第181話 陣中見舞

 その日の探索を終えたフューエルは、いつもの様にうちに来ており、今日も夜まで飲むのかと思えば、テナを前に何やら熱弁していた。


「……ですから、あなたの力を借りたいのです」

「お嬢様、今の私は女中なのですよ? 神霊術師としての仕事を受ける気はありません」

「私もそう言ったのですが……」

「それで、パエの具合はどうなのです?」

「さあ、私も教会を通じて話を聞いただけですので。命にかかわるようなものではないそうですが、デュースがお見舞いに行っているので、後で分かるのでは」


 フューエルの話はこうだ。

 結界の貼り直しを要請された三人の神霊術師のうちの一人、パエ・タエが体調を崩して、しばらくダンジョンに潜れないらしい。

 そこで代わりにパエの同門であり、先輩でもあるテナに白羽の矢が立ったというわけだ。


「その、大掃除というのは、それほどタイトなスケジュールなのですか?」

「そう聞いています。なによりあそこは神殿の真下ですから、神殿を清めて神子にお帰りいただく支度を整えるという神事でもありますし、年越しの大奉還に間に合わないと……」

「そうですか。ほかならぬ妹弟子のことでもありますし」

「では、引き受けてくれるのですか?」

「パエが復帰するまでの間ですよ」

「ありがとう、テナ」


 テナもフューエルにねだられると甘いようだな。

 生まれた時から世話をしていると聞くし、我が子のようなものなのだろう。

 齢六十だか七十だかと聞いたが、彼女の種族にとってはちょうど妙齢の頃合いで、しかも外見はちょっとアダルティな子供といったところであるテナは、なんとも言いがたい独特の雰囲気がある。


「それで、明日から入ればよいのですか?」

「そうだと思います。のちほど改めて教会から依頼があると思いますが」


 そこでテナは俺に向き直り、


「そういうわけですので、不本意ではありますが、しばらくこちらでのお勤めを休ませていただきたいのですが……」

「俺は構わないよ、大変だろうが頑張ってくれ」

「ありがとうございます。引き受けた仕事を中断するなど、あってはならぬことですが」

「ままならない状況を、どうにかやりくりするのも互いの勉強になるさ。教会からも人が出るだろうけど、希望するならうちからもだすよ。フューエルだけに付けるんじゃ、依怙贔屓だろう」

