第146話 降臨の儀

 夜明け前に腕がしびれて目を覚ます。

 右腕にはイミアとサウが、左腕にはシャミとエットが腕枕で眠ってる。

 立て続けに増えた新人従者をまとめて可愛がってたわけだが、一人ならともかく、四人同時は色々ハードだと思った。

 起こさないようにそっと腕を引き抜いて、しびれた腕を揉みほぐす。

 喉が渇くが枕元の水差しは空っぽだった。

 誰かが飲み干したのだろう。

 俺は静かに台所に向かう。

 水瓶から柄杓で水をすくうと一気に二杯飲み干す。

 べらぼうに冷たかったが、それでやっと落ち着いた。

 ふと、外に気配を感じて裏口から出てみると、紅とコルスがいた。

 裏庭で小さな火をおこしている。


「よう、お二人さん。お月見かい?」

「月はもう、沈んだでござるよ」


 とコルス。


「みたいだな」


 空を見ると漆黒のベールにまばらな光点がきらめくのみ。

 この時間にはさすがに湖に船も出ていない。

 コルスは祭りの合間も目ぼしいダンジョンを調べて回ってくれている。

 以前はエレンとコンビで潜っていたが、祭りやら強盗やらでエレンが忙しかったので、最近は紅とペアを組んでいる。

 今もその段取りを相談していたらしい。


「今のところ、収穫は無いでござるな」

「そっか。まあ、あまり根を詰めずに祭りも楽しんでくれよ」

「そうでござるな。もっとも、人混みは少々苦手でござるが」


 そう言って、コルスは苦笑する。


「それにしても、また一気に賑やかになったでござるな」

「増えるときはそんなもんさ」

「せっかく仕上がったこの家もまた、すぐに手狭になってしまうかもしれんでござるなあ」

「さすがにこれだけ広ければ大丈夫だろう」

「なんのなんの、我が殿の力量を持ってすれば、たちまちこの程度の屋敷は女体で溢れかえるでござるよ」

「そりゃ楽しみだ」

「そうでござろう」

「何にせよ、大会もライブもうまくいってよかった」


 大会もそうだが、ライブも大盛況だった。

 予想以上といえる。

 ヘルメ達バンドのメンバーには話してなかったが、昨日はエッシャルバンの劇場関係者も多く見に来ていた。

 ようはスカウトだ。

 うまく行けば彼女たちにはもっと上のステージでの演奏機会が生まれるだろう。

 俺の手を離れるのはちょっとさみしいが、もともと俺がやったのはファン一号になることぐらいだったからな。

 あとは彼女たちのやる気と実力で決まるだろう。


 それよりも、新しい従者のことだ。

 元々メイド族のホロアであるシャミや身寄りのないエットと違い、イミアとサウは家族がある。

 家長であるボーア氏の許可は得たものの、あの二人を引き取るにあたっては、まったく問題がないというわけではなかった。

 サウの方は酒蔵の主人である彼女の母親が、サウが絵描きになるといった時点で好きにさせると言っていたらしいのでほぼ大丈夫だった。

 あるいは先日挨拶に来た時点で、その心づもりだったのかもしれない。

 一方のイミアはちょっと大変だったらしい。

 父親が彼女を可愛がりすぎて婿をとってずっと家にいさせるつもりだったそうで、だいぶ拗ねていたとか。

 そもそも父親自身が入婿なので、立場は弱いんだけど。

 昨夜ちょこっと挨拶はしたのだが、ほとんどイミアの母親がサウの母と同じノリで仕切っていて、さらにその後ろにあの爺さんが控えているので、父親は恨めしそうに俺を見るだけって感じで、いささか気まずかった。

