第168話 赤と青 後編

 先ほどの広間には、所々にガーディアンの残骸が残る他には何もなかった。

 ただ、無数に散らばる残骸だけが、クメトスの奮戦ぶりを物語っていた。

 竪穴の方まで戻り探すが、クメトスの姿はない。

 クメトスの部下たちも何度もその名を呼んでいたが、やがて泣き出してしまった。

 おかげで俺の方は泣きそびれてしまったようだ。

 諦めようとも言い出せず、竪穴と広間の間を歩きまわっていると、突然目の前に赤い塊が現れる。


「ねえ、終わった? 終わった? 早く行こう、行こう」


 真っ赤に燃える炎の少女が、退屈したように話しかけてくる。


「あ、ああ。そうだったな、すまない。だけど今は……」

「ネールが待ってる、待ってる」


 そう言って火の玉少女は俺をグイグイと押す。

 そうして広間まで戻ってきたところで、思い出したようにこう言った。


「そうだ、さっきここで誰か寝てたから、ネールのところ、連れて行った、行った」

「誰か!? クメトスのことか!」

「名前知らない。返事しなかった、しなかった」

「い、生きてるのか? それとも死……」

「わかんない、わかんない。でも、どうかな、死ぬって石になることでしょ?」

「とにかく、急いで連れてってくれ」

「もう、だからそう言ってる! 言ってる!」


 もう一度、彼女の顔が見たい。

 それだけの思いで、俺は炎の少女を急かし、広間を走り抜ける。


「ちょっと旦那、そんなに走って大丈夫かい?」


 狂ったように走る俺の様子を見てエレンが飛んでくるが、今は冗談を返してる余裕もない。


「いいからみんなついてこい!」


 少女の導くままに俺たちは倉庫風の広間を抜け、通路に入る。

 そこもまたステンレス製の構造で、例のごとくピカピカの無機質な通路だ。


「こっちだよ、こっち」


 先を急ぐ少女のあとを必死で追いかける。

 通路をくねくねと曲がり、緩やかなスロープを登ると、再び岩だらけの洞窟に出た。


「この先、この先」


 と言って少女はくるくるとまわり火の玉と化すと、ひゅんと飛び上がった。


「ネールー! 連れてきたよー! きたよー!」


 彼女が飛んでいった洞窟の先からはまばゆい光が漏れている。

 あの先に、クメトスがいるのか?

 そしてあの船幽霊も。


「ほーらー、はやくきてってばー、はやくー」


 洞窟の奥から声がする。


「まってくれ、今行くから」


 そう答えて走りだした瞬間、天地がひっくり返った。


「えっ!?」


 と思うまもなく、目の前に真っ黒い何かが現れる。

 アヌマール!

