第113話 視察
船を乗り継いで揺られること数時間。
俺は今、シーリオという村に向かっていた。
工場の視察のためだ。
コンザの街で商談がまとまってすぐに人を使ってこの村と交渉に入り、工場の誘致が決まった。
といっても、もともとバンドン商会が所有していた建物を買い取り、改装して工場、というよりも田舎の手作り工房に毛が生えたような作業場にするのだという。
それだけであんなに金がいるのか、とも思うが、建物の改修だけでなく、材料の確保や人件費など、長期的なスパンで事業をやるなら金はかかる。
もちろん金をかけずにやる方法もあるのだが、
「あるときはあるで、使ったほうがよろしゅうおます。それが投資ってもんですわ」
とメイフルは言う。
まあ、そんなもんだよな、たぶん。
流れる景色は、徐々に深い山間へと入っていく。
谷間を縫うように広がる畑はすでに収穫を終えていた。
何を植えてるんだろうな。
山のてっぺんにはところどころ雪が覆っているが、麓にはまだ紅葉が残っている。
もうここはシーリオ村らしい。
なかなか美しい村だ。
なれない船旅を終えると、桟橋には村のお偉いさんが待っていた。
「これはメイフルさん、ようこそ。お待ちしておりました」
「村長さん、お出迎えおおきに。ええ天気ですなあ」
村長と呼ばれた男は線は細いが足腰はしっかりした胡麻塩頭の老人だ。
先頭で降りたメイフルをオーバーアクションで出迎える。
「まったく。お陰で資材の搬入もはかどりまして、工事の方も進んでおりますよ。雪が山を塞ぐ前には終えられそうですわい」
「そりゃあ、なによりですわ」
バンドンから来た事務員や、職人などが次々と船から降りる。
俺は例のごとく正体を隠している。
先に何度か視察していたメイフルいわく、
「そりゃあ、大将のことは神様みたいに称えてましたで」
などと言われたものだから、名乗りにくいじゃないか。
女の子にもてるのは慣れてきたけど、そういうのはちょっとね。
紳士様は来るべき試練に備えて山にこもって修行していることになっている。
というわけで、今回はバンドンの下働きの男、ぐらいのポジションで通すことにした。
この中で俺の正体を知っているのは、従者であるメイフル、カプル、それにセスのほかは、バンドン商会から派遣された会計士と土木ギルドの紹介でやってきた技師だけだ。
会計士は酒やけした赤ら顔の五十がらみの男で、まあ胡散臭い。
だが、メイフルいわく非常に優秀なので油断するなとのことだ。
「せやけど、警戒しても大将じゃ無駄ですやろうなあ」
ともいわれた。
せいぜい、嫌われないようにしよう。
技師の方はひょろりとした背の高い男で、年齢は俺より一回りほど上だろうか。
細工をするための設備を整えてくれるそうだ。
こちらは、エツレヤアンの土木ギルドの長であり、アフリエールの祖父であるレオルドに紹介を頼み、さらにカプルが面談の上、太鼓判を押していたので大丈夫だろう。
ちょっと気難しそうに見えるが、内気なだけかもしれない。
所見で判断がつきかねるタイプだ。
一行はぞろぞろと船から降りると、村の集会所に案内される。
そこで村の名物の団子を振る舞われた。
ヨモギをねりこんであってほろ苦くてうまい。
朝から舟に揺られて空っぽだった胃袋にしこたま詰め込んで落ち着く。
「大将、あんた下っ端やねんから、もうちょい遠慮せなあきまへんで」
メイフルが笑って俺の腹をたたく。
「ああ、すまんすまん」
「専務さん、こちらは?」
メイフルにお茶を継いでいた娘が尋ねる。
年の頃はどれぐらいだろう、ウクレと同じぐらいかな?
