第124話 舟幽霊

 いつもの散歩から戻ると、巨人のメルビエが荷馬車を手押し車のようにつかって荷台一杯に運んできた材木をおろしているところだった。


「そいつは何に使うんだ?」

「足場に使うって話だぁよ」

「ってことはいよいよ壁ができるのか」

「んだ、だども人足さんの都合で来週以降とか言ってただよ」

「そうか、じゃあもうしばらくは吹きさらしのままか」


 そうやって話す間も、湖の方から冷たい風が吹き抜けてくる。

 ここも壁と床ができれば、立派な我が家の完成だ。

 暖炉でもつけば、今よりももっと暖かく過ごせるはずだ。

 楽しみだねえ。

 材木を降ろし終わると、メルビエは再び出かけていった。

 それはそうと寒いな。


「ご主人様、そこは寒いでしょう。今から火をおこしますので」


 両手に薪を抱えたアフリエールが厩の方から出てくる。

 薪は隣接する馬小屋に積んである。


 湖側の倉庫の敷地ぎりぎりのところに火床が作ってあり、ここで焚き火をする。

 旅の頃と代わらないスタイルだ。

 屋根があるだけましなんだけど、早く壁も欲しいもんだ。


 腰を下ろして、アフリエールが火をおこすのを見守る。

 すぐに炎が上がるが、安定するまで少しかかる。

 俺がやると煙まみれになるんだけど、器用にやるもんだ。

 その間に鍋を吊るし、水をはる。

 それが終わるとテントの中から毛布を一枚持ってくる。


「となり、いいですか?」


 と頬を赤らめながら聞いてくるので、二人で同じ毛布にくるまりながら火にあたる。


「あったかいですね」

「そうだな」

「今日はどこにお散歩に行ってたんですか?」

「西通りをぶらりとな。そこの交差点の先で改装してたからなにか店が出るんじゃないかなあ」

「この辺りも少しずつお店が増えるようなことを聞きました」

「賑やかになるといいな」


 二人で火にあたっていると、ウクレがかごに洗濯物を取り込んできたようだ。


「おつかれさん、寒いだろう」

「はい、少し風が出てきたので」

「それが終わったらこっちであったまれよ」

「そうさせてもらいます」


 といってウクレはテントに入っていった。

 五分ほどで出てきたかと思うと、手にはまだ、何かをかごを持っている。


「失礼します」


 そう言って隣に腰掛けたウクレは、かごの中から木の棒と手袋を取り出した。

 手袋の中に棒を突っ込んで、グリグリと伸ばしている。


「何やってるんだ、それは」

「これは洗って縮んだ皮を伸ばしてるんです。これが終わったらクリームを塗って完成です」

「へえ、手間がかかるもんだな」

「でも、これをちゃんとしないと縮んでつけられなくなるので」

「ほほう、どれ、俺にもちょっとやらせてくれよ」

「え、でも……」

「まあいいじゃないか。人のやってるのは楽しそうに見えるんだよ」

「でしたら……」


 といってウクレが手袋と木の棒を渡してくれる。

 ただの棒じゃなくて、Y字になってて掴むと先が開くんだな。

 これで伸ばすのか。


「わりと硬いな」

「結構力を入れないとダメなので、思いっきりやってください」

「おう」


 アフリエールも一緒になって、三人で黙々と手袋のシワを伸ばしている。

 俺が最初のやつでまだ四苦八苦してるあいだに、ウクレは三つ目にとりかかるようだ。

 肘まである真っ白な手袋だ。


「大物だな」

「これはエンテル様のものです。甲の部分に刺繍があって、とても上等なんです」

「そういえば、そんなのつけてたな」


 エンテルは身だしなみに隙がないからな。

 うちで唯一、見てわかるレベルで化粧するのはエンテルだけだが、そういえば身づくろいしてる姿を見た覚えがないな。

 強いて言うなら風呂あがりにブラッシングしてるところぐらいか。

 日本にいた頃は電車の中でもお化粧の全工程を観察できたのに。

 そうこうするうちにどうにか一つ目を終えて二つ目にかかる。


「お、これ俺のじゃないか。どれどれ」


 と試しにはめようとするが、きつくてはまらない。


「なるほど、こりゃのばさんとダメだな」


 そもそも皮製品って洗ったらダメなんじゃなかったっけ?


