第179話 出産祝い

 俺の住むアルサのゲートはアウル神殿にある。

 ゲートとは、くぐるだけで瞬く間に指定した土地にある別のゲートに移動できるという、魔法の扉だ。

 大抵は役場か神殿などの公共機関にあるが、ゲートの管理はゲート公団という組織が行っている。

 これは先の大戦前から続く国家を超えた組織で、実体は不透明な部分も多い。

 デュースに言わせると盗賊ギルドのようなものだというが、盗賊であるエレンによると、


「あれに比べれば盗賊ギルドなんて公明正大、クリーンなもんさ」

「そうなのか?」

「そりゃあそうさ。だって南方のデールを除けば、大陸のほとんどの国の多くの街、それこそ首都と前線をつなぐ抜け道を一手にしきってるんだからね。国だって強くは出られないのさ」

「というと?」

「極端な話、公団が敵国と組んで、一夜のうちに敵の大兵力を都に送り込んでくるかもしれないわけだからね」

「そりゃあ、ビビるな。でもよくそれで野放しになってるな」

「だから胡散臭いのさ。下っ端の事務員はともかく、上の方はどんな連中が仕切ってるのかわかんないからね。各国の中枢にも深く入り込んでるんだろうさ」

「なるほどねえ」


 ところで、俺はまだゲートを使ったことがない。

 正確には一度あるが、あの時はなんの間違いか、突然日本の我が家に飛ばされたからな。

 その時は偶然こちらに戻れたが、もし次に同じことが起きて戻れないと怖いので、あれ以来ゲートは使っていない。

 そのことに関して、判子ちゃんに確認したいんだけど、力を取り戻した判子ちゃんは最近あまり姿を見せない。

 おとなりでのバイトは続けてるらしいんだけど、たぶん俺を避けてるんだろうなあ。

 今一人の異世界人である本屋のネトックも、連日店を閉めていて、いるのかどうかわからない。

 いずれどうにかしないとなあ。


 それはそれとして、今日はそのゲートに来ていた。

 使いに出ていたレルルがそろそろ戻るので、迎えに来たのだ。

 お供は今日の探索を終えたエレンと紅だ。

 一番レルルの身を案じているように見えた騎士仲間のエーメスも誘ったが、家で待つという。

 俺の従者になる前は私闘まがいのことまでしたレルルとエーメスだが、今でも事あるごとに突っかかっているように見える。

 もっとも、そう見えるのは上辺だけで、端から見てると痴話げんかみたいなものだ。


「あの二人は、ちょっと怪しいぐらい仲いいよね」


 エレンは言うが、俺もそう思う。


「大体、朝も一緒に練習してるし、お風呂も一緒に入るし、ご飯も一緒に食べてるし、そうかと思えばすぐ喧嘩してるし」

「仲が良すぎる姉妹みたいなもんだろ」

「そうなのかな、盗賊はあまりそういう慣れ合いをしないからねえ」

「お前だってフルンやエットに慕われてるだろう」

「あはは、アレは結構、照れくさいもんだね」

「まあなんだ、若い女の子同士がイチャイチャしている姿を眺めるのはいいもんだ」

「旦那の変態趣味は、幅がひろいよね」

「そう褒めるなよ」


 などと馬鹿話をしていると、紅が口を挟む。


「クロからの連絡では、現在、あちらのゲートで団体客と鉢合わせてしまい、順番待ちだそうです。のこり約二十分かと」

「ふむ、じっと立ってるには微妙な時間だな。ちょっとここを見て回るか」


 ゲートのある建物は、床は石畳だが壁は木製の建物で、窓も大きく取られている。

 もっともすでに日は沈んでいるので外はかなり暗い。

 大きな広間の中央には直径二メートル程の白く輝くゲートが有り、一列に人が並んでいる。

 部屋の隅には受付があって、そこで代金を払ってタグを貰う。

 タグとはゲートの目的地を示す目印だ。


「ゲートってのはさ、そのまま入るとどこのゲートに出るかわからないんだってさ。それどころか何もないところに放り出されてお陀仏になることもあるんだって」


 とエレン。


「お陀仏になるのにどうやって確かめるんだ?」

「さあ、まあそこは噂だけどね。あとね、ゲートってのは一度通ってもう一度入ると元の場所に戻るんだよ。つまり体が前の場所を覚えてるってことらしいんだけど、その覚えてるって仕組を利用して、より強い土地の記憶を持つその土地の精霊石で出来たタグを身につけることで、そのタグの示す場所に飛ぶことができるのさ」

「ほほう、よく考えたな」

「ゲート自体は自然発生したものだからね、せいぜいこうやって建物を作って雨風をしのいでやるしかできることはないんだけど、そのタグを使えば行き先は制御できる。つまりゲート公団の仕事は、そのタグの管理でもあるんだよ」

「なるほど」

「ただ、そのタグはあまりに目的地の記憶が強すぎて、ゲートをくぐると必ずそこに出ちゃうんだ。たとえその土地から入ってもね」

「ほほう」

「つまりタグそのものはゲートを使わずに運ばなきゃならない。そこで都みたいに行き来の激しい場所のタグは数も多いんだけど、僻地になると需要がない分、少なくなる。よって利用料も高くなるのさ」

「ははあ、よく出来てるな」

「そうだろ、よく出来過ぎてると、嘘くさいと思うのが世の常だよね」

「そうだな」

「まあ、実際はわからないんだけどね。独占ほど美味しい商売は無いからね。そんなわけで、ゲートは今日も商売繁盛ってわけさ」

「いい話だなあ」


 ぼーっとゲートの利用客を眺めていると、見知った顔があった。

 シルビーの住む学生寮の寮長である……えーと、名前はなんだったっけ?