薄い栗毛を束ねて、わずかに残るそばかすの頬がぽっちゃりとチャーミングだ。
「ああ、こっちはちょいと知り合いの見習い商人やねんけど、ゴロゴロしてたところをひっぱってきましてん。まあ、荷物持ちでんな」
「そうですか、遠いところをようこそ。何もない村ですけど、私どもも頑張って働きますので、よろしくお願いします」
娘はそう言って俺にもお茶をついでくれた。
「ありがとう、お嬢さん。この団子も美味しかったよ。君たちが丹精を込めて作ったんだろう。きっと仕事の方もこんな風にやってくれればうまくいくさ」
「あ、は、はい……その」
とモジモジする。
「どうしたんだい?」
「その、都会の方に、そんな風に褒められると、はずかしくて」
かわいい。
もっと攻めてみようと思ったらメイフルに頭をはたかれた。
「あほう、こちらは村長のお孫はんやで、顔見て即口説く奴がおりますかいな」
結構痛いぞ、メイフル。
「釘刺しとかんと、大将は油断できまへんからな」
ニヤリと笑う。
気をつけよう。
幸い、指輪の効果で俺が紳士だとはバレていない。
黒の精霊石が完全に紳士パワーを抑えているのだろう。
その分、ナンパの難易度も上がっているはずだが、はてさて。
食事の後は工場の視察だ。
バンドン商会の古い公館を改造するという話だが、長いこと放置されていたらしく、かなり傷んでいたそうだ。
話が決まってからこの一月ほどでその修理が終わり、これから内装にかかるのだという。
それが終わったら、いよいよ量産に入る。
ここから更に上流に登ると、榧や檜の良い物が取れる山があり、そこから仕入れた原木をここで加工して、ボードゲームなどを作る。
この村は元々農閑期に木彫の人形などをほそぼそと売っていたそうで、村娘たちはそうした細工が得意なのだという。
メイフルはそこまで見越してこの村を選んだのだろう。
下は十代の小娘から、上は七十代の老婆まで、まずは七人の女達が作業につく。
ゆくゆくは近隣の村からも出稼ぎに来てもらうというが、それは商売が軌道に乗ったらだろう。
「メイフルさん、まずはこれを」
村長が深刻な顔で差し出したのは、将棋の駒の見本だ。
「ほいほい、では拝見、と。カプルはんも」
「ええ、拝見いたしますわ」
二人は真剣な顔でチェックに入る。
邪魔しちゃ悪いので、俺はその輪から離れて、工場の中を見学する。
壁面は古いが、床はしっかりと作りなおしてある。
「これなら大きな工具を入れても、大丈夫でしょう」
同じく一人で見て回っていた技師が床の具合を確かめながら、そう言った。
適当に話を聞いてみるか。
「この間見せてもらった、あのでかい鋸とかああいうのも入れるんですか?」
「ええ、ここと裏手の作業場で材木の切り出しをして、奥の小部屋で細工してもらう形ですね。材料の木は、寝かして乾燥させねばなりませんし」
「そうか、確かに生木じゃ使えませんね」
「もちろん、最低限乾燥させた木を仕入れてくるのですが、特に高級な細工物をやるとなると、何年も手間ひまかけて育てた材料から確保しなければなりません」
「へえ……」
「この辺りは火の精霊石も豊富に取れますので、それで乾燥室を作ります。材料の仕入れから五年、十年とかけて環境を整えていくのが、大切なのですよ。メイフルさんは最上級のものを作るとおっしゃっていたので、お金もかかるし、手間もかかります」
「なるほどねえ」
気の遠くなる話だな。
だがまあ、そういうもんだろう。
どんな商売でも仕込みには時間がかかるもんだ。
「ですが、狙いは良いのではないですか? 私は商売の方は疎いのですが、近頃、随分と贅沢な世の中になってきました。先年まで都で仕事をしていましたが、この十年ほどで何事も立派なものを望む方が増えておりまして。とくに商人の羽振りがよいですな」
「そんなものですか、旅をしているとわからんものですが」
「アルサも大きな商館がどんどん建っています。数ヶ月も住めば実感できますよ」
「なるほど」
都会はどんどん栄えるが、この村のように貧乏なところもあるわけだ。
この村は夏の水害で大きな打撃を受けたと聞く。
そのせいもあってか、この事業に村を上げて協力しているそうだ。
メイフルたちのところに戻ると、どうやらチェックは合格だったようで、村長の厳しい顔もいくらか緩んでいた。
「あとはこれを安定して供給してもらうのが大事ですからな。じっくり腰を据えて、ぜひともこの村のもう一本の柱に育ててほしいもんですわ」
「いかにもいかにも、山間の小さな畑では暮らし向きも安定しません。若いものも離れていくばかりで頭の痛い問題でしたが、きっとこの村は生まれ変わりましょう」
どっかの若い村長も似たようなこと言ってたな。
