第132話 画家と女帝

 工場に視察に行っていた未来の大商人メイフルが帰ってきた。


「おつかれさん、あっちはどうだった? 村長さんは元気か?」

「サワクロくんはどうした! まじめに働いてるのか? とか言うてはりましたで」

「こわいな」

「作業の方も問題おまへんで。ぼちぼち量産に入りたいところですねんけど、すこし問題がおましてな」

「ほほう、何がだ?」

「箱ですねん、箱」

「パッケージのことか」

「最高級のやつは、手彫りに金箔なり何なり、リッチに飾ればええんですけどな、やっぱり普及のことを考えるともう少し安いモデルも作らなあかんのですけど、かと言ってあからさまに安っぽいのを作る気もおまへんから、見栄えを維持して安上がりってのはなかなか難しゅうおましてなあ。駒を袋詰めじゃあ、ちぃともの寂しいですしな」

「パッケージかあ。俺の故郷じゃおもちゃの箱はたいてい紙箱で中身の絵が印刷してあるんだ」

「紙箱でっか。印刷って版画とかですのん?」

「まあ、似たようなもんだな。こう、たとえば子供が遊んでる姿の絵とか、ロゴとかがデーンと……」


 といつもの下手くそな絵で説明する。


「ははあ、こういうのは新鮮ですな。商標入れるぐらいはあるんですけど、絵をなあ、よろしいかもしれまへんな。版画なら量産できますし」


 あとはメイフルと大工のカプルが相談して進めるようだ。

 まあ、俺は絵心とか無いしな。




 翌日。

 神殿へと続く目抜き通りをブラブラと歩く。

 今日はリフォームが終わって一区切りついたカプルと一緒だ。

 いつもの職人風の分厚い革エプロンと違い、今日はメリハリの効いた体型をアピールするようなショートドレスを着て、さらに派手な毛皮を羽織っている。

 丈の短いスカートから覗く生足が良い感じだ。

 特徴的なのは大きなトートバッグを担いでいるところか。

 ちょっと衣装に似合わない気もするな。

 そこを差し引いても、色気が過剰かもしれない。

 俺の方もいささかケバいコートを着ているので、二人で歩いていると成金商人とその愛人にしか見えないな。

 少なくとも紳士には見えないはずなので、それでいいのだ。


「どっか行きたい所はあるか?」

「特に無いですわね。こうして一緒に散策するだけでも満足ですわ」

「そりゃあ、なにより」

「エレンやフルンの話では、歩いているだけで可愛い娘が寄ってくるとか、一度見てみたいものですわね」

「そんな都合良くはいかんぞ」

「では、お参りでもしていきましょうか、この先に大工の神、ヘムネアール様の祠が有りますの」


 カプルは道中気になった建築物などを見かけるとスケッチブックを取り出してサラサラとスケッチを始める。

 上手いもんだ。

 通りを東側に折れると、事務所が立ち並ぶ通りに出る。


「この辺りは商社の事務所などが多く入っているそうですわ」

「なるほど」

「あそこはヘックス彫金工房、そのとなりはハント運送協会、向かいはヘグエ海運保険ですわね」

「詳しいな」

「一般教養、というやつですわ。知識は商売の基本、私のような職人にとっても大切なものですわ」

「なるほど、じゃあ俺も主人として覚えとかんとな」

「そうですわね。もっとも私の場合は以前こうしてスケッチして覚えたのですけど。建物を設計した建築士の名前にも興味がございます?」

「いや、そこまではちょっと」

「そうですわねえ、普通は興味ございませんわねえ。例えばあの出窓のアール、とても特徴的でひと目で分かるのですけど、たまにはそう言う話をおもいっきりしてみたいものですわ」