 男の名前は興味ないからなあ、などと考えていると、向こうから挨拶に来た。


「こんにちわは、サワクロさん」

「おや、君は確か学生寮の……」

「ワンザンです。その節はお世話になりました」

「いやいや、こちらこそ世話になったね」

「サワクロさんもご旅行ですか?」

「いや、今日は連れが帰ってくるので出迎えだよ」

「そうでしたか」

「君は旅行かい?」

「今日で今季の授業が終わりましたのでこれから帰省です。例年より少し早いのですが、弟が都に進学することになりまして、その祝いのために早めに帰ろうかと」

「それはおめでとう。君同様、優秀な学生になるだろう」

「ありがとうございます。それでは」


 そう言って列に並びに行った。

 彼も絵に描いたような好青年だなあ。


 しばらくすると、ゲートのほうが騒がしくなる。

 何かと思えば、ゲートから出てきたクロをみた冒険者が驚いて声を上げたようだった。


「ガ、ガーディアン! 何故こんなところに」


 動揺しながら腰の剣を抜く戦士に、のんきそうに話しかけるレルル。


「おっとそこの御仁、これなるは自分の相棒のクロであります。人畜無害でありますから、心配無用でありますよ」

「ジンチクムガイ、テンチムヨウ、カナイアンゼン、ショウバイハンジョウ、ハローコンニチワ」


 合わせてクロもいい加減な挨拶を飛ばす。


「しゃ、喋った!?」


 混乱を聞きつけて騎士が一人やってくる。

 顔を見せたのはお馴染みのモアーナだった。

 どこにでもいるな、彼女。


「何事です? ゲートの前で立ち止まらないでください、ってレルルではありませんか!」

「おや、モアーナ、お勤めご苦労であります」

「何をやっているのです、そちらの冒険者の方もどうなさいました?」


 と聞かれた冒険者はまだ混乱したまま、


「ガ、ガーディアンが……」

「ガーディアン? ああ、この子は大丈夫ですよ。手を出さなければ襲ってきたりはしません」

「し、しかしガーディアンだぞ!?」

「ガーディアンは守護する遺跡を荒らさなければ襲ってきませんよ。あなたも冒険者であれば、それぐらいのことはわきまえておくべきでしょう」


 さも当然といった顔で語るモアーナだが、彼女もうちで初めてクロを見た時は驚いてたけどな。


「そ、そうなのか?」

「そうです。さあさあ、ここは他の利用者の邪魔になります。用が済んだらお引取りを」


 そう言ってモアーナは混乱をあっという間に収めてしまった。


「やあ、モアーナ。うちのもんが迷惑かけたみたいだな」


 俺が歩み寄ると、


「あら、サワクロさん。お見えだったんですね」

「そいつらの出迎えにね。二人とも、ご苦労だったな」


 と帰ってきた二人を労う。


「これはご主人様、出迎え、痛みいるであります。皆、変わりないでありますか?」

「おう、みんな元気だ。首尾は後で聞かせてもらうとして、とりあえず帰るか」

「そうするであります。昨夜もろくに眠れずにヘロヘロでありますよ」


 それを聞いたモアーナがレルルに、


「一体、なんの悪巧みをしてきたんです?」

「悪巧みとは人聞きの悪い。主の密命を帯びて、重要な使命を果たしてきたでありますよ」

「そうですか。それよりも、年末にハウオウルが休暇を取るので、一緒に食事でもと言っていましたけど」

「ななな、なんですと! 自分は忙しいであります、お断りであります」

「何を言ってるんです、聞くところによると、だいぶ彼女に迷惑をかけたんでしょう。ちゃんと借りは返したんですの?」

「いや、それは……その」

「私も楽しみにしていますから、都合をつけておいてくださいよ」

「うぐぐ、しかし、自分は……」


 そこで俺が、


「よし、俺が必ず行かせるよ、安心して彼女にも伝えてくれ」

「ありがとうございます、サワクロ様」


 礼を述べるモアーナと別れてゲートの施設をあとにした。


「改めてご苦労さん」


 レルルに声をかけると、彼女は恨めしそうに俺を睨む。


「うぐぐ、労いなどなくとも主人のためなら一命を賭す覚悟でありますが、何故にこのような仕打ちをなさるのでありますか」

「何言ってんだ、ご褒美だろ。旧友と互いの無事と成長を祝って楽しく食事してこい」

「そのような無理難題を……」

「お前、ハウオウルちゃんのことが嫌いなのか?」

「え!? 何故に突然そのようなことをお聞きに……」

「いやあ、どうしてもダメなら、俺も無理強いはしないんだけどな」

「いや…その、自分は……自分ではなく彼女がでありますな」

「彼女が?」

「じ、自分を嫌っているのではないかと」

「なぜだ?」

「それは、話しかけても無視をするでありますし、そうかと思えば槍や馬で競うというより、むしろ自分めがけて突っかかってくるでありますし」

「ふむ」

「はじめは自分も、モアーナ同様、仲良くしようとしたでありますが、彼女の場合はちっともうまく行かんでありました。これはもう、嫌われているとしか思えないであります」