 だからこそ家長である祖父のお墨付きを得るために、イミアは祖父に勝負を挑んだのだ。

 チェスチャンピオンらしい戦略というか、商人の娘らしいしたたかさというか、とにかくしっかりしてるな。

 イミアには兄がいて、これは別の町で役人をやっている。

 いずれは彼が故郷に戻って後を継ぐそうだ。


「そろそろ、アンたちが起きる時間です」


 紅がつぶやく。

 もうそんな時間か。

 不意に扉が開く音がして、我が家の裏口を見るがしまったままだ。

 そのままお隣さんを見ると、ちょうど判子ちゃんが桶を手に出てきたところだった。


「おはよう、判子ちゃん。今朝も早いな」

「誰かさんのおかげで、商売繁盛ですから」


 それだけ言うと、判子ちゃんはそのまま井戸に向かい、水を汲んで戻ってきた。

 そのままうちに入るのかとおもいきや、手前で立ち止まり、一瞬考える素振りを見せてから、紅に声をかける。


「紅さん、フォス波の乱れを検知しましたか?」

「いつのものでしょう? 大きなものは、先のアヌマール以来検知しておりません」

「ああいうスパイクではありません、もっと小さな乱れです。アンカーのような……」

「アンカーとはどういったものでしょう?」

「時空に残す目印のようなものです。たいていは微弱なフォス波のソリトンです」

「……高周波ノイズをカットし過ぎかもしれません。調整しておきます」

「そうですか。お願いします。では」


 それだけ言うとうちに入ってしまった。

 何話してるんだろうな、この二人。

 そういえば、先日の件はまだ判子ちゃんに話してない。

 内緒にしとけと言っていたしな。

 しかし、どうしたもんかな。

 鬱々とした彼女は、見たくないものだが。


 しばらくすると、アンとモアノアが裏口から出てきた。

 イミアもいる。


「おはようございます、ご主人様」

「おはよう、イミアもよく眠れたか?」

「ええ、ぐっすり」

「こんな早くて大丈夫か?」

「はい。実家では朝が早いので、私もいつも炊き出しを手伝ったりしてましたので」

「そっか」


 隣にいたアンがイミアに話しかける。


「薪は馬小屋にあります。竈の分と暖炉の分がそれぞれ必要です。暖炉にはもう少ししたら火を入れてください。それから……」


 そんなことを話しながら、三人は並んで馬小屋の方に行ってしまった。

 少々冷えてきたのでうちに入ると、ハーエルがすでに起きて支度をしていた。

 どちらかというとグータラ寄りの彼女にしては珍しい。


「こんな早朝からどうしたんだ?」

「今日はアウル神殿の巫女にとっては晴れ舞台ですので。私も今回が最初で最後かと思いますが、努めさせていただきます」

「なにか出るのか、そりゃ見に行かんと」

「お待ちしています。そうだ、ご主人様はなにか女神様への願い事はありますでしょうか」

「願い事? そうだなあ、家族揃って無病息災ぐらいかな」

「試練達成などはよろしいのですか?」

「ああ、そっちはお前らがどうにかしてくれるから大丈夫さ」

「かしこまりました。では、そのように」


 ハーエルは同じ僧侶のレーンを伴って足早に出て行った。

 彼女にしては言葉数が少ないし、顔つきも引き締まっている。

 晴れ舞台と言っていたし、相当気合が入ってるみたいだな。

 それを見送り寝床に戻ると、絵描きのサウと猿娘のエットが大の字でそれぞれ逆向きに寝ていた。

 毛布をかけ直したあとがあるが、見ている側からはいでしまう。

 その隣で小さくなって眠っていたシャミがムクリと起き上がると、トイレトイレと呟きながら、出て行ってしまった。

 さらにその周りには従者たちが収穫したての芋のようにゴロゴロと雑魚寝している。

 いい眺めだ。

 そうこうするうちに、戦士組の朝練の時間だ。

 エットは寝ぼけたままフルンに連行されていった。

 レルルは珍しく先に起きていたようだ。

 新入りが増えた時はだいたいあんな感じだが、すぐにまた寝坊するようになる。

 精神面は大物なんだよな、あいつは。

 あの図太さでどうして戦闘の時だけビビっちゃうんだろうと思わなくもないが、仕方あるまい。

 人間、そんなに都合良くはできてないのだ。


 祭りの準備で早出のものはそうそうに朝食を済ませてすでに表に出ているが、俺は久しぶりにゆっくり朝食を取らせてもらった。