 と残念そうな顔をするが、そんな顔をされても俺も困るな。

 それはあれか、大工仲間が欲しいということか。

 見習い大工のシャミをはやく手篭めにしろということなのか。

 そうは言われても、難しいよな。

 そんなことを悶々と考えながら更に進むと十字路の一角が公園になっている。

 小高い木々に囲まれた公園の片隅に、小さな祠があった。

 カプルは肩に下げたかばんから酒瓶を出すと、置かれた盃に酒を満たす。

 異世界でも神様は酒が大好きなんだなあ。


「用意がいいな」

「完成のご報告をするつもりでしたの。大切な我が家ですから」


 彼女に習って俺も祈りを捧げる。

 完成のお礼と、あとは例のごとく可愛い子に出会えますように、ってやつだ。

 割と効果があるのは実証済みだ。


「隣にも祠があるんだな。」

「そちらは、荷馬車の神、アンクソスルですわね」

「へえ、そんな女神もいるのか」

「物の数だけ女神はいらっしゃいますわ」

「まあ、俺の故郷でも八百万もいるって言われてるしな」

「ずいぶんいらっしゃいますのね」

「実際は、八百万やおよろずってのはたくさんいるぐらいの意味らしいけどな」

「変わった言い回しですのね」


 ついでにそちらも拝んでいると、背後に人の気配を感じる。

 参拝客だろうと場所を譲ると、相手が「あら」っと声を上げる。


「あなたは、あの時の」


 ほんのりと頬を染めて俺に話しかけたのは、以前俺にコインを恵んでくれた娘だ。

 たしか猫耳のかわいこちゃん。

 またご利益があったぞ!

 えーと名前は確か……。


「やあ、イミアちゃん、だったっけ」

「は、はい。名前を覚えていてくださったのですね」

「そりゃあ恩人だからな」

「それはこちらのことです。先日はろくなお礼もできずに、その、とても心苦しく思っておりました。よ、よろしければ、これから、その、お礼にお茶でも……」


 お、ナンパされたぞ。

 こういうパターンは始めてじゃないか?

