3章 紳士と遺産

第112話 新居

 アルサはトッサ湾とエッサ湖に挟まれた狭い土地に栄える港町だ。

 神話の時代、女神ウルが放った一撃で大地がえぐれ、エッサ湖とトッサ湖の二つの丸い湖ができたという。

 そのうち、海側のトッサ湖は侵食により海とつながりトッサ湾となった。

 静かな内海として知られ、アルサの街は海上交通の要所として古くから発達してきた

 一方のエッサ湖は流れだす川を持たず、近年、運河ができるまでは、海から陸揚げした荷物を湖まで運び、再び舟に積み直して湖から川沿いに内陸まで運んだそうだ。


 当時の風情を残す湖岸の古い倉庫街。

 その一角にある桟橋で、俺は釣り糸を垂らしていた。

 水面には、時折魚の鱗が光って見える。


「ごしゅじんさま、おさかないっぱーい」

「お、そうだな。でもつれねえな」

「つれないね」


 俺の隣でおとなしく座る馬人の撫子は、ずいぶんと言葉がうまくなった。

 本が好きなようで、毎日、読み聞かせてもらっている。

 いくらなんでも生まれて数ヶ月で成長し過ぎだろうと思うが、奴隷のウクレに言わせると、


「馬人はとても頭が良いですし、ナデシコは特に賢いので、これぐらいだと思います」


 とのことだ。

 そのウクレは今頃は魔法の修行中のはずだ。

 不安定な精霊力で体調を崩しがちなウクレを一度ちゃんとした医者に見せたところ、魔法の修行で自らコントロールするのが一番だと勧められたからだ。

 魔導師として物になるかはさておき、本人も楽しそうに学んでいるのでいいだろう。

 ふいに指先にあたりが来る。


「お、きたか?」


 竿を引くと、ばしゃりとはねて逃げられた。

 少ししょっぱい飛沫が顔にかかる。


「えさ取られたー」


 残念そうに首をふる撫子。


「ダメだな」

「だめでしたー」


 風が出てきたし、そろそろ打ち止めか。

 などと考えていると、桟橋に面した倉庫の一つからメイド長のアンが出てくる。


「ご主人様、そろそろお昼ですよ」

「おう、今行く」

「釣れました?」

「いやあ、ダメだな」


 そう言って水に浸した網を上げる。

 当然、中は空っぽ、のはずだったが、


「食べるには頼りないですね」


 アンに言われて確認すると、網の隙間からメダカサイズの小魚が紛れ込んでいた。


「俺にしちゃ大漁だな。だが、もう少し育ってから、また来いよ」


 そう言って俺はかわいい魚を逃してやった。


 揃って倉庫に入ると、中では忙しく昼食の支度をしていた。

 倉庫の中は、以前の幌馬車がゆうに数台は入るほどの広さがある。

 左右の壁はレンガ造りで、その上に大きな屋根が乗っている。

 天井はざっと三階分の高さがあり、湖側とその反対側の壁はない。

 ここは古い海運倉庫で、かつては湖から運んできた布地などをここで馬車に積みかえて海側の港まで運び、輸出していたのだとか。

 天井の太い梁には当時を忍ばせる大きな滑車がいくつもぶら下がっている。


 湖側には倉庫の三分の一ほどのサイズのロフトがあり、ここに荷物をあげてから馬車に積んでいたらしい。

 階段はないので今は梯子をかけて、物置にしてある。


 湖の反対側は表通りに面しており、かつてここが倉庫街だった頃ほどの賑わいはないものの、それなりに人通りもある。

 そこで未来の大商人メイフルが店を出している。

 今も恰幅のいい海の女を相手に商談中のようだ。


 店の名前はピーチヒップ。

 英語そのままの発音が独特の雰囲気を醸し出して受けている。

 意味は俺にしかわからないので問題あるまい。

 みんなには桃園みたいな意味だよと言っておいた。


 倉庫の一角には、竈が二つあつらえてある。

 そこでは料理人のモアノアと牛娘のリプルがせっせと料理を作っていた。

 その横ではアンとレーンがテーブルの支度をしている。

 いい匂いだ。

 今日は何を食わせてくれるのかな。




 この街について、三週間ほどになる。

 結局、俺たちは海を渡れず、ルタ島への渡航は春までお預けとなってしまった。

 そのことで巨人のメルビエは迷惑をかけたと気にしていたようだが、それは大したことじゃない。

 ただ、春まで時間を潰さなければならないので、そこが困ったぐらいか。


 領主のリンツ卿がぜひ滞在をと申し入れてきたが、冬の間、一人で寝るのは辛かったので丁重に辞退した。

 代わりにメイフルがこの倉庫を見つけてきたわけだ。

 かつて海運倉庫として使われていたこの空き家を安くで譲り受け、住居兼お店として使えるように改装することにした。

 有り金をはたけば、そこそこマシな屋敷を手に入れることもできたのだが、少しの間厄介になっていた領主の娘フューエルの暮らしぶりをみるに、俺にはあちら側での暮らしはまだ早いように思えた。