 オルエンの淹れたコーヒーを飲みながら、裏庭でのんびり過ごす。

 裏の空き地に目をやると、犬娘のフルンと猿娘のエットが木刀を持って忍者にして気陰流剣士であるコルスに稽古をつけてもらっている。

 道場は休みらしい。

 側にエレンもいて、修行の合間にエットはエレンにベタベタとくっついたり離れたりしている。

 例の一件で、すっかりなついてしまった。

 何にせよ仲良くなってくれてよかった。

 エレンはやはり肋骨にヒビが入っていたそうで、治療は済んだがしばらくは安静だという。


「盗賊は敏捷性がウリだからね。怪我の時はおとなしく治すものさ」


 ゴロゴロしながらそう語る。

 しばらくはおとなしくしててもらおう。


「今日は降臨の儀がありますので、手の空いたものは見に行こうと思うのですが、ご主人様はどうなさいます?」


 一緒にコーヒーを飲みながら手紙を書いていたエンテルが手を止めて尋ねる。


「降臨の儀ってなんだ?」

「女神アウルが天より匣にのって地に降ったことを祝う儀式です。とくにここの神殿では、海から神子を迎え入れるという祭事を行うので有名ですね。海に沈めた大きな神輿を引き上げ、街中を練り歩きながら北上してそのまま湖に沈めるんです」

「ほう、面白そうだな」

「ハーエルもそちらに参加しているはずです。従者となったのがつい先日のことでしょう。引き継ぎも出来ておらず、今回は彼女が巫女の一人として神輿に乗るはずです」

「それのことか、それは見に行くつもりだったんだ。デュースはどうする?」


 同じく隣でコーヒーを飲んでいたデュースに尋ねる。


「私はー、九時ぐらいにフューエルが迎えに来ると行っていたのでー、彼女と一緒に行こうかとー」

「ほう。そういや結局、昨日は来てなかったみたいだな」

「いいえー、来てましたよー」

「そうなのか」

「昨日のご主人様の告白シーンもバッチリ見てましたからー」

「ははは、見られてたのか」

「フューエルもあんなに眉間にしわを寄せていたらー、はやく老けそうですねー」

「彼女も苦労性だなあ」


 デュースの方に年少組は任せて、俺は新人を連れて行くことにしたのだが、エットはフルンやエレンと行くという。

 そこでイミアにサウ、シャミの新人三人に、エンテルとペイルーン、カプルと燕を連れてでた。

 神輿は時間をかけて街を縦断するらしいので、カフェに出ている連中も、交代で見に行くようだ。


「どうせ見るなら、海から引き上げる所からみたいよな」


 というと、地元民のイミアが、


「引き上げは九時ちょうどなんです。海岸沿いは人でいっぱいになるんですが、遠くからで良ければ睡蓮池の高台から見られると思います」

「ほう、じゃあ行ってみよう」


 うちから街をまっすぐ南下して海に出ると、すこし隆起した場所に出る。

 地元で睡蓮池と呼ばれる小さな溜池で、夏にはきれいな花が咲くという。

 ちょうどここから見られるらしいのだが、穴場というには人が結構集まっていた。


「うーん、数年前まではほとんどいなかったんだけど、知られちゃったみたいですね」


 とイミア。


「まあ、そういうもんだ。これぐらいなら十分見られるだろう。そろそろ時間じゃないか?」


 俺が言い終わる前に、九時を知らせる鐘がなる。

 同時に歓声が上がり、僧侶がどばどばと海に飛び込んでいった。

 ワイルドだなあ、寒いのに。


「あれ、ハーエルじゃない?」


 燕が指差すので目を凝らす。


「あ、あの手前で着飾って控えてるのか。そうみたいだな」

「あの子も飛び込むのかしら?」

「さあ」


 目を凝らして見ているうちに、他の巫女っぽい女性陣と一緒に飛び込んでいった。

 風邪引かなきゃいいけど。

 海岸から十メートル程先に大きな樽が浮かんでいて、その周りに飛び込んだ僧侶たちが我先にと群れていく。


「ご主人様、かみこさまー、おいでませー、ですよ!」


 とイミア。


「え、なにが?」

「掛け声です。神輿を引くときの掛け声、みんなで声をかけるんです。もうすぐ始まりますから」

「ああ、そういうのね」


 こっから叫んでも届かんだろうと思うが、こういうのはノリが大事だしな。

 見ているうちに、海の僧侶たちが何かの紐を掴んだようだ。

 あの下に神輿があるのかな?