 見かけのわりに大胆だな。

 その時、イミアの後ろから、別の娘が顔を出す。


「誰と話してるの?」

「あ、サウ、この方がこの間話した恩人の」

「ふーん、あなた、あの時のボロの人なのね」


 こちらもあの時いた子だな。


「今日はちょっとハデな格好してるのね。商人だったの?」

「まあね」

「ふーん、わりと儲かってそうね」

「サウ、失礼じゃない」

「うん? ふーん、あんたそうなんだ。まあいいけど。お礼がしたいのね、じゃあ行きましょ。そこのオーアム亭でいいでしょ、それともお酒がいいの?」

「いいや、お任せするよ」

「OKだって、行きましょ、イミア」

「ちょ、ちょっとサウ……」


 連れの娘が半ば強引に引っ張っていったのは、公園から数分の場所にあるちょっとファンシーな店だ。

 若い娘が多くていささか気まずいが、まあ、細かいことは気にしないのだ。


「本当に、すみません……こんなこと初めてで」


 施し娘の方はオドオドとかしこまっているが、もう一人はサバサバしたものだ。

 そういえば初めてあった時も、彼女が引っ張っていたっけ。


「先に自己紹介しようかしら、私はイミアの従姉妹でサウよ」

「よろしく、俺はサワクロだ。最近この街で店を出したばかりで、チェスのボードなんかを商ってるんだ」

「え、チェス?」


 とイミアが乗り出す。


「あ、ああ。そうだけど」

「ごめんなさい、この子、チェスには目がないのよ」


 とサウ。


「だったら是非とも一度来てくれると嬉しいな。俺自身は詳しくないんだが、ちょっと変わったものも扱ってるんで、楽しんでもらえると思うよ」

「はい、ぜひ伺います。今からでも行きたいぐらいですけど、今日はちょっと」

「はは、慌てなくてもいい。いつでもお待ちしてるよ」

「ふーん、良かったじゃない、イミア」

「うん、この街ってちゃんとしたボードショップがなかったから」


 とニヤニヤしながらいうサウに、嬉しそうにイミアは答える。


「そういうことじゃないんだけどねえ」

「え?」

「まあいいわ。イミアの実家は大きな陸運商で、ちょっとしたものよ。あなたも商売人なら仲良くする価値はあると思うわ」

「俺は駆け出しだからね、そういうことならぜひとも勉強になりたいものだ。君の実家もそうなのかい?」

「うちは実家が酒蔵でオルポ村にあるの。うちのも彼女の家を通してさばいてるのよ」

「オルポ村の酒蔵というと、ポポの実りですわね」


 とカプル。


「あら、知ってるの?」

「家でも頂いてますわ、ご主人様がよく買ってくる、芋のお酒ですわ」

「ああ、あれか。うまいよな、あれ」

「そうよ、気に入ってもらえたなら嬉しいわ。今年のものも最高だから、楽しみにしてて」


 従姉妹のサウちゃんは、なかなか押しが強い。

 ちょっとはこちらのペースで会話してみようと、適当なタイミングでカマをかけてみる。


「君たちは、例の紳士は見つけたのかい?」

「ダメダメ、噂じゃやっぱりルタ島に渡ったんじゃないかって」

「へえ」

「惜しいことしたわ。渡る前につばつけとけば、見込みもあったのに。称号を取ってからじゃ、さすがに私達みたいな庶民は口も聞いてもらえないでしょうね」

「紳士の称号ってのはそんなにご立派なのかい?」

「決まってるでしょ!」

