第197話 パン勝負

 商店街にたなびく年末大売り出しののぼりを眺めながら、俺は隣の喫茶店で甘いお茶をすする。

 だが、連日の寒さと雪で、客足はイマイチだ。


「ほんと、さっぱりね。こんなんじゃ落ち着いて年も越せないわ」


 ぼやくのはカウンターで皿を拭いていたルチアだ。

 お隣の喫茶店店主であるルチアは、若いのに自分で店を出して切り盛りする、なかなかのやり手だ。


「オメーのトコは客が店まで来てくれるだけ、まだいいじゃねえか。俺なんてこの寒空の下、朝から配達で街中走り回ってんだぞ」


 と愚痴るのは、同じ商店街で果物屋を営むエブンツ。

 こちらは比較するとだいぶグータラに見えるが、こうみえても妹と二人で店を出し、今日までどうにかやってきただけあって、基本的にはできるやつなのだろう、たぶん。

 今はちょうど配達を終えて、遅めの昼食をここで取っていたところだった。

 パンケーキを口に放り込みながら、エブンツが俺に話しかける。


「なあ、サワクロ。冬はなんもやらねえのかよ?」

「そう言われてもなあ」


 先の秋祭りのようにイベントをやれということなのだろうが、そうそう都合よくアイデアが出てくるわけでもない。

 そもそも、最近はフューエルとイチャイチャするのに忙しくて、それどころではなかったのだ。


「俺も忙しくてなあ。神殿の大掃除が終わったばかりだろ、これから考えるにしても、ろくに準備もできねえぞ?」

「とはいえ、あんなのぼり立てるだけじゃ、有り難みねえよな」

「だよなあ」


 俺とエブンツのだらしない会話を聞いていたルチアが呆れた顔で、


「ああもう、二人共だらしないわね。ハブオブさんは夜明け前から必死に働いてるじゃない」

「しかし、あいつの場合はなあ」


 とエブンツ。


「あいつの場合はなによ」

「別に問題があるだろう」

「あー、なんか彼女のこと?」

「知ってんのかよ」

「ほら、祭りの最終日に挨拶したから。年が明けたら一緒に住むって言ってたけど。むしろ安泰じゃないの?」

「ああ、そっちの彼女な」

「そっちじゃない彼女もいるの?」

「なんか、いるみたいだぞ」

「へー、そりゃ大変だわ」


 人事だと思って二人はのどかに話しているが、俺は個人的な都合でそれなりに気を使わなきゃダメなんだよな。

 例の田舎の彼女が乗り出してくる前に、できれば解決しておきたいが。

 しかし、こればっかりは紳士様のご威光もまったく効果なさそうだよな。

 そのうちどうにかしないと、とぼんやり考えていると、突然エレンが飛び込んできた。


「大変だよ旦那、のんびりお茶なんか飲んでる場合じゃないよ」

「どうしたエレン」

「それが、ハブオブの旦那の田舎の彼女が、パン屋のお嬢さんのところに乗り込んできたって」

「なに!?」

「もう、店は大騒動。卵は飛び交い、小麦粉は舞い、刃物が出るのも時間の問題だね」

「それでハブオブは?」

「今、知らせが来て走っていったよ」

「よし、俺も行こう」


 慌てて店から出ると、通りの向こうから息を切らして、パン職人のエメオちゃんが走ってきた。

 俺にパン屋のお嬢さんことチュリエッテ嬢の三角関係を穏便に解決するように頼んだ張本人だ。

 言ってみれば、この子のために俺は一肌脱ごうと考えているわけだが、さて……。


「サ、サワクロさん、たいへんです、お嬢さんが!」

「今聞いたところだ、とにかく急ごう」

「はい!」


 道中、エレンとエメオから話を聴く。

 どうやら、先程婚約者であるコラゥが突然パン工房に乗り込んできて、チュリエッテを呼び出すと口論が始まったそうだ。

