第192話 婚約者
「ご主人様、お客様ですよ」
午後のアンニュイな時間を過ごしていた俺のところにアンがやってきて、そう告げた。
「美人か?」
「どちらかといえば、可愛らしいお嬢さんですね」
「よし、すぐ行こう」
慌てて立ち上がると、大掃除が終わって用もないのにうちに来て、向かいでデュースやウクレを相手にくつろいでいたフューエルと目が合う。
「なぜこちらを見るのです?」
「いや、たまたま目があっただけでな」
「どうぞ、可愛らしいお嬢さんがお待ちなのでしょう?」
「はて、そこはよくわからんが、客人を待たせるわけにはいかないので、失礼するよ」
ヒョイヒョイと軽やかなステップでその場をあとにした。
あいかわらずフューエルとはなんの進展もないんだけど、それよりも可愛らしいお嬢さんとやらが気になる。
お店の奥の客間で待っていたのは、いつぞやの合コンの時にいた、パン職人のエメオちゃんだ。
小さな体で大きな包みを抱えて、キョロキョロと周りを見ている。
「やあ、エメオちゃん。来てくれて嬉しいよ」
「あ、あの……こ、こん…にちは」
「こんにちは。さあ、まずは腰掛けて。今、お茶を淹れさせよう」
「こ、こんな立派なお店だとは……思わなくて、わたし、こんな格好で…」
そういうエメオちゃんは、買い物に出た下町の主婦のような格好をしていた。
「なに、うちは子供から年寄りまでいろんな客が来るもんでね、間を取ってこんな店構えなんだよ」
そこにアンがやってきて、お茶の用意をしてくれる。
「お待たせしました、お茶をどうぞ」
エメオちゃんは未だ立ち尽くしたまま、かしこまっているが、再度俺に促されて、どうにか腰を下ろしてくれた。
「い、今の人、ホロア……ですよね」
「ああ。俺の従者でね」
「ホ、ホロアを従えているなんて……すごいです」
「そうかな? まあ、俺には過ぎた従者だけど、身分を問わず相性が合えば主従の誓いは結ぶものだよ。それが古代種の……たとえば獣人であってもね」
俺の言葉に、彼女はニット帽に手をやる。
そのことには触れず、俺はお茶を勧めた。
「故郷のお茶でね。まあ、ちょっとパンには合わないかもしれないが」
「い、頂きます」
カップを手に取り、エメオはお茶の匂いをかぐ。
「いい匂いです、黒パンには合うかも」
そう言ってゆっくりお茶をすする。
「ちょっとぬるいんですね。飲みやすいです」
「ああ、紅茶よりは少し温度が低めだな。そのほうが渋みを抑えて甘みが引き立つんだ」
「そうなんですか。とても、おいしいです」
カップから立ち上る湯気が彼女の頬にあたってほわほわしてる。
「ごちそうさまでした」
そう言って、カップを置き、抱えてきた包を差し出す。
「これ、よかったら。今朝、私が焼いたパンです」
彼女が出したのは、先日ハブオブが持ってきたのと同じ大きな丸いパンだ。
あれは親方が焼いたものだと言っていたが、彼女のものはどうかな。
「ありがとう、いただくよ」
「先日は、とても楽しかったです。ああいうの……初めてで、すごく緊張したんですけど、料理も美味しかったし」
「そりゃあよかった。また、誘ってもいいかな」
「は、はい……その、よろこんで」
うつむきながらボソボソと答える彼女もかわいい。
「それで、今日は何か俺に用事があってきたんだろう?」
「はい……じつは」
しばしの沈黙を挟んでから、思い切った顔で話を切り出す。
「あの、ハブオブさんって、どういう人なんでしょう?」
「ん、彼のことが気になるのかい?」
「はい……」
そう答えてから、すぐに顔を真赤にして手を振る。
「あ、違います、私が気になるとかじゃなくて、お嬢さんが、だから、その、私じゃないんです!」
「ははは、そんなに慌てなくてもいいよ。ようは彼がお嬢さんの恋人としてふさわしいかが気になるんだろう」
「そ、そうです。そうなんです」
「そうだな、俺はパンに関しては素人だが、彼のパンはとても美味しく、まさにプロの味だと思うし、性格もちょっと人付き合いは苦手だが、誠実で一生懸命だし、俺は友人として信頼できると思ってるよ」
「そうですか。親方も、そのようなことを……でも」
