第190話 鬼ごっこ 後編

「それで、セス達はどうだ?」


 敵の群れから逃れて自分たちの安全を確保したところで、エームシャーラ姫一行の様子を確認する。


「敵を退けるのは困難と判断し、結界を盾に後退して十二階に降りたようです」

「ふむ」

「こちらからの情報を元に手薄な経路を進んでいますが、すでにほとんどの階段は魔物に塞がれていて戦闘は避けられません」

「それで?」

「あちらは、地下に残っていた他のパーティを回収しつつ、防御に徹するようです」

「つまり救援待ちか。それで、肝心の騎士団は?」

「現在、第八小隊が向かっていますが、テナ達も再び潜るために、再武装中です。また上に待機していたクロックロン二十体が今から出発するようです」


 と紅。


「今日、そんなに連れて来てたっけ?」

「メイフルが材木の運搬実験をするということで、連れて来ていました。残り三十九体も現在、自宅を出ました。こちらはレルルが先導していますが、最短でもここまで一時間はかかるでしょう」

「そうか、あいつらは戦闘も頼りになるし、なるべく急いでもらおう。よし、呼吸が整ったら、俺達も援護に向かうぞ」

「了解です。まずは第八小隊と合流すべきです。我々だけで先行し過ぎると、かえって不利ですので」

「なるほど」


 軽い休憩の後に、俺達は救援の騎士団と合流すべく、ダンジョンの地下九階を移動する。

 途中、下から押し出されてきたと思しき魔物と遭遇するが、戦わずに回避した。

 そうして別の地下十階への階段がある部屋にたどり着く。

 と同時に、上から騎士が十人ほどやって来た。

 有志らしき冒険者も十名ほど居るが、それなりに強そうだ。

 走ってきたのか、息が上がっている。

 そして、それらを率いているのはメガネ参謀のローンだった。


「あら紳士様、随分と良いタイミングで」

「君の顔が見たくてね」

「私もですよ」

「本当かい、嬉しいねえ」

「ええ、あなたの従者を一人お借りしたものですから、その御礼をと思いまして」


 ローンの横にはミラーが一人控えていた。


「この子は、エームシャーラ姫のところと念話が通じるのでしょう?」

「まあね、役に立つぞ」


 俺がそう言うと、ミラーも、


「お役に立ちます」


 と自信満々に頷く。


「それで、どういう作戦だ?」

「コボットの数は前回の比ではありません。この場で一掃するのは難しいでしょう。そこで、最短経路で脱出ルートを確保します」


 そう言って地図を取り出す。

 要はなるべく一本道のルートを確保して、分岐路を塞ぎ、エームシャーラ一行を救い出すという作戦のようだ。

 うまくいくのかなあ。


「紳士様には、なにか妙案がお有りですか?」

「いや、ないな。そもそも敵の進入路はどこなんだ? それがわからんと、いつまで経っても後手に回り続けるだろう」

「わかってはいるのですが、まだ発見できておりません。先日、お伺いした箇所も調査したのですが、魔物が侵入した形跡はなく……、ただここの地下ダンジョンを取り囲むように洞窟が広がっているようで、どこが入り口になっていてもおかしくないという状況です」