「ご厚意、ありがとうございます。ひとまず前衛で盾となっていただける方と盗賊が一人いれば安心ですね」

「ふぬ、じゃあエーメス組についてもらえばいいのかな?」


 そう言うとフューエルも、


「それがいいでしょう。そういえば、今回はオルエンは潜らせないのですか?」

「オルエンはいざというときのために上で待機さ」

「控えに置くにはもったいない腕前だと思いますが」

「まあ、そうなんだけど、あんまりフル稼働させるもんでもないだろう」

「私も、そろそろ替えがほしいですね」

「毎晩リフレッシュしてるように見えるけどな」


 フューエルがなにか言い返そうとしたところに、パエのお見舞いに行っていたデュースが戻ってきた。


「只今戻りましたよー」

「おう、おかえり。それで、どうだった」

「うーん、復帰は難しそうですねー」

「そんなに悪いのか?」


 驚いて問いただすと、


「むしろ良いぐらいですねー」

「というと?」

「おめでただそうですよー」

「そうなのか、そりゃ良かったな。コンツもさぞ喜んでるだろう」

「喜ぶというかー、取り乱してましたねー」

「明日にでもお祝いに行くか。しかしそうなると、なんだな、テナには最後まで頼むことになりそうだな」


 そこでテナも答えて、


「そういうことなら、仕方ありません。とにかく、段取りをしておかねばなりませんね。一度屋敷に戻って支度を整えましょう」

「では、今夜の迎えで、一緒に戻りますか」


 とフューエル。


「いいえ、お嬢様の迎えは夜まで来ないでしょう。先に戻りますよ」


 テナがそう言うので俺が、


「じゃあ、船を出そう。屋敷なら湖から行ったほうが速いだろう」

「お願いします」


 そう言って、テナはエーメスの操る小舟に乗ってフューエルの屋敷に戻っていった。


「テナは引き受けてくれたんですねー、ひとまずは安泰でしょうかー。やはりあなたから話を通しておいて正解でしたねー」


 デュースの言葉にフューエルは安堵のため息をつきながら、


「もっと反対されるかと思ったのですが」

「あなたが頼めばー、彼女は反対などしませんよー」

「そうでしょうか? いつもダメ出しばかり食らっているのですが」

「それはあなたが無茶ばかり言うからですよー」

「そんなつもりはないのですが」

「そうですねー、とにかく今日の疲れは今日のうちにー、ひと風呂浴びて一杯やりましょー」

「では、私も」


 二人で仲良く浴室に消えていった。

 フューエルは巨人村でちょっといい雰囲気になった気がしたんだけど、あの後はいつもどおりだな。

 まあ、急に変わられても俺の方もどうしていいかわからんけど。

 ひとまず、二人の入浴中に、俺はエレン達と相談する。


「テナのフォローに入るのは構わないよ。どうせ同じ階層で結界を貼るから、本来の趣旨である他のパーティのサポートも支障ないだろうしね」


 とエレン。


「ふむ、まあ負担が増えそうだが頼むよ。俺も明日はそっちかフューエルのどっちかについていこうかな」

「旦那の分の負担は、誰か別のフォローが欲しいな」

「そんなに敵が強いのか?」

「明日は多分五階だけど、この辺りからはノズとか手長が結構いるんだよね。数が多いと、旦那のフォローはしんどいと思うなあ」

「ふぬ、それじゃあ……」


 と周りを見回す。

 オルエンに頼んでもいいが、さっきも言ったとおり、彼女は控えの要だ。

 前衛の誰と変わっても安心できる彼女を予備においておくのは頼もしさがある。

 そこで本来ならクメトスが俺の護衛には適任だろうが、今はスィーダの修行に付き合っているし、そもそも騎士団の仕事も多い。

 あまり負担はかけたくない。

 フルンはお店の用心棒をエットと二人で務めているし、誰に頼もうかな?


「では、私の出番ですわね」


 そう言ったのはさっき地下から出てきたばかりのカプルだった。

 今日の仕事はもう終わりらしい。


「行ってくれるか」

「もちろんですわ、それに幾つか装備のテストをしたかったので、良いタイミングですわね」


 エレンも、


「カプルが旦那についてくれるなら、僕らも安心かな」

「荷物持ちにミラーも連れて行きますし、大丈夫だと思いますわ」

「なら、決まりだね。で、どっちについていくんだい、旦那」


 エレンはニヤニヤしながらそう尋ねる。


「今のはそんな顔をするような、いやらしい質問なのか?」

「そりゃあ、婚約者とその育ての親の二択だろ。これがゴシップでなくてなんだって言うんだい?」

「そういうのをこじつけと言うんだ」

「おや、その婚約者が戻ってきたよ」


 エレンが振り向きもせずにそう言うと、ちょうど湯上がりのフューエルとデュースが暖炉の前に腰を下ろす。

 先に着替えていたウクレとオーレが、自分たちの師匠にブラシをかけながら髪を乾かしてやっていた。

 色っぽいなあ。


「ふう、いいお湯でした。この家のお風呂はいつも温度が一定で良いですね。どういう仕組なのでしょう?」


 とのフューエルの問にカプルが答えて、


「追い焚き、と言う仕組みですわ。湯船の一部が釜とつながっていて、内部で循環する仕組みになっているのですわ」

「循環というと、勝手に水が巡るのですか? 水を操る魔法でしょうか」

「水に限りませんけれど、温かいものほど上に上る性質があるものですわ、暖炉で熱っせられた空気も、煙突から昇っていきますでしょう、それと同じ仕組みですわね」

「たしかに、そうですね」

「その仕組を使って、浴槽の下の方から水をパイプで導き、釜の中を通して温めてやると、上へと流れる力を生み出すのですわ。それをつかってお湯を循環させて暖め続けるのですわ。あとは火力を調整することで湯加減を保つ、と言う仕組みですわね」

「まあ、大した発明ですね。お風呂といえば、釜で沸かしたお湯を汲み入れるものだとばかり」

「うちも以前は似た方式でしたわ。これはご主人様からお教えいただいた発明ですわね」

「まあ、紳士様が」


 そう言って驚いた顔で俺を見る。


「別に俺が考えたわけじゃないぞ、単に俺の故郷じゃそういう風呂があったんだよ」

「とんでもない辺境という割には、随分と進んだ技術をお持ちなのですね、紳士様の国は」

「まあ、食い物と日用品には自信があるな」

「なんとなく、イメージは分かりますよ」

「分かってくれて嬉しいよ」

「しかし、それでは大戦以前の技術などが残されているのでしょうか?」

「いや、どうなのかなあ」

「いつもこの話題になると話をはぐらかしますが、なにかのタブーなのですか? そういうことであれば、無理にはお聞きしませんが」

「タブーというか、実際、あまり話せることがなにもないというか」

「というと?」

「俺は単に受け身にそういう技術の恩恵に預かっていただけで、よく知らないんだよ」

「そういう理屈は、わからなくもないですが。私も馬車は自分で整備もしますから多少は知識もありますが、同じ乗り物でも船などはどうやって作るのかさっぱりわかりませんから」