 まあ、どう考えても双方の人付き合いが下手過ぎた結果だと思うんだけどな。

 その点モアーナはコミュ力高そうだからなあ、どちらともうまくいくんだろう。

 さて、この不器用で可愛い従者が、どうやれば友人と仲良くなれるのか、考えてやらんとなあ。


「まあ、あまり深く気負わずにのんびり行って来い。モアーナもいるんだ、変な事にはならないさ」

「うぐぐ、まあ、ご主人様が言うなら」

「それよりも、早く帰って結果を聞かせてくれよ。皆待ってるぞ」

「そうでありますか」

「特にエーメスなんかは我が事のように心配していたな」

「どうせ、なにか自分がポカをやらないかなどと考えていたに決まっているであります。自分もそろそろ成長したであります」


 ほんとコンプレックスの塊だな。

 まあいいか。

 家に帰ると待ち構えていたエーメスが飛んで来る。


「レルル、怪我はありませんか? 首尾はどうでした? 道中、トラブルは?」

「なんでありますか、過保護な母親のように。見ての通り、五体満足でありますよ」

「そ、そうですか。では、お風呂の支度ができています。まずは旅の疲れを癒やしては」

「むう、そのようにされると帰って不安になるであります。一体、何故にそのような態度を……は、なにか自分に後ろめたいことが!」

「ちが、べつに……その」


 そこで俺が口を挟む。


「馬鹿だなあ、エーメスはお前の無事を祈って、朝晩探索の合間に祈ってたんだぞ」

「ご、ご主人様、それは……」


 と照れるエーメス。


「な、何故にそのようなことを!?」


 と驚くレルル。


「そりゃあ、お前が心配だからだろう」

「自分はそこまで頼りなく見えるでありますか!」

「頼りに見えたから頼んだに決まってるだろう。ダメだと思えば他にお供をつけてるよ」

「そ、それならば……」

「頼りになろうが、どれほど強かろうが、離れて顔が見えないと不安になるだろうが。お前は向こうで家族のことをこれっぽっちも思わなかったのか?」

「いえ、それは……その」

「な、それだけのことだよ。わかったらまずはひと風呂浴びてこい。エーメス、たっぷり背中を流してやれ」

「はい」


 そう答えると、エーメスはいそいそとレルルを風呂場に引っ張っていった。

 仲が良くていいねえ。


「クロも一緒に綺麗にしてもらってこい」

「了解、ボス」


 そう言ってクロも風呂場に歩いて行った。




「まあ、まずは一杯」


 レルルのグラスに酒をついでやる。


「これはわざわざありがたいであります、いただくであります」


 そう言ってレルルはなみなみと注がれたエールをグビリと空ける。


「ぷはー、生き返るでありますな」

「それで、首尾はどうだった」

「滞り無く……とは言いがたいでありますが、無事に終わったであります!」

「そうか、まずはよかった。で、どこが滞ったんだ?」

「えーとでありますな、順をおって話しますと……」


 馬を飛ばして昨日の夕方には例の洞窟についたレルルは、そこで待ち構えていたガーディアン二百体と合流する。

 レルルがついた時には俺達が寝泊まりした横穴のところにガーディアンがみっしりと詰まっていて、


「こう、あのスペースにワラワラと四つ足のガーディアンがひしめいている姿はいささか。あれが全て敵として現れたらと思うと……、あ、いや、これは失言でありました」


 側で聞いていたクメトスに気を使って言葉を打ち消す。


「大丈夫です。あれは私の不覚。あの時は名誉と使命のもとに死ぬる覚悟でしたが、主人を得た今、決して崩れぬ盾として、死をも退け主人と仲間を守りぬく所存です」


 クメトスは淡々と語る。

 一度死にかけたんだから、そんな簡単に割り切れるものでもないと思うが、クメトスの一途さはこういうところでは強みになるのかもなあ。


「さすがはクメトス殿であります。それで、話を続けさせていただきますが……」


 ガーディアン達が出てくるために掘り返した穴は再び埋め戻し、なるべく痕跡を残さぬようにしてから、日の沈むのを待って森の道を行進した。


「僅かな明かりを頼りに進む森は、いささか物騒ではありましたが、こちらは二百体からのガーディアンが付いているでありましたからな、たとえ魔物の一軍が現れようともへっちゃらでありますよ」

「そりゃ頼もしい」

「などと思っていたら、突然自分の背後からギアントが襲いかかってきたであります」

「襲われたのかよ」

「どうも自分一人だと思ったようでありますな。明かりは自分しか持っていなかったでありますし、ガーディアン達もことさら物音を立てぬように進んでおりましたので」

「なるほど」

「で、ギアントが三匹、茂みから飛び出してきたでありますが、瞬く間にガーディアン達に取りつかれて、こう、なんというか見るも無残に押し倒されて、ボコボコのぐちゃぐちゃに……」