 と見ていると、突然、大きな旗が上がる。


「そーれっ!」


 周りでじっと見ていた人たちが突然大声を上げる。


「かみこさまーっ!! おいでませーっっ!!」


 地響きのように怒声が轟く。

 街中が叫んでるんじゃないかと思うレベルだ。


「かみこさまーっ!! おいでませーっっ!!」


 とにかくやかましい。

 耳がどうにかなっちまうぜ。

 負けじと叫びながら眺めていると、海に向かって伸びた巨大な荒縄が引き上げられていく。

 やがて水面が泡立ち、巨大な何かが出てきた。

 四角い巨大な石の塊に、大きな車が付いている。

 縄を結びつけた台座はどうやら木製のようで少し海藻などがこびりついているが、石箱のほうは見た感じツルツルで染みひとつついてない。

 あれか、ステンレス製か。


「かみこさまーっ!! おいでませーっっ!!」


 それにしてもやかましい。

 ハーエルはどうなった?

 と探すと、いた。

 石箱を取り囲む木枠に結びついた紐にぶら下がり、必死によじ登っている。

 どうにか天井までのぼると、先頭に陣取った。

 よじ登る巫女たちの半分ぐらいはすでに振り落とされている。

 それを見てイミアが興奮気味に叫ぶ。


「見てください、ご主人様! ハーエルが先頭に立ちました!」

「がんばるな、あいつ」


 這い上がった残りの者達も、次々と上に並ぶ。

 その間も四角い神輿はジリジリと進んでいく。

 そして掛け声はますます大きくなっていく。


 僧侶たちの引く神輿が砂浜を超えて石畳の道に入ると、一旦動きが止まる。

 そこで何やら車の様子をチェックしてるようだ。

 乗りそこねた巫女たちも走り寄って神輿によじ登っていた。


「ご主人様、そろそろ移動の準備を」


 とイミア。


「ああ、下に降りるのか」

「いいえ、ここからだと到底追いつけませんので、先回りして神殿の南口に出ます」

「追いつけないって?」

「神輿は凄く速いので」

「速いってあのデカブツが?」

「はい。あ、そろそろ動き出します、ほら」


 そう言ってイミアが指差すと、再び大歓声が湧き上がる。

 同時に一斉にロープを引き始めた。

 巨大な石の箱がゴリゴリと動き出し、徐々にスピードを上げる。

 やがてみるみるうちにスピードを上げ、土煙を上げて走りだした。

 まじかあれ。


「さあ、急ぎましょう」

「お、おう」


 俺達は小走りで丘を駆け下り、裏道を抜けながら神殿に向かう。

 細い路地を走ると、建物の向こうからゴゴゴと地響きが聞こえてくる。

 あれは神輿が走る音か。


「こっちです」


 イミアの先導で通りに出ると、ちょうど目の前を巨大な神輿が風を切って走って行くところだった。

 四角い神輿のてっぺんで顔をひきつらせて仁王立ちするハーエルが見えた。

 大丈夫か、あれ。

 と思ったら、少し後ろで紐に捕まっていた巫女の一人が振り落とされて転がり落ちる。

 そのままもんどり打って地面を転がり動かなくなったかと思うと、すぐに僧侶の群れが取り囲み呪文やら何やらをかけまくり、あっという間に巫女が復活する。

 そして復活した巫女は再び走りだして先行する神輿を追いかけるのだ。

 なんというか、パワフルすぎてついていけないな。


「みましたか? まだハーエルがトップでしたよ! あのまま逃げ切るかも」


 イミアが興奮して叫ぶ。


「逃げ切るって?」

「神輿はああやって高速で動くのでどんどん振り落とされていくんです。でも落ちた巫女も動ける限り追いかけて、コーナーで止まった時に再びよじ登るんですけど、落ちたものは後ろにつくから落ちなかったものほど前に行くんです」