「それなら、無理して玉の輿に乗りたくなるのもわかるな」

「あら、私じゃないわよ? 私はべつにどうでもいいのよ。狙ってるのは彼女」


 ともう一人を指さす。

 意外だな、コインをくれたこっちが本命か。


「へえ、見かけによらないね」

「ちが……私はもう」

「ふーん、やっぱり、この人のほうがいいんだ」


 とニヤニヤ笑いながらからかうサウ。


「そ、そんなこと言ってない、サウの馬鹿!」

「あいた、じょうだんよ、そんな本気でつねらなくても」

「もう……。あのサワクロさん、ほ、ほんとにゴメンナサイ」

「ははは、君みたいな可愛いお嬢さんに好意を持たれるのは光栄だよ」

「ぅ…その……」


 モジモジとうつむくシミアを横目にサウは、


「ま、気が変わったんならいいけどね」

「元々私は乗り気じゃなかったのに」

「あら、こんなチャンスめったにないのに。古代種ってだけで普段から苦労するんだから」


 猫耳の古代種だったな。

 従姉妹ということは、彼女もか。

 獣族はなかなか厳しいらしいが。


「やはり苦労するのかい?」

「そうよー、実家の酒蔵も、前の不況の時に銀行にまるごと剥がされそうになって、私と母で証文持って逃げたのよ」

「そりゃたいへんだ」

「今は落ち着いてるんだけどね。あの頃は大変だったわー」

「うちの屋根裏に隠れてたんだよね」

「あはは、そうそう」


 などと悲惨な過去をあっけらかんと笑い飛ばす。

 タフだな、どちらも商人の娘ってわけか。


「プリモァぐらいならまだマシだけど、うちはエィタでしょ、金を積んだところで貴族になれるわけでもないし、商売も大変なのよ」

「俺はその辺りをよく知らんからなあ」

「田舎者っぽいもんね。とにかくね、そんなわけだから一番狙い目の紳士を捕まえて親孝行しようってわけよ」

「わ、私は別に、そんなつもりじゃ」


 施し娘のイミアは顔中を真っ赤にしてうつむく。

 そこまで恥ずかしいもんだろうか。


「そのつもりがなくても狙いなさい! あんたが幸せになるベストな選択よ」

「そうかなあ? どうせなら相性の合う人の従者に憧れるけど……」


 イミアはちらりとカプルを見る。


「ホロアを従者にされてるんですね」

「彼女かい? まあね、俺みたいな頼りない男によく尽くしてくれるよ」

「羨ましい。でも、父は婿をとれっていってて」

「跡継ぎはいないのかい?」

「兄がいるんですけど……」


 ちょっと気まずそうだ。

 ふむ、まあ無理して聞く話でもないか。


「だから紳士がいいんでしょうが! 紳士ならおじさんも納得してくれるって」

「う、うん」

「しかし例の桃園の紳士とやらは、女好きで無節操なだけで、あまりいい評判は聞かないようだが?」

「だからいいんじゃない、そういう人ならちょっとぐらい相性が合わなくても成り行きで従者にしてくれるわよ! みてよ、この子、めちゃくちゃかわいいでしょ!」

「ちょっとサウ……」

「たしかにかわいいな。だが、君も引けをとらないようだが」

「私を口説こうとしても無駄よ! 私は仕事に生きるんだから」

「酒屋を継ぐのかい?」

「違うわ、私は画家になるの!」

「ほう、画家か」

「そうよ」

「どんな絵を描くんだ?」

「サウは、なんだかよくわからない絵を……」

