第185話 コボット
スィーダの実践訓練を終えたので、俺達は場所を確保して休憩を取る。
休憩というのはなかなか難しいもので、中途半端に休むと筋肉が冷えてしまい、かえって動けなくなる。
少休憩なら立ったまま数分で終わらせるべきだ。
一度冷えた筋肉を温めるには、三十分はかけてウォームアップしなければならない。
俺はそういうことを学生時代に山岳部だった友人に山を連れまわされて覚えたが、ベテラン冒険者もそういう所のやり方はあまり違わないようだ。
大抵のダンジョンは、序盤のフロアではほとんど敵が出ないので、ゆっくり調子を整えながら潜る。
この段階で体調に不安を覚えれば引き返す。
これはどんなベテランでも同じことだ。
常にベストを維持するのは、前提条件なのだ。
似たようなことを冒険倶楽部の講義でも話しているはずだが、果たしてどこまで理解されているのやら。
今のところ、大きな問題は起きていないが、俺の見た感じでは騎士団の裁量でうまく乗り切っているだけにも思える。
それじゃあ、今までと変わらないんだよな。
属人的な部分をなるべく減らし、システムが人を助けるところまでいってはじめて意味があるんだろうが、一朝一夕には行かないか。
そんなことを考えながら気にしていたのはフューエルのことだ。
二日酔いでダンジョンなんて潜るべきでは無いよなあ。
一応、こまめに念話で状況は確認していたが、特に問題はないようだ。
現在は結界を張っている最中だという。
まあ、デュースを始め、皆がついているので心配ばかりしていてもしかたがない。
気を取り直して、休憩することにする。
先日のテナではないが、せっかくなので色々持ってきてみた。
大工のシャミが新たに作ったコンロなどもその一つだ。
火元の方は以前からある火の精霊石を使ったものだが、鍋の方は底に小さなフィンが並んだ特殊なものだ。
熱効率のいい鍋、というのを日本で見たことがあったのだが、自分では持ってなかったのでうろ覚えのままシャミに話したら、色々試して作り上げたらしい。
事前に家で試した時には、シャミはこう言っていた。
「二割ほど沸くのが早い」
「ほほう、それだけ差があると結構違うよな」
「精霊石も、少なくて済む。天才的」
「いやいや、あんないい加減な情報だけでよくやったよ」
褒めてやると、シャミも嬉しそうに照れていた。
他にも色々作ってくれていたのだが、持ってきたのは調理器具ばかりだ。
ちなみに今日の本命は携帯用のコーヒーセットだ。
同じくシャミの作ったハンディタイプのミルと、コンパクトなネルの組み合わせで、どこでもコーヒーが入れられる。
やっぱリラックスする時はコーヒーだよな。
山頂で飲むインスタントコーヒーもうまかったが、挽きたてならなおさらだ。
モアノアが色々工夫してくれたおかげで、豆の選別から焙煎までも俺好みになってきている。
コーヒー担当のオルエンは、暇な時は煎った豆のピッキングなどをしていて、騎士にしてもらう仕事じゃないよなあ、と思わなくもないんだけど、本人は割とやりがいを感じているようだし、せっかくなので任せている。
そうして出来た特製のコーヒーをダンジョンで淹れるというのは、これは最高の贅沢の一つと言えるだろう。
他にもフレンチプレスやエスプレッソ用の道具なども頼んであるが、まだ出来上がっていない。
出来上がれば俺のダンジョンライフに、華を添えてくれることだろう。
「はー、うまい」
あたりにコーヒーの香ばしい香りを漂わせながら、極上の一杯を楽しむ。
我が家でもコーヒーは好き嫌いが分かれるので、今同行しているメンツの中でも、好んで飲むのは半数もいない。
ゲストであるスィーダちゃんなどは、以前勧めた所、恐る恐る口に含んで吹き出しかけていた。
「お砂糖とミルクいっぱい入れると美味しいよ!」
フルンなどはどっぽり砂糖をぶち込みながらそう言うが、スィーダは別途用意したお茶を飲んでいた。
まあ、俺も子供の頃は飲めなかったしな。
いつから好きになったんだろうなあ。
こういう好き嫌いの変化って明確に覚えてるのもあれば、そうでないのもあるよな。
例えば、納豆は苦手だったんだけど、社会人一年目に出張で泊まったホテルの朝食で出ていたのを、なんとなく口にしたらすごくうまくて、それ以降、普通に食べられるようになったんだよな。
そういえば、こっちに来てから食べてないなあ。
全体的に、発酵食品はなかなかお目にかかれない。
チーズとかヨーグルトみたいなプリミティブなものはあるんだけどな。
そういえばメイドさんが好きになったのは、こっちに来てからだな。
おやつのビスケットとコーヒーで、たっぷり一時間ほどの休憩を済ませる。
途中、クメトスとオルエンが交代で見張りに立ったが、何もトラブルはなかった。
「ところで、フューエルの方はどうだ? そろそろ終わる頃合いじゃないか?」
ミラーに尋ねると、
「結界の作業が滞っているそうです。一部、文様を書き損じたそうです」
「ははあ」
「予定より一時間ほど伸びて、あと五十分ぐらいだとのことです」
「ふむ、わかった」
「ねえねえ、フューエルのところに行くの?」
フルンが出発の準備をしながら聞いてくるので、
「そうだな、ちょっと冷やかしに行こう」
「うん!」
というわけで、後片付けをして出発する。
目指すは地下六階で結界を張っているフューエル達の方だ。
ちなみに、もう一方のテナの組はとっくに終わらせて、地下七階にある明日の予定地を下見中らしい。
すぐに地上に戻らないのは、やはりフューエルを気にしてるからかな?
