第145話 賞品

 若干、風邪のだるさは残るが、レーンとハーエルの治療のおかげでほぼ完治した。

 今日は祭りの山場、チェス大会とライブの日だ。

 これを乗り切ればしばらくぶっ倒れても構わないので、全力でいきたい。


「おはようございます。昨日はありがとうございました」


 元気のいい挨拶とともに、チェス・チャンピオンのイミアがやってきた。

 今日の主役の一人だ。


「昨夜はよくわかってなかったんですけど、サワクロさんのお陰で、うちは命拾いしたんですね」

「なに、君の日頃の行いが良かったのさ」

「いえ、本当に……なんとお礼を言っていいのか」


 そう言って頬を染めるイミア。


「あとで祖父も改めてお礼に来るそうです」

「そうかい、とにかく今日もよろしく」

「任せて下さい、頑張ります」

「はは、気合入ってるな、イミアちゃん」

「はい、今日は大事な日ですから」


 入れこんでくれるのはありがたいが、まあお祭り騒ぎだ、彼女には大会の看板役として頑張ってもらわないと。

 夜にはライブもあるが、大会は主に午前と午後の二部に分かれている。

 午前は年少の部で年齢制限のある子供向けのものだ。

 イミアの提案でルールを知らない子でも参加できるようにして、やり方を覚えてもらう初心者向けのパートと、勝ち抜き戦のパートがある。

 奮発して参加賞なども用意してみた。

 やっぱりゲームは子供が楽しく遊ばんとな。

 もちろん、子供向けの安いチェス盤も用意して、商機は逃さない。

 チェスを気に入った子供にねだられれば、祭りの雰囲気も手伝って財布も甘くなった両親や祖父母が買い与えるに違いないからな。


 午後は年齢無制限のトーナメントで、エントリーを現在受付中だが、事前受付だけでも結構な数だ。

 トーナメントの優勝者は最終的にイミアにチャレンジできることになっていて、腕に覚えのあるアマチュアたちがこぞって申し込んでいるようだ。

 集会所の常連たちも何人か参加しているらしい。

 また、エキシビジョンでイミアとエクが勝負する事になっており、エッシャルバンの提案で最前列のチケットを売ってみたところあっという間に完売してしまった。

 そんなわけで、仕込みは上々なはずだ。


 ぼちぼちと集まり始めた人を誘導し、準備を進めていたが、気がつけば、あっという間に行列だ。

 騎士団からも数人、列整理に協力してくれている。

 その中の一人、自称見習い騎士のエディを見つけて声をかける。


「よう、朝からご苦労さん。仕事はどうしたんだ?」

「今日はこれが仕事よ」

「随分とハードスケジュールじゃないか。あのあと、彼女とはうまくいったのかい?」

「おかげさまでね。なにより例の強盗が片付いたから、やっと肩の荷が下りたわ。そもそも私がこの所この街に詰めてたのってアレが理由の大半だったのよね。祭り対策だけなら現場レベルで済む話だし」

「そりゃあ何より。今日は見世物も多いんだ、楽しんでいってくれ」

「そうさせてもらうわ。この午後の大会って当日枠もあるの?」


 と手にしたパンフレットを見ながらエディが尋ねる。


「ああ、今受け付けてるぞ」

「じゃあ、私も申し込むわ」

「では受付はあちらでどうぞ」


 と言って集会所の前で受付事務をやってくれているイミアを指さす。


「彼女、昨日の襲撃先の商家の娘なんですって?」

「彼女の話のおかげで解決できたようなもんさ」

「へえ、ハニーってたまに偶然とは思えないぐらい、運のめぐりが良かったりするわよね」

「そうかな?」

「どうかしら?」

「俺にはわからんよ」

「まあいいわ、ちょっと行ってくる」


 むっちりした肢体をくねらせながら、エディは受付に向かった。

 視線を彼女のおしりから通りに戻す。

 カフェのテーブルの半分を区切り、大会スペースとして、それぞれにチェスのボードが設置してある。

 そこに子どもたちやその親が腰掛け、盛んに楽しんでいる。

 時折癇癪を起こした子供が駒を投げたり泣きだしたりしているが、どうにか無事に進んでいるな。

 仕事柄子供を相手にすることも多いエンテルやセスなどは、こういう場合うまくあやせるようだが、オルエンなどは泣き出す子供の前で仁王立ちしたまま途方に暮れていたりする。

