5章 紳士と魔界

第196話 平凡な一日

 警報が鳴っている。

 レンズ越しに見える景色は、実に騒々しい。

 薄暗い部屋には赤いランプが灯り、その中を人々が走り回り、わめき、絶望する。


「いったい、何が起きている!」

「わかりません。リンク切断後、マザーは沈黙したまま、他のノードとも未だにつながりません」

「海賊か? それともまたモグラ共のテロか」

「しかし、そんな規模では……」

「司令、偵察機の映像、入ります」

「よし、映せ」


 何もない銀色の壁面に映像が浮かびあがる。

 崩壊した大地、空を覆う暗雲、止めどない破壊の痕跡。


「なんてこった。地上は……全滅……」

「これを、奴らが?」

「奴らにこれほどの力があるものか! ……おい、あれを見ろ」


 別の映像が、宇宙空間の様子を捕らえている。

 不規則に変形する光の塊が、そこには映し出されていた。


「あれは……ゲートが縮退している!?」

「では、この惨劇はフォシーバーストのせいだと?」

「そんなことが、本当に……」


 取り乱す人々。

 だが、これはすでに終わったことだとわかっている。

 もう何万年も前に、終わったことだ。

 ここで絶望している人々もすでになく、大地は美しい自然を取り戻している。

 俺はそのことを知っている。

 では誰が、この夢を見せているんだ?


「ん……あれは何だ?」

「光の柱が、何本も」


 不意に映像が消え、部屋が明るくなる。


「どうした!」

「システムが復旧します。ノード229に制御が戻りました!」

「よし、聞こえているか229、状況を報告せよ。直ちに状況を……」


 騒々しさはますます室内に充満し、人々は生きる望みを紡ごうとしている。

 だが、俺は知っている。

 そうだ、あんたらの子孫はちゃんとこの大地に生きている。

 それを伝えてやることはできないが、確かに生きているのだ。

 俺は薄れていく夢のなかで、そのことだけを繰り返しつぶやいていた。




 目が覚めると、まだ周りは薄暗い。

 壁に設置した非常灯代わりの精霊石ランプが、ぼんやりと赤く輝いているだけだ。

 なんだかまだ、夢の続きを見ているようで、眠い。

 どうも久しぶりに疲れる夢を見たようで、寝汗をかいてしまった。

 はて、何の夢だったか。


 台所の方からは僅かに物音が聞こえてくる。

 すでにアン達は起きて朝の支度を始めているのだろう。


 枕元にあるはずの時計を探す。

 目覚まし時計サイズのこの時計はシャミの新発明で、大きな振り子時計しかないこの世界では画期的な物……だと思うが、まだ目覚まし機能もないし、たまに止まるので実用性は微妙だ。


 時間を確認すると、現在六時十分前。

 うーん、起きるにはまだ早いか。

 まだ眠い……ような気もするな。


「んん……あなた、もう起きるのですか?」


 隣で寝ていたフューエルが眠そうな声でそうつぶやく。


「いや、時計を見ただけ」

「そうですか……」


 そう言って細い腕を絡めてくる。

 エンテルが羨む程にスタイルのいいフューエルの四肢は、スラっと締まっていてキュッと絡まる。

 その両手に抱きしめられて、俺は二度寝を決めることにした。




 次に目が覚めた時は、もうすっかり日が昇っていた。

 二度寝のせいか、体のあちこちが固まって痛い。

 朝風呂に入ってエクにマッサージでもしてもらうかと寝床から這い出ると、家馬車を置いた屋内ガレージのあたりで、カプルとフューエルがなにかやっていた。


「おう、朝から何やってるんだ?」


 朝っぽく爽やかに声をかけるとフューエルが、


「何を言ってるんですか、あなた。もうすぐ昼ですよ?」

「世間はせっかちだな、俺が起きるまで待っててくれてもいいのに」

「そんなことをしたら、たちまち世の中は回らなくなってしまいますよ」

「手厳しいな。で、それは何を作ってるんだ?」

「馬車です。カプル達が新しい馬車を作るというので、以前から投資していたのですが、足回りができたというので見せてもらっていたのですよ」

「そんなことしてたのか」

「あら、ご存じなかったのですか?」

「聞いてないな。いや、馬車をいくつか作ってるのは知っていたが」


 というとカプルが悪びれずに、


「どうせ遠からず奥様が嫁に来られると思っていましたから、うちで作るのも奥様のために作るのも、どちらにしろ同じだと思ったのですわ」

「身も蓋もないな」

「よくあることですわ」

「それで、どんな馬車を作ってるんだ?」

「これは快適性を極限まで追求したモデルですわ。賓客用に、とのご注文でしたので、シャミの作ったディファレンシャルギアによるなめらかな旋回と、強力なバネによる独立サスペンション、それにポケットコイルを使った特製シート、これによって豪華な乗り心地を実現してみせますわ」

