第167話 赤と青 中編

 少しの間、気を失っていたようだ。

 体を起こしてまわりを見ると、ちょうど俺達のまわりだけを残して一面が凍りついていた。

 竜のブレスか。


「大丈夫ですか、ご主人様!」


 俺を押し倒して覆いかぶさっていたレーンがそう叫ぶ。


「ああ、お前は?」

「今のところ大丈夫ですが、長引くとしもやけになりますね」

「他は?」

「我々は大丈夫。ただ下はわかりません。騎士は魔法抵抗力が高いものですが、エレンさん達は大丈夫でしょうか」


 そう言ってレーンが燕の方を向くと、クシャミをしながら答える。


「大丈夫みたいよ、ヘックション」

「人形の体で風邪引くのか?」

「条件反射よ、寒いとクシャミが出ちゃうのよ、あと埃が……ヘックション」

「しょうがねーな、それより竜は?」


 先ほど突っ込んできた竜の姿は見当たらない。


「次のブレスをチャージするまでー、外に一旦退避したんでしょー」


 とデュース。


「なるほど。で、どうする」

「今ので火炎壁も消し飛んでしまいましたー。ただ、ここは竜を先に仕留めるべきかとー」

「ふむ。大丈夫なのか?」

「あの程度ならー、このメンツでここにおびき寄せて頑張ればどうにかー。魔物がどう動くかにもよりますがー」


 そばに居たフューエルも、鞄から何かを取り出しながら、


「こちらも結界を貼り直します、あとオーレを休ませないと」


 そう言って、隣でへたり込むオーレを指差す。


「どうした、バテたのか?」


 尋ねると、オーレは力なく頷く。


「あれだけの出力だとしばらくは魔力がすっからかんでしょー、よくやってくれましたよー」


 デュースに褒められて、オーレは少しはにかむ。

 オーレの方は、すぐに僧侶のハーエルがやってきて手当をしてくれた。

 と言っても疲れを癒やすだけで、魔力とやらが回復するわけではなさそうだ。


 先ほどの竜のブレスで、広間の魔物もまともに身動きがとれないようだが、火炎壁が消えたせいで、再び外から新手が押し寄せてくる。

 エレンの言っていた黒い連中というのはいないみたいだ。

 対する騎士団の方は、まだ立て直しがうまく行ってないようだ。

 エディたちのいる赤竜の主力はまだ大丈夫だが、クメトスやローンのいる方は、分断されて孤立した形になっている。

 距離があってよくわからないが、ブレスの影響が大きかったのか、鎧が白く凍りついているようにも見え、動きも鈍い。

 当然敵もそちらを先に片付けようとする。

 竜対策も大事だが、あちらもどうにかしたい。

 どうしよう。


「ご主人様にしては、悩む時間が長過ぎますよ!」


 とレーン。


「そういうなよ、俺は割と優柔不断なんだよ」

「愚痴は後で聞きましょう。白象の皆さんを助けに行きたいのでしょう」

「そうなんだ」

「では行くべきです!」

「よし、行くか!」

「かしこまりました! 作戦はこうです」


 レーンは皆に聞こえるように声を上げる。


「現在、クメトス隊は割れ目から進入する敵と、中に居た部隊に挟まれて孤立していますが、中央の赤竜本体もまだ身動きが取れません。ですが見方によっては中の敵も両騎士団に挟撃されている状態です。そこで我々が突撃し中に居た敵部隊を側面から襲います。当然敵はこちらに防御を向けるでしょうが三面を同時に相手には出来ません。それに連動して赤竜本体に突撃をかけていただきます。すでに連携の確認は取れています。そうして敵が引き伸ばされて薄くなったところで両騎士団を我々のパーティがつなぎ、前線を一繋ぎにして防備を固め、しかるのちに退却します。作戦は以上です。竜が再び襲ってきたら結界の中から出ないように。それでは全員突撃!」


 言い終わると同時に、俺達は全速力で中央に向かって駆け下りる。

 すでに下の騎士たちと確認が取れていたということは、俺の考えはお見通しだったわけか。

 頼もしい従者で助かるな。

 雄叫びを上げながら駆け下りると、中央に居た敵の部隊、どうやらノズがメインの甲冑を着た軍隊で、こいつらが俺達の方に盾を構え直す。

 ついで矢をつがえる姿が見えたが、間髪入れずにデュースが火の玉の雨を降らせると、敵は混乱したようだ。

 その隙を逃さず、エディが号令をかけるのが見えた。

 いつ見ても凛々しいねえ。

 赤竜の攻撃で今まで均衡を保っていた戦線が一気に動き始める。

 まず、中央のノズ部隊の隊列が崩れて、俺達の方と、その反対側にはみ出し始める。

 そうして薄くなった所を、さらに左のエディ、右のクメトスの部隊が押し込んでいく。

 こっちにはみ出してきた分は、俺達が押しのける。

 そうして中央で無事に合流することが出来た。


「はぁい、ハニー。魔界のデートも乙なものね」


 返り血を全身に浴びて真っ赤に染まったエディが、いつものノリで話しかけてくる。


「ああ、刺激的すぎてたまらないな」

「まったくだわ」


 話しながらもエディは次々と敵を薙ぎ払っていく。

 すぐ側に居たメリーもまた、団長の名に恥じない勇猛さで槍の餌食にしていく。

 だが、全体で見れば戦力は互角に近い。

 こういう乱戦だと数が増えるほど個人の力量差の影響が減っていくみたいだからな。

 その分、やられにくくもなるけど。


「そろそろ潮時ね、竜も出たし、これ以上ここにいてもしかたがないわ」

「みたいだな、どっちに脱出する?」

「ハニーたちの来た道は?」

「狭いぞ」

「なら、こっちに戻りましょう」


 といって、割れ目とは反対側の通路を指差す。


「案内をつけるから、ハニーはローン達を連れて先に行って、あっちは被害が大きいから。私達が壁になるわ」

「わかった、気をつけろよ」

「ええ、任せて」


 エディの隣で槍を振るっていたメリーもニッコリ笑うと、


「紳士様、お気をつけて。クメトスを頼みます」

「そっちもな」


 まあ、守られるのは俺の方だけど。

 エディの指示どおり、俺達は出口に向かって進路を取る。

 と言っても散らばった魔物があちこちにいるので簡単には行かない。

 さっさと逃げればいいのに、こいつらもなんで襲ってくるんだろうか。

 デュース達が竜対策で隅っこの方に陣取ったので、俺はうちの騎士組の護衛を受けながらローンとクメトスに合流する。


「紳士様、おかげで助かりました」


 というクメトスは無事だったが、ローンは肩に傷を負っていた。


「大丈夫か?」

「ええ、かすり傷ですが、剣を振るうのは難しいですね。エディは?」

「先に行けってよ」

「……わかりました、では行きましょう、クメトス殿」


 そうローンが言うと、クメトスは一瞬悩んだあとに頷く。


「行きましょう、先頭は私が……」


 クメトスがそこまで言ったところで、再びクロが叫びだす。


「ボス、ボス、タイヘンダゾ、ボス」

「今度はなんだ!」

「基点級ガーディアンガ起動シタ。ニゲロ」

「ガーディアンってこんな時に。どうにかならんのか?」

「軌道管理局ト技術院ハ仲ガ悪イ、現在交渉中ダガ、アテニナラネ」

「まじかよ、で、どこから来るんだ?」

「真上ダ」

「なに!?」


 慌てて上を見ると、真っ白に光る天井の一部がぽっかり開いて、何かがズルズルと降りてきた。

 でかい。

 さっきの竜もでかかったが、それに負けないぐらいの大きさだ。


「上からくるぞ、気をつけ……」


 叫び終わる前に警報が鳴り響く。

 味方はみんな上を見上げ、つられた敵も同じく見上げ、一瞬の間の後に、全員走りだした。


 うちの従者たちは全員ピンピンしてるので平気だが、騎士たちの中には負傷者も多く、思うように走れない。

 今も目の前では傷ついた若い騎士がクメトスに引きずられていた。


「死にたくなければ走りなさい! こんなところで無駄死にするつもりですか!」

「で、でも隊長、足が……私はもうだめです。先に」

「馬鹿なことを言うものではありません」


 半泣きの若い女騎士は、先に行けと言いつつも、クメトスにしがみつく手を離せない。

 まあ、そんなもんだろう。


「手を貸そう、急げ」


 俺がそう言って女騎士の肩に手を貸すとクメトスが、


「いけません、紳士様はお先に」

「言ってる暇があったら走れ。ほら、嬢ちゃんもがんばれ」

「うぐ、うぅ……」


 女騎士は泣きながら血まみれの右足を引きずる。

 頑張ってはいるが流石に遅い。

 ちらりと上を見ると、ズルズルとでかくて白い円柱状の塊がずり落ちてくる。

 直径十メートルぐらいの柱のようなものだ。

 あれもガーディアンなのか?

 それともあの中からクロみたいなのがいっぱい出てくるんだろうか。

 とにかく逃げないと。

 しかしこの娘、重いな。

 鎧が重すぎるんだよ。


「ご主人様、クロに乗せるであります」

「ボス、ノセロ」


 そこにレルルとクロがやってきたので、女騎士を載せた。

 これでどうにか普通に運べる。

 さらに二人ほどやばそうな騎士を強引に乗せて一目散に広間の外周に向かって走る。

 時間にしてみれば数十秒程度だったろうか。

 どうにか白い円柱の真下から離れたかな、と思った頃合いに誰かが叫んだ。


「落ちるぞーっ!!」


 振り返ると白い柱が地面に激突する瞬間だった。

 とっさに盾を構えると同時に、すさまじい爆音、ついで爆風が襲いかかり、俺達は吹き飛ばされた。




「うぐぐっ……」


 いてぇ。

 だいぶ転がったようだ。

 特製の盾も、どっかに飛んでってしまった。

 体のあちこちに瓦礫がぶつかった気がする。

 さっきから散々な目にあってるな。

 起き上がろうと右手をつこうとした瞬間、激痛が走る。


「いでっ!」


 見ると腕がポッキリ折れていた。

 その声を聞いて、側で転がっていたレルルが慌てて駆け寄ってくる。


「ご、ご主人様、大丈夫で…。うわ、その腕は!」

「き……気にすんな。ちょっと曲がっただけだ」

「曲がったって、折れてるでありますよ!」

「そうとも言うな。それよりもあの柱は?」


 痛みをこらえて振り返ると、広間の中央には巨大な白い柱がそそり立っていた。

 地面はひび割れ、半ば食い込んでいる。

 どうなるんだ、こいつ。


「と、とにかく避難するであります。ここでは治療もできんであります」

「お、おう。そうだな」


 動くと痛いが、そうも言ってられない。

 慌てて逃げる間にレーンたちとは少し離れてしまったようだ。

 歯を食いしばり、脂汗をダラダラ流しながら、ゆっくりと一番近い出口を目指す。


「いてぇ、泣いてもいいかな」

「自分が幼い頃に落馬して腕を折った時は、かなり泣いたであります」

「幼いころだろう」

「今でも泣く可能性はあるでありますよ」

「じゃあ泣こうかな」

「歩きながらにするであります」

「そうしよう」


 レルルに支えられながら、必死に歩く。

 しばらく進むと先行してけが人を運んでいたクロが戻ってきてくれた。


「乗レ、ボス」

「おう、助かる」

「急ゲ、起動シタ。F6トヤルゾ」


 クロに乗って振り返ると、先程まで地面に突き刺さっていた白い柱に、輪切り状の切れ目が入った。

 ついで全身が持ち上がったかと思うと、下から足が生えて、ゆっくりと外に向かって歩き始めた。

 まるでだるま崩しのバケモノだな。

 そのだるま崩しは輪切りの断面が互い違いに回転し、バリバリとスパークし始める。

 やばそうだ。


「ご主人様、ご無事ですか!」


 近くに居たエーメス、それにフルンとシルビーも助けに来てくれる。


「ご主人様、怪我したの!」


 フルンが泣きそうな顔で擦り寄ってくる。


「かすり傷だよ。それよりエットは? 一緒じゃないのか」

「エットは大丈夫、向こうでセスと一緒だった」

「そうか。他は無事か?」


 今度はエーメスが答えて、


「はい。離れたところでデュース達も居ました。今はひとまず手近な出口から脱出を」

「そうだな」

「紳士様、早くこちらに」


 部下を助けたクメトスも来てくれた。

 みんなに助けられながら、どうにか出口までたどり着く。

 どうやらこちらに来たのは少数で、大多数は当初の予定の出口に向かったらしい。

 うちの従者でこちらにいるのは、レルルとクロ、エーメスにフルン、そしてゲストのシルビーだけだ。

 騎士もクメトスとその部下十人ほどだ。

 しかも負傷者が多い。

 ローンともはぐれたらしいが、彼女なら先頭にいたし大丈夫だろう。

 出口の物陰に隠れて、応急処置をしてもらう。

 折れた槍の柄を押し当てて、包帯でぐるぐる巻きにして腕を固める。

 これでとりあえず歩くぐらいは出来そうだ。

 治療を受けている間に、広間の方を見ると、起動したガーディアンに青い竜が体当りしていた。

 ほとんど怪獣映画のノリだな。

 俺達が出る幕ではない。

 騎士も魔物もそれぞれが一目散に逃げている。

 全員無事かはわからんが、とにかく今は逃げるしかあるまい。


「動けますか?」


 と尋ねるクメトスに、


「走らなければね。とにかく、ここを離れよう。そっちは大丈夫なのか?」

「はい、ただ、この先に進んでいいものかどうか……」

「たしかに、こっちは通ってないもんな」


 こちらの出口は俺達が来た道でもなければ、エディ達が降りてきた道でもない。

 少数で手負いも多いまま、細い通路で敵に囲まれでもしたらどうしようもなくなるわけだ。

 改めて外を見ると、だるま崩しと巨大な蛇がくんずほぐれつ大乱闘している。

 瓦礫と稲妻と氷塊が飛び交う地獄絵図だ。

 ひどい。

 あっちに戻るのは無しだ。

 そもそも、ここで悩んでるだけでも危ない。


「しかたない、あっちに戻るよりはマシだろう」

「ですが……」


 クメトスも決めかねているようだ。

 傷ついた部下を多数抱えた状態では迷うだろう。


「迷ってる時間はないぞ、行くしかねえな」

「わかりました、行きましょう」

「だったら、道案内がいるだろ」


 どこからともなく頼もしい声が。


「エレン、どうやって来たんだ?」

「なに、旦那の顔が見たくてひょひょいとね」

「嬉しい事言うねえ、紅も一緒か、二人共よく来てくれた」


 エレンの後ろに居た紅に声をかける。


「向こうは全員無事です。騎士団とともにあちらから脱出するそうです」

「よし、俺達も行こう」

「マスター、怪我をされているのですか?」

「ちょっとね。たいしたことないからあっちには内緒にしといてくれ」

「かしこまりました」


 この二人がいれば、未知の通路でも大丈夫だ。

 そういう判断で、危険を犯して来てくれたのだろう。

 グズグズしていると、この通路も崩れかねない。

 俺たちは急ぎ足で、出口の奥へと進んだのだった。




 薄暗い通路を歩く度に腕に激痛が走る。

 クロに乗っていればまだましだったのだが、歩くことも出来ない重症の騎士に譲ったので、自分で歩くしかあるまい。

 歩きながらエーメスが回復呪文をかけてくれるが、彼女の術では痛みを和らげる程度の効果しかない。

 それも、レーンのようにかけ続ける訳にはいかない。

 いざというときのために魔力を残しておくべきだしな。

 十分ほど暗がりを進むと、先程まで聞こえていた地響きも小さくなっていく。

 この道はほとんど一本道で、途中両側に小部屋が並んでいるだけだった。

 そこは無視して先に進む。

 上に抜ける道があると良いんだが、とにかくヤバイ状態は脱したようだ。


「あちらも全員無事です。騎士団に手負いが多く、退却に手間取っているそうですが、そちらと別れて別経路でこちらとの合流を試みるそうです。現在経路をスキャンしています。確認出来次第あちらを誘導します」


 紅があちらと念話で話した結果を伝える。


「となると、あまり動かないほうがいいかな?」

「まだ一本道だからね、行けるところまでは行ったほうがいいよ」


 とエレン。


「それもそうだな、よし、頑張るか」

「みんな頼んだよ、僕はもうちょっと先に行ってくる」


 そう言ってエレンは一人、細い道を先行していった。

 頑張るとは言ったものの、腕の痛みはどんどんひどくなる。

 痛すぎて吐きそうだ。

 骨折ぐらいで軟弱だなあ、俺も。


「マスター、顔色が良くありません。血圧も低下しているようです」


 と紅。


「そうかな?」

「はい」

「……そうかも。ちょっと、こいつは……」

「マスター? マスター、お気を確かに、マスター!」


 だめだ、目がくらんできた。

 早く行かないと……彼女が待って……。

 彼女って誰だっけ……。

 俺は……何を……。




 気が付くと、空には一面の光の網目模様が広がっていた。

 腕の痛みもない。


「気がついたようですね」


 聞き慣れた声の主を探すと俺の直ぐ側にいた。

 具体的には、地面に寝転んだ俺に膝枕をしていた。


「やあ、判子ちゃん。今日はまた随分とサービスがいいな」

「私が少々、ご迷惑をかけたようですからね」

「迷惑だなんてとんでもない」


 そう言って体を起こすと、ここには俺達しか居なかった。

 無限に続く草原と、網目状に光が広がる夜空、地平線を覆い尽くす白いもや。

 そしてカプルが作ってくれた、あの匣。


「誰も居ないんだな」

「ええ、ここには誰もいない。心地よい草原が永遠に広がるだけ」

「ずっとこうしていたいねえ」

「そうですね、ずっとここに居るなら、こうしていられますよ」

「それも悪くないが……」


 だが、みんなを待たせちまってるからなあ。


「そろそろ戻るよ」

「それがいいでしょう。次にここに来るときは、もう少し賑やかにしておくのですね」

「がんばるよ」


 俺がそう答えると、判子ちゃんは少し寂しげに笑ったように見えた。




「旦那、ほら、気付けの酒だよ」


 エレンの声で、飛びかけた意識が戻ってくる。

 いつの間にか俺たちは竪穴の底に居た。

 どうやらまた、気を失っていたらしい。

 気が付くと、クメトスが膝枕をして、俺に回復呪文をかけていた。


「申し訳ありません、我々にもまともに回復できる術師はおらず、私の拙い術で我慢していただくしか」

「なに、だいぶ楽になったよ」


 実際、先程までの吐き気のするほどの痛みは抜けている。

 もちろんズキズキと痛みはするんだけど。


「今、隊を立て直しています。終わり次第、移動を再開しましょう」


 とクメトス。

 ここは深い井戸の底のような作りで、上に向かって壁面に螺旋階段が続いている。

 そして底の広間からは四方に道が伸びていた。

 ここで小休止の後に、上を目指すらしい。

 しばらく呪文をかけてもらい、かろうじて歩けるレベルまでは回復した。


「助かった、これなら歩くぐらいは行けそうだ」

「お役に立てて何よりです。人の身ではこんなことぐらいしか、あなたのお役に立てませんので」


 そう言って艶っぽい目で俺を見つめるクメトス。

 人前でそういうことをされると、やっぱり照れるな。


「お取り込み中悪いけど、僕は今のうちに上を見てくるよ。旦那も歩けそうだしね」


 とエレン。


「気をつけろよ」

「うん、どうもいろんな気配が混じってるからね。すぐに戻るよ」


 そう言ってエレンは螺旋階段をするすると登っていった。


「では、私どもも今のうちに支度を。十分後に出発ということで」


 クメトスは部下に指示を出して、出発の準備をする。

 俺は少しでも体を休めておこうとじっと座ったまま、上を見上げる。

 直径十数メートルの大きな円柱状の竪穴で、その外周に幅一メートルほどの螺旋階段が付いている。

 上の方は真っ暗だが、時折なにか見えるのは、灯りも持たずに上に進むエレンだろう。

 もう、あんなに登ってるのか。

 視線を変えて、四方に伸びる通路を見る。

 細い通路の先は真っ暗で、今にもなにか出てきそうだ。


「紅、あっちは大丈夫なのか?」

「先程調べましたが、近くに動くものの存在は検知できませんでした」

「そりゃよかった」


 そう答えた瞬間、ずーんと再び鈍い地響きが起きる。

 それが続けざまに三度。


「ボス、基点級ガーディアンガ負ケタ」


 とクロ。


「負けたのか。それでどうなったんだ?」

「竜ハ逃ゲタ、警戒レベルガ上ガッタ。巡回型ガーディアンガ起動スル、逃ゲロ」

「また逃げろか、おいみんな、新手が来るぞ、急いで逃げろ!」


 そう言うと同時に警報が鳴り響き、四方の通路から物音が聞こえてくる。


「急げ、ガーディアンが来るぞ!」


 準備中だった騎士たちも大慌てで階段に殺到しようとするが、クメトスの一喝でたちまち静まる。


「落ち着きなさい! 予定通り、殿組は階段の上り口を固めて負傷者と紳士殿を先に。盾構え!」


 クメトスの指示に従い、たちまち俺達のまわりに壁ができる。

 四方からはガリガリと岩を削るような音が近づいてくるが、慌てずに怪我をした騎士から先に登らせ、ついで俺達も動き始める。

 と同時に通路の一つからドラム缶のようなガーディアンがワラワラと飛び出してきた。


「後方確保! 絶対に通すな!」


 ドラム缶と盾が激しい音を立てて激突する。

 ゴワンという鈍い音とともにドラム缶が吹き飛ぶが、騎士たちは動じない。

 階段を登る騎士たちの動きは遅く、俺達はまだ登り始めることができないでいた。

 その間、殿の騎士たちは必死に守っているが、ガーディアンは数も多く、強引に押し込んでくる。

 長くは持たないぞ。


「クロ、どうにかならんか」

「今交渉中。コノガンコ者共メ」


 悪態をつきながら、クロも頑張ってくれているようだが、あてには出来んな。

 ようやく動き始めた列の最後について、階段を登り始める。

 その後ろでは、クメトスと数人の騎士が、決死の覚悟で後ろを守ってくれている。

 時折、盾の隙間から飛び出してくるドラム缶をエーメスが切り落とし、壁面をよじ登るやつらもフルンやシルビーが突き落とす。

 だが、下からは次から次へとガーディアンが湧いてくる。

 こいつらは飛び道具こそ持たないが、頑丈なボディでじわじわと押しつぶそうとしてくる。

 しかも数が多い。

 このままじゃヤバイが、どうにか逃げるペースも上がってきた。


「旦那ーっ、こっちこっち、ここから横穴があるよ!」


 上からエレンの声がする。

 そこまで行けば、どうにかなるのか。

 必死に階段を駆け上るが、すぐに息は上がるし、何より腕が痛い。

 まったく、こんな時に俺ってやつは……。


 螺旋階段を十周ほど登ると、エレンの言った通り横穴があった。

 先行した騎士はすでに奥に進んでいるらしい。

 入り口ではエレンが待っていた。


「この先は広間があってそこから天然の洞窟につながってる。そっから逃げられるはずだよ」

「はぁ、はぁ」

「旦那、痛むのかい?」

「大丈夫だ、よし、いそげ。後ろは大丈夫か?」


 無理して振り返るとクメトスもどうにか追いついてきた。


「よかった、無事だったか。さぁ、急ごう」


 クメトスに背後を守られながら、横穴を抜けると、これまでと違いやけに広く眩しいスペースに出た。

 空っぽの倉庫か何かのようで、百メートル四方はある。

 なにより、最大の違いはここがステンレス製なところだ。

 床も壁もツルツルで、天井には一面光が灯っている。


「基地に入ったのか!」

「そのようです。ここは地下百十三階に相当します」


 と紅。


「出口はあっち、ここの探索は後回しにして、今は逃げないと」


 そう言ってエレンが倉庫の一部を指差す。

 そちらの一部は壁が大きく開いて、その外には洞窟の岩肌が覗いていた。

 ここを突っ切ればどうにかなる。

 だが、後ろから追いついたクメトスは、この状況を目にして、絶望の色を浮かべた。


「これは……」

「ど、どうした……早く……行くぞ」


 喋るのもしんどいが、そうも言ってられん。


「紳士様……どうやら、ここでお別れのようです」

「え!?」

「この距離では、この広間を抜けきる前に、ガーディアン達に取り囲まれて押しつぶされてしまうでしょう」

「何を…言って……」


 だめだ、意識が遠くなる。


「この狭い通路だからこそ、奴らの速度に対抗して守り切れるのです。ですから、私がこの通路を死守します。どうか、紳士様はお逃げください」


 何を馬鹿な……ことを……。


「今まで、私は団のために生きてきましたが、最後にやっと自分のために戦うことができるようです。紳士様には、感謝してもしきれません。ですが、最後に一つだけ……」


 そう言ってクメトスはゆっくり顔を近づけると、その乾いた唇を俺に重ねてきた。

 ただ、唇を押し当てるだけの不器用なキスに、俺は身動き一つ出来なかった。


「これでおわかれです。どうか、ご無事で……。エーメス、部下たちを頼みます」


 そう言ってクメトスはにっこり笑うとさっそうと翻り、槍を構えて元来た通路に飛び込んでいった。


「待て……クメトス、待つんだ!」


 待ってくれ!

