また母譲りの短気もあったのであろう、事ある毎に喧嘩をしていた。


 それでもどうにかうまくやっていたが、ラドッポがギャンブルでこさえた借金を元に、八百長を迫られていたらしい。

 ラドッポは荒くれ者ではあったが、八百長は頑なに拒んだ。

 騎手としてのプライドであったのか、理由は分からないが、その結果、乱暴なことに命を狙われたわけだ。

 彼が姿を消した晩、突然暗がりから矢で射られ、命からがら厩舎に逃げ込んだ所を妹に助けられたそうだ。

 犯人は神官だそうで、八百長を断るラドッポに逆上して犯行に及んだらしい。

 エレンの言ったとおり、素人のいきあたりばったりな犯行だったようだ。


「宿舎に隠れていても、どこで命を狙われるかわかりません。そこで失踪したと噂を流して、刺客の目をそらそうと考えたのです」

「隠れるのはいいとして、その後、どうするつもりだったんだ?」

「無論、レースには出るつもりでした。今度のレースに優勝すれば、その賞金で借金のいくらかと利息が払えるので、後はどうにかなると兄は言っていました。借金さえなければ奴らも無理強いすることは諦めるだろうと……」


 とアスレーテは語った。

 その発想自体が、すでに博打打ちのそれだと思うがなあ。


「しかし、君が逮捕されてしまっては大変だろう。場合によっては、拷問を受けていたかもしれないのに」

「それは、そうなんですけど」

「君たちは仲がいい兄妹ではなかったんだろう?」

「でも、あんな人でも……、兄なんですよ?」


 そういうアスレーテはたしかに強情そうで、きっと彼女の父親は苦労したのだろうなあ、とあらぬ方向に同情してしまったのだった。


 隠れていた地下室は牧場の古株しか知らぬ隠し部屋で、何かのときのために作ってあったのだろう。

 アスレーテは少女時代にそこでよく遊んでいたそうだ。

 食事は彼女が毎日運んでいたが、傷が悪化していることは気づいていなかったらしい。

 治療をしたのは彼女で、手首の傷は矢を抜く時に、勢い余って自分で傷つけたとか。

 ナイフの木くずは当然、矢のものだ。

 血の付いたナイフなどは、人目につくと怪しまれると思い、レースの日まで隠しておくつもりだったという。

 最後までアスレーテが口を割らなかった理由は、騎手のラドッポが八百長に絡んでいるのではないかという疑惑を最後まで拭えなかったからのようだ。

 騎士団に身柄を確保されたら捕まるかもしれないと考えたのだろう。

 浅知恵というしかないが、騎士団にこってり絞られただけで、アスレーテとその兄は放免となった。

 寒空の下に駆り出された騎士の面々は気の毒だが、俺の方から酒樽を差し入れておいた。

 それで帳消しとしてもらおう。


 と言ったところが事件のあらましだったわけで、ミステリーとしては大味すぎていかがなものかと思うが、あのあとエディは大喜びで、


「探偵って凄いわね、大した調査も尋問もせずに、わずかな情報だけで答えに行き着くんだから」

「ははは、まあね」


 実際はだいぶズルをした上に運もあったけど、喜んでるエディの興を削ぐような真似をする必要もあるまい。

 同じく下っ引のウルーダちゃんも俺の推理に感服したらしく、


「大将の見事な探偵術というやつにあっしは感服いたしやした。ぜひともご伝授くだせえ」


 などと言って、勝手に探偵助手を自称するようになってしまった。

 君にはヘンズ曹長という、立派な師匠が居るだろうに、俺なんかに感化されてもろくなことにならないぞ。

 とは思うのだが、女の子にちやほやされるのが大好きな俺としては、無碍にも出来ないのだった。


 ラドッポ騎手は、今度の事件で正体がバレ、彼らの家族は一悶着あったようだが、偉大なる赤竜騎士団団長様の取りなしで手打ちとなったようだ。

 今では家族として生活している。

 これから苦労するんだろうけど、そこは探偵の守備範囲じゃないよな。


 例の調教師アスレーテちゃんは、俺に随分恩義を感じたようで、わたしに恩返しできることは他にありませんから、とうちの馬たちの様子をちょくちょく見に来てくれるようになった。

 ここで終わればよかったんだが、更に俺に乗馬のいろはを教えるとかいって、定期的に乗馬レッスンを受けることになってしまった。

 おかげで尻と太ももが大変なことになっている。

 探偵には馬の鞍より、安楽椅子が似合ってると思うがね。

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