第200話 嗜好品
その日の乳搾りを終えた牛娘のリプルを抱っこして、俺は暖炉の前に陣取っていた。
四つあるおっぱいの真ん中に手を回すとニット越しに上下から挟まれて実に良い塩梅である。
だが、それはそれとして、
「寒いな」
俺がつぶやくと、リプルも首をすくめる。
「寒いですね」
「ちょっと火力が足りないんじゃないか?」
「でも、暖炉はかなり勢い良く燃えてますよ?」
「だよなあ」
外は天気こそいいものの、昨夜まで吹雪いていたせいか一面の雪景色で、とにかく寒い。
そんな寒空の下、エンテルたちは冬の特別学校とやらに行っている。
いつも家にいる牛ママのパンテーも娘のピューパーのお供で同じく、その特別学校に参加だ。
何でも親子で学ぶ的な講義で、ピューパーたちの友達である漁師の娘アースルちゃんも、母親のタモルと一緒に来るらしい。
撫子は、両親が本物の馬なので、こればっかりは流石に連れていけなかった。
そのことで特に駄々をこねたわけでもないのだが、代わりにフューエルが付いて行くと言うと喜んでいたので、やはり誰かについて来て欲しかったのかもしれない。
ちなみにいつも保護者ポジションであるエンテルは、今日は講義をする側なので代わりにはなれないのだった。
他のメンツはというと、チェス組はこんなクソ寒い日ぐらい家にいるかと思えば、入院してたチェス仲間の爺さんが退院したからと、集会所でお祝いをやるそうだ。
他も大半は出払っていて、残った家事組は、今も忙しそうに食事の支度をしているので、俺の相手をしてくれるのはリプルぐらいというわけだ。
まあ牛娘は揉めば揉むほど出るらしいので、主人としてせっせと揉んでやろうと思ったわけだが、いかんせん寒すぎて手がかじかむ。
「そもそも、暖炉は熱いんだけど、燃やせば燃やすほど風が起こるから、真ん前に陣取るとイマイチだよな。もう少し良い暖房が……」
「そうですね、こたつのほうがいいかも」
「でも、この時間は火を落としてるしなあ」
精霊石を熱源にしている我が家のこたつは、昼間、人のいない時間は消しているのだ。
今ある暖房は暖炉しかない。
これでも、動いていれば家の中は十分暖かいはずなんだけどな。
「地下室に降りれば暖かいですよ?」
リプルの言うとおり、あそこは空調が完璧で暖かいというか常にちょうどいい温度なんだけど、それはそれで情緒がないしなあ。
あくまで避難場所みたいなもんだ。
「よし、火力に頼るのはやめだ。新兵器を導入しよう」
というわけで、家馬車を停めてあった倉庫スペースにやってきた。
ここは現在、作りかけの馬車が二台ほど止めてあり、元からあった家馬車は、裏庭に回してあった。
ちなみに、裏庭に動かすには一旦表に出して、パンテーの家の先から裏に回り込む必要があるのだが、巨人であるメルビエの義兄サボンが遊びに来た時に、サクサクと押して運んでくれた。
やはり巨人はでかいだけのことはある。
サボンは妻の出産前後を除くと、毎週のように野菜などを届けてくれるので、商店街だけでなく、近所の住民などもすっかり巨人に馴染んだようだ。
まあ、慣れだよな。
俺もメルビエの三メートルからある巨体にご奉仕してもらうのも結構慣れてきたし。
人間、その気になれば何でも慣れるんだよ。
で、倉庫スペースにはゴムを張ったタイヤやらキャタピラの試作品やらが転がっているのだが、そこをかき分けて、壁に設置された棚から目当ての物を探す。
ここは主に探索用のグッズが並んでいるのだ。
大半は鎧や武器など、従者になる前の個人の私物であったり、あとから店で買い足したものだが、最近は大工コンビの作成したアイテムも増えてきた。
特にシャミが毎日のように発明品を生み出すので、かなりの数だ。
まあ、大半は実用性が足りなくて使えないんだけど。