「そりゃいいな」

「正式に式を上げたあとは、ハネムーンをなさるのでしょう? それまでには間に合わせますので、ぜひとも、これに乗ってでかけていただきたいですわね」

「そりゃ楽しみだ。でもそれじゃあ、完成はまだ先かな」

「足回りは目処が付いているのですけれど、箱に時間がかかりますわね。ミラーたちの手を借りても三ヶ月で完成すれば、たいしたものですわ」

「まあ、そりゃそうだな」


 カプルやシャミは頼んだら何でもすぐに作ってくれるイメージがあるが、実際はそんなわけ無いわな。

 その後、ひと風呂浴びて、サウナでたっぷり搾ったあとに、エクの濃密なマッサージを受けてリフレッシュした体に冷えたレモネードを流し込むと、すっかり元気になった。


「昼食まではまだ間がありますが、どうなさいます?」


 アンが料理の支度の合間にそう話しかけてきた。


「今日も寒いんだろう?」

「そうですね、散歩に出るにはいささか」

「フルン達は?」

「裏庭で修行しているのでは? 今日は道場は休みですしクメトスもいますから、スィーダの稽古に付き合っているのかもしれません」

「ふむ、ちょっと見てくるか」

「では、お召し物を。湯冷めなさらないように気をつけて」


 と綿入れをかけてくれる。

 コートは重いので、遠出するのでなければ、アンに作ってもらった半纏風の綿入れを身に付ける。

 まんまるに膨らむので女性陣のウケは悪いが、なかなかいいものだ。


 裏庭に出ると前衛組がみんないて、幾つかのグループに分かれて修行している。

 クメトスに弟子入りしたスィーダちゃんは、今日もいつものように素振りをしながら、クメトスの指導を受けている。


「どうだ、クメトス。スィーダちゃんの調子は」

「そうですね、最近は初期の焦燥感のようなものが消えて、日々の鍛錬に打ち込めているようです」

「ほほう」

「冒険者を志した理由はまだわかりませんが、いずれにせよ、人はいきなり強くなったりはしません。まずは良い傾向でしょう」


 猿娘のエットは最近やっと体ができてきたとかで、気陰流の型を使っていた。

 それを指導するのはコルスだ。

 これも尋ねてみると、


「そうでござるな、殿よりは腰も入った良い動きをしているでござるよ」

「ふむ」

「しいて言うなら、エットは身軽すぎるでござるな、純粋な剣術よりも、拙者の忍術を教えたほうが、良いかもしれんでござるなあ」

「そんなもんか」

「セスとも相談しているでござるが……、ま、これはまだ先の話でござろう。今はまだまだ基礎を身につける段階でござるよ」


 騎士のエーメスとレルルは木刀を手に盛んに打ち合っている。

 レルルは例の一件以降、目に見えてマシになっている。

 あくまで、マシというだけで弱いことには変わりないのだが、エーメスの話では、


「最近は日一日ごとに成長しています。この調子であれば、数年で騎士として恥ずかしくないところまで上達するのでは?」


 とのことだ。

 オルエンはそんな二人を見守りながら、自分のランスを磨いていた。

 みんなマイペースだな。

 それにしても一番賑やかなのが目につかないな……と探すと、いた。


 裏庭の先は湖が広がっており、桟橋が伸びている。

 その先端に立つセスは、湖を眺めている。

 湖には丸太が一本浮かび、その上にフルンが立っていた。

 不安定な足場にもかかわらず、フルンは木刀を構えたまま、微動だにしない。

 しばらく眺めていると、フルンはまるで大地の上を歩くかのように、丸太の端まで歩を進める。

 すると体の重みに耐えかねたのか、丸太の一方が湖面に沈む。

 と同時にフルンはふわりと飛び上がり、湖面に立った丸太の断面に飛び降りた。

 釣りの浮きのようにプカプカと浮かぶ丸太の上でも、やはりフルンは身動きしない。

 サーカスでもここまではしないよな、と思っていると、音もなく飛び上がる。

 丸太は再び水平に戻り、フルンも何事もなかったかのようにその上に着地した。


「肉体における融通無碍の境地とは、一見して達人の技に見えますが、実のところ行き届いた鍛錬だけで身につくものなのです。つまり……」


 とセス。


「つまり?」

「フルンは、やっとスタート地点に立ったということです」

「これがスタートか」

「はい。十分な肉体を得て、初めてその心身は剣に没入できるというもの。ですが、ここより先は、私も教えたことがないのですよ」

「というと?」

「エツレヤアンの道場においても、この境地に至ったのは僅かな高弟のみ。その全ては師から個別に指導を受けたのですが、つまり私は私自身の受けた指導しか、知らぬということです。ですがフルンは私とは相当に違う。これからフルンに何を教えるべきか、とんと見当がつきませぬ」

「セスが弱音とは珍しいな」

「フフ、それというのも、フルンの成長が早過ぎるのですよ。普通はここまで来るのに十年、二十年と修行するのです。それだけあれば、私もその分だけ己を磨いておけたのですが……これも慢心でありましょう」

「できすぎた生徒を指導するのも大変だな」

「指導者冥利につきる、というものですよ」

「ふむ」

「そこで、試練の時が来る前に、一度フルンを連れて我が師のもとに赴きたいと考えているのですが」


 つまり、隠居した師匠のヤーマに相談したいということだろう。


「いいんじゃないか、年が明けるとまた森のダンジョンに行くだろうし、いっそ年内にでも行っといたほうがいいかもな」

「はい、ではそのように」


 話を終えると、俺は修行に励む従者たちの姿を黙って眺めていた。




 午後。

 暖炉の前で、フューエルとテナがチェスを指している。

 フューエルは一人がけのソファに深く腰掛け、あぐらを組んで立て肘という、およそ貴族のお姫様とは思えない格好だ。

 結婚すると素が出るというが、その前からこんな感じたった気もするな。

 一方のテナは、俺の膝の上で柔らかいところを揉まれながらの対局だ。

 そこまではいつものことなのだが、チェスの駒とボードが格別ケバい。

 ラメ入りの毒々しいボードには過剰な装飾がなされ、駒もピカピカの金属製であちこち宝石が埋め込まれている。

 以前、大商人のメイフルと冗談交じりに話していたレディース向けのデコチェスの試作品、というわけだ。

 まさか、ほんとに作ってるとは思わなかったぜ。

 側で様子を見ていたメイフルが、


「それで、どないでっか、そのデコチェスは」


 と尋ねると、フューエルが顔をしかめて腕を組み直し、長考に入る。


「ちょっと待ってください、今それどころではないのです」


 俺が見てもわかるぐらい、負けそうだからな。

 待ってる間が手持ち無沙汰なので、テナの体をふんわりと揉みまくる。

 小柄と言うには小さすぎるテナは、見かけによらずとんでもない怪力というだけあって、二の腕や太ももなどは、むっちりと締まり、力こぶを作ればカチコチだ。

 それでいて尻や乳などはたっぷりと蓄えた脂肪分が極上の柔らかさを醸し出している。

 実に触り甲斐のある体だな。


「ご主人様、そのようになされては、気が散ってしまいますよ」


 上向きの鼻を指先で弾きながら、余裕しゃくしゃくでいうテナ。


「いやあ、少しは可愛い奥さんに協力しようかと」

「むしろ、目の前でこのようなことをされて、余計に焦らされることになるのでは?」

「そこは本人の気持ちの持ちようだな」

「たしかに、従者に嫉妬するようでは、紳士の妻は務まらぬでしょうからね」

「そうそう」


 といいながら、テナの首筋を舐める。


「ぁ……そこは……弱いのです」

「知ってる」

「困ったご主人様ですね」


 などといちゃついていると、


「ああもう、皆して私の邪魔ばかり、もう降参です!」


 どーんと背もたれにもたれかかり、フューエルは試合を投げてしまった。


「まあ、なんと辛抱の足りない。まだ勝ち筋は残っておりましたのに」


 あきれ顔でテナがそう言うと、フューエルはがばりと起き上がり、盤面をのぞき込む。


「え、どこですか?」

「ほら、ここに手を進めれば」

「ですけど、こちらで取られてしまうでしょう」

「そこで、こうして……」

「ああ、そんな手が!」

「もう少し、辛抱が必要でしたね」

「テナ、あなたそれがわかっていたから、そうやって主人に甘えて私にプレッシャーを」

「さあ、どうでしょうか。従者が奉仕するのは、至極当然の行為でしょう?」

「むぐぐ、まったく……」


 そこでじっと様子をうかがっていたメイフルが、しびれを切らしてフューエルに再び尋ねる。


「それで、どないでっしゃろ?」

「何がですか!」

「ですから、そのチェス盤でんがな」

「ああ、そうですね。ご婦人方には気に入られるのではないでしょうか。私はもう少しシックなものが好みですけど、こう言った装飾を好む人は多いですし」

「けど、単価が相当行きますねん。それ、石がイミテーションやから程々ですけど、本物の宝石使えば、最低三百、下手すりゃ一千万ぐらい行きまっせ」

「良いのではありませんか? 知り合いの奥様は、先日も南方の壺を五百万で買ったと言ってましたし、ある所にはあるでしょう」

「そうでっか、なら、やってみまひょか。よろしゅうおますか、大将」

「やるのはいいけど、そこまでの上客をどこで探すんだ?」

「そりゃあ、大将と奥様に気張ってもらわんと」


 さも当然とばかりにメイフルは話すが、フューエルは難しい顔をする。


「家の仕事を手伝うのはやぶさかではありませんが、娯楽商売のようなウェットな交渉は、私には向いていないと思いますよ。訴訟案件などでしたら、得意と言っても良いのですけど」

「そうかもしれまへんな、そこは大将にお願いしまひょか」

「俺がやると、インチキ商売にならないかな」

「大将やと、一個売る度に一人従者を増やしかねまへんな」

「そうだろう、客が従者になったら儲けにならんぞ」


 それを聞いたフューエルが呆れ顔で、


「そういう問題なのですか?」

「まあ、俺としては儲けより従者だな」

「ご立派なお考えで」

「そうだろうそうだろう」


 うなずく俺の顔を見ながら、メイフルは首を傾げる。


「せやけど、困りましたな。アイデアはいいと思うんですけどなあ。うちの商いやと、精々五十とか百とかですわなあ」

「いいじゃないか、このイミテーションで。上限を数十万ぐらいにして小金を持った三、四十代の商人なんかの女性をターゲットにして、ちょっと変わったインテリアとかオブジェとかそういうノリで売りつければ」