この爺さんもしでかさなきゃいいけど。
などと考えながら二人の話を聞いていたら、
「この工場を、紳士の家と名づけて、村のシンボルにしたいと思っておりましてな。いかがでしょうかな」
と村長は胸を張って宣言したもんだから、
「いや、それはどうかと」
とつい突っ込んでしまう。
なんか新興宗教の施設みたいじゃん。
「むう、あなたは気に入りませんかな?」
「いや、その……」
「だいたい、あなたは先程から何をしておるのです。他の皆様は忙しく働いておるというのに、ぶらぶらぶらぶらと、働かざるもの食うべからず。勤勉こそ美徳、手を汚し、額に汗して初めて人は労働の喜びを知るのですぞ!」
「すんません」
「あやまって済むなら、干ばつでも麦はみのるし、嵐も来ません」
「はあ、まったくもってその通りで」
「お、大将。しぼられてまんな」
そこでメイフルがにやけながらも助け舟を出してくれる。
「お、これはわしとしたことが」
「ええんですわ、たまにはこの大将もガツンとしぼられとかんと、何しでかすかわかりまへんからな」
「そうですかな、たしかに、都会の物特有のふらふらとした物腰、焦点の定まらぬ目、よろしい、不詳、この私めが性根を叩き直して差し上げましょう」
「そりゃよろしゅうおますな」
「よいですかな、そもそもこの村は古くはカーム朝のヘンテーラ大王の御代に騎士セバラピサムが谷を開いたことにはじまり……」
うわー、長そうな話が始まっちゃったよ。
「その時、騎士は女神のお告げを受けたのです。森の奥に妖精の祠が有る。その姿を木に写しとり、まもりとせよ、と」
妖精かあ、いるのかなあ。
「しこうして、戦の折にも村民は団結して水源を守り……」
長いなあ。
「……かの紳士様は、そんな我らの窮状を見かねて、この村に救いの手を差し伸べられたのです。よいですか、この話からもわかるように、人徳というものはその行動の結果に自ずと現れるもの。それを深く心に刻んで精進なされよ」
「がんばります」
やっと終わった。
いたたまれないので退散しよう。
セスを連れてブラブラと村を歩く。
小川に沿ったあぜ道には轍のあとが幾筋も刻まれている。
ところどころ彼岸花を思わせるような花が咲いていた。
憧れの田舎暮らしってやつだなあ。
「良い村ですね。生きる力を感じます」
「村長がたくましいからな」
「悔い改めましたか?」
「もう反省しきりだよ」
「それは何より。アンも言っておりました、ご主人様は最近怠け癖が付いているのでは、と」
「まるで昔は勤勉だったみたいじゃないか」
「初めて道場でお会いした時は、とても誠実に修行なされていたかと」
「あの頃はこっちに来たばかりで、生きるのに必死だったんだよ」
「今はもう、落ち着かれたので?」
「どうかな。なんせ頼もしい従者が何十人もいるからなあ」
しばらく進むと、大きな川に出る。
堤防は埋め立てたばかりのようで、まだ土の色が生々しい。
おそらくはここが決壊したのだろう。
その先の方では、畑が空っぽだった。
「あんた、工場のひとかい?」
手押し車を押した老人に声をかけられる。
「どうだい、この村は」
「綺麗なところですね」
「そうだろう。だが、いつもそうじゃない。あんたの立ってるあたりも、この夏に氾濫して泥で埋まっちまってたんだ。それをやっとこさ掻きだして、元の畑を取り戻したところさ。どうにか秋蒔きにはまにあったよ」
「それは、大変なことで」
「大変さね。今年は洪水、その前は干ばつ。まったく大変なもんさ。だが、灌漑しようにも金も人手もたりねえ。領主様はいい人だが、それでも税金はきっちり取ってくしな。あんたらの事業がうまく行けば村も潤う。孫があとを継ぐ頃には、川が破れねえような立派な村にしておきてえもんだな」
「そうですね、俺達も頑張りますよ」
「ああ、期待してるよ」
そういって老人は去っていった。
老人と入れ違いに小さな子供が走ってくる。
手にした棒を振り回しながら、そのまま俺達の横を走り抜けていった。
「小さい子も居るんだな」
「親の大半は冬場は出稼ぎとか」
「そりゃあ、寂しいねえ」
「ですが、どこの村も似たようなものでしょう」
「そうなのかもなあ」
生きるってのは、大変だねえ。
「そろそろ、戻りましょうか。冷えてきました」
「たしかにな」
最近はもう日が短い。
すでに西の空は赤く染まっている。
今夜は村の宿屋に泊まる予定だ。
夜は宴会だった。
何もない村なりに、もてなしてくれてるのがわかる。
穀潰しの俺としては、あまりがっつくわけにはいかないので、隅でおとなしく芋の煮物をかじりながら、ちびちびと飲んでいたら、また村長がやってきた。
だいぶ顔が赤い。