 俺には厳しい集会所の老人どもも孫ぐらいの子供には優しいようで、丁寧にチェスを教えたりしていた。


 やがて拍手が湧き上がる。

 どうやら年少の部の勝ち抜き戦での勝者が決まったようだ。

 優勝者にイミアが賞状と商品の特製チェスセットを送り、表彰する。

 そうして午前の部は無事に終えた。




 午後。

 台所においてあったパンを一つ手に取り、ジャムをべっとりつけてかじりながら、モーラの店に向かう。

 店に入るとギリギリで仕上がったバンドの衣装が出来上がっていた。

 丸い輪をあしらったスカートに三叉の三本のライン。

 精霊のアンクと呼ばれる精霊教会のシンボルだ。

 街にあふれているシンボルだが、ここまで大胆にアレンジした物はめったにないだろう。

 サウのアイデアを見たエッシャルバンとモーラがこれで行こうというので、予定を変えて新規に突貫作業で仕立てたのだ。

 モーラの知り合いの仕立て屋も総動員したので、だいぶ予算もかかったはずだがこの際気にしない。


「ちょっと、ハデじゃないでしょうか?」


 恥ずかしそうにうつむくヘルメを、俺はオーバーアクションで褒めちぎる。


「そんなことはない、とても似合ってるし、凄くかわいいよ」

「そんな……かわいいとか……無いです、私なんて」


 恥ずかしがるところがなおかわいいが、あまりいじめてもしょうがない。


「舞台衣装ですから、多少暴れても大丈夫です、思いっきり歌って演じてください」


 とモーラ。


「やあやあ、想像以上だ、実にエキサイティング。今日の舞台を彩るにふさわしい。君たちの若さと情熱があふれだすようだ。それにモーラ、君はどこにいても何をやっても、いい仕事をするね」


 俺よりさらに派手なアクションでエッシャルバンが褒めながら店に入ってきた。


「あの……先生」


 無口なベース少女のサーシアがエッシャルバンに話しかける。


「なんだね?」

「わ、わ、わたし、緊張して……朝もご飯……食べられなくて」

「うむ、問題ない」

「え、でも……」

「それで普通だ。そうだね、モーラ」


 話をふられたモーラは、ドラム娘のペルンジャの袖を縫いつけながら答える。


「ええ、舞台の上では誰もが皆緊張しっぱなし。舞台に上る前も、演技の途中も、終わったあとも。プレッシャーの源も様々。観客の目、自分の心、過去の栄光や未来への虚栄心、全てがプレッシャーとなって重くのしかかるの」


 そこで一旦手を止めて、四人のバンド少女を見やる。


「それを打ち消す方法はないわ。例えば慣れによって緊張に鈍くなることはあってもなくなるわけじゃない。だからそういうものだと思ってそこから始めるものなんですよ」

「でも、失敗しちゃったら」


 サーシアの青い肌はさらに青ざめて見える。


「ええ、きっとするかもしれないわ。はじめての公演で全部うまく行く人なんていないもの」

「じゃあ……」

「その失敗を咎める人もいるかもしれないけど、支えてくれる人も居るの。ダメなことに押しつぶされるより、良いことに支えられるようにすれば、きっと次はもっとうまくなるわ」

「支えてくれる人?」

「そうよ、今ここにいる人、そしてこれからあなた達を支えてくれる人。舞台に立つ人間はね、そうして支えてくれる多くの人の一番先っぽに立つ、小さな小さな存在。だけど観客からはそこしか見えないわ。その小さな存在に観客のすべてがのしかかろうとすれば、そのプレッシャーで潰されそうになるもの。だけど忘れないで。自分を支えてくれる人がたくさんいることを。それを忘れなければ、どれほど思い重圧でも、決して潰されることはないわ」


