第126話 卵
今日は街の中央にあるアウル神殿に来ている。
と言っても参拝客が訪れる表の神殿ではなく、僧職の連中が修行したりする奥の建物だ。
質素で整然とした作りが、古い学校のような素朴さを感じさせる。
坊さんの修行と言っても座禅を組んで念仏を唱えまくるようなものではなく、もっとアカデミックな雰囲気だ。
ここでは神学はもとより、哲学や歴史、法律に経済に軍事、そして魔法まで幅広く研究している。
俺達がいるのは大図書館で、ここには世界中から集められた書物が大量に並んでいる。
僧侶たちはここに閉じこもって一日中本を読んでいるそうだ。
「私やお姉様はネアル派の僧侶ですが、ここアウル派の僧たちはまず図書館にこもって修行します。何をやるかといえば読書です。はじめは聖書を読みますね。徹底的に。聖書に語られる女神の言葉を一字一句余すところなく理解し、その論理を吸収し、我が血肉となるまで読みます」
と語るのはレーンだ。
「次に外典や聖人の書き記した文献、あるいは各地に残る奇跡の記録などを読みます。当然伝播の途中で矛盾なども生じるわけですが、これを最初に呼んだ聖書から構築した論理に基づき解釈していきます。そうして解釈し終えると最初に築いた論理の礎の上に積んでいきます。そうして自分の匣を作るのです」
「匣か」
「はい、匣です。アウル派ではこの拠り所となる論理の土台を匣と呼びます。かつて女神アウルがそれに乗って天から降ったというアシハラの匣。それになぞらえて自分が乗る匣を論理の力で築くのです」
「ほほう」
「そうして神学の礎ができると、ついで哲学や言語学、神聖魔法なども同様の手法で習得していきます。それがアウル派の修行のあらましですね」
「なるほど、じゃあネアル派はどうなんだ?」
「ネアル派は知識を重んじますね」
「ふむ」
「重んじるので際限なく吸収します。つまりひたすら本を読んだり話を聞いたり、体験したりします」
「ふぬ」
「そうしてひたすら知識をためてためて貯め続けると……」
「続けると?」
「ある日突然、自分の内から知恵が溢れだしてきます。溢れでた知恵は新たな知識となり、議論ができます。議論もまた新たな知恵を生み出し、さらに知識がたまります。そうして貯まり続けると……」
「また溢れるのか」
「その通りです。それがネアル派の基本ですね!」
なるほど、よくわからんが、なんだかどっちも大変そうだ。
で、そんな話を聞くためにここに来たわけではなくて、今日はレーン達の修行の見学に来たわけだ。
修行と言っても今言ったような僧侶の修行ではなく、魔法の修行だ。
若干インチキ臭いが魔法っぽいことができるようになったこともあり、魔法の修行とやらはどうやってるのか興味がでてきたのだが、デュースの方はフューエルの屋敷でやってるので、ちょっと行きづらいんだよ。
そんなわけで、レーン達神聖魔法系の修行見学となったわけだ。
図書館に隣接する小さな個室をかりて、大量の魔導書が中央のテーブルに積み上げてある。
「図らずも足止めを食らってしまったこの数ヶ月、ぜひともワンランク上の呪文を身につけたいところです!」
と鼻息を荒くするレーン。
「おう、いいな。具体的にはどういうのだ?」
「私に関していえば、理想を言うと最上位の回復魔法なのですが、これはやはりあと数年はかかるでしょう。僧侶のうちでも、これが使えるのは一パーセントにも満たない高度な術です」
「そんなに少ないのか」
「それに、実戦向けでもないのです。例えば失った四肢を再生する呪文は数日間に渡って断続的に呪文をかけ続けなければなりませんし、回復後のリハビリも要ります。だいたい腕一本直すのに最低一ヶ月はかかります。ですが今使える中位の回復呪文だけでも、余程の致命傷でない限りは延命できます。であれば大きな町までけが人を保たせることは可能ですから、冒険者の能力として見た場合、これ以上はあまり意味が無いのです」
「なるほどな」
「むしろ、戦闘で生き延びるためには前にも言ったとおり、補助魔法が必要です。どうも私は苦手だったのですが、というよりもほとんど修行してこなかったのですが」