「わからないとは何よ。いいわ、ポートフォリオを持ってるから」


 サウはカバンからバインダーを取り出す。

 中にはいろんなスケッチなどが挟まれていた。

 いささか抽象的だが、地球の現代絵画に比べれば百倍わかりやすいレベルだ。

 むしろ漫画的なのかな、俺には馴染みやすいイラストだった。


「へえ、このくねっとした人物は躍動感があっていいな、踊りだしそうだ」

「わかる!? あんた見る目があるじゃない」

「仕事はもう取ってるのかい?」

「まだよ、持ち込んだけど、こんな落書きに金はだせんって……」

「見る目がないなあ。どう思う、カプル」

「そうですわね、意匠としては面白いですわ、ただ、もう少しお客様に理解していただける形にまとめないと、お金にはなりませんわね」

「う、同じことをプロの人にも言われたわ。あなたも画家なの?」

「私は大工ですわ」

「そう、大工も細工とかするものね。はあ……、でも、このデザインをどうまとめればいいかが分からないのよねえ」

「そういう時は、既存の技法で新しいアイデアを試してみるのですわ。例えばこの力強いラインは、版画にすると良いかもしれませんわね」

「版画かあ、私、彫刻とかしたこと無いんだけど」

「よろしければ私が試してみてもよろしいですわ、スケッチを何枚か頂ければ私が版画に起こしてみますわ」

「ほんと!? じゃあこれと、これ……これはどうかしら」

「いいですわね、ではお預かりしますわ」


 カプルも鞄の中に持っていた図面のファイルに挟む。


「ここで一つ、職人としてアドバイスをいたしますわ」

「なに?」

「こうして作品をやりとりする前に、契約書を交わすこと。そうでないと、このまま私がこのデザイン画を持ち帰って商品にしてもあなたは何も言えなくなりますわ」

「え!? あ……それって」


 あっけにとられるサウの前で、カプルは透かしの入った紙とペンにインクを取り出す。

 色々持ってるな。


「このイラストは、試作と評価のためにのみ使用する、その他の用途に使用する場合は別途契約する、これでいいですわね、簡易的なものですけど、さあ、これを確認して、サインしてくださいな」

「は、はい」


 サウは食い入るように何度も目を通してから、サインする。


「駆け出しとはいえ、自分を安売りしてはいけませんわ。値切る客ほど注文が多いし、価格をどんどん下げようとするものですわ。ぼったくってはいけませんが、常に適正価格を見極めて、慎重に契約することですわ」

「は、はい」

「そうですわね、今はちょうど暇ですから、三日後に来ていただけます? サンプルをお見せできると思いますわ」

「よろしくお願いします!」


 なんだかおかしな流れになってしまったが、その後、俺たちはたわいない世間話などをして別れた。

 帰り道、カプルは俺の方を見て微笑みながら話しかける。


「噂は本当でしたわね」

「噂?」

「道を歩けば美女に当たるというアレですわ」

「ああ、そうかもしれん。ところで彼女はどうだ、ものになりそうなのか?」

「ええ、あれに使えると思いません?」

「あれって? ああ、もしかして商品箱か」

「そうですわ、あの個性的ですけど、どこか面白味と動きのある絵がゲームのパッケージによいかと。紙箱にするのでしたら、版画が合いそうな彼女の絵は、きっと見栄えも良いですわ」