 俺が立ちションした時に崩した壁のことだな。

 一応、騎士団には報告してあったのだ。

 まあ、わからないものは仕方あるまい。


「そもそも、先日あれだけ倒したのに、それを上回る数があふれるなどと、完全に誤算でした」


 ローンは苦虫を噛み潰したような顔を一瞬見せたが、すぐにいつもの表情に戻ってこう言った。


「では、行きましょう。先陣は我々が努めます。他の冒険者とともに、後続が来るまで後方の確保をお願いします」

「よし、引き受けた」


 再び地下十階に降りると、すぐにコボットの群れと遭遇する。

 狭い通路にみっしりと詰まっているせいで、身動きがとれないようだ。

 そこに騎士が二人、派手な火球をぶち込むと、瞬く間に魔物は燃え上がった。

 足元に転がる死体に止めを刺しながら、騎士たちは慎重に進む。

 それを見送って、俺達は階段周辺の確保に専念した。

 ここは上に登る階段のほかは、三方に細い通路が伸びていて、騎士が進んだ道以外の二つからも時々コボットが溢れてくる。

 それを紅の指示のもとで、コルスとカプルがバッサバッサとさばいては肉の壁を作っている。

 そして時々、デュースが火の壁を作って、通りの向こう側まで炙っているようだ。

 その御蔭か、まだ中には一匹も入ってきていない。


「こんなことなら、昨日のバリケードをさっさと完成させておくのでしたわ」


 敵の切れ間に汗を拭いながら、カプルがそうつぶやく。


「ああ、あれなあ。こういう時は便利かもな」

「ですけど、地図を見る限り、すべての分岐を抑えるには、人手が足りない気もしますわね」

「たしかに、常時二人で壁を作るにしても、バックアップもいるしな」

「十字路なら更に倍ですわ」

「なんかもっとお手軽にバリアみたいなので壁を……ってクロックロンがいるじゃないか」

「クロックロンでは、戦いはともかく、あの小さな体で壁を作るのは難しいですわ」

「いや、クロックロン・コレダーという技がだな、試したほうが早いか」


 さっそく連れていた一体のクロックロンからコンテナを外す。


「よし、やってくれ、クロックロン。そこの道を塞ぐんだ」

「マカセロ、ボス。クラエ、クロックロン・コレダー!」


 さっきまでカプルが防いでいた通路に入ると、バリバリと放電を始めた。

 これなら貧弱なコボットはとてもではないが、通れないだろう。


「一時間シカ保タナイゾ」

「わかった、それまでには終わらせる。頼んだぞ」

「オーケー、ボス」


 そこにデュースと打ち合わせていたレーンがやってきて、こう言った。


「おお、このような技が。光魔法の類に通じているとは聞いていましたが、このような技もあるのですね。なんという魔法なのでしょう」

「そのへんは本人に聞いてくれ。後続のクロックロンが来たら、壁は任せて俺たちもローンの後を追おう。とにかく迅速に救出に向かうべきだろう」

「その通りですね」


 それから程なく、先行していたクロックロン二十体が駆けつけた。

 そのうちの一体にもう一つの通路を防がせて、俺達はローンの後を追った。


 途中、幾つかの分岐路で壁をつくっていた騎士の代わりをクロックロンに任せて、後を追いかける。

 十分ほどで、ローンに追いついた。

 ちょうど十一階に降りる階段を確保すべく戦っているところだった。


「後方は大丈夫なのですか?」


 ぞろぞろやってきた俺達を見たローンが尋ねる。


「ああ、クロックロン達が壁を作っている。だが、一時間ほどしか保たないぞ」

「行って戻ってくるには、ぎりぎりの時間ですね。ペースを上げたいのですが、階段の下が酷い有様で」


 ちらりと覗くと、下のフロアにはワラワラとコボットがあふれていた。

 あれを全部倒すのか。

 上から水攻めにでもしたいところだが、コンテナの水じゃ行水にしかならんな。


「では、まとめて燃やしましょうかー、あそこなら広いので大丈夫でしょー」


 デュースが呪文を唱えると、たちまち下のフロアが真っ赤に燃え上がった。

 階段からは悪臭と悲鳴が響き渡る。

 うう、ひでえな。


「オーレ、後十秒で火が消えますからー、まとめて凍らせてくださいねー」


 デュースに言われたオーレが、言われたとおりに呪文を使う。

 今度はバキバキと音を立てて、下のフロアが凍ってしまった。

 だが、流石にオーレは息が上がったようだ。


「し、しばらく、ムリ」

「お疲れ様ですよー」


 デュースに頭を撫でられて、オーレは息を切らしながらも嬉しそうに笑う。


「そろそろネールがつくはずですからー、後は彼女に任せましょー」


 テナや後続の騎士団、さらに有志の冒険者の一団もこちらに向かっている。

 そこで紅と一緒に地図を眺めていたレーンがこう言った。


「エームシャーラ様の側も、こちらの動きに合わせて、一旦降りた十二階から近くの階段に移動しているようです。距離にして百メートルほど。あと一息かと」


 ローンもそれは把握していて、今からそちらに向かうようだ。

 これ、念話がなかったら完全に詰んでたかもな。


 更に十分ほどが過ぎた。

 あと一息の距離がなかなかに遠い。

 すぐに来るかと思った後続は、前回と同じ五階で再びコボットの集団と遭遇してしまい、下に降りられなくなっていた。

 それはいいんだけど、逆に考えると俺達の退路も絶たれてるんじゃなかろうか。

 側に居たクロックロンの一体に尋ねる。


「クロックロン、バッテリの持ちはどうだ?」

「最初ノヤツハ、アト十分。休メバ、若干回復スル」

「ふむ、じゃあ、少し人を戻して休ませるか」

「ソレガ良イ。休メバ増エル」

「わかった」


 側に残っていた三体のクロックロンと、騎士三名ほどを送り出す。

 さらに何人かに後方の経路を巡回させた。

 万が一、壁を破られたら数に任せて一気に溢れてくるから、すぐに対応できるようにしなければ。

 とにかく後方確保だけは確実にやっておかないとな。

 上のフロアに関しては、上の連中がどうにかしてくれるだろう。


 更に十五分ほど。

 クロックロンの休憩サイクルはうまく回っているようで、今のところ大丈夫だが、前がさっぱりだ。

 細い通路に敵の死体で壁ができて、すぐに膠着状態になる。

 その死体を担ぎだして再び戦うという、残酷を通り越してシュールな戦いが続いていた。

 なんかこれ、昔見た第一次大戦の塹壕戦の記録映像みたいだな。

 今は感覚が麻痺してるけど、後でうなされなきゃいいけど。

 きりがないので、デュースにもう一度どかっとやってもらえないか尋ねてみたが、


「この狭い通路で燃やすと、酸欠で皆倒れちゃいますねー」

「なるほど」

「電撃もこの数だとなかなか貫通できませんしー、ヘタにでかいのを撃って奥にいるお姫様に当たっても困りますしねー」

「強すぎる魔法も考えものだな」

「そうですねー。火球を連打しようにも狭すぎますしー。それにしてもー、一体どこから湧いてるんでしょうかー」


 改めて地図を見る。

 この先に階段がある小部屋があり、そこにエームシャーラ姫の一行が陣取っているはずだが、そこまでは一本道のはずなのに、なぜか次々敵が湧いてくる。

 どこかに地図にない脇道があるのかもしれない。

 騎士を率いているローンは、さっきから歯ぎしりが鳴り止まないようだ。

 ちょっと声をかけづらい。

 ローンの作戦が間違ってるとは思わないが、膠着状態に陥った今となっては、いささか融通が効かない気がする。

 以前エディか誰かが言っていたが、ローンはどちらかと言うと後方支援向けなので、必ずしも最前線の指揮には向いていないのかもしれない。

 そもそも、彼女は隊長格ではないので直接の部下も居ないんだよな。

 今率いているのも第八小隊の騎士たちだ。

 これがエディとは言わずとも、あの第四小隊のゴブオン隊長あたりなら、もう少し要領よく切り抜けていただろうか?