「でも?」
「私、見たんです」
「うん」
「祭りの最終日、お休みを頂いたので、紅白戦を見に行こうとおもったんですけど、その前に一度お嬢さんのおっしゃってた人のパンを食べてみようと思って」
「ここに来たのか」
「はい。そしたら、その……知らない女の人がいて、はじめ、お客さんかと思ったんですけど、お店の人と楽しそうに話してて、そのまま一緒に奥に」
「ふむ」
「わ、わたし、そういうのよくわからないんですけど、店員さんの方も、もしかしたら本人じゃないのかもと思って。それで、先日お嬢さんから誘われた時に、確かめようと思って」
「そしたら、ハブオブ本人だったと」
「そ、そうなんです! あ、あれ、浮気……ですよね!」
思わず叫んで身を乗り出すエメオちゃん。
心配七割、好奇心三割って感じかな。
ははは、また面倒なことになってきたな。
「うーん、俺はその一緒にいたという女性のことは、直接は知らないんだけど」
「はい」
「ハブオブから聞いた話では、その人は故郷の幼なじみで、彼が独り立ちできたら一緒になろうと約束していたんだそうだ」
「じゃあ、婚約者なんですか?」
「そうだな」
「そ、そんな人がいるのに、お嬢さんともお付き合いをしてるなんて!」
「そこが難しいところでね」
「な、なにがですか!」
ちょっと鼻息の洗いエメオちゃん。
「ハブオブはな、お嬢さんのことを、親切で良い人だとしか思ってなかったんだよ」
「え?」
「親方同様、とても恩のある人だと思っていたが、まさか自分のことを好きだとは気がついてなかったんだ」
「そ、そんなこと……」
「彼みたいに人付き合いが苦手なタイプは、自分が好意を向けられてることに本気で気が付かなかったりするもんだ。しかも彼には婚約者がいる。婚約者を早く呼ぶために、必死に修行して、店も出して、さあいよいよ、と言う時に今度のことがあって、さすがの彼も気がついたんだろう。何より彼自身がとても悩んでいたよ」
「じゃあ、あの人はお嬢様のことは」
「そこがまた面倒なところでな、ただの恩人だと思っていた相手が、実は自分に好意を向けていると知って、はいそうですかと切り捨てられるもんじゃない。ただの敬意だと思っていた感情のいくらかは、実は愛情だったのかもしれない。でも、それは婚約者への裏切りになってしまう。こんな状態が続けば、彼は仕事どころではないだろう」
「そんな……でもどうすれば。このままじゃ、お嬢さんがあまりに気の毒で」
「君はお嬢さんが好きなんだね」
「はい。お嬢さんと親方だけなんです、私を雇ってくれたの。だから……」
彼女はおそらく獣人だろうが、そうなると苦労も多かったのかもしれない。
かつてのメイフルもそうだったが、やりたい仕事をやるというのは、いつの時代、どこの世界でも大変なものだ。
それは異世界でもそうだろう。
この子はそういった感謝の気持ちも全部、お嬢さんに乗せてしまってるのかもしれないな。
「お嬢さんは、例の婚約者のことを知ってるのかい?」
「知らない、と思います。ただ……」
「ただ?」
「あのあと、随分落ち込んでて」
「だろうなあ」
「この上さらにこんなことを知ってしまったら……」
さて、どうしよう。
ハブオブの悩みは、自分でどうにかしてもらうしか無いが、この子の悩みぐらいは、ちょっとは解消してあげたいところだ。
「他に相談できそうな人は?」
「い、いません。工房の人は、お友達とかはいますけど、お嬢さんの、そんな個人的なことを安易に話して、噂になっちゃうと……」
「それじゃあ、チュリエッテさんの友人のリリエラさんは? 相談してみたかい」
「あのお嬢様はすごくいい人ですけど、私なんかが気軽に相談できる人では……、すっごいお金持ちで」
「ふむ」
つまり誰にも相談できずに俺のところを頼ってくれたわけか。
それを素直に喜んで相談にのるのが、俺の甲斐性ってやつだ。
それにしても困ったな。
これが自分の問題なら紳士パワーを発揮して両方がんばるという選択肢もあるんだろうけど、ハブオブにその甲斐性があるかなあ。
例の田舎の彼女とも会ってみたいところだが、最終的にはチュリエッテが泣くことになりそうな気がする。
