第198話 渡り廊下

 その日も飲み過ぎたせいか、深夜に目を覚ます。

 トイレに行きたいんだけど、トイレは裏庭なんだよな。

 耳を澄ますと、どうやら外は吹雪いているようだ。

 つまり、用を足すには、土間に降りて素足にサンダルを履き、裏口から出て雪の積もった石畳の上を歩いて馬小屋の横を通りトイレまで歩いて行かなければならない。

 そして糞寒いトイレで凍えながら用を足して、再び戻ってくるのだ。

 つらい。

 なぜ、風呂場は屋内にあるのにトイレは屋外なのか。

 前にも言った気がするんだけど、トイレは外にあるものだと皆に言われてしまったからなあ。

 文化の違いか。

 エツレヤアンの家は小さかったから、実質裏口と屋根でつながってたんだけど。

 だがしかし、ここでぼやいていても、尿意は待ってくれない。

 暖かい布団から起きだして、いざ酷寒の地へと旅立つ覚悟を決めると、不意に声がかかった。


「あなた、もしかして厠ですか?」


 隣で寝ていたはずのフューエルが声を落として話しかけてきた。


「そうなんだ、できることなら避けたいが、こればっかりはいかんとも」

「実は私も、さっきから我慢していたのですが……」

「我慢は良くないぞ」

「仕方ありませんね、では私もご一緒しますか」


 というわけで、夫婦揃って深夜の連れションとなった。

 屋内用の綿入れを羽織って、土間でランプを手にサンダルを履いていると、紅とミラー数人がやってきた。

 手には革のマントを持っている。


「外はかなり吹雪いています。先程雪をかいておきましたが、滑るのでお気をつけ下さい」


 と紅。

 どうやらこのマントでガードしてくれるようだ。

 ありがたいというより、そこまで酷いのかと心配になる。

 裏口を開けると、突然のホワイトアウト。

 ホワイトというか、真っ暗なんだけど、手元のランタンでかろうじてそれが雪だとわかる。


「いや、これ無理だろう」


 俺が嘆くとフューエルが、


「紳士ともあろうものがその程度で諦めてどうするのです。ほんの五メートルほどではありませんか」

「しかし桃園の紳士、深夜のトイレに向かう道中で凍死とか新聞に書かれたら、死んでも死に切れんぞ」

「死ななければいいのです、ほら、行きますよ!」


 勢いよく俺の手を引っ張るフューエル。

 たくましいなあ。


 わずか五メートルの果てしなく続く道のりを、俺たちは愛の力で乗り越え……たわけではなく、ミラーのガードでどうにか吹雪を耐え忍びながら、トイレに駆け込んだ。

 トイレの中は風がしのげるだけでずいぶん暖かく感じる。

 ここは大人数向けに大きく作ってあるので、それなりにスペースがある。

 天井にはランプが灯り、手洗い用の桶の側では、小さな精霊石のストーブが焚かれていた。

 凍結防止用らしい。

 どうにか用を足して、再び帰り道。

 更に吹雪が増したのか、裏口が見えない。


「流石にやばくないか、これ」

「たしかに、この街でここまで吹雪くことは、めったにないと思うのですが」


 さすがのフューエルもたじろいでいる。


「そういや、スィーダ達は大丈夫なのか? 今夜もテントじゃなかったか?」


 と尋ねると紅が、


「大丈夫です。日が変わる前に、二階に避難しました」

「そりゃ良かった。とはいえ、戻れるのか、これ」

「少々お待ちください。今救援が来ます」


 しばらく待っていると、ミラーがさらに数名、大きな戸板のようなものを持ってやってきた。

 これで風上に壁を作ってくれる。

 俺たちはその影に隠れるように、慌てて家に駆け込んだ。


「はあ、ひどい目にあった」


 俺の言葉にフューエルもうなずいて、


「まったくです。そもそも、なぜこの家はトイレが別棟になっているのです? せめて通路を屋根で覆えばいいではありませんか。おかげですっかり目も覚めてしまいました」

「そう、そのとおりだ。前もそんな話をした気がするんだが、こいつはどう考えても今すぐやるべきだろう」


 現在、時刻は深夜二時。

 丑三つ時だ。

 紅に聞くと、カプル達大工組はまだ起きているというので、早速地下に乗り込んでいった。

 大工事務所では、三人が思い思いに自分の席で何かの作業をしていたが、俺達が乗り込んでいくと、驚いて寄ってくる。


「こんな時間にお揃いでどうなされたのです?」


 とカプル。


「いやな、トイレに行ったら、ひどい目にあって」

「トイレが何か?」

「外はすごい吹雪でな」

「まあ、そうでしたの。昼間からずっとここに篭っていたので、気が付きませんでしたわ」