「そうだろう、そうだろう」

「まあ、良いでしょう。それより、明日はどうなさるのです?」

「どうとは?」

「私とテナの、どちらについてくるのです? それとも明日も受け身になって、家で戦果を待つだけになさるんですか?」


 といやらしそうな顔で聞いてくる。

 最近、フューエルのこの顔を見るとゾクゾクしてくるんだよなあ。


「じゃあ、せっかくだし、テナについていくよ」

「あら、残念ですこと。どうやら振られてしまったようですね、デュース」


 そう言ってフューエルはデュースに向き直る。


「あなたがついて来てくれとおねだりすればー、ご主人様はひょいひょいついてくると思いますよー」

「おねだりは先程、たっぷりとテナにしてしまいましたから、しばらくは十分ですよ」

「残念ですねー」

「まったくです」


 そう言って笑う二人を横目に、俺は苦い酒を飲み干した。




 翌朝。

 初対面の時のような大荷物を担いだテナがやってきた。


「おはようございます、紳士様」

「すごい荷物だな、まさかそれを全部持っていくのか?」

「いくらかは予備です。ダンジョンの入口に拠点があるのでしょう? そこにおいていきます」

「何が入ってるんだ?」

「神霊術師の荷物は、多いものなのですよ」

「それにしたって、多すぎるだろう? フューエルはその半分もないぞ」

「お嬢様は、特別才能がお有りなのですよ。私などのように平凡な神霊術師は、多くの道具を必要とするのです」

「そこはよくわからんから置いていけとは言わんけど、探索中は、もう少し身軽にしないと危ないんじゃないか?」

「そのための護衛なのでは? 私は戦うつもりはありませんよ」

「そりゃあいいんだけどな、ミラーも連れて行くから、少し分けて持たせるか?」

「紳士様がそうおっしゃるのでしたら、そういたしましょう」


 軽めの朝食を取り、支度を整えて家を出る。

 売店組はすでに出た後だ。

 今日のメンツは次の通り。


 テナのパーティはエーメス、エレン、ネール、カプルに俺、そしてミラーが三人

 フューエルのパーティは、デュースにウクレとオーレ、そしてコルス、紅、レーンだ。

 合計十六人でぞろぞろ歩くとかなりの大パーティで、いくら冒険者が多いこの時期でもかなり目立つ。


「探索など久しぶりすぎて、うまくいくか自信がないのですが、今日の所は、様子見とさせていただきましょう」


 テナがそう言うと、並んで歩いていたフューエルが、


「ええ、その方がいいでしょうね。あなたの神霊術にはなんの不安もありませんが、探索はブランクがあるとやはり危険が増すものだといいますし」

「そうですね、そういうものだと思います。黙って身を守られるだけでも、慣れが要りますから」

「一応、今日の予定では五階に結界を一つ張るのですけど」

「一つ程度なら、どうにかなるでしょう。魔物は多いのですか?」

「むらがあるのでなんとも。ノズなどがたまに数匹まとまって出ることもあります」

「そうですか」


 そこに脇道から走って飛び出してきた女性が目に入る。

 冒険者ギルドの課長、サリューロちゃんだ。

 急いでいるようだが、俺の姿に気がつくと、こちらに挨拶に来ようとして立ち止まり、それでもやっぱり用事を優先しようと振り返って走りだそうとするが、やっぱり俺に挨拶しようとしてその場で固まってしまう。

 今日もテンパってるな。

 仕方ないので俺の方から話しかける。


「おはよう、サリューロちゃん」

「あ、その、おはようございます。これから大掃除でしょうか」

「そっちは相変わらず忙しそうだな、今から神殿かい?」

「はい、ローン様より呼び出しを受けまして、その、これから急いで」

「彼女が急ぎだって言ってたのか?」

「いえ、そういうわけでは」

「じゃあ、一緒に歩いて行こう、すこし近況も聞きたいし」

「で、ですが……」

「大丈夫だって、ほんとに急ぎの用事なら、彼女はそう伝えるさ。そもそも君は騎士団の小間使いじゃないんだから、もうちょっと自信を持って取引しないと」

「は、はい。その、仰るとおりで」


 混みあう目抜き通りをゆっくり進みながら、サリューロちゃんの話を聞く。


「今のところ、LV5に達した冒険者が三組ほどで、こちらはベテラン勢ばかりであまり問題がないのですが、探索回数が三回以下の本当の初心者パーティが毎日のように増えておりまして」

「アイテム欲しさに登録しなおしてるとかじゃないのか?」

「そういうのもあるにはあったのですが、身分証で帳簿に登録はしているので、今のところ重複は弾いておりますし、そもそも頻度的にはほとんど無いです」

「じゃあ、ほんとに新人が」

「はい。あと通りすがりの行商人的な人がついでに登録しているようなのもあったのですが」

「そういうのはある程度仕方ないだろう。旅の途中で魔物退治をすることもあるし」

「ええ、それは良いのですが、単純に人手がですね、足りませんで。昨日の朝なども登録待ちが三時間ほどに伸びてしまい、午後は換金のお客様がこれまた長蛇の列で」

「君以外パートだしな」

「そうなのです。人を増やすにしてもなかなか本部の方では腰も重く、昨日もパートのおばさんの息子が熱を出したと早引けしてしまい、一時は大変な混雑で」

「求人はかけてるのか?」

「一応……ですが、腕のたつ事務員は皆給料の良い海運商などに取られてしまいまして、先日も面接したのですが、読み書きもできないような方ばかりで、即戦力としては……」

「ここは港町だしなあ。使えない人間の頭数ばかり増えても、かえってできる人間の負担が増えるし、人を雇うのも難しいよな。特にこういう新しい事業だと大変だろう」

「もう、仰るとおりで。せめてそこのところを上が理解してくれれば良いのですが、買い取ったコアの輸送もままならず、騎士団にお願いするばかりで」

「問題が山積みだな。で、当面の最大の問題はなんなんだ?」

「えーとですね、やはり事務手続きのスピードアップをですね」

「サインをして身分証の確認ぐらいじゃなかったっけ?」

「そうなのですが、確認の部分が、どうにも時間がかかるようになってきまして」

「なるほど」


 手作業で書類の照合となれば、会員が増えるほど大変になるわな。


「おそらく、神殿地下の大掃除が終われば新規登録は落ち着くと思いますので、まずはそれを乗り切ることが大事かと。換金の方も当初は準備金の見積もりを誤っていたのですが、銀行の方に話を通しまして、近々改善できるかと」