となると、親友だと言っていたお金持ちのリリエラ嬢の協力も必要だよな。
思い余って刃傷沙汰、みたいなことにならなきゃ良いけど。
「今日はまだ時間はあるかい?」
「いえ、休み時間に抜け出してきたので……そろそろ戻らないと」
「そうか、じゃあ近いうちにまた連絡するよ。なるべくあの素敵なお嬢さんを悲しませないようにしないとね」
「はい、よろしくお願いします」
そう言ってパン職人のエメオは帰っていった。
俺としては、エメオちゃんを悲しませないようにしたいところだ。
難しい面談を終えてリビングに戻ると、フューエルがいやらしそうな顔をしてこちらを見ていた。
「あら紳士様、難しい顔をして。可愛らしいお嬢さんに、ややこしい訴訟でもふっかけられたんですか?」
「ははは、俺はそんなヘマはしないさ」
「大した自信だことで。では、何のご用件だったんです?」
「うん、まあ……俺の友人のことでね」
全部打ち明けたところでフューエルは他所で漏らしたりはしないだろうが、酒のツマミにするには微妙な話題だ。
そのことには触れずに、エレンを呼ぶ。
「ちょっと調べてもらいたいんだけどな、ハブオブがいたパン工房の近所で小麦の仲買をやっている……」
「パルエラ商事かい?」
「よく知ってるな」
「旦那がこの間デートした娘さんだろう」
「よく知ってるな」
「まあね」
フューエルが聞き耳をたてているのがわかるが、あえて無視して話をすすめる。
「六代続く小麦の仲買の老舗でね、なかなか大きな商いをやっているよ。例のリリエラは七代目候補として目下売り込み中さ。社交界でもなかなか評判が良いね」
そこで我慢できなくなったのか、フューエルが口を挟む。
「パルエラ商事のリリエラといえば、一度挨拶を受けたことがありますね。うちの領地で上がった麦もいくらかはあそこに卸していたので」
「ほう、そうなのか」
「なかなか、魅力的なお嬢さんでしたね」
「ほほう」
「では、彼女から訴えられたんですね」
「だから何故そうなる」
「そのほうが面白いでしょう」
「面白がるなよ」
「紳士様こそ、人の揉め事は面白がるではありませんか」
「そうかな?」
「それで、その仲買人がどうしたんです?」
「いや、彼女は直接は関係ないんだけどな」
結局、事の次第をみんなに話す。
「まあ、あのパン職人さんが、そんな問題を」
フューエルは気の毒そうに話す。
「本人は必死にパンを焼いてただけなのになあ」
「交友関係に問題があったのではありませんか?」
「俺と知り合った時にはもう手遅れだったんだよ!」
「別にあなたのこととは、言ってないでしょう」
何か言い返すセリフを考えていたら、エレンが追加の情報をくれる。
「その田舎の彼女っての、僕はちらっと見たけど、なかなかかわいい娘さんだったよ。田舎者っぽさはあるんだけど、ただ、ちょっと気は強そうかな。例のパン屋のお嬢さんと似たタイプと見たね」
「つまりどっちもハブオブの好みのタイプってことか」
「だろうねえ、こりゃあ、決戦は近いね」
「楽しそうだな」
「旦那が楽しそうにしてるのが、楽しいんだよ」
「そこまで薄情ではないつもりだがなあ」
「だからといって、真剣に同情するような問題でもないんだろ」
「まあな」
「むしろ、さっき来たパン職人のお嬢さんのほうが気になるのかい?」
「ははは、それはまた別の話だ」
「エメオだっけ。彼女は都の隣、パルツエーデから出てきたそうだよ。内陸育ちのガモスは、苦労も多かったろうねえ」
「あの子、ガモスなのか、たしかに雰囲気はあるな。それであのでかいニット帽で角を隠してるのか」
ガモス族といえばクメトスの弟子であるスィーダちゃんと同じで、頭の角と小柄な体型が特徴的な獣人の一種だ。
「そうだね、内陸の獣人はたいていそうさ。見た感じ、角は小さそうだけど」
「だよな、俺は耳でも隠してるのかと思ってた」
「こっちに住めば徐々に慣れるだろうに、出てきてもう一年近いらしいけど、あの様子じゃ、なにか辛いことでもあったのかな」
「そういえば、雇ってくれたパン屋はあそこが初めてだと言っていたなあ」