「なぜだ?」
「勇者のパートナーとしてバリバリ回復させまくるつもりだったからです!」
「なるほど」
「ですが、あらためて実戦経験を重ねるうちに補助魔法こそが戦闘の鍵だと気が付きました。もちろん兵法としてその重要性を学んではいたのですが、普通中堅以上のパーティには最低魔導師が一人はいて何らかの補助魔法が使えるものですから、私は僧侶として回復魔法に特化したほうが良いという考えもあったのです。客観的に見て私の回復魔法は実践レベルで十分機能していると思いますし」
レーンが使えるのは中位の回復魔法だが、その練度はかなり高度なものだそうだ。
うちは幸いなことに、ほとんど大きな怪我をしてこなかったからよくわからんが、現場で想定される治療には十分なレベルだという。
昔、セスが致命傷を負ったことがあったが、あのような傷でもすぐに治療できれば半日程度は延命できるとか。
それならば必要十分だと言えそうだ。
傷といえばメルビエの顔の傷も、レーンの毎日の治療でほとんど治ってしまった。
あれは最初に大きな病院で見てもらったあとに、毎日レーンが呪文をかけて、今では傷跡がわからなくなっている。
むしろ慌てて治すと新しい皮膚が浮いて見えるので、あれでもゆっくり治したのだとか言ってたな。
「補助魔法と言っても種類は千差万別。コルスさんの結界魔法やプールさんの幻覚も補助魔法の一種ですね。ただどちらも近接戦闘向けとはいいかねます」
「ほほう」
「王道はやはり睡眠魔法でしょう。眠ってしまえば竜といえども赤子同然! 完全に眠らずとも反応速度は大幅に鈍ります。実戦ではもっとも有効な術ですね」
「ふむ」
「次点で石化や麻痺があるでしょう。石化は非常に高度なので難しく、麻痺もレジストされる可能性が高いので有効度はいささか落ちます」
「ふむふむ」
「あとは、姿を消す、視覚や聴覚を奪うといった幻覚系のもの、毒や病気に似た異常状態にするもの、臆病にしたり驚かせたりする精神に働きかけるものなど色々ありますが……、即効性がないのでやはり戦闘向けではないですね」
「なるほど」
「むろん、これらも使いようなのですが……他には、変わったところでは、音を鳴らすというものがありますね。小石の落ちるような音をあらぬ方から相手に聞かせるのです。それによって一瞬注意をそらすのですが、これは熟練したものが使えば効果的だったりします。魔法が使える盗賊などが好む術だと聞いています」
「そうかもな」
「もっとも効果は限定的なので、最初に覚えようとするものでもありませんが」
「ということはやはり睡眠や麻痺ということか」
「そうなりますね! ですから、今は睡眠魔法を中心に研究中です。睡眠魔法ひとつとっても、実はどの女神様から効果を授かるかで種類がありますので、色々試さなければなりません」
「効果も違うのか?」
「細かい差はありますが、基本的に効果は一緒です。むしろ術者との相性があり、使えないもののほうが多いのです」
「ああ、そういえば呪文を唱えるだけじゃダメなんだっけ。俺も使えなかったもんな」
「はい! 神聖魔法は女神様のお力をお借りして魔法を発動させますので、自分とつながりのある女神様でなければなりません」
「なるほど」
「ですから、今は一つずつめぼしい魔法を試してみては十分に効果を発揮できるか試しているのです」
そういってレーンは目の前に積まれた本の束を指さす。
オルエンにエーメス、そしてレルルが席について本をめくっている。
騎士は僧侶と同じ神聖魔法が使えるらしいので、こうしてレーンと一緒に修行中、というわけだ。
エーメスは騎士団の引き継ぎなどが残っているようで、定期的にそちらに出向いている。
見習いだったオルエンたちと違い、立場のあったエーメスはさすがにいきなりやめるわけには行かなかったのだろう。
そもそも、すぐにうちにこれただけでも、色々配慮してもらっていたようだ。
今日も、その合間を縫っての呪文研究というわけだ。
そのエーメスはしかめっ面で呪文書を眺めていたが、不意に顔を上げてふぅっと深呼吸する。