それでも、スタックできる鍋とか、目くらまし用の照明弾的なものとか、使えそうなものもある。
ここにおいてある時点で、まだ多少は使いみちがありそうなものなのであり、地下には更に得体の知れないガラクタがうごめいているのだった。
「お、あった、これだこれ」
そんな中から引っ張りだしたのは、寝袋だった。
薄い絹の生地でたっぷりの羽毛を挟んだもので、なかなか暖かい。
暖かいのだが、素材的に湿度に弱すぎ、更に強度も足りず、探索ではちょっと実用的ではない。
やはり濡れてもそれなりに保温効果のあるウールの毛布などが旅の空では有効だということで、文字通りお蔵入りしていたのだった。
もっと透湿防水性に優れた魔法の素材とかあればいいのに、いまいち融通が効かないよな、この世界は。
「なんですか、それ」
寝袋を広げる俺に尋ねるウクレ。
「こいつは、携帯用の布団さ。どれ、ちょっと試してみよう」
再び暖炉の前に戻り、床の上で二人して寝袋に入る。
ちょっときついが、むしろ隙間がないほうがいいはずなので、ちょうどいいだろう。
マット無しに板張りに直接寝ると寝心地は良くないな。
ウレタンマットでも欲しいところだ。
リプルの小さな体を抱きかかえると、胸以外も随分とムッチリしてきたことがよくわかる。
初めて出会った時はガリガリだったんだけどな。
「なんか、変なお布団ですね。どんなときに使うんですか?」
「テントの中で使おうと思ってたんだけどな、濡れるとダメになるんで没になったんだよ」
「そうなんですか。でも、結構暖かいですね」
「そうだろ、あったかさは抜群なんだけどな」
「ほんとです、すごく暖かい」
「馬車の中で使うなら悪く無いかなあ」
などと二人で寝袋に入って、イモムシのようにモゾモゾしていると、テナがやってきた。
「姿が見えないと思ったら、そんなところで何をなさっているんです?」
「見てわからんかな?」
「見て分かる範囲の情報で現状を理解しきれないから、ご質問しているのですよ」
「なに、そんな大層なことじゃない。冬の寒さをしのいでるだけだよ」
「さすがは私の敬愛するご主人様だけあって、人並み外れた素晴らしい解決法をお持ちのようですね」
「まあね。どうだ、お前も入ってみるか? 少し詰めればどうにか……」
「遠慮しておきます。ところで昼食はどうなさいます? 今日はうちに我々とミラーを除いて三人、アンとモアノアとオルエンしかいませんので、たまには外食でもどうでしょう?」
「飯の支度をしてたんじゃないのか?」
「あれは夕食の仕込みです。食べようと思えば有り物でご用意できるのですが」
「まあ、食べに行くのは構わんが。下の連中は?」
「先程、パンを差し入れておきました」
チェス組は朝から宴会で要らないだろうし、たまにはいいか。
というわけで、先ほどのメンツにミラーを一人加えて、七人で外食にでた。
七人だと小さい店にはちょっと入りづらいので、目抜き通りの向こうまで足を伸ばし、閑静な住宅街にあるちょっといい店に入った。
ここは以前、イミアに連れて来てもらった店だ。
上流の貴族が来るほどではないが、庶民には少しハードルが高いぐらいのランクかな。
小金を持った連中がカジュアルに楽しむような店だ。
「これはこれは、サワクロ様。お寒い中、ようこそ」
そう言って出迎えてくれたのは、五十前の褐色の店主で、禿げ上がった頭と分厚い唇が、サックスでも構えたら似合いそうな印象の男だ。
いわゆる黒人に当たる人種はこの国にもそこそこいると思う。
うちで言えばコルスやプールは褐色だし、エットもかなり浅黒い。
プールは魔族なので別だが、うちの従者にかぎらずほとんどが南方か東方から渡ってきた移民か船乗りで、内陸に行くほど少ないのだとか。
以前それとなくデュースに聞いたことがあるが、同じ人間、つまりアージアルの民とやらの間では肌の色での差別はほとんど無い。