 じゃあ、俺ならどうすればいいだろう。

 俺がローンより優れているとはまったく思わないが、ローンよりも仲間のバリエーションでは優れているかも知れない。

 つまり、手持ちの戦力で打開できないなら、他の従者に頼ればいいんだよな。


「よし、ネールを呼ぼう」

「上は塞がっているのではー」

「壁抜けしてくれば、あいつ一人なら大丈夫だろう」

「なるほどー、しかし、彼女は念話ができませんから大丈夫でしょうかー」


 前も一度はぐれたしな。

 だが、現状を打破するには、あいつの能力しかない……ような気がする。

 早速、上に相談すると、ネールは二つ返事で了解した。


「しっかり地図を確認してくるように伝えてくれ。集合場所はさっきの階段がいいだろう。誰か戻ってネールを待ってやってくれ」


 紅がその旨を上のミラーに伝えたようだ。

 あとは待つだけか。

 いや、まだできることがあるな。


「紅、燕に頼んで、この先を見てもらってくれ」


 これで打てる手は全部打てたかな。

 周りを見渡すと、フューエルが深刻な顔をしていた。

 俺たちは、先頭で戦っている騎士のバックアップとして、後ろに控えているので、今は突っ立っているだけなんだけど、それ故余計に不安が募るのだろう。


「大丈夫か?」


 と声をかけると、


「もちろんです」


 と返事を返す。


「そうだ、この間のアンパンを持ってきてたんだ。食べるか?」

「よく、この状況で食欲が出ますね」

「そうは言っても、俺にできることはひと通り手を打ったからな。今は待つだけさ。君にできることがあるなら、今のうちにやっとくべきだろうけどな」

「残念ながら、今のところはないようですね」

「なら、その時が来るまで待つしかないじゃないか」

「まったくです。では、ひとついただきましょう」


 二人で仲良くアンパンを食べる。

 あまいものを食うと、頭が冴えるような気がするな。

 いくらなんでも、そんなにすぐに糖分が効くことはないだろうが。

 フューエルはモグモグと食べながらも、やはり心ここにあらずといった感じだ。


「彼女が心配なんだろう?」

「……いけませんか?」


 ムッとなって答えるフューエルも可愛い。


「いいやあ、いいんじゃないかな」

「彼女のことなんて、何年も忘れていたのに。急に戻ってきたかと思えば昔のままで」

「幼なじみってのは、そういうもんかもな」

「まったく、思い返せば、彼女はいつも私に追いかけさせて……」

「うん?」

「いえ、なんでもありません」


 そう言って、後は無言でアンパンを食べ続けた。


 食べ終わった頃に、燕から返答が来る。

 どうやら、階段のある小部屋の手前に穴が開いて、そこから敵が溢れているらしい。


「となると、その一点を塞げば大丈夫か」

「そのようです」


 と紅。


「あとはネールが来るのを待つだけだな」

「ご主人様、ネールさんが到着しましたよ!」


 タイミングよく、向かえに出したレーンがネールとともにやってくる。


「よし、ローンを呼んでくれ。一気に攻めよう」


 作戦はこうだ。

 ネールが覚醒状態で件の横穴に飛び込み、敵を蹴散らす。

 新たな敵の流入を防げば、目の前の敵を排除することは可能なはずだ。


「頼んだぞ、ネール」

「お任せください!」


 景気よく返事をすると、青白い炎と化して飛んでいった。

 現場の状況は燕が実況してくれる。

 目の前の敵も後続がいなくなったことで、急に手薄になった。

 足元に転がる死体を乗り越えながら、突き進む。

 そうしてどうにか、エームシャーラご一行と合流することができた。

 先頭で槍を振るっていた小さなシロプスちゃんは、全身血まみれの姿で、


「おお、紳士殿、待ちくたびれたわい」


 とカラカラ笑う。

 セス達も無事だった。

 安全重視で戦っていたそうで、大きな怪我をしたものは居なかったようだ。

 元々、精鋭だしな。


「よし、とにかく引き上げよう。上もつかえているようだが、まあどうにかなるだろう」


 救出したメンバーとともに、大急ぎで地上を目指す。

 道中、クロックロンを回収しながら進む。

 壁がなくなることで、後ろからは再びコボットの群れに追われる形になる。


「退却戦と言うのは、難しいものです。時に殿部隊を犠牲にすることもあるほどです」


 とレーン。


「たしかに、逃げようと思うと背中を見せることになるからな。追いかける方は一方的に攻撃できるもんな」

「その通り。ですが今回は、クロックロンさんが壁を作ってくれているので、ゆっくりですが確実に後退できます」


 クロックロンたちが最後尾に並んで壁を作ると同時に、前方や分岐路にも壁を作ることで、俺達は直接手をくださなくても身を守れる。

 あとはデュースとネールが時々でかい魔法をかませば片がつく。

 こいつは想像以上にいい戦術だ。

 今後は、この陣形で進んでもいいんじゃないかと思うぐらいだ。


 やがて俺たちは先日、壁が崩れた箇所に出た。

 七階の階段のところだ。

 この辺りはまだコボットの姿は無いようで、どうにか一息つける。

 一気に地上まで駆け抜けるにはいささか先が長い。

 上がつかえているなら、もう一戦あるわけだ。

 こういう守りやすい場所でしっかり休んでおくべきだろう。

 結界を張ったフロアに全員が集まり、見張りを立てて少休憩を取る。


「上の様子はどうだ?」


 どっかり床に座り込んで、側に控えていた紅に尋ねると、


「どうやら、敵は引き始めたようです。テナたちは現在、五階まで降りてきています。その後に後続のクロックロンも来ています。おそらく、このまま合流できるでしょう」

「そりゃ良かった。それにしても……」


 と周りを見る。

 大怪我をした者こそ居ないものの、皆血まみれで酷い有様だ。

 その中でもひときわ血まみれのローンが、同じく血まみれのシロプスになにか謝っているようだった。

 そっと聞き耳をたてると、どうやらこのような状況に追い込まれたことを詫びているようだった。

 まあ、本来であれば、結界術師が降りる前に、露払いを終えているはずなんだよな。