「ふむ」

「あとは、年が明けてある程度大口の取引をするパーティが増えてからの問題になるかと思いますので」


 サリューロちゃんは流されてるようで、ちゃんと現状の分析はできてるように見えるなあ。

 となると、やはり単純に人手が足りないのか。

 というわけで、ミラーに声をかける。


「ミラー、お前だと身分証の照合みたいな作業はどうだ? 紙の書類を突き合わせるようなものだが」

「ローカルのシステムに限定した場合、百万件程度のクエリであれば、瞬時に処理できます。もっとも大得意な分野だと思われます」

「そうか、じゃあしばらくパートに出てくれるか?」

「内職やパートで日銭を稼ぐのは我々汎用型オートメイドのオーソドックスな業務です。お役に立ちます」

「ふむ」


 あらためてサリューロに向き直り、こう言った。


「うちから書類仕事の得意な人形を数体パートに出そうと思うが、どうだ?」

「よ、よろしいのですか? しかし、紳士様の大切な従者をうちのようなところで雑用に……」

「なに、普通に給料を払ってくれればそれでいい。能力は俺が保証するよ。とりあえず年内いっぱいということで」

「ははー、誠にありがたく、ありがたくよろしくお願いします」


 往来でペコペコ頭を下げ始めた。

 この下っ端根性は、どこかでなおした方がいいんだろうなあ。

 むしろ役人仕事で成り上がるには必要なんだろうか。


 神殿でサリューロちゃんと別れて、俺達は当初の予定通り、地下ダンジョンに入る。

 地下大広間では、教会の偉い坊さんが待っていた。

 偉い坊さんはテナに対し、急な頼みで申し訳ない云々と頭を下げる。

 テナの態度から面識はあるようだったが、深くは尋ねなかった。


 今日の予定では地下五階に結界を張ることになっている。

 俺とテナのグループは途中でフューエルたちと別れ、下を目指す。

 教会がつけてくれた騎士と僧兵が三人ずつ、一塊のパーティとなって俺たちを先導する。

 彼らはベテランのようで、この辺りで出る魔物であれば、こちらが手を出さずともすぐに片付けてくれる。

 俺達の方も別に魔物退治に来たわけではないので、完全に丸投げだ。

 エーメスなどは騎士としての生活が長かったせいか、そうした役割分担を自然に受け入れているが、長く墓守をして生きてきたネールなどはちょっと落ち着かないようだ。


「ご主人様、本当に加勢しなくて良いのでしょうか? あの程度であれば、私の術でも十分に……」

「まあ、任せておけ。アレほどの腕前だ、半端な加勢は邪魔になるだけさ」

「そのようなものでしょうか? どうも人が何かしているのを見ているだけというのは……その、気の持ちようが難しいものですね」

「そうかな、俺なんてお前たちに丸投げしてばっかりだがなあ」

「ご主人様は、主人ですから、そうするのが努めなのでは? かつて紳士クーモスも剣の達人でありながら、自らは動かずに彼の八人のホロア達を実に巧みな用兵で駆使しておりました」

「俺には巧みな用兵とか無理だけどな」

「たしかに、戦術に関する知識はあまり無いようですが、その代わり商売や技術に関しては優れた能力をお持ちではありませんか。昨日も話に出ていましたが、我が家のお風呂などは、あれは考えてみると不思議なものです」

「そうかな?」

「ええ、そう思います。更には人心を掴む力はとても優れているかと。それもそのお力を用い、心を弄び利用するのではなく、相手への深い思いやりと配慮をもって、事にあたっておられることが感じられます。結果的に従者は皆自主性を活かして活躍しているように見えます。そして機を違わぬ決断力も持ちあわせていらっしゃる」

「そんな大層なもんじゃないだろう」

「いいえ、あの時もそうでした。私が自決に至ろうとした瞬間、あなたの言葉と行動で、五百年の年月の間に再び妄執にとらわれかけた私の心は救われたのです。あれは私にとって、決して得られることのないと考えていた真の救いだったのです」


 俺が抱きついて、ネールも救いに来たのだと言ったアレか。

 ああいうのは自然と体が動くので、配慮なのかどうかはわからんがなあ。


「そう言ってくれると、俺も嬉しいよ」

「はい。そこで話は戻るのですが」

「戻るのか」

「失礼ながら、ご主人様はあまり用兵の術は得意とされておりませんし、そこの所は自分の判断という物も大事にしていかねば、従者としての責務を果たせないのではないでしょうか。私は魔法しか使えません。家事などもそちらのテナ殿やアンたちの手ほどきを受けて学んでおりますが、こちらは長い道のりだと感じます。その点魔法を駆使した戦いであれば、千年の経験があります。覚醒して敵陣に躍り込めば魔物などたやすく蹴散らしてご覧に入れます」