 早いというより、根本的に向いてない気がする。

 屋敷だけならまだいいんだけど、ご近所様とかがね。

 そんなわけで、俺はこの古倉庫で、エツレヤアンの時と同様の暮らしをすることにした。


 それはいいのだが、この倉庫は長らく使われていなかったので、屋根は雨漏りがするし、そもそも壁の両側が開け放たれていて開放的にも程があるレベルだった。

 そこでこの倉庫を手に入れてから一週間ほどかけて、やっと屋根の修理が終わったところだ。

 今は表通りに壁をするように家馬車を置き、倉庫内には買い足したテントを含めて三張りのテントで寝起きしている。

 これから壁を作り床を張り、まともな家にするにはあとひと月はかかるという。

 それでも、


「やはり住まいを作るのが一番楽しいですわ」


 と大工のカプルは実にいきいきと仕事に励んでいた。

 ただのぼろっちい倉庫が、みるみる住まいに変わっていくのは、見ているだけでも楽しいしな。

 一国一城の主、って気がしてくるよ。




 倉庫のど真ん中に置かれた長机に腰を下ろして食事を待つ。

 撫子はお手伝いに行ったようだ。

 実に偉い。

 俺は偉くないので、昼間から酒を飲むことにする。

 すぐ後ろに控えた人形の紅が、小洒落たガラス瓶から酒をついでくれる。

 さとうきびから作った焼酎のような酒だ。

 ちょっとキツ目の風味が、寒い季節によく合う。


 お湯割りでグビリと一口。

 喉にぐっと絡む。

 うまい。


「ごしゅじんさま、おつまみ」


 撫子が、炙った干物を持ってくる。


「お、ありがとさん。エンテル達も呼んできてくれ」

「はい!」


 と元気よく家馬車に走る。

 すぐにエンテルとペイルーン、アフリエールが出てきた。

 中で何やら考古学談義をしていたのだろう。

 長耳美少女のアフリエールは薬の作り方だけでなく、考古学の方までペイルーンに弟子入りしてしまったようだ。

 薬を作ってる間、ずっと遺跡の話などを聞かされ続けていたようで、気がついたらのめり込んでいたらしい。

 近いうちに、ここの近くにある遺跡を見に行くと行っていた。

 その為に、冒険の勉強も始めた。

 遺跡には魔物が出る可能性もあるので、最低限の冒険者スキルがないと、探索も難しいだろうからな。

 古代種のプリモァ族ハーフであるアフリエールは、魔法の素質も有るはずだが、全く修行をしていなかったせいか、ほとんど使えなかった。

 それでも、簡単な火の魔法ぐらいは使えそうなので、こちらも時々ウクレと一緒にデュースに教わっている。

 それとは別に、侍のセスの手ほどきで、基本的なトレーニングも始めた。

 毎朝、木刀で素振りもしている。

 ただし、おもり抜きで。

 アフリエールにつられて牛娘のリプルも始めたようだ。


「筋肉もつけたほうが、お乳の出が良くなるって聞いたので」


 そう言って木刀を振り回すリプルだが、牛娘は力持ちなので、あんがい様になっている。

 旅の間は忙しかったから、こうして一処に落ち着いて新しいことを始める余裕ができたってことなのかな


 俺の隣に腰を下ろした考古学教授のエンテルは、何やら分厚い紙の束を抱えていた。


「また、ずいぶんとご熱心だな」

「ペルウルの遺跡の調査資料が上がってきたので、目を通してたんです。中々面白いですね」

「ほう」

「と言っても六千年ほど前の、中期シンテア朝のものらしく、私達の守備範囲ではないのですが、この時代の特徴として……」


 とエンテルのスイッチがはいってペラペラ喋り始めた。

 エンテルとペイルーンはこの星でもっとも古いとされるペレラールという国の遺跡を中心に研究している。

 先の旅の途中、重要な発見もあったのだが、今のままならない状況ではそちらは保留中だ。

 もっとも春までは暇なので、都合が付けばちょっとした探索ぐらいはできるかもしれない。


 そこにモアノアが大鍋を抱えてやってきた。

 さて、昼飯だ。




 食事の後は、散歩だな。

 盗賊のエレンを伴って表から外にでると、ここは商店が並ぶ通りになっている。

 通称、シルクロード商店街だ。

 かつてこの通りには布地を扱う倉庫が立ち並んでいたそうだ。

 今では往時の面影はないが、東西に伸びる道幅十メートルほどの大きな通りの両側には、うちと同様に倉庫を改装した店などがいくつも並ぶ。

 街の中央と湖の西岸を結ぶ通りではあるが、一本となりに本通りがあるので人通りは多くはない。

 使われなくなった倉庫街として廃れていたが、独立して店を持とうという連中がそれを安くで買い取り、商売をはじめて再び賑わいだしたそうだ。

 いわゆるガレージショップだな。

 うちもその中の一つってわけだ。


 我が家の左隣は喫茶店。

 名前はエミエール・テラス。

 店主のルチアが幼いころに女神エミエールの洗礼を受けてから、敬虔な信者だという。

 エミエールはお茶の女神だ。

 テーブルが四つしか無い小さな店だが、いつも賑わっている。

 俺も時々お茶を飲む。

 ここの焼き菓子は、ちょっと気が利いていると思う。

 ちなみにルチアは若くてとてもチャーミングだ。

 もう一人、若くてチャーミングで顔見知りなバイトの店員がいるのだが姿が見えない。

 買い出しかな?