「ああ……」

「そのようなことがありながらも、森を抜けて街道に出たであります。すでに時刻は0時に近く、通りには人影もありません。今のうちにと街道を進み、海岸へと続く脇道に入ったであります」

「ふぬ」

「地図によるとこのさきには小さな漁村があるのみ。その脇を抜けて海岸に出る計画でありました」


 どうにか海岸にたどり着き、順番にガーディアンたちを海に入れる。

 その姿はまるで孵ったばかりのウミガメのようだったとかなんとか。


「半分ほど送り出したところで、急に叫び声がしたであります。何事かと振り返ると、少し離れた漁村の方が赤く光っていたであります。慌てて駆け寄りますと、小屋の一つから火の手が上がり飛び出してきた漁民たちも大騒ぎに」

「火事か」

「火の不始末だったとか。それで小屋の中には赤子と老人が取り残されていると聞き、後先考えずについ飛び込んだ所、すでに火の手は周り屋根は崩れかけてこれはまずいのではないかとさすがの自分も焦ったであります、あはは」

「あはは、じゃないだろう」

「幸い、残ったガーディアン達が退路を確保してくれたので、無事に助けだすことができたでありますが、結果的に人に見られてしまったでありますな」

「騒ぎにはならなかったのか?」

「大丈夫であります、漁民たちはガーディアンを見たことがないので、その場は自分の使役する精霊を宿した人形だと言っておいたでありますよ」

「なるほど」

「普段もクロを見咎めた人にはそう言ってるであります。まあガーディアンを知っている連中にはなかなか通じないでありますが」

「ふむ」

「その後は漁村で歓待を受けそうになったでありますが、まだ使命の途中でありましたので理由をつけてその場を離れ、残りのガーディアンを海に放したのちに再び帰路についたであります」