 そう気がつくより早く、誰かが俺の前に飛び出して敵を突き飛ばす。

 たぶん、ハウオウルだ。

 ついで結界があたりを包んだ。

 それと同時に地面の感覚が戻ってくる。


「恐れるな! 正義は我らにある! とぉつげきぃ!」


 ギロッツォの叫び声とともに、目の前に現れたアヌマールの群れに突進していく。

 虎の子というだけあって、十一小隊は強い。

 べらぼうに強い。

 特に隊長のハウオウルはずば抜けた強さだ。

 おそらく敵は未熟なアヌマールなのだろうが、それでも次々と槍の餌食としていく。


「たいへん、たいへん、ネールが死んじゃう!」


 そう叫びながら炎の少女が戻ってくる。


「その奥か、そっちにも敵がいるのか?」

「いるよー、しんじゃうー、ネールがー」


 くるくる回りながら少女は叫ぶ。


「みんな、この先だ、急げ!」


 そう叫びながら、先を急ぐ。

 洞窟の突き当りを曲がると、そこには一面まばゆい光に包まれた結晶の塊が広がっていた。

 これが、ゴーストシェルか。

 だが、それに見とれる間もなく、俺は目の前にいる青く輝くメイドと、真っ黒い敵の姿に目を奪われていた。

 あれは本物だ。

 本物のアヌマール。

 そうだ、今蹴散らしたのは所詮バチ物だ。

 あの見ただけで魂がすくむような恐怖の塊、それこそがアヌマールだ。

 そのアヌマールと船幽霊が俺の目の前で激しい魔法合戦を繰り広げていた。


 アヌマールの全身からほとばしる紫の雷撃は、船幽霊が放つ光の弾ですべて弾き落とされる。

 次にアヌマールが指先からはなった黒い炎は、船幽霊が起こした青い突風でかき消される。

 かと思えばアヌマールの体が巨大に膨れ上がり船幽霊を押しつぶそうとすると、船幽霊は豆粒よりも小さくなって隙間をぬってかわす。

 おとぎ話のような魔法の戦いに、どうやって助けに入ればいいのかもわからなかった。


「ねえ、はやく! みんなを守ってるからネールはちゃんと戦えないの! みんなを守って! 守って!」


 そう叫ぶ炎の少女。


「みんなを? そうか! 後ろの結晶に結界を!」


 あとから駆けつけた騎士たちは俺の言葉を聞くと、すぐに何やら呪文を唱え始める。

 やがてあたりが輝きだしたかと思うと、たちまちのうちに結晶が光りに包まれた。

 それを確認したかのように船幽霊は頷くと、手を組んで呪文もなしに何かの魔法を発動した。

 次の瞬間、船幽霊の体から無数の光の槍が飛び出し、アヌマールに突き刺さる。

 通常の攻撃はすべて弾き飛ばすアヌマールの黒い体を、光の槍はいともたやすく貫いてしまった。

 一瞬の沈黙の後、アヌマールの黒い体ははじけ飛び、ついでその残骸は中央に残ったコアに瞬く間に吸い込まれていく。

 あとには金色に輝くコアが転がるだけだった。


 ……やったのか。

 あのアヌマールを、あんなにもたやすく……。

 青く光るメイドの船幽霊は、静かに呼吸を整えると静かにこちらを振り向いた。


「ネールー、きたよー、きたよー」


 炎の少女はくるくると回りながら、船幽霊のそばに飛んでいった。


「ありがとう、クント。そして紳士様。お待ちしておりました」


 そう言って船幽霊は、深く俺に、頭を下げたのだった。




 近くで見る船幽霊の体は、青く光るだけでなく、半透明に透き通っていた。

 まるでさっきのレルルみたいだ。

 そのレルルは今、マスクの隊長ことハウオウルに背負われて眠っている。


「お告げに従い、あなたをお待ちしておりました」


 船幽霊、いや、ネールだったか。

 青く光るネールは、再びそう言った。


「女の子の頼みは断れない口でね」


 そう返すと、彼女は儚げに笑う。


「まずは、こちらに……」


 そう言って彼女は俺をいざなう。

 墓石のように無数にそびえる結晶の合間をぬって奥に進むと小さな台座があり、その上に彼女が横たわっていた。


「クメトス!」


 慌てて駆け寄り彼女の手を取り呼びかけるが、返事はない。

 手にはまだ僅かにぬくもりを感じるものの、少しやつれた顔には生気がなく微動だにしない。


「クメトス……」


 ネールは俺の隣に立つと、こう語る。


「クントが彼女を運んできた時には、すでに虫の息でした。治療は施しましたが……おそらくは限界以上に魔力を使い果たしたのでしょう。コアを持たぬ人の身では、一度精霊力が尽きれば……申し訳ありません」