 多少の徘徊魔物ならいざしらず、この状況は不手際と言わざるをえないんだろう。

 不可抗力とはいえ、誰かが責任を取らなきゃならないしな。

 ローンも大変だな。

 とはいえ、ここで俺が口を挟むべき問題では無いので、俺は俺が口をだすべき問題に注力するとしよう。

 もちろん、フューエルとエームシャーラのことだ。


「エムラ、なぜもっと早く撤収しなかったのです?」

「一本道で気がついた時にはすでに後手に回っていたのですから、仕方がないでしょう」

「地下を迂回するなど、ルートはあったのでは?」

「それは結果論ですわね。紳士様にお借りした従者の念話によって、状況を把握できた時には、すでに他の経路も埋まっておりました」

「そうかもしれませんが……」

「そもそもフムル、あなたは一度上に逃げきれていたのでしょう。貴方自身が危険を犯して、戻る必要があったのですか?」

「別にあなたを助けに来たわけではありません! 紳士様に協力して、あの人の従者を救出に来たまでのこと」

「もちろん、そうでしょうとも。あなたが私を助けに来るはずがないことぐらい、当然知っておりますわ」

「あら、あなたでも物の道理がわかるようになったのですね」

「あなたの道理に普遍性があるなどと思わないことですわ」

「あなたの言う普遍性とは、あなたの狭い常識の通用する世界のことでしょうに」


 口が立つだけで、中身は子供の喧嘩だな。

 これだけ仲良くて、なんで喧嘩ばっかりしてるんだか。

 あんまり仲が良すぎて、口を出す余地がなかったので、俺は近くに座ったまま、二人が座っておしゃべりしているしている床のあたりをぼんやり眺めていた。

 不意に、視界が滲んだような気がする。

 思ったより疲労がたまってたのだろうか。

 あれ、と思って目をこすると、やはり何か床が滲んでいる。

 それは黒いシミとなって、フューエルの足元に広がると、たちまち彼女を包み込もうとした。


「フューエル、逃げろ!」


 俺が叫ぶより早く、隣りにいたエームシャーラが彼女を突き飛ばす。

 同時に、黒い何かはエームシャーラの体を包み込んで……消えた。

 見ると床にぽっかり穴が開いている。


「エ……エムラ!?」


 あっけにとられるフューエル。


「ネール! 下だ、追ってくれ!」


 反射的に叫んだ俺の声に応じて、ネールが床下に消えた。

 ほぼ同時にシロプスとセスが武器を構えて、穴に飛び込もうとするが、それと同時に全身から黒い煙を放つ魔物が穴から現れた。

 いつぞやの森のダンジョンで見たアヌマールもどきだ。

 姿形からして、中身はコボットのようだ。

 まさか、あの強さの魔物が、何百匹もいるんじゃないだろうな。


「おのれぇ、どけえぃ!」


 シロプスが悪鬼の如き形相で槍を振るうと、たちまち魔物は吹き飛んだ。

 だが、人一人分しかない穴には魔物が詰まっている。

 しかも、隣の階段がある部屋からもアヌマールもどきが溢れてきた。

 あちらから行くのもムリだ。


「紅、どうなってる?」

「現在、燕がトレース中、地下八階を西に進んでいます。ネールは振り切られたようです、こちらに戻ってきます」

「よし、ルートを調べてくれ。そこの階段はムリだ。別ルートで追いかけよう」

「了解です。先導します」


 俺はシロプスに向かって叫ぶ。


「姫はあっちだ、追いかけるぞ!」


 ついで、まだ地面に座り込んで呆けているフューエルの手を取る。


「しっかりしろ、走るぞ!」


 おぼつかない足取りのフューエルの手を強引に引いて、俺はさらわれた姫を追ったのだった。




 そのまましばらく追いかけると、不意に紅が声を上げる。


「状況が変わりました」

「どういうことだ?」


 俺たちは必死にダンジョン内を走りながら会話する。


「魔物は上に向かっています。今、六階に上がる所です」

「じゃあ上か」

「こちらの階段が最短です」


 紅の指示に従い、俺達は走る。

 走ってはいるのだが、時折アヌマールもどきが出てきて邪魔をする。

 こいつらはなかなか一撃で倒すとは行かず、セスやネール、シロプス並の腕前でなければ、うまく退けることができない。

 そのせいで思うように追いかけることができなかった。


「なぜ……エムラが攫われて……」


 まだショックが抜けていないフューエルは、俺に手を引かれたまま、そんなことをつぶやいている。

 あの状況だと、狙われたのはむしろフューエルだと思うが、エームシャーラをそのまま連れて行ったということは、攫うのは誰でも良かったのだろうか。

 それにこのアヌマールもどきは、あの時の奴の仲間なのか?

 だとすると、あのアヌマールが……しかし、あいつはネールが倒したわけだし、他にも何か……。

 ええい、考えても何もわからん。

 わからんが、戦力にならん以上、俺にできるのは考えることだけだからな。

 あとは、まずフューエルを励ますか。


「フューエル!」

「は、はい!」

「いつまで呆けてるつもりだ、しっかりしろ!」

「あ、あなたに言われなくてもわかっています! とにかく、エムラを助けなければ」

「そうそう、その調子だ」


 ぼちぼち手を話しても大丈夫かと思ったが、フューエルは俺の手を握りしめて離さない。

 どうやら、汗ばんだ手は少し震えているようだ。


「さあ、行くぞ」


 再び彼女の手を引いて走る。

 しかし、敵はどこに向かっているんだ?

 まさか、地上まで出るとは思えないが。

 上に何かあったっけ?


「紅、どうだ、なにかわかったか?」

「ペースが落ちています。どうやら姫が目を覚まして抵抗しているようです」

「じゃあ、無事なんだな」

「今のところは」

「それで、どこに向かっているんだ?」

「不明です。今、五階に出ました」

「更に登ったのか。結界には引っかからないのか? 壁抜けか?」

「いえ、すべて通常の通路を通っています。おそらく敵自身はともかく、姫が一緒では壁抜けは無理なのでしょう」

「ふむ、しかし結界も役に立たんな」

「何らかの回避手段を持つか、あるいは、結界にかからないほど、弱い魔物なのかと」

「ふむ」


 上はあらかた探索し尽くしてあるはずだが、なにか隠し通路があるんだろうか?