「なるほど、そりゃいいな」

「帰ったら早速試作して、メイフルとも相談ですわ。その上で発注いたしましょう」

「いいね」


 うちに帰ったカプルは家馬車に閉じこもり、作業に没頭し始めた。

 カプルは確かに手も早いが、あの集中力も凄いよな。

 翌朝にはすでにサンプルが刷り上がっていた。

 カプルとメイフルがサンプルを手に相談している。


「なるほど、こりゃインパクトありますなあ」

「そうでしょう、この力強い描線がチェスの白熱した試合を彷彿とさせますわ。これを刷り込んだ箱にして並べるだけで、とても印象が深くなりますわ」

「実際、ものを見てみると面白いもんですなあ、以前のなぞなぞも面白かったんやけど、こういう絵的なイメージと商品を結びつけると、印象がガラッと変わりますわなあ」

「ロゴや装飾はあっても、全面絵入りというのは見たことありませんわ」

「それでこの絵を描いたお人はどんな人ですねん」

「まだ若い、学生さんぐらいの年で、ご主人様がナンパされた方ですわ」

「ああ、そうでっか。それなら安心ですわなあ」

「ええ、そう思いますわ」


 何がどう安心かはわからんが、まあ安心なんだろう。




 三日後、絵かき志望のサウと従姉妹のイミアがやってきた。

 知り合いはともかく、初めて来る人間は当然お店の方の扉を叩く。


「こんにちは、サワクロさんのお宅はこちらかしら?」

「主人のお客でっか、ちょいとお待ちくだされな」


 応対したメイフルが俺を呼びに来る。

 お店の奥には棚で区切られた小部屋があり、テーブルが置かれていてちょっとした商談もできる。

 表が商品のショーケース風になっているので、使い分けている。

 カプルと一緒に出迎えると、絵描き志望のサウが飛びかからんばかりの勢いでカプルに詰め寄る。

 それを抑えながら、二人をその商談部屋に招き入れ、お茶を出す。


「ねえ、どうなった? 私の絵、上手くいった?」

「なかなかうまく仕上がったと思いますわ。まずはこちらを」


 テーブルに刷り上げたばかりの版画をいくつも並べていく。

 俺も少々アイデアを出して、独創的なデザインにふさわしいビビッドな色合いも提示してある。

 そうして出来上がった作品を見ながら、絵かき志望のサウは目を輝かせる。


「うわっ。いい、これいいわ。そっか、こうなるのね。ああ、うん、こう今までバラバラに書いてたイメージがやっと形になったみたい」

「そうでしょう。あなたの紡ぎだす魅力的なラインは、とても映えると思いますわ」

「素敵、ほんとに素敵」


 仕上がった自分の作品にうっとりしているサウの隣で、従姉妹のイミアもまたうっとりしていた。


「これ、もしかして南方のペイカントの?」

「お目が高いですな。そうですわ、年代物の、精霊石の一刀彫のセットですわ」

「すごい、都の博物館で、一度だけ実物を見たことがあります」

「うちの目玉ですわ。ちょいとお譲りするわけにはいきまへんけどな」

「そ、そうなんですか。ああ、でもこっちのもすごい」


 とメイフルを相手に非常にエキサイトしている。

 チェスマニアか。

 まあ、どこぞの人形マニアに比べると、かわいいもんだな。


「これは何ですか? 変わったボードですけど」


 と将棋盤を差してイミアが尋ねる。


「ああ、それは将棋いいましてな、うちの主人の故郷のゲームで、チェスに似てるけどちょいとルールが複雑になってますねん」

「へえ、面白そう」

「隣の集会所で、近所の年寄り連中が試作品で遊んでますで、よかったらどうでっしゃろ」

「そうなんですか。でも……」


 とイミアは従姉妹のサウの方をちらりと見る。

 そちらはカプルとスクラム組んで話し込んでいた。


「あっちは取り込み中みたいだ。しばらく掛かりそうだし、一緒に行ってみるかい?」


 と促すと、


「よろしければ、お願いします」


 というわけで、俺はイミアを連れて隣に乗り込んだ。

 今の時間だと、エクとプールが遊び呆けてるはずだ。


 広い集会所の中は、無造作にテーブルが並び、使い古されたチェスのボードやよみ散らかした新聞が置かれている。

 試作品の麻雀なども置いてあるが、今は誰もやっていないようだ。

 今日の入りは三割ほどか。

 奥のほうに常連の老人たちが居る。

 見るとプールがダントラ爺さんと勝負しているところだ。

 微妙に負け越しているはずだが、今日はどうかな。


「こんなところにチェスクラブがあったんですね。私、街の東側はほとんど来なかったから」

「この辺りはまだ新しい通りだからね。あそこにうちの従者が遊んでいる、行ってみよう」

「はい」


 奥に入るとお茶を飲んでいた老人が俺に気づいて声をかけてくる。


「よう、サワクロ君。また君は女の子を連れ込んで……っ!?」


 いつも俺をコマ落ちであしらうチルク爺さんが、手にしたお茶を取りこぼす。


「おいおい爺さん、大丈夫か、ヤケドするぞ」

「そ、そ、その娘は……」

「ああ、彼女はうちのお客さんでイミアちゃんだ」

「イミア!?」


 チルク爺さんは突然立ち上がると、奥に走りだす。


「おい、ダントラ、チェンカ、てえへんだ」

「なんじゃ騒々しい、死んだばあさんの亡霊でも出たか?」

「女帝が、女帝が乗り込んできおった」

「なんじゃと!?」

「間違いねえ、わしゃ去年、都でみた!」


 年寄りどもが一斉に立ち上がってこちらを見る。


「え、あの……」


 動揺するイミア。

 なんか女帝とか言われてるぞ?