「いや……ありがとう」


 こぼれそうになる嗚咽を飲み込む。


「もう一度、彼女に会いたかったんだ。だから……」


 それ以上、言葉を続けられず、あとは沈黙が続く。

 クメトスの顔は穏やかだった。

 でも、一人でそんな顔をされても俺はどうしていいかわからんよ。


 どれぐらいそうして彼女を見つめていたかわからないが、不意に背後が賑やかになる。

 振り返ると、みんなが居た。

 俺の大事な従者たちに、エディもいる、そしてメリー。

 ああ、済まない、メリー。

 彼女のことを頼まれていたのに、俺は……。

 メリーは歩み出て、まっすぐこちらにやってくる。

 その目は横たわるクメトスを見つめていた。

 無言のままクメトスの顔に手をやり、ほつれた髪をなでつける。


「クメトスは言っていました。いつかは一人の騎士として、己自身の忠義のために戦いたいと。彼女はその望みを果たしたのですね……」


 それだけ言い終えると、メリーは顔を伏せてしまった。

 泣くのは彼女に任せよう。

 俺にはまだやることがあるんだ。

 そう自分に言い聞かせないと、訳がわからなくなっちまう。

 彼女に別れを告げるために、もう一度クメトスの顔をみつめ、乾いた唇に顔を近づける。

 そうして再び彼女に触れた瞬間、クメトスの体はまばゆく輝き浮き上がったかと思うと、光の塊となって俺の胸元に吸い込まれてしまった。


「な、なんだ!?」


 驚く俺達のそばで、それ以上に驚くネール。


「まさか、彼女はあなたの従者だったのですか?」

「いや、そうじゃないが……」

「かつてクーモスは、死を免れ得ぬ傷を負った従者を内なる館で蘇らせたことがあります。ですがそれはホロアなればこそと思っていましたが……」

「内なる館?」

「そう、あなたもお持ちでしょう。その胸元のコアのことです」

「こいつか?」


 慌てて胸に下げたペンダントを取り出す。


「この中にクメトスがいるのか!?」

「館のことはご存じないのですか? 紳士の家系には代々受け継がれると言っておりましたが」

「俺の両親は紳士じゃなかったんだよ。だからこいつのことは何も知らないんだ」

「そうでしたか」


 ネールは一度言葉を区切ると、遠くに思いを馳せるような目で、ゆっくりと語る。


「紳士は、己の内に自分だけの結界を持つと言います。クーモスはそれを内なる館と呼んでいました。文字通りその中には屋敷があり、彼とその従者はその中で暮らしていたようです」

「そんなものが……」

「その中にいれば従者は限りなく不死に近い存在足り得たとか。もし、今の彼女があなたの従者であるなら、あるいは……」

「それで、どうやればこの中に入れるんだ?」

「クーモスの話では、ただコアを手にして、入ろうと念じるだけだとか」

「これを掴んで?」


 彼女の言葉通り、俺はペンダントを掴み、中に入りたいと念じた。

 たちまち体が軽くなったかと思うと、ふわっとどこかに飛んで行く感覚が襲う。

 気が付くと俺は、一面の草原に立っていた。


 しばらくあっけにとられて呆然と景色を眺める。

 地平線まで続く草原。

 その彼方は白いモヤで覆われている。

 空を見上げると一面の夜空に輝くのは星ではなく、網目状の白い糸。

 見たことのないその景色は、なぜか無性に郷愁を駆り立てる。

 そうだ、俺はここをよく知っている。

 そんな気がするんだ。


「ここはいったい……」


 その声に振り向くと、メリーが驚きを隠せない表情で立っていた。

 彼女も一緒に来たのか。


「どうやら、ここが俺のらしいぞ」

「紳士様には、このような秘密が」

「そう、そして彼女はあそこに」


 そう言ったのはネールだ。

 彼女もまた、俺の隣に立っていた。

 ネールの指差す先には、カプルの作った匣があった。

 中央で大きく蓋が開き、その中にはクメトスが寝かされている。

 そしてその隣には馴染みの顔が立っていた。


「判子ちゃん!」

「やっと生身のまま、ライズできるようになったようですね」

「なんでここに」

「すこしばかり、借りを返しておこうと思いまして、彼女の代理でやって来ました」

「借り? 彼女?」

「黒澤さんには、関係のない話ですよ。それで……」

「うん?」

「どうするのです?」

「どうとは」

「彼女を助けるのですか」

「決まってるだろう」

「彼女をよみがえらせるということは、彼女を従者にするということ。言い換えれば、あなた方のいうところのホロアとして再生し、あなたの眷属にするということですよ」

「え?」

「彼女はすでに一つの魂としての道程を終えようとしています。それをあなたの都合で書き換えても良いのですか?」

「し、しかし……」

「世界はあるがままに流れるもの。その流れに楔をうち、己の意志のままに永遠に止めようなどということは、形あるものに許される行いだと思いますか?」

「そ、それは……」

「思いますっ!」


 よくわからないが説得力のある判子ちゃんの言葉。

 それに気圧される俺を押しのけて叫んだのは、メリーだった。


「クメトスは……クメトスは、紳士様のことが好きなのです。私もそういう話は鈍いですから気づかなかったのですが、今朝、珍しくクッキーを焼いてきて紳士様に食べていただきたい、と言ってた時にやっと気がつきました! クメトスは……クメトスは、だから紳士様のお側にいるべきなんです!」