「そうか、ご苦労だったな。それでガーディアン達は順調に進んでるのか?」


 今度はクロに聞くと、


「微妙ナ状況。海上ハシケガ酷イ、海底ヲ歩行中。予定ヨリ遅レテル」

「ふぬ」

「三体、ハグレタ。一体ハ海流ニ乗ッテ流サレタ。二体ハ大型生物ニ食ワレタ」

「食われたって」

「運ガ良ケレバ、尻カラ出ル」

「いいのか、それで」

「ガーディアン、ソウソウ死ナナイ。気ニスルナ」

「するだろう、普通」

「状況ガ判レバ、支援ヲ出ス」

「うん、そうしてくれ」

「了解。到着ハ三日後の予定」


 とのことで、まあ概ねうまくいってるようだ。

 その後、改めて二人をねぎらい、次の日のことだ。


 その日はフューエル達に付き合って探索をして、午後は買い物に出ていた。

 明日、巨人のメルビエの実家に、皆で出産祝いに行くので、そのお祝いの品を買い求めるためだ。


「普通ならおむつなどの赤子用品を贈るところなのですが、巨人用となると街のお店で買うわけにも行きませんし」


 とフューエル。


「そもそも、日用品からして使えないもんな。うちもメルビエ用にカプルが一通り食器なんかを作ったぐらいだからな」

「それで、紳士様は何を用意されたんです?」

「うちは赤ん坊をあやすおもちゃをな」

「そうですか。では無難なところで、健康祈願のお守りでも買っていきましょうか」


 ということで、参道にある土産売り場でお守りを買い求めるために列に並ぶ。


「あらー、混んでますねー。ぞろぞろ行くと迷惑ですしー、誰か代表して並びますかー」


 とデュースが言うと、


「では私が」


 エーメスが名乗りを上げるが、そこでレーンが、


「やはりお守りはあげる人が思いを込めて買うものです。ご主人様とフューエル様に代表していっていただきましょう。よろしいですか?」


 というので、二人で並ぶ。

 神殿は混み合っているが、空には雲一つなく、冬の重苦しさを感じさせない青空だ。


「よく晴れてるな」

「ほんとうに。さっきまで潜っていたダンジョンがウソのようですね」

「まったくだ。冬でもジメジメしてるし、さっさと終わらせたいもんだな」

「そうですね。それにしても……」


 フューエルは周りを見渡す。

 周りは俺たち同様お守りを買い求める人の列なのだが、よく見ると若いカップルばかりだ。

 お腹の大きい妊婦や、泣き叫ぶ赤子をあやす男などがぞろぞろと並んでいる。

 もしかしてレーンにはめられたのではなかろうか。


「これは……なんというか、居心地が悪いものですね」

「そうかな?」

「あなたはなんともないのですか?」

「いや、べつに。ちょっと照れるかな」

「何故照れるのです」

「なんでだろう……」

「もう……知りません!」


 赤くした顔を背けるフューエルは結構可愛いな。

 そうこうするうちに俺たちの番が来た。


「ようこそ、アウル神殿へ。子宝祈願かい? それとも健康祈願かね?」


 年配の巫女さんが景気よく尋ねると、フューエルは珍しく取り乱して、


「あ、いえ、その……こ、子供が……」

「生まれたのかい? それともこれから授かるのかい?」

「あ、いえ、そうではなくて……ですね」


 珍しく取り乱すフューエルが面白いので、もうしばらく見ていたかったが、代わりにフォローしてやった。


「今日は友人の出産祝いでね」

「あら、そうですかい。じゃあ健康祈願だね。あんたらはまだなのかい?」

「あはは、残念ながら俺たちは別に……」

「じゃあ、子宝祈願も買って行きな、ご利益があるよ」

「え、いや、しかしそれは……」

「大丈夫、彼女も安産型のいい尻をしてるよ。立派な子が埋めるから、焦らず頑張るんだよ。はい、まいどあり」


 と強引に買わされてしまった。

 列に押し出されるように隅っこに這い出すと、呆れた顔のフューエルに叱られる。


「そんなものまで押し付けられて、どうするんですか?」

「どうと言われても、あのおばちゃん、押しが強すぎて」

「まったく……」


 そう言って受け取ったお守りを取り出すと、中にはネックレスが二つ、はいっていた。


「子供向けのおもちゃのような作りですね。装飾品としては安すぎるので当然でしょうけど。でも、石は本物の精霊石のようですね」

「どれどれ」


 と一つ手にとって見る。


「ははあ、たしかに。こんなので御利益あるのかな?」

「あれだけ売れているということは、多少はあるのでは?」

「そんなもんか」


 どうしたものかと悩んでいると、フューエルはおもむろに自分の首につけ始めた。


「つけるのか、それ」

「買ってしまったものは使わないともったいないでしょう。まあ、ドレスでなければさほど違和感は……」

「いや、そうじゃなくて……欲しかったのか、子供?」


 あっけにとられて、つい余計なことを口走ってしまう。


「なっ! ち、違います! 別にあなたの子がほしいとか、そういうわけではっ!!」


 慌てて外そうとしたところに、向こうからウクレが走ってきた。

 それを目にしたフューエルはそのままペンダントを襟元にしまいこんだ。


「先生! ご主人様! よかった、こちらにいらしたんですね。姿が見えないから……」

「ご、ごめんなさい、ウクレ。ちょっと人混みに流されてしまいまして」

「いいえ、それよりも大丈夫ですか? 顔が赤いですけど」

「ちょっと人混みに酔ったようです。少しどこかで休みましょうか」

「はい。みんなあちらの茶店の前にいます」


 ウクレの後について歩いていると、ふとペンダントを握りしめた手が汗ばんでいるのに気がついた。

 柄にもなく、意識しすぎて緊張してたか。

 こういうのも、新鮮でいいなあ。

 などと考えながら、そっとポケットにしまいこんだ。




 家に帰ると、アンたち家事組は、ちょうど仕事の合間の休憩中だった。

 テナが来てから、かなり効率というか、段取りが良くなったようで、アンに言わせると、


「仕事量の見積もりが正確になったとでも言うのでしょうか、今まで漠然と執り行っていた仕事が、きちんと想定した時間に終わるようになりまして。そうなると、例えば仕事の割り振りなども滞りなくできるようになって無駄な待機時間などもできず、結果的に早く仕事が終わるようになりました。全体的に無理が無くなった気がしますね」


 とのことだ。

 こんな短期間で変わるもんだねえ。

 テナにはいずれしっかりお礼をしておかないとな。

 で、アンはモアノアと一緒にお菓子を食べながら新聞を見て盛り上がっていた。


「おかえりなさいませ、早かったのですね。明日のおみやげは買えましたか?」

「ああ、一応ね。それより、なにか新聞に載っていたのか?」

「そうなんです。昨日、ここから東の海で、大型の漁船が転覆する事故があったのですが」

「そりゃあ大変だな」

「転覆時に船の中にいた漁師が数名逃げ遅れて沈んでしまい、もうダメだろうと……」

「気の毒に」

「ところが今朝の新聞では、逃げ遅れた人が海岸で並んで倒れていて、死体が上がったのかと駆けつけると全員生きていたと」

「ほう、不思議な話があるもんだな」

「それがですね、助かった内の一人に聞くと、海の中で謎の生物に救われたとのことで」

「ほほう」

「曰く、ひっくり返った真っ暗な船室に閉じ込められ、流れこむ海水の音だけが響く中で必死に女神に祈りを捧げていると、突然扉が開いて、光を放つ白くて四角い何かが押し入ってきて」