 モーラの言葉を聞きながら、ふと脳裏に自分の従者たちのことが浮かぶ。

 俺も紳士って肩書を除けば、ただのおっさんだからなあ。

 あいつらがいなけりゃ、今夜の飯にありつくことさえ出来ないかもしれない。

 世間では紳士様紳士様とおっしゃるが、実際は全部従者のおかげだもんなあ。


 衣装合わせの間に、午後の大会は進んでいた。

 あとを任せて、俺は再び大会の場に戻る。

 ちょうどエディが女学生と勝負して負けたところだった。

 よかった、負ける前にちょっとでも応援出来て。


「最近の子は強いわねえ、全然歯がたたないじゃない」

「はは、俺なんて誰が相手でも無理だけどな」

「ローンを連れてくればよかったわ」

「彼女は強いのかい?」

「ええ、騎士団トップクラスじゃないかしら」

「そりゃいいな、今度集会所にも来てもらおう」

「紅白戦が終わったら、彼女にもたっぷり休暇をあげないとだめね。あれこれあって私の倍は働いてるわよ」

「人使いの荒い見習いだな」

「人材が足りないのよ。オルエンぐらいの人材があと数人入ってくれればねえ」

「どこかの紳士に引き抜かれないように気をつけろよ」

「それが一番の問題だわ。特に男にほとんど免疫のない某団長さんとか大丈夫かしら」

「ほう、そんな人がいるのか」

「いるのよ。一緒に祭りを見てる間中、根掘り葉掘り聞かれたわよ。紳士様はどのような方でしょうとか、どの女神様を信仰していらっしゃるのか、とか」

「へえ、紳士様ってのはモテるんだなあ」

「まったく、息をするようにナンパばかりしてる男のどこがいいのかしら」

「俺にもわからん」

「フューエルが一番正しい気がしてきたわ。そういえば彼女、今日来るって言ってたけどまだかしら?」

「来るのか? 俺には何も教えてくれないが」

「村の祭事なんかは昨日までで終わりでしょ。じゃないと村の人達も街に出て来られないじゃない。降臨の儀もあるし。そっちが終わったから彼女も祭りの後半は暇になるんだって言ってたわよ。私も紅白戦があるし、基本的にしばらくこっちにいるわ」

「そりゃなにより。彼女にはうちの見習い魔導師たちも世話になってるからな。たっぷりお礼をしたいところだが、俺が顔を出すと嫌がるからなあ」

「頭から布袋でもかぶって応対しなさい、少しはマシでしょ」

「チェスに負けたからってやつあたりはよくないぞ」

「平常運転よ」


 たしかに、いつもどおりのようだ。

 最近、彼女も疲れてたようだが、どっちかというとメンタル面での疲れだったのかもな。

 色々片付いて、楽になったんだろう。


「そういえばさっき受付してた子、去年のチャンピオンなのね。あの大会は私も都で見たわ」

「そうなのか」

「どうやってあんな子をナンパしてくるのよ。もう従者にしちゃったの?」

「いや、むしろ俺がナンパされたんだけど」

「そこがよくわからないのよねえ」

「俺もわからんよ」


 そこに、当事者のイミアがやってきた。


「サワクロさん、こちらでしたか」

「やあ、お疲れさん。午後も順調みたいだな。全部君のおかげだよ」

「いいえ、みんな頑張ってますし……」


 そういってイミアは俺の目をじっと見る。


「あの……」

「なんだい?」

「今日の試合、私、勝ちますから」

「ん、ああ、優勝者との試合かい?」

「はい。絶対、絶対勝ちますから」

「ああ、大丈夫、君なら勝てるよ」

「はい!」


 力強く頷いて、彼女は戻っていった。

 まあ、彼女が負けることはめったにないと思うが、あの気合の入れようは何だ?