それはたぶん、もっと大きな枠組で、古代種や魔族がいるからだろう。
この世界が地球より差別的でない、ということではないようだ。
逆に言えば、あらゆる種族から尊敬される紳士と言うのはこの上ないアドバンテージなんだよな。
増長しないように気をつけよう。
で、ここの店主は別に俺が紳士と知っているわけではないのだが、とても物腰は柔らかで品のいい親父だ。
しかし、作る料理はエスニック風で激辛だ。
しかもここの料理は唐辛子だけでなく、山椒をたっぷり使う。
山椒というか花椒だな。
四川料理によく入ってるあれだ。
この店を紹介されてからというもの、定期的に辛いのを食いたくなると、ここに来るのだ。
もっとも、ここの料理は中華とはだいぶ違って、南米っぽいというか、メキシコ料理風というか、まあ語れるほどメキシコ料理に詳しくはないんだけど。
ビリビリとしびれるような味に全身汗だくになりながら、ガツガツと流しこむ。
「なるほど、こういうのがいいんだすな、ごすじん様」
とモアノア。
「そうそう、特にこっちの山椒の脳天に抜けるようなしびれがすごいだろ」
「これはたしかに、癖になるだすな。辛い料理は苦手なものもいるだすが、ごすじん様が食べるなら、もうちょっと作らねえとダメだすな。しかしこれは、はふ、はふ、うめぇだすな」
「うちの故郷じゃ花椒っていうんだけど、このへんじゃなんて言うんだろうな」
「うちにある山椒とは確かに似てるけど違うだすな」
「たしか種類が違うはずだぞ」
「んだら、コックに聞いてみるだ。おやじさーん、ちょいといいだすか?」
モアノアが店主を呼ぶ。
「この山椒みたいなやつ、えれえうめえだすが、なんてのだべ?」
「ああ、そいつは花椒っていってな。西のハーペイで取れるもんだよ。こっちにはあんまり入ってないんじゃないかな?」
「そうだすか、うちのすじんが好みらしいんだもんで、手に入らねえかと思ったんだども」
「サワクロさんはいつも食べてくれるからね。この辺りの人は唐辛子は食っても、こいつはあまり食ってくれないもんだから、よかったら代わりに仕入れて、分けようか?」
「いいだすか? 頼むだす」
「なに、うちもあまり売れないもんで、仕入れが面倒だったんだよ」
ということで、結構な量の花椒を分けてもらった。
よし、これで早速麻婆豆腐……は豆腐がないな、じゃあ麻婆茄子だな。
いや、豆腐を作ってもいいかもしれないな。
帰りに大豆を買っていこう。
食事を終えて、海沿いの市場に足を伸ばす。
こちらは普段はめったに来ないのだが、たまの散歩にはいいだろう。
ここには海を越えて渡ってきた様々な特産品が並んでいて、とても賑やかだ。
かぼちゃサイズのトマトや、スイカみたいな芋、傘よりでかいキノコなど、とにかく珍しい物が一杯並んでいる。
もちろん、珍しくないものも同じぐらい並んでいて、まずは大豆を一袋買った。
「豆乳っていうのは、大豆からミルクが作れるんですか?」
さっきの激辛料理で汗だくになって、襟をパタパタさせながらリプルが尋ねる。
「ああ、味は別もんだが、これはこれで悪くないぞ」
「ちょっと気になります」
「帰ったら早速作ってもらおう。でも確か、一日水に浸すとかするんだったかな?」
作り方は例のごとくスマホで調べよう。
あれの辞典って、概要は載っててもレシピは載ってない事が多いから、料理のたぐいは結局モアノアの腕頼みなんだよな。
俺のアバウトな注文をいつもいい感じに仕上げてくれてありがたいぜ。
アンとテナは、異国風の見慣れない柄の反物を漁っていた。
「奥様の新しい夜着をこしらえようかと思いまして」
とテナ。
「店で買うんじゃないのか、よく買い物してるけど」
「外出用はそうなのですが、ナイトドレスのたぐいは、昔から私がこしらえていたのですよ」