ここから先はスィーダにはまだ早いということで、先頭はカプルとフルンに立ってもらい、スィーダは俺と一緒に真ん中に、そして殿はオルエンと言う構成で進む。
途中、単体でさまよっていたノズを倒したほかは、トラブルもなく六階まで来る。
ここは昨日テナが結界を張った通路の先にある螺旋階段を下ったところで、ちょうど今日、テナはここに結界を張ったはずだ。
実際、壁や床には先ほど使ったのであろう結界用の紙切れがある。
拾い上げて眺めていると、エレンが螺旋階段を登ってきた。
「やあ旦那、誰かさんの様子が気になって降りてきたのかい?」
「まあな、そっちは?」
「こっちも今からあちらに合流しようと思ってね」
「なら、仲良く向かうか」
テナ達のパーティと合流し、大所帯となった俺達はぞろぞろとフューエルのいる方に向かう。
これだけの手練が揃った大パーティだと、安心だよな。
安心しすぎて油断しないようにしないと。
などと考えていると、突然エレンが声を上げる。
「ちょっと待って、なんか妙な気配がするね」
そこでクメトスも立ち止まり、
「たしかに、とても弱いのですが、なんでしょうか……」
「だよね、ちょっと見てくる」
そう言ってエレンは先行する。
俺は不意に思い立って、ミラーに話しかけた。
「フューエル達と一緒にいる紅もここからだと近いだろう。あいつに言って、調べてもらえないかな?」
「かしこまりました。確認します……返答ありました。五階に百体ほどの小型の魔物と思しき影を確認。ソナーによる分布図を頂きました。提示します」
そう言って地図を広げる。
ミラーによると、ちょうど俺達の真上あたりに小型の魔物らしきものが百体ほども溢れているそうだ。
それを覗き込みながらエーメスがこう言った。
「何物でしょうか。下層ならともかく、すでに結界を貼り終えた上層にそれほどの魔物があふれるとは考えづらいのですが」
「弱いやつなら、いっぱいいてもおかしくないんじゃないか?」
「しかし、百体からの群れともなれば、結界がまとめて反応すると思いますが」
「そういうものか」
要は、強さが一の魔物でもそれが百体かたまっていれば強さ百相当にカウントして弾くといった感じらしい。
あくまで理論上の話で、実際はそこまで密集できないわけだが、合理的ではある。
「ネズミか何かでは? ここにはよく出るそうですし」
とクメトス。
「ふむ、まあ用心して進むか」
エレンの後を追うように慎重に進む。
進むうちに前方が賑やかになる。
だいたい、ダンジョンが賑やかな時はろくでもないことが起きてるんだよな。
果たして今回は何事かと用心しながら進むと、五階に続く階段の前で、人だかりができていた。
エレンもちょうどそこにいた。
「どうやら、上でコボットの群れが出たって話だねえ」
とエレン。
「何だ、コボットって?」
「コボットってのは暗灰色の小人とも呼ばれてる小さな魔物でね、背丈はテナよりも更に小さいかな、七十センチぐらいの人型の魔物で、単体だとコロよりも弱いぐらいなんだけど、厄介なことにわりと知性があって矢を使うんだ。しかも群れで行動するから、少人数のパーティが囲まれたら厄介だね」
とのことだ。
ここにいる連中は、上でコボットの群れに遭遇し、逃げるうちにここまで降りてきたらしい。
「どうも四階辺りで未知の洞窟が開いて、そこから侵入してきたんじゃないかって話だよ」
「面倒だな、どうする?」
「どうしよっか、ここの連中は騎士団の応援を待つか、集団で突破するかで揉めてるね」
「なるほど。しかしやり過ごすなら、もうちょっと隠れやすい場所がいいんじゃないのか?」
ここは階段の真下でちょっとした広間になっている。
上から敵がやってくれば、敵に地の利を与えることにならないだろうか。
「階段の上には結界があるから、降りて来られないと思うんけどね。むしろ逃げ道を上に確保できるから、必ずしも悪いチョイスじゃないと思うよ。だけどねえ……」
「だけど?」
「コボットは弱いからねえ、かなりの量がスルーしちゃうかも」
「結界も意味ねえな」
「万能の仕組みなんて無いもんさ」
「そりゃそうだ」
などと話していると、冒険者の集団にいた一人がこちらに目をつけ、やってくる。
テナの護衛騎士三人のうち、年長である壮年の騎士に話しかけた。
昨日、テナと話していた男だ。
あのあと確認したところによると、彼の名はルッコリ。
歳は五十前で、下級の貴族であり、妻が一人に一男一女の家族構成だとか。
第八小隊でもベテランの幹部クラスで、次期隊長候補の一人でもあるらしい。
冒険者はルッコリに向かって救援はどうなっているのかなどと問い詰めていた。
それを見たクメトスは憤りながら、
「この状況で、ルッコリ殿にわかるわけがないでしょうに、つくづく冒険者という連中は……」
と言いかけて、今の自分達も冒険者なのだと思い返したようだ。
「しかし、これではローン殿の苦労もよくわかります。白象側でも、どうにか人員を工面してこちらに回したい所ですが……」
「まあ、そこはそれだ。それで上に連絡はついたのか?」
状況を把握した時点で、上にいるミラーに念話で連絡したのだ。
その結果を尋ねると、
「駐留の部隊が出発するところです。今ちょうど、屋台の前を通り過ぎて行きました」
「ふむ、となると最短でも三十分はかかるかな」
その旨を三人の護衛騎士でもっとも若い男に伝えると、彼はそのままそれを冒険者の相手をしているルッコリに伝えたようだ。
それで冒険者達も少し落ち着き、結局騎士団がやってきてコボットの群れを蹴散らすまで待機することになったらしい。
俺たちは予定通り、フューエルと合流しようとルートを確認していると、上の階段から別の団体が駆け下りてきた。
どうやら例のコボットとか言う魔物に追われて、逃げてきたらしい。
「た、たすかった」
「やつら、大勢来やがる。途中ではぐれちまった奴もいるみてえで」
「ちょうどいい、あんた赤竜の騎士だろ、助けに行ってくれよ」
息も絶え絶えで走って逃げてきた連中は、テナの護衛役であるルッコリ達にすがる。
すがるというか丸投げというか。
自分たちの仲間なら、まず自分たちが行けよと思わなくもないが、取り残されたのはどうやら彼らの仲間というわけではないらしい。
それならしょうがないかなあ、と思う程度には俺も淡白なのだった。
「現在、上から部隊が出動しておりますので、落ち着いてお待ち下さい」
などとルッコリはあしらっている。
その様子を見ていると、今逃げてきた連中の中から二人、こちらにやってきた。
以前冒険倶楽部の初研修で一緒だった女学生二人組だ。
「サワクロさん! サワクロさんも逃げてきたんですか?」
「いや、俺達は戻るところでね」
「そうなんだ……ところで、ファナリさんたち見ませんでした?」
息を切らせてそう言ったのは、赤毛のエルメラちゃんだ。
ファナリとは、あの時一緒だった夫婦冒険者のことだ。
どうやらあの後、四人で組んで潜っていたらしい。
「魔物の大群が出たって聞いて、慌てて逃げてるうちにあの二人とはぐれちゃって。私たちは他の人と一緒にこっちに逃げてきたんだけど」
柔らかそうな栗毛が愛らしいちゃんもカールちゃんも、少し青ざめた顔をしている。
「あの、サワクロさん……一人なんですか? レーンさんとかは?」
と聞くカールちゃんに、
「あいつらは今は別の場所にいてね。それよりも、あの二人が心配だな」
ミラーを通して、フューエルとのところにいる紅が探せないか確認してもらうと、
「例の魔物が多すぎて、判別できないそうです」
「そうか、まあ人間は特に探しにくいというしな」
さて、どうしたものか。
「じゃあ、家にいる燕に頼んで遠目の術で……いや、そもそも紅はあの二人の顔を知らないか。状況がわからないと捜索隊を出すにもなあ。まあいい、ダメ元で探させよう」
二人の外見をエルメラちゃんたちから聞き出し、家にいる燕に伝える。
(あんまり期待しないでよ)
との返事だったが、まあ期待させてもらおう。
他にできることはないかと考えていると、元船幽霊のネールがこう言った。
「私が見てきましょうか?」
「いけるか?」
「この辺りの岩盤であれば、大丈夫です」
「ふむ、それなら頼む。今話した二人連れを見つけて、可能なら上に誘導してくれ、あと連れの二人は無事だと伝えてくれ」
ネールが言うのは、覚醒状態になって壁をすり抜けて直接様子を見に行くということだ。
その状態ならよほど強力な魔法で攻撃されなければ物理的な干渉は受けないという。
偵察にはうってつけの能力だ。
もっとも、ネール自身に斥候の能力があるわけではないので、そこを差し引くとエレンや紅よりも劣ると思う。
逃げてきた連中から話を聞いて、地図で大まかな場所を確認すると、
「その魔物の状況も確認してきます。では、しばしお待ちを」
と言ってネールは皆の前で派手に覚醒して青い光の塊になると、そのままダンジョンの天井を突き抜けて飛んでいってしまった。
回りにいた連中は一斉に驚くが、これ、そんなおおっぴらに見せてよかったのかな?
青いホロアってなんかダメなんじゃなかったっけ。
まあいいけど。
いざとなったら紳士パワーで丸め込もう。
「い、今の人もサワクロさんの仲間?」
驚くエルメラちゃん。
「まあね。それよりも、二人とも怪我はないのか? この辺の階層だとまだ早いんじゃ」
「う、うん。四人なら大丈夫かと思ったんだけど、あんまり……」
「だろうなあ。しかも戦士四人だろう。後衛が一人でもいないと、この辺からは厳しいぞ」
「でも、そういう人は大抵他のパーティに入っちゃってるし」
そりゃそうだ。
魔法もただの火の玉だけじゃなく、催眠あたりの補助魔法が一つ使えるだけでも実戦では大きな違いだし、初歩の回復魔法があるだけでも探索時間は倍ぐらいに伸ばせる。
盗賊だって一人いれば大幅にリスクが減らせるわけで、そうしたポジションは引く手あまたなのだ。
しかも、誰でもなれるわけじゃないしな。
特にこの街ではそうした人間同士をマッチングさせる場所も少ないと聞く。
試練の塔のような稼ぎ場所が近い街の場合は、ギルドの受付や、定番の酒場があってそこで冒険者同士の交流があるそうだが、ここのように限られた時期だけ冒険者が集まってくるような街だと、そううまくは行かないようだ。
そういえば昔遊んでたMMORPGで、パーティを組むために町の広場で二時間ぐらいチャットして時間つぶしたことがあったな。
これはサラリーマンには無理だと思って早々にやめてしまったが、最近のゲームはもっとうまくマッチングできたりするんだろうか?
それとも、もうそういうゲームは流行ってないのかな。
「あ、スィーダちゃん、あなたサワクロさんと組んでたの?」
赤毛のエルメラちゃんがスィーダに気づいて話しかける。
「う、その、私は…師匠が」
急に話しかけられて動揺し、クメトスの腕をつかむスィーダ。
その仕草も可愛いが、急に腕をつかまれて驚くクメトスも可愛いな。
「それじゃあ、剣を習ってるんだ。あの時の騎士様が言ってた道場?」
「ううん、ちがう、私の、村の……」
「へー、その人、強そうだもんね。おっきな盾もってるし。もしかして騎士?」
「うん……そう」
スィーダは強がりが抜けると、奥手というか人見知りというか、コミュ力が下がるな。
いや、強がってた時もあまりうまくコミュニケーションは取れてなかったか。
スィーダとエルメラが話す様子を見ていたら、不意にフューエルのお友達のことを思い出した。
「そういえば、エームシャーラ姫の方はこの騒ぎを把握してるのか?」
とミラーに聞くと、
「はい、すでにシロプス様に伝えております。あちらでは何人かを偵察に出しているようです。あと十分ほどで作業が終了するので、その後は検討中だそうですが、可能ならばこちらと合流して救援を待ちたいと」
「なら、そうしてもらおう。俺たちはネールを待って行動を決めよう」
などと話していると、テナが急に俺の袖を引き耳打ちする。
「皆を集めてください、結界を張ったほうが良さそうです。そちらの隅がいいでしょう。相手があの弱さでは、この上の結界でどこまで削れるやら……」
それだけ言うと、自分は部屋の隅に行って、床に大きな円を書く。
物分りの良い俺はいちいち細かい理由は聞かずに、すぐに騎士のリーダー格であるルッコリに話しかけた。
「なんだかやばそうだ。今からテナが結界を貼るから、皆をあの輪の中に誘導してくれ」
ルッコリの方もベテランだけあってすぐに分かってくれたようで、ぐだぐだとくだを巻く冒険者連中を強引にかき集める。
少し遅れて紅からの連絡がミラー経由で入った。
「例の魔物がこちらに向かっているそうです」
「うん、すでに警戒中だ」
「ご武運を。とのことです」
そうこうするうちに、俺達にもわかるほどに、何かが近づいてきた。
最初はゴーッという地響きのような音で、徐々にそれが無数の足音だとわかる。
それは秒刻みで大きくなっていく。
「前衛は盾を構えよ! 結界から出るな! 奴らは脆弱だが矢を使う! 毒矢を使うものもいる! そして何より数が多い。決して油断するな、一匹ずつ、確実に仕留めよ!」
ルッコリが号令をかけると、周りの冒険者連中も実感が湧いてきたのだろう。
いい加減なようにみえても、探索と戦闘を生業にしている連中だ。
やるときはやる……と思いたいなあ。
俺達の方も、すでに戦闘準備はできている。
テナの貼った結界は物理攻撃を防ぐもので、具体的には飛んでくる矢を一定の割合で弾く、または減速するという。
物理干渉する結界は、魔法を防ぐものより一段高度なものらしい。
やっぱテナはだいぶ格上の術師なんだろうな。
以前、飛び首退治の時に一緒に戦ったパエより上だとすると、それは相当なレベルだと思うんだけど。
などと考えている間にも足音はますます大きくなる。
その音の大きさに反比例するかのように、俺の雑念も消えていった。
壁を背に結界の外周を囲むように、護衛の騎士や、うちの騎士達、それに大柄の冒険者が並んで盾を構える。
その後ろで弓や槍を構えた連中が控えている。
俺はテナのすぐそばで盾を構えている。
足音が更に大きくなる。
もうすぐそこだ。
すぐに来る。
まだか……もうか……。
その時、突然足音が止む。
ほんの数秒の沈黙。
次の瞬間、階段からどっと何かが溢れ出してきた。
同時に俺の背後から一筋、矢が飛ぶ。
エレンだ。
矢は先頭の魔物にあたり、その場で崩れ落ちる。
だが、後続の魔物の勢いは止まらず、足元にうずくまった仲間につまずいて、そのまま階段を転がり落ちてくる。
そこに今度は別の魔導師が放った火球が襲いかかる。
魔物の小さな体は焼け焦げる。
それでも魔物の勢いは止まらない。
たちまちフロアにあふれる数十匹の魔物に俺たちは取り囲まれた。
ドンッ、と前衛の盾に面で押し当たるコボットの群れ。
ついで後ろに控えた連中が矢や魔法をぶちかます。
たちまちあたりは血と肉の焼ける匂いで充満する。
「矢が来るぞ!」
前方の誰かが叫ぶ。
俺はとっさに盾をかざして、側にいたテナとスィーダをかばう。
同時に上から矢が降り注ぐが、ほとんどは結界で弾かれたようだ。
俺達の周りには降ってこなかった。
盾を掲げたまま前を見ると、オルエンが盾の間から手槍で魔物を串刺しにしているのが見えた。
両隣ではエーメスとクメトスも負けじと槍を振るっている。
一歩下がってカプルが盾と斧を手に控えている。
魔物たちは矢が効かぬと悟ったのだろう。
城壁をよじ登る攻城兵のように、仲間の体をよじ登りながら前衛の並べた盾の壁を乗り越えようとする。
これだけの数だと流石に防ぎきれず、何匹かこぼれ落ちてくるが、それをカプルが次々と真っ二つにしていく。
更にその後ろでは、フルンが俺を守るように立っている。
この小さな体が、今日は特に頼もしい。
今も飛びかかってきたコボットが、太刀筋も見えないままに真っ二つにされていた。
とりあえず、大丈夫そうだな。
この調子で何千と相手にすれば流石に体力が尽きるだろうが、おそらくはあと十分も続かないだろう。
最初に比べて、敵が増えるペースが落ちたのは、単に数が減ったのか、それとも上の結界が効いているのか。
いずれにせよ、他の前衛も問題はないようだ。
たまにこぼれて来たコボットを後ろに控えた連中が寄ってたかってとどめを刺す。
「ミラー、ネールがどこにいるかわかるか?」
「少々お待ちください……紅の話では、少し離れた場所にいるそうです。高速で移動中ですので、おそらくはまだ遭難者を捜索中では?」
「そうか、こんな時こそあいつの魔法が頼りになるんだが……」
そこまで言って視線を背後に移すと、エルメラとカーナの女学生二人組が、隅で小さくなって怯えていた。
「二人共、怖いのはわかるが剣をとって構えるんだ。戦わなくてもいい、だが、そんなカッコじゃ助かるものも助からんぞ」
「で、でも……こんなの、冒険じゃないよ、ただの戦争だよ」
真っ青な顔で半泣きのエルメラ。
気持ちはわかるが、このままじゃ、もし前衛が破れて乱戦になった時に危ないんだよな。
「テナ、なにか恐怖を抑えるような結界とかないのか?」
と尋ねると、テナは困った顔で、
「心を落ち着ける結界はありますが、この場で使うと、他の者に逆効果でしょう」
「そりゃそうだな」
「どうやら、思った以上に初心者が多い様子。前衛の騎士や一部のベテランを除くと、背後に控えるものはこの状況に心が折れかけています。何より血の匂いが酷い、こういう状況に心はたやすく折れてしまいます」
「まずいな」
「そこで紳士のご威光なのでは? 紳士の声を聞けば、人々の恐怖は去り、死地を切り抜ける勇気を得るといいますよ」
「ほんとかよ」
「ええ、それが上に立つもののカリスマ、というものです。往年の名宰相と名高い紳士レルトー公がそうなさるのを、拝見したことがありますよ」
などと話していると、前衛に立っていた戦士が一人、傷を負う。
たちまち魔物に取り憑かれて引きずり倒されそうになるが、横にいた騎士のルッコリがうまく助けだして、後ろに放り投げた。
開いた穴には別の戦士が立つが、こちらはちょっと脆そうだ。
余計に素人軍団に動揺が広がる。
たしかに、ちょっと発破をかけるべきだな。
俺はエルメラとカーナの前に腰を下ろし、話しかける。
「さあ、二人共。勇気を出して。君たちのことは俺が守ろう。だから剣を取り、他の誰かを守ってくれ」
「サワクロ……さん?」
俺の言葉に混乱気味のエルメラ。
「あと少しだ、もうすぐ騎士団もやってくる。それまでどうにかここをしのごう」
そう言って俺は指輪を外して立ち上がる。
「さあ、おめーら、あと一息だ。もうすぐ騎士団もやってくる。気合を入れろ! ここを凌げば俺達の勝ちだ!」
指輪を外すと自分でもわかるぐらい、力が溢れてる気がする。
「うぉ、なんだこの光は」
「紳士様よ、紳士様が来てくれたわ!」
「ありがてえ、これで百人力だ!」
などと俺のアバウトな応援で何故か皆元気になる。
ちょろいなあ、と思いつつも、とにかくこの場を切り抜けないとな。
「サ、サワクロさん、紳士様だったんですか?」
さっきまでのビビリ具合もどこへやら、エルメラちゃんとカーナちゃんの女学生冒険者コンビは、急に目を輝かせる。
現金だなあ。
とにかく、みんなやる気が湧いてきたようで、後衛がしっかりしてくると、前衛も前に集中できるのか、再び壁ががっちり固まる。
そうなると同行していた僧兵たちも回復に専念できるので、怪我をした連中も軽傷ならすぐに復帰できる。
幸い、こいつらは毒矢のたぐいは使っていないようだ。
この調子なら、倒し尽くすことはできなくても、一旦退けることは可能だろう。
だが、好事魔多しとはよく言ったもので、こんな時に側面の別の入口から、ノズが数匹飛び込んできた。
続いて、コボットも大量にやってくる。
後で分かったことだが、こいつらは別の階段から降りてきたコボットの群れに押し出されるようにこちらに逃げてきたらしい。
魔物同士でもやりあうんだなあ、と思ったのは後のことで、その場はまるで敵が連携して攻めて来たかのように感じられたわけだ。
で、動揺した前衛の戦士がノズに押し倒され、壁が破れて一気に内側に魔物たちが踊り込んできた。
「慌てるな! 壁を崩してはいかん! 中の敵を分断せよ!」
騎士のルッコリが叫んでいるが、こうなるとどうにもならんよな。
俺はとにかく盾を構えて我が身を守りつつ、ミラーに向かってこう叫ぶ。
「いいか、お前たちは必ずテナを守れ。結界が破れたらおしまいだぞ!」
だが、その叫びも聞こえたのかどうか。
周りは雄叫びやら悲鳴やらで酷い有様だ。
目の前にはカプルが立って俺をかばい、エレンとフルンは飛び回りながら襲ってくるコボットを確実に仕留めていっている。
今のところはどうにかしのいでいるが、色々ヤバイ。
どこで作戦を間違えたのか。
ここでとどまっていたところだろうか、ネールを行かせたところだろうか、それとも……。
だが、今は考えている場合ではない。
目の前のカプルが飛びかかってきたコボットの脳天に手斧を叩きつけると、食い込んだまま抜けなくなる。
それを強引に振り上げて、敵の体ごと目の前のコボットに叩きつけた。
ついで腰の剣を引き抜こうとした隙を突いて、別のコボットが飛びかかって来たところを、俺が背後から貫く。
「あら、助かりますわ、ご主人様」
「たまにはね、今度は大物が来るぞ」
目の前にはノズの巨体がそびえ立っている。
間近で見るとでかい。
青いノズの体は、俺達が蹴散らしたコボットの返り血で赤く染まっている。
ノズは血を滴らせた巨体をよじりながら、棍棒の強烈な一撃をお見舞いしてくる。
カプルはそれを盾で受けるが、衝撃をすべて受けきれずに、片足をついた。
だが、ノズの方も大振りした反動で体勢を崩している。
やるなら今しかない。
そう思った俺が剣を振りかざした、その瞬間、
「いけませんわ!」
カプルの叫び声のおかげで、俺は間一髪、ノズの背後から別のノズが槍を突き出してきたことに気がついた。
とっさに盾を構えて身を守る。
同時にすさまじい衝撃が盾越しに左腕を襲い、後ろに吹き飛ばされる。
そのまま壁にたたきつけられるのを覚悟したが、何故か俺がぶつかった壁は柔らかかった。
「あと一歩、踏ん張りが足りぬでござるな、殿」
そう言って俺を抱きかかえていたのは、神出鬼没の忍者剣士コルスだった。
「おまえ、どこから現れたんだ!?」
「そこの壁を伝って、ひょいっとひとっ飛びでござるよ。それよりも、火炎結界を張るでござるよ」
そう言ってコルスは呪文を唱える。
それとは別に、いつの間にか赤い光が無数に室内を飛び交っては、魔物にへばりついていた。
あれはなんだ?
精霊ってやつだったっけ?
そんなことを考えていたら、突然全ての魔物が体から火を吹いて燃え始めた。
えげつない魔法だな。
炎の威力は致命的ではないが、そんな状態で戦えるわけもない。
混乱してのたうち回るコボットは次々と周りの冒険者達によって仕留められていった。
どうやら片付いたようだな。
俺は周りの連中を労いながら、彼女の姿を探す。
俺を助けに来てくれたであろう、婚約者様を、だ。
それはすぐに見つかった。
朝とは打って変わって、今の彼女は格別、頼もしく見えるなあ。
「あら、今日はまた随分と威勢のよい格好をしているではありませんか」
そう言ってフューエルはこちらにズカズカと歩いてきた。
「柄にもなく張り切りすぎてね。しかし思ったより、お早い登場じゃないか」
「あなた達が勝手にピンチになっていると聞いて走ってきたんですよ。おかげで、結界の作業を途中で放り出してしまったではありませんか」
「この埋め合わせは今度するよ」
「期待しておきましょう。それよりも、流石にここはひどい匂いです。あとは騎士団に任せて、そうそうに退却すべきでは?」
「そりゃ、ごもっともなんだがな」
あたりは魔物の血と、飛び散った内臓と、焼け焦げた肉の匂いで今にも吐きそうだ。
実際、吐いてる奴もいるし。
多少、慣れたとしても、度を超した刺激で鼻の粘膜もやられてしまう。
「ところで、コボットとやらは、これで全部か? かなりの数がいたんだろう?」
誰とも無しに確認すると、紅がやってきてこう言った。
「半数は倒して、残りは四散しています。セスたちの方でも若干遭遇していましたが、すでに退けています。十体以上の集団は確認できません」
「まあ、あっちのパーティは数が多いしな。じゃあ、このまま退却しても大丈夫か」
「はい」
うちのメンツは皆無事だが、冒険者には流石に怪我人も多い。
そうした連中をフォローしながら、撤収の準備をしていると、天井からぬるりとネールが現れた。
現場を見てすぐに、状況を把握したらしい。
「も、申し訳ありません。肝心なときにご主人様のそばを離れてしまうとは」
「なに、こっちは大丈夫さ。それで、例の夫婦は見つかったか?」
「はい、それは発見しまして、無事に上層に逃しました。その後、まっすぐ戻ったのですが……」
「だったらお前の仕事はちゃんとこなせてるさ。とにかく急いで引き上げよう」
壁抜けができても念話が通じないと、斥候役としてはやはり厳しいな。
ネールの活躍方法は、もうちょっと考えないとダメなんだろうなあ。
(ねえ、それっぽい二人連れを見つけたけど……ってなにそのカッコ。血まみれじゃない)
突然燕から念話が入る。
そういや、あっちにも頼んでたんだった。
「おう、ごくろうさん。こっちはもう片付いたよ。悪いが、この辺りに魔物の集団が残ってないか、もうちょっと見といてくれ」
(いいけど、ピンチならピンチってちゃんと言いなさいよ! 皆大丈夫なの?)