 まるで駄々をこねる子供のような理屈でメリーはそう言い放つ。

 その言葉を聞いた判子ちゃんは、俺のよく知る難しそうな笑顔で俺を見て、こう言った。


「だ、そうですよ。黒澤さんの返答は?」

「うん、俺も彼女が好きなんだよ。だからずっとそばに居てほしい」

「良いでしょう。匣にはエネアルの溜めた力が満ちています。彼女を再生してもまだ、足りるでしょう。これもネアルの予言のうちでしょうか、まったく忌々しい連中ですね」


 そう言って苦笑すると判子ちゃんは匣に手を触れる。

 匣はたちまち光を放ち、その光はクメトスへと吸い込まれていった。


「さあ、もういいでしょう。目覚めのキスは、王子様の仕事ですよ」


 それだけ言うと判子ちゃんは踵を返してどこかに立ち去ろうとするが、不意に立ち止まって振り返る。


「そうそう、言い忘れるところでした。そこのあなた、ネールでしたね」


 船幽霊こと青いメイドの彼女に語りかける。


「あなたのからの伝言です。お疲れ様でした、と」

「お、お待ち下さい。師からの伝言とは、あなたは一体!」

「確かに伝えましたよ。お礼がしたければ、の方にサービスしてやってください。では」


 それだけ言うと判子ちゃんの姿は掻き消えてしまった。


「あの方はいったい……」

「彼女は俺の大事な友人だよ。なんでも知ってるくせに、なんにも教えてくれないのさ。それよりもクメトスだ」


 匣に眠る彼女のもとに駆け寄ると、さっきまでの青ざめた表情には赤味がさしていた。

 そしてなにより違うのは、今の彼女の体は赤く輝いていた。

 俺はいつもの様に愛用のナイフで指を裂き、溢れた血を口に含むと、そっと彼女にくちづけた。

 唇をつたい、彼女の中に俺の血が流れていく。

 一瞬、彼女の体が眩しく光ったかと思うと、その光は収まった。

 やがてゆっくりと、彼女は目を覚ます。


「おはよう、よく眠れたかい?」

「夢を……みました。女神様が現れて……おっしゃったのです」

「うん」

「汝の使命は果たされた、この先は望む道を征くが良いと。だから、お願いしたのです」

「うん」

「もう一度……もう一度、あなたにお会いしたいと」

「俺も会いたかったよ」

「紳士様っ……」


 そう言って泣きむせぶ彼女を抱きしめる。


「ああ、こうしてもう一度あなたに触れることができるなんて……私は…わたしは……」

「これからはずっとこうしていられる」

「紳士様……いえ、もうあなたは私の……主人なのですね」

「ああ、そうだな」

「ご主人様、これからは、あなただけの盾として……」


 あとは言葉にならないようだった。

 良かった、本当に良かった。

 もうこういう綱渡りみたいなやつは勘弁してほしいぜ。


 落ち着いたところで、まだやるべきことがあるのを思い出した。

 俺はネールに向き直る。


「君のおかげでクメトスを取り戻すことが出来た、ありがとう」

「いいえ、全てはあなたのお力」

「次は君の番だな、まずは戻ろうか、どうするんだ?」

「入る時と同じと聞いていますが」

「なるほど」


 俺はペンダントを握りしめて、外に出たいと念じた。

 再びふわりと体が浮き上がる感触に包まれて、俺は元の場所に立っていた。


「ご主人様!」


 クメトスとともに現れた俺のもとにみんなが駆け寄ってくる。

 そして、クメトスの姿を見た彼女の部下たちもまた駆け寄り、俺達はもみくちゃにされた。

 しばしの混乱の後、どうにか開放される。


「では、クメトス隊長は従者となったのですね」


 エーメスがクメトスの手を取り、喜ぶ。


「そ、そうなりますね。今後は、その、先輩としてご指導いただきたく」


 しどろもどろになるクメトス。


「何を言っているのです。再びあなたと共に槍を振えるのなら、こんなに嬉しいことはありません」


 と、仲良くやっている。

 俺もこのままニヤニヤしていたいところだが、先にやることがある。

 盛り上がる集団から離れ、結晶の前に佇むネールのそばに歩み寄った。


「待たせたね」

「いえ、待つのには馴れていますから」

「これがゴーストシェルか……」


 そういって結晶の塊を見上げる。

 それはまるで墓石のように、洞窟内に無数に並んでいた。


「そう、私の妹達の成れの果て、そして私の罪の証……」

「いいや、それは君だけが背負う罪ではない」


 そう、しわがれた声が洞窟に響く。

 声の主はアルサの神殿貫主、ヘンボスだった。


「猊下!」


 メリーが彼のもとに走りより、手を取る。


「メリー、すまんな。流石にここまで来るのはちと骨が折れる」

「あまり無理をなされては」