「これだけの呪文書は騎士団では閲覧できませんでしたから、非常に勉強になります」
「たしかに……赤竜でも……月に一度……神官にご教授願う勉強会が……ありましたが……」
「私どもでもそうなのですが、教会からは来ていただけなかったので、神霊術師のかたに講師を頼んでおりました」
エーメスとオルエンの二人はともに初歩の回復呪文が使える。
多くの騎士は最低限、この回復呪文が使える。
特にエーメスは自分自身に限られるが、戦闘中に回復させることもできる。
アンやオルエンは呪文に集中しないと使えないので、かなりの練度と言える。
これはつまり、かすり傷や打撲程度なら体力の続く限り自分で直しながらずっと前衛で戦えるということだ。
よく考えると凄い能力だよな。
さらに術に長けたものも居るが、騎士の場合、結界術を良くするものが多いのだそうだ。
盾となるという騎士の特性を反映しているのかもしれないな。
一方のレルルは現時点ではなんにも呪文が使えない。
安定のへっぽこっぷりだ。
それでもレルルは先日一皮むけたせいか、魔法の方もやる気を見せているようだ。
もっとも騎士ならば少なくとも一つや二つは使えるものらしいし、こちらも頑張れば芽が出るかもしれない。
「とにかく、当面は根気よく呪文の相性を調べて、春までに一つでも二つでも使える呪文を増やしたいところです」
とレーンは締めくくると、再び本を読み始めた。
結局、四人はひたすら本を読んでいるだけだった。
もっとバリバリ呪文とか唱えてハデに練習するのかと思ってたよ。
そんなわけですぐに飽きてしまった俺は、神殿内を一人で散歩する。
まずは本殿に向かい、巨大な女神像の前でお祈りする。
特に祈ることはないんだけど、折角なので可愛い女の子とお知り合いになれますようにと祈っておいた。
神殿の裏は洞窟を使った奥の院となっていて、細い通路に小さな石像が並び、ろうそくのように精霊石が光っている。
中々幻想的な風景だ。
通路の突き当りには小さな池がある。
様子を見ていると、やってきた人がコインを投げ入れて祈りを捧げていた。
池の中には大量のコインが沈み、精霊石の明かりを反射して光っている。
なるほど、俺もやってみよう。
ごそごそとコインを探すと、ジャケットの内ポケットからコインが一枚出てきた。
はて、なんでこんなところに……。
しばし考えて思い出す。
こいつはこの街についた時に、ボロをまとってうずくまってる俺に通りすがりの女の子がくれたコインだ。
折角なので内ポケットにお守り代わりに入れてたんだった。
こいつはちょっと女神様にはやれないな。
代わりに出てきた別のコインを投げ入れて拝んでおく。
願い事は同じだ。
レーン達の方はあれだけ頑張ってりゃ神頼みしなくたって、きっと良い結果が出せるさ。
拝み終わって顔を上げると、いつの間にか隣に人が立っていた。
フードを目深に被った小柄な女性で、静かに祈りを捧げている。
一見華奢なようだが、凛とした姿勢からは戦士系の貫禄を感じる。
俺もちょっとはそういうのがわかるようになってきたんだよな。
女性は俺を一瞥すると、軽く会釈して出て行った。
奥の院を通り抜け、少し長い石段を登ると急に視界がひらけ、トッサ湾がポッカリと浮かび上がるように眼前に飛び込んできた。
さほど高い場所でもないのになぜだろうと思ったら、ここから海岸までは高い建物が無いからだった。
両サイドには立派な商館などが並んでいるのにここだけが開けている。
「よい眺めでしょう。ここは海の彼方におわす神子の御霊をお迎えするための道なのです」
そう話しかけてきたのは、老齢の僧だった。
「神子とは女神が大地に垂らした乳の化身であり、豊穣の証。ここアウル神殿では降臨祭の時に、海から神子にお越しいただき、湖に祀るのですよ」
「それで、この目抜き通りはまっすぐ開けてるんですね」
「さよう、ここは神の通り道でもあるのですよ」
なるほど。
日本でも神様を海や山から迎えたり移動してもらったりとかする祭りはあるよな。
「よろしければ、こちらもご覧になっては。面白いものが見られますよ」