「そうですな。ほな、その方向で行ってみまひょか。実は駒もガラス細工のやつを頼んでますねん」

「ガラスか、この派手なボードに映えそうだな」

「でっしゃろ」


 話がまとまると、メイフルはケバいチェスセットを抱えて店に戻っていった。

 あとに残ったフューエルは、俺の隣に席を移す。


「座るだけでいいのか?」


 と尋ねるとすまし顔で、


「他に何か?」

「いや、べつに」

「では……」


 と言いかけたところに、大工のシャミがミラーを連れてやってきた。

 ミラーは小さなスツールを持っている。


「奥様、これ、馬車の椅子。見本」


 と言って、フューエルに試すように促す。

 フューエルは立派な尻をどしりと下ろすと、


「あら、思ったより硬いですね」

「馬車は揺れる、柔らかすぎても、ダメ」

「それは確かに。ですけど、底づき感もなくて、なかなか良いですね」


 ブヨンブヨン体を揺する度に、丁度よい形の胸も揺れる。


「しかし、おしりのフィット感が、もう少し欲しいですね。狭い馬車では、あまり姿勢を変えるわけにも行きませんし」

「じゃあ、綿の詰め物を増やす」

「それが良いと思います。生地はどうするのです?」

「内装が、まだ、決まらない。全体に、合わせる」

「わかりました。では、引き続きおねがいしますよ」

「うん」


 そう言ってシャミとミラーは戻っていった。

 改めて俺の隣に腰を下ろしたフューエルが、俺にもたれ掛かろうとすると、ウクレがやってくる。


「あの、奥様、お取り込み中……でしたか?」

「いいえ、構いませんよ」

「呪文の発音が、よくわからなくて」


 分厚い本を取り出しながら、ウクレが尋ねると、


「どれどれ、ああ、それは難しいですね。こう、わずかに開いた歯の隙間に舌をあてて……」

「こうですか?」

「うーん、ちょっと違いますね。もっと舌を丸めて」

「こ、こう……」

「ちがいます、こう、指にまとわりつくように」


 差し出した指を、ウクレの舌に押し当てる。


「こ、こうれふゅか?」


 ウクレは指を舐め回すように舌を動かす。


「舐めるのではありません、こう、舌を巻きつけるのです」


 ウクレが舐め回して糸を引いた指を、今度は自分の舌に押し当てる。


「こう、こういうふうにまるめへ、おひあへるのへふ」

「あ、分かりました」

「ではもう一度」


 フューエルは改めて自分の指を舐めさせる。

 魔法の修行ってのは、エロいんだなあ。


「ありがとうございました、奥様」


 そう言って、質問を終えたウクレは、地下室に降りていった。

 まだ練習をする気だろう。

 フューエルは、よだれまみれの指を拭きながら、


「何をジロジロ見ているのですか」

「いやあ、勉強熱心だなあ、と思って」

「ウクレのように真面目な生徒を、そのような目で見るものではありません」

「そうは言われても、俺はいつでもこうじゃないか」

「修行の時と、奉仕の時ぐらい、切り分けてはどうなのです?」

「今は奉仕の時間だろ」

「だったら、仕方ありませんね」


 そう言って、再び俺の隣に腰を下ろすと、今度は撫子とピューパーが走ってきた。

 ピューパーの頭の上にはクントもくっついている。


「おくさま! ヨーグルトできた、たべる?」


 ピューパーが手桶いっぱいのヨーグルトを差し出すと、


「まあ、美味しそう。だけど、こんなには食べられませんね。器に取り分けないと」

「じゃあ、分けてくる。ご主人様は?」

「ああ、もらおうか」

「まってて!」


 二人は再び走って行き、クントも追いかけるように飛んで行く。


「ふう、のんびり甘える暇もありませんね」


 と溜息をつくフューエル。


「最初から、甘えたいと言っておけばいいのに」

「そんな簡単に言えますか」

「ははは、まあそこはそれで。ほら、おいで」


 今度こそフューエルを抱き寄せる。

 ぷにぷにと互いの体をつつきながら待っていると、再びピューパーたちがヨーグルトを持ってきてくれた。

 撫子とピューパーをそれぞれ抱きかかえて、一緒にヨーグルトを食べる。

 酸味が薄く、水っぽさがあるが、新鮮で美味しい。


「いけるな、これ」

「美味しい」

「お前たちが作ったのか?」

「そう」


 俺の膝の上でもぐもぐとヨーグルトを食べながらピューパーが頷く。


「奥様、ウクレは今日も修行ですか?」


 撫子が聞くとフューエルが答えて、


「ええ、そうよ。どうしたの?」

「ううん、なんでもないです」

「なんでもないという顔では無いでしょう。私には話せないことですか?」

「ううん、ちがいます……けど」

「どうしたの?」

「最近、遊んでくれないなあ、と思って。旅の間とかは、ずっと抱っこして遊んでくれてたのに……」

「そう。じゃあ、私と遊びましょうか」

「いいんですか?」

「ええ、もちろんよ」


 フューエルの返事を聞いた撫子は、ぱっと膝から飛び降りて、ドタドタと年少組スペースに走って行き、すぐに小さなボードを持って帰ってきた。


「これでいいですか?」


 目を輝かせる撫子に、フューエルは、


「いいですよ。だけど、それは初めて見るゲームですね。まずは遊び方を教えて下さい」

「はい、これも双六なんですけど……」


 といって撫子は説明を始める。

 撫子の説明は非常に簡潔で理路整然としていて、端で聞いていてもわかりやすい。

 生後半年で、どこまで賢くなるんだろう。

 もっとも、ここに居着いてから、というよりも牛娘のピューパーと毎日遊ぶようになってから、少し落ち着いた気がする。

 このままあとは、歳相応に育っていくのか、それともまた爆発的に成長してしまうのか。

 不安と好奇心の区別がつけづらいところだな。


「では、動かす先に駒が二つ以上あると、ダメなんですね」

「そうです。それで、相手を牽制しつつ、自分の駒をすべて進めるんです」


 撫子が持ってきたゲームは、バックギャモンの類似品みたいなものだ。

 ここではバックギャモンとしておこう。

 大の双六発明家でもある犬耳フルンが作る双六は多岐にわたるが、大きく分けて今では二つの方向に収束している。

 一つはドラマ性の高い一本道の双六で、ダンジョンや魔界を舞台に、竜や魔王を倒すというエキサイティングな路線のもの。

 今一つは、バックギャモンのように抽象的で駆け引きの度合いの強い戦略性の高い双六だ。

 撫子はどちらかと言うと後者を好むようだが、年少組の多くは前者を好む。

 そこで撫子としては、遊んでくれる相手を探していたのだろう。


 フューエルは数回遊ぶとコツを掴んだようで、いつの間にかのめり込んでいる。

 それを横で眺めていたピューパーは、


「これ、よくわかんない。特にフルンや撫子と遊ぶと、動かそうと思ったところには相手の駒があって動かせないの」

「そうだな」

「サイコロってなんの数字が出るかわからないのに、なんで好きなところに駒が置けるの?」

「そうだなあ。サイコロの数字自体は、何が出るかわからないけど、二つの目の組み合わせから、駒を進める回数は偏りがあるんだ」

「偏り?」

「例えば、サイコロの目の数の組み合わせは、六と六で三十六通りあるってのはわかるか?」

「わかんない」

「わからんか」


 俺は余ってたサイコロを手に取る。


「ほら、こうして一と一、一と二って全部数えていくと、全部で三十六個になるだろう」


 紙に書き出しながら説明すると、ピューパーはウンウンと頷く。


「ここで、一と一の組み合わせは一つしか無いけど、一と二、二と一ってのは足したら結局おなじだよな」

「うん」

「つまり合わせて三になるのは二つあるわけだ。同じように、三と四,二と五,一と六、とその逆も同じで七になるのは六個ある」

「うん」

「こう考えると、動かしやすい場所と動かしにくい場所ってのが分かれてくるだろ」

「うん」

「となると、なるべく目が出やすい場所に自分の壁を作り、かつ相手が動かしやすそうな場所の邪魔をしていくんだよ」

「そっかー」


 ピューパーは分かったような分かってないような顔で何度も頷くが、隣で聞き耳をたてていたフューエルも、


「なるほど、道理で撫子は特定の場所にうまく固めてくると思いました。出やすい場所を優先して選んでいたのですね」


 と納得した様子のフューエルの言葉に、撫子も頷く。


「それにしてもあなた」

「なんだい?」

「それだけ論理的に物事が考えられるのに、どうしてチェスは弱いのですか?」

「さあ」


 と首をひねると、どこからか現れたエレンがこう言った。