「そうだ、ご主人様の手袋は少しほつれてたので、先に直さないと」


 とウクレ。


「うん、ああ本当だ。ここの糸が切れてるな」

「すいません、それはお預かりしておきます」

「おう、じゃあ、こっちだな」


 と別のを取ると、かなりぼろぼろだ。

 縁がちぎれているし、あちこち繕ったあとがある。


「それはフルンのです。すぐ噛むからボロボロになっちゃって」

「ははは、そうみたいだな」


 伸ばし終わると今度はクリームをすり込む。

 こいつはコツがいるらしいので俺は手伝うのはやめておいた。

 代わりにアフリエールはまだ手伝っている。


「ごめんね、私の仕事なのに」

「いいの、どうせ休憩中だし。終わる頃にはフルンたちも帰ってくるから終わらせとかないと」

「うん、そうだね」


 と仲良くやっている。

 その姿を横目に湖の方を見やると、日は高いが雲が厚くて薄暗い。


「降るかな?」

「どうでしょう、風が重いけど、湖のせいでわかりづらいですね」


 とウクレ。


「重い? ああ、湿度か」


 雨の降る前って急に湿度が上がるもんな。

 桟橋では俺と一緒に散歩から戻ったエレンが釣りをしている。

 エレンは何度か竿を振っていたが、飽きたのか竿を放置してその場で寝っ転がって昼寝を始めた。

 まあ、こんな時間じゃそうそう釣れないわな。


 このところエレンは一日置きにコルスと一緒にダンジョンの下見に行っている。

 例の貧乏貴族のシルビーちゃん向けのダンジョンを選ぶためだが、この辺りは西の森や北の山間に小さいダンジョンがいくつかあるものの、結構難易度に差があるらしいので事前調査は欠かせない。

 あの二人だとほぼ戦闘なしでかなり深いところまで回れるらしいのでうってつけだ。


 そういえば、いつもなら誰かが釣りを始めると撫子がやってきて側で見学してるものだが、今日は出てこないな。

 どこに行ったんだろう。


「撫子はどうしたんだ、昼寝か?」

「あの子はピューパーちゃんと遊んでるはずですよ」


 とアフリエール。

 ピューパーちゃんとは近所のミルク屋の娘だ。

 最近はいつも二人で遊んでるらしい。

 外見上は撫子より少しお姉さんだろうか。

 うちの牛娘であるリプルよりは下だな。

 まあリプルぐらいの歳になると、嫁に出るか、主人を持つかするらしいからな。


「フルンが毎日道場に行っちゃうから、最近はピューパーちゃんとべったりみたいですよ」

「なるほど、年頃の友だちができてよかったな」

「はい、裏の広場でままごとでもしてると思います」


 とのことなので、ちょっと覗きに行ってみることにした。

 毎朝戦士組が素振りをしている広場にはおらず、反対側に足を伸ばすとすぐに見つかった。

 古い桟橋の縁で、撫子とピューパーが地面に座ってままごとをしている。


「あ、ご主人様。いらっしゃいませ。ミルクバー本日かいてんです」


 と撫子がいうので隣に腰を下ろす。


「お、じゃあ、搾りたてを一杯もらおうかな」

「いっぱいひゃくまんGです」

「たけーな」

「とくせいです」

「特製ならしかたないな。はい百万」


 と渡すふりだけする。


「せんきゃくがいますので、しょうしょうおまちください」


 そういう撫子の隣では、ピューパーちゃんが無い胸を搾る仕草を見せる。

 母親もいつもこうやって搾ってるんだろうか?

 おっと幼女を前に、いけない想像をしてしまうところだった。


「しぼりたて、できました」


 とピューパーちゃんがミルクがいっぱいに注がれた空のジョッキを撫子に渡す。


「どうぞ、しぼりたてですよ」


 と撫子が俺の反対側、ちょうど水面の上にジョッキを差し出す。

 そのジョッキを水に濡れた真っ白な手が受け取ったかと思うと、そのまま口元に運んで……。


「へっ?」


 と思わず間の抜けた声を発する俺。

 さっきまで誰もいなかったはずの俺の目の前には、全身ずぶ濡れの真っ白い衣装の青白い女が立っていた。

 その瞳はどこまでも暗く、青白く光っている。

 これって……。


「ぎゃあっ、お化け!!」


 思わず腰を抜かしながら叫ぶ俺。

 その声にかき消されるように、青白い女の姿も掻き消えてしまった。

 同時に空のジョッキが水面にドボンとおちる。


「ああ、コップ落ちた」


 と慌てて拾おうとする撫子に、あぶないよといってピューパーがかわりに手を伸ばす。


「ご主人様が、急におおごえだすからお客さんびっくりして帰っちゃったです」


 撫子がプリプリしているが、いや、今のはなんだよ。

 アレってもしかしてお化けじゃないのか?