「なに、わしはこの日のために生きておったのじゃ」


 そう言って俺達のところまで歩み寄った。


「紳士殿、礼を言う。お主のおかげで、やっとここにこれた」


 俺が無言で頷くのを見て、ヘンボスはネールに向き直る。


「随分と遅くなったが、あの日の約束を果たしに来た。わしの、そしてクーモス殿の残した誓いを果たす時が来たのじゃ」

「では、あの方は約束を覚えていてくださったのですね」

「無論。だが、一代では成し得ず、その弟子、さらにその弟子と世代を経てついに完成したその秘術を持って、わしは戻ってきた」

「ああ、やはりあのお方は私達を……そのことだけで、この贖罪の日々は報われました」


 ネールは大きく息を吐くと、皆に向き直って語り始めた。

 彼女の犯したという罪について。


「千年の昔、かの黒竜との大いくさで野は焼け、地は汚れ、人も魔族もその数を減らし、そうして我々ホロアもまた滅んだと言われています」


 そこに彼女のが現れたのだという。


「師は世界を経巡り、新たなホロアの卵を見つけ出しました。そうして再び地上にホロアが生まれる日を待ったのです」


 新たな卵のうちの一つは試練の島、ルタ島から見つかったのだとか。


「ルタ島の卵から最初に生まれたホロアが私でした。最初に生まれたホロアは、メイドでもなければスクミズでもない、ネイキッドホロアと呼ばれる、永遠に近い寿命と無垢の属性を持って生まれるのです。そう、あなたのように」


 そう言ってネールはデュースを指差す。


「あなたのことは師より聞いていました。キレッラの卵から生まれたホロアのことは」

「で、ではー、あなたもあの人を知ってるんですかー」

「ええ、贖罪の日々で心とともに思い出まで失われ、長く忘れていましたが今でははっきりと思い出せます。あの人は自ら拾い上げたホロアたちのことを、片時も忘れたことはないと、いつもそう言っていました」

「ああ、ではやはりあの人はいたのですねー、あまりにも時が経ちすぎてー、自分の記憶さえ信じられない程遠くに来てしまいましたがー」


 涙ぐむデュースを見て頷くネールは、再び話を続ける。


「ルタ島で育った私をおいて、師は去ります。その時にあの方は、これから生まれいずる妹達のことを頼む、ここに神殿を築き、かつてのようにホロアを育てるのだと言い残して。私はその言葉に従い、人を集め、神殿を築きました。困難な道程でしたが、徐々に村ができ、祠が建ち、ホロアも生まれました」


 だが、そうした日々は長くは続かなかったという。

 もともと海流が荒く、一年の半分しか島に上陸できないような環境ではあったが、何が原因か島の環境は徐々に悪化し、しまいには一年を通して人の近づけぬ土地になったという。


「大きな島でしたが、漁にも出られぬような絶海の孤島では人は生きていけません。僅かな凪をぬって脱出を試みるもの、そのまま島の土に還るもの、百年と経たずに島の住人は絶えてしまいました。ですが、それでもホロアは生まれてくるのです」


 それからが彼女たちを襲った不幸だという。

 彼女以外のホロアはせいぜい長生きしても百年程度、通常は人と変わらぬ寿命で死んでしまう。

 そして主人を持たずに死んだホロアはゴーストになる。

 三百年も過ぎた頃には島にはゴーストが溢れていたとか。


「あの時の島は、まさに地獄絵図そのもの。ゴーストになるために生まれてくる妹達を拾い上げる内に、私の心もまた狂っていたのかもしれません。そんなある日、古い遺跡からあるものを見つけたのです」


 黒く光る男性器を模した呪いの張り型。

 それを用いて、彼女は自分の体を貫いたのだという。


「あの呪術器のことは戦前の伝承で知っていました。そうすることで擬似の従者となれば、ゴーストたちを成仏させることができる、おろかにもそう考えたのです」


 従者となった彼女はさまようゴーストを成仏させていった。

 はじめはうまく行ったと思ったのだという。

 だが、そうではなかった。

 島の大半のゴーストを成仏させたと思った頃に、島で奇妙なものを発見した。

 それがゴーストシェルだった。


「妹達は成仏などしていなかったのです。形を変え、より呪われたあの姿へと……すべて私のせいで……」


 そう言って彼女は結晶の塊を見つめる。

 それから後のことは覚えていないという。

 聞いた話では、狂ったように島をさまよいながら、ゴーストを追いかけていたとか。


「再び私が正気を取り戻したのは、ジャムオック率いる騎士たちが島に上陸した後のことでした。島にいた生身のホロアを従え、いつの間にか出来ていた試練の塔を攻略したクーモスが私を見つけ出し、癒やしてくれたのです」