 右隣は、お店ではなく集会場のようなものだ。

 広いスペースに屋根とテーブルが有るだけで、この通りの連中や、近所の住宅街の連中が暇な時に集まってくる。

 ルチアの店からお茶を出前してもらい、ここで飲みながらチェスを打ったりしている。

 姫奴隷のエクと魔族のプール、自動人形の燕はだいたいここにいるな。

 犬耳のフルンも自作のすごろくを持ち込んで、近所の子供達と遊んでいる。


 商店街には他にも店があるが、しいてあげるならお札屋か。

 これがあるので、後から来たうちは札を売るのをやめてしまった。

 自分たちで使う分は作るが、あえて競争しなくても、うちには売るものが他にある。

 店主はオングラーという初老の元冒険者で、引退してここに店を構えた。

 自身は神霊術師で、僧侶メイドのエヌというホロアと二人で店をやっている。

 アンは時々、依頼されて御札を作っている。

 巫女であるアンは特殊な御札を作れるので、そういう需要はあるらしい。

 まあ、ご近所さんとは仲良く助け合わないとな。


 御札をやめた今、うちのメイン商品は、ゲームだ。

 メイフルが投資して作るという工場はまだ稼働していないので、今はよそで仕入れたチェスを中心に扱っている。

 既存の商品で客を掴み、順次独自商品をつぎ込んでいくという戦略のようだ。

 実際に、ゲームの試作品などを隣の集会所で実際に遊んで見せて、遊び方を知ってもらうような活動もしている。

 生産体制が整う前に、下地を作っておくのだという。


 今は麻雀セットを作っているところだ。

 先日一セット完成したので、うちで毎晩遊んでいる。

 将棋なんかと違ってこっちは学生の頃にしこたま遊んだので、急に負けたりはしないが、すでに追いつかれつつ有る。

 たぶん、俺はこういうゲーム全般が弱いんだろうな。


 さて、どこに行こうか。

 ルチアの喫茶店はあいにく満席だった。

 一人で忙しそうに切り盛りする姿をちら見しながらちょっと悩み、アウル神殿へと向かう。

 アルサの街の中央にある、巨大な神殿だ。

 かつて、エツレヤアンにあったネアル神殿に匹敵する大きな神殿で、非常に参拝客も多い。


 その地下には巨大なダンジョンが広がり、かつては魔界へと通じていたという。

 今もそれなりに魔物が徘徊し、多くの冒険者が出入りしているようだ。

 それ以外には、ここからだと、馬車で三、四日ほどのところにザバという試練の塔がある。

 次に近いのはエントペ村にある、俺達が一番乗りした塔になる。

 俺達は二週間かけてここまで来たが、船と乗合馬車を乗り継げば五日ほどだそうだ。

 コンザまでゲートを使えば更に近い。

 それ以外にも幾つか天然のダンジョンがあるそうで、この街の冒険者はその辺りをホームにしているようだ。


 アバウトにお参りしてから境内を散策すると巡回中の騎士に出会う。

 顔見知りの若い女騎士で、名はモアーナ。

 彼女はレルルの同期で、この春騎士に叙任されたばかりだという。

 立派なおしりが目印の美人だ。


「巡回ご苦労さん」

「まあ、紳士様……じゃなかったサワクロさん、ごきげんよう」


 サワクロとは俺の偽名だ。

 本名の黒澤をひっくり返しただけのシンプルなものだ。

 ややこしい偽名は自分で忘れそうだしな。

 この街に住むようになってから、俺は正体を隠すことにした。

 なんせ玉の輿狙いのよくわからんお嬢さんがたに追い掛け回されたりしそうなので、俺の安らかな日常を守るためには仕方ないのだ。

 魔力を吸い取る黒の精霊石の指輪をはめて、紳士の気配を隠し、偽名を名乗る。

 これでまずバレない。

 この街で俺のことを知っているのは彼女のような騎士団の一部のものと、面識のある街の有力者ぐらいで、商店街の連中もまだ知らないはずだ。

 故郷を追い出されたおもちゃ屋の若旦那ということになっている、らしい。


「今日はお散歩ですか?」

「いやあ、キミの顔を見に来たのさ」

「まあ、ご冗談ばっかり。団長に告げ口しますわよ」

「勘弁してくれ。エディは来てるのかい?」

「いえ、来週だそうです。来月からの祭りと、その後に神殿の地下迷宮に潜ることになりますので下見に」

「へー、でもあそこってわざわざ騎士団が潜るようなとこあったっけ?」

「そうではありません。年に一度、定期的な調査で、各所の結界の張り直しなどがあるのです。ひと月近くも毎日かび臭いダンジョンに篭もるのかと思うと、今から気分が滅入っちゃう」