「なるほどね」
「しかし、おまえよくガモスだとわかったな」
「そりゃあ、盗賊にわからないことはないさ」
「怖いな」
「そうさ、街のいたるところに盗賊の目が光ってるからね」
そう言ってエレンは笑う。
人によっては、笑い事じゃないだろうが、俺としてはスルーしておこう。
「それで、どちらの味方につくんです?」
フューエルが面白そうに聞いてくる。
「決まってるじゃないか、今言ったパン屋の職人、エメオちゃんだよ」
「そういうところは、ブレないんですね」
「まあね」
「で、具体的には?」
「パン屋のお嬢さんには気の毒だが、こっちに円満に手を引いてもらうほうが無難だろうなあ」
「でしょうね」
「そこで彼女の友人である、その仲買人のリリエラにこう、うまいこと仲介を……」
「リリエラさんは、そのチュリエッタ……でしたっけ、その方の友人なのでしょう」
「そうだな」
「であれば、当然チュリエッタさんが勝つほうに協力するのでは?」
「そういうもんか?」
「それは当然です」
「しかし、黙って身を引く悲劇とか、舞台でも人気あるだろう」
「あれは他人事のつくり話だから感動するんです。自分や身内の話であれば、何が何でも自分達が幸せになりにいくに決まっているではありませんか」
「なるほどねえ」
となると、うまく身を引いてもらう方向で協力してもらうのは無理か。
「だったら、彼女には相談しないほうが良いかな」
「それはどうでしょう。あなたはお友達がなるべく不幸にならないようにしたいのでしょう?」
「まあね」
「でしたら、最悪の状況でバレるより、コントロールの効く形で、周りから埋めていくほうが良いのでは?」
「うーん、じゃあ、やっぱり一度会いに行ってみるか」
「ちょうど明日は週末のサロンがあります。彼女も来ていると思いますよ」
「つまり君も冷やかしに行きたいわけか」
「色恋話は、上流社会のたしなみですよ」
とフューエルは楽しそうに笑った。
ひでえな。
翌日、珍しくおめかししてフューエルと出かける。
お供は久しぶりに長いウィッグをつけて侍女っぽい格好をしたエレンだ。
サロンは東通りの外れにある古い建物で、お金を持ってそうな連中が出入りしている。
俺は着飾ったフューエルをエスコートしながら、様子をうかがう。
広い部屋には豪華な調度品が並び、あちこちで談笑していた。
「ほんとうに随分と立ち振舞が立派になったことで。初めて私の屋敷に泊まった時などは、もっと頼りなかったものでしたが」
俺と腕を組んだまま、顔を寄せて小声で話しかけるフューエル。
「テナの修行の賜だよ」
「この短期間で……ご秀才であらせられるのね。私は未だに慣れないのですけれど」
「俺だって、慣れたわけじゃないけどね。ドキドキしてるよ」
「あら、王族を前にしても平気なのに?」
「君の顔があんまり近いからだよ」
「それは気が付かなかったわ、ごめんなさい」
更に顔を近づけて、見えないところで俺の脇をつねる。
痛いなあ。
「馬鹿なことを言ってないで。ほら、あのテーブルの脇に、彼女がいますよ」
「ほんとだ。相手は誰かな?」
目当てのリリエラ嬢は、壮年の男性と談笑していた。
「さあ、私は知りませんね。エレンなら知ってるんでしょうけど」
お供のエレンは、今は控室で待機している。
「いいわ、聞いてみましょう」
フューエルは近くにいたボーイに話しかけて聞き出している。
こういうサロンは交流が目的なので、そこで働くボーイも客の情報には詳しいのだ。
「カルバーノ輸送の番頭ですって。名はキデラス」
「カルバーノ……どこかで聞いたな?」
「最近、こちらに出てきた陸運の会社ですね」
「そうか。イミアの実家のライバルだったな」
「そうなの、それは気になりますね」
「よし、突撃してみよう」
「ふふ、サロンがこんなに楽しい場所だとは思いませんでしたわ」
「まったくだ」
俺とフューエルは仲良く腕をくんで、ずかずかと歩いて行った。
「ごきげんようリリエラさん、私の事、覚えていらっしゃるかしら」
フューエルが談笑中のリリエラに、無邪気に話しかける。
無論、わざとやってるわけだが。