「ははあ、白くて四角いね」

「はろー、おじょうさん。海水浴か。そうでなければついてこい、とかなんとか」

「ははあ、はろーね」

「そうして、その何かに助けだされて気がついたら海岸で倒れていたと。これはその、アレですよね」

「ははあ、まあ、なんだ。無事でよかったな」

「他にもこんな記事が。先日、クルキ村の漁師の家から出火し、家人が取り残されるも謎の木人が救いだした。木人を使役する旅の騎士は名も継げずにその場をさり、云々と」

「ははあ、運の良い漁師さんだな」

「ははあ、ではありません。もう少し真面目にお聞きください」

「そうは言っても、しょうがないだろう。人助けは目立つもんなんだよ」

「そうなんでしょうが……」


 そこに配達に行っていたレルルとクロが帰ってきたので問いただすと、


「ソノヨウダ。困ッテイル人ハ、助ケル。コレ、ガーディアンノ嗜ミ」


 とクロ。


「そうか、まあよくやった」

「ウム、ソレデ、マタ五体ホド行方不明」

「大丈夫なのか?」

「海ノ底、オ魚イッパイ。ガーディアン、好奇心旺盛、目移リスル、誘惑タクサン。美女ノ前ノ、ボスト同ジ」

「なるほど、そりゃしょうがねえな。それで、今のところ順調なのか?」

「概ネ、順調、健ヤカニ、歩ミ寄ル、我ガ同胞ノ影」


 なんかホラー映画みたいだな。

 まあいいや、どうにかなるだろう。


 改めて暖炉の前に行くと、今日もフューエルはガブガブとワインを飲んでいたが、俺と目が合うと、微妙に頬を染めて視線をそらす。

 可愛いじゃねえか。

 あのお守りは、大事に身につけとくとしよう。




 翌日は朝早くから支度を整えて、メルビエの実家に出かける。

 同行するのは年少組の大半と、探索に入っていたエーメス組。

 そして、もちろんフューエルも一緒だ。

 昨日の今日で、顔を合わせづらいなあと思ったが、フューエルの方はすっかりいつもどおりで拍子抜けした。

 意識してたのは俺だけかよ!

 まあ、気にしても仕方ないので、雑談などをしてみる。


「探索の方は、休んでも大丈夫だったのか?」

「そろそろ一週間。一日ぐらいは休みを入れないとあとが続きません。これからが本番なんですから」


 とのことだ。

 それに巨人であるオムル族の村はフューエルの実家の領地なので、祝いに行くのは別に不思議でもないしな。


 フューエルの用意した二台の馬車に分乗し、思いの外の大人数で村に向かう。

 馬車はゆっくりペースで時間をかけて進む。

 俺達の方は大きな馬車で年少組の他にフューエルとデュースが乗っている。


「巨人の赤ちゃんって、でっかいのかな?」


 エットが素朴な疑問を口にすると、オーレが手を広げて、


「でかい、これぐらい! たぶん!」

「でも、メルビエそこまででかくないよ? 十倍ぐらい」

「ロングマンでかい。人間の百倍でかい」

「百倍はない、えーと、五十倍ぐらい」


 そこでフルンが、


「えー、ロングマンは四倍ぐらいだと思う」

「そんだけ?」


 と驚くエット。


「だって、うちの屋根よりは低いでしょ。だから十メートルはない。メルビエが三メートルぐらいでその倍よりはちょっと長いから、たぶん七メートルとかそれぐらい。人間の身長が二メートルはないから、1.7メートルだとすると、四倍で、えーと6.8メートルだからちょうどそれぐらい!」

「すごい! 博士みたい!」

「算数たのしいよ! ちゃんと勉強しとくと便利」

「うー、あれむずかしい。頭痛くなる」

「えー、そうかな?」

「数字いっぱいで分かんない」

「あのね、頭のなかで数字全部思い浮かべるの。剣を素振りしてる時と一緒。全部頭に浮かべてそこに置いとくの。目を開けてても目に見えない頭のなかを見えるようにしておけば、そこを見ながら計算できるからいくらでもわかる」

「素振りしてる時、そんなこと考える余裕ない!」

「必死に振ってる時でも、まだ余裕あるぞって思うの。もう限界だぞって思ってると、頭も体も動かなくなるから、これぐらいへっちゃらって思ってると、ちょっとだけ余裕ができるから、そこで考えるの」

「うーん、よくわかんないけど、次からやってみる」

「うん!」


 フルンは素振りしながらそんなことしてるのか、凄いな。

 まあでも、頭で思い浮かべるってのはなんとなくわかるな。

 そろばんの暗算がそんな感じだった。

 脳内にそろばんを思い浮かべて、それを弾くんだよな。

 ちょっとだけ子供の頃やったことがあるけど、もう忘れちまったなあ。

 フルンはきっと、あの脳内イメージが更に強力なんだろうな。

 そこで、俺の対面に座っていたフューエルがフルンに向かってこう言った。


「フルンは算術が得意なのですね」

「うん、ご主人様にいっぱい教えてもらった。最近は、ミラーが教えてくれる!」

「まあ、紳士様が?」

「うん! ご主人様はね、算数とか宇宙とか原子とかいっぱい知ってる!」


 フルン、それ以上喋るとまずいぞ、よすんだ。


「あと、美味しいものもいっぱい知ってる!」

「たしかに、美味しいものは随分知っているようですが」


 よし、ここで話をそらそう。


「うまいものの話なら任せてくれ、今日もいろいろ持ってきてるんだ。ついたら向こうで食べよう」

「まあ、それは楽しみですね。今日はどのようなものを?」

「あずきと言う……どこだったかな? 南方で取れる豆なんだが、これにたっぷりの砂糖を入れて、さらに隠し味に塩を入れて煮詰めるんだ。それをスープのように飲んでもいいし、団子をいれても良い。今日は水分を飛ばしたものを、パンに詰めて焼いてある。アンパンって名前だが、少しぱさついたパンの食感にねっとりと絡まる甘い餡が、これまた絶品で……」