 と鼻息が荒くなる。

 今日のネールはよく喋るな。

 つまりアレか、ネールは俺の前でいいところを見せたいんだな。

 それぐらいは配慮してやるか。


「そうだな、彼らにも休憩は必要だろう。今三階だから、四階に降りたら、彼らには下がってもらってお前たちに戦ってもらおう」

「はい、お任せください!」


 今日のネールはちょっとテンションが高い。

 かつての鬱々とした船幽霊時代が嘘みたいだ。

 じっとしてれば、今でも幽霊っぽい雰囲気は醸し出してるんだけど。

 ルタ島に閉じ込められて、不幸に見舞われる前の彼女は、もしかしたらもっと快活な少女だったのかもしれない。

 それを想像するには千年の年月は長すぎるんだけど。

 まあ、過ぎたことは俺にはどうにもできんので、今のネールを満足させてやろう。

 その考えが間違っていたとは思いたくないのだが、世の中なかなか思い通りには行かないんだよなあ、とすぐに思い出すことになる。


 地下四階に降りて、騎士たちには後方に下がってもらう。

 彼らも仕事でやっているので、交代してもらえるなら遠慮はしても別に断りはしないようだ。

 この階層は外周沿いの大きな通路を進むとかなり遠回りになる。

 かわりに最短コースを進むと小さな部屋をいくつも抜けることになり、魔物との遭遇機会も増える。

 普段なら外周沿いに進むところだが、今日は最短コースを進むことにした。


 そうして十分ほど進んだところで、ノズ三匹と遭遇する。

 エレンが別の部屋の偵察に出ていたせいか発見が遅れ、L字型の細い部屋の中央で鉢合わせる形になった。

 それでも先頭のエーメスは盾を構え、三匹のノズ相手に一歩も引けをとらない。

 駆け戻ったエレンも前に飛び出して矢をつがえる。

 見たところ部屋の形状的にエーメス一人では壁を維持するのが難しいかもしれない。

 カプルも前に出して二人で壁を作らせてから、ネールに呪文で仕留めてもらう作戦がいいかな、と思ってネールを見ると、


「行きます!」


 と叫んで突然覚醒状態になった。

 青白く光り輝きながら、詠唱もなしに前方の魔物をまるごと凍りづけにする。

 それだけにとどまらず、今度は雷撃を飛ばして三匹のノズをまとめて粉砕してしまった。

 その衝撃は凄まじく、狭い部屋には爆風が生じてとっさに顔を覆う。

 だが、押し寄せるはずの衝撃波はすんでのところで全て弾かれていた。

 いつの間にか結界が張られている。

 振り返るとテナがすました顔で呪文を唱えた後だった。

 爆風が収まると同時に結界は掻き消えていた。


「やりました、ご主人様!」


 元の姿に戻ったネールが戻ってくる。


「ははは、流石だな、ネール」

「い、如何でしょう、私の術も十分戦力になるかと思います!」


 ちょっとドヤ顔だ。

 それは可愛いし、何より戦力としては十二分なんだけど、はっきり言ってやり過ぎだ。

 ちらりと結界の外にいたはずのエーメスを見ると、ちゃんと下がってがっちり盾でガードしているし、側にいたエレンは苦笑しながら舌を出している。

 どうも、いつもこんな調子みたいだな。

 さて、なんと言ったものか。


「ネール、お前の実力は分かったよ、大したものだ」

「ありがとうございます」


 嬉しそうなネールの顔を見ると、結局、何も言えなかった。

 その後、同じノリで二回ほど戦闘をこなして、地下五階に降りる。


「此処から先は、また騎士に任せよう。彼らの仕事を奪うわけにも行かないからな」

「かしこまりました」


 俺にたっぷりと褒められて、ネールは満足したのだろう。

 おとなしく引き下がってくれた。

 この件はあとでエレンと相談するとしよう。


 結界は五階から六階に降りる階段の手前に張る。

 ここは通路の突き当りで、壁に扉があり、その先が螺旋階段になって五層分ほどつながっている。

 かつては上までつながっていたようだが、ここより上の階段は崩れており、下に降りる階段しか無い。

 騎士の話では、上の出入り口は石で塞がれているので、空をとぶ魔物でもそうそう壁は破れないそうだ。


「では、ここの通路に結界を貼ればよろしいのですね」


 テナは騎士に確認すると、担いできた荷物を下ろす。

 中からは、色とりどりのチョークと紙の束が現れた。


「では、見張りをお願いします。途中で邪魔が入ると面倒ですので」


 それを聞いた護衛役の騎士の一人が歩み出て声をかける。


「お時間の予定はいかほどでしょう。通常、三時間ほどと聞いておりますが」

「そこまではかからないでしょう。幸い、足場もしっかりしていますし、三十分ほどで」

「それでよろしいのですか?」

「まず、大丈夫でしょう。それでは、お願いします」


 そう言ってテナはチョークを手に、床と壁に枠を書き始める。