突然声をかけられたリリエラは、相手を見て驚き、次に俺を見てさらに驚いた。
だが、態度の上では落ち着いて返事を返す。
なかなかの玉だ。
「まあ、フューエル様。私などの名をお気に留めいただけるとは」
「いいえ、あなたのお父様には、いつもお世話になっておりますもの」
「光栄ですわ」
そう言って二人のご婦人はオホホと笑う。
どっちもわざとらしいなあ。
「そちらはカルバーノ輸送の番頭さん……だったかしら」
フューエルはリリエラの話し相手に矛先を向ける。
「おお、レイルーミアス家のご令嬢に私めもお知り置きいただけたとは、キデラスと申します」
そう言って男は軽く会釈する。
手をとってキスしないのは、フューエルがガッツリ俺と腕を組み、もう片方の手はグラスを握っているからだ。
ちなみにレイルーミアスとはフューエルの家名だ。
「リリエラさん。ちょうど今、この人とあなたのことを話していたんですの」
とフューエル。
「まあ、そうでしたか。先日はお世話になりました、クリュウ様」
と言ってリリエラは俺に向かって会釈する。
いつから知ってたのか、あるいは今はじめて気づいたのかはわからんが、まったく素振りを見せないところが怖いよな。
一方、クリュウの名を聞いたライバル会社の番頭さんは、コンマ五秒ほど眉をしかめてから満面の笑みを浮かべる。
「おお、あなたが桃園の紳士様でいらっしゃいますか。ご高名はかねがね」
「ありがとう。だが、噂ばかりが先行して、最近は名乗るのにいささか気後れしてしまうのですよ」
「ご謙遜を。あなたのご実績はもはや知らぬものはおりますまい」
番頭は歳のほどは四十代、恰幅のいい体には自信がみなぎっている。
彼から見れば、俺はライバル会社の後ろ盾みたいなものだ。
取り入るべきか、敵対するのか、今頃は腹の中であれこれ算段を立てているのだろう。
このまま相手をしてもいいが、いざ話してみると、やはりおっさんの相手はつまらん。
リリエラに向き直って、話しかける。
「リリエラさん、先日はとても楽しい時間を過ごさせてもらいました」
「こちらこそ。まさかあの時の素敵な殿方が、噂の紳士様だったとは驚きましたわ」
「申し訳ない。あの時はしがない一商人だったのですよ」
「存じております。来る試練のご成功を、お祈り申し上げておりますわ」
「ありがとう。そういえば、あなたのご友人はお元気ですか? あの日は少々、お酒が過ぎたようでしたが」
「ふふ、彼女にもたまにはいい薬ですわ。それよりも、そのことで少し相談に乗っていただきたいことがあるのですけれど」
「構いませんよ、何なら、今からでも」
「まあ、それでは姫様に申し訳が立ちません」
「大丈夫、彼女はそんなことで怒りませんよ」
腕を組むフューエルに向き直り、
「少し外すけど、いい子にして待っててくれるかな?」
甘い声色で語りかけると、フューエルは顔を寄せて、
「ええ。でも、早く帰ってこないと、拗ねてしまうかも」
そういいながら、見えない所で俺の脇の柔らかそうなところをギュッとつねった。
痛いなあ。
サロンにはいくつも小部屋が併設されており、偉い人々が悪巧みをしたり、いかがわしいことをしたりするのだろう。
俺はそんな密室で美女と二人、色っぽい話をすることになった。
ただし、別のカップルについてだが。
「私、最初は冗談だと思っていたんです」
美人のリリエラはそう切り出した。
「というと?」
「チュレのハブオブさんへの気持ち……ですわ」
「ああ」
「彼女は勝ち気なようで、気配りもききますし、他の従業員にも親身に相談に乗ったりしているんですよ」
「なるほど」
「彼が来てからも、同じように相手をしているのだと思っていたのですが、どうやら本気だったみたいで」
「そのようですね」
「だったら、彼にしても悪くない話でしょう? 彼女はあの通りの器量で、しかも恩師の娘。たとえ独立するにせよ、後を継ぐにせよ、あれほどパン屋の妻にふさわしい相手もいないと思いますの」
「まあ、そう考えますね」
「でも彼にその気はないらしい。そこで、少し調べさせた所、彼には故郷に恋人がいるそうで。紳士様はご存知で?」