 その後、ホロア達は彼に従い島を出て武勲を立て、アルサの地をその領地とした。

 ルタ島にも再び人が訪れるようになったが、そうなると島に点在するゴーストシェルが狙われるようになったのだ。


「そこでジャムオックは一計を案じ、すべてのゴーストシェルを島から運びだしてここに隠したのです」


 そうしてジャムオックはゴーストシェルを狙う連中から彼女たちを守り通し、あらぬ誹謗中傷もあえて被ったまま秘密を守り通したそうだ。

 そして紳士クーモスもまた、ゴーストシェルを成仏させる秘術を求めて、西に旅だったのだという。


「あの方は約束してくださいました。いつか必ず、救ってくださると」


 そう言ってネールは再びヘンボスを見やる。

 その視線を受けて、ヘンボス老人は力強くうなずいた。


「これでようやく、私の贖罪も終わります。この汚れた体とも……これで」


 そう言って静かにネールは手を挙げる。

 そこでハッとなった俺は、後先考えずに彼女に抱きついた。


「そこまでだ!」

「な、何をなさるのです!」

「そりゃこっちの台詞だ! 今、死のうとしただろうが!」

「そうです、今まで私は、何度もそうしようと……ですが、やっとその時が来たのです。死ねばこの汚れた体はシェルと化し、妹達とともにあの方が清めてくれるでしょう」

「何を勝手なことを言ってるんだ、そんなことは許さん!」

「勝手なとは何ですか! 私は、こうでもしなければ妹達に顔向けが……」

「そんなことは知らん! おれは君を従者にするためにこんな地の底までわざわざやってきたんだよっ!」

「し、紳士という人は、なぜそうも強引なのです! クーモスもそうでした。皆の反対を押し切って、地位も捨ててまで……なぜなのです!」

「約束したろうが! ホロア達を救ってほしいって! だから俺はっ! 君も助けに来たんだよっ!!」

「私…も……」

「ネールのばか! ばか!」


 今度は火の玉の少女がネールに体当りする。


「バカバカのバカ! ネールはなんで人の言うこと聞かないの! 聞かないの! みんな心配してるのに!」

「クント、あなたまで……」

「ほら! ちゃんと聞いて! 聞いてっ!」


 そう叫んで少女が再び体当りした瞬間、頭のなかに無数のメッセージが飛び込んできた。

 言葉にならない意志の塊のようなメッセージだが、あえて言葉にするとこうだろう。


(だれがあなたの優しさを恨みましょう、どうか、あなたはあなたの幸せを手に入れて……お姉さま)


 溢れでた意志が光の塊となってネールの体に吸い込まれ、どす黒い何かを弾き飛ばした。

 あれが呪いの元なのか?

 宙をぶよぶよと漂う黒いモヤに向かってヘンボスの爺さんが杖をかざすと、たちまちの内に消え去ってしまった。

 そしてあとに残ったのは、赤く輝く生身のメイドだけだった。


「ああ……みんなが…、妹達が…私を……私を許して……ああぁ……」


 泣き崩れるネールを抱きしめながら、俺は今頃になって折れた腕の痛さを思い出していた。

 痛いんだけど、もうちょっとガマンしないとな。

 せめて、彼女が泣き止むまでは。




 再び指をさいて、ネールに血を与える。

 泣き止んだ彼女は、素直に俺との契約を受け入れた。


「私も、妹達と約束したのです。だから幸せにならねばなりません。よろしくお願いいたします、ご主人様」


 そう言ってネールは深々と頭を下げる。


「ああ、よろしく頼むよ」


 そう言って笑いかけたところで我慢の限界が来てしまった。


「ご主人様っ!」


 よろめいた俺をネールが抱きかかえる。

 細身の割には、結構力強いな。


「しばらくお待ちを」


 そう言って俺の腕を手に取ると、適当に固定した包帯を解く。

 彼女が触れた手から何か力が流れ込み、痛くはない。


「骨をつなぎます。あまりうまくないので少ししびれるはずですが、我慢してください」


 そう言って折れた腕をなぞると、ミシミシっと骨に音が響いて指先までしびれが走る。

 だが、一分も経たない内に、それも収まってしまった。


「もう治ったのか?」


 以前、ヒビが入った時でも、もっと時間がかかったもんだが。


「しばらくは固定が必要ですが、数日で元通りになるでしょう」

「すごいな、ありがとう」


 ネールはにっこり笑って頷く。

 やっぱり従者にはこういう笑顔が似合うな。

 苦労して穴蔵に篭ってたかいがあったってもんだ。


「ねえ、私も! 私も契約する!」


 そう言って炎の少女がくるくると俺の頭の上を回る。

 そういえば、この子はなんなんだ?