 そういえば四階辺りから、コボットの群れが溢れだしたんだっけ?

 となると、脱出口はそこか。

 とはいえ、その出口はまだ見つかってないんだよな。


「燕に四階にあるらしい隠し通路を探させて……いや、しかしそうなると見失うな。地図だ地図!」


 俺は側で走っていたレーンから地図を受け取る。


「えーと、今姫はどこだ? ここか。で、四階の西の外周はこの辺だから……次に使う階段はこれか! 紅、上にいるテナたちに連絡してここに向かわせろ!」

「了解しました」


 一種の賭けだが、隠し通路から連れだされたら、追跡は一気に困難になるだろう。

 マップが把握できているこのダンジョン内でどうにか追いつかねば。


「マスター、テナたちはちょうど目的地の近くに居たようです。敵もそちらに向かっている模様、接敵は五十秒後、十二秒差で間に合います」

「よし、とにかく急ぐぞ」


 それから一分近く過ぎて、再び紅。


「テナたちは敵を補足……いえ、逃げられました」

「なに?」

「敵は何か強力な術を使ったようです。テナが結界で封じたようですが、反動が大きく、動けません」

「どうなってる!?」

「不明です。燕も見失った模様。ですが……」

「ですが、なんなのです?」


 そこでフューエルが噛みつく。


「エームシャーラ姫は、魔物の手から逃れたように見えた、とのことです。現在、五階を逃走中の模様」

「それで、無事なのですか?」

「……手傷を負っているように見えた、とも言っています」

「傷!? 深いのですか?」

「不明です」

「彼女は結界ばかりやっていたので、回復術はろくに使えないはずです。と、とにかく、追いかけねば」


 だいぶやる気が戻ってきたフューエルは、今度は俺の手を引っ張って走りだす。

 しかし、走っていくにはまだ距離がある。

 他に何か手は……。


「そうだ、クロックロン。他の仲間と手分けして、手当たり次第に姫を探してくれ。居場所を見つけるだけでいい」

「了解、ボス」


 そう答えると、クロックロンたちはあっという間に先行してしまった。

 めちゃくちゃ早いな。

 こんなことなら最初から行ってもらえばよかった。

 その間、いつの間にか俺の手を離したフューエルが、走りながらも地図を見て、紅に問いただしていた。


「では、彼女はこちらに逃げたと?」

「燕が最後に目撃したのは、そこでした。その後、魔法の衝撃で一時的に視界を失いましたので、確証はありません」


 それを聞いて、再び地図を一心に眺めるフューエル。


「ここです、ここに人をやってください。すぐに!」


 そう言ってフューエルが指差したのは、通路の一角にある、袋小路だった。


「了解しました。一番近いクロックロンが、三十秒で到達できます」

「私達も行きますよ」


 そう言ってフューエルは再び俺の手を取る。


「そこにいるのか?」

「たぶんですけど……」


 俺の問に答えるフューエルは、言葉とは裏腹に確信しているようだった。


「燕が該当箇所に結界を確認。視認できないようです」

「どういうことだ?」

「光源がないそうです。ただ、結界の魔力は感じた、とのことです。つまり、そこに姫がいる可能性が高いということです」

「それで、クロックロンは?」

「一体がもうすぐ到達します。床に血痕を確認」

「姫は手負いだと言っていたな、ならアタリか」

「クロックロンがやられました」

「やられた?」

「脚を一本……退避しましたが、これ以上進めません」

「くそう、敵もいるのか」

「あと一分で我々も到達できます」

「いそげ。だが、アヌマールだとすると全力で行かないと」


 そこでフューエルが、


「大丈夫です、今度はヘマをしません」


 そう言って懐から何やら大量に御札を取り出して、次々と燃やしていく。


「九十九の結界を重ねて精神を保護します。この状態であればまず干渉は受けません、敵の魔法攻撃を全力で防ぎます。あとは頼みますよ」

「お任せください」


 とネールは再び覚醒し、セスは無言で鯉口を切る。

 そしてシロプスは、手槍に力を込めると、全身が光りだす。


「ではー、行きましょうかー。みんな結界から出てはいけませんよー」


 とデュース。

 ついで、杖を振るうと、鋭い稲妻が一筋、前方の闇にほとばしる。


 カッ!


 と通路が浮かび上がり、突き当りに居た何かに吸い込まれる。

 入れ違いに無数の何かが飛んできた。

 青紫に光るその何かは、俺達の目の前ではじけてきてた。


「まいるっ!」


 まずシロプスが飛び出し、すぐ後ろにセス。

 少しの間を置いて覚醒ネールが突っ込んでいった。

 再びデュースが杖を振るうと、通路の両壁に松明のように炎が浮かび上がって通路を照らしだす。

 闇の向こうに、別の闇が浮かび上がっていた。

 やはり居た、アヌマールだ。

 炎に照らしだされた闇が蠢く度に、次々と何かが襲いかかってくる。

 それらはすべて、目の前で掻き消えた。

 結界が効いているのだ。

 だが、不意に俺の手をつかむフューエルの指に力が入る。

 振り返ると、フューエルの顔は真っ青だった。


「おい、大丈夫か!?」

「と、当然です!」

「いや、全然、大丈夫じゃなさそうだが」

「大丈夫ですから、そこで黙ってみていてください」

「お、おう」


 あまりに必死だったので、思わずたじろぐ俺。

 それだけやばい攻撃を食らっているのか。

 見てるだけじゃわからないんだけど、とにかくフューエルが大変そうなので、俺は手を握って励ますことぐらいしかできなかった。


 先行した三人は、敵の近くまでは行ったものの、致命傷を与えてはいない。

 実はネールがいれば楽勝なのではないかと思っていたが、どうやらそうでもなさそうだ。

 セスもシロプスも、敵の攻撃をまったく食らいそうにないんだけど、こちらの攻撃も全然ダメージを与えているようには見えない。


「相手の結界か?」


 そういえば、前に戦った時は結界がどうとか言ってたよな。

 あれと同じで、結界を切れる武器がないとダメなんじゃないか?