老僧が案内してくれたのは小さな祠だった。
小さいと言っても普通の一軒家ぐらいのサイズはあるのだが。
門を守る僧兵が二人、老僧に無言で頭を下げる。
黙ってついていくと、祠の中にはうっすらと赤く輝く大きな精霊石が安置されていた。
その前では数人の僧侶が手を合わせて拝んでおり、中央には着飾った僧侶――おそらくは巫女――が天を仰ぐように手を掲げている。
「これは……こんな立派な精霊石は初めて見ましたが」
「これが女神の卵と呼ばれるものなのですよ」
「これが!?」
女神の卵とは、アン達メイド族やエレン達スクミズ族のようなホロアが生まれてくるという精霊石のことらしい。
こんな石からあいつらが生まれてきたのか。
うーん、不思議というしか無いな。
「毎月、時が満ちればここからホロアが生まれ落ちるのです。さあ、もうすぐですよ」
いつの間にか女神の卵はまばゆく輝き、無数の光の粒子を放出する。
その光は上部へと集まってゆき、やがてひとつの塊となる。
徐々に大きくなったその塊は真っ白な光を放ちながら、濃縮され、押し固まり、何かを形作ってゆく。
その時、ドクンっと空気がゆらぎ、鼓動のような音が聞こえた気がした。
そうして次の瞬間には光は消え去り、人の赤子が巫女の手に収まっていた。
隣の老僧は手を合わせると、
「あの子もまた良き主人を得、良き従者として生を全うできますように」
と祈りを捧げていた。
「しかし、不思議なものだとは思いませんかな? こうして生物ならざる物から、生きた子が生まれてくるのです。人も獣も、植物さえも、己の子孫は己自身が産み落とすというのに。ではホロアは精霊石の子なのでしょうか? ご存知のようにホロアは子を孕むことはありません。彼女たちの生は閉じているのです。いわんや主人を得られなかったホロア達の行く末は……」
「ゴーストのことですね」
「さよう、あの姿を見る度に、その無念を思う度に、一刻も早く安らぎを与えたいと思わざるを得ません」
「わかります」
「個人的な話になってしまいますが、私は僧侶としての半生を、ゴーストを少しでも減らすことに捧げてきたのですよ。残念ながら私には主人の相がなく、成仏させてやることが出来なんだのですが、友人の騎士と共にゴーストの噂のある土地を経巡り、見つけたゴーストを成仏させて回ったものです」
「ご立派だと思いますよ」
思うんだけど、なんでこの爺さんはこんな話をしてるんだろうな。
年寄りの世間話は動機が読めない事が多いのが難しいよなあ。
「ありがとうございます。あなたはゴーストを減らすにはどうすれば良いと思いますか?」
「そりゃあ、主人を見つければ良いのでは?」
「そう、そうなのです。それがもっとも良い手段ではあるのですが、残念ながら人間のお見合いを斡旋するようなわけにはいかんのですよ」
「たしかに、相性がありますからね」
「いかにも。相性による契約という関係。これはホロアだけではなく、古代種や魔族にさえ存在します。我々人間だけがそれを成し得ぬのです。この世界にいる人型の種族で、人間だけがコアを持たず、従者として契約ができない。人々はよく、なぜホロアや古代種だけ契約できるのかと尋ねますが、むしろ私はなぜ人間だけが契約できないのかと問いたい」
「はあ」
「数の上ではもっとも多い我らアジアルの民だけが、一部の例外をのぞいてコアを宿さぬというのもまた、不思議なことです。残念ながら女神はその教えの中で、このことに触れてはおられないのですが……」
どっちに転ぶのかわからない老僧の話に曖昧な相槌を打つうちに、先ほど生まれたホロアは巫女に大切に抱きかかえられて建物から出て行った。
あとには光を失った巨大な精霊石と、老人と俺が残るのみ。
「まいりましょうか、ここはそろそろ閉めますので」
老僧に促されて建物を出る。
建物を覆う木々は色づき、時折吹く強い風に葉を散らせている。
まだ日は高く、木々の向こうには参拝客の喧騒が充ちているが、ここは静かなもんだ。
「ご主人様、こちらにいましたか」
突然、静寂を打ち破るレーンの朗らかな声が響いた。