「ははは、君たちのお陰で、俺達も安心して暮らせるわけだ。よろしく頼むよ」

「ええ、お任せください」


 モアーナは重そうな尻を馬に乗せて去っていった。

 女騎士と別れて、そのまま港に向かう。


 トッサ湾には多くの船が出入りしている。

 春になれば、この港からルタ島に向けて出発するわけだ。

 行き交う船を眺めながら、本当ならあれに乗ってとっくに海をわたっていたのかと思うと、ちょっと不思議な気分になる。


 世間の噂では、当初、俺はルタ島に渡ったことになっていたが、徐々に真相は知れ渡るらしい。

 病で寝込んだとか、ダンジョンで行方不明などという噂も流れていた。

 どこぞの貴族と不倫して捕まったという記事を書かれた時にはさすがに驚いたが、すぐに訂正されたのは誰かが苦情でも入れたのだろうか。


 港の側には気陰流の道場が有る。

 道場主のホブロブという男は、かつてエツレヤアンの気陰流道場で食客として滞在したことも有り、前道場主のヤーマの弟弟子だそうだ。

 顔見知りのセスが挨拶に行くと大層喜んで代稽古を頼まれたので、時々出向いて、若い門人に指導している。

 ここの門下生はなぜか大半が女性だ。

 いや、別にそれ自体は不思議なことではない。

 船乗りもそうだが、冒険者も女性は多い。

 この世界が地球より男女平等というわけでもなければ、女尊男卑でもない。

 男女の占めるポジションが、地球とは違うということだ。

 冒険者は男女均等だし、船も含めて運転手は女が多い。

 他にも違いは有るのかもしれないが、詳しくはわからない。

 神様が女神しかいないことや、ホロアという特殊な存在の影響も有るのかもしれないな。


 道場に顔を出すと、ちょうど騎士のレルルと犬耳のフルンが乱取りをしている。

 木刀でレルルがぽんぽん打たれていた。

 相変わらずのへっぴり腰だ。

 正面に立つセスと目が合うと、少し苦笑してみせたが、すぐに表情を引き締めると、


「もう一本、はじめ!」


 と声をかける。

 さして大きくない道場に木剣を打ち鳴らす音が響く。

 若い娘たちが汗を流す姿は美しいねえ。


「そこまで!」


 セスの号令で一斉に練習が終わる。

 あとは銘々が個人で練習するなり、帰るなりするのだ。


「あ、ご主人様!」


 俺を見つけたフルンが犬耳をぱたぱたと鳴らしながら走ってくる。


「どうしたの? ご主人様も打ち込みする?」

「いや、俺はいいよ。調子はどうだ?」

「うん、ばっちり! 腕が鈍らないようにしないとね!」


 フルンと話していると、わらわらと門人のお嬢さん方が集まってきた。


「まあ、サワクロさん、ごきげんよう」

「こんにちは、フルンちゃんのご主人様」

「一手ご一緒しませんこと?」


 などと健康的でむせるような熱気に気圧される。

 セスの主人ということで門人からは自動的に一目置かれている。

 そのために初めて顔を出した時もこんなかんじだったが、その時は無理やり道場に引っ張りあげられてこてんぱんに打ちのめされた。

 それで半分ぐらいの娘さんからは愛想を尽かされたようだが、残り半分ぐらいは今でもこんな調子だ。


 道場のお嬢さんがたを適当にあしらって、セスとともに道場主のホブロブに挨拶する。

 ホブロブは六十がらみの男で、年齢的にはヤーマと左程変わらないはずだが、若い頃から鍛えあげられた肉体はずいぶん若く見える。

 ヤーマも心臓を患わなければ、こんな感じだったのだろうか。

 病気は怖いねえ。


「それで、年末には地下迷宮に潜らねばならんのだが、うちも手が足りぬのでな。その間はセスに稽古を任せたいと思うのだが」

「それでしたら、私が探索の方に入っても良いですが」


 とセスがホブロブに答える。


「む、そうしてもらえるか。そのほうが助かるといえば助かるが、いかがだろう、紳士殿」


 ホブロブが尋ねてくる。

 つまり、さっき騎士のねーちゃんが話していた地下迷宮の探索にホブロブも毎回協力していたらしい。

 それを今回はセスに行ってもらいたいということのようだ。

 別に断る理由はないよな。

 OKすると、ホブロブはたちまち顔を崩して喜ぶ。


「いや、助かった。新年には剣術大会もあってうちの者が出るものだから、いささか困っておった。この礼はいずれ改めてさせてもらおう」


 話がまとまったところで道場を後にする。

 フルンと仲良くなった同年代のお嬢さん方が数人、一緒についてきたので、適当な茶店で奢らされるはめに。

 来月の祭りの話や、娘たちに人気の役者の話、カフェのケーキの話など、まあ取り留めもない。

 やがて話題はルタ島での試練の話へとなった。

 むろん、彼女たちは俺が紳士とは知らないわけだが。


「ちょうど今、深愛の虎が第三の塔に挑むらしいわ」

「あの方はホロアをお一人しか連れてないんでしょう?」

「エンブレーンの賢者、ピルよね! 一人でガーディアンを百体倒したとか」

「すごいよねー」

「あー、私も魔法使えたらなー」

「魔法もすごいけど、剣のほうがかっこいいよ!」

「そりゃあフルンは強いからいいよ、私は全然だもん。魔法剣士とか憧れない?」

「うーん、どうかな? かっこいいかも!」

「でしょう? この間見たお芝居でね、ギルバイエンの扮する赤光の騎士が……」

「えー、みたみた、あれって……」


 などとかしましい。

 ルタ島とは行き来はできないが、情報伝達の手段は有るみたいだな。

 伝書鳩とかかな?