「お化けなんていません。おじさん驚きすぎ。ナデシコちゃんも驚いてコップおとしちゃったし」


 とピューパーちゃん。

 落としたのは幽霊だろう?


「いや、でもほら、青白くて濡れた女の人が」

「お客さんが居るふりをしてただけ。ままごとなんだから」


 と呆れた顔で言うが、いや、いたじゃん。

 いまそこに!

 どう見てもお化けが!!

 見えてなかったのか?

 だが、これ以上取り乱すとますます呆れられそうなので、とりあえずごまかそう。


「おーい、だれかー、網、あみー」


 そこに都合よくエレンの声が聞こえてきた。


「お、見に行ってみようぜ」

「あ、まってご主人様。いこう、ピューパーちゃん」

「うん」


 慌てて駆け寄ると、竿が大きくしなっている。

 こりゃ、相当な大物に違いあるまい。


「だんな、網、網!」


 慌てて傍にあった手網を使って掬い上げる。

 釣り上げたのは一メートル近い大物だった。


「スズキだすな、ちと旬は外れてるだども、湯引きにするとうめえだよ。シメとくだ」


 出てきたモアノアが手にした包丁でガツンと頭を殴って気絶させると、そのまま尻尾とエラを切ってエラに紐を通し、湖に浸した。

 水面に血が浮いてくると、ちょっとスプラッタだな。


「いやあ、竿が折れるかと思ったよ。ここでもこんなのが釣れるんだね」


 とさすがのエレンもちょっと嬉しそうだ。

 しばらくするとモアノアが魚を引き上げて、中に持って入る。


「ピューパーちゃんも食べるかい、こんどはおじさんがごちそうするよ」

「うーん、でも晩御飯食べられなくなる」


 と顔をしかめるピューパーちゃん。


「ちょっとだけたべようよ、お魚おいしいです」


 すでに離乳食もやめて、徐々に普通の食事に変えていってる撫子は、魚が大好物だ。

 基本は煮魚だが、すこしなら刺身も食べる。

 馬なのに草食じゃないんだな。


 幼女二人と連れだって、魚をさばくところを見学する。

 まずは酒蔵になっている地下室の一部を更に掘って作った氷室から、氷を取り出す。

 一々オーレが氷を作るのでは都合がわるいので、こうして作りためてあるのだ。

 ついでザクザクと三枚におろし、削いだ身に皮ごとざっとお湯をかける。

 氷水で身を締めて、湯引きの出来上がりだ。

 うっすらと白く締まった身が美味そうだ。


「一杯やるだか?」


 と尋ねるモアノアに、


「もちろん」


 と答える。

 手の空いてるものは火の周りに集まり、酒盛りを始める。

 かなり淡白だが旨い。


「酒が進むねえ」


 とエレン。


「まったくだ」

「そういえば、さっきの叫び声はなんだったんだい?」

「ああ、あれはなんでもなくてだな、なんというかほら」

「おじさんがお化けを見たと言って、ひっくり返ってたんです」


 とピューパーちゃん。


「ああ、旦那は怖がりだからねえ。でも昼間からお化けはないんじゃないかな」

「私もそう思う」

「しょうがない旦那もいたもんだ、あ、モアノア、お酒おかわりある?」

「今、温めてるだよ」

「おいしいです」

「おいしい」


 などとみんな適当に喋りながら魚を食べている。

 それにしても、さっきのは何だったんだろう。

 あの時はショックのあまり取り乱してしまったが、あの暗く窪んだ眼には見覚えがある。

 あれはかつてのプールに似てたんだ。

 とすれば、魔族か何かだったんだろうか。

 危険はなさそうではあったが、ちょっと用心はしておいたほうがいいかな。

 デュースやレーンが戻ってきたら、相談してみよう。


「あれ、もうなくなった?」


 考え事をしてる間に巨大なスズキは綺麗に平らげられてしまっていた。

 まあ、人数も多いしなあ。


「たべすぎた……」


 とピューパーちゃんもお腹をさすっている。


「はは、うまかったろう」

「うん。でも晩御飯、どうしよう」

「食べられないとお母さんに怒られちゃうか?」

「ううん、でも、ママは働いてるのに自分だけ食べちゃうと、悲しまないかな?」