「そうなのか、じゃあ格別色っぽいやつを頼む」
「かしこまりました」
何か突っ込まれるかと思ったら、素直に了承されてしまったので拍子抜けした。
気を取り直してモアノアを見るとオルエンと二人で路端にしゃがみこんで何か物色していた。
「何見てるんだ?」
と聞くと、オルエンがいつもの様にぶっきらぼうに、
「コーヒー豆……を」
「ああ、どれどれ」
見ると、地面の上にむしろを引いて、麻袋にたっぷり詰まった豆が何種類も売られていた。
全部白いのは、まだ焙煎してないからだ。
「どうでしょう、旦那さん。この豆は生で煎じても効果がありますが、うちのあたりじゃ十分に火で煎ってから濾して飲むんです。眠気覚ましの他に、心が穏やかになる効果もありますよ」
話しかけてきたのは、年の頃はチェスチャンピオンのイミアと同じぐらいの少女だった。
耳が長いのでプリモァかな、と思ったが、髪は金髪で肌も浅黒かった。
「コーヒーだろう、俺も好物でね、毎朝飲んでるよ」
「ほんとうですか!? この辺りじゃあまり飲んでる人がいなくて、噂では北の方では需要があると聞いてたんですけど」
「らしいね。俺もこっちじゃなかなかいい豆が手に入らなくて。君はどこの出だい?」
「私は、デールのデルンジャ王国があるアピア地方から来ました。コーヒーとカカオが特産で、うちも代々農園をやってるんですけど、輸出がカカオばっかりで、うちのコーヒーが全然伸びなくて、一念発起して単身売り込みに来たんです!」
つまり南方のデール大陸とやらから海を超えてやってきたのか。
まだ若いのに、大した度胸だな。
「こちらで需要を掘り起こして輸出を拡大、ひいては商館をつくりコーヒーの一大拠点に……とかなんとか思って乗り込んできたんですけど、薬師さんが少し買ってくれるぐらいで、飲み物として飲んでおられる方には初めてお会いしました」
「だろうなあ、俺も知り合いの喫茶店に勧めたりしたけど、受けが悪かったな」
「そ、そうですか……」
「だけど、気に入ってくれた奴もそこそこいるしな、上手くやれば需要が開拓できるんじゃないか?」
「ほんとうですか?」
「まあ、たぶんだけど」
「いいえ、わずかの可能性にかけるのが、商売人です! さぞ名のある商人とお見受けしました、ぜひともこの未熟な私めにご教示の程を!」
「やる気のある子は好きだねえ。しばらくこっちにいるのかい?」
「はい、場所を移動しようにも、先立つモノが。もう少し在庫を処分しないと」
「ふむ、じゃあ、店を閉めたら訪ねてくるといい。俺も良いコーヒーを仕入れられれば毎朝安心だからな」
「ありがとうございます、私、フリージャと申します」
「俺はサワクロだ。よろしくな」
「はい、よろしくお願いします!」
いくつか豆を買い求めて、その場をあとにする。
「久しぶりにナンパのシーンに遭遇しましたね」
とアン。
「あれが噂のナンパでしたか、街を散歩するだけで引っかかるというのは、あながち誇張でもないのですね」
こちらはテナ。
「ははは、皆好き放題に言ってくれるな。それよりも彼女はプリモァじゃなかったのかな?」
というとアンが、
「プリモァでは? 金髪の種族もいると聞きますし」
「そうなのか」
「人間ほどではありませんが、プリモァも肌や髪の色に若干の違いがあるそうですよ」
「へえ」
人間の次に数が多いらしいしな、そうしたバリエーションがあっても不思議じゃないか。
その他に、饅頭やらのおやつを買い求めて帰路につく。
家に帰ると、隣で宴会をしていたはずのチェス組が帰っていた。
「よう、もうお開きか?」
と聞くと燕が呆れ顔で、
「それが一人退院したかと思うと、浮かれて走り回った別の爺さんが転けて足折ったのよ。幸い、オングラーの爺さんが手当してくれて大事なかったけど、呆れたもんよねえ」