 娘たちに別れを告げて家路につく。


「あ、ウクレだ! オーレもいる!」


 と前を歩くフルンが声を上げ、そのまま走りだす。

 見ると奴隷のウクレと魔界育ちのオーレ、それに魔導師デュースが、通りの向こうを歩いていた。

 二人は領主の娘であるフューエルの屋敷でデュースから魔法のレッスンを受けてきたはずだ。

 フューエルに請われて、デュースは週に二回ほど彼女の屋敷で魔法の手ほどきをしている。

 フューエルはすでに十分練達の魔導師だが、そこはそれ、十年ぶりにあった師匠のデュースに何かとかこつけて会いたいのだろう。

 設備も整っているので、ウクレ達の修行を兼ねて、おじゃましているのだ。


「よう、そっちも今帰りか」

「はい。お屋敷で昼食を頂いて、その帰りです」


 とウクレ。


「えー、いいなー。フューエルの所、ごちそうだよね。また行きたい」

「うん、みんなにも持って帰りたかったけど、さすがにちょっと……」

「でも、私もモアノアのお弁当食べたから平気!」


 ウクレたちと合流して、そろって帰宅する。




 夕方、風呂を浴びて、裏庭の桟橋で夕涼み。

 秋も深まり、朝晩はだいぶ涼しくなってきた。

 ベンチに腰掛けて湖を眺める。

 湖の沖合には漁の船が出ている。

 あれはナマズだのコイだのをとっているらしい。

 名前は忘れたがシジミみたいな貝も名産だ。

 モアノアがたまに仕入れてくる。


 このエッサ湖は汽水湖で湖の南北で水質も違い、もっと東岸の海に近いあたりでは湖底が海とつながっている。

 その為に運河を作るまでは流出する河川がなかったそうだが、今は運河によって海と行き来できるようになっている。

 よってこの辺りの倉庫街は役目を終えて寂れたわけだ。


 小さな桟橋には普段は小さなボートがつないであり、時々これで沖に出て釣りをする。

 真冬になると北岸の塩分の薄い辺りは凍るそうだが、この辺りはまず大丈夫だそうだ。

 釣り以外にも、船を足代わりに使うので、凍っちゃうと不便だな。

 今もペイルーンとアフリエールが出ているはずだ。

 と思ったら、ちょうど帰ってきた。

 ボートをこぐペイルーンが手を振っている。

 俺の隣にいたフルンが背伸びして手を振り返す。


「おかえり、いいもんあったか?」

「まあね。猟師が鴨を売ってたから、貰ってきたわ」


 紐につるした鴨を五羽、持ち上げてみせる。

 こいつは微妙に俺の知ってる鴨と違う気がするが、そもそも鴨だってなんか種類あったよな。

 味はだいたい鴨だったのでどっちでもいいや。


 西の空に沈む夕日をうけながら、ベンチの隣に腰掛けるフルンの髪を撫で付けてやる。

 洗いざらしの髪は、首のあたりで背中の体毛とまじりふわふわだ。

 シャンプーなどという気の利いたものはないので、石鹸でゴシゴシ洗ってるんだけど、特に痛むわけでもなく、きれいなもんだ。


 中に入ると店を閉めたメイフルが、今日の売上を計算している。

 旅の頃に比べるとかなり売上が落ちている気がするのは、商売を変えたからだろう。

 ゲームのような娯楽品はホイホイ買えるものではない。

 特に庶民はなおさらだ。

 そもそも本命のオリジナル商品はまだできていない。

 工場が本格的に動き出すのは春以降だし、今は準備期間というわけだ。

 御札もなくなったので、結果的に売るものがあまりないわけだ。


「それでも、祭りのあとは地下迷宮を漁るんでっしゃろ。あれは古い封印もといてしばらく開放するんで、結構出てくるらしいでっせ。向かいのオングラーはんが云うてましたけどな。神殿に屋台出すそうですから、うちらもご一緒させてもらいますねん」