「彼女は、ホロアの卵です。正確には卵から最後に生まれた、いえ、生まれるときに精霊力が足りずに人の形を成し得なかったホロアなのです」

「つまり、ホロアなことはホロアなんだ」

「はい、彼女がずっといてくれたからこそ、私も再び狂わずにここを守り通せたのです」

「ふむ、まあホロアなら大丈夫なんじゃないかな、よし、えーと、クントだったな、俺の従者になるか?」

「なる! なる!」


 そう言って赤々と光る。


「血をつければいいのかな?」


 まだ塞がっていない指先の血をそっと彼女につけると、ホワっと光がまして、また元通りの炎に戻った。


「これでいいのか?」

「うん、いい、なった! なった! 私も従者になった! やったー!」


 そう言ってクルクル回りながら炎を撒き散らす。

 まあいいか、本人も喜んでるし。


 ただし、それで一件落着かといえば、そうも行かなかった。

 騒ぎを聞きつけた冒険者達が、大挙して押し寄せたのだ。


「うおー、中に入れろー、財宝よこせー」

「騎士団は横暴よー」

「独り占めするなー」


 またこのパターンか。

 騎士の壁に阻まれた冒険者達が騒いでいる。

 どうしたもんかなあ、そもそも財宝とかあるのか?

 と思ってネールに尋ねると、あるらしい。


「この奥に、ジャムオックが残した財宝があります。何かの際にと残してくれたのですが」

「じゃあ、そいつをくれちまおう。彼らの協力がなければ、ここまでスムーズに探索も出来なかったんだしな」

「ご主人様がよろしければ」

「ああ、どうせ俺はもう両手いっぱいだしな」


 そう言うとネールはやさしく微笑み、クメトスは恥じらってうつむいた。

 ははは、今夜が楽しみだ。

 ニヤニヤした顔を引き締め直し、騎士団の作る壁の前にしゃしゃり出ると、演説をぶつ。


「よぅ、てめーら。よくここまで来たな! そして喜べ! お宝はこの奥だ、順序良く並んで、みんなで山分けだ!」

「うぉー」

「さすがは紳士様! 愛してる!」

「お宝じゃー!」


 押し寄せた冒険者達は一斉に奥へと雪崩れ込んでいった。

 それでやっと片付いたかと思ったら、まだ残ってるパーティがいた。

 よく見ると、あこがれのビキニアーマーこと、アンブラールの姐さんだ。


「よう、姐さん。あんたはお宝はいらないのかい?」

「まあね、それよりも話は聞いたよ。またあんたに手柄を取られちまったわけだ」

「俺が取ったのは、ささやかな花を三つばかりってね」

「にくいこと言うねえ。どうだいカリ。いい男だろう」


 そう言って同行のフードを被った二人のうち、小さい方に話しかける。

 小さい方は無言で頷くと、フードをめくって顔を出した。

 美しいブロンドのウェーブが薄暗い洞窟でも輝く、神秘的な美少女だ。

 いや、比喩じゃなくて、ほんとに光ってるぞ、この子。

 前髪を上げてるので特におでこが眩しい。


「紹介するよ、彼女はあたしの主人、カリスミュウル。あんたと同じ紳士さ」


 紹介を受けた彼女は無言のまま一歩前に出る。

 そのあまりの威圧感に、まわりにいた騎士や僧兵たちも跪いていた。

 だがまあ、紹介されたら名乗り返さないとなあ、というわけで、あまり気にせずに名乗って握手を求める。


「クリュウです、よろしく」


 差し出された手を見てあっけにとられる金髪美少女。

 それを見てアンブラールは高笑いしながら、彼女の肩をたたいた。


「ほらな、いいだろう。カリご待望のライバルだ、しっかり自己紹介しな」


 そう言ってさらにバンバン肩を叩く。


「ふん、カリスミュウルだ、よろしく頼む」


 そう言って俺の手を握り返す。

 しかも、思いっきり。


「痛いぞ、お嬢ちゃん」

「握手というものは、強く握るほど誠意が篭もると言うぞ」

「なるほど、だったらこうじゃ!」


 俺も目一杯力を込める。

 技術はともかく、毎日重い鉄棒を振り回して特訓してるんだ。

 握力勝負でこんな少女に引けはとらん!