「おう、レーン。もう終ったのか?」
「いいえ、私はそちらの方をお探ししていたのです。ごきげんよう、ヘンボス様」
「ごきげんよう、レーンさん。あなたのご主人をお借りしておりましたよ」
「我が主は人の話を聞くのが殊の外好きなものですから、貫主様のお相手には最適かと」
「ありがとうございます。して、私に御用とは?」
「はい。実は貫主様がエクエール文庫をお持ちと聞き及びまして、拝見させていただけないものかと」
「おお、たしかに持っていますが、あれは今、ペンドルヒンのサワーク司教にお貸ししているのですよ」
「そうでしたか、残念です。エクエール様の呪文に関して興味があったのですが」
「それでしたら写しがあります。そちらをお貸ししましょう」
「ありがとうございます」
「ではまいりましょうか、紳士様もご一緒に……おっとそういえば自己紹介をしておりませんでしたな。ここの貫主を務めるヘンボスともうします」
「クリュウです、よろしくお願いします」
やはり俺のことを知ってて絡んできてたのか。
貫主ってことはようはここのトップだよな、たぶん。
ヘンボスと名乗った老僧は俺とレーンを伴って神殿の奥にはいった。
そこでお茶などごちそうになりながら、なにかありがたい話でも聞かされるのかと思ったら、この爺さんは突然チェスのボードを出してきた。
「私はこれに目がないのですが、いかんせん腕の方はからっきしでしてな、クリュウ殿は大層お弱いとか。ぜひとも一局」
と俺の返事も聞かずにいそいそと準備を始める。
そりゃいいんだけど、大層お弱いってどんな言い回しだよ。
まあ、レーンも世話になってるようだし、ちょっとだけ。
ちなみにレーンはなんとかいう本の写しを受け取るとさっさと出て行ってしまった。
要領のいいやつめ。
「ふーむ、なるほど」
などといいながらヘンボス老人は楽しそうにチェスをうつ。
対局してわかるが、確かにこの爺さんは弱い。
なんといっても俺と互角なんだからな。
「近頃、ゴーストが度々発見されているという話はご存知ですかな」
「ええ、聞いています」
「おそらくはどこかのダンジョンから湧き出ていると考えられているのですが……未だその元は判明しておらぬようで」
「みたいですね」
「誰にも知られずに深いダンジョンの底にゴーストたちが大勢眠っているかもしれぬということは、とても悲しいことです」
「大勢とは限らないのでは?」
「さよう、ですがこの街のものは皆、そうは思いますまい」
そう話しながら、チェスの手はどんどん大雑把になっていく。
なるほど、この爺さんが弱いわけだ。
チェスを打ちながらずっと喋っている。
喋りながら喋る内容を考えているのだ。
それじゃあ、次の一手も読めるはずがない。
しかし、今の台詞はどういう意味だろうな。
ゴーストに関するいわれがあるのだろうか。
話の続きを待つが、残念ながらそこで会話は止まってしまった。
なぜなら俺が負けちゃったからだ。
話に集中しすぎて全然盤面を見てなかったぜ。
俺も対戦中は大抵別のことを考えてる気がするな。
負けるのも仕方あるまい。
「久しぶりに勝たせてもらいましたよ、これは良い相手と巡り会えたようです。やはり勝負は力の均衡した相手とやるのがよいですな。ぜひとも折を見てお相手願いたいものです」
「次は負けませんよ」
そうは言ったものの、次も負けそうな気がするなあ。
貫主のところを辞去し、レーン達のいる図書館にむかう。
神殿の表参道にでると、声をかけられた。
「ご主人様だ! おさんぽ!?」
見ると犬耳剣士のフルンが走ってきた。
その後ろに師匠のセスもいる。
「おう、道場はもう終わりか?」
「うん! それでねー、砥に出してた刀を受け取ってお参りに来たのー。明日のダンジョンがうまくいきますようにって。だからシルビーも一緒だよ、ほら」
フルンの指差す方には貧乏貴族娘のシルビーもいた。
「よう、シルビー。調子はどうだい」
「おかげさまで。その、この度は色々とご足労をおかけして…その……」
と中々殊勝である。
「そういうことなら、俺も一緒にお参りしていくか」