「ほう、そうなのか」

「ですから、今のうちに薬もようさん作ってもらいまへんとな」


 小銭を数えながら、メイフルはそう言った。

 騎士団がちょこっと潜るようなものかと思っていたが、どうもかなり大規模なようだな。

 ウチもリハビリを兼ねて潜ったほうがいいかもな。


「そうですねー、一応、そのつもりでしたよー」


 と魔導師のデュース。


「多少は実戦で体をならしておかなければいけませんしー、どこかに遠征する必要があるかとも思ってたんですがー、都合のいいイベントがあってよかったですよー」

「ふぬ、じゃあ、俺もまた道場に通って絞りなおさんとな」

「そうですねー」

「と言ってもあそこはネーちゃんばっかりで辛いんだけど」

「えー、みんな強くて優しいよ? 一緒に行こうよ」


 フルンはそう言うが、強くていい子が多いからおじさんは困るのよ。


「殿はもう少し鍛錬に力を入れれば、一皮むけると思うのでござるが」


 忍者のコルスがいうと、セスも頷きながら、


「確かに、時折見せる技の冴えが、常時見られるようになれば、十分だと思います」

「そうか? コンスタントにダメな気がするんだが」

「そんなことはありません。今まで何度も危ないところを切り抜けてきました。それはご主人様の秘めた力のなせる技だと思います」

「そう言われると、やる気が出てくるじゃないか。俺は単純なんだから、あまりおだてないでくれ」

「良いではござらぬか、殿にはぜひとも気陰流の真髄に触れていただきたいところ」

「真髄って何なんだ?」

「さて、なんでござろうな」

「アバウトだな」

「言葉を用いぬものを、言葉で説明するのは無理でござろう。剣を振ることの真髄は、剣を振ることでしか得られぬものでござるよ」

「うん、だから私も毎日振ってる!」


 フルンが身を乗り出して叫ぶ。


「そろそろ真髄がわかるかな?」

「わかったら、そこまででござるよ。フルンはもう満足したでござるか?」

「全然! もっと極めたい!」

「ならば今は先のことなどは考えぬでござるよ」

「わかった!」


 話すうちにさっきの鴨が捌かれて、肉の塊に早変わりしていた。

 こいつを今から炙るようだ。

 焚き火の周りに石を組んで大きな鉄板を置き、肉を並べた。

 ジリジリと強火であぶられた鴨肉が脂を滴らせながら焼けていく。


 立ち上る煙を目で追いながら視線を裏庭に向けると、馬小屋の方からオルエンとレルルが戻ってきた。

 餌をやっていたらしい。


「おう、お前たちもこいよ。肉が焼けるぞ」


 声をかけると騎士のオルエンが、


「うまそう……ですね。いい匂いだ」


 と頷くが、同じく騎士のレルルはぼんやりと生返事だ。


「どうした、レルル。腹でも痛いのか?」

「う……いえ、別に……」

「道場で叩き回されたことをまだ悩んでるのか?」

「うう、実はそうなのであります。自分は何故にあれほど弱いのでありますか」

「さあなあ、俺も弱いからなんとも言えんが……、しいて言えば、人間欠点を埋めるより、長所を伸ばすほうが大成するもんだと思うぞ」

「長所とは早駆けのことでありますか?」

「まあ、そうだな」

「おっしゃることはわかるでありますが、早駆けでは試練のお役に立てぬでありますよ」

「そうだなあ、しかし、素人目に見ても、今のやり方じゃダメなんじゃないか?」


 とセスの方に話を振ってみる。


「たしかに。ただ、騎士団でもしっかりとトレーニングをしていたからか、体は十分にできているのです。特に下半身の安定感などは中々のもの。問題は精神面にあるのではないかと。あとは何かのきっかけに、自分は剣を使えるのだという自信さえ得られれば……」

「自信なあ」

「日々の鍛錬のなかで経験を積み、それを元に自信を深めることが大事かと思うのですが」

「しかし、自信に溢れてる奴って、実績とか経験とか関係なしに、根拠もなく自信に溢れてるもんだからな。逆に自信のない奴っていくら成功体験を積み重ねてもやっぱり臆病だったりするだろう」

「確かにそうかもしれませんが、それではいつまでたっても……」

「もっとこう、臆病者向けの戦い方ってないのかな」

「そもそも、戦いに臆するものは、戦いに臨むべきではないのではないでしょうか」

「俺も臆病なはずなんだけど」

「そうでしょうか? ご主人様は内省的な傾向は強いですが、基本的には自信に満ちていると思います」

「そうかな?」

「はい、それこそ根拠もなく……というところですね」

「そうかもしれん」

「つまるところ、負けると思って剣を交えるものはいませんから。とくに冒険者であれば尚更です。軍隊であればあえて犠牲になるという選択もあるのでしょうが、冒険者が挑む試練は勝たねば意味がありません。逆に負けそうならば躊躇なく逃げます」