「びっくりした。彼女、いきなり告白でもするのかと思ったわ」


 とエディ。


「ああ、何だったんだろうな。なにか願掛けでもしてるんだろうか?」

「さあ。でも彼女の目つきはあれね、完全に恋する乙女のそれね」

「そうかな?」

「そうよ。ほら、私と同じだったでしょう」


 そういってニヤついた目で俺を見るエディ。


「いや彼女のほうがもっと清らかだったな」

「ホント失礼ね。あーあ、私ってばなんで貴重な休暇を、こんな冷たい人と過ごしてるのかしら」

「まあいいじゃないか。それよりなんか食わないか? 昼もろくに食ってなくてな」

「そうね、あのパンを挟んだ奴、アレがさっきから気になってたのよ」


 エディはハブオブが軒先に出している屋台を指さす。


「ホットサンドか。あれは鉄板で蒸し焼きにしてるんだけどな、具が色々あっていけるぞ」

「楽しみね、行きましょ」


 二人して席を立つと、エディは俺の腕を取って引っ張る。

 ちょっとだけ、サービスさせてもらいますかね。




 昼下がり。

 午後のトーナメントは決勝戦となる。

 片方はエディを倒した女学生で、とうとう決勝まで勝ち進んだらしい。


「でしょ、道理で強いと思ったのよ」


 ジョッキ片手に試合を見学していたエディはそう言う。

 今一人の対戦者は、つい最近知ったばかりの顔だった。

 イミアの祖父、ボーアだ。

 彼も出てたのか。


「あら、彼女のお爺さんなの。やっぱり強いのね」

「そうみたいだな、出てるんなら挨拶ぐらいしとくんだった」

「後でいいでしょ、始まるみたいよ」


 エディと二人で決勝戦を見る。

 序盤こそ普通の流れに見えたが、途中から流れがおかしくなる。

 おやっと皆が気がついた時には、完全に形勢は決まっていた。

 ボーアの圧勝だ。

 素人目にはよくわからんが、もしかしてイミアと同等以上の強さなんじゃ。


「さようでございます。あの方こそは九十九代のチャンピオンにして殿堂入りを果たした永世名人、ボーア殿でございます」


 いつの間にか後ろに立っていたエクがそう言う。


「永世名人ってなんかすごそうだな。たしかにめちゃくちゃ強いみたいだが」

「そうでございます。イミア殿にチェスを手ほどきしたのもあのお方。未だ一度も勝てたことがないと、おっしゃっておりましたわ」

「一度も?」

「ええ、そう申しておられました」


 なるほど。

 つまりさっきの台詞は、一度も勝ったことのない祖父に勝つ、という意味だったのか。

 ってことはどういうことだ?

 あのちょっと頑固そうな爺さんと賭けでもしてるのか。

 内容はまあ、だいたい想像がつくけど。

 とにかく、行ってみよう。


 優勝が決まったボーア老人の周りには歓声があふれている。

 当人は商人らしく、如才なく愛想を振りまいているが、よく見ると目が笑ってないなあ。

 声をかけづらいが、気にせず挨拶する。


「これはどうも、ボーアさん。ご参加されていたとは気が付きませんで。優勝おめでとうございます」

「ほう、今日の賞品がやって来おったな」


 賞品とか言っちゃってるよ、この人。

 照れるな。


「はっはっは、何のことか存じませんが、イミアちゃんとのエキシビジョンにはご参加いただけますので?」

「むろんじゃ、その為に出向いたんじゃからな」

「それは楽しみです。その前に、家の従者とイミアちゃんとの試合もありますので、合わせてお楽しみください」

「ふん、一端の商人ヅラはできるようじゃな、よかろう」

「あちらに席を設けてあります。しばしお寛ぎください」


 ボーア名人を席に案内して、俺は元の場所に戻る。

 すでに会場はイミアとエクの試合が始まるところだった。

 巻いてるなあ。

 まあ日も短いしな。

 コンサートを日暮れのタイミングで始めるには、あまり余裕はないのだった。


「さあ、皆様。それではこれより、ご存知昨年のチャンピオン、アルサの女帝ことイミア氏対、地元の商店街チャンピオン、エク氏とのエキシビジョンを行います。会場はこちらのステージ上、皆様ぜひとも前に寄ってご覧ください」


 司会は演出家エッシャルバンの従者シャロアンが買って出てくれた。

 プロだけあって手慣れたものだ。

 俺のアイデアで、ステージの壁にはチェス盤を摸した巨大なボードが貼られている。

 そこに紙で出来た駒を貼って、遠くからでも試合の様子がわかりやすくしてある。

 TVの将棋番組をイメージしたものだが、イミアの話ではこういうものは無いらしいので、かなり受けるだろうとの事だった。


 試合は順調に進む。

 解説ボードのおかげか、手が進む度に会場も盛り上がっていく。

 いつもは静かに打つ二人だが、今日はなにかしゃべっているようだ。

 だが、周りの喧騒に紛れて、当然ここまでは聞こえない。

 盗み聞きは趣味じゃないが、今日に限っては気になるなあ。

 というわけで、燕を引っ張ってきて遠耳の術をかけてもらった。


(それでは、ご決心はつかれたのですわね)

(ええ。思えば……始めてサワクロさんにお会いしたその時から、決まっていたのだと思います)

(私めなどは、薄いコアしか持ちあわせておりませぬが、あの方を思う度にこの胸は焦がれ、側に身を置ける幸せを噛みしめるものでございます)

(私も……日に日に思いは募るばかり。コアの疼きに耐えられません)

(勝算は、ございますのでしょうか?)