 それがだんだんエスカレートして取っ組み合いの喧嘩になったと。


「しかし、なんで急にそんなことに」

「どうも田舎の彼女に、誰かが告げ口したみたいだね」


 とエレン。


「というと?」

「たぶん、ハブオブを知るだれかが、彼とチュリエッテの関係を見ちゃったんだろうね。で、それをバラしたと」

「ははあ、遠くの田舎に住んでると思って、ちょっと油断してたな」

「僕もだよ」


 討ち入り現場に到着すると、ちょうど双方が押さえつけられて、一時休戦となっていた。

 舞台は工房の裏口に当たる路地で、幸いな事に人通りは少ないが、騒ぎを聞きつけた野次馬もそれなりに見守っている。

 で、先に駆けつけたはずのハブオブは、地面にひっくり返っていた。

 気の毒に。

 俺と同時に、小麦の仲買人であるリリエラお嬢さんも駆けつけたようだ。


「これは紳……サワクロさん、あなたも来てくださったんですね」

「まあね、しかしとんだ事になったな」

「ええ、まさかいきなり乗り込んでくるとは。年明けに出てくるという話だったので、それまでにどうにかと思っていたのですが……」

「俺もそうなんだが、うーん」


 と悩んでいる間に、二人のファイターは再びリングに上ってしまった。

 ちゃんと押さえてないからだよ。

 うちの騎士連中でも連れてくればよかった。


 とにかく、どうやってこの場を抑えるか考える。

 ここに至ってチュリエッテちゃんの方も、なぜハブオブが自分になびかないかを悟っただろうし、むしろ千載一遇のチャンスと捉えているかもしれない。

 そこまで考えていなくても、まあこの状況だと戦うわな。

 となると、無理やり引き剥がしてこの場は抑えても、後日必ずやりあうだろう。

 その時に、今より状況が良くなっている可能性は少ない。

 つまり、今決着をつける、少なくとも決着方法だけでも決めるべきだ。

 そこまで考えて、俺は周りを見る。

 手頃な空き箱に昇り、力を封じる指輪を外して声を上げた。


「しずまれーい!」


 輝く後光とともにそう叫ぶと、周りの人間は全員ハッとなってこちらを見る。

 相変わらず、すごい効き目だ。


「え、なに……?」

「し、紳士様!?」


 チュリエッテとコラゥの両人は俺の後光に圧倒されてその場に固まる。


「二人共、まずは私の話を聞きたまえ」


 俺の紳士力にアテられて毒気を抜かれた二人は、呆然としたまま、おとなしく話を聞く。

 まだ名案が浮かんだわけではないのだが、当り障りのない一般論から滔々と話して聞かせて、二人を説得する。


「……二人の思いは本物だろう、だがハブオブの体は一つ。分け合えぬというのであれば、どちらかを選ばねばなるまい」

「だ、だからこいつを倒して」


 とチュリエッテが言えば、コラゥも、


「私は負けません!」


 と受けて立つ。


「刃傷沙汰など起こして、ハブオブに悪評を立てることは二人の望みではあるまい。まして、ご両人にもしものことがあればそのことは彼の心に永遠に深い傷を残すだろう」

「で、でも……」

「ですけど、紳士様、私は……」


 えーと、だから、どうしよう。

 大見得を切ったのはいいが、まだ何も思いつかなかった。


「パン屋の妻になるというのであれば、パン作りで勝負せよっ!」


 突然、ドスの利いた声が響いた。

 声の主は、二メートルの大男だ。

 どこから現れたのか、路地のど真ん中に荷物をいっぱい抱えた男が立っていた。


「お、お父さん!」


 チュリエッテが叫ぶ。

 あれがつまり、パン工房の主か。

 買い物にでも出ていたと見えるが、帰ってきてこの惨状を見てこの対応だ、見た目同様、肝の座った人物とみえる。