 前回同様、俺の東風をセスに渡せば……と思ったが、敵の攻撃がひどすぎて、もはやそれどころではない。

 これ、もしかしてやばいんじゃ。


「おい、テナたちはどうしてる?」


 と尋ねると紅が、


「立て直しに時間がかかっています。最低でも十分はかかるかと」


 十分か、そんなに余裕あるかな?

 その時、不意にフューエルに引っ張られる。

 振り返ると、片膝をついていた。


「おい、フューエル!」

「ど、どうやら……ダメみたいです」

「何を言って」

「あと少しなら……今のうちに、皆を連れて後退してください。それまで……ここを」


 フューエルはすでに話すだけでもつらそうだった。


「そういうセリフはガラじゃないだろうが!」


 俺は慌てて彼女を抱きかかえると、皆に後退の指示を出す。

 だが、そこにひときわでかいが飛んできた。


 あれはやばい……。


 そう思った瞬間、目の前が真っ白になって……何も起きなかった。


「あれ?」


 周りを見ると、何か真っ白い光に覆われていた。


「これは……結界か?」


 それを聞いて、俺に抱きかかえられたまましがみついていたフューエルは顔を上げる。


「この結界は、テナが?」

「しかし、彼女はまだ十分はかかると」

「離れたところから、これほどの結界を張るなんて、やはり彼女の技術は、お祖母様に並ぶほどの……」

「それで、この結界は大丈夫なのか?」

「ええ、ただし、強すぎて外も見えませんが」

「よし、とにかく安全なんだな。今のうちに休め。おいレーン、急いでフューエルに治療を」

「はい、ただ今!」


 飛んできたレーンが呪文をかけ始める。

 俺はフューエルを床に下ろそうとしたが、なかなかしがみつく手を離してくれない。


「甘えたいなら、二人っきりの時にしてほしいんだけどな」

「何を馬鹿なことを。体がこわばって、うまく動けないだけです」

「そうかい?」

「と、とにかく、そこにじっとしててください」


 仕方がないので、彼女を抱きかかえたまま、紅に尋ねる。


「外がどうなっているかわかるか?」

「燕の実況があります。先程より、セス達が優勢に転じています。どうやら先程の魔法攻撃で、かなり消耗した様子です」

「ふむ」

「……今、シロプスの一撃が入りました。セスが首を切り落とし、ネールが何かの呪文を当てました。どうやら敵は、消滅したようです」

「おお、やったか! じゃあ、テナに言って、結界を解いてもらおう」


 そう言うと同時に、すっと結界が解けた。

 あれ、もう通じたのかな?