「お前たちもトイレぐらい行くだろう」

「それでしたら、隣に……」


 なにやら、隣の部屋に壺を置いて、そこで用を足しているとかなんとか。

 中身はミラーが定期的に処分しているらしい。

 寒いからというより、単に上に上がるのが面倒だからとのことだ。

 それはどうなんだと思わなくもないが、


「あら、今でも内陸の下水のない城や神殿などでは、王侯貴族でさえ、そうして済ませているものですわ。何より、この地下室は臭いもこもらないので安心ですわね」


 すました顔で答えるカプル。

 まあ、そうなのかもしれんが。


「とにかくだ、トイレが外にあるのは仕方ないとして、裏口から外に出ずにダイレクトにトイレに行けるように、渡り廊下みたいなものを作ってくれよ」

「そうですわねえ、たしかに、吹雪も酷いようですし、必要かもしれませんわね」


 話を通して、上に戻る。

 下が快適なので忘れていたが、寝室に戻ると結構寒い。


「これでは、なかなか寝付けそうにありませんね」


 とフューエル。


「風呂はまだ沸いてるのかな、いっそ温まったほうが眠れそうな気がするが」


 ミラーに確認すると、まだ大丈夫らしい。

 二人して湯に浸かって、温まり直す。


「ふぅ、生き返りますね。しかし、トイレに比べて、我が家のお風呂の快適さは、たまらないものがありますね」


 うっとりした顔で呟くフューエル。

 じっくりと温まってから、暖炉の前で体を乾かす。

 この時期は、一晩中火を焚いている。

 隣で火にあたるフューエルを眺めながら、俺はテーブルに置かれたグラスを手に取り、隣のボトルから手酌でブランデーを注ぐ。

 フューエルの体臭と、アルコールの香りが鼻の奥で入り混じってなんとも言えない、いい匂いになる。

 舌で転がる液体を一気に飲み干すと、俺はふぅっと熱い息を吐く。

 のどかだねえ。

 日本にいた頃、こんな時間に酒を呑むのは、週末に終電を乗り過ごした時ぐらいだったもんだが。


「どうしたんです?」


 よほど変な顔をしていたのか、フューエルが不思議そうな顔で尋ねてくる。


「いやなに、ちょっと昔を思い出してな」

「昔とは?」

「仕事を終えて一人寂しく飲んでた頃さ」

「今、周りに大勢侍らせているのは、その頃の反動なんですか?」

「さあ、これは趣味じゃないかな」

「だと思いました」


 そう言って、フューエルは俺の隣に移動する。


「私もつい最近までは、仕事に打ち込んで気が付くと夜も更けていて、女中たちを起こすのも気の毒なので、一人で飲んでいたこともありますよ」


 と言って笑うフューエルは、最近ますます色っぽくなった。

 深夜に濃厚な時間を過ごす俺たちを妬むかのように、外ではびゅーびゅーと吹雪いているが、俺の知ったことではない。

 きついアルコールと、フューエルの体温と、燃え盛る暖炉があれば、いくらでも吹雪けといった気になるな。


 二人して杯を重ねるうちに、徐々にまどろみ始める。

 クッションを底にしてソファに横たわり、ほてったフューエルの体を抱き寄せる。

 ああ、眠くなってきた。

 自分のほてった頬を撫でると、わずかにひげの感触がある。

 朝も近いし、生えるよなあ。

 などとぼんやり考えながら、まどろんでいく。




 レンズ越しに見える景色。

 無彩色の部屋。

 その中央に薄汚れた髭面の男が写っている。

 グレーの壁に浮かんだ端末を見ながら、髭面は独り言のようにつぶやく。


「やはりセマンティクスの回復は無理か」


 髭面はこちらを向いて、はっきりとした口調で宣言する。


「ノード229、我々、軌道管理局全職員はここを退去する。以後の管理はすべて一任する。パズロヤールは残していくが、ヘンプロールは連れて行く。手ぶらじゃ不安なんでな。地上は異常増殖した高濃度エルミクルムに汚染され、生活は困難。これからは地下のもぐら共のお情けで生きていくってわけさ。どうだ、なんとか言ったらどうだ?」


 髭面の男のセリフは、次第にただのボヤキになっていく。


「結局、マザーも生きているのかどうか。ゲートの縮退によるフォシーバーストが崩壊の原因だってのは間違いないだろうが、ゲートが無くなった今、惑星連合からの救助も期待できない。一番近い有人星系でさえ、五千光年も離れてやがる。外惑星上の機動艦隊が生きてりゃ、まだどうにかなるのかもしれんが連絡はつかない。地上に何本も生えた柱が何なのかもわかりゃしない。食料も持ってあと二年。余裕のある内に自給できる環境を構築しなけりゃ、生き残った人間同士で食い物の奪い合いをやるしかないわけだ」