「うん。でもご主人様一人?」
「いや、この先にレーンたちがいるぞ。俺はちょっと散歩してたんだ。お参りが済んだら呼びに行って一緒に帰ろう」
「うん!」
今日も元気なフルンと一緒に神殿に向かうとなにやらヤジが聞こえてきた。
まあ喧嘩とか揉め事は街をうろついてれば日に一、二回は目にするものなのでさほど珍しくはないが、こうやって行く手を防がれると困るな。
なんの喧嘩だろうか。
「人足の集団と、相手はなんでしょうか、商人のようにも見えますが、男ばかりなので陸の商人でしょうか」
とセス。
たしかにそれっぽい連中が数人ずつ、固まっていがみ合っている。
どうやら人足の方はかなり酒も入っているようだ。
「お嬢に恥をかかせて、黙ってけえすと思ってんのか、ええっ!?」
「うるせぇ、獣くせえエィタなんぞにしっぽふりやがって」
「なんだとてめえ、もういっぺん言ってみやがれ」
「なんどでも言ってやらぁ、この獣やろう」
「てめぇ、おめえら、やっちまぇ」
「うぉあああっ!」
「おおおぉぉっ!!」
などといった感じで、とうとう乱闘になってしまった。
神殿のど真ん中でバチあたりな連中め。
とはいえ、たまには喧嘩ぐらいしたい時もあるよなあ、ぐらいにしか思っていなかったのだが、
「けしからん連中だ、神聖な女神の御前でこのような……」
とシルビーは怒ってる。
この子は真面目だからなあ。
俺は呆れることはあっても、こんなことで一々怒ったりはしないからな。
なんというか、正しくないことに怒るってのは若者の特権だよなあ。
年とともに、世の中には他人を怒っていいほど正しいことなんてどこにもないような気がしてきて、怒れなくなるんだけど。
いや、俺はまだ若いけどな!
まあ、ここは年長者として若者の正当な怒りをなだめておこう。
「そう言ってやるなよ。庶民はああやってガス抜きするもんさ。みてみろ、周りの連中も無責任にはやし立ててるだろう」
「度し難い……なぜ誰も止めぬのです」
「そいつは野暮ってもんだ」
「庶民の考えることはわかりません!」
「しかし騎士になったら、そういう庶民をまもるんだろう?」
「私は金獅子団に入るのです。庶民など関係ありません」
「うん、そうか」
金獅子団ってなんだろうな?
まあ、それはいいんだけど、この場は適当にやり過ごそう。
殴りあってる集団を遠巻きに見ながら人混みをすり抜けると、突然甲高い悲鳴が。
覗きみると商人側が連れていた娘が、人足に腕を掴まれて引き倒されそうになっていた。
いかん、女の子は助けないと。
俺が飛び出しかけると、それより早く別の誰かが周りの群衆から飛び出して、娘の前に躍り出る。
フードを目深に被った小柄な姿。
あれってさっき奥の院で見た人物か。
「なんだてめぇ」
「娘は関係ないでしょう」
「うるせえ、てめえの知った事か」
人足はフードの女に殴りかかるが軽くいなされ地面につんのめる。
やっぱり強かったみたいだ。
喧嘩の大勢は、数の多い人足のほうが有利のようで、他にも手の空いた人足たちが一斉にフードの女に襲いかかったものの、こちらは束になっても相手にならない。
あっという間にのされてしまう。
だが、フードの女が離れた隙に、人足の一人が再び商人側の娘を捕まえる。
その勢いで娘のかぶっていた帽子が飛ばされ、栗色の髪が乱れる。
そしてその頭部には猫っぽい耳がついていた。
猫耳!
あんなかわいい猫耳ちゃんになんてことを!
と思った次の瞬間には、俺は集団に向かって飛び出していた。
相手の人足は、まさかさらに外野が飛び込んでくるとは思っていなかったらしく、俺のタックルをもろに受けてふっとばされた。
俺も勢いをつけすぎたせいか、反動で地面に転がり、息が詰まる。
そんなにかっこよくは行かんなあ。
「だ、だいじょうぶですか!?」
猫耳ちゃんは俺に駆け寄ってきた。
「あ、あの、ありがとう、ございます」
「ああ、君こそ大丈夫かい?」
改めて近くで娘の顔を見ると、見覚えがある。
この娘、以前俺にコインを恵んでくれた娘じゃないか。
早速女神様のご利益があったのだろうか?