 まあ、それは置いといて、ジジイどもをたしなめる。


「おいおい、彼女が怯えてるだろうが」

「やかましい、さては自分が勝てんからと助っ人を呼びおったな。よかろう、わしもチェス一筋五十年。都の大会にも出たことがある。受けて立とうじゃないか」


 と言ったのは年寄り連中で一番腕が立つチェンカ爺さんだ。

 そうは言ってもエクにいつも負けてるんだけど。


「ああ言ってるけどどうする、イミアちゃん」

「え、ああ、その……勝負でしたら、お受けします……けど」

「けど?」

「いえ、なんでもないです」


 集会所の中央に全員が集まり、イミアVSチェンカの勝負が始まった。

 結論から言うと、勝負はあっけなく決まった。

 イミアの圧勝だ。


「もう一本、もう一本じゃ」


 と食い下がるチェンカ爺さん。

 それでも立て続けに三本負け、その場に崩れ落ちる。


「だめじゃ、もうわしはおしまいじゃ。じゃが思い残すことはない、最後にチェスの女帝と勝負できたんじゃ……」

「あ、あの……その、女帝ってのはちょっと……恥ずかしいので」

「なんじゃと、じゃが君が昨年度のスパイツヤーデ杯の第百二十八代目チャンピオンなことは間違いないじゃろうが」

「そ、そうなんですけど……」


 チャンピオンだったのか、いいよな、チャンピオン。

 一番ってのはとにかくいいものだ。


「ええい、わしらにはまだエクちゃんがおる。この絹織集会所名誉会長のエクちゃんにすべてを託す、彼女こそがわしらの最後の希望じゃ、サワクロの野望を打ち砕け!」


 エクは俺の従者だろうが。

 そもそも名誉会長ってなんだよ。

 ここのジジババどもは好き勝手言いやがるな。


「エクと申します、不調法ではございますが、一つお手合わせの程を、よろしくお願いいたします」

「あ、はい、よろしくお願いします」


 そう言って二人の対局は始まる。

 それは静かな戦いだった。

 時折コマを動かす音がわずかに響く。

 表通りの喧騒も、ここまでは届かない。

 見ているだけで息が詰まる。

 その場を支配する重苦しい空気。

 この緊張感は、剣の真剣勝負のそれと変わらない。

 先ごろの、シーリオ村でセスとコン名人との勝負にも通じるような、そんな空気だ。

 やがてエクが小さく息を吐くと、「参りました」と頭を下げた。

 同時に見ていた俺達全員も、ぷはーと息を吐く。


「こちらこそ、良い勝負でした。こんなに楽しい勝負は、去年の大会以来です」

「ご満足いただけたならば幸いです」

「あの、いつもこちらにいらっしゃるんでしょうか。良ければまた……」

「主人の許す限りは、いつもここで打たせて頂いております。こちらこそまたの機会をよろしくお願いいたしたく思いまする」

「では、あなたもサワクロさんの?」

「はい、この身も心も、常に我が主人のものでございます」


 それを聞いたイミアちゃんは、にっこり笑う。

 うーん、笑顔も可愛いなあ。


「よし、次は妾の番だな」


 満を持してプールが乗り込んでくる。

 どう考えてもプールじゃ勝てないだろう。

 まあ、止めないけど。


「ほれ、エク。さっさと代われ。よし、勝負だ」


 プールは鼻息を荒くしてイミアの前にデンと座る。


「よ、よろしくお願いします」

「うむ、妾はプールだ。お手柔らかにな」

「はい。ではどうぞ」


 さっきとはうってかわって和やかに談笑しながら進む。


「おお、なるほどそう来るのか。うむむ」

「プールさんは変わった手を打たれるんですね。定石から予測がつかなくて面白いです」

「いつも言われるな。まあ、魔界流だと思うがいい」

「え……ま、かい?」

「うぬ」

「えっ……!?」


 とイミアの顔色が変わる。


「あ、あの、じゃあ、その肌の色は……」

「うん? 魔族はたいてい、このような褐色の肌だな」

「え、あ、あはは、ホントは、な、南方のお生まれですよね? 魔族とか……その」

「どうした、魔族を見るのは始めてか?」


 とプールはニヤリと笑う。

 わざとらしくのぞかせる八重歯が牙にも見える。


「ひ、ひいぃ」


 明らかにビビりながら後ずさりするイミアちゃん。

 だが、逃げようにも周りをギャラリーに囲まれて身動きできない。

 年寄りどもも、わざと囲んでないか?