「まあよくあるこった」
「そっちこそ珍しく揃って出かけて何してたの?」
「飯食ってきたんだよ、ほれ、おみやげ」
買ってきた大豆の袋を指し示す。
「これをどうする気よ。納豆にでもするの?」
「納豆か、納豆菌ってあるのかな?」
「あるんじゃないの? どこにでもあるって言うわよ」
「そりゃあ、地球の話だろう」
「試せばわかるんじゃない?」
「じゃあ、作ってみるか」
「でもあれって、臭いんでしょう?」
「そこが良いんじゃないか」
そういえば燕は地球の知識だけは持っているが、地球に暮らした経験は0なので、あくまで知識だけなんだよな。
しかもどうやら辞書的な知識を網羅している感じなので、知識が感覚と結びついていないところがある。
そういえば、判子ちゃんもちょっとそういうところがあったな。
まあいい、とにかく今は豆腐だ。
調べたところによると、一晩水に浸して茹でて搾って濾したら豆乳ができるので、後はにがりを混ぜて水を切ったら豆腐の出来上がりだ。
細かいレシピは不明なので、例のごとくモアノアのセンスに任せよう。
大豆はたっぷりあるので、何度かやってるうちにどうにかなるだろう。
モアノアが大豆の仕込みをしている間に、うちのコーヒーキットを全部出して準備をしておく。
さっきナンパ……もとい、市場で出会ったコーヒー豆の行商人フリージャちゃんと、これからビジネスの話をしなければならないからな。
器具を並べてみると、随分と種類が増えたのがわかる。
オーソドックスなネルドリップのポットだけでも三つあるし、やかんも形状違いで五種類。
馴染みのガラス工房で作ってもらったサイフォンや、アウトドアにつきもののパーコレーター、フレンチプレスにエスプレッソの抽出機もある。
この辺りはシャミが喜んでなんでも作ってくれるので、頼み放題だ。
その前に、さっき買い求めた豆を深めにローストして荒く挽き、プレスで飲む。
ネルと違ってオイル分がまったりと甘みを引き出してくれて良いとおもう。
支度をしていると特別学校に行っていた連中が帰ってきた。
淹れたての珈琲の匂いに寄ってきたエンテルに珈琲を差し出しながら、話を聞く。
「講義は上手くいったのか?」
「ええ、なかなか好評で、講堂は満席、立ち見が出るほどに」
「そりゃ大人気だ」
「景気が悪いようでいて、商家には金があるのでしょう。そうなると子女を学校にやりたくなるものです」
「まあ、教育ってのも一大市場だしな、上手くやればボロ儲けできるのかもしれんが」
などと話しながらコーヒーを啜る。
この豆もなかなか濃厚でいいな。
ついでやってきたフューエルも珈琲を口にしてこういった。
「あなたの勧めで飲み始めたコーヒーですけど、なかなか癖になりますね。最近は気が付くと口がこの苦味を求めている事がありますよ」
「そうだろう、焙煎や淹れ方によっても差が出るしな、もちろん豆の違いも大きいが、このあたりじゃなかなか種類が豊富には手に入らなかったからな」
「その割には、随分と買い貯めたようですけど」
と側に積まれた麻袋を指差す。
「市場に南方から来た業者がいてね。これから家に来るのでビジネスの話をしようかと」
「わざわざうちに呼ぶということは、たいそう美人なのでしょうね」
「どちらかと言うとチャーミング……かな?」
「で、そのチャーミングな業者の方がこれから来られると」
「業者というか、個人輸入みたいな感じだったが」
「デールからなんですね」
「そう言ってたな。デール大陸ってのはエットがやってきたところだろう」
「ええ、南方の大きな大陸で、こちらへの玄関口となっているカイボンの港から、風のある時期でも二、三週間、あるいはひと月近くかかるそうです」
「そんなにか」
「直通のゲートがないもので。大戦前にはつながっていたと、物の本にはあるのですが」