 フューエルを抱えたまま、セス達のところに駆け寄ると、敵の姿は跡形もなかった。

 ただ、あちこち抉られたダンジョンの痕跡だけが、戦いの凄まじさを物語っていた。

 しかし、ネールはともかく、セスやシロプスはあの状況で傷一つついてないのはどういうことなんだろうな。


「みんな、よくやったな」


 俺の言葉に頷く三人。


「それで、姫は?」


 俺の言葉に、セスが奥を指す。

 通路の突き当りには、先ほどと同じ真っ白い結界が張られていた。

 ただし、人一人がやっと収まるほどの、小さな球だ。

 そして、そこに続く床には、血がべっとりと滴っていた。


「姫、敵は片付いた、結界を解かれよ!」


 そうシロプスは叫ぶが、中から返事はない。


「おそらく、音も遮断されているのでしょう。紳士様、私をあそこまで……」


 とフューエル。

 俺は言われるままに、彼女をそこまで運ぶ。


「さあ、エムラ。鬼ごっこはおしまいですよ」


 そう言って結界に触れると、シャボン玉のように弾けて消えた。

 中からは、フューエル同様、青白い顔をしたエームシャーラが座り込んでいた。


「エムラ、エムラ、しっかりしなさい、もう大丈夫です」

「ふふ、どうした…のです、フムル、そんな顔をして。らしくないでしょう」

「らしくないのはあなたです。何故一人で逃げたのです」

「不可抗力、ですよ……気がついたら、一人で……だから…」

「こんなところに逃げ込んで、私が気が付かなければ、どうするつもりだったんです」

「ちゃんと、気がついたでしょう?」

「あんな子供の遊び……忘れてたらどうするんですか」

「だって……私は……忘れたこと……無いんですもの」

「私だって、ありませんよ。忘れるものですか」

「そうみたい……ですね」

「今度はあなたが、鬼になる番ですよ、エムラ」

「いいえ、鬼ごっこはもう…おし……まい」

「エムラ?」


 だが、フューエルの言葉にエムラは答えない。


「いけません、血が流れすぎました!」


 回復呪文をかけていたレーンがそう叫ぶ。

 座り込んでいて気が付かなかったが、彼女の腹部からは今も血が流れ落ちていた。


「エムラ、エムラ!」


 取り乱すフューエルを押さえつける。


「ネールさん、急いで傷を塞いでください!」


 レーンの声に、ネールが飛んできて呪文を唱える。

 一分ほどで血は止まったが、彼女の意識は戻らない。


「輸血が必要です」


 と様子を見ていた紅がそう言った。


「今できるのか?」

「はい。急いで適合者を探すべきです」

「よし、やってくれ」


 それを聞いたレーンが、


「輸血というのは?」

「人の血を分け与えることだよ」

「そんなことができるのですか?」

「血の種類が合えばな」

「そのような技術が。魔法でも血を増やす術はあるのですが、大変複雑なもので、ここではどうにもならなかったのです」

「とにかく、やってみよう」


 紅がその場にいた全員の血のサンプルを取り、多分血液型とかを調べたんだろうが、輸血できるのは俺とフューエルだけと言った。


「ですが、マスターの血を与えた場合、エルミクルムの影響が強すぎて事実上の契約となってしまうでしょう」

「え、あ、そうか、血を舐めるだけでなっちまうんだもんな」


 エームシャーラ姫はレアルコアがあると言っていた。

 人間でも古代種と変わらないわけだ。


「私とミラーには透析機能があります。フューエルの血液であれば、大丈夫でしょう」

「しかし、フューエルは限界だぞ、大丈夫か?」

「わかりません。ひとまず可能な量だけでも、早急に輸血すべきです。でなければ、重篤な障害が残るでしょう」


 そこでフューエルが叫ぶ。


「よくわかりませんが、やってください!」

「大丈夫か? 血を抜くんだけど」

「聞いている時間がもったいないじゃありませんか! 紅のやることなのでしょう、問題ありませんから早くやってください」

「よし、それじゃあやってくれ」


 紅は手首から細いチューブを二本取り出すと、それをフューエルとエームシャーラの腕に刺した。


「気分が悪くなったら、言ってください」


 そう言って処置する紅に、


「これで、血を分け与えるのですか?」


 とフューエル。


「ああ、足りればいいけど」


 俺がそうつぶやくと、


「構いません、どんどんやってください」

「そうもいかんが、まあやってみよう。とにかく、興奮せずに安静にしててくれ」


 そう言って俺はフューエルを床に寝かせた。

 そのとなりにはエームシャーラも横になっている。

 俺はフューエルの隣に腰を下ろして、その手を握ってやった。

 フューエルはなにも言わずに、しばらく俺の顔を見て、それからエームシャーラを見て、やがて目を瞑った。


 その間もレーンとネールは治療を続けていたが、


「おや、意識が戻ったようです」


 エームシャーラの顔を濡れタオルで拭っていたレーンがそう言った。


「私は……」

「もう大丈夫、でもまだ動かないでください。流しすぎた血を、移しています」

「移す? 血を?」


 そう言ってエムラは自分の腕に繋がれたチューブを見て、ついでその先にいるフューエルを見た。


「あなたの血が……私に入っているのですか?」

「そうですよ。つけておきますから、後で倍にして返してください」

「血を交わすなんて……いいんですか、フムル。そんな主従の契りのような真似をして。あなたのフィアンセがやきもちを焼くのではありませんか?」

「何を馬鹿なことを言ってるんです。あなたはいつもそう言って、私を困らせる」

「だって、あなたはそうでもしないと、私の方を向いてくれないんですもの」

「エムラ……」

「最初からずっとそう……祖母から聞いたオズの聖女は、とても素晴らしい世界一の術者で、祖母の一番の親友。だから私も……、同じ孫であるあなたが同じ学校にいると知って、きっと一番の親友になれると思ったのに……」

「ええ」

「だけどあなたはいつも……お伽話に出てくるような伝説の魔導師の話ばかり。神霊術も学ばずに、火の玉だの雷撃だのと」

「だってあれは……」

「だから私は……あなたにいつも神霊術で挑戦したんです。ちゃんとライバルとして、親友になってもらいたかったから……」

「本当にあなたは……いつも馬鹿なことばかり」

「そうかしら」

「だってそうでしょう。だって私たちはずっと……」


 フューエルは微笑んで、


「親友だったじゃないですか」

「そう……ですね。ほんと、私ったら馬鹿なんだから」


 そう答えたエムラの目尻には涙が浮かんでいた。

 エムラは震える手を伸ばす。

 フューエルはその手をそっと掴む。

 その後はふたりとも、目を閉じた。


 紅を見ると、黙って頷く。

 どうやら大丈夫なようだ。

 しかしなんだ、可愛さ余って憎さ百倍、などと言ったりするが、思った以上に子供がじゃれてただけ、みたいなオチだったな。

 いや、最初からそうだったか。


 安心して目線を仲間の方にずらすと、デュースと目が合う。

 彼女は珍しくはにかんだような顔をして、ぷいと顔を背けてしまった。

 やっぱりデュースが原因だったわけだ。

 まあ、デュースに責任があるとは言えないけど、そこはそれ。

 テナは全部お見通しで、それでも何もしなかったということは、結局周りにできることは最初からなかったということだよな。

 だったら、そんな無理難題を俺に押し付けるなよなあ、と恨み言を言いたくもなるが、結果的に仲直りできたので俺の功績だと思うことにしよう。


 先ほどのアヌマールを倒したことで、もどき達も姿を消していた。

 警戒は怠らないが、たぶん、もう大丈夫なのだろう。

 しばらくして、テナ達がやってきた。

 互いの無事をひとしきり喜び、俺達は引き上げることにする。

 治癒呪文と輸血によって一命を取り留めたエムラは、それでもまだ歩けるレベルではなく、担架に担がれて地上へと戻った。


「さあ、私達も帰りますよ」


 フューエルは景気よく立ち上がるが、血を抜きすぎたのだろう、ぐらりとよろめく。

 それを慌てて俺が抱き支えた。


「お、思ったより、応えるものですね、血を抜くというのは」

「まだ動かないほうがいいな」

「だったら、することがあるでしょうに」

「俺にそんな甲斐性があると思うか?」

「試してみないとわかりませんよ」

「君も十分、挑戦的だな」

「だってエムラの親友ですもの」

「なるほどね」


 そう答えてから、俺はフューエルを背負った。

 ずっしりと重い上に、思っていた以上に胸の感触がでかい。

 革鎧の背当て越しでもわかる柔らかさだ。


「落ちないように、しっかりしがみついてろよ」

「ええ、なんせあなたは頼りなさそうですから」

「よくご存知で」


 そんないつもどおりの軽口を、かつてないほど親密な距離で交わす。

 地上まで半分も戻ると、かなりヘトヘトだが、フューエルはまだ許してくれないようだ。


「そういえば、初めてお会いした時は、あなたがぎっくり腰で動けなくなっていましたね」

「そうだったな」

「初対面では、妙に威厳があるのに貧相で、どこかの没落貴族か何かかと思ったものですが」

「ほほう」

「直後にあなたの正体を知って、あとは血が上ってよく覚えていませんね」

「ははは、今でもよく血が上るだろう」

「この数ヶ月、あなたのこと以外で血が上ったことは、ほとんどありませんよ」

「さっきも興奮してただろう」

「当然です、親友の命がかかっていたのですよ?」

「じゃあ、俺のことは?」

「あなたは……本当に、憎らしい人」


 そう言ってぎゅっと俺にしがみつく。


「随分と力が戻ってきたようじゃないか」

「まだダメですよ、ちゃんと上まで連れて行ってください」

「がんばるとするよ」


 途中からはひぃひぃ言いながら、どうにか大広間までフューエルを背負って歩き、汗だくになってその場にへたり込んだ。


「ありがとうございます、おかげでだいぶ回復しました」


 フューエルはそう言うと、ひょいと立ち上がる。


「そりゃあ何より」

「私はエムラが気にかかるので、様子を見てきます。後で戻りますから、先に帰っていてください」

「そうしよう」


 フューエルはデュースとウクレを伴って、神殿に併設された病院へと向かった。

 俺はその場にいたクロに乗せてもらい、フニャフニャのまま、家に帰る。




 フューエルは日が暮れてから戻ると、当たり前のようにうちでひと風呂浴びて、用意していた普段着に着替える。

 すっかり自分の家みたいだよなあ。

 などというツッコミはせずに、姫のことを聞いてみた。


「ええ、おかげさまで、すっかりいいようです。あと二、三日は静養するようですが」

「そりゃ良かった」

「教会の方では上の方の人が青い顔をして走り回っていましたよ」

「そりゃそうだろうな、招待したVIPが死にかけたんだから」

「あとでここにもお礼に来るのでは?」

「そりゃ面倒だ」


 暖炉の前でスツールに腰掛けたフューエルは、長くて綺麗な髪を、テナに櫛ってもらっている。

 普段は髪を上げてまとめているので、こうして下ろしていると、また随分と印象が違うものだな。


「さあ、お嬢様。髪が乾きましたよ」

「ありがとう、テナ」


 フューエルはやわらかい髪をなびかせてこちらに歩いてくると、そのまま隣りに座る。

 なんだかいい匂いだ。


「まずはお疲れ様」


 彼女にグラスを渡し、ボトルからワインを注ぐ。

 トクトクと小気味よい音とともに、芳醇な香りが、彼女の匂いと交じり合う。

 これだけで酔っちまいそうだ。


「あの時、テナが結界を破られた際に倒れたのを見て、一人で魔物を惹きつけて逃げたそうです。心霊術には人の気を自分に向ける術があるんですが……」

「へえ」

「しかし、身分あるものの取る選択ではありませんね。継承順位はそう高くなかったはずですが、王になる可能性のある身なんですよ、彼女は」

「まあ、そういう奴もいるさ」

「昔からそうでした。私にちょっかいを出して、学校の中庭にあったバラ園に逃げるんです。そこは迷路になっていて、ちょっと面倒だったんですけど、追いかけないと彼女はすぐ拗ねるし。でも彼女は足が早くてどうしても追いつけず……」

「はは、子供らしいじゃないか」

「ええ、あの時はまだ子供ったんですよ。私はデュースについて旅をして、少しだけ大人になった気がしていましたが、それも気のせい。今思えば、まだあの時はどちらも子供で……」

「うん」

「エムラは、いつも迷路を逃げるとき、右左右と、交互に曲がって逃げるんです。ある日、私はその癖に気がついたから、勝ち誇ったように指摘してやったんですよ、そんな逃げ方ではこんどこそ捕まえてやるって。馬鹿ですよね、言う前に捕まえてしまえばいいのに」

「そうだな」

「そうしたら、彼女、言うんです。私の居場所がわかってるってぐらいで、捕まえられると思うなら、捕まえてみなさいって」

「うん」

「それがなんだか悔しくって……だから、絶対に捕まえようと思ってたのに。その後すぐに、国に帰ってしまって……」

「そうか……」

「海を渡ってデュースを追いかけるのでもなければ、国にいるエムラに会いにくのでもなく、ここで日々の仕事に追われるばかりで……ほんと、私って、何をやってたんでしょうね」

「うん」

「ねえ、紳士様」


 そう言って俺を見上げるフューエルの瞳は、やけに色っぽく潤んでいる。


「なにか、俺に術をかけたのかい?」

「何故です?」

「だってこんなにも、君のことが気にかかる」

「ふふ、自分の気持ちも……わからないんですか?」

「君はわかるのかい?」

「いいえ……でも」

「うん?」

「私は、ここにいるんですよ?」

「ああ、知ってるよ」

「知っているだけじゃ、ダメだって、今教えたでしょう」

「ああ、聞いたよ」

「だったら……、そろそろ実行してみてはどうなんです?」


 フューエルは俺を見上げたまま、目を閉じる。

 ツンと突き出された唇に、吸い寄せられたかと思うと、不意に彼女の顔が傾いた。

 カクンと俺にもたれかかり、やがて寝息が聞こえてくる。

 どうやら、よほど疲れていたらしい。

 やれやれと苦笑していると、テナが毛布を持ってきた。

 彼女をソファに寝かせて、俺はその場を離れる。

 今夜は静かに寝かせてやろう。

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