「最近、聞かされたばかりです」
「ここでもし、彼がチュレに手を出していたのであれば、私もしかるべき手段を取るのですけれど、言ってみればチュレの片思いだったのです。それで彼を責めるのは酷でしょう。ただ、そうなるとチュレが気の毒で……」
「あなたはお優しい人だ」
「まあ、紳士様ったら。そこで、そのことで思い悩んでいたのですが、このような場所であなたにお目にかかれたことは、まさに天啓だと思いましたの。どうか、貴方様のお力で、あの子を救ってやっていただけませんか?」
「ふむ」
俺は腕をくんで考える素振りをする。
彼女は要するになるべく穏便にチュリエッテを別れさせようと考えているようだ。
それはこちらの方針とも合う。
合うんだけど、なんかそうなると、かえってこのアイデアはよくない気がしてきた。
我ながらひねくれてるな。
「チュリエッテさんはひと目で分かる聡明な方だ、うまく事情を話せば、最終的には納得して身を引くかもしれません」
「ええ」
「しかし、キレイ事ではいかないのが男女の仲というもの。気持ちに区切りをつけるためにも、きっかけが必要でしょう」
「仰るとおりですわ」
「しかし、うーん……」
せめて早い段階で、婚約者がいることをハブオブが伝えていればよかったんだろうが、そんなことを自分から話すタイプではないか。
今となっては手遅れだよな。
かと言って、小細工を弄するには、ハブオブは善良すぎるんだよな。
あんなお人好し、好きにならないにしても嫌いにさせるのは難しい。
ただでさえ惚れた相手はあばたもえくぼに見えるものだ。
デュースの古い友人であるコンツは、結婚のことを麻疹のようなものだと言っていたが、あの二人はどちらかと言えば主家がお膳立てした見合いのようなものだから、あまりあてにならんよな。
自由恋愛をこじらせたあの三角関係は、さて何に例えるべきなのか。
そういや、俺とフューエルの場合は彼女の父親が決めたことだから、やはり見合いのようなものだよな。
惚れた腫れたで赤くなるのはホロアだけであって、こちらはほんとにどうすりゃいいのか。
人のことを考えている場合ではないのだが、いかんせん、美人に頼まれては俺も弱い。
いつものことだけど。
「あなたからの相談だ、私も考えてみますが、これはなかなかに難しい相談ですね」
「ええ、本来であれば偉大な紳士様のお手をわずらわせるような問題では無いのですけれど。先日のご様子をうかがうと、貴方様は、とても……その、頼りになる方に見えて」
「はは、私の実績は全て私の大事な従者の力によるもの、私自身はさしたる力をもたぬのですよ」
「いいえ、紳士様のお顔を見ていると、不思議なんですけど、何でもうまく行きそうな気がしてくるんです」
「それは光栄です」
「あら、私ったら何を変なことを」
そう言って彼女は頬を染める。
どこまでが演技で、どこまでが本気かわからんな、この美人は。
とにかく、そこで悪巧みは終了となった。
「お手を煩わせて、申し訳ありませんでした。どうか彼女のことを、よろしくお願いします」
そう言って頭を下げる彼女は、真摯に友人のことを思いやる心優しい人物に見えたが、それも一瞬のことで、次の瞬間にはお金持ちで腹の読めない良い女に戻っていた。
「いえ、無事に問題が片付いたら、またご一緒しましょう。ただし次はもう少し安いお酒で乾杯させてください」
「ええ、私、こう見えてもエールが一番好きなんですよ」
「それはいい、次はジョッキで乾杯ということで」
その後、ご婦人方に囲まれていたフューエルと合流する。
場所をバルコニーに面した小部屋に移して、二人っきりになると、興味津々の顔で訪ねてきた。
「それで、どうなったんです?」
「向こうから話を振ってきたよ」
「へえ、それで?」
「円満に諦めさせたいとさ」
「そうなのですか。随分とお人好しですこと」
「君ならどうする?」
「あら、どうするかご存じなかったの?」
「いやあ、よく知ってたよ」
「だったら、不用意なことは聞かないことですね」
そう言って笑うフューエルは、随分とごきげんだ。
俺を待ってる間に、いいことでもあったのかな?