「そりゃあ、旦那は対局中に相手の胸ばかり見てるからね。手を読んでる余裕が無いんだろうさ」

「ああ、なるほど」


 フューエルも納得する。

 ちょっと悔しいが、目の前の駒とおっぱい、どちらを優先するかと言われれば、言うまでもないよなあ。

 撫子たちが遊ぶ様子を横目に眺めながら、エレンに話しかける。


「今日はどこに行ってたんだ?」

「ギルドの寄り合いさ、年の瀬ってのはギルドもかきいれ時だからね」

「物騒な話だな」

「あはは、まあうちにちょっかい出すようなやる気のある若者が出てくれば、それはそれで面白いんだけどね」


 それを聞いていたフューエルが、


「勘弁して下さい。昔、父がこっそり買い求めた稀覯本を盗まれて、母にバレないように私がセリに出たこともあるんですよ」

「貴族様にはたまにはそういう形で還元してもらわないとね」

「せめて、もう少し交渉しやすいものにしてほしいものです」

「そういうところにこそ、盗賊ってのは魅力を感じるんだけどね」

「そのようですね……あっ、ちょ、ちょっと待って下さい撫子、そこは……」


 会話に意識を取られたのか、フューエルはつまらないポカをするが、撫子は受け付けない。


「奥様でも駄目です、勝負の世界は非情です」

「むぐぐ……」


 その後しばらくは、撫子やピューパーの相手をして過ごした。




 夕方。

 地下の大工部屋を覗くと、上がってきた新しいチェスの駒を見ながら、サウが顰め面をしていた。

 デザイナーであるサウ自身が起こした二面図が横にあったので見比べてみたが、たしかにバランスがあまり良くない。

 しばらくジーっと眺めていたサウが、急にふーっと息を大きく吐いた。


「どうなさいましたの?」


 とカプル。


「これ、あまりいい出来じゃないわね」

「あまりというか、かなり良くないと思いますわ」

「ええ、そう言ってもいいわね」

「これの細工は……キスケーとありますね。名前に覚えがありませんから、となり村から来たという助っ人だと思いますわ」

「向こうで監修はしてないのかしら?」

「ワダーラさんがなさっているはずですけど、あの方は表面の仕上がりなどにはこだわるのですけれど、全体のバランスなどには無頓着ですわね。これも、エッジの曲率などが狂っていますけれど、仕上げはきっちりしてありますし」

「そうよね」

「だけど、不出来に怒る、という顔ではありませんわね」

「わかる?」

「もちろん、わかりますわ。四六時中、顔を突き合わせているのですもの」

「ぱっと見た時にね、こんな下手くそのチェック、やるだけ時間の無駄だ、こんな素人に足を引っ張られたくない、って思って一瞬頭に血が上って、それからすぐに、そんなに増長するほど、自分には実績も経験もないんだと思ったら、急に恥ずかしいやら悲しいやら、わけわかんなくなっちゃって」

「そうですわね、集団作業では、多かれ少なかれ、そういうことは経験するものですわ」

「カプルでも?」

「ええ。私が修行した工房は、それなりの大所帯でしたから、腕の方もピンキリでしたわ。だけどそれゆえに、自分の立ち位置も相対的に見られたのですけど……」

「うん」

「自分より下のものに足を引っ張られたくないという気持ちの裏にはいろいろな感情が隠れているものですわ」

「例えば?」

「一人で全部やり遂げたい、自分より上のものに引っ張ってもらいたい、信頼できるものだけのグループに閉じこもりたい、などでしょうか」

「そうなのかな?」

「残念ながら、私もシャミも、版画などの後工程では協力できますけれど、ことデザインという点ではあなたに指導も協力もできませんの」

「そう……かも」

「つまり、あなたはあなたの仕事において、一人で進むべき道を切り開かなければならないのですわ」

「うん」

「ご主人様の世界では、デザインというものは、商品の見栄えだけでなく、使われ方、ひいては人の生活における関わり方まで提示する仕事だと聞きますわ。ですが、この世界でそうした仕事を専門にする人間というのは、少なくとも今の時代にはいないのですわ」

「そうなのよ。その理屈はわかるんだけど、じゃあ、どうすればいいのかが、ずっと手探りのままで……」

「私のような職人は、すでに到達すべき一つの完成形というものが、親方やその先人によって最初に提示されるものですわ。そしてそこに至る過程、すなわち技術を習得するプロセスもまた、確立していますの。ですから、葛藤や挫折はあっても、基本的にはしっかりとした道を歩むもの。そうして一つの山を制した後に、更に高い山を目指すのですけれど」

「うん」

「あなたの場合は、麓から常に霧に覆われた山道を進むようなもの。時にはそれが上り坂か下り坂かもわからなくなるのかもしれませんわね」

「うん……」

「そうですわね、そういう時は少し目線を変えた仕事をしてみるのも良いのですけれど……」

「目線?」

「ええ、こうデザイン画や版下だけでなく……何かありませんか、ご主人様」


 といきなり話を振られる。


「うーん、急に言われても困るが……」

「困ったときのご主人様頼みですわ」

「そうだなあ……」


 仕事時代に付き合いのあったデザイナーの顔を幾つか思い浮かべる。

 絵心はないが、ゲームやアプリを制作していると、UIだのUXだのと、デザイン的な思考に触れる機会は多かった。

 俺の勝手なイメージだとデザイナーって女性が多い気がしてたんだけど、男女比は半々だったな。

 ほとんどが芸大出身だったが、中には工学部出身のデザイナーもいた。

 彼は俺と同年代の男性だったな。

 そういえば、最後に会った時は個展を開くと言っていた。

 学生時代に経験がなかったので、やってみたいのだとか。

 その時に知ったが、個展って勝手に自分で画廊を借りてやってもいいんだな。

 もっとこう、出版社とか新聞社とかのクライアントが主催するのかと思ったけど、あれはもっと知名度のある作家の場合か。

 ふむ、となると……。


「じゃあ、個展を開こう」

「個展?」


 とサウが驚く。


「え、私なんかがひらいていいの?」

「いいだろ、別に。俺の故郷じゃ、学生でもやってたぞ」


 それを聞いてカプルも、


「良いですわね。デザインと言う仕事の存在を世間に意識してもらうためにも、意義があると思いますわ。それにまったくデザインというものを知らない人々の反応というものも、得られるかもしれませんわね」

「うーん、そうね、どっちにしろ、なにかやってガツンとアピールしたかったのよ」


 とサウもやる気になる。

 となると、後は俺がお膳立てをしてやるだけだな。


「じゃあ、パンテーの前の家を画廊にしよう。サイズ的にも適当だし。まずはサウの個展に合わせてオープンして、そのあとは画廊として貸し出せばいい。そういえばフューエルが領地の民芸品を宣伝したいとも言っていたし、そういうのの展示もいいかもしれないな」

「いいですわね、学生などにも安価に貸し出せば、商店街もさらに賑わうかもしれませんわね」


 うちで大きな金を動かす場合、まずメイフルに話を持っていく。

 ここで資金が確保できたら、次にアンとフューエルだ。

 メイド長と奥様の許可が降りたら、晴れて実行可能となる。

 あとはトントン拍子に話が決まり、近日中に画廊をオープンして、最初の展示としてサウの個展をやることになった。

 テーマは、とかなんとか、そんな感じだ。


「ですけど、あの小さな家を改造して、画廊になるんですか?」


 とフューエル。


「俺の故郷のやつは、あれぐらいだったけどな」


 先のデザイナーに誘われていった、一回きりなんだけど。


「こっちじゃどうなんだ?」

「そうですね、まず美術館か博物館を借りて、あるいは貴族の趣味の展示であれば、サロンの一室で、というのもありますね」

「それじゃあ、絵描き志望の学生なんかは、どこで個展を開くんだ?」

「学生が個展を開くんですか?」

「開かないと、名前を知ってもらえないだろう」

「さあ、画家が名を売る方法などというものは、聞いたことがありませんね。他所の貴族のお抱え絵師に、肖像画の制作を勧められた事はありますが」

「ほほう、それで描いてもらったのか?」

「面倒なので、断りましたよ」

「たしかに面倒くさそうだしな。じゃあパトロンのない若い絵描きはどうしてるんだろう。どうなんだ、サウ?」


 とサウに聞くと、


「前に行っていた画塾の先生の工房だと、何年か子分として働いて、少しずつ仕事を分けてもらう感じかしら。そうして何年か経つと独り立ちするんだけど、それでも先生のコネで人脈を作っておくわね」