(なくても……かならず勝ちます)

(これは無粋なことをお聞きしてしまいました)

(いえ、あなたと対局していると、とても心が落ち着きます。おかげで、とても自分に正直になれる)

(そうでございますか。私は……あまり自分のことを申すのは得意ではないのですが……あなたがとてもうらやましく思います)

(私が?)

(はい。私は物でございますれば、主人にもらわれた時も、ただ賭けの賞品として贈られただけ。そんな私を主人は他の従者同様に可愛がってくださいますが、そんなあのお方にいかほどのお返しができているものか……。それに引き換え、あなたはご自分の力でそれを叶えようとしておいでです)

(エクさん)

(ふふ、どうやらまた、私の負けでございますわね。さあ、この勝利を手向けに、いざ勝負へと。私も見守っておりますゆえ)

(ありがとうございます、きっと勝ってきます)


 勝負は終わった。

 今日もイミアの勝ちだ。

 トップクラスの試合に会場は大いに盛り上がったが、俺は気が気じゃなかった。

 イミアはおそらくは実家の反対を押し切り、俺の従者になりたいというのだろう。

 その許しを得るために、祖父に、自分のチェスの師に勝負を挑んだのだ。

 一度も勝ったことのない相手に。


「さあ、皆さん、次はお待ちかね。本日の優勝者とチャンピオンの試合を行います。引き続き御覧ください!」


 司会を聞き流しながら、俺はステージへと向かい、舞台から降りてきたエクとイミアを呼び止める。


「サワクロさん!」


 急に現れた俺に驚いていたが、イミアは表情を引き締めてこういった。


「見ててくださいね、サワクロさん」

「ああ、見てるよ」

「必ず勝ちますから」


 そういうイミアの表情には、わずかに緊張が残る。

 俺は懐から大事なお守りを取り出した。

 小さな一枚のコインだ。


「こいつを貸してやろう。俺のお守りでね、実にご利益がある」

「これは……」

「後でまた、返しに来てくれ」

「はい、必ず」


 イミアはコインを握り締めると、笑顔でステージに戻っていった。


「うわ、ホントだ。おじいちゃん来てる! なんで?」


 裏方で手伝ってくれていた絵描きのサウが試合を見に出てきた。


「今から試合だ。一緒に応援しよう」

「え、どっちを?」

「そりゃあ、イミアちゃんに決まってるだろう」

「孫としては複雑だけど、まあそうよね。頑張って、イミア!」


 サウが声援を飛ばすと、イミアが笑って手を振る。

 緊張はとけたようだな。


「おおっと、ここで驚きのニュースが入ってきました。なんと本日優勝者のボーア氏は、イミア氏同様、九十九代目のチャンピオンにして永世名人であらせられるとか。道理で納得の強さでした。しかもしかも! なんと彼はイミア氏の祖父であり、師でもあったのです。これは新旧チャンピオン同士、因縁の師弟対決、このような好カード、決して片隅の商店街の余興と言って良いレベルではありませんよ! ここに居合わせた皆さんはなんという幸運でありましょうか、この歴史的勝負の生き証人として、後世に語り伝える義務があるのです。さあ、皆様、いよいよ世紀の一戦、開始です!」


 勝負が始まった。

 手に汗握るとはこのことだ。

 俺は応援することしか出来ないのが歯がゆいが、それはいつも同じことだ。

 冒険の時だって、俺はほとんど役に立たないからな。

 ただ従者たちを信じて任せるだけだ。

 もし、イミアが俺の従者になるというのなら、俺は彼女を信じて見守る、それしかない。


 試合は淡々と進む。

 見たところ、序盤はイミアが優勢のようだ。

 やはり現役チャンピオンの面目躍如といったところか。

 そのまま試合は中盤に差し掛かり、このまま行けるかと思った矢先、イミアの表情が変わる。

 ついでエクが、つぶやいた。


「いけません、名人の手に誘い込まれてしまいました」

「というと?」

「名人は幾つもの種を手に仕込みます。一つ一つは目に見えぬ小さな伏兵とも言えるべきもの。どれが効くのかは名人以外にはわかりませぬ。それはある局面に至って、始めて形をなすもの。その種が今、芽吹いたのでございます」