 となれば、彼の提案に乗ってみるのもいいかもしれない。


「いかがかな、そこの紳士殿」


 俺は大きくうなずいて、


「私は良いと思います。お二人はどうかね? この提案に、乗るかね?」


 俺が優しく尋ねると、先に叫んだのは婚約者のコラゥだった。


「やります! 私だって一緒にパン屋をやるために、ずっと村でパンを焼いてきたんだから」

「わ、私だってやるわよ!」


 チュリエッテも叫ぶ。

 パン屋の娘のほうが有利そうな気もするが、でも彼女はパン作りが苦手だと言っていた気もするな。

 となると、条件は五分か。

 双方の同意を受けて、パン屋の親方が宣言する。


「材料と釜は工房のものを使うとする。題材はひとつ、朝食に出すクーペを作ること。双方、今から仕込みに入り、日暮れまでに焼きあげるのだ」


 二人の娘は頷く。


「審査はハブオブ、お前がせい。良いな」


 当事者の中で一番現状が飲み込めていないハブオブは、力なく頷く。

 俺は指輪をはめ直してハブオブのところに行った。


「災難だったな、ハブオブ」

「サワクロさん……あなた、紳士様だったんですね」

「隠しててすまなかったな、あんまり言いふらすもんでも無いと思ってな」

「いえ、でも……それでいろんなことに得心が行きました」

「中身はあんまり変わらんよ。でもまあ、エブンツには内緒にしといてくれ」

「他の人は、知ってたんですか?」

「オングラーの爺さんとエヌはな」

「そうでしたか」

「しかし、大丈夫か?」

「はい……、元はといえば僕がまいた種です」


 そう答えたハブオブは、とても覚悟が決まったという感じではなく、心労からか十は老けこんで見えた。

 気の毒に。


 二人の決闘者は、他のパン職人たちの案内で調理場に入っていった。

 親方は裏口に置かれた小さなテーブルセットに腰を下ろすと、抱えた荷物からワインを取り出す。

 すぐに職人の一人がグラスを持ってくる。


「紳士殿。一杯いかがかな? リリエラ嬢も」


 親方に進められるままに、俺とリリエラはテーブルについてワインを頂く。

 渋い酒だなあ。


「あなたのおかげで、どうやら最悪の事態は避けられたようで、礼を申します」


 親方は頭を下げる。


「いや、実のところ私もどうしたものかと途方に暮れていたところで、助かりました」

「お嬢もすまなんだな」

「いえ……私も結局、紳士様のお力添えがなければ何もできずに……」

「こら、ハブオブ、お主もこちらに来て飲め」


 親方は今度はハブオブを呼ぶ。


「は、はい……」


 言われるままに、席につくハブオブ。

 親方は黙ってグラスにワインを注ぎ、ハブオブは味もわからぬ顔でちびちびと飲む。

 パンが焼きあがるのって、四、五時間はかかるよな。

 それまで、ここで待つのか。

 結構寒いよなあ。

 などと考えていると、親方がポツポツと話し始めた。


「パンというものは、誰でも食うものだ。だからこそ万人に受けるように、あまり主張せず、それでいて飽きることもなく、いつもで食卓の脇に置かれるものであるべきだと、ワシは考えて作っておる」


 親方は、喉を湿らすようにワインを一口飲んで、続ける。


「ハブオブ、だからお前のような人間は、もっともパン作りに向いておると考えておった」

「親方……」


 疲れきった顔のハブオブは、すがるように親方を見つめる。


「だがな、妻を娶るとなれば話は別だ。その時、お前さんとその相手こそが主役であり、メインディッシュなのだ。そこでは誰かを慮るより先に、自分と相手のことを考えねばならん。全てはそれがあってからの話だと、ワシは思う」