「そんなもんか」

「あるいは、画家を支援してる貴族や商人のところに書生として入り込んで、養ってもらいながら活動する感じね」

「それもパトロンか。いいんじゃないか、間接的に支援するようなのも。若い才能が見つかるかもしれんぞ」

「いいわよね。うちだってこれ以上仕事が増えると、全部私がやるのは無理だし、もっとオーソドックスな作風の画家にお願いしたい仕事だってあるし。私はちょこっと習っただけだから、あまりコネもないし」

「ふむ」


 そんな感じで、許可も得たので、あとはカプルたちに任せておいた。


「しかし、学生向けの画廊とはまた変わったもんを思いつきましたな」


 とメイフル。


「そんなに変わってるかな」

「ちょっと聞いたことおまへんからなあ、まあ、そこがええんかもしれませんがな。基本は学生や庶民向けでありながら、好事家の商人や貴族なんかも、寄ってくるかもしれまへんしな」

「ふむ、そう言われると、実に良いアイデアだった気がしてくるな」

「ま、後のことはうちらに任せときなはれ」


 メイフルはそう言うと、カプル達と打ち合わせを始めた。

 うまくいくといいな。




 巨人のメルビエが実家から戻ってきたので、今夜は全員揃っての夕食だ。

 土産に持ってきた木箱一杯のオレンジを絞って酒を割る。

 シャミに作ってもらった絞り器で、ミラーがグリグリと絞ってグラスに注いでくれる。

 こっちの世界には、大きなてこでまとめて絞る装置はあるそうだが、こういう片手でねじって絞れる奴はないそうだ。


「しかし、この絞り器は良く出来ていますね。普通は皮ごと押しつぶして絞るので、もうすこしエグみが出るのですが」


 一緒に飲んでいた学者のエンテルがそう言いながらガバガバ搾る。


「甘いとつい飲み過ぎるけどな」

「たしかに、これはすいすいと飲めてしまいますね」


 まあ、エンテルに限らず、甘かろうが辛かろうが、みんなウワバミのように飲むけどな。


「甘いお酒がいいなら、キッフーの白ワインがいいわよ」


 と実家が酒屋のサウ。

 それを聞いたフューエルも、


「あれはいいものですね。夏場はよく冷やしたものを頂くのですが、この時期はあまり飲みませんね」

「そうかもね、そういえば、母さんがまたお酒持ってきてくれるようなこと言ってたわよ」

「では、何かお返しを用意しておかねば。先日も実家の方に良い物を頂きましたし」

「あんまり気にしなくてもいいと思うけど」

「そうはいきませんよ。貴族というのはそういうところを疎かにすると、どこから揚げ足を取られるか」

「大変ねえ」


 サウとフューエルの会話を聞き流していると、オーレとピューパーがオレンジを剥いているところが目に入った。


「硬い、むけない」


 と言うオーレに、


「むけない、かたい」


 と答えるピューパー。


「凍らしたほうが、いい、かも」

「でも、凍らせたら、食べられない」

「冷たい、おいしい」

「夏にして。冬はだめ」

「そうか、だめか」


 見かねたので、傍にあったナイフを手に、剥いてやることにする。


「こういうオレンジはな、こうやって剥くと楽だぞ」


 と皮だけ輪切りにして、切り目から親指を突っ込み、グリグリと手を回して皮を向く。


「すごい、ご主人、かっこいい」

「かんたんそう!」


 感心する二人にオレンジを剥いてやって、食わせる。


「おいしい、おいしい」

「おいしい」


 ふむ、たしかにうまそうだな。

 どんどん剥いて食べていると、他の連中も寄ってきて、みんなでオレンジを食べまくる。

 たちまちあたりに柑橘系の香りが充満して凄いことになった。


「みんな、よく食うだな。今年は豊作だで、また貰ってくるだよ」


 もってきたメルビエも嬉しそうだ。


「いつも悪いな」

「そったら事ねえだよ。ご主人様のおかげで、村の作物も前よりようさん街で売れるようになっただ、みんな助かってるだよ」

「ならいんだけどな」


 俺というよりも、メイフルの紹介で、巨人たちが作物を売る販路が増えているそうだ。


「んだもんで、今度谷をもうちと開いて、畑を増やすって言ってるだ」

「ほほう」

「んで、食い扶持が増えたら、他所から嫁っこ貰って、って話も出てるだよ」

「他所って、他にも巨人の村があるのか?」

「ちぃと遠いだが、おら達の先祖が南に下って来る前に住んでた村とかがあるだ。たまーに交流してるだよ」

「ほほう」

「婿に行ってるおらの従兄がこの間あねさんのお祝いにけえってきたときに、そげな話を持ち出してただよ」

「ふぬ」

「年頃の娘がいるだども、末っ子だで、畑も用意してやれねえだもんだから、嫁に出してえって話で、村のわけえ男衆も、ノリ気になってたんだども」

「ほう」

「それが、詳しう聞いたら、とんでもねえ女豪傑で、素手で村を襲ったノズの鼻さ引っこ抜いただとか、スナヅルを生で噛みちぎったとかいうて」

「そりゃ凄いな」

「みんなビビっちまって、だれも婿になりたがらねえだよ」

「まあ、気持ちはわかる」

「結局、今回は無しって話になるみたいだべ。んだども、いずれは嫁っ子もくるべ」


 どこも大変だなあ。

 俺はもう立派な嫁さんを貰ってしまったので、一安心と言いたいところだが、嫁も一人じゃ済みそうにないよな。

 と、ちらりとフューエルの方を見ると、デュースやテナを相手に飲んだくれていた。

 ウクレは撫子と一緒に馬小屋に行っているようだ。

 あそこに割って入るのもなんなので、俺は手近にいた学者組と飲むことにする。


「それで、今度の探索には私もついていってもいいですか?」


 尋ねたのはアフリエールだ。

 プリモァハーフの彼女は、すっかりエンテルとペイルーンに弟子入りして学者を目指している。


「と言っても、あそこはわりと物騒だからな。ガーディアンさえどうにかなればいいんだが」


 最近は白象騎士団が常駐しているので、あのダンジョンはかなり管理されている。

 最深部の魔界まで往復するだけなら、うちのパーティならさほど危険はないだろう。

 ただし、俺達の狙いはステンレス製の遺跡の方なので、こちらは事情が違う。

 なんといってもガーディアンが無数に守っているからだ。


「交渉ハ膠着、横着ハ禁物、着々ト進メルモ聞ク耳持タズ、呆レタモンダ」


 地下基地のガーディアン達と交渉してくれているらしいクロ。


「そもそも、どこで揉めてるんだ?」

「指示系統ノ違イ。軌道管理局ノ、ノード229ハ、アーシアルニベッタリ。エンテルハペレラール。イウコト聞カナイ」

「ノード229?」


 なんか聞き覚えがあるような……。


「ソウダ、229。ココノ基地ノノードダ」

「ノードってのは?」

「ノードハ……マザーノ子分ダ。独立シテ管理スル」

「マザーってのはなんかコンピュータのボスだったな。そのサブセットみたいなものか」

「ソウトモ言ウ」

「つまり、そいつと交渉すればいいのかな?」

「交渉デキレバ任セル。タダシ、出テキタコトハナイ。引キコモッテル」

「面倒だな」