「冒険者はよく逃げるよな」


 脇目もふらずに逃げ出す冒険者を見かけたことは、一度や二度ではない。

 勝つつもりで戦うし、ダメだと思ったら全力で逃げる。

 それは冒険者が生き延びることを至上命題にして戦うからそうなのであって、臆病だからではない。


「もう少し別の言い方をすれば、相手を見た結果、この相手には負けるかもしれないと判断するのと、戦う前から負けたらどうしようと思い悩むのは全く別だということです」

「ふむ」


 などと話す間も、レルルはため息ばかり付いている。


「まあなんだ、お前が強くなりたいって言うなら、俺は応援してるからな」


 と肩を叩く。


「あ、ありがとうであります。自分は良い主人を持って幸せであります」


 オーバーに涙ぐむレルル。


「ほら、泣くと酒がしみるぞ。飲め飲め」

「いただくであります」


 そう言って俺の酌を受けると、グビリと伸び干す。


「ぷはー、今宵の酒はしみるであります」

「よしよし、もっと飲め」


 飲みっぷりは剛毅なのになあ。


「あら、いい匂いがしてるじゃない、今夜はなに?」


 隣の集会所で遊んでいた燕にプール、エクの三人も戻ってくる。


「鴨だよ、お前らもこっち来ていっぱいやれ」

「言われなくてもやるわよ、お酒足りる?」

「どうかな? 足りないかも」

「じゃあ、先に取ってくるわ」


 燕とプールは地下倉庫に降りていく。

 建物の中央にはしごがあって、地下室へと通じている。

 石組みの小部屋で、以前は馬の餌などを入れていたらしいが、今は酒蔵になっている。

 一年を通じて気温も安定しているので、保存に持ってこいらしい。

 二人は両手いっぱいに酒瓶を持って出てきた。

 あれを全部飲むのか、いやあ、大変だなあ。




 気がつけば全員揃って夕食となる。

 といっても夜は手の空いたものから適当に飲み始めるのでペースはバラバラだが。

 早々に食事を終えた年少組などは、明かりの下で固まって遊んでいた。


 俺は鉄板の上で脂を滴らせながらジリジリと焼けていく鴨肉を眺めるのに忙しい。

 そのとなりに厚く切ったパンを置いて、脂を吸わせていく。

 程よく焼けた所でパンに肉を載せ、すりつぶしたスパイスをたっぷりかけてかぶりつく。

 うまい。

 そこに燕が寄ってくる。


「ちょっとご主人ちゃん、それうまそうじゃない、頂戴」

「お前これは俺が手塩にかけて焼き上げた肉をだな」

「ちょうだーい、ねえ、ちょうだいってばー」


 懸命に体をすり寄せておねだりする燕。

 そんなふうにかわいく迫られると断れないじゃないか。


「くそう、なら食え」


 と一口かじっただけのパンを差し出す。


「いただきまーす、はふ、んぐっ、んぐ……んふっ、おいひ!」

「そうだろうそうだろう、味わってくえ」

「はー、いいわねえ、この滴る脂、刺激的なスパイス、体中に染みわたるわー、はー、生きてるって素敵」


 燕は元女神様だったらしいが、以前のことはほとんど覚えていないという。

 その割には人並みの常識などは揃っているようだが、脳の容量に制限があるから必要な分だけチョイスして受肉したんだろう、と人事のようにいっていた。

 まあ、そこはどうでもいいんだけど、女神時代はよほど刺激に飢えていたのか、食事やらご奉仕やら、あるいはチェスなどの娯楽を全力で堪能しているようだ。

 彼女のような人形の体をもつものは食事も睡眠も不要なはずだが、今もこうして人一倍飲み食いしているし、朝もデュースと同じぐらい遅くまで寝ている。

 フリーダムで結構なことだ。

 もっともミーハー僧侶なレーンはそんな元女神様を見ていささか幻滅している様子だった。

 一方、レーンより生真面目そうなアンのほうが、気にせずに現状のまま受け入れてるようにみえるのは、メイド長の貫禄だろうか。


「さあさあ、そろそろ寝る時間ですよ」


 そのアンが、子どもたちを寝かしつけに入った。

 撫子を除けば子供って年でもないんだけどな。

 フルンがあんな性格だからか、それにつられてうちの年少組はことさら子供っぽく見えるところがある。

 俺も傍まで行ってお休みの挨拶をしてやると、皆、子供用テントに入っていった。


「テントぐらしも中々やめられないな」


 少し離れた所で飲んでいた大工のカプルの隣に腰を下ろして話しかける。


「この時期は祭りが近くて中々職人が捕まらないのですわ」

「次は壁を張るんだよな」

「そうですわ。天井修理は足場がもともとあるので私達だけでもできましたけど、壁はこの大きさですと全体に足場を組んで人を入れなければ作れませんわ」

「ふむ」

「あとは床も起こして、となるとまだまだ掛かりそうですわね。幌馬車も運んできたほうが良かったのでは? テントよりはまだましなのではありません?」

「あれは目立つからな」


 何やら紳士様の玉の輿を狙う連中はあの馬車を目当てに探しているらしいので、うっかり見つかると面倒じゃないか。

 というわけで、今もあれはリンツ卿の屋敷にしまってある。


「そうでしたわね」

「そうなんだ」

「では、まだまだアンカが必要そうですわね」


 とカプルはでかい胸を押し付けてくる。

 熱くてやけどしそうだぜ。


「寒かったら、オラが壁になるだよ」


 隣でむしろを弾いてあぐらを組んでいた巨人のメルビエもそう言って体を寄せてくる。


「おう、たのもしいな。たしかにそこに挟まれるとあったかそうだ」

「はさむだすか? なににだす?」

「そりゃあもちろん、その巨大なおっぱいに」

「おっぱ……な、な、なんつーハレンチなことを、おら、こっ恥ずかしいだ!」


 そう言ってばちんと俺の背中を叩いてから手で顔を覆い隠す。

 いや、その巨大な手で叩かれるとかなり効くんだけど。


「んはあ、お仕えするのも、たいへんだべぇ」


 真っ赤に染まる顔は、以前受けた毒のあともすっかり消えて、綺麗になっている。

 僧侶のレーンが毎日丁寧に治療してくれたおかげだ。

 領主の娘でデュースの弟子であるフューエルが紹介してくれた医者も良かった。

 なにより燕が謎の女神パワーで治してくれたのが大きいだろう。