「あぶない!」
娘が叫び、さっきの人足が飛びかかってくるが、俺は猫耳ちゃんに気を取られて防御が間に合わない。
とっさに彼女をかばい、きつい一発を覚悟して身構えるが、いつの間にか間に立ちふさがったセスが人足をひょいと投げ飛ばす。
「ご主人様、気を抜くのはまだ早いですよ」
「そのようだな。面倒だ、やっちまえ!」
「かしこまりました」
いうが早いがセスは稲妻のように跳びかかり、次々と人足を手刀で打ちのめしていく。
こうなるとあとは時間の問題だ。
あっという間に人足たちは全員地面に転がってしまった。
「大丈夫かい、お嬢さん」
「はい。ありがとうございます」
「かわいい耳に埃がついちまったな」
と言って頭を払ってやると、娘は顔を赤くして俯いてしまった。
うーん、猫耳もいいもんだな。
「そうだ、あの方にもお礼を……」
と娘が振り返ると、さっきのフードの女はすでに姿を消していた。
あれ、どこ言った?
「あの者なら趨勢を見極めると早々に姿を消しました。中々の腕と見ましたが」
「だよな、強そうだった」
そこに今更警笛が鳴り、騎士団が駆けつけてくる。
先頭は女騎士のモアーナだ。
彼女なら適当に丸く収めてくれるだろう。
「なるほど、話は大体わかりました。そちらのお嬢さんに因縁をふっかけられて、乱闘になったと」
俺から事情の説明を受けたモアーナはそういった。
「そうそう、俺も見てたからなあ。獣がどうとか言って困った連中だ。こんなにかわいい耳なのに」
「あの者達は内陸から出稼ぎに来たようです。獣族への偏見も根深いかと」
「しょうがねえな。そんなわけだから、とにかくこのお嬢さんには面倒が無いように頼むよ」
「そちらはかしこまりました。では、よしなに」
と言ってモアーナは部下の兵士達のもとに戻る。
「……おい、そこの連中には水でもかけておけ! 怪我のひどいものは収容せよ。見物は解散だ、見世物は終わったぞ!」
発破をかけるモアーナは中々凛々しい。
やっぱり騎士は貫禄があるなあ。
そういえばさっきのフードの女も、どちらかと言うと騎士っぽかったかもしれない。
強さに品があったんだよな。
いつの間にかいなくなってたけど。
猫耳の娘は改めて俺に礼をする。
「本当にありがとうございました。助けていただかなければ、どうなっていたか」
「なに、あの日、君から受けた恩に比べれば、これぐらいどうということはないさ」
そう言って懐からコインを取り出し、彼女の前にかざす。
「それは……やはりあなたはあの時の。そんなコイン一枚のために……本当になんとお礼を言ったらいいか」
「君がくれたコインの価値に比べればこれぐらいはどうということはない。エッサ湖の水をすべて汲み出してもお釣りが来るぐらいさ」
「そんな…わたし……あの……」
「困ったことがあったら、またかならず助けるよ」
「わ、私、イミアともうします。あの、お名前を」
「俺はサワクロ。シルクロードに小さな店を出すしがない商人だよ」
「商人だったのですね。あの時は大層お困りの様子でしたが」
「あの時はいろいろあってね。それよりも、君はあれから紳士様には会えたかい?」
「いえ、紳士様はもう海を渡られたかと……」
「そいつは残念だ」
「いいえ、それはもう良いのです。それに私はもともと……あの…それよりもあなた様は……」
そう言って俺を見つめる目はほあほあしている。
いかん、またやり過ぎちゃったかも。
いつぞやのお姫様と同じパターンじゃないか。
「さあ、お連れさんも目を覚ましたようだ。気をつけてお帰りなさい、お嬢さん」
「はい、この御礼はいずれ改めて……」
猫耳のお嬢さんは目をうるませながら俺になんども頭を下げて、連れの男たちに守られるようにして去っていった。
イミアちゃんって言ってたな。
ウクレと同じぐらいの年頃かなあ、もうちょっと上かもしれん。
可愛かったのでちゃんと名前を忘れないようにしておこう。
「あのまま口説き落とすのかと思いましたが」
とセスが話しかけてくる。
「まさか、俺はそんなに無節操じゃないぞ?」
「そこの所はわかりかねます」
「俺もわからんけどな」
フルンも寄ってきて、
「ご主人様もてもて!」
「ははは、まあな」
そこでシルビーも一緒にいたことを思い出した。
俺のナンパっぷりにさぞ呆れているのではとおもったら、何故か顔を赤くして俯いている。
「あ、あなたにも、あのような立派な振る舞いが、できるのですね」
「え、ああ、そうかな?」
「剣はともかく、社交性は、その……市井のものにしては中々のものだと」
「お、そうか。貴族のシルビーにそう言われると、俺も捨てたもんじゃないかな」
客観的に見て褒められる所はあんまりなかったと思うが、貴族の価値観は違うのかもしれんな。
「し、しかし、それも全ては実力が伴ってのこと。私にも勝てぬ者が言葉尻だけで女性をあしらうなどと、ただのナンパ者ではありませんか」
そりゃごもっともなんだが、いいじゃん、モテるところしか俺のウリってないんだし。
っていうかどっちなんだよ!