フューエルはボーイを呼んで、グラスを二つ受け取ると、一つを俺に手渡しながらバルコニーに出る。
バルコニーからは、雪化粧で覆われた内庭がよく映える。
「あなたの友人の幸運を祈って、乾杯しましょうか」
「ああ、乾杯」
コツンとグラスを合わせて、ぐっと飲み込む。
口いっぱいに甘い味が広がった。
「甘いな」
「他人の恋路は。いつ見ても甘く見えるものでしょう?」
そう言ってフューエルはギュッと俺の腕に抱きついてくる。
「酔ってるのかい?」
「もちろん、シラフであなたに抱きついたりできるものですか」
「だろうな」
「それよりも聞いてちょうだい。さっきのご婦人方ったら、フィアンセがご一緒ですの? フィアンセは今どちらに? って全部で五十七回もフィアンセを連呼したのよ」
「よく数えてたな」
「だって、その度に心のなかで否定してたんですもの」
「いつものように、言ってやればよかったのに」
「余計なゴシップになるだけでしょう」
「じゃあ、いつ否定するんだい?」
「聞いてご覧なさい、おもいっきり否定してあげますから」
そう言ってフューエルは俺の目を見つめる。
タイミングを逃すと、面倒なことになると学んだばかりだよな。
俺は覚悟を決めて、口を開いた。
「フューエル」
「なあに?」
「君は俺のフィアンセかい?」
「……ええ、そうよ」
そう答えて目を閉じたフューエルと、俺は初めて唇を重ねた。
トクトクと、彼女の心臓が鳴っている。
あるいはこれは、俺の心臓かもしれない。
どれぐらいの時が流れたのか、俺たちは長い時間、そうしていた。
「ふふ、バカみたいね。私、あなたのこと、まだ恨んでるのよ?」
キスを終えた彼女が最初に発した言葉がそれだった。
「知ってるよ」
「何故だと思う?」
「デュースを幸せにしたからだろう」
「五十点ね」
「厳しいな、答え合わせは?」
「そういうことを、真顔で言えるところが、恨めしいんですよ」
「欠点は多いほうが、人は魅力的に見えるもんだ」
「だったら、私の欠点は何です? あなたを恨んでる所?」
「そこは君のチャームポイントさ」
「だったら、やめられないですね」
「その方がいい」
「だったら、どこがダメ?」
甘えてしがみついてくる。
「なかなか、次のキスをねだらないところさ」
「だったら、あなたからお願いしてみたら?」
「俺が奥手なのは知ってるだろう」
「私に対してだけ、ね」
「君には紳士のご威光も、効果がない」
「ええ、私はいつも紳士様ではなく、あなたを見てるもの」
そう言って、フューエルは顔を近づける。
「ねえ……」
「うん」
「キスして」
彼女の望み通り、再び俺たちは口づけを交わす。
今度はさっきのように優しくふれあうだけではない。
獣のように互いの唇を貪り吸い、舌を絡めながら、とろけるまで互いの感触を味わった。
「ここは冷える、中に入ろう」
「温めてくれるんでしょう?」
「おのぞみとあらば」
寒いテラスから、温かい小部屋に戻り、俺達は思う存分、あたためあうことにした。
クッションの効いたソファの上には、脱ぎ散らかした衣服が散らばっていた。
その上にはさっきまで激しく求めたフューエルの裸体が、横たわっている。
もちろん、俺の腕に抱かれたままで。
「私はね……」
俺の胸板に頬を押し付けたまま、フューエルはポツリと呟く。
「うん?」
「別に、紳士の称号なんていらないんですよ?」
「俺もべつに、欲しくはないな」
「だったら、やめればいいんです。危険も多いと聞きますし」
「だけど、会う人会う人、試練の成功をお祈りしていますと来るからな」
「それがプレッシャー?」
「いや、そうでもない」
「じゃあ、何故? 従者たちのため?」
「そうだなあ、俺が試練を達成すれば、あいつらは喜ぶだろうが……しなくても別に悲しんだりはしないだろうな」
「だったら、やめてもいいんですよ。試練を達成しない紳士も過去に大勢いたはず。カリスミュウル様の祖父君もそうだったと聞きます」
「うん」
「父に引退してもらって、私と結婚してあとを継げば、体裁は保てますよ」
「君はそうやってすぐ、俺を甘やかす」
「私との結婚は……嫌?」
「まさか、さっきのは俺流の結婚式のつもりだったのに」