 ともかく、元通りになって安心したよ。

 従者の泣き顔なんて見たくないからな。


「そうだべ、ご奉仕がこげなハレンチなものだとはオラも思わなかっただべよ」


 訛りコンビのモアノアがやってくる。


「んだんだ」

「んだなあ」


 ステレオで訛られるとわけがわからなくなるが、まあいい。

 それよりもモアノアが手に抱えたもののほうが気になる。


「牛のワイン煮込みだすよ、ちょっとテーブルをあけてほしいだよ」


 あわててテーブルを広げると、大きな鍋がでんと乗る。

 中にはトロトロに煮こまれた肉がはいっていた。

 またこれで飲まなきゃならないじゃないか。


「なになに、今度はどんなごちそう?」


 燕が匂いに惹かれて寄ってくる。


「牛だってよ。ついでやるから慌てるな」

「はい、お皿」


 と手にした皿を差し出す。

 準備いいな。

 俺はその前に、酔いざましかね。

 立ち上がって裏庭に向かうと、燕が両手に皿とジョッキを持ったままついてきた。


「どうしたの、ご主人ちゃん」

「酔いを少し覚まそうと思ってな、お前ほど無尽蔵には入らんよ」

「若さが足りないわねえ」


 裏庭のベンチに二人で腰を下ろす。

 湖から吹く夜風がほてった肌に心地いい。


「はー、おいしい」


 隣では燕がエールをすすりながら肉をかじっている。


「うまそうにくうな」

「だっておいしいもの」

「ふむ」

「やっぱり生きてるっていいわね」

「死んだこと無いからわからんけどな」

「あら、生まれる前は死んでたじゃない」

「そうなのか?」

「そうよ、じゃなきゃ何を持って生まれたっていうのよ。出産のとき? 受精した時? 精子や卵子ができた時?」

「さあ、考えたこと無いな」

「肉体だけじゃ、区別なんて出来ないわよ。結局、死んでない時だけが生きてるってことなの」

「へー、でもそれじゃあ、宇宙って何百億年も歴史があるんだろ? そのなかでほんの百年足らずしか生きていられないんじゃ、ほぼ死んでるようなもんなんじゃ」

「そうなるわね、生きてることなんて死んでることに比べたら誤差みたいなものよ」

「儚いなあ」

「そうかしら、死んでることと生きてることの違いって何だと思う?」

「さあ、身体があるとか?」

「いい線いってるけど、もうちょっと大きい視点で見ることね」

「酔っぱらいに難しいことをいうなあ」

「あーもう、めんどくさいわね、問答とか嫌いなのよ。答えは時間よ、時間。生きてる間だけ、私達は時間を外延的に体感できるの」

「時間? 外延的?」

「そうよ、死んでる間は時間は流れないもの」

「そうなのか?」

「そうよ」

「でも、死んでても時間は勝手に流れていくだろう」

「流れないわよ、時間が流れるのは時間を内包しているものだけ。この物質世界とかね。この世界だって生きてるから時間が流れてるのよ」

「哲学的な話だな」

「女神だったくせが抜けてないのかしら」

「お説教よりピロートークのほうが生きてる間は重要じゃないかね」

「私もそう思うわね」

「思いませんよ、まったく外でハレンチな会話を……」


 そう言って話しかけてきたのは判子ちゃんだった。

 水をいっぱいにした手桶を持っている。

 井戸で水をくんだ帰りか。


「あら、シーサの雌犬じゃない。居候ぐらしも板についたみたいね」

「おかげさまで。その酔っ払った頭にこの水をかければさぞ良い出汁が出るでしょうね」

「あんたこそそのたるんだ脂肪を煮込めば立派なスープがとれるんじゃない?」

「むかっ!」

「なによ!」


 相変わらずこの二人は仲がいい。

 判子ちゃんは先のアヌマールとのバトルでなにやら元の世界に戻れなくなったと言って、俺達についてきた。

 ただ、一緒に暮らすのはお断りだと言って、すぐに出て行ってしまった。

 どうしているのかと気にしながら、ここに引っ越してきたら、隣のエミエール・テラスで住み込みのバイトをしていたというわけだ。

 どこまで偶然なのかは分からないが、判子ちゃんが隣に住んでると、日本を思い出してなんだか懐かしい。


「判子ちゃんもなにかくうかい?」

「もう、夕食はいただきましたので」

「そうかい。ルチアさんは?」

「それを聞いてどうするんです? まさか、夜這いとか……ハレンチな!」

「ハレンチなのはあんたの妄想でしょうが」


 しごくまっとうな燕の突っ込みが入る。


「なんですって!」

「何よ、やる気!」

「いいでしょう、あなた達闘神のせいで私もこんな辺境に左遷されたんです、いまこそ積年の恨みを」

「あんたらシーサが余計なおせっかいしてくるからでしょうが」

「世界を有るべきままに維持することのどこがおせっかいなんですか」

「この世界のことはこの世界の人間が決めるのよ!」

「外にまで干渉しておいてなにを言いますか」

「外から干渉してるのはあんたたちでしょ!」

「お互い様です、今じゃあなたもよそ者でしょう!」

「あんた達が来なければ、そんな必要なかったのよ! そうすれば私だってあのまま生きていけたのに」

「時間を止めた張本人が何を言うんです」

「あれは私じゃないわよ!」

「一緒です!」


 そろそろ取っ組み合いになりそうだったので止める。


「まあまて、君たち。そんな禅問答みたいな喧嘩をしても腹がへるだけだぞ」

「まったくね、ご主人ちゃんの言うとおりだわ」

「今日のところは黒澤さんの顔を立てておきましょう」


 そう言って判子ちゃんは手桶を持っておとなりに戻っていった。


「酔いも覚めたし戻るか」

「そうね、飲み直しましょう」


 と燕は中に戻る。

 ちらりと判子ちゃんの方を見ると扉をくぐるところだった。

 こちらを一瞥すると、表情もかえずに中に入る。


「ご主人ちゃん、はやくー」

「おう、いまいくー」


 はてさて、ここでの暮らしも前途多難な感じだな。

 それでも酒はうまいし従者はかわいいし、どうにかなるだろ。

 安心して、飲み直すとしよう。

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