「たしかに、コストはともかくゲートの有無でこの世界は随分と距離感が変わってくるよな」
「あなたの故郷には、ゲートがないのですね」
「まあな、その代わり飛行機があるから、星の裏側でも半日ぐらいでいけるけど」
「飛行機というと、空をとぶ鉄の箱だとか……」
「そうだな」
「どうも信用出来ないのですが」
「みんなそう言うけどな」
「まあいいでしょう。それで、産地などは?」
「えーと、どこだったっけ……」
と首を傾げていると、昼間同行していたミラーが代わりに答えてくれた。
「デルンジャ王国のあるアピア地方、と言っていました」
「デルンジャ、あなたが斡旋した歌手の子たちの一人が、そこの出身だったのではありませんか?」
「え、誰のことだ?」
「たしか長身で太鼓を叩く……」
「ペルンジャか」
無口で長身のドラマーの姿を思い浮かべる。
そういえば、彼女は留学生とかなんとか言っていたような。
「そうです、ルジャ族の出身と聞いています。彼女はたしかノークラッダ公が身元引受人になっているはずです」
「へー、そっちは有名な人かい?」
「エムラが屋敷を借りている人ですよ」
「ああ、あの立派な庭の」
「エムラのお見舞いに来ていた当主のバインツ卿とお話した際に、その話題になりまして」
「しかし、お姫様だけじゃなくて、留学生まで面倒を見るのか」
「何を言っているのです。彼女もデルンジャの有力な諸侯の姫君だそうですよ」
「え、そうなのか?」
「ご存じなかったのですか」
「いや、たぶん誰も知らないと思うぞ。でも確かにちょっと風格というか品位はあったような、なかったような……」
「では、仲間の子たちも知らないのでしょうか」
「それはわからんが……」
「わけあって身分を隠しているのなら、そのことには触れないほうがいいでしょうね」
「だよな、まあ別になにか変わるわけでもないし。そういえば、年末のコンサートに招待されてるんだけど、結構みんな忙しくてなあ……」
などと話すうちに、客人が来た。
お目当てのコーヒー豆の行商人ではなく、隣の喫茶店店主ルチアだ。
俺がさっき人をやって呼んでおいたのだ。
「よう、いらっしゃい」
「コーヒー豆の業者が来るんですって?」
「ああ、上手く行けばまとめて仕入れられるかと思ってな」
「いいわね、サワクロさんがちょくちょく店で飲んでるせいか、注文するお客さんも増えてきたのよ」
「そうだろう、一度はまれば癖になるからな。わざわざサクラをしに行った甲斐があるってもんだ。新しい器具も増えてるから、ついでに見てってくれ」
やがて、今度こそお目当てのお客人がやってきた。
「ごめんください、サワクロさんのお宅はこちらでしょうかー」
と裏口から声がする。
どうやら裏に回ったらしい。
商売人はよく裏からくるけど、彼女もそのタイプのようだ。
特に表が店だとそうなるよな。
「やあ、待ってたよ。いらっしゃい」
「はい、お言葉に甘えて……あ、いい匂い、早速淹れて頂いているのですね」
「うん、君も飲んでみるかい」
「頂きます!」
コーヒー業者のフリージャを台所に招き入れる。
普通の客ならお店の客間に通すのだが、コーヒーを淹れるならここのほうがいいだろう。
「ちょうどドリップしたてのがある。まずは一杯」
「ドリップ、というのはその布漉しのことでしょうか」
「うん、うちではまずこれで飲むんだ」
「なるほど、では頂きます……おお、これは、余計なアクが抜けてツンと来る香りとほのかな酸味が……」
「そうだろう」
「ですが、やはり布で濾すと大事なオイルが抜けてしまうようですね」
「そんな時はこっちのプレスで飲むんだ」
今度はプレスの器具を取り出す。
「おお、これは一体どういう仕組なのですか?」
「まず、ここに粉とお湯を入れて三分ほど抽出してから、この網状の蓋で粉を濾して飲むんだ」