 エクの説明は抽象的過ぎてよくわからんが、具体的に説明されても多分わからないだろう。

 要するに仕込んだトラップにひかかったというところか。

 徐々に形勢が移り変わる。

 俺の目にもわかるほど、イミアは追い込まれている。

 この寒空の下、イミアの額にはツブの汗が浮かぶ。

 頑張れイミア。

 がんばれ。

 だが形勢はみるみる劣勢になっていく。

 それでもイミアはコツコツと手を進める。


 長い時間が過ぎた。

 不意にイミアが天を仰ぐ。

 すうっと息を吐いたその顔は、とても穏やかで魅力的で、見ているだけで俺は動悸が高鳴る。

 風邪がぶり返したんじゃないよな。

 ただシンプルに、彼女の表情に惹かれただけだ。

 彼女が俺を気に入るように、俺も彼女を気に入った、ただそれだけのことだ。

 相性が良いってのは、そういうことだからな。


 彼女は前を見据え、渾身の一手を放つ。

 常時劣勢と思われたイミアの手は、いつの間にか相手の喉元に届いていたのだ。

 その一手で、勝負は決まった。


「参りました」


 名人が頭を下げて、試合は終わった。


「見事じゃ、イミア。わしの張り巡らせた罠の中、多くの相手は闇の中をもがくように闇雲に手を伸ばしては空を掴んで落ちていった。じゃがお前は迷うことなくしっかりと一本の道のみを踏みしめ、この一手へと至ったのじゃ。もはや何も言うまい」