「またそのような美味しそうなものを。聞いているだけで食べたくなるではありませんか」

「俺も自分で言ってて食いたくなってきた。ちょっと味見するか」


 とフルンが抱えている包みに手を伸ばすと、フルンにピシャリと叩かれた。


「だめ! これは後でみんなで食べるの! 私も我慢してるから、ご主人様とフューエルも我慢しなきゃダメ!」

「ほんと、よく出来た従者ですねえ」


 フューエルがしみじみとつぶやくと、馬車が大きく揺れる。


「なんでしょうか?」


 とフューエルが外を覗く。


「どうも、道がぬかるんでいるようですね。ここ数日暖かかったので、雪で凍った地面が溶けたのでしょう。この先も揺れそうですから、しっかり捕まっていなさい」

「はーい」


 と年少組が一斉に返事を返す。

 どう見てもお母さんだよなあ。

 馬車は速度を落として慎重に進むが、ぬかるんだ道は結構揺れる。

 揺れるとだんだん気持ち悪くなってきて、どうにか村についた時には、俺を含め数人が車酔いになっていた。


「大丈夫、ご主人様?」


 元気そうなフルンが心配してくれるが、


「まあ、どうにか……」

「フューエルもしんどそう」

「まあ、どうにか……」

「あはは、フューエルとご主人様、同じ返事してる」

「別に、そういうわけでは」

「あ、メルビエだ! おーい、きたよー!」


 俺たちのことはほっといて、メルビエの方に走っていった。

 久しぶリに訪れた村はすっかり雪化粧に覆われていた。

 静かな山間の小さな村は、建物がどれも大きく、行き交う村人もまた大きい。

 ロングマンは特別大きいのだが、巨人たちは平均すると四、五メートルはある。

 ギアントやノズのような大型の魔物も、どんなに大きくても三メートルはないので、その差は大きい。

 この村の巨人は皆温厚とはいえ、かなりの威圧感だ。

 それはそうと巨人が街にいると、でかいのがいるって気になるんだけど、巨人の村に自分がいると、自分が小さいって気になるんだな。

 こういうのも相対的な感覚なんだなあ。

 そこにどすどすと歩いてきたメルビエが、俺達を出迎える。


「ご主人様、おぜう様までご一緒に。よう来てくれただな」

「めでたいことですもの、オルビエの調子はどうですか? 初産だと大変だったのでは?」


 とフューエル。


「んだ、ありがてえことに、安産ですぽーんっと生まれただぁよ」

「それは何よりです。ロングマンはどうしています? 彼も娘のこととなると急に人が変わってしまいますから」

「んだなぁ、生まれるまではこの世の終わりみてえな顔で、あにさんより動揺してただども、孫の顔見て、やっと落ち着いただべ」

「それはなにより」

「立ち話も何だべ、今はおとうの家の方にみんな居るだで、ついてくるだ」


 一行はぞろぞろと巨人の村を進む。

 我が家も元が倉庫なので個人の家としてはかなりでかいが、こっちはただの農具小屋でさえも三階建の住宅サイズはある。

 その巨人たちの中でも特にでかいロングマンことメルビエの父親トルボンの家は、とにかくでかい。

 玄関からして、仰ぎ見るようなサイズだ。

 建物の中は廊下まで暖かく、たぶん赤ん坊対策が万全なんだろう。


 奥に通されると、巨大なベッドにはメルビエの姉のオルビエが赤ん坊を抱えていた。

 そのとなりでは、ロングマンがオタオタと手振りで何かを訴えていた。

 どうやら、赤ん坊が今、寝付いたところらしい。

 屈強な戦士も、孫の前では型なしだな。


「おめでとう、オルビエ」


 フューエルは赤子を起こさないように小声で話しかけ、俺がプレゼントを贈る。


「ありがとぅごぜえますだよ、紳士様、おぜうさま」

「可愛い子ね。あなたも調子はどうですか?」

「んだぁ、乳もでるし、だいじょうぶだぁよ。この子もよう泣くだ」

「ふふ、よかったわ。これから寒くなるけど、気をつけてくださいね」

「今頃うちの人が必死に薪の用意してるだぁよ」

「じっとしていられないのでしょう。赤子を起こしてはいけません、私達もそろそろ下がりましょう」

「もうしわけねぇだ。おとう、ここはいいから、おぜうさまがたのお相手をしてくだせぇ」


 オルビエや赤子と別れて、隣の部屋に移る。

 そこではメルビエが人間の来客用に、小さなテーブルなどを用意してくれていた。


「ちいと待ってくんろ。なんせ近所のもんが入れ替わり立ち替わりで、ご主人様たちの準備する暇がなかっただぁよ」

「まあ気にすんな。それよりも元気そうでよかったよ」


 どすどすとメルビエが出ていき、代わりに近所のおばさんがやってきて、料理などを用意してくれた。

 どうも赤子が生まれてからずっと近所の連中が入り浸ってるようだな。

 小さな村だと、こんなものか。

 お祝いに来たはずの俺達が逆に歓待を受けるのもどうかと思うが、俺やフューエルの立場を考えると、迷惑をかけない程度にサービスされておくのも仕事かもしれないなあ。

 そういう心構えも、テナに教わったばかりだし。

 テナによる花婿修行は、最後の仕上げが残ってるんだが、今のところなんの手がかりもない。

 さてどうしたものか。


 そんなことを考えながら、暖かい部屋でいい塩梅にほろ酔い気分になり、夜風を求めて少し外に出てみる。