「こ、これはなかなか。このガラスの筒もおしゃれなものですね。ははあ、このかき混ぜるヘラも細工が効いていてなかなか。飲み方としては私の故郷と同じなのですが、普通は大鍋で煎じて、お玉ですくって網でこしながらカップに注ぐのです」
「うん、まあやってることは同じなんだけど、これだと程よく蒸れるしね」
「蒸らしは大切ですね、それで香りが随分変わります。何よりこれは見た目が良いですね」
「他にも……」
「まだあるのですか?」
「ああ、こいつはサイフォン」
と言って大きなガラス器具をデンと置く。
「こ、これは……一体どういう仕組で? まるで錬金術士の扱う器具か何かのように見えますが」
「仕組みを説明するのは難しいんだけど、ここに粉と水を入れて、精霊石のコンロを置いて、暫し待つ」
「はい」
「結構かかるから、別のやつも見せようか。こっちは水出しコーヒーと言って、作っておいたやつだが……」
「水出し! 水で抽出するのですか?」
「うん、一滴ずつ粉に水を垂らして半日ぐらいかけるんだ。それでこっちはエスプレッソ。蒸気の圧力で抽出するんだ」
「なんと、まさか北の国にこれほどまでに多彩なコーヒー文化があったとは! コーヒーを輸出する気で来ましたが、むしろ私がこれらを持ち帰って売りたいぐらいです。こ、これらはどこで仕入れられるのですか?」
「残念ながら、こいつはうちで作った一点ものでね」
「な、なんと……では、あなたが発明されたのですか?」
「いやあ、そういうわけでもないんだが」
「き、企業秘密でしょうか!」
「まあね。それよりも、そろそろサイフォンのお湯が湧くぞ。ここからが見ものでな」
「と、もうしますと?」
「まあ、見てなって」
フリージャちゃんは、ボコボコと逆流していくサイフォンの動きにいたく感動したようで、非常に興奮していた。
「素晴らしい! 海を超えてきたかいが有りました! このドリップの酸味が際立つ味わいも、何度か飲むうちに、とても癖になってきた気がします」
「そうだろう、特にこのプレスだと、粉っぽさが残るのもウケが悪いんだよな」
「そういうものだと思い込んでいましたが、たしかに飲み比べるとこのネルドリップという手法がシンプルでありながら、とても、その、お上品な飲み物になった気がします」
「あとは、ミルクと砂糖をいれてもいいな」
「お茶のような飲み方をするのですね、故郷ではよく塩をひとつまみいれます」
「ああ、そういうのもあるな。酸味が抑えられて風味が良くなるよなあ」
「はい、故郷ではあまり酸味を好まないのです」
「そうなのか、まあ地域差もあるしな、俺は割と何でも好きだが」
「たとえばこのモカという品種は、香りがとても良いのですが酸味も強く、飲用としてはなかなか売れません。しかし、酸味を好む地域に輸出するのであれば、仕入れ値が安いのでとても良い商売になるかもしれませんね」
フリージャちゃんは俺の振る舞った様々なコーヒーに触れて、夢をふくらませているようだ。
その横で俺はミルクの泡をふくらませていた。
「ミルクをそのまま入れるのではないのですか?」
「淹れる時もあるんだけどな。こうしてエスプレッソにたっぷりの砂糖と温めたミルク、そして泡立てたミルクを入れたらカプチーノの完成だ」
「おお、なんだか、すごいものですね」
それまで黙って話を聞いていたルチアも、カプチーノを気に入ったようだ。
「これ、すごくまろやかで飲みやすいし、いいんじゃない?」
「そうだろう、キャラメルとかチョコレートをいれてもいいぞ」
「あ、たしかにそうかも」
「あとな、この泡に爪楊枝とかを使って絵を描いて出すのもいいんだ」
と調子に乗ってやってみせるが、絵心のない俺には無理があった。
「ま、まあ、コンセプトはわかったわ。判子が結構器用だから、彼女に頼めばいけるかも」