 親方はゆっくりゆっくり、考えながら言葉をひねり出しているように見える。

 たぶん、彼もハブオブ同様、奥手で控えめな人物なのかもしれない。

 そんな彼が、ハブオブと、そして娘のために、精一杯考えながら、話しているのだろう。

 ハブオブは、親方の話が半分もわかっていないように見えたが、それでも何か思うところがあったのだろう。

 疲れきった顔の奥に、なにか決意のようなものが見えた。




 待つこと数時間。

 すっかり冷えきった頃に、双方のチャレンジャーが焼きたてのパンを持って出てくる。

 それぞれのお盆に積み上げられたパン、どうやらコッペパンぐらいのバゲットだ。

 なるほど、よく朝飯で食うやつだな。

 こういうシンプルな奴ほど、実力が見られるのだろう。


「ハヴィ、できたわ。食べてちょうだい」


 パン屋のお嬢さんチュリエッタが言えば、故郷の婚約者コラゥも、


「さあ、ハブオブ、食べて」


 負けじとパンを差し出す。

 二人共、表情は真剣そのもので、まるで命がけの勝負といった面持ちだ。

 まあ、命はともかく、今後の人生がかかってるわけだしな。

 一方のハブオブは、ここに至って覚悟が決まったのだろう。

 落ち着いた表情で、


「二人共、お疲れ様でした。それでは、頂きます」


 双方のパンに手を伸ばす。

 はじめはチュリエッタのパン。

 無表情のまま、もぐもぐと噛み、そのまま飲み込む。

 続いてコラゥのパン。

 こちらも同じく無表情。

 食べ終わったハブオブを、周りの皆が見つめる。

 はじめは無表情だったハブオブの顔が、徐々に険しくなってくる。

 見ればこの寒空の下、額には薄っすらと汗が浮かんでいる。

 こりゃあ、相当悩んでいるに違いない。

 次第に頬は引きつり、額はしわだらけに、唇を噛み締め、苦悶する。

 うわあ、つらそうだ。

 つらそうだが、俺には見守ることしかできない。

 がんばれ、ハブオブ。


 やがて、結論が出たようだ。

 ハブオブは、この世の終わりのような顔で、こうつぶやいた。


「結果は……二人共、失格です」


 悩みぬいた末に、絞りだすようにそう結論を出したのだった。

 その結果を聞いた二人の娘は、質問も反論もなく、その場に泣き崩れてしまった。

 ハブオブは、そんな二人に深々と頭を下げながら、


「ごめん、コラゥ。僕は君と一緒になりたいと思ってたけど、僕と一緒になるってことは、パン屋の妻になるということ。でも、このパンはどちらも……僕の考えるパンとは程遠い……。今の僕にはこのパンを認めることは、出来無いんだ……」


 ついでチュリエッテに向き直り、


「お嬢さん、あなたにも申し訳ないことをしてしまいました。僕が最初からコラゥのことを話していれば、こんなことにはならなかったのです。それなのに……」


 そこで一旦、言葉に詰まり、うつむくハブオブ。

 わずかばかりの時間が流れ、再び顔を上げて、親方に向き直ると、こう言った。


「親方、僕は……未熟でした。早く独り立ちすることばかり考えて……パンの焼き方以外、何も知らなかったみたいです。もっと親方の元で修行しておくべきでした。なのに……僕は、全部なくしてしまいました」


 呻くようにそうつぶやくハブオブ。

 親方は、厳しげな表情を、ますます厳しくしてこう言った。


「だったら、やり直せば良い。うちはいつでも人出が足りん」


 そう言って親方がハブオブの肩を叩くと、とうとう、わっと泣き出してしまった。

 ああ、馬鹿正直で、どうしようもないお人好しだなあ。

 こいつとは、何があっても友人でいようと、俺は心底、そう思ったのだった。




 結局、ハブオブは店を畳んで、親方のもとで修行をやり直すことになった。

 恋人のコラゥちゃんも、一緒に住み込みで働くらしい。

 まあ故郷にも帰りづらいだろうしなあ。

 そしてチュリエッテ嬢も、パンを焼く修行を一から始めるとか。

 また喧嘩しなけりゃいいけど、するだろうなあ。

 三人の関係がどうなるかはわからんが、それはハブオブ達の人生であって、俺がどうこうする問題ではない。

 俺はただ、友人として時々酒でも飲んでやるさ。


「それで、お嬢さんとコラゥさん、結構仲良く生地をこねたりしてるんです。私、不潔だと思います」


 後日俺に語ったのは、エメオちゃんだった。

 俺が紳士と知って驚いていたが、


「サワクロさんは、すごく素敵な方ですし、紳士さまでも不思議はないと思います」


 と何度も頷いていた。


 ハブオブの店だが、ウェリオッタ・パン工房がパンを売る直営店として、引き続き継続することになった。

 商店街に穴が空くのは寂しかったからな。

 工房の人間が交代で店番をするのだが、エメオちゃんがメインで入ることになった。

 彼女は古代種であることで苦労したせいか、いささか接客に難があるらしい。

 だが、いずれパン屋として独り立ちするならば、客あしらいも身につけねばならない。

 つまりは、そのための修行だとか。

 新装開店の前日、エメオちゃんは焼きたてのパンを持って、挨拶に来てくれた。


「よろしくお願いします」

「こちらこそ、よろしく頼むよ」

「本当は、パンを焼くだけが良かったんですけど、いずれは自分の店も持ちたいですし、いい機会だとおもってお店を引き受けたんです。私なんかに任せてくれた親方の御恩に報いるためにも、頑張ろうと思います」


 とのことだ。

 俺としても、身近に女の子が増えるのは喜ばしいしな。

 彼女のためにも、商店街を盛り上げるとしよう。

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