 ついで何かの模様が書かれた紙の束を取り出し、それを枠の中に一枚ずつ糊で貼っていく。

 最後に、中央に木でできた小さな祭壇を置いて、準備完了となった。


「では、呪文を唱えます。少し下がっておいてください」


 一本道の通路の中ほどに独りで立ち、テナは詠唱を始めた。

 前方の階段側には騎士たちが、手前は俺達が立って彼女を護衛する。


 呪文の詠唱が始まって一分ほどで、貼り付けた紙とチョークで描いた枠が光り始める。

 同時に、あたりに結界特有の不思議な圧力がかかり始める。


「凄いね、こんな簡単に結界を張るのなんて、いつぞやのリースエル以来だね」


 とエレン。


「やっぱり凄いのか?」

「だと思うよ。ちょこっと見ただけなんだけど、例のパエ・タエは一時間ぐらいかかってたし、フューエルや某お姫様は三時間ぐらいかかってたしねえ」

「そんなにか」

「ほら、もう終わるよ」


 エレンの言葉通り、テナの詠唱は終わった。

 実質二十分程度しかかかっていないと思う。


「お疲れ様でした、本日は、一箇所のみでよろしいのですね?」


 テナが騎士に話しかけると、三人の騎士のうち最年長の壮年の男がそうだと頷いてこう言った。


「それにしても驚きました。私は以前より大掃除の際はオズの聖女の護衛を務めさせて頂いておりましたが、あの方にも劣らぬ見事な術、そしてここに張られた結界の穏やかなこと。失礼ながら、あなたほどの術者が未だ名も知られぬままに居られたとは……」

「お褒めいただき光栄ですが、リースエル様の術は、私よりもさらに数段、上を行く物。あの方であれば、見習いの術師が書いたヨレヨレの文様でも、見事に効果を発揮させてしまうでしょう」

「そういえば、聖女はあまりご自分で結界の文様を書かれませんでしたな」

「あの方は、細かい作業がお嫌いなのですよ。それでいて弟子も助手も取らぬものですから」

「確かに、いつもお一人か、青の鉄人や赤光の騎士と言った歴戦の武芸者とともに参られました」

「そのようですね。ところで、できればエームシャーラ様のご様子を伺いに行きたいのですが、ここから向かうことは可能でしょうか?」

「は、少々お待ちください」


 そう言って騎士は連れの僧侶から地図を受け取る。


「予定では、ここから西のフロアで結界を貼っておいでです。直接向かわれるのであれば、一度下に降りてからの方が近いかと」

「では、お手数ですが、お願いできますでしょうか。あの方ともずいぶんお会いしておりませんので、このような機会にでもご挨拶差し上げねば」

「かしこまりました」


 ということで、俺達はちょっと寄り道して例のエームシャーラ姫のところに向かう。

 ミラーの話では、あちらは現在、呪文を唱え始めたところで、あと一時間はかかるだろうとのことだ。

 俺たちはゆっくり目に移動して、小一時間ほどかけて、エームシャーラが結界をはるフロアの真下に出た。


 こちらは円形の大きなホールの中央に螺旋階段があり、上も同様の作りだという。

 下にも螺旋階段は続いており、明日はここに結界を張るのだとか。

 ちょうどここには彼女の護衛の騎士が数人降りて、見張りをしていた。


 こちらの壮年の騎士が、先方の騎士に話しかける。

 相手は赤竜騎士団ではなく、エームシャーラが祖国から連れてきた、アームターム王立騎士団と言う連中らしい。

 それはいいのだが、相手の騎士団の隊長っぽい相手はすごく小さい。

 背が低いとか言うレベルじゃなくて、テナと同じぐらいの体型だ。

 もしかして、テナと同じレッデ族なのだろうか。


 その小さな騎士がこちらに歩いてきて、テナの前に立つと兜を脱ぐ。

 中身はプニッとした可愛いお嬢さんだった。


「余はシロプスじゃ。レッデ七氏族が一つ、レ氏の長にしてアームターム王立騎士団薔薇組の隊長である。苦しゅうない」

「お初にお目にかかります、私はミ族のキナの娘、テナにございます」

「うむ、そなたのことは姫より聞き及んでおる。この地で同胞に会えるとは思わなんだぞ」

「お目にかかれて光栄に存じます」

「姫の術は今しばらくかかる故、ここで待つが良い」


 身長一メートルにも満たない小さな二人が仰々しく会話する姿をぼんやり眺めていると、小さい騎士が今度はこっちにやってきた。

 硬そうな甲冑をまとっている割に、ぷにぷにと柔らかそうに歩く姿がかわいい。


「そなたがクリュウ殿であるな。姫の親衛隊を預かるシロプスと申す、以後、お見知り置きを」

「こちらこそ、よろしくお願いします。私の従者も、お世話になっているかと思いますが」

「うむ、セス殿じゃな。若いが良い腕じゃ。気陰流も以前ほど名を聞かぬようになったが、あれほどの名人がおるとは、さすがは勇者第一の友と称せられた流派だけのことはある」