「ははあ、つまりあの順位が大事なのか」

「はい。巫女に取ってもっとも栄誉のある匣の旗手の称号が貰えるんです」

「そりゃ大変だ、よし、先回りして応援しよう」

「次は西通りに入ります。交差点は人がいっぱいなんですけど、うちの社宅のアパートがあるんで、そこから見られます」


 そう言って再び走りだす。

 路地をいくつも抜けるうちに、体力のないサウとシャミが遅れだす。


「ぜえ、はぁ、わ、私は場所を知ってるから、はぁ、はぁ、さき行って」


 と言うサウとシャミを置いて先に行く。

 今はハーエルを応援しなきゃならないのだ。

 目的の交差点は人であふれていたが、角の建物に入る。

 入り口に立っていた守衛らしいおばさんにイミアが話しかける。


「こんにちは、おばさん。上、行きますね」

「あらまあ、お嬢様、聞きましたよ。おめでとうございます」

「ありがとう、おばさん。急ぐから後で」

「ああはいはい、さあどうぞ」


 俺達はゾロゾロとアパートの狭い階段を駆け登る。

 四階建ての石造りの屋上に出ると、住民がまばらに下を覗いていた。

 ちょうど南の方から神輿がやってきて、俺達の真下で止まったところだ。

 止まった瞬間にもまた振り落とされる。

 ハーエルはというと……いた。

 まだ先頭で頑張ってる。


「ハーエルっ!」


 思いっきり叫ぶと俺の声が聞こえたのか、あたりをきょろきょろと見回したあとに、こちらに気づいた。

 太い手綱を握りしめたまま、ニッコリと微笑むが、顔はだいぶ青ざめている。

 大丈夫かいな。


「修業の成果が出ていますわね」


 とカプル。


「そうなのか?」

「ええ、実はこの所、戦闘の練習のほかにあれの練習もしていましたの。クロに乗って高速で走り回っても振り落とされないように」

「ほほう」


 そんなことをしてたのか。

 忙しかったとはいえ、気が付かなかったぜ。


 動きを止めた神輿の周りに観客がどっと押し寄せてベタベタと神輿を触る。

 何やら御札を貼り付けているらしい。


「ああして願い事を書いた御札を貼り付けて神子様に運んでいただくんです。無事に女神のもとまで届けばきっと叶うと言われています」


 とエンテル。


「そうなのか、俺も貼り付ければよかった」

「ご主人様の願いは、今朝ハーエルがお聞きしていたでしょう。彼女自身が依代となって、届けてくれますよ」


 どこからか太鼓が三つなって、人々が離れる。

 ついで綱を引く僧たちが前後ふた手に分かれた。

 両サイドを逆に引っ張って、角度を変えるのか。

 更に太鼓がなり、掛け声とともに神輿が傾く。

 後輪のみで接地して傾いた姿は、まるでいななく馬のようだ。

 そこで一気に綱を引くと、ぐるりと巨大な神輿が九十度回転する。

 ゴリゴリと巨大な車輪が煙を上げて、また巫女が何人か吹き飛ばされた。

 あれ、ほんとに大丈夫なのか?

 そのままドシンと元の姿勢に戻ると、わっと歓声が上がった。

 ハーエルはまだ先頭で頑張っている。

 そこにサウとシャミが息を切らしてやってきた。


「はぁ、はぁ、も、もう大回し終わっちゃった?」


 とサウ。


「うん、でもまだハーエルがトップだよ」

「ほんと!?」


 乗り出して声援を送る。


「次、行かないと」

「えー、もう行くの?」

「いそがないと間に合わないじゃない。次は番頭さんの家よ」

「さ、先行って。私達は一個とばして、煙突公園に行くから」

「わかった、じゃあ行きましょう、ご主人様」


 へばっているサウとシャミを再び置き去りにして俺達は先に向かう。

 そうやってイミアの知り合いやら何やらの家を次々に渡りながら、概ね特等席でハーエルの晴れ姿を応援出来た。

 そしていよいよ最後の山場。

 目抜き通りから湖に抜ける最後の交差点だ。

 我が家のあるシルクロード通りを東に少し行ったその辺りは、古い空き倉庫も多く、みんな勝手に屋根に登ったりして見学している。


「ここはあてがなくて。湖側に出て見たほうがいいと思います」


 とイミア。

 その言葉に従い、倉庫の脇を抜けて湖に出ようとすると、耳に声が響く。


(マスター、上をご覧ください)