 男は深い溜息をついて、部屋を出て行く。

 最後に出口で振り返り、レンズに向かってこう言った。


「なに、運がよけりゃ、そのうち戻ってくるさ。それまでしっかりペレラールのもぐら共から、ここを守っといてくれよ」


 髭面の男はそう言って手を振ると、部屋から出て行った。

 レンズ越しの景色は、再び無彩色のただの箱に戻る。

 俺はぼんやりと薄れ行く意識の中で、こう思った。

 あんたの気持ちもわからんでもないが、余計なことを言うから、後で俺が苦労するんじゃないか、と。




 翌朝。

 ドタバタと賑やかな声に目を覚ますと、暖炉の前でフルンとエットが素っ裸で体を乾かしていた。

 よく覚えてないが、むさ苦しい夢を見た気がするので、健全な女児の裸体が目に優しい。


「あ、ご主人様おきた、おはよー」


 とフルン。


「おう、おはよう。もう朝稽古は終わりか?」

「うん、もうご飯だよ。フューエルも起きた?」

「まだ寝てるんじゃないか?」


 隣で寝息を立てるフューエルのほっぺたをつついてみたら、むにゃむにゃと何か訳のわからないことをつぶやいていた。


「外ねー、すっごい雪だよ。一メートルは積もってる。朝からミラーとクロックロンが雪かきしてた!」

「ほう、そんなにか。まだ降ってんのか?」

「今はやんでるけど、たぶん、また降りそう」


 元気の有り余るフルンと話すうちに、目が覚めてきた。

 のっそりと起き上がって、土間に向かう。

 アンが用意してくれた手桶のぬるま湯で顔を洗って裏口から出ると、一部を覗いてこんもり雪が積もっていた。

 昨夜の時点じゃ膝下ぐらいだったのに、今では腰より上にある。

 こりゃあ、大変だ。

 今もミラーが十人ほどいて、余計な雪を湖に捨てていた。


「ご苦労さん。しかし、また降るなら大変だな」

「おはようございます、オーナー。カプルがこれから通路を作るそうなので、今のうちに場所を確保しておきます」

「ああ、もう作ってくれるのか」

「すでに下で枠組みは完成しております。あとは設置するだけです」


 相変わらず手が早い。

 というか、早く簡易に作るものと、じっくり丁寧に作るもののメリハリの付け方がすごい気もするな。

 カプルはざっくり作る時は仕上げもほどほどに、最小限の機能で形にするし、かと思えば何日もかけて見事な工芸品を仕上げたりもする。

 両方出来るだけじゃなくて、その切り分けがキッチリできるところが、あいつのすごいところかもなあ。

 普通はどっちかに特化するところだが。

 それに、手の空いてるミラーが十人居たとすれば十人をきっちり無駄なく使う管理能力もある。

 逆にシャミなどは延々とプロトタイプだけを作っていることが多くて、実際に仕上げる時はカプルが主導してことにあたっているようだ。

 これはサウにも言えるようで、うちの工業生産力はカプルのプロデュース如何にかかっているといえる。


 コーンスープにパンだけの質素な朝食をとって、カプルの工事を見守ることにした。

 地面を測って石造りの土台を打ち込み、その上に組立積みのパネル状の壁面を次々と配置していく。

 最後に屋根を乗せたら完成だ。

 明かり取りの窓が小さく付いているだけなので、廊下は薄暗い。

 床も元の石畳のままなのだが、どちらにせよ裏口に出る前には土間に降りるので、サンダルに履き替えるのだ、そこは問題無いだろう。