 そんな感じでシロプスちゃんと挨拶を交わすと、テナがこう言った。


「場所はここで良いでしょう、今から支度をすれば、丁度よい頃合いかと」

「うむ、術のあとは姫もよくお茶を所望される。神霊術師とは、左様なものであるのかな」

「姫は特に、お茶をお好みでございました」


 そう言って、テナは天井越しにじっと眺めていたが、


「あと二十分ほどでしょうか。まずはこの場を清めねば。ミラー、荷物の中から箒を出してください」


 と言って、ホールで御茶会の支度が始まった。

 まず、何かの結界を貼ってから、埃の積もった石畳を箒で掃き清める。

 そこに綺麗な布を引き、持ってきたランプを四方に配してスペースが出来上がる。

 テナは大きなリュックを下ろすと、中から次々と茶器を取り出す。

 どうも荷物の八割方は、お茶のセットだったらしい。


「神霊術の道具じゃなかったのか?」

「神霊術の道具ですよ?」


 とすまし顔で応えるテナ。


「俺にはお茶の道具にしか見えないが」

「術で失った精神力を取り戻すためには美味しいお茶とお菓子が一番なのですよ。お嬢様はお茶よりお酒で回復されるようですが」

「なるほどね。しかし、陶器のカップまで持ってきて割れたらどうするんだ?」

「その為にワタでくるむので嵩張るのですよ」


 テナは話しながら、木箱の中から綿でくるんだカップ一式を次々と取り出す。

 ついでお湯を沸かしながら、支度を整える。

 とてもダンジョンとは思えないな。

 ハイキングでもここまではしないだろう。


「さて、上の方も終わったようです。姫さまをご招待いたしましょう」


 そう言って先ほどの小さな隊長殿にテナが話しかける。


「うむ、では余がお呼びしてまいろう」


 隊長さんが螺旋階段を登りかけたところで、上からエームシャーラが飛び出してくる。


「テナ! そこにいるのはテナなのでしょう!? 私、気配ですぐに分かりましたのよ、術の途中で駆け出したい衝動を抑えるのにどれほど苦労したか」


 そう言って螺旋階段を一段とばしに駆け下りてくる。

 案外、お転婆だな。

 さすがはフューエルのライバルだ。


「まあまあ、姫様。そのようにはしたない」


 テナが言い終わる前に、シロプス隊長が一喝。


「姫っ、そのような振る舞い、まかりならぬと何度申せばわかるのじゃ!」

「黙りなさい、シロプス。これぐらい平気です!」


 終いには三段飛ばしに飛び降りてきた。

 そのままテナを抱え上げると、くるくると回りながら抱きしめる。


「何年ぶりかしら、あなたは小さくなったわね、テナ」

「姫さまが大きくなられたのですよ」

「姫はやめてちょうだい、ここは王宮ではないのよ。以前のようにエムラと呼んでくれないと」

「ではエムラ様。おてんばは程々に、そろそろ降ろしてくださいませ。上からお連れの皆様も覗いておられますよ」


 そう言われて上を見たエームシャーラはコホンと一つ咳払いして、テナを床に下ろす。


「さあ、お茶の支度ができております。お疲れになったことでしょう。まずはお一休みしてくださいませ」


 そう言って一同は席につく。

 あいにくと姫様の方は大人数なので、腰を下ろしたのはテナと姫様と俺、それに双方の護衛を代表して先ほどのシロプスちゃんと赤竜の騎士が一人ずつだ。

 残りは警護を数人残して、手持ちのもので休んでもらう。


「さあ、どうぞ」


 テナが差し出すお茶を受け取ったエームシャーラはお上品にお茶の匂いを嗅いで、


「ありがとう、あなたの淹れるお茶は特別ですものね」

「今朝作った焼き菓子もございますよ。紳士様もどうぞ」


 俺も出されたお菓子を食べながらお茶を飲む。

 うまいな。

 この酸味の効いた味はあれか、以前ヘンボス元貫主のところでエームシャーラと飲んだお茶か。

 つまり、最初から彼女をもてなすつもりで支度してたんだなあ。

 でも、前に飲んだのより、ちょっと甘いな。


「ああ、懐かしいわ、この甘さ。アームタームの特産であるキュール茶を出していただくことは多くても、この砂糖がたっぷり入った奴は、おばあさまとあなたしかいれてくれなかったんですもの」

「ライシャーラ様はお元気ですか?」

「ええ、少し耳が遠くなったけど、まだまだ達者です」

「それは何より」

「あなたはちっとも変わりませんね。おばあさまと同年代とは思えませんわ」

「私どもレッデ族は今が年頃なのですよ」

「そうでしたわね、では、いいお人は見つかりました?」

「さあ、なんとも言いかねますが」

「でしたら、とびっきりの殿方をご紹介……いえ、だけどあなたに釣り合う人物なんて、そうそういないでしょうねえ」

「そのように申されては、見つかる相手も見つからぬではありませんか」

「そうですね、それともすでに心に決めた方がいるとか。例えば、そちらの紳士様とか?」


 そう言ってエームシャーラはいたずらっぽく俺を見る。

 初対面時とはだいぶ印象が違うな。


「それとも、主筋の嫁入りに付き従うのは、あなたでも抵抗があるのかしら?」

「そうですね、以前にもそういうことがありましたが、なかなかのプレッシャーではあります。それに、紳士様も小うるさい姑もどきがおまけに付くとなれば、大切なお嬢様に興ざめなさるとも限りません」

