第109話 悪夢

 翌朝。

 フューエルは夜明け前に戻ったらしく、まだ寝ているそうだ。

 彼女の相手はデュースに任せて、俺達は手分けして出発の準備だ。


 まず買わなきゃならないのは冬用のテントを始めとしたキャンプ道具。

 食料は現地調達するとして、冒険用の消耗品も必要だ。

 必要な物はすでに洗い出してあるので、あとは買いに行くだけだ。

 そのあたりは未来の大商人であるメイフルがてきぱきと指示してこなしている。


 俺は用心のために留守番。

 動きまわってぎっくり腰が悪化しても困るからな。

 実際、歩くと痛みの一歩手前ぐらいの違和感がある。

 思ったより魔法も万能じゃないんだな。

 そんなわけで、今日は屋敷の客間でエンテルが集めてくれたルタ島の資料を読んでいた。


 島の概略は前に聞いたので、他の紳士の情報などを見ている。

 今、島にいるのは、ブルーズオーンとコーレルペイトの二人の紳士らしい。

 前者は深愛の虎の異名で知られる、巨漢の戦士だ。

 相棒はピルという賢者メイドらしい。

 賢者メイドというのは、世間一般の意味では精霊魔法と神聖魔法の両方を使う魔導師の上位版みたいなものだ。

 つまり、こいつは従者一人で挑んでいるのか。

 主人であるブルーズオーンはかなりの剣の腕前とのことだ。

 別途資料として、戦士番付という新聞の切り抜きがあったが、これによると世界十三位の実力だとか。

 先日、飛首騒ぎの際に知り合ったコンツが四十位ぐらいにいたが、俺は直接見てないんだけど彼は相当な腕前らしいので、このブルーズオーンの実力は推して知るべしだろう。

 ちなみに一位には青の鉄人ゴウドンが燦然と輝いていた。

 あの人が世界一強いのか。

 残念ながらうちの戦士勢はリストの五十位までに入ってなかった。

 うーん、世界は広い。

 とはいえ、強いのがそれなりに揃っている赤竜騎士団の騎士なども含まれていなかったので、あくまで戦士枠的なリストなのかも。

 そもそも番付なんてどうやって決めてるのかしらないけど、大会とかあるのかな。


 更に資料をめくると、ブルーズオーンと相棒のメイドのイラストがあった。

 見るからに筋肉ダルマな巨漢と、その肩にちょこんと乗る小柄なメイド。

 漫画の主人公とヒロインみたいな組み合わせだな。

 明らかに俺よりも主人公としての華があるぞ。

 実際、何度も記事になっていて人気もあるようだ。


 昨日付けの新聞によると、どうやら二つ目の塔の攻略をもうすぐ終えそう、とのことだ。

 年内の試練達成なるか、などと見出しでは書かれている。


 今一人のコーレルペイトという紳士は、先月ぐらいにルタ島にやってきて試練を始めるまでは無名だったらしい。

 よってあだ名もない。

 まあ俺みたいに微妙な通称で呼ばれるのもいかがなものかと思うが。

 おしりも好きなので俺はいいけど。


 こちらは五人ほどの従者を連れているらしい。

 他に詳しい記事はなかった。


 あとは、ハンドレッド・エンペラーことサンザルスンという紳士がいるな。

 これは通名の通り、遙か西国からやってきた百人からの従者を従える王様らしい。

 エンペラーだけど王様だ。

 まあ俺の脳内翻訳能力もいい加減だからな。

 ヘショカとか言う国らしいが、このスパイツヤーデの国ではほとんど知られていないらしい。

 我らがニホンを知ってる人も誰も居ないだろうから、俺といい勝負だな。

 従者の数は負けてるけど。

 百人か……、どんなやつだろう。

 年齢は、不詳となってるな。

 外見などの情報もない。

 常に輿に乗って姿を見せずに移動してるそうだ。

 また、従者と言っても大半は奴隷だとかで、こちらもよくわからないらしい。

 昨日の新聞によれば、ちょうどルタ島に上陸してネアル神殿に入った、とあるな。

 これから試練を始めるということだろう。


 今一人、クイーン・オブ・ザ・サンの異名をもつ、リリリルル……言いにくい名前の、この女紳士が、今アルサに向かう旅の途中だそうだ。

 新聞の日付的に、もう着いてるかもしれんな。

 女紳士ってなんかよくわからん言い回しだけど、紳士が種族のことならそういうのも有りか。

 主人が女だと、ホロアは男じゃなくていいのかな?

 男のホロアっていないらしいけど。

 切り抜きの横に、手描きでホロアは五人、イムルヘム、テイラウ(魔導師)、アンサイル、などと書かれていた。

 これは名前かな?

 あとでエンテルに聞いとこう。


 で、ここまで読んで思ったが、他所様の動向なんてどうでもいいよなー、というのが正直な感想だな。

 せっかく調べてくれたので読んだけど。

 あと、どうせ暇だし。

 というわけで、資料を読み終わって再び暇になったところに、アンが俺を呼びにきた。

 巨人のメルビエがやってきたらしい。

 身だしなみをパリっと整えていそいそと出迎えると、メルビエは大きな体をもじもじと恥ずかしそうにくねらせて待っていた。


「お、おはようごぜえますだ、紳士様」

「やあ、おはよう。仕事はもう済んだのかい?」

「んだ、今日の分は収めてきただよ。あとこれ、おとうがとってくれた蜂の巣だ。良ければ持って行ってくんろ」


 と言って桶いっぱいにはちみつを滴らせた蜂の巣をくれた。


「へえ、うまそうだ。ありがたくいただくよ」

「んだぁ、喜んでもらえると……おら……てれるだよ」


 と言って照れ隠しに俺の背中をつつく。

 本人は軽くやったつもりだろうが、巨大な手でやられると結構来るな。

 思わずむせこむが、どうにか耐え切った。


「それで、家族には話したのか?」

「んぁ、いやぁ、その……あねさんには話しただども、おとうには、その、紳士様にお世話になったぐれえしか」

「そうか」

「お、おら、そういうのはこっぱずかしいだよ」


 巨体をくねらせながら照れる姿はかわいい。

 そこに、デュースと一緒に領主の娘のフューエルが姿を現す。


「メルビエ、ちょうど良かった。族長に伝言が有るの、お願いできるかしら」

「んだ、なんでも言ってくんろ、おぜう様」

「クルプン森の向こうに、ギアントの群れがうろついているという話です。あなた方が後れを取るとは思いませんが、それ以外にも未確認の魔物の情報もあります。討伐となればまた協力を仰ぐかもしれませんので、よろしくと」