うっかり褒めちゃったので照れ隠しだろうか。
まだこの子の性格が掴めてないのでよくわからんな。
「とにかく、さっさとお参りして帰ろう」
その後、お参りを済ませてレーンたちと合流し、家路につく。
シルビーはオルエンたちが元騎士団員と知ると色々質問をぶつけていたようだ。
騎士になりたいというのは本気みたいだな。
そのうちエディを紹介してやるべきなんだろうが、そちらはいずれ機会があるだろう。
シルビーと別れてうちに帰り、夕食後に明日の探索に備えて最後の打ち合わせをする。
「セスとフルンは確定として、レーンとエレン、あとはデュースとオーレでいいのかな。あと俺と」
とデュースに尋ねると、
「あと二、三人足してー、少し別れて行動でもいいかもしれませんよー」
とデュース。
「ああ、前みたいに二パーティで連携して行動するのか」
「そうですねー、五人ずつぐらいが妥当じゃないでしょうかー。そのほうが目も届きやすいですしー」
「なるほど」
そこでセスが、
「それでしたら、オルエンかエーメスのどちらかに同行してもらいたいのですが」
「ふむ、いいんじゃないか?」
「理由はお聞きにならないので?」
「説明したいならしてくれてもいいぞ」
「はあ、つまりシルビーは騎士を目指していますので、騎士の戦い方を少しでも間近で見せておくべきかと」
「なるほど。ところで彼女はどこの騎士団に入りたいんだ?」
「さあ、聞いておりませんが」
「シルビーは金獅子団に入りたいんだって!」
とフルン。
「そういや、なんかそんなこと言ってたっけ? なんなんだ、それ」
「金獅子王近衛騎士団ですねー。王直轄のー、いわばこの国の騎士団の看板ですねー。あそこだけは庶民からは騎士になれず選ばれた血統の家からしか入れないんですよー」
とデュース。
「なるほど。まあ赤竜と白象じゃないなら、どっちを選んでもいいな」
レルルはさすがにまだ無理だしな。
「でしたら二人共行ってもらいましょうかー、エーメスとも早めに実地で合わせておきたいですしー、あの二人は結構タイプが違うようなのでどちらが参考になるかもわからないですからー」
「ふむ、じゃあそれで」
というわけで、パーティ構成は、
パーティA:セス、フルン、シルビー、レーン、オルエン。
パーティB:エーメス、デュース、オーレ、エレン、俺。
となった。
まあ、途中で変えるかもしれない。
荷物も多いので荷馬車を一台、出すことにした。
巨人のメルビエが手押し車代わりに使っているやつを花子に引かせるのだ。
馬車の留守番役として、コルスと紅もつけたところ、
「えー、たまには私も連れてってよ。留守番でいいから。毎日年寄り相手にチェスばっかりじゃカビるじゃない」
と燕が駄々をこねたので、留守番役に追加した。
これで準備は万全かな。
今日はただの魔法修行の見学のつもりが、なんだか色々あって疲れたぜ。
あとは明日を待つばかりだな。
うまくいけばいいけど、はてさて。
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