「全クダ。ノード18ノ協力デ起点級ガーディアンヲ投入シテ制圧スルカ?」

「起点級って、前に地下で見たあのでかいやつか?」

「ソウダ、ノードニヒトツズツ、アル。コッチノハモウナイ。今ナラ楽勝」

「物騒だな、というかあんなもんでドンパチしたら、大変なことになるんじゃないか?」

「……ソウナ」

「そうなじゃないぞ、まったく。18ってのは何だ、お前がいたところか?」

「ソウダ」

「まあ何だ、それは最後の手段ということで」


 クロとの物騒な話では埒が明かず、アフリエールの件は、とりあえず前向きに検討するということになった。


「ウクレやエットが最近よく探索の練習にでているだろう。まずはあれについていくのがいいんじゃないか?」


 と言うとエンテルが、


「ただ、私達では探索の指導者としては向いていないので、誰かに代わりを頼めると良いのですが」


 たしかに、ウクレにせよエットにせよ、あるいはオーレもそうだが、それぞれ師匠がつきっきりで面倒を見ている。

 アフリエールはセスやフューエルに剣や魔法を教わってはいるが、こちらはそこまでみっちり学んでいるわけではない。

 そもそも、学者として探索する場合、自分では最低限の護身しかやらないものだ。

 ウクレたちのような本格的な冒険修行は要らないのかもしれない。


「しょうがない、こういう時はレーンだな。ちょっと相談してくるよ」


 ちょいと探すと僧侶のレーンは同じ僧侶のハーエルや、姉貴分のアンを相手に談笑していた。


「おやご主人様、晩酌のお相手をご所望ですか?」


 とレーン。


「まあね、そいつは何をやっているんだ?」


 と尋ねるとハーエルが代わりに答えて、


「私が神殿でつけていた梅酒です。あちらの宿舎に置きっぱなしにしていたものを、今日、友人が届けてくれたもので」

「ほほう、手作りか」

「うちで買うような高級酒に比べれば、あまり美味しいとは言えないのですが」

「そういうのも乙なもんさ、一杯貰おう」


 ハーエルお手製の梅酒は、確かに粗雑な味ではあったが、少し酔いの回った体にはかえって悪くなかった。


「いけるな」

「ありがとうございます」


 嬉しそうに微笑むハーエル。


「それで、なにかご相談があったのでは?」


 と再びレーン。


「まあね、実は来年の森のダンジョン探索のことだが」

「なんでしょう」

「アフリエールを連れて行ってもいいものかな?」

「良いのではありませんか?」

「いいか」

「はい」

「大丈夫かな?」

「大丈夫であると保証はできませんが、エンテルさんがいらっしゃる以上、我々が護衛する必要があります。その対象が一人でも二人でもあまり差はありません」

「そういうものか」

「はい。それこそ極端に足腰の弱ったご老体を伴うなどでなければ、危険度の差は誤差のうちです」

「なるほど」

「それよりも、クロックロンさんを最大限動員して、現地での安全確保の計画を立てておくべきでしょうね」

「ふぬ」

「あのコレダーでしたか、あの技はとても有効です。クロさんに確認した所、ガーディアン同士の戦闘でも効果があるということです。あれを中心に、カプルさんのバリケードを合わせて、最前線でも安全なキャンプをすばやく構築できるようにしておきましょう」

「それがいいな」

「一応、アイデアは検討中ですので、遠からずトレーニングを開始したいと思います。ご主人様も一度お付き合いください」

「ああ、了解だ」


 話がついたところで立ち上がると、フルン達が裏口から出て行く姿が目についた。

 ひょいひょいとあとについて外に出ると、すでにあたりは真っ暗で、夕方から降り始めた雪のせいでべらぼうに寒い。

 膝まで積もった雪は、通路のところだけが掻き分けられている。

 どうやらみんな馬小屋に居るようだ。

 入ってみると、馬たちに何か着せているところだった。


「あ、ご主人様も手伝いに来たの?」


 フルンが寄ってくる。


「まあな、で、なにしてるんだ?」

「服を着せてるの、今夜は寒いから。あと少し火も焚いてる」


 フルンが指差した先では、鉄の焚き火台が置かれ、薪が燃えていた。


「確かに寒いな、こっちにも暖炉があるといいのにな」

「うん、その代わり、カプルがちゃんと小屋を修理したから、隙間風とかないよ!」

「ほほう、たしかにしっかりしてるな」


 ここは元々、お隣の集会所の裏にあった小さな倉庫だったのだが、今は我が家の馬小屋になっている。

 なんせうちは七頭も馬がいるからな。

 フューエルの家の方にも何頭かいて、そちらのほうが厩舎のできが良いので移そうかという話もあったのだが、騎士たちは皆、毎日手の届くところで世話をしたいというし、馬人である撫子も、二親と一緒に暮らしたいというので、今もここで飼育している。

 で、今日みたいに寒い日は、馬に馬着を着せて、少し火も焚いて暖かくしておくようだ。

 撫子と一緒に馬にブラシをかけていたウクレが言うには、


「馬は寒いのは結構大丈夫なんですけど、今夜みたいに水が凍るような夜は流石に弱ってしまうので」

「そんなもんか」

「はい。私の故郷でも、冬場はもっと冷えるので大変でした」


 そんな従者たちに混じって、クメトスの内弟子であるスィーダちゃんも馬にブラシをかけていた。


「お、スィーダちゃんもやってくれてるのか」

「うん、師匠の馬の面倒を見るの、弟子の仕事」

「そうかそうか」

「いつかこんな立派な馬に乗りたいなあ、って思いながらやってる」

「そうだなあ、まあ俺は馬に乗るのは苦手だから、あれだけど」

「サワクロさん、ダメなのか、貫禄あるのに」

「まあ俺は大抵、駄目だな」

「あんなに凄いフルンはいっつもサワクロさんを褒めてる。でもダメか」

「ははは、誰が凄いとかってのは、見る人の立場によって変わるもんだ。だから自分と違う意見をもつ人がいたら、なぜそう思うのか、自分がいろんな立場に立った場合のことを想像して考えてみるといいぞ」

「いろんな立場ってなんだ?」

「たとえば、自分がフルンだったら周りの人がどう見えるか、とか、クメトスだったら、あるいは俺の立場だったら、スィーダやフルンをどう見ているだろうって想像して見るんだ」

「むずかしそう……」

「そうだな、でも、想像すると、いろんなことが見えてくるんだ。人間が直接体験できることは限られてるけど、想像できることには限りがないからな」

「いろんなことが……。じゃあ、クローレのことも……」

「うん?」

「ううん、なんでもない」

「そうか、もっとも想像したことが正しいとは限らないけどな。そこはあとから経験で補うんだ」

「よくわからないけど、なんか凄そう。やっぱり凄いのかも」


 スィーダちゃんは、なにかワケありで田舎から出てきたのだろうが、クメトスもそこのところはまだ聞き出せていないらしい。

 特に深刻な問題ではなさそうなので、無理に問いただしたりはしていないのだが。


 目線を移すと、撫子が花子に何か話しかけているところだった。

 言葉が通じるのかな?