 庭にはベンチなどもあるが、どれも巨人サイズで俺が座るにはでかすぎる。

 代わりに積み上げられた手頃な煉瓦塀に腰を下ろした。

 すでに太陽は山向こうに消え、足元は暗い。

 雪に覆われた渓谷の東側は、僅かな残光で赤く輝いていたが、それももう消えそうだ。


「元気な赤ん坊でしたね」


 突然の声に振り返ると、グラスを手に持ったフューエルがいた。

 そのまま俺の隣に座る。


「この村に来るたびに、自分が小人になったみたいで、少しワクワクするんですよ」

「ここでは彼らが大きいんじゃなくて、俺達が小さいんだよな」

「ええ、そのとおり」


 そう言ってフューエルは笑う。


「あの子を見ていると、エマが生まれた時のことを思い出してしまいました」

「ほう」


 エマとはフューエルのちょっとおしゃまな姪っ子のことだ。


「まだ、デュースと旅に出る前だったでしょうか。こんな小さなものが自分や大人たちのように育つのかと、驚いたものです」

「たしかに」

「あの時の義姉は今の私より五つも若かったんですよ? 母が私を産んだ歳は六つも!」

「うん」

「以前は親戚が集まる度にそろそろ覚悟を決めろとかそんなことばっかり言われてたのに、最近はめっきりなくなって」

「ほう」

「先週などはとうとうお祝いまで頂いてしまったんですよ? どうしてくれるんですか!」

「いや、俺に言われても」

「だいたい、あなたがいつまでも!」

「俺が?」

「……なんでもありません!」


 そう言って背を向けたフューエルの顔はちょっと赤く染まっていた。

 飲み過ぎたんだと思っておこう。

 気がつけばすっかりあたりは暗くなり、建物から漏れる明かりのほかは、天に煌く星だけが俺たちを照らしていた。


「すっかり暗くなっちまった、冷えるしそろそろ中に入るか」

「ええ、余計なことは忘れて飲み直すとしましょう。なにせめでたい日ですから」


 そう言って空になったグラスを眺める。


「そりゃあ、ごもっとも」


 そう言って先に立ち上がった俺が手を差し出すと、フューエルは半分伸ばしたところで引っ込める。


「あいにくと、助けがいるほど酔っていませんの」


 そう言って勢い良く立ち上がると、勢い余ってよろめき、俺にタックルをかましてきた。

 とっさのことで、俺もおもいっきり抱きとめてしまう。


「大丈夫かい?」

「え、ええ……どうにか」


 それだけ言って、彼女は身動きしない。

 いつもならすぐに俺を突き飛ばしてでも離れるだろうに。

 なんかドキドキしてきたぞ。


「やっぱり……少し酔ってるのかも」


 そう言って俺を見るフューエルの顔は、少し上気している。


「普段はもっと強いだろう」

「あら、紳士様ともあろうお人がご存じないんですの?」

「なにがだい?」

「女は、お酒以外に酔うこともあるんですよ」

「君が思ってるほど、俺は女性に詳しくなくてね」

「ええ、特に私のことは何もご存じない様子」

「男は知らないことが多いほうが、心安らかにいられるんだよ」

「でも、私が今どうして欲しいかぐらいはお分かりになるんでしょう?」


 そう言って目を閉じるフューエル。

 俺は彼女を抱く腕に少し力を入れて、顔を近づける。

 彼女の吐息を頬に感じる。

 更に近づくと体温まで感じられる気がする。

 すごく彼女が近い。

 これ以上近づくと……。

 ええい、男は度胸だと目をつぶった瞬間、


「おぎゃあっ!!」


 とすさまじい鳴き声が響く。

 とっさのことに驚いて、フューエルはグラスを落としてしまった。

 地面に落ちてガラスが割れる音で、俺達は魔法が解けたかのように我に返る。


「た、大変、グラスを割ってしまいました」

「あ、うん、そうだな」


 まるでついさっきの事がなかったかのように白々しく振る舞う俺たち。

 これじゃあ中学生のカップルみたいだな。


「拾わないと、誰か間違えて踏むと危ないでしょう」

「しかし、暗いと見えないぞ」

「では、魔法で……」


 フューエルは懐から小さな封筒を取り出し、中から何かの粉を地面にばらまく。

 そうして呪文を唱えると、地面がぼんやりと輝きだした。


「へえ、そんな魔法があるのか」

「精霊術というものですよ。デュースに習った火炎魔法は、あまり芽が出なかったので、他を色々試したものです」

「勉強熱心なんだな」

「ええ、早く一人前になって、デュースとともにもう一度旅をしたかったのですよ」

「それで神霊術も学んだのかい?」

「いいえ、そちらはどちらかと言うと……」


 そう言ってフューエルは急に顔をしかめる。


「さあ、戻りますよ」


 割れたグラスを拾い集めて、フューエルはさっさと中に戻ってしまった。

 何か地雷を踏んじまったか。

 今のフューエルがあそこまで怒るネタといえば、例のエームシャーラ姫のことか。

 やっぱり、先にこちらの宿題を解決するのが先だよなあ。

 ふーっと溜息をついて空を見上げると、とても綺麗な星空が広がっている。

 俺は少し身震いしてから、小走りに家に戻った。

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