「うん、紅か?」


 言われるままに上を見ると、屋根の上から紅が顔をのぞかせていた。

 どうやらみんな屋根に登っているらしい。


「どうやって登るんだ?」

(オーレが運びますので、しばしお待ちを)


 すぐにオーレが降りてきて、順番に上まで運んでくれる。

 上にはデュースやフューエルのほか年少組中心に揃っていた。


「ほう、特等席じゃないか」


 ちょうど交差点の角に面した倉庫の屋根に立つ。

 少し距離はあるが、視界を遮るものは何もなく、見晴らしもいい。

 うちの面子の他には誰も居なかった。


「ここは飛べないとさすがに登れないのでー、お得でしたねー」


 とデュース。

 俺達は揃ってハーエルの登場を待つ。

 やがて轟音と土煙を立てながら神輿がやってきて、交差点のど真ん中で止まる。

 あとはここで回転して湖に突っ込むだけらしい。


「おお、まだハーエルが先頭じゃないか!」

「ほんとですねー、途中でもそうでしたがー」

「見てた限り落ちてないからずっとトップだぞ」


 ハーエルの顔はすっかり土気色で、手綱を握る手も血が滲んでいるようにみえる。

 どちらかと言えば我が家のダメ人間組かと思っていたハーエルだが、ここまでの根性を見せるとは。

 こんな立派な従者を持って俺は幸せもんだぜ。

 再び観衆が神輿に詰め寄り札を貼る。

 神輿の下半分はベタベタと貼り付けられた御札ですっかり埋まっている。

 大人も子供も、少しでも上の空いた場所に貼ろうとよじ登って貼り付けていた。

 そこに太鼓がなって、さっと人々の波が引く。

 ついで神輿の前輪が持ち上がり、歓声が上がる。

 ここまで来ると振り落とされる巫女も居ないのか、天井に立つ巫女達はそれぞれに踏ん張っている。

 俺達の視線も彼女たちに集中する。

 その時、ふと何かが目に入った気がした。

 気のせいかと思って見直すと、やはりいた。

 浮き上がった前輪の内側に子供が張り付いている。


「左の前輪! 子供がいるぞ!」


 思わず叫ぶが、喧騒の中、とても神輿までは届かない。

 回りにいた従者たちは俺の声を聞いてすぐに気がつくが、ここからでは駆けつけるには遠すぎる。

 次の瞬間、先頭に立つハーエルが手綱を手放し、前に飛び降りた。

 そのまま前輪に飛び降り車輪にしがみついた子供を抱えると同時に、神輿がぐるりと回転する。

 土煙とともに起き上がった神輿は元の姿勢に戻った。

 事態に気づいた観衆がわっと叫び、駆けつける。

 土煙と人混みのせいでハーエルがどうなったのかわからない。

 俺はオーレに運んでもらい神輿の場所に駆けつける。


「ハーエル! ハーエル、無事か!?」


 人混みをかき分けて前に出ると、数人の僧侶に囲まれてハーエルが座り込んでいた。


「私は……だ、大丈夫。それより子供は……」


 隣に座る子供は放心状態だったが、怪我はないようだ。

 とにかく無事でよかった。

 手をとって抱き起こそうとすると、横から静止される。


「お待ちくださいご主人様。神事の最中は治療の僧侶以外手を触れてはいけません」


 そういったのはどこからともなく現れたレーンだ。


「しかしお前……」

「さあ、ハーエル。あと一息、頑張ってください!」


 レーンが声をかけるが、ハーエルは土気色の顔をますますやつれさせて、


「で、ですがもう、私には立ち上がる力が……」

「大丈夫、ほら、ごらんなさい」


 そう言ってレーンが促した方を見ると、上に居た巫女たちが次々と降りてきて、ハーエルに手を貸す。


「ハーエル、一世一代の晴れ舞台で本当にあなたはだらしないんだから」

「ねえねえ、この人があなたのご主人?」

「ほら、つかまって」


 そう口々に言いながら、ハーエルを担ぎあげて、再び神輿の先頭に据える。


「し、しかし私は一度降りて……」

「何言ってるの、私達も降りちゃったから同じよ」

「ほら、しっかり捕まりなさいな」

「さあ、いくわよ」


 巫女たちの美しい友情に感動した観客たちの歓声とともに、再び神輿が走りだす。