「でしたら、今度こそ私のところに来てくれればよいのに。あなたなら私のブレーンとして、いつでもお迎えしますよ」

「ありがたいお申し出ですが、私は女中という仕事が、たいそう気に入っているのですよ」

「そこは変わらないのですね」


 エームシャーラは優しげに微笑む。


「変わらないことが多いほうが、変わった時の喜びも大きいものですよ」


 テナがお茶をすすりながらそう言うと、


「そうなのかしら。おばあさまは永遠に変わらぬ物を結界を通して見出すのが、神霊術師の真髄だとおっしゃってしましたけれど」

「あの方は、真の神霊術師ですから。私のように、女中が片手間でやる仕事とは、違うのですよ」

「またそう言って。あれから随分修行したけれど、未だにあの頃のあなたの足元にも及ばないと感じているのですよ」

「そんなことはないでしょう。今も下で様子をうかがっておりましたが、とても清浄で、なめらかな結界を張られるようになりました。その若さで見事なものですよ」

「でも、今回はじめてお会いしたパエ様などは、噂に違わぬ見事な術で。あの方はテナの同門なのでしょう」

「そうです。今は亡き我が師スーホーイーデの最後の弟子で、随分とかわいがっていたようですね」

「そうだったのですか。ところで体調を崩されたとの話ですが、お加減はどうなのでしょうね」

「まだご存知ありませんでしたか。お腹に子を授かったと言う話ですよ」

「まあ、それはおめでたい。では、これよりご挨拶に向かわねば」

「ええ、私もそのつもりでしたよ。ご一緒に参られますか?」

「よろこんで」

「お嬢様とも上で待ち合わせておりますので、共に参りましょう」


 テナがそう言うとエームシャーラの表情がピクリと変わる。


「フムルも来るのですか?」

「当然でしょう、なにか問題でも?」

「わ、私は別に……ですが、彼女は嫌がるでしょう」

「さあ、そこまでは私にはわかりかねますが」

「と、とにかく、フムルが来るのであれば、私は……」

「アームタームのエームシャーラ姫ともあろうお方が、いつまでそのようなわがままを仰るのですか?」

「ですから私は別に……ただ、フムルが!」

「では、お嬢様が文句を言わなければよろしいのですか?」

「そ、それは……その。ええ、そうですわ!」

「よろしい。では、紳士様」


 テナは俺に向き直る。

 来た、最近よくある、突然押し付けられる難問だ。


「お話はお聞きになられたでしょう。よろしくおねがいしますよ」

「今の話を聞いて、俺にできることが何かあると思うかい?」

「紳士様が成し遂げてきた偉業の数々に比べれば、大したことではないでしょう」

「フューエルの機嫌を取ることに比べれば、山を削って川を通すほうが、まだ楽だと思うがね」

「そこは見解の相違というものでしょう。それで、お引き受けいただけますか?」


 うーん、参った。

 全然、良い方法が思い浮かばん。

 というか、すぐに思い浮かぶような小手先の話術一つで解決するなら、きっとテナがとっくにやってるだろう。

 つまり答えのない問であり、禅問答みたいなものだ。

 仕方ない、考える時間を作ろう。


「では、期待に応えるべく、先に戻って彼女と話をつけておくよ」


 そう言って立ち上がると、エームシャーラ姫がこう言った。


「でしたら紳士様。あなたからお借りしている従者をお連れください。私はテナとともに参ります。そうだ、うちのシロプスもつけましょう。貴方様に借りてばかりでは、あなたの婚約者に申し訳が立ちませんもの」


 エームシャーラはいたずらっぽく笑うが、それまで黙って控えていた例の小さくてぷにぷにした可愛い騎士は、少し眉をひそめてこう言った。


「我が役目は、姫さまご本人をお守りすることじゃ、それをお忘れか?」

「シロプス、私に恥をかかせるものではありません。紳士様に従者をお借りしておいて、その代わりを務めるとなれば、あなたを置いて他に無いでしょう」

「そういう屁理屈ばかりは達者で。ほんに困った姫じゃわい」


 呆れ顔のシロプスちゃんもかわいい。


「では、シロプス殿。私めの護衛を、お願いできますでしょうか」


 テナに教わった通りの作法で、俺がピシっと依頼すると、かわいいちびっこ騎士は、ニッコリと微笑んで、


「姫の命とあらば、喜んで相努めよう。ドンと任せるが良いぞ」


 胸をそらしてそういった。

 結局、俺達はシロプスという名の騎士とセス、ハーエル、ミラーの五人で一行と分かれて先に地上を目指すことになった。

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