「あなたはそうやってすぐ、私を喜ばせる」
とフューエルは笑う。
「この国じゃ、どうやって式をあげるんだ?」
「国に届けて、教会で女神に誓うんですよ。まさか、あなたの国では本当にそんな風に結婚するんです?」
「まさか、似たようなものさ。宗派がちょっと違うがね」
「まあ、女神信仰ではないんですか? 古代の神を?」
「いや、そうじゃない。いつか話そうとは思ってたんだが……」
「何をです?」
「俺は……こことは違う、まったく別の世界、別の星から来たんだ」
「それはどういう冗談なんです?」
「残念ながら、冗談じゃないんだ。いつも言ってただろう、なぜあなたはこんなにこの世界の常識に疎いんですってな。俺は去年の春、突然この世界に飛ばされてきたんだよ」
「……まさか、本当なんですか?」
「ああ、この世界では俺みたいなのは放浪者と呼ばれてるらしいな」
「その言葉はどこかで聞いたことが。いえ、でも……そんなことが……」
「異世界の男は、君の好みから外れるかい?」
「いいえ、ちょっと驚いただけ」
そう言ってフューエルは俺に頬を寄せる。
柔らかい肌の感触が、しっとりと温かい。
「あなたが生きてここにいるなら、なんだっていいんです。それだけで、あなたを愛せるから……愛していますよ、クリュウ」
「俺も愛してるよ、フューエル」
改めて、抱きしめ合い、唇を重ねる。
そろそろ第二ラウンドに……と思ったら、フューエルは顔を起こして急に改まる。
「ところで紳士様」
「はい」
「忘れる前に、確認しておこうと思うんですけど」
「なんでしょう?」
「例のパン屋さんではありませんが、現状で何人、妻を娶るつもりなんです?」
「それは今聞くことなのか?」
「私がそれを聞く女だということぐらい、ご存知でしょう」
「はい」
「それで、エディの他に、あと何人、つばをつけてるんです?」
「いや、何人と言われても……」
「いくら紳士といえども、多くて四人程度でないと、何かと都合が悪いですからね。幸い従者たちとは仲良く出来てるつもりですが、妻となると話は別です。余計な派閥などができてしまえば、あなただけでなく従者たちも困るんですよ」
「そりゃ、ごもっとも」
「で、どうなんです?」
「そもそもエディは従者になると思うぞ」
「え、そうなんですか?」
「彼女はレアルコアがあるし」
「まあ、そうなんですか。気付きませんでした」
「初めてあった時に、体が光ってな」
「そういえば、エディとはどこまで行ったんですか、まさかもう関係を?」
「いや、抱いてればすでに従者になってるだろう。キスしただけで、その先はまだ」
「キスはしてたんですね、私より先に」
「はい」
「まあいいでしょう。例の白象の元団長はどうなんです?」
「彼女は、俺をちょっと尊敬してるようには見えたが、別に恋愛感情はないんじゃないかなあ」
「パエさんの主人という、キッツ家のご令嬢は?」
「よく知ってるな」
「知らないと思ってたんですか?」
「彼女もなんというか、恋に恋するお年頃という感じで、現状ではなんとも言えんぞ?」
「では、エマは? シルビーさんは?」
「あの子たちはまだ子供だろう」
「エマも来年には社交界にもデビューします、もう年頃ですよ。義姉は婚約者を探しているようでしたし」
「そうは言っても、あの子の場合、半分冗談みたいなものだろう」
「それに貴族だけではありません、庶民ではどうなのです? 立場上、そのまま結婚とはいきませんよ。しかるべき家に十分な謝礼を積んで養女として迎えてもらい、その上で娶るのでなければ、私はよくても、私の親戚筋は納得しません」
「難しいんだな」
「当然です。それで、どうなんです?」
「特に無いと思うんだけどなあ」
「そうですか。では、そういうことで」
「いきなり厳しいな」
「あら、だってさっき式を上げたのでしょう。ですから、妻としての義務を果たそうと思いまして」
そう言ってフューエルは妖しく微笑む。
「そりゃあ頼もしいな」
こいつは麻疹よりもキツイんじゃないかな、などと思いつつ、俺は改めてフューエルの体を抱き寄せたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます