第169話 旅立ち(第三章 完)

「さあ、いよいよ始まりますは紅白戦が第三戦! 拍車きらめく両騎士団の精鋭たち! 東に陣取る赤竜騎士団を率いるはエンディミュウム騎士団長、西に陣取るはメリエシウム騎士団長率いる白象騎士団! 双方向かい合って、決戦の幕は今まさに切って落とされようとしております!」


 祭りの最終日、港のそばにある巨大なスタジアムで、俺達は紅白戦の最終戦を見に来ていた。

 VIP席に従者が全員――といってもミラーは0号だけだが――揃っての見学だ。

 あとクメトスはもちろん隊長として部隊を率いている。

 従者となったものの、流石に隊長、しかも騎士団ナンバー2ともなればすぐに辞める訳にはいかない。

 それでなくても、彼女には別の仕事があるのだが。


「ご主人様、クメトスがいよいよ出てきましたよ、ほら、手を振っています」


 エーメスが叫ぶと、


「うっ、ハウオウルがこれみよがしに手を振っておるであります。仕方ないので振り返すであります」


 とレルルが首をすくめる。


「クメトスと団長がいれば、まだまだ白象にも……」

「むむ、現在一勝一分、どうあがいても白象の勝ちはないであります!」

「あんなレースは無しです! そもそもレルルが最初に池に飛び込むから!」

「自分だって一緒に飛び込んだでありますよ!」


 まったく、すぐ熱くなるな、この二人は。

 二人をほっといて、俺は試合を見守る。

 双方が木の槍を構えているほかは、通常の合戦と変わらない。

 あのヘビー級の金属の塊が、すごい勢いで激突するのだ。

 盛り上がらないわけがない。

 手に汗握るとはこのことだ。


 ドーン、ドーンッ。


 太鼓が大きく二つなって、双方の騎士が槍を掲げる。

 ついでもう一つ、ドーンとなった瞬間、先頭に立つ両団長が雄叫びを上げて、全軍が飛び出した。

 あとはまあ、なんというかすごかった。

 激突する鉄の塊が火花を散らし、撃ち交わす槍は砕け、盾は宙を舞う。

 乱戦の中でも両団長は目立つな。

 そしてやはりクメトスにも意識が向く。

 ちょうど今、クメトスが名前を忘れたなんとかという赤竜の隊長を馬上から叩き落としたところだ。

 ついで槍を向けた先にはエディの右腕、ポーンがいた。

 共に両騎士団ナンバー2同士の対決は撃ちあうこと十数回。

 決着を見ることなく、両軍の波に揉まれて痛み分けとなった。

 そうして激しい乱戦の後に最後まで立っていたのは、やはり両団長だった。


「どっちを応援するか、聞かないのか?」


 例のごとく俺の隣りに座っていたフューエルに尋ねると、頭にクントを載せたままフューエルは難しそうな顔で答えた。


「それを聞いてどうしたいのかを聞きたいですね」

「難しいことを言うなあ、フューエルは」

「ほら、よそ見をしない。いよいよ最後の勝負ですよ」


 一旦距離をとって向き合い、双方の馬が駆け出す。

 双方の構えに揺るぎはない。

 力量の差はどうだ?

 二人とも、俺にはわからないレベルで強い。

 だが……勝つのは一人だけ……。


 ガッ!


 はるか舞台の中央からここまで響く轟音とともに盾がはじけ飛んだ。

 飛んだのはエディの盾だ。

 だが、メリーは槍の一撃を受けて、体ごと吹き飛んでいた。

 勝ったのはエディだ。

 一瞬の静寂の後に、歓声が沸き起こる。

 エディは槍を掲げ、その歓声に応える。

 いやあ、凄い試合だった。


「いい試合でしたね」


 フューエルも興奮を隠しきれない顔だ。


「やっぱ騎士ってのは強いな」

「ええ。では、挨拶に行きましょうか」

「うん? でもプログラムを見ると、最後に団長同士の一騎打ちってのがあるんじゃないのか? 今のも一騎打ちだったけど」

「それは違うんですよ」

「違うとは?」

「偽物の……つまり団長に扮した芸人が、面白おかしく一騎打ちを演じる、ようするに見世物です。本物の騎士団の勝負はこれでおしまいですよ」

「ああ、そうなんだ」

「この後は歌や舞台が続くのです。祭りの締めくくりとして、むしろここからを楽しみにしている人も多いのですが」

「なるほどね、じゃあ、挨拶に行くか」


 俺は元騎士の従者を伴い、フューエルと騎士たちの控室に向かった。

 今回は、勝利を祝うためにエディからだな。


「はぁい、ハニー、見ててくれた?」


 いつものように軽快に微笑むエディだが、柄にもなく全身は汗でびっしょりだった。

 それほどのすさまじい戦いだったのだろう。


「見事な勝利だったな、おめでとう」

「ありがと、私はもういいから、可愛い従者を慰めに行ったら?」

「そっちは後でもできるよ」

「私も後で褒めて貰いに行こうかしら」

「歓迎するよ」

「それよりも、あれはどういうことよ」


 エディが指差したのは、レルルとハウオウルのことだ。

 あれからすっかり仲直りしたのかどうかはわからんが、マスクの隊長ハウオウルは必要以上にレルルにベッタリで、彼女から離れない。


「あの子、そういう趣味だったのかしら」


 エディがハウオウルを見ながらそうつぶやくが、


「あれは単に友だちができて嬉しいだけだろう」

「だったらいいけど、あんなからめ手で引き抜かないでよ!」

「それは本人の意志を尊重しないと」

「油断も隙もないわね」


 他の知り合いにも一通り祝辞を送り、今度は白象の控室に向かった。

 トータルで負け越したことでさぞ落ち込んでいるだろうと思ったが、至って和気あいあいとしていた。


「これは紳士様、ようこそ」


 別の名士に挨拶していたメリーが俺に気づいてやってきた。


「残念だったな、いい勝負だったが」

「いいえ、今の私ではまだ到底あの方には及ばないようです。ですが、良い思い出が出来ました」


 そう言ってメリーは屈託なく笑う。

 実は、あの件が片付いたあと、彼女は相当落ち込んでいたのだ。

 白象の醜聞の真相、ヘンボスの過去、姉とも慕うクメトスを失いかけたこと、そうした事実が一度に押し寄せ、元々真面目な彼女には負担が大きすぎたのだろう。

 それが吹っ切れたのは、彼女に再びお告げがあったからだ。

 彼女の使命は果たされた、女神は彼女にそう告げたのだという。

 それはすなわち、彼女が騎士団長をやめるということだった。


「騎士団長とは女神のお告げを受け、誓を立てたものがつくもの。白象の秘密を解き明かした今、私はこの席を退くべきなのです」


 団長をやめてどうするのかといえば、巡礼の旅に出るそうだ。

 使命のために生きてきた彼女が、これから自分のために生きるには、まず自分を見つめなおす必要がある、そう言っていた。

 どこまでも真面目だなあ、とは思うが、俺には引き止めることは出来なかった。

 空いた団長の席が埋まるまで、ナンバー2であったクメトスが、団長代理として他の幹部と団を取り仕切ることになる。

 その為に、従者となった今でも、まだ騎士団をやめることは出来そうになかった。

 本人は申し訳無さそうにしていたが、まあ、そういうのもありだろう。


 白象の謎が解き明かされたとは言うものの、それが一般に周知されたわけではない。

 教会も国も沈黙を守ったままだ。

 だが、噂は自然に人々の間に広まるものだ。

 あるいは、ちょっとした変化から何かを察する。

 例年であれば、街なかにあるスタジアムに入るまで、白象騎士団は甲冑を脱いでいたのだが、今年は赤竜同様に鎧をまとい、馬にまたがったまま、スタジアムに入場した。

 そして、街の人々もそれを拍手で迎え入れたのだ。

 本人たちにとっては、それで十分なのだろう。


 挨拶を終えて、観客席に戻ると、舞台では例の演劇が始まっていた。

 一見、本物の騎士に見える役者が、馬に乗ろうとして何度も落っこちたり、槍を反対に構えたりするたびにどっと笑いが起こる。

 俺もしばらくは何も考えずに、笑い転げていた。


 演劇のあとは歌や踊りが披露される。

 そのうちの一組は、我らが春のさえずり団だ。

 コネを使ってこの舞台にねじ込んだらしい。

 やっぱりコネは大事だよな。

 などと考えつつ、色のついた精霊石の塊を振る。

 ライブにはサイリウムが欠かせないだろうということで、こっそり広めたやつだ。

 見たところ客の二割ほどが持っている。

 来年までには倍増させたいね。

 夜遅くまで楽しみ、そうして紅白戦と祭りが終わった。




 祭りから数日が過ぎた。

 街は以前の平穏を取り戻し、間近に迫った年越しに向けて、動き始めている。

 俺は元船幽霊のネールとともに、ゴーストシェルの眠る地下の墓場を訪れていた。

 ここでは毎日ヘンボスが秘術を使い、ゴーストシェルを一つずつ成仏させている。

 ネールは毎日来ているようだが、俺が来たのはあれ以来初めてだ。

 見たところまださしたる変化はないが、ここの空気はとても穏やかだった。

 そしてそれを見守るネールの顔も。


 この場所の警備は白象騎士団が行っている。

 地上からここまでは、以前穴掘りを依頼していたA地点経由でまっすぐ降りて来られるようになった。

 あの時、十一小隊はつながったばかりのその経路を使って現れたらしい。

 おかげで、片道二時間もかからずに、ここまで降りてこられるようになったのだ。

 魔界へ繋がる入り口は将来的に封鎖するようだが、今はまだ手付かずだ。

 神殿地下の封印も控えているので、簡単には行かないという。

 冒険者はかなり数を減らしたが、それでも大物の魔物目当ての連中はまだいるようだ。


 ヘンボスもまた、神殿貫主の座を退く事になった。

 元々高齢のために退くつもりではあったそうで、その準備も進めていたが、この機会に引退したらしい。

 そしてここに篭って亡き友を弔いつつ、ゴーストシェルの成仏に専念するそうだ。

 こちらは年明けに新しい貫主が来るのだとか。

 例の一件の責任をとったという話もあるが、それを確かめてどうなるものでもあるまい。

 実際、ヘンボスはここでこうしているときは満足そうに見える。

 だから、それでいいのだろう。


 洞窟を出て街に戻ると、すでに日が傾いていた。

 街からは祭りの名残はすっかり失われ、あちこちに積もる雪だけが街並みを装飾している。

 ほんの僅かの間に、いろんなことが変わってしまったな。

 去るものがあれば、来るものもある。

 家に帰ると、来客があった。


 飛首退治の際に知りあったデュースの友人である凄腕の剣士コンツと、その妻にして神霊術師のパエだ。

 例の神殿地下の結界を張るために、訪れたらしい。

 最低でも年内いっぱいはいるということで、挨拶に来てくれたのだ。


「紳士殿のこの度のご活躍はすでに聞き及んでおります。比類なき功績でありましょうが、惜しむらくは、表立ってそれが評されることは無いことでしょうな」


 コンツは相変わらずの真面目そうな口調でほめてくれる。

 照れるな。


「姫さまは元気かな?」


 と尋ねると、今度は嬉しそうに、


「はい。あれから姫は生まれ変わったように学問に勤しんでおいでです。元来彼女は剣よりも魔法が向いておったのですが、この国の貴族の当主として立つには、剣を持って陣頭に立たねばならぬなどといって、あのような不似合いな甲冑を纏っておったのです。それが今では、己のやるべきことをやるのだと言って」

「それは良かった。彼女ならきっと、やり遂げるよ」


 俺がそう言うと、コンツは満足そうに頷く。

 ささやかな食事でもてなすと、二人は神殿が用意した宿に帰っていった。

 入れ違いで、湖からクメトスが帰ってくる。

 今はこうして毎日船で通勤しているのだ。


「只今戻りました」

「おつかれさん、寒かったろう」

「いえ、これも仕事ですから」

「ははは、まあそう言わずに、俺に暖めさせてくれよ」


 と言って肩を抱くと、彼女は恐縮そうに肩をすくめて、


「いえ、その、ですが……」


 などと、しどろもどろになる。

 かわいいなあ。

 彫りの深い造詣と、化粧っけの無い顔、さらに浅黒く焼けた肌に洗いざらしの髪と言った条件が重なって一回りは老けて見えていたクメトスだが、従者になってからは少し色気が出てきた。

 エンテルの指導を受けながら紅をさし、眉をひく。

 風呂あがりには髪油をつけて、丁寧にブラッシングをする。


「このような事は、自分には無縁だと思っていましたが、これも従者の勤め……なのでしょうね」


 などと言いながら、少し艶の出てきた髪を撫でるクメトスは、満更でもなさそうだ。

 主人としての贔屓目もあるだろうが、日に日に美人になっていくクメトスを見るのが、最近の楽しみの一つだ。


 今日も仲良くお風呂で温まって、暖炉の前に陣取る。

 今夜のメインはあさりだ。


「ホムさんが届けてくれただぁよ、ちぃと旬は過ぎとるだが、身はしっかりしててうめえだ」


 そう言ってモアノアが酒蒸しだのトマト煮だのにしてくれる。


「これは……とても美味しい、こんな食べ物があったとは」


 クメトスは何を食わせても驚くので、モアノアも腕の振るいがいがあるようだ。

 ネールもまた、静かに、だが満足そうに食べている。

 不満なのは、火の玉少女のクントだけだ。


「私も食べる、食べる」

「そうは言っても、その体じゃなあ」


 見た目は人の形をしている時もあるが実際はスカスカで、彼女が触れようと思うと触れることはできるのだが、飲み食いは出来ない。逆に言うと、この状態では飲み食いする必要が無いのだともいう。

 それはネールも同じだった。


「覚醒した状態では、肉の体は一時的に失われます。精霊そのものになると言ってもいいでしょう」


 とネール。

 それを聞いてデュースが質問する。


「それはー、竜と同じ仕組みなのでしょうかー」

「断言はできませんが、そうだと思います。竜もホロアも共に精霊の化身だとも言われていますので。覚醒体となることで、魔力の上限は上がり、詠唱も不要となります。かの大戦時、ほとんどのホロアはそうした力を発揮していたとか」

「それがダークホロアの伝承だったのでしょうかー」

「ダークホロアというものは、聞いたことがありません。私の知るのは主にルタ島に残る伝承だけだったのですが」

「青く光るホロアでー、黒竜会の従えた闇の眷属などと言われていたそうですよー」

「そうですか。ですが闇の衣をまとった、アヌマールと化したホロアの話なら、聞いたことがあります。それと混同されたのでは?」

「なるほどー、そうしたものがー。しかし覚醒すれば私もまだ魔力が上がりますかねー」

「それはどうでしょう。見たところ火炎魔法に関してはすでに人の限界に近いと思いますが」

「そうですかー」

「詠唱が不要になる効果は大きいと思います。ただ、属性の縛りがあるというのがどうにも不思議ですね。ネイキッドホロアであれば、あらゆる魔法が身につくはずなのですが」

「うーん、私は火炎と雷撃以外は使えなかったですねー、改めて試してみるとしますかー」

「協力しましょう。オーレも実体のまま青く光るというのが気になりますね。彼女もまた、異なる属性を持っているのでしょうか」

「わかりませんねー、ただ、彼女の魔力はとても強いのでー。実体を持ったまま覚醒しているのかもしれませんー」

「私も、自分以外に覚醒したホロアを見たことがありませんでしたから、その可能性はありますね」


 ネールは色んな種類の魔法が使えると言うだけあって、回復魔法なども使えた。

 先日、折れた腕を直してくれたことからもわかるように、レーンも使えない最上位の回復魔法も使える。


「実に頼もしい限りです。前衛、後衛、共にメインを張れるメンバーが増えたわけですから、今後の編成も融通がきくことでしょう」


 リーダー役のレーンは喜んでいた。

 数は多くとも偏ってたから、いつも編成では苦労してたみたいだしな。

 ところで、覚醒と言えばレルルのことだ。

 本人はあの時のことをほとんど覚えていないらしい。


「でありますが、完全に知らぬとは言い切れぬであります。あの感触だけは、今もはっきりとこの手に残っているであります。自分はもう少しで償いきれない罪を犯す所だったであります……」


 ハウオウルに槍を突き立てたことを言っているのだろうが、そのことで未だレルルは、大きな勘違いをしていた。


「あの偏屈者に大きな借りを作ってしまったであります。そのせいか、最近顔を合わせる度にベタベタと寄ってきてプレッシャーを掛けるであります。ああやって自分に反省を促して楽しんでいるであります。地獄であります」


 なぜあの状況でそう思えるのかが不思議だが、レルルも偏屈だからなあ。

 一度そう思い込んだら考えが変えられないのかもしれない。

 思い込みといえば、異様なほど戦いを恐れていたレルルだが、彼女が覚醒できた理由も、それが関係している可能性もある。

 ネールによると、覚醒の秘密はすでに失われているが、恐怖や死の自覚が関係しているかも知れないという。


「恐怖が覚醒を促すのか、覚醒を体が恐れるのかは定かではありません。ですが、私の場合は自分の行動がゴーストをより深い地獄へと落としたという絶望が、引き金になったようです。もしレルルが戦いを恐れていたというのなら、覚醒そのものを恐れて体が動かなくなっていたのではないでしょうか?」


 それを聞いてエーメスも頷きながら、


「なるほど、確かにあれだけ体もできていて馬も巧みなレルルが、いくらなんでも戦いに際してだけはあそこまで怯えるのがおかしいと思ってはいたのです。はじめのうちは、からかっているのではないかと訝しんだぐらいですから」


 などと語る。


「でも、そういうものだとホイホイ覚醒しようとは行かないな。それとも何かやり方があったのかもしれないなあ」


 と俺が言うと、ネールもうなずいて、


「その可能性もあります。闇の衣も同様で、未だ人の知らぬ秘術も魔界には多く残っているのではないでしょうか。あの地で五百年墓を守る間にも、様々な魔物に出会いました。あのアヌマールも、あの地の主の一人でした」

「あれが?」

「とくに最近は頻繁に地上に出入りして、何かを探していたようです。私はあの地を封じて慎重に争いを避けていましたが、あの時はご主人様を迎え入れるために結界を解いた瞬間を狙われてしまいました。それでも長年に渡り注意深く観察し、奴の結界の特徴を掴んでいたからこそ闇の衣を貫くことが出来たのですが……」

「だったら、アヌマールなら何でも倒せるというわけじゃないんだな」

「はい。奴らは恐ろしい魔物です」

「そんな奴らが何してたんだろうな、ゴーストシェルを狙ってたのかな?」

「わかりません。ですが、今はあの地は騎士団が守ってくれています。ジャムオックの意思を継ぐ騎士団が再びあの地を守ってくれるということは、これ以上心強いことはないでしょう」


 その言葉にクメトスやエーメスも深く頷く。


 話す間にも次々と料理は運ばれてくるし、酒も進む。

 酔っ払ってくるとおっぱいがもみたくなるのが人情というものだ。

 クメトスとネールを両サイドに座らせてムニムニやりながら、口元に料理を運んでもらう。

 なんというかこう、苦労が報われた気がするねえ。


「そういや、あの時逃げた竜はどうなったんだろうな」

「サーチ不能、軌道管理局ハ警戒態勢ヲ解イタ」


 とクロ。


「つまりわからんのか」

「ソウトモ言ウナ」


 ネールを従者にした以上、あのダンジョンには用がないと言いたいところだが、ネトックからの頼まれものの船を探さなければならない。

 そのためには魔界に降りないとだめなんだが、そうなると今まで以上に本格的な探索が必要になるだろう。


「選択肢はいくつかあります。傭兵を雇い、百人規模の捜索隊を組んで潜るというものです。これはお金がかかりますが、一番現実的でしょう」


 とレーン。


「次に国に働きかけて、騎士団に遠征してもらうこと。これはまあ、あとが面倒なのでやめたほうが良いでしょう」

「ふむ」

「もう一つは、うちの精鋭部隊を送り込み、最小限のリスクで探索に専念する。これがある意味一番確実ですが……」

「俺の趣味には合わんなあ」

「そう言うと思いました。そもそも、まずは近接する魔族の国である西のアーランブーラン王国か、東のデラーボン自由領に探索を申請してからあの領域に入るという手順を踏まねばならないでしょうね。どちらも国交が無いのでどうなるかわかりませんが。というわけで、現在手詰まりです。いずれにせよ年内は無理ですから、年が明けるまでに作戦を考えておきますので、しばらくお待ち下さい」

「うむ」


 年内が無理なのは、いくつか理由がある。

 一つにはセスが世話になっている道場の依頼で、今度の神殿地下の封印作業を手伝うからだ。

 そんな約束もしたなあ、という認識だったが、約束したものは手伝わんとな。

 また、同じ案件にフューエルも参加するので、こちらはデュースが加勢するという。

 この二人が抜けた時点で、年内は大きな探索は無理というものだ。

 せっかくなので、新人も含めて戦闘の練習をするという。

 また、エンテル達学者コンビの要望で、例の地下基地を調べたいそうなので、そちらにも多少人手を割く予定だ。

 そして最大の理由は、俺が疲れきってて、しばらくはもう、まともな探索なんてしたくないということだった。

 いやほんともう、かんべんしてほしいよ。

 しばらくは酒飲みながらおっぱいだけ揉んで暮らします。


 夜もふけ、朝の早いクメトスは先に寝てしまった。

 ネールやクントもフルンに取られてしまったので、俺はほてった顔を冷ましに、一人裏庭に出てみた。

 今夜は空も晴れ、満天の星空だ。

 その分、冷え込みも激しい。

 一つ身震いして視線をずらすと、人影があった。


「こんばんわ、判子ちゃん」

「こんばんわ、黒澤さん」


 こっちは判子ちゃんだ。

 相変わらず、表情が沈んでいる。


「なにかまた、危ないことをしてきたそうですね」

「気になるかい?」

「いえ、ただ今の私はもう、それを見ることが出来ないので」

「本当に?」

「ええ、切り捨てられたインスタンスは、そのまま朽ち果てるのみ」

「俺の知ってる判子ちゃんは、そんな辛気臭いことを言わないけどなあ」

「あなたが私の何を知っているんですか!」

「だが、判子ちゃんは俺のことを、よく知ってるんだろう?」

「当然です。私はずっとあなたをこうして……こうして?」

「うん?」

「見える! 見えます! リンクがつながってる!? え、いつから? なんで?」

「はは、治ったのかい?」

「ああ、わたし……見捨てられてなかったんだ! ああ、ああぁ……ありがとう、私。こんなに嬉しいことがあるのかしら!」

「なんにせよ良かった、早く帰らないと夜は冷えるぞ」

「ふふん、この力が戻ったからには、風邪などひくはずがありません! 明日からはまたバリバリとあなたを監視します!」

「そりゃいいけど、ベッドの中まで覗くなよ」

「なっ!? そんなハレンチなことはしません!」


 なんかわからんが、いつもの判子ちゃんがやっと戻ってきたようだ。

 めでたしめでたし、と家にはいろうと思ったら、間が悪く一建先のネトックが出てきた。


「あら、サワクロさんこんばんわ、ちょっと相談が……」


 と寄ってきて判子ちゃんがいることに気がつく。


「あ、あら、お隣の。ごきげんよう」


 慌ててごまかすが、判子ちゃんは彼女の姿を睨みつける。


「あなた……」

「え、はい?」

「あなた、何者ですか! どこから! どうやってこんなところに! どうしてうちの隣にいるんですか! 違法渡航者は拘束します!!」

「えーっ!!」

「待ちなさい!」

「おたすけー!!」


 そのまま二人は走ってどこかに行ってしまった。

 風邪引かないといいけど。

 まあいいや、家に入って飲み直そう。




 翌日。

 その日の鍛錬を終えたフルン、エット、そしてシルビーの三人組が、お隣のルチアの店でお茶を楽しんでいた。

 声をかけると空いてる席にご招待いただいたので、一緒にお茶を頼む。

 ルチアはお茶と一緒にお菓子を出してくれた。


「そのお菓子はサービスよ、皆で食べてね」

「へえ、今日は気前がいいな」

「よくわからないけど、昨夜からハンコの機嫌がいいのよ。サワクロさん、何かしたんでしょう」

「なに、ちょっと彼女の美しさをほめてみただけさ」

「あら、あんな月明かりの晩に? 案外ロマンチストなのね」

「君を口説くなら、賑やかな酒場のほうが良さそうだ」

「さあ、どうかしら。じゃあゆっくりしていってね」


 そう言ってルチアは奥に戻っていく。


「サワクロ殿は、ご婦人と話すときはいつもああなのですか?」


 シルビーが呆れた顔で聞く。


「相手によるよ」

「そういうものなのですか?」

「そういうものさ」


 俺のたわいないセリフを、深刻な顔で受け止めるシルビー。

 いや、何か言い出そうとして、悩んでいるのか。


「聞きたいことがあるなら、何でも相談にのるぞ? 男の口説き方以外ならな」


 俺の言葉に少し苦笑して、シルビーはこう切り出した。


「サワクロ殿は、紳士様だったのですね」

「うん、ああ。実はそうなんだ。驚いたかい?」

「それはまあ……。ただ、それなりに身分のある方だろうとは思っていましたが、まさか紳士様とは」

「よく言われるよ」

「ですがなぜ、私のような若輩者にそれほど目をかけてくださるのです?」

「そりゃあ、フルンの友達だからさ」

「それだけ……なのですか?」

「それだけで十分だろう、あまり深く考えすぎるもんじゃない」

「エディも……あの方が赤竜団長、エンディミュウム様なのですね」

「ああ」

「お名前は母より伺ったことがあります。それで、あの方も私に……」

「エディは言ってたよ、君のお母さんは大事な友人だってな」

「そう……でしたか」

「そういうのは、嫌かい?」

「いえ。ただ……」

「ただ?」

「私は自分一人の力で家を建て直すしか無いと信じていたのです。それが……こんなにも私はすでに、助けられていたのだと思うと、己の未熟さがただただ恥ずかしく……」

「はは、シルビーは真面目だなあ」

「真面目では、いけないのでしょうか」

「いいやあ、むしろそのままどこまでも突き進むことをおすすめするね」

「ですが、わからなくなったのです。サワクロ殿……いえ、紳士様は」

「サワクロでいいよ」

「では、サワクロ殿は、紳士でありながらも己の行動のみで様々な実績を上げています。竜退治や飛び首退治、そして今回の白象の件……」

「うん」

「あるいは白象のメリエシウム様。あの方もこの度の一件で騎士院に進み、さらなる栄達も可能であったはずなのに、地位を捨てて旅に出られるとか」

「そう言ってたな」

「ならば私のやろうとしていることはなんなのか……一度潰れかけた家を建て直すことに、しかも騎士団の威光を借りてまで……。そんなことに意味など無いのではないかと一度思い始めると、すべての価値がわからなくなってしまったのです」

「ようは人生の指針が見えなくなったわけか」

「はい」

「その年でシルビーはでっかいものを背負ってるからな、そうなるとより大きな足場というか拠り所が欲しくなるんだろう」

「そうかもしれません」

「けどまあ、どんなに盤石の土台だと思ってたものでも、ある日突然なくなっちゃうんだよ。かと思えば他に替えの効かないと思ってたものが、あっけなく見つかったりしてな」

「そういうものでしょうか」

「そういうものさ」

「しかし、それでは……とても不安ではないでしょうか」

「不安でどうしようもなくなったら、身近な人間を頼ればいいのさ」

「しかし……それでは」

「何、遠慮はいらん。俺でもエディでも、好きなだけ頼り放題だ。だいたい俺なんぞは普段から従者に依存しっぱなしだしな」

「私も、私も頼っていいよ!」


 フルンが声を上げるとエットも、


「あたしもあたしも」


 とシルビーの手を握る。


「それで……良いのでしょうか」

「良いという人もいれば、悪いという人もいるのさ。シルビーはどっちだい?」

「私は……たぶん」


 一度言葉を区切ってから、顔を上げる。


「いえ、そちらのほうが良いと、私も思います」

「そりゃあ、良かった」

「はい」


 シルビーはもう、大丈夫だな。

 彼女が何を目指すのかはわからんが、きっとフルンたちの友人として、これからも仲良くやってくれることだろう。




 ある日の夕方、エディがローンとポーンを引き連れて遊びに来た。


「しばらく都に戻るから、ご挨拶にね」


 と言って大きな酒瓶を何本も持ち出す。

 長くこの街にかかりきりだったので、他での仕事が溜まっているらしい。

 広範囲を管理する赤竜騎士団の団長ともなれば、忙しいのは仕方あるまい。


「そりゃあハニーは、私がいなくても代わりはいっぱいいるでしょうけど、私は一人寂しく枕を濡らすしか無いのよ、ちょっと、わかってるの?」


 妙に酔っ払って絡むエディをなだめながら、俺もグビグビと酒を飲む。


「そういえば、明日は来るんだろ?」

「ええ、それはもちろん行くわよ。その後、私も街を出る予定」


 明日というのは、メリーの旅立ちのことだ。

 すでに団長の職は解かれ、教会の名のもとに巡礼者として旅に出る支度を整えている。

 明日は身内だけでひっそりと彼女の旅立ちを見送るのだ。


「騎士の誓いかー、私もね、あとちょっとなのよ」

「なにが?」

「団長の誓いよ!」

「へえ、どんなのを誓ったんだ?」

「四つあったんだけどね、一つは白象との協調。ある意味これが一番の難関だと思ってたんだけど、ハニーのおかげであっけなく叶っちゃったわね」

「ほう」

「次が獣人部隊の立ち上げ。これもトラブルの元だったからどうにかしたかったんだけど、ハウオウルとギロッツオのおかげでどうにか立ち上がったわ」

「ふむ」

「次が冒険者ギルドとの連携。こっちはローンが根回ししてるけどまだまだね」

「ふぬん」

「最後が私にとっては本命よ」

「と言うと?」

「もちろん、ハニーとあつーい関係に」


 そう言って唇を細めて近づいてくるが、ひょいとかわす。


「なんで避けるのよ!」

「二人が見てるぞ」

「いいじゃない、見せつけてやれば」

「ははは、まあ、また今度な」

「ケチ!」

「それで、四つ目は?」

「巡礼よ」

「おまえさんも巡礼なのか?」

「私の場合は、正確には巡礼の道を復活させることよ」

「ほう」

「ヘレクシュアル、これは古い言葉で巡礼の道そのものを指すのだけど、古くに失われたヘレクシュアル街道というのがあってね、ここからほど近い北東のココブ山を入り口に、一週間ほど山道を進むと名も無き神殿があるはずなのよ」

「はずとは?」

「記録が失われたから分からないの」

「わからないのに知ってるのか」

「そりゃあもちろん、お告げがあったからよ」

「誰に?」

「私に決まってるでしょ! 女神様は名乗らなかったから名前はわからないんだけど、そこに失われた神殿があるから巡礼の道を復活させろって」

「なるほど」

「一応ね、前半三日分ぐらいは下調べしてあるのよ。古い街道跡も見つかったから間違いないわ。ただ、その先にあるのが難関でねえ」

「というと?」

「通称ブラックマウンテン、地元では黒頭クロガシラと呼ばれる難関がそびえ立ってるのよ」

「くろがしら?」

「そうよ、山の大半が黒の精霊石で出来た山。魔法も使えないから、登攀術がほとんど役に立たなくて、どこに道があったかもわからないのよ」

「ふぬ」

「そこさえ越えれば、あとはどうにかなるんだけど」

「なるほどねえ」

「だからその二つをやり遂げれば、私も晴れてお役御免となって堂々とハニーとイチャイチャできるわけよ」

「そりゃあ楽しみだ」

「でしょう? だからちゃんと協力してくれなきゃだめよぉ」

「まかせろまかせろ」

「ほんとうにぃ?」

「本当だってば」

「あてにしえるんだからぁ……」


 そこでついに酔いつぶれてしまった。

 エディも酒癖悪いからなあ。

 それにしても、今日は飲み過ぎだったか。

 酔いつぶれたエディを担いだ忍者のポーンが去り際にこう言った。


「あなたの元を離れるのが寂しいのでしょう」

「俺も寂しいよ」

「彼女が起きたら、伝えておきましょう」

「ああ、それじゃあ、おやすみ」

「おやすみなさいませ」


 そうやって三人は帰っていった。


「まさかエンディミュウム様があのような……」


 クメトスなどは呆れていたが、


「なに、みんな大なり小なり、裏表があるものさ」

「そうなのでしょうね」

「さて、明日も早いが、もうちょっと飲み直すか」

「お伴します。私も明日は非番ですので」

「そりゃいいね。よし、俺も本気だすぜ」




 翌朝。

 アルサの街の東の端で、わずかばかりの人間に見送られながらメリーは旅立った。

 ほとんど何も喋らずに、ただ見送りの人間一人一人と握手をかわすと、


「それでは、また」


 とだけ言って、愛馬にまたがり、ゆっくりと東に去っていった。

 その表情はとても穏やかだが、どこか頼りなくもあった。

 一度失ったものを埋める何かを、探しに行くのだろう。

 そしてそれが見つかれば、また会えるに違いない。

 それだけは、確信していた。


「それじゃあ、私も行くわね」


 すでに旅支度であったエディもそう言った。

 ここからゲートを使えば都はすぐらしいが、次に会えるのはいつかな?


「年末までには戻ってくるわよ、それまで泣かずにいい子にしてるのよ、ハニー」

「君こそな、ダーリン」


 去る人もいれば、残るものもいる。

 家に帰れば大事な従者たちが、いつもの様に俺を迎えてくれるだろう。

 そのことが何より、俺の支えになっているのだと感じながら、我が家へと足をすすめるのだった。

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