「ああ、すまんすまん、大丈夫だ。とにかく、今から帰るよ」
余計な心配をかけてしまったな。
どうも従者が増えすぎて、うまく使うのが難しくなってきた。
個別の戦闘は各人の自主性を重んじるというか、元より俺が口を挟む余地はないんだけど、情報収集と作戦決定は俺がやらんとダメだよなあ。
いや、やはりここはそろそろ軍師メイドの登場に期待したい……ってそんなクラスはないよな、たぶん。
どうにか地上に戻り、水をじゃぶじゃぶ浴びて返り血を大雑把に洗い流す。
ここは神殿の外れにある噴水池で、普段はデートスポットだったり、夏場には子供が水浴びしたりしてるそうだが、今は冒険者が洗い流した血のせいで、血の池地獄みたいになっている。
落ち着いたところで目に入ったのは、木陰で座り込む二人の少女だった。
近づいて声をかける。
「二人共、おつかれさん」
「あ、紳士様……」
顔を上げたのは赤毛のエルメラだ。
いつものあふれる元気が影を潜め、顔は少し青ざめている。
「サワクロでいいよ、世を忍ぶ仮の姿ってね」
そう答えてから隣でうずくまるカーナちゃんをみると、柔らかそうな栗毛にまだ血がこびりついている。
身につけた革鎧も、血が染みこんでどす黒いままだ。
戦闘中はとかく気分が高揚してるもので、怯えるにせよ暴走するにせよ、極端に走りがちだが、こうして安全な場所に戻ってくると、じわじわと色んな感情が湧き上がってくるもんだろう。
昔見た帰還兵のPTSD患者のドキュメンタリーでは、プロのカウンセラーでも難しいものなので、無理に干渉せずにそっとしておくのが良いと言っていたが、この場合はどうなんだろうな。
「じゃあ、サワクロさん……。あの、今日はありがとうございました」
とエルメラ。
「なに、よくあることさ」
「やっぱり……よくあるんですか? その、こういうこと」
「まあなあ、この間潜ってた森のダンジョンでは、騎士団とキングノズの集団戦になったり、ガーディアンに囲まれたりと色々あったからな」
「そうなんですか……」
やっぱり落ち込んでるのかなあ、少し慰めて……と思ったら、
「でも、あんなに倒したのにもったいないですよね!」
「もったいないって?」
「コアですよ、コア! あれ、百匹以上はいましたよね! あそこにいたの、こっちは四十人ぐらいだと思うけど、一人頭最低二匹分ぐらいはあったはずなのに。私、三匹は倒しましたよ!」
「ああ、コアね」
「あの時は助かったって安心感がまさってよくわからなかったけど、ちゃんと剥ぎとってからくるべきだったんじゃ……、あんなに苦労したのに儲けはゼロですよ、もったいないなあ」
何を落ち込んでるのかと思えば、儲けをとりそこねたことだったか。
「あれってやっぱり、後始末をした騎士が持ってっちゃうんですか?」
「たぶんなあ」
「うーん、ずるい!」
「しかし、こっちはただで色々面倒見てもらってるんだしな、騎士だって採算取らなきゃ、けっこう大変なんだぞ」
「そんなものなんですか」
そう言ってため息をつく赤毛のエルメラちゃん。
隣のカーナちゃんはどうなのかと思えば、ただ一言、
「お腹すいたー」
とのことだった。
二人共、タフだなあ。
やっぱこの世界の人間って、生死に関しては今の日本人よりだいぶタフな気がするな。
「今日は早くかえって休むといい。二人共、学生寮かい?」
「はい」
「じゃあ、途中まで送っていこう。うちもあの近くだ」
二人はコクリとうなずき、立ち上がる。
そこにはぐれていたバッダとファナリの夫婦が走ってきた。
「ああ、よかった、そっちも無事だったのね」
「サワクロさんの従者と言う人が助けてくださって」
そう言って互いの無事を喜ぶ。
そのまま俺たちは連れ立って家路についた。
それにしても、二日酔いのフューエルをフォローしに行くつもりが、しっかり助けられてしまって、なんというか先が思いやられるなあ、と言う気持ちでいっぱいになった、今日の探索だった。
さっさと帰って、早くひと風呂浴びたいぜ。
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