「ほれ、お主の番だぞ」

「は、はひ……」

「どうした、手が震えておるぞ?」

「ひ、ひぇぇ……た、たべ……」

「うーん? どうしたのかな?」

「た、食べないで、わたし、おいしく……ない」

「食べる? 何のことかな? ふふふ、妾が何を食べるというのだ?」

「ひいぃ!」

「この大きな口で、お主のその愛らしい顔をまるごと……あいたっ!」


 調子にのってるプールの頭にチョップを食らわせる。


「なにをする、舌を噛んだではないか!」

「やめんかバカタレ、イミアちゃんが怖がっとるだろうが」

「むう、これも立派な心理戦というもの、こうでもせねば負けるではないか」

「やかましい、反則だ!」

「むう、横暴だぞ、主人とてやって良いことと悪いことがあろうが!」

「俺がやらんで誰がやるんだ!」


 と改めてチョップする。


「あいっ……むう、従者を虐待するなどと、主人の風上にもおけんやつ……」

「主人の力を思い知ったか」


 俺とプールのどつき漫才を見て、イミアは少し落ち着いたようだ。


「あの、あなたもサワクロさんの従者……なのですか?」

「うぬ、そうだ。ちょっと調子に乗りすぎたようだな。なに、妾などただの奴隷よ。お主に危害を加える事はない」


 そう言ってプールは首元の輪っかを指し示す。


「ご、ごめんなさい。私こそ、怖がっちゃって」

「気にすることはない、本来はそういうものだ。ここの空気が居心地良すぎて、それを少々忘れておった。こちらこそ許されたい」

「はい……」

「さて、では勝負の続きと行くか」

「あの……、じゃあこれでチェック」

「なんだと! うぐぐ……これでは詰んでおるではないか! いつのまに……」


 ビビっていても腕の差は変わらないようで、プールもさっくり負けた。

 その後は集会所の常連共が入れ替わり立ち代わりイミアちゃんに勝負を挑んだり、将棋を試してもらったりした。

 見てる俺は暇なんだけど、何よりイミアちゃんが楽しそうにやってるのでよしとしよう。

 そうこうするうちに、気がつけば日も傾いてきたようだ。


「いけない、あまり遅くなるとうちのほうで心配しますから」


 とイミアは切り上げる。

 そういえば、もう一人のサウちゃんのほうはどうしてるのかね。

 エクやプールも一緒にうちに戻ると、サウはまだカプルを相手にエキサイトしていた。


「チェスそのものをモチーフにするのはいいのよ。だけどね、私もあれから仕事として絵を描く意味をいろいろ考えたの。だからほら、たぶん、それで喜ぶのはイミアみたいなマニアだけよ。普通にちょっとチェスをしてみたいだけの一般人には、もっとわかりやすくて、それでいてインパクトの有るモチーフが居るのよ」

「仰るとおりですわ。ただ、それが何かと言われますと、困りますわね」

「そうよね、うーん。アイデアって出るときはズバズバーって出るんだけど」

「それはそういうものですわ、悩んで悩んで、悩みぬいてそれでも何も思いつかないなんて、よくあることですもの」

「うーん」


 どうやら、パッケージのアイデアで悩んでいるようだ。

 ということは、正式に彼女に依頼することにしたんだな。


「取り込み中のところ悪いが、イミアちゃんはもう帰るそうだぞ。君はどうする?」

「え、もうそんな時間!?」


 と慌てて時計を確認する。


「いけない、ああ、でもせめてきっかけだけでも……」

「パッケージのアイデアか。どんなのを考えたんだ?」

「チェスの駒をね、デーンとアピールしようかと思ったんだけどなにか物足りなくて、こう、ほら、あるじゃない、なんていうかさあ……普段チェスをしない人との接点というか」

「ようするに、親しみやすさとインパクトがほしいんだろ。そういう時は有名人を使うんだよ。女優とか、王様とかあるだろ」

「ああ、なるほど。でも勝手に使っていいのかしら?」

「はやりの人物でマズけりゃ、女神様にしたらどうだ? みんな知ってるし馴染み易いぞ」

「それよ! ビビっときたわ! ビビッとよ! ズバーっとよ! あなた素敵! 上手く行ったら従者になってもいいわ! じゃあ私帰る! 明日また来るからよろしく! ほらイミア急いで! 帰るわよ! それじゃ、さよなら!」

「あ、まって、まってってば! それじゃあ、また……」


 二人はやかましく帰っていった。


「ははは、賑やかな娘だったな」

「従者になってくださるそうですわよ」

「そいつは楽しみだ」

「彼女は思った以上に才能あふれるアーティストですわ。それでいて血筋のせいでしょうか、ああ見えても商人としての資質もあるようですわ。非常に優秀な人材ですから、従者の件は抜きにしても取引を続けたい相手ですわね」

「ふぬ、そっちは任せるよ」

「かしこまりましたわ。お連れの方はどうでしたの?」

「あっちもすごいぞ、エクよりチェスが強い子をはじめてみたよ」

「まあ、そうでしたの」


 どっちも脈はありそうな気がしたが、今のところ振り回されてる感じだなあ。

 さて、どうしたものか。

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