「おじいちゃん……」

「お前ももう、一人前ということじゃ。あとは自分の好きな様に生きるがいい。わしも、お前の父親も、文句はいわんじゃろう」

「ありがとう……ございました」


 師を超えて一人前となった少女は、恩師に頭を下げる。

 試合が終わり、表彰式となる。


「それでは表彰式に移りたいと思います! 大会主催者であるサワクロ氏から、賞状と商品の授与を」


 滞り無く大会は終わり、上位陣に賞品を手渡す。

 最後にボーア名人の番が来た。


「おめでとうございます、良い試合でした」

「ふん、わしも耄碌したものじゃ。じゃがまあ、これでわしもそろそろ隠居できるというもの」

「まだお元気なのに」

「元気なうちに隠居せんと、老後を楽しむ余裕がなかろうが」

「そりゃごもっともで」

「それでは最後に、大会にご協力いただいたチャンピオン・イミアに記念品の贈呈を」


 予定では将棋のセットを用意していたはずだが、それはもたずにテーブルにあった花を一輪、手に取る。


「おめでとう、イミア。良い試合だったよ」


 そう言って花を手渡すと、


「ありがとうございます、これ、確かにお返しします」


 そう言ってイミアはコインを返す。


「勝利の記念に何がほしい?」

「では、お願いが一つ」

「なんだい?」

「私を……」


 イミアはさっき見せた、あの素晴らしい表情で俺を見つめて、こういった。


「私をあなたの従者にしてください」

「ああ、喜んで」


 俺は用意しておいたナイフで指を切ると、滴る血を彼女に与えた。

 彼女はそれに口を寄せ、一口すすると体がすっと金色に光り、やがて収まる。

 新たな従者の誕生だ。


「おおっと、ここで突然の告白! イミア氏がサワクロ氏の従者になってしまいました、これはめでたい! 皆さん、なにとぞ盛大な拍手で祝福をお願いします。はくしゅー!」


 どっと歓声が沸き起こる。

 ははは、照れるな。

 イミアはそこで始めて自分が舞台の上でみんなに見られていることを思い出したのだろう。

 真っ赤になって固まってしまった。

 俺は皆の声援に笑顔で答えつつ、イミアをかばうようにステージを降りた。

 そのままステージ裏に引っ込む。

 ステージ裏には春のさえずり団の四人が待機していた。


「おまたせ、次は君たちの番だ、ちょっと表は賑やかだけどな」

「あの、サワクロさん! い、いまの、とっても素敵でした」


 目をうるませたヘルメが言うと、オーイットや他のメンバーも次々に祝辞を贈る。


「うん、感動したっていうか素敵。イミアさん、幸せになってね!」

「おめでとう!」

「私達の歌、あなたに贈るわ。聞いててね」

「じゃあ行ってきます!」


 四人は勢い良く飛び出していった。


「ははは、ハプニングは舞台の華。結果オーライじゃないか」


 笑顔で4人を送り出したエッシャルバンが、俺の肩を叩く。


「大丈夫ですかね?」

「大丈夫さ、恋ほど女の子を強くするものはない。さあ、彼女たちの初舞台を見届けようじゃないか」


 俺達は一緒にステージ脇から覗き見る。

 ライトアップされた舞台は、特別な空間だ。


「さあ、続きましては皆さんご存知、春のさえずり団のダンスライブの時間ですよ! 彼女たちのリズムに乗って飛んではねて、思うままに踊ってください」


 司会の言葉と主に、軽快なリズムが通りに響き渡る。

 会場はさっきの盛り上がりのまま、演奏にのめり込んでいった。

 一度乗せれば、あとはもう彼女たちのものだ。

 少女たちの刻むリズムは観客の心をつかみ、躍らせる。

 俺は裏から覗きつつ手拍子を打って声援を送る。


「ちょっとイミア、イミアってば!」


 そこに人混みをかき分けてサウがやってきた。

 イミアの従姉妹は混乱の極みといったところだ。


「ねえ、本気なの? 本気でサワクロさんの?」

「本気も何も、もう血を頂いちゃったもの」

「そ、そうだけど、だってそんなこと一言も……」

「あら、あなたが自分で言ってたじゃない、この人のほうがいいんだって」

「そりゃそうだけど、まさかいきなり」

「いきなりじゃないわ、ずっと決めてたの。始めてあった時から」

「始めてって、あの時?」

「そう、あの時よ」

「そ、そう……」

「あなたこそどうするの?」

「どうって?」

「あなたもサワクロさんの……ご主人様の従者になってもいいって言ってたじゃない」

「え! いや、あれはその、言葉のあやというか」

「いうか?」

「その……そもそもおじいちゃんが許してくれるわけ無いでしょ!」

「くれるわよ。ねえ、おじいちゃん」


 いつの間にか側にいた祖父のボーアに話しかける。


「ふん、一人前となったもんが、誰に仕えようがどこに嫁ごうが、ケチを付けるいわれはない」

「え、でもおじいちゃん」

「お前はもう、自分の道を選び、自分で稼ぎはじめとるじゃろうが。お前の母親も喜んでおったわ」

「でも、まだそんなに稼ぎは……」

「儲けの多寡は水もんじゃ、生意気を言うな」

「じゃあ、私も認めてくれるの?」

「あたりまえじゃ、可愛い孫の成長を喜ばんわけがなかろうに」

「おじいちゃん……ありがとう」


 サウは祖父に抱きついて礼を言う。

 それから改めてイミアの方を向いた。


「えっと、じゃあその、い、いいのかな?」

「いいと思うよ」

「でも、あの、その……さ、サワクロさん、あのね」


 モジモジと顔を真赤にして俺の前に立つサウ。


「うん」

「わ、わたしも……その……、ああどうしようはずかしい! 顔から火が出る! イミアよくあんな人前で言えたわね!」

「ちょ、やめてよ! 思い出したら私も死にそうなんだから!」

「ああ、もうだめ、サワクロさん、私も従者にして! してってば!」

「ああ、いいよ」

「ほ、ほんとに?」

「もちろん、よろこんで」


 俺は再び指を切って血を与える。


「な、なっちゃった、私、従者に……」

「おめでとう、サウ」

「うん、あなたも、改めておめでとう」

「ふふ、これからもずっと一緒だね」

「これからもよろしくね」


 ふう、また一度に二人も従者にしてしまった。

 頑張らないとなあ、色々と。


「だけど、ついこの間まで紳士様の従者になろうって言ってたのに、結局商人の従者になっちゃうなんて、やっぱり血筋なのかしら」


 とサウ。


「ああ、そうだ。隠してたようですまんが、じつは俺がその紳士なんだ」


 と指輪を外してみせる。


「へっ?」

「サウ、やっぱり気づいてなかったんだ……」


 やっぱイミアは気づいてたのか。


「別にわしは紳士だから許したわけではないぞ、一人前となった孫の決断に口は挟まんというだけじゃ! 勘違いするなよ!」

「へっ!?」


 ボーアの爺さんも驚いてないので、知ってたんだろうな。

 それでこの態度か、ツンデレだな。


「えええええええええっっ!」


 ただ一人、まったく気がついてなかったサウは、今日一番の叫び声を上げたのだった。

 そんな叫び声をかき消すほどの熱気で、ライブは今も続いている。

 まだまだ、盛り上がりそうだ。

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