「通路にランプとヒーターを置いておきますわ。夜通しミラーが起きているので、火の心配も大丈夫でしょう」


 とカプル。


「いや、これだけあれば十分だろう。助かったよ」

「もっと早くにしておくべきでしたわね」

「最近、忙しいのか?」

「工場が本格稼働したので、何かと。空き家の方を画廊に改築する工事もありますし。あとはご主人様の書斎や、奥様の馬車などに時間を取られていますわね」

「俺の書斎は後回しでもいいけどな」

「では、そうさせていただきますわ。やはり工場を優先させませんと」

「だよな、なんせ客のある話だからな」


 将棋セットの初回ロットは、すでに全国の好事家からの予約でいっぱいらしい。

 ここで満足してもらえるかどうかが今後の発展にかかっているのだ、万全を期してもらわないとな。

 その後には、フルン謹製の双六の制作も待っている。

 双六というより、ボードゲームと言った感じだが。

 綺麗なイラスト入りのボードと、リアルな冒険者フィギュアを使った、本格的なやつだ。

 売れるかどうかはともかく、インパクトはある。

 昨今の冒険者ブームに上手く乗れば、流行るんじゃなかろうか。

 流行るといいなあ。


 渡り廊下は、トイレだけでなく、その隣の馬小屋にも通じている。

 馬小屋は馬だけじゃなく、隣に薪も積んであるので頻繁に利用する。

 この時期のエサやりは案外大変だったようで、担当であるウクレやアフリエールはいたく感謝していた。

 一方、出来立ての廊下をいつもの様に走り回っていたフルンなどは、


「すごい、砦みたい! お家が砦になった、カッコイイ!」


 とことの外喜んでいた。


「ははあ、そういう見方もあるな」

「砦なら、見張り台もいると思う! 湖が見通せるやつ!」

「ああ、いいな。二階のベランダともつながってるとなお良さそうだ」

「いい! それすごくいいと思う! カプルもそう思わない?」


 近くでミラーに指示していたカプルに話しかけると、


「また、大変なことをさらりとおっしゃいますわね。立体構造にするなら、それなりの基礎が必要ですわ。それにフルンは豪快に走り回るでしょう。簡単にはできませんわよ」

「でも、カプルなら完璧にカッコいいの作ってくれると思う!」

「仕方ありませんわね、でも、しばらくかかりますわよ、雪が続いては、工事もできませんし。場合によっては春以降になりますわ」

「やったー、あのね、前にクメトスに連れてってもらった白象砦の見張り塔がかっこよかったの。こう、螺旋階段が全部右に曲がってて、なんでって聞いたら、上るほうが右手に壁があると剣が使いづらくて不利だからなんだって。だから攻め手は左利きのほうが有利かも!」

「それはそうなんですけれど、我が家の裏庭で、何と戦うつもりなんですの?」

「あれ、それは関係なかったかも。とにかく、見張り台はカッコイイ。狼煙とかもついてるし。てっぺんで湖見ながら、お弁当とか食べると美味しいと思う」

「そうですわねえ」


 何やらカッコいい見張り台の相談を始めてしまった。

 裏庭で籠城でもするつもりだろうか。

 なんにせよ、我が家の環境が改善されたことはめでたいことだ。

 これで飲み過ぎて夜中にトイレにいく時も、安心に違いない。

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