「そんなことで悲しむ母親はいないさ」

「お刺身、おいしかった。ママにも食べさせたい」

「そうか、ならば釣ろう!」


 というわけで、今度はみんなで竿を並べて釣りを始めた。

 昼下がりのこんな時間にそうそう釣れない気もするが、ちょうど天気が崩れてきたせいか、多少はあたりがある。

 粘った結果、どうにかピューパーちゃんにおみやげをもたせるぐらいには釣れたようだ。


「ありがとう、おじさん!」


 ピューパーちゃんは魚を手に嬉しそうに帰っていった。

 ふう、どうにかお化けにビビるダメオジサンのイメージは払拭できたんじゃなかろうか。


「あれ、降ってきたね」


 エレンの声に空を見上げると、ポツリと雨が落ちてきた。

 慌てて家に飛び込むと、たちまち地面に無数の波紋が広がる。


「こりゃしばらく止みそうもないね」

「フルンたちはカッパ持ってるのか?」

「どうだろ、まあセスなんかは濡れても修行ですとかいいそうだけど」

「そうだな」

「むしろエンテルやデュースのほうが困ってるんじゃない?」

「あいつらは馬車でも使うだろう」

「それもそうか。なら迎えに行かなくても平気かな」

「だと思うぞ。他に誰か出てたっけ?」

「カプルたちも戻ってるから、あとはみんな居るんじゃない?」

「レーンは?」

「さっき声がしたから、いると思うよ」

「そうか。ちょっとレーンに話があったんだ」

「話って、もしかしてさっき言ってたお化け?」

「ああ」

「なにかの見間違いじゃなくて?」

「それがわからんから、聞いておこうと思ってな」

「ふーん、また変なものが出てくるのかな?」

「じゃなきゃいいけどなあ」


 レーンと騎士トリオは、神殿で何やら呪文の研究をしてきたようで、家馬車のお風呂で揃って汗を流していたところだった。

 風呂あがりの濡れそぼった体を拭く姿を眺めながら聞いてみる。


「幽霊ですか? 実物を見たことはないですね。いわゆる幽霊というものは迷信のたぐいだと思いますが、ゴーストではないのですか?」


 とレーン。


「ゴーストはあの火の玉みたいなやつだろう。パッと見てわかるほど人の形をしてるのか?」

「言い伝えでは人の形をしたゴーストという話もなくはないですが、これも信頼できるものではないですね」

「ふぬ」

「見た目は従者になる前のプールさんに似ていたと」

「なんかこう、うつろな感じが似てたな」

「うーん、幻覚のたぐいでしょうか……」

「ご主人様、それは真っ白い肌の女の幽霊でしょうか。目が青白く光る……」


 とエーメス。


「おお、それだそれ、知ってるのかエーメス?」

「噂だけは。湖の漁師の間では有名なので。時折船の舳先に立っているのを見るそうです。舟幽霊だのアオンコだのと呼んでいるそうですね。私もまだ見たことはなく、とくに実害もでていないのですが……」

「やっぱいるのか」

「ただ、何百年も前から漁師の間では伝わっているので……」

「しかし、姿形まで今言った話と同じだったぞ?」

「いえ、ですから見間違いというわけではなく、湖に住む生物か何かが、同じ幻覚を見せているのではないかと」

「ははあ」


 そういえば、以前モアノアと出会った時にも、巨大な化け物の幻覚を見せられたことがあったな。

 デュースは動物か何かだろうと言っていたが、その類だろうか。


「なんにせよ、危害を及ぼすようなものじゃなさそうだな」

「だと思われます」

「撫子達のすぐそばにいたからなあ、まあ危ないものじゃないならいいか」

「我々も気をつけておきましょう」


 当の撫子は遊び疲れたのか食べ過ぎたのか、昼寝中だ。

 たしかに、あの時はびっくりして腰を抜かしてしまったが、冷静に考えると危険そうには見えなかったんだよな。

 むしろあの物憂げな雰囲気がどうにも気になって……。


 そのうちまた、会いそうな気もするな。

 そういう予感は当たるからなあ。

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