「何を話してるんだ?」

「今日、奥様に遊んでいただいたことを、話しました」

「そうかそうか、で、花子はなんて?」

「うーん」


 と首を傾げてから、


「今日の人参は渋いみたいです」

「そうか」


 それは会話というのかどうか、よくわからんが、まあ撫子が納得してるなら別にいいだろう。

 気が付くとフルンやスィーダの姿がない。

 すでに戻ってしまったのかと外を覗くと、裏庭のテントに火が灯っていた。

 まだあそこで寝泊まりする気か。

 内弟子ということで、うちに居候しているスィーダちゃんは、この糞寒い中でも裏庭にテントを張って寝ている。

 二階の空き部屋を彼女のために空けてあるのだが、猛吹雪の時以外、使っていないようだ。

 今夜も雪は止んでいるので、彼女たちにすればマシな方なのだろう。

 テントを覗くと、前室のあたりで火をおこし、鍋を煮立たせていた。


「あ、ご主人様、いらっしゃい」


 テントの外に腰掛けていたフルン。

 テントの周りは綺麗に掘り下げて、固めた雪で壁が作ってある。

 その内側に、更に木製のベンチがあって、フルンとオーレが座っている。


「おう、今日もこっちか」

「うん、テント楽しい。ご主人様もくればいいのに」

「ははは、せめて春まで待ってくれ」

「春になったら試練に行くから、またテントだよね!」


 フルンが言うと、テントの中で何かを漁っていたスィーダが顔を出して、


「試練って、師匠も行くんでしょ? 私、どうするんだろ」

「一緒に行けばいいと思う!」


 とフルン。


「いいのかな?」

「いいと思うけど、どうかな?」


 フルンが俺に尋ねる。


「いいんじゃないかなあ、まあその時期が来たら、クメトスとも相談してくれ」

「うん、わかった」


 スィーダはうなずいて、再びテントの奥に戻る。


「ご主人も、こっち、座れ」


 オーレに促されてベンチに腰掛けるが、かなり寒い。


「地上は暑いと思ってたけど、ここも涼しくてよかった。ずっとここに住みたい」

「しかし、ここも夏になると暑いぞ?」

「う、そうなのか、ずっと雪じゃないのか。もっと雪が降ればいいのに」


 そこでスィーダが再び顔を出して、


「うちの村は、もっと雪が降る。たぶん、オーレでも寒い」

「ほんとか? オーレでもか?」

「オーレでも!」

「すごいな、行きたいな、どうだ、ご主人?」


 尋ねられた俺は、首を傾げながら、


「しかし、クメトスの話ではすでに道が雪で閉ざされてるって話だからなあ」

「馬車は無理だけど、歩けばいける!」


 とスィーダ。


「歩きか、雪の山道を歩くのはなあ」


 学生時代の地獄のラッセル訓練を思い出して、思わず身震いする。

 なんで山岳部でもないのに、付き合いってだけで腰まである雪山で歩く練習なんてしてたのか。

 まあ、こっちに来てから、あの経験は結構役に立ってる気もするけど。


 話し終わると、スィーダは再びテントの中に戻る。

 どうやらテントの奥にはエットもいるようで、二人で何をしているのかと聞いてみたら、


「テナが古い絨毯とかを持ってきてくれたから、敷き直してる。きちんと敷いとくと暖かい。ウクレにテントの中の作り方教わった」


 とエット。


「これ、毛足が長くて、きっと上等。いいもの貰った」


 スィーダは嬉しそうにしている。

 二階の部屋のほうがもっといいと思うんだけどなあ。

 まあ、どこに喜びを見出すかは、人それぞれだ。

 俺もスィーダの気持ちになって想像してみないとな。




 すっかり冷えきって家に戻ると、チェス組の四人、プール、エク、燕にイミアがお風呂に入る所だったので、俺もついていって一緒に体を温めることにする。


「ご主人様、さっきも入浴していたのでは?」


 尋ねるイミアの体をゴシゴシ洗ってやる。


「外に出てて冷えたもんでな」

「馬小屋にいたんですか?」

「ああ、寒いからってんで、暖めてたよ」

「うちって馬がいっぱいいますけど、試練の時は、馬車を増やすので馬が足りないかもって聞きました」

「そうなのか?」

「はい、それで奥様の家の馬車を使おうかって話も」

「たしかに、ここまで旅してきた時より、更に人数が増えたから、太郎と花子だけじゃ無理だよな。そもそもミラーとかどうするんだろ。全員は無理な気もするが」

「ここのお店もありますし、何人かは残ることになるんじゃないでしょうか」

「しかし、何ヶ月もかかるんだろう? 数日ならともかく、そんなに長い間、大丈夫かな」

「私もご一緒したいですけど、試練のお役には立てませんし、たぶんこちらに残ったほうがお役に立てるかなあって、それに奥様も残られるそうですし、ある程度は数がいないと」

「そうだな」


 そこで魔族のプールが、


「試練など、さっさと行って終わらせてくれば良いのだ。大したことではあるまい」

「そうなのか? でも、すでに先行してる紳士たちも、まだクリアしてないんじゃ?」

「そのようだな、だが、後続なら情報も増える、多少は有利なのではないか?」

「そんなもんかね」

「ま、後のことは任せておくのだな」

「お前も留守番予定か?」

「妾も塔ではさしたる戦力にはなるまい。商売の手伝いをしたほうが良かろうよ」

「そうかもしれんが。じゃあ、燕とエクはどうするんだ?」


 燕は湯船の中で程よい形のおっぱいを揺すりながら、こう答える。


「私も別にいらないでしょ。遠目のサポートが欲しければ、ここからでも届くと思うわよ。それにテナも居るじゃない。もっともテナはフューエルについて残るかもしれないけど。まあ、私も今はあそこまで直接は見えないけど、紅が現地にいれば大丈夫よ」

「そんなもんか。じゃあエクは?」


 同じくエクも過剰に色っぽい肢体をくねらせながら答える。


「私も行かぬがよいでありましょう。人並みにも満たぬ体力では足手まといがすぎるというもの」

「しかし、お前にマッサージしてもらわんと、リフレッシュがだな」

「慰安の術でございますれば、ミラーたちに日々手ほどきをしておりますゆえ、大丈夫であろうと思われます」

「そうなのか」


 ルタ島に渡るのはまだ数カ月先の話だと思うが、徐々に現実味を帯びてきたな。

 こいつらと何ヶ月も別れて暮らすなんて、あまり考えたくないんだが、何か俺のすごい紳士力を発揮して、ビシっと解決したりしないものかね。


 風呂からあがると、半分ぐらいは床についていたが、残った連中は暖炉の側で晩酌をしていた。

 俺はエレンとメイフルの盗賊コンビの隣に腰を下ろす。

 この二人はいつも、火鉢を囲んで手酌で飲んでいる。


「やあ、旦那、まだ寝ないのかい?」


 とエレン。


「夜はまだまだだろう、俺にもいっぱいくれよ」

「ほな、うちがおつぎしまひょ」


 とメイフル。


「そういや、神殿地下の出店はもう引っ込めたんだよな?」

「そうでっせ、売上の方はぼちぼちでしたかな」

「そんなもんか」

「屋台としては十分なんですけどな、うちも最近は商いの規模が大きゅうなってきましたからなあ」

「小さな小売りじゃ、知れてるか」

「もっとも、その御蔭で別の商売の口も見つかりましたけどな」

「というと?」

「クロックロンの人足仕事でんがな。今も継続して何体か出張ってもらってますねんで」

「そうなのか」

「今は騎士団の仕切りですけどな、いずれ土木ギルドの方に売り込むんでっしゃろ、その為にも今のうちに運用ノウハウちゅーもんをためときまへんとな」

「そりゃそうだな」

「オウ、マカセロ」


 突然声がして、俺が腰を下ろしていたクッションが持ち上がる。

 クロックロンがクッションの下にいたようだ。


「おわ、お前、そんなところにいたのか」

「ドコニデモイルゾ」

「それはわかったから、おろしてくれ。これじゃあ、酒が飲めん」

「了解、ボス」


 元通りになったクッションの上で改めて酒を飲む。

 しかし、土木ギルドか。

 アフリエールの祖父たちと汲んで、おいしい水を売る計画もあるんだった。

 それ以外にも、ダンジョン内での荷運び人足業も考えている。

 その先には、冒険者ギルドによる冒険者サポート制度である冒険倶楽部の成否もかかっている……ような気がしないでもない。

 そういや、ギルドに顔出してなかったな。

 ミラーは上手くやってるんだろうか。

 手近にいたミラーを呼んで、話を聞いてみる。


「現在、五人が常駐して応対業務を行っています。現在も業務継続中です」

「え、今もやってたのか」


 時計を見ると、すでに夜の十一時だ。

 ブラック企業だなあ。


「じゃあ、あの課長さんもまだ」

「はい、目の下にくまを作って励んでおられます。先ほど、休憩をお勧めしたのですが、休んではおられないようで」

「何がそんなに忙しいんだ?」

「冒険者の登録数が多く、処理する項目が多すぎるせいだと考えられます。事務手続きの簡略化も提案しているのですが、ギルド本部との手続きに関してはかなり煩雑なものになっています」