 そのまま通りを抜け湖岸に突進する。


「かみこさまー、おでましー!」


 との掛け声とともに、盛大な水しぶきを上げて巨大な神輿は湖に沈んでいった。

 同時に巫女たちも綺麗な弧を描いて湖面に吹き飛んでいった。

 なんちゅー、めちゃくちゃな祭だ。




 待機していた船に拾い上げられた巫女達は湖岸で焚き火にあたっていた。

 その中心はハーエルだ。

 巫女の仲間たちと楽しそうに談笑する姿は、いつものハーエルより少し違ってみる。

 どう違うかは、よくわからないんだけども。

 うちに残っていた連中も、最後の突入シーンは裏庭から見ていたらしい。

 ハーエルが先頭だったと知って、みんなも駆けつけた。


「いやあ、いいもん見たな」

「はい、遠目にですが彼女の晴れ姿が見られて良かったです」


 とアン。


「実は直前にハプニングもあったんだけどな」

「そうなんですか?」

「あとで話すよ」

「あ、お告げが始まるようですよ。この神事では毎年女神様のご信託がいただけるそうです」

「ほほう」


 木組みの簡易祭壇ではアウル神殿貫主のヘンボスが湖に向かって祝詞をあげていた。

 観客も手を合わせて湖を拝む。

 俺も手を合わせて眺めていると、突然水面が泡立ち、光の柱が立つ。


(……真実を……捧げよ。さすれば救われよう……)


 そんな声が脳内に響いたかと思うと、カッと目も眩むような光がほとばしり、俺達は目を伏せる。

 しばらくして恐る恐る目を開けると、貫主のヘンボスが倒れていた。

 すぐにそばに居た僧侶たちが駆け寄るが、ヘンボスは自力で起き上がったようだ。

 だいじょうぶかな、あの爺さん。


 トラブルもあったが、最終的に降臨の儀は終わった。

 ハーエルのアウル神殿の巫女としての仕事もこれで終わったわけだ。

 夜遅くに帰ったハーエルをねぎらうと、やつれながらも興奮気味だった。


「見事だったな、ハーエル」

「ありがとうございます、ですが、そのことよりも、巫女の同僚たちが、あのように私を励まし、手を差し伸べてくれるとは……」

「いい仲間じゃないか」

「本当に……私はそんなことにも気が付かずに……、思えば私は様々なところに壁を作り、自ら閉じこもり、きっと今までにも差し伸べられた友の手に気が付かなかったことも、何度もあったことでしょう。ですが今日の神儀の際、あの太い手綱を通してつながった同僚たちとは、そう、文字通りつながっていたのだと思います。同じ使命と目的を持ったライバルだと思っていましたが、決してそうではなくあれは仲間であったと。翻って見るに、従者の家族もまたそれぞれに異なる技量と役割を持ちながらも、究極的には同じ使命と目的を持った仲間であり……」


 へろへろな割には相変わらず舌はよく回るな。

 だが、今日のところはおとなしく聞いておこう。


「……そして最後の大回しの瞬間、実はあの時はもう精魂尽き果ててあまり覚えていないのですが」

「そういえば、よく俺の声が聞こえたな。聞こえたから飛び降りたんだろう?」

「はい、と言っても、あれは何やら耳ではなく念話のそれにちかい聞こえ方だったような」

「そうなのか? でもあの時燕も紅も何もしてないだろう?」


 二人に聞くが、共に首を振って否定する。


「なにか深い力に目覚めたのでしょうか?」


 ハーエルは首を傾げる。


「さあなあ、あの時は俺も必死だったから、いつもより気合が入ってただけかもしれんぞ」

「その程度で術が発動すれば、苦労はないのですが」

「それもそうか。そういえば、ヘンボスの爺さんは大丈夫だったのか? 突然倒れたが」

「はい、我々も皆心配したのですが、明るさに目が眩んだだけだとおっしゃっていました。確かにもうお年ですし……」


 心配ではあるが、僧侶がたくさんついてることだし、大丈夫だろう。


「まあとにかくだ、ハーエルの健闘をたたえてしこたま飲もう。かんぱーい」


 今日のところはそんな感じで、夜遅くまで騒いだのだった。

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