「何だね、君は。こんどはそんな隅っこで。若者がそんなことでどうする。食うときは食う、飲むときは飲む。そしてしっかり寝たら、また働く。何事も全力で取り組まねばならん!」
「まったくもってその通りで」
言われるままに村長の酌で飲みまくる。
モアノアのゴージャスな手料理になれた舌には色々と物足りないのだが、これがこの村の精一杯なのかもなあ、と思いながら飲んでると、さすがの俺も酔えないな。
そうして酔い損ねているうちに先に村長が酔いつぶれてしまった。
やってきた孫娘と一緒に担いで奥に運ぶ。
奥の部屋に寝かせて、広間に戻りしな、彼女が頭を下げてきた。
「ごめんなさい、おじいちゃんが……。普段はあんなに飲まないのに」
「なに、きっとさぞ嬉しかったんだろうさ」
「そうなんです。今年の夏の災害は本当にひどくて。冬が越せずに、首をくくるしか無いって言ってた人も居るぐらいで」
「そりゃあ、たいへんだ」
「でも、工場ができることになって、支度金も頂いてそれで畑も治せたし、みんな本当に感謝してるんです。ありがとうございました」
「そういうのは、噂の紳士様にいわなきゃ」
「はい、だから今いいました。あなたが、紳士様なんでしょう?」
「なぜだい?」
「だって、専務さんがあなたを見る目が、すごく優しそうで、他と全然違うんですもの、だから……」
「女の子は怖いねえ。他のみんなには内緒に頼むよ」
「はい! じゃあやっぱり……でも、紳士様って後光が指してるって聞いたんですけど、その……あなたは普通なんですね?」
「ああ、それな」
と周りに人気がないことを確認してから指輪を外してみせる。
「ああ、す、すごい、ほんとだ。なにか、すごいお力を感じます。女神様みたい」
「そんなにか? そりゃあ君の魔力が強いせいじゃないかな」
「私のですか?」
「ああ、まるで感じない人もいるそうだからね」
「でも、どうして隠してらっしゃったんです?」
「照れ屋なもんでねえ」
「ふふ、そうは見えませんけど」
そういって孫娘は笑う。
「おじいちゃん以外の人も、失礼なこと言っちゃうかもしれませんけど」
「なに、この村の人達はみんないい人ばかりじゃないか、君も含めてね」
「もう、紳士様ってほんとうに女たらしなんですね。噂通り」
「あれ、そうだった?」
「はい」
そう言って孫娘はもう一度笑うと、宴会の広場に戻っていった。
うーむ、軽くあしらわれてしまったな。
そういえばまだ名前も聞いてなかったよ。
田舎の小娘と侮ったか。
やはり村長の言うとおり、ナンパするなら全力でしないとダメだな。
翌朝。
メイフルと技師はあと一日滞在するそうで、俺は一足先に引き上げる。
村長の孫娘が、見送りに来た。
村長本人は二日酔いで寝ているらしい。
「すみません、おじいちゃんももう歳だから」
「気にしなくていいさ。それよりも、名乗ってなかったね。俺はクリュウだ。普段はサワクロで通しているけどね」
「あ、ごめんなさい。私、ワイレっていいます」
「ワイレか、覚えておこう」
「クリュウ様にサワクロさん……世を忍ぶ仮のお名前ですね」
ふふ、っと孫娘のワイレは笑いながら、手にした荷物を差し出す。
「これ、皆さんで召し上がってください。従者がたくさんいるってお話なので、足りないかもしれませんが……」
「ありがとう、うちは大食らいがいるからなあ」
「竜殺しの白狼ですか? 新聞で見ました! 伝説の戦士一族の生き残りで好きなものは豆のスープとか」
「くわしいな。そのうち連れてこよう。君と同年代だから、すぐに仲良くなれる」
「楽しみにしてます」
いつまでも手を振る孫娘を目で追いながら、村を去る。
「指輪をはめていても、ナンパはうまくいくものなのですね」
とセス。
「うまくいってはいなかっただろう、なんせすぐにバレちゃってたからなあ」
「たいした娘です。私が言うのもなんですが、指輪をはめたご主人様は、いささか見劣りするもので」
「まじで? これはずしたほうがいい?」
「いやその、普段は目が離せないほどうっとりと見つめたくなるお姿が、普通に見とれる程度の良い殿方になるというぐらいですので、むしろ普段はそれぐらいのほうが落ち着けます」
「難しこと言うなあ、それよりカプル。あの村はどうだ? うまくいきそうか」
「そうですわね、とくに年配の方は良い腕をお持ちでしたわ。あれならば十分やっていただけると思いますわ」
「だといいよなあ、お互いのために」
そう言って村の方を振り返る。
すでに視界からは消えていたが、いい村だったな。
これからお世話になりそうだ、また来よう。
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