「そういうもんかもなあ」

「はい」

「まあ、向こうのミラーにもよろしく言っといてくれ」

「ありがとうございます、お役に立っていると知れて、皆も喜びます」


 話しながら、火鉢で炙った干物をモリモリかじっていたら、ツマミが無くなってしまった。


「大将、食べ過ぎちゃいまっか、ちゃんと晩飯食いはったんですか?」


 とメイフルが呆れ顔で言う。


「最近、食欲旺盛でなあ」

「若返っとるんですかいな」

「だといいけど、ちょっとつまみを漁りに行くか」


 連れ立って台所にいくと、リプルとモアノアが、まだ何かの仕込みをしていた。


「どうした、まだ仕事か?」

「ちょっと腸詰めの仕込みに手間取っちゃいまして」


 体は小柄なままだが、四つの乳房はすっかり大きくなった牛娘のリプルがそう答える。

 確かにテーブルの上には、大量のソーセージが乗っていた。


「そうか、ところで、何かつまみはあるかな?」

「えっと、晩のおかずがまだ……」


 近くの鍋に手を伸ばすと、モアノアが、


「それはさっき全部、フルン達がもっていっただぁよ」

「あ、そうだった。何かあったかなあ?」

「んだ、この腸詰めを食えばいいだよ。どら、ちょいと茹でるだ」


 モアノアがさくっと茹で上げてくれる。

 出来上がったのは真っ白いソーセージと真っ黒いソーセージだった。


「白い方は普通の肉っぽいが、黒いのは何だ?」

「豚の血と蕎麦の実のソーセージだぁよ」

「へえ、そういうのもあるのか」

「レバーみてぇで、うめぇだよ」

「じゃあ、早速食ってみよう」

「フライパンでカリカリに炒めてもいいだ。そっちの火鉢で炙りながら食うだよ」


 スライスしてフライパンに取り分けてくれたものを手に、再び暖炉の前に戻った。

 するとソーセージの匂いに惹かれたのか、他所で飲んでいたペイルーンが寄ってきた。


「自分たちばかり、うまそうなのでやってるわね」

「まあな、そっちは何をつまんでるんだ?」

「こっちは油漬けのオリーブよ」

「それもいいな、よし、トレードだ」

「ちょっとまってて、パンテーも呼んでくるわ」


 ペイルーンはパンテーと飲んでいたらしく、一緒にやってくる。

 以前は、パンテーも朝の料理当番で早くに寝てしまっていたが、テナが来てからは、早番は交代制になったらしく、今日はゆっくりしているらしい。

 と言っても、母乳の味に影響が出るので、パンテーは温かいハーブティを飲んでいるのだが。


「最近は、ちょっとずつピューパーと遊んでやる時間も増えたのですが、逆に撫子ちゃんやフルン達と遊ぶことが増えて、あまり私のところに来なくなったんです」


 とパンテー。


「ははは、まあ、そろそろ子離れする頃さ。暖かく見守ってやらんと」

「そうですね、牧場だったら、もう他所に出してもおかしくない年頃なのですし」


 パンテーは嬉しいのか寂しいのかよくわからない顔をしていたが、彼女も初めてあった頃はギリギリの生活でだいぶ疲れていたからな。

 今は少し肉付きも良くなって、牛娘らしいおおらかさも出てきた気がする。

 牛娘は基本的におっとりしてるようだからな。


「そういえば、アフリエールの件はどうなったの?」


 とペイルーン。


「ああ、レーンは別にいいんじゃないかって。エンテルを守るのも、ついでにアフリエールを守るのも大差ないとか」

「そうかもね、ま、私も守ってもらうほうなんだけど」

「それを言うなら俺だってそうだぞ」

「ご主人様は、だいぶ腕が上がったんじゃないの? 今なら私より強いかも」

「そうか? 全然成長してる実感はわかんが」

「自信がないなら、ちゃんと道場にも通ったら?」

「そりゃそうだな、俺ももう少しちゃんとやろろうかねえ」


 そうつぶやいて天井を見上げる。

 三階分が吹き抜けになっている我が家の天井は、とても高い。

 その天井付近を、何か赤い光が横切った。

 ついで青い光。

 何だありゃ、とつぶやいてからすぐに気がつく。

 クントとネールか。

 と思う間に赤い方の光がくるくると舞い降りてきた。


「おう、クント、まだ寝てなかったのか」

「うん、おやすみ前の散歩! 散歩!」

「そうかそうか、ネールも一緒か」

「うん! 一緒に散歩! 昔はめったにできなかった! 今は毎日でもできる! 嬉しい!」

「そうかそうか、よかったな」

「うん、散歩したから寝る! おやすみなさい!」


 クルクルとうちの隅に飛んでいった。

 どこで寝るんだろうな。


 あとに残った青い光は、俺の目の前で実体化する。

 人間の姿に戻ったネールは、こう言った。


「お騒がせして、申し訳ありません。最近、探索などであまり相手をしてやれなかったもので」

「いいじゃないか、目一杯遊んでやれ。今もパンテーがな、ピューパーが親離れして寂しいって話をしてたところだ」

「そうでしたか、しかしピューパーはパンテーにとても良く懐いているようですが」

「そりゃあ、そうだろうけどな。いつまでも同じままじゃいられないのさ」

「はい、いずれクントが体を保てば、このようにして遊ぶこともなくなるかもしれませんね」

「そうだなあ。そういえば、あれっきり連絡がないな。イミアに丸投げしてたから、今度聞いとこうか」

「一応、年末に一度、工房に確認に行きたいとイミアは言っていましたので、可能ならばその時に同行したいと思っておりました」

「ふむ、そのへんは任せるよ」


 うちではトップクラスの強さを誇るネールだが、生い立ちのせいか社交性はわりと低い。

 奥ゆかしい性格のせいで、かろうじてバランスが取れてる感じだな。

 ネールはそのままクントの飛んでいった方に去っていった。

 たぶん、一緒に寝るのだろう。


 ペイルーン達はまだ飲むようだが、俺はそろそろ寝たいところだ。

 さて、どこで寝ようかな、と見渡すと、ちょうどフューエル達が、寝室の隅に寝床を用意しているところだった。

 寝室と言っても、ベッドがあるわけではなく、板張りの床の上に絨毯や羊毛の布団を敷き、クッションで周りを覆い、ウールの毛布や羽毛の掛け布団をたっぷりかぶって寝る。

 数人単位のグループでそんな感じのスペースを作り、寝るわけだ。

 俺もそこに混ぜてもらうことにする。


「あら、あなた。あちらで飲んでいたのでは?」

「もう眠くなったんでな、俺もいれてくれよ」

「場所があまりありませんが」


 フューエルの他にはデュースとテナ、そしてウクレがいる。

 俺を入れて五人だと、ここは確かにちょっと厳しそうだ。


「じゃあ、俺がウクレを抱っこして寝るから」


 と言って、寝床の真ん中に転がり込む。


「寝るのはかまいませんがー、一応、寝酒も用意してるんですよー」


 デュースは脇においたお盆から、グラスを取る。

 わりと頑張るな。


「用意したんじゃしょうがないな、じゃあ、一杯」


 積み上げたクッションにもたれて、グラスを受け取る。

 台所の方を見ると、ちょうど明かりが落ちたので、リプル達もそろそろ寝るのだろう。

 暖炉の前ではまだエレン達が飲んでいるようだ。

 いつもは地下にこもりっぱなしのカプル達も、今日はここで寝ているようだ。

 外のフルン達は、もう寝たかな?

 巨大な倉庫を衝立や棚で区切っただけのこの家は、場所によって見え方が随分違うが、広い部屋のどこを見ても従者が居るってのは、なんとも不思議な光景だよな。


 香りの良いウイスキーをグラスの中でくるくると回しながら、ウクレを抱き寄せると、何も言わずに、すっと体を寄せてくる。

 そのとなりでは、フューエルがちょっぴり肩を寄せて、手元のランプでなにか読んでいる。

 聞いてみると、演劇のパンフレットらしい。


「以前見た、白薔薇の騎士の物なのですが、こうして演目を眺めているだけでも、色々思い出せていいものですね」

「演劇なあ。前に見た、チャンバラのやつは面白かったけどな」

「殿方は、そういうものを好むようですね。まあ、私も嫌いではありませんが」

「そういえばー」


 とデュースが口を挟む。


「年末はー、競技場で夜通し劇をするそうですねー」


 フューエルもうなずいて、


「ええ、毎年恒例です。忙しくて見たことはないのですが」

「例の学生バンドのお嬢さんがたも出るそうでー、招待状を頂いたとアンが言っていましたよ」

「そうなのか、俺は聞いてないぞ」


 と言うと、


「今日の事だったのでー、忘れてたんでしょー。みんなで行ってみましょうかー」

「そうだな、行ってみるか」


 そう答えた俺は、空になったグラスを脇において、横になる。

 ウクレも俺に従って、隣に横たわった。

 フューエルとデュース、テナの三人はまだ小声でなにか話しているようだ。

 ランプに照らしだされたフューエルの背中がユラユラと揺れる。

 内容の分からない話し声が、子守唄みたいだ。

 俺の腕に抱かれたウクレの寝息が聞こえる。

 寝付きがいいな。

 俺もそろそろ、眠りに落ちそうだ。

 今日も何事もない、平凡な一日だったな。

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