 よろよろと追いかけようとする俺の体をエーメスが担ぎあげる。


「まて……降ろせ、クメトスが!」


 エーメスは無言のまま走りだす。

 担がれたまま、俺はもがくこともせずに小さくなるクメトスの見つめるだけだった。




 広間を抜けて、洞窟に出る。

 そこからは一本道が続いていた。

 俺を担いだまま走り続けるエーメスに声をかける。

 ここまでガーディアンの追撃はない。


「エーメス、もういい、大丈夫だ。降ろしてくれ」


 エーメスは無言のまま、俺を下ろすと、すこしばかり回復呪文をかけてくれた。

 それでまた、歩けるようになる。


「もう……大丈夫だ、すまなかったな」

「いえ、ご主人様こそ……」

「さあ、先を急ごう」

「はい」


 今のところガーディアンの姿は見えない。

 つまりクメトスが食い止めてくれているということだ。

 ほとんどが怪我人だらけの状況でできることといえば、一刻も早く仲間と合流するだけだ。

 そうすれば、少しでも可能性が上がる。

 それ以外のことは何も考える気が起きず、ただ、クメトスの最後の笑顔だけが頭のなかでぐるぐると巡っていた。

 そこにデリカシーの欠片もない悲鳴が上がる。


「魔物だっ!」


 くそ、今度は魔物か。

 どれだけ居るんだよ。

 いい加減にしてくれ、これ以上は……。

 だが、悪態をつく俺の前に現れたのは、もっとも恐るべき敵だった。

 通路の先には、黒い影をまとった魔物、あのアヌマールが何匹も立ちふさがっていたのだ。


「くっ、せめてコルスが居てくれれば……我々だけでは奴らの相手は」


 エーメスは歯ぎしりしながらも剣を抜く。

 確かに奴ら相手に剣の腕前だけでは対抗できない。

 しかし、よく見ると前に見たアヌマールとは違い、全身を覆う黒いヤミにはゆらぎがある。


「あの結界は不完全なようです。ゆらぎの部分であれば、通常の攻撃が通るかと」


 と紅。


「ならば……」


 つぶやいたと同時に、エーメスは雄叫びを上げて突進し、僅かに揺らめく敵の体の薄い部分を貫く。


「フルン! お前たちはご主人様を。奴らは私が」


 そう言って再びエーメスが剣を振るう。

 前方に居たアヌマールが次々と倒れていく中で、今度は背後に居た騎士から悲鳴が上がる。

 振り返ると、とうとうさっきのドラム缶型ガーディアンが押し寄せてきていた。

 つまり、もう……。


「でやーっ!」


 フルンが飛び出していって斬りつけるが、ガーディアンのボディは硬い。

 打撃で突き飛ばしたものの、致命傷とはなっていなかった。


「たぁっ!」


 シルビーもフルンとともに敵に立ち向かうが、二人だけでは防ぎきれない。

 騎士たちもここにいるのはほとんどが手負いで、満足に戦えない。

 エレンと紅も俺を守りながら懸命に戦っているが、このままでは時間の問題だ。


「あ、ああぁ……」


 隣で呆然としていたレルルが、歯の根も噛み合わぬ様で震えている。


「じ、自分は……自分は、騎士であります。あ、あの隊長殿の死に様こそ……騎士の鏡、自分は、じぶんは……ああぁっああ!」

「おい、だれかレルルを止めろ」


 俺が止めるよりも早く、レルルは槍を構えて狂った様に叫びながらガーディアンの群れに飛び込んでいく。

 だが、ヤケになったところで強さが増すわけでもなく、あっけなく吹き飛ばされたレルルは壁に激突する。


「げぶっ……あ…じ、自分は」

「レルル!」


 駆け寄って抱き起こしたレルルは額が割れて血が溢れていた。


「血……死ぬであります、自分は…自分は……敵の一人も倒せぬまま…ご主人様も…死……ぁああァ……あああぁぁっ!!」

「レルル、レルル!」

「ぅあああああっっっ!!!」


 叫び声とともにレルルは全身から青い炎を吹き出し、俺の腕からもんどり打って飛び出していった。

 今や青白い炎の塊となったレルルはガーディアンの群れに飛び込んでいく。

 その勢いは凄まじく、フルンの一撃も跳ね返した硬いガーディアンの装甲を安々と突き破り、瞬く間にスクラップに変えていった。


「レルル……お前一体」


 猛り狂う炎と化したレルルはとどまるところを知らず、次々と敵を破壊していく。


「味方だ! 援軍だぞ!」


 そこに別の声が聞こえる。

 慌てて振り返ると、騎士団の姿が見えた。

 あれは赤竜の十一番隊、赤いマスクのハウオウルだ。

 新手の出現に前方に居たアヌマールたちはたちまち姿を消してしまった。


「ご主人様、あれは一体」


 そこにエーメスが戻ってきた。


「わからん、そっちは片付いたのか?」

「援軍のおかげで。それよりもレルルは……」

「突然青く光り出してああなっちまったんだ」

「青く……」


 今はいいが、あれは元に戻るのか?

 一体どうすれば。


「おお、紳士殿、ご無事でしたか」


 そこに十一番隊副長のギロッツォがやってくる。


「おかげで助かったよ」

「一体、何があったのですかな?」

「話せば長いんだがな」

「それにあの青い光は……」

「あれはレルルだよ」


 ギロッツォの後ろに居た隊長のハウオウルが一歩前に出て、青い光を見つめる。


「レルル……覚醒…してる」

「覚醒?」

「言い伝え……」


 それだけつぶやくと、マスクの隊長は押し黙ってしまった。

 狭い洞窟の中を跳ねまわりながら、レルルは次々と敵を破壊していく。

 その圧倒的な戦力差に、ガーディアンは撤退を始めた。

 そうして残りを手当たり次第に破壊し尽くしたかと思うと、今度はこちらに向かって飛びかかってきた。


「いかん!」


 そう言って飛び出したエーメスの脇をするりと飛び抜けて、まっすぐ俺に向かって飛んで来る。


 ガッ!


 激しくぶつかる音、そして飛び散る血しぶき。

 俺の前に立ちふさがったハウオウルが、盾でレルルの一撃を塞いでいた。

 だが、レルルの槍は盾を貫き、鎧を貫き、ハウオウルの脇腹を貫通していた。


「ウ…がっ……」


 全身から青い炎を撒き散らしながらも、さらに貫こうとするレルル。

 すさまじい衝撃の余波で、ハウオウルのマスクも砕け散っていた。

 初めて見る彼女の素顔は、端正に整っていて、そしてその両目は白目まですべて深い黒に染まっていた。


「ぁ…ァア……」


 ハウオウルはうめき声を上げるレルルの顔に優しく手を添えて、囁く。


「もう、大丈夫、敵は…去った。心を、戻して……いつもの、優しいレルルに」

「ぁ…ぁあ……」


 レルルはガクガクと全身を痙攣させたかと思うと、ボンと音を立てて炎が掻き消え、崩れ落ちた。


「レルル!」


 慌てて駆け寄ると、レルルはハウオウルの腕に抱かれて気絶していた。


「大丈夫……なのか?」


 俺の問にハウオウルはコクリと頷く。


「あんたも、その傷は……」


 レルルの槍は彼女の脇腹を深くえぐっていた。

 彼女は再び小さく頷くと、レルルを床におろし、無造作に槍を引き抜く。

 一瞬、傷口から血が吹き出すが、それもたちまちのうちに止まってしまった。


「いやあ、まさかあのレルルがこのような力を秘めていたとは、ガハハ」


 ギロッツォのいつもの笑い声が響く。

 笑ってる場合じゃないのだが、こういう奴がいると少しだけ気が楽になるな。


「とにかく紳士殿、ここは一旦引き上げましょう」

「待ってくれ、この先にクメトスがいるんだ。俺たちを逃がすために一人のこって……」

「なんと、白象の隊長殿が……しかし、この状況では」

「それはわかるが頼む。せめて彼女の……」


 それ以上は言葉にならなかった。


「うむ、わかりました。よろしいですかな、隊長」


 ギロッツォの言葉にハウオウルは無言で頷く。


「よし、誰か本体に戻って状況を報告。我々は同胞の救出に向かう!」

「おうっ!」


 騎士たちは一斉に声を上げて行軍を開始した。

 そうして俺達は、今逃げてきた道を戻り始めたのだった。

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