「そうだろ、出してみろよ。セレブにバカ売れだぞ」
「そうかも。ねえ、フリージャさん、この豆、この値段でコンスタントに仕入れられる?」
とルチアが話を振ると、
「は、はい。ただ、二ヶ月に一度の仕入れになりますけど、こちらで倉庫を確保できればいいんですけど、先立つものが」
「そうよねえ、南方だもんねえ。ねえ、サワクロさん、どうにかならないの?」
ルチアは俺に丸投げする。
「そうなあ、俺も個人的に自分で飲むためだけでも仕入れたいところだが」
そこで、少し離れたところで聞き耳をたてていた大商人メイフルを召喚する。
「そうですな、バンドンの定期航路にちょいと空きを作ってもろうて、そっから始めるのはどないでっしゃろ。このコーヒーちゅーやつは、結構目も覚めますしな、上手く売り込めば船乗りも気に入る、思いますねん」
近くにいた考古学教授のエンテルも乗り出してくる。
「たしかに眠気が覚める効果はありますね。学院でもたまに同僚に振る舞うのですが、何人かには好評で、自分でも淹れたいと言うものも。先日、お世話になっている方に茶器のセットをお贈りしたばかりですし」
とのことだ。
思った以上にコーヒーブームが起こりつつあるのだろうか。
需要があるなら、例の商店街拡張計画の一環として、彼女に店を出してもらってもいいかもな。
いま口にする段階ではないので、後でメイフルと相談しておこう。
そんなことを考えつつ、調子に乗ってコーヒーを淹れまくったせいか、頭がくらくらしてきた。
カフェインの摂り過ぎだ。
「ちょっと飲み過ぎたか」
と言うと、豆屋のフリージャちゃんが、
「サワクロさん、随分お強いんですね。私もコーヒーには強いほうだと思っていましたが、一度にこれだけ飲むと、流石にちょっと頭が……」
「すこしやり過ぎたな。とりあえず水を飲んどこう。それよりも、遅くなったようだが、宿は大丈夫かい?」
「あ、そういえばいつもの宿は六時には部屋が埋まってしまうんでした」
時刻はすでに夜の八時をすぎている。
エキサイトしすぎたな。
「だったら、この近くの金盃って宿がいいわよ」
とお隣のルチア。
「まあ、私の親戚がやってるんだけど、シーツは清潔だし、朝はパンも出るわ。お値段もお得な方だと思うけど」
「それは助かります」
「じゃあ、私が案内するわ」
たまにパートに来るおばさんもそうだけど、ルチアの親戚って結構この街にいるっぽいな。
そういうコネクションがあるからこそ、あの若さで店が出せたのかもしれんが。
「お願いします。それでは本日はこの辺で。大変勉強になりました」
と言ってフリージャちゃんは頭を下げ、帰っていった。
彼女を見送ってから、メイフルと相談する。
「ま、需要があるかの見極めには数年かかりますけどな。十年単位のスパンで考えてもええ商売ですけど……まずは流通経路と販売経路の確立が先決ですわな」
「ふぬ」
「空き家もまだ数軒ありますし、うちの方で貸し出す形にして店を出してもらってもええですわな。なにより大将の好物ですからな、それぐらいなら赤字出して仕入れても構いまへんねん」
「商売人として、それでいいのか?」
「いいことおまへんけどな、なんせ大将は食いもんぐらいしか金つかいまへんからなあ。女将のほうがよっぽど……」
と言いかけて口をつぐむ。
「ま、とにかく、ええようにしますんで、任せといてくんなはれ。明日にでも彼女をバンドンに連れてきますわ」
メイフルはそう言って、自分の城である店に戻っていった。
来年には商店街も随分と様変わりしてそうだ。
それはそれとして、今夜は寝付けそうにないな。
夜更かしのお供は誰にしてもらおうか。
なんだか色んな意味で、面白くなってきたなあ。
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