 とはいえ、利き腕の右手はまだ痺れてたので左手を差し出したせいか、うまく力が入らない。


「むぐ……」

「ぐぐぐっ……」

「むぎ」

「ぎぎぎっ」


 地の底で偉大な紳士様二人が握力比べをしている姿というのは、端から見てどう感じられるのかが気にならないではなかったが、今はそれどころではなかった。

 細い体のどこにそんな力があるのかと思うぐらいにこの美少女は俺の手を握りしめてくる。

 だが、俺も多くの従者を背負ってる身だ、ここで負けるわけには……。


「いつまでやってるのよ、この馬鹿!」


 突然後ろからエディに叩かれた。


「いてえ、何すんだよ、紳士の戦いに水を指す奴があるか!」


 俺が叫ぶと、金髪紳士のカリなんとかちゃんも、


「そうだ、エンディミュウム! 選帝侯の家柄といえども今は騎士の身、無礼であろう!」

「あら、これは殿下、ごきげんうるわしゅう。とっくにルタ島に渡ったものだと思っておりましたわ」

「ふん、この馬鹿が寄り道したせいで船に乗り遅れたのだ」


 そう言ってアンブラールを指差す。


「あー、彼女があなたの従者だったのね。知ってたらもっと邪魔したのに」


 嫌味たっぷりに言うエディの裾を引いて尋ねる。


「知り合いか?」

「違うわよ!」

「じゃあ、知らなくてもいいから紹介してくれよ」

「本人に聞きなさいよ!」

「ケチ。まあいいや」


 そう言って金髪美少女に向き直る。


「アンブラールには世話になったんだ、おかげでうちの従者が命拾いした。礼を言うよ、ありがとう」


 何はさておき、礼を言っとかんとな。


「あはは、ほらね、いい男だろ」


 アンブラールはまた彼女の肩をバンバン叩くが、カリスミュウルはフンと荒く鼻息を噴いて、ヘンボスの方に歩いて行った。


「これは殿下、ごきげんうるわしゅう。この土地に入ったという噂は、聞いておったのですがな」

「忍びの旅だ、挨拶もできずにすまなんだ。だが、お主の悲願もどうやらこれでかなったようだな」

「お陰様を持ちまして。お母上のお力添えもありましたゆえ」

「うむ。これからが大変であろうがな」

「なに、そんなものは大したことではありませぬ」

「ははは、頼もしいのう。して、そなたが噂のホロアか」


 そう言ってネールに話しかける。


「そなたのことはヘンボスより聞いておった。ヘンボスが動いたと聞いてなんぞ手をかせぬかと思うてこうして参ったが、一足遅かったようだ」

「偉大な紳士様、その心遣いだけで十分でございます。それに私はもう、救われておりますので」

「そうであったな」


 そう言って頷くと、再び俺の前に戻ってきた。


「此度はお主に手柄を譲るが、次は負けぬ。春になったら私こそが先に、ホロアマスターの称号を得るのだ! いいか、わかったな!」

「はっはっは、俺は負けん」

「むぐぐ、行くぞ!」


 そう言って偉そうなお嬢ちゃんは去っていった。

 なんだったんだ?

 エディに聞いても教えてくれないので、フューエルに聞いてみた。


「なぜ私に聞くのです」

「そう言わずに教えてくれよ」

「まったく……、あの方はカリスミュウル殿下、現国王の姪御にあたる……ようするにとても偉いお姫様なんですよ! それが、あんな力比べを始めたりして、心臓が止まるかと思いました!」

「へー、お姫様か。まあ、綺麗な顔してたしなあ。ああいうとびっきりの美少女も好きだが、俺はもうちょっと野暮ったいほうが馴染みやすい気もするなあ」

「なんの話ですか!」

「でも、王族にも紳士っているんだな」

「殿下の一族、ペーラー家は全員が紳士というわけでは無いのですが、隔世的に紳士が生まれるそうです。そして彼女の母親は、国王陛下の妹君であらせられるのですよ」

「ふーん、まあ大体わかったからいいや」

「大体って、それが人に物を聞く態度ですか!」

「ちょ、そんなに怒るなよ、いつものことじゃないか」

「いつものことだから怒るのです!」


 まったく、フューエルは怖いなあ。

 そこに従者になったばかりの火の玉少女クントがクルクルと回りながら飛んできて、怒り狂うフューエルの頭の上にポフンと乗っかる。


「ねえねえ、あなたが奥様? 奥様?」

「な、何を分けのわからないことを言うのですか!」

「ちがうの? ちがうの? でもクーモスもいっつも奥様に怒られてたから、そうかと思って」

「違いますっ!」


 そう叫んで頭から振り落とすと、フューエルはプンプン怒って離れていった。

 忙しいお嬢さんだなあ。


 奥の方ではまだ冒険者達が宝を漁っているようだ。

 騎士たちも僧兵の力を借りて傷を癒やしている。

 ゴーストシェルの浄化は、時間がかかるものらしい。

 これからヘンボスはここに篭もり、一つずつ成仏させていくのだとか。

 ネールは名残惜しそうにしていたが、ひとまずは俺と一緒にここを出た。

 どうやらこれで、全て片付いたようだな。

 となれば、あとはいつものお楽しみだ。


 いやあ、今回は格別、疲れたね。

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