「んだぁ、わかっただ」


 魔物か。

 エツレヤアンにいた時はそういう話は聞かなかったけど、この辺りではよくある話なのかな。


「湖のはるか向こう、北の壁であるソーホー山の向こうにはー、いくつも魔界につながる洞窟が開いているんですよー。国境沿いに砦を築いて防いでますが完全ではないですねー」


 とデュースが気を利かせて説明してくれる。


「そりゃ大変だな」

「ソーホー砦にはー、白象騎士団が常に睨みを効かせているんですよー」

「白象かー、強そうだな」

「そうですねー、ここアルサは赤竜騎士団の縄張りですがー、ここから見えるあの湖と、その向こう側は白象騎士団の守備範囲なのでー、なかなか縄張り争いも盛んなようですよー」

「年末には、親睦を兼ねて両騎士団の騎馬戦が、このエッサ湖のほとりで執り行われています。中々の見ものですが試練で離れるのであれば、今年は見られないでしょうね」


 フューエルがデュースに話す。

 相変わらずこっちは見てないな。

 そうやってたわいない会話をして時間を潰していると、買い物に出ていた連中も皆戻ってきた。


「旦那の追っかけを街で見かけたよ。どうも馬車を変えたことを知らないらしくて、幌馬車を探してるみたいだね」


 盗賊のエレンが街の様子を語る。


「試練を成し遂げるまでは、お預けにしとこう」

「珍しい、旦那が好意を寄せる女性に興味を示さないなんて」

「あれを好意というのは、いささか拡大解釈がすぎるんじゃないか?」

「それを決めるのは僕には荷が重いね」


 いつぞやのメイフルではないが、乗っかるだけの立派な玉をこしらえるまでは、お相手しづらいご婦人方だよな、と思う。

 べつに肩書目当てにチヤホヤされるのを否定するわけじゃないけどな。

 男の子はやっぱそういうのも好きなんだよ。


 買ってきたテントを貼ってみて品質を確認したり、買い足した毛布や鍋などもチェックする。

 メルビエも当たり前のように手伝ってくれて、すでに従者の一員のような気分だが、もちろんまだ契約したわけじゃない。

 契約した上で残るのは気まずいので、あくまで帰ってくるのを待つということだ。

 言い換えると、すでに従者になる決意は固めているのだろう。


 夕方、日が沈む前にメルビエは帰っていった。


「今朝仕込んだりんごパイだ。小せえだども、たべてくんろ」

「んだ、おら小食だで、十分だよ。ありがたくいただくだ」


 訛りのきつい者同士、気が合うのか、モアノアが手作りのパイを土産にもたせていた。

 帰りしな、名残惜しそうに何度も振り返っては手を振る姿が、なかなかにいじらしい。

 早くうちの従者にしたいものだなあ。

 明日の出発には、見送りに来ると行っていたが、それでしばらくお別れか。

 そう、出発はいよいよ明日と決まった。

 潮の流れが変わる前に出発しないといけないので、二、三日中に出ておくのが確実らしい。

 例年だと早くてもあと一週間は余裕があるが、ギリギリすぎるのもな。

 だいたい、ウチはすぐしでかすんだよ、余裕を持って行動しないと。

 フューエルが泊めてくれるので、野営しなくて済むのが楽だよなあ。

 今夜は早めに寝て、明日に備えるとしよう。


 だが、異変は深夜に起こった。




 客間のそれなりにふわふわのベッドでぐっすり寝ていると、物音で目が覚める。

 隣で髪をかき乱して寝ていたアフリエールとペイルーンも起きだす。


「なにか……あったんですか?」


 心配顔なアフリエールの頭をなでてやりながら、


「わからんが、なにか尋常じゃない感じだな。少し見てこよう」


 窓から外を覗くと、庭に幾つか篝火が焚かれている。

 夜着の上からコートを羽織って廊下に出ると、女中がいたので尋ねる。


「何事だい?」

「これは紳士様、お休みのところを申し訳ありません。なにやら、湖の東北のポントン村に魔物が出たとかで、騎士団と自警団が出撃しました。それでお嬢様も名代として騎士団の詰め所のほうに」

「そりゃ大変だな。困ったことがあったら言ってくれ」

「かしこまりました」


 と女中は去っていく。

 忙しそうなので、邪魔をしても悪いし、俺は部屋に引っ込んだ。


「ま、これだけ大きな街だもの。ここがどうこうなることはないわよ」


 心配顔のアフリエールをなだめるペイルーン。

 隣のベッドのデュースも起きだす。


「それでフューエルは出てるんですかー?」

「らしいぞ。デュースは必要そうなら手伝ってやれよ」

「そうさせてもらいますねー、ひとまず私は起きておきましょー、ご主人様は寝たほうが良いのではー」

「そうだな、まだ三時ぐらいか」


 確かにちょっと眠い。

 もう一眠りするとしよう。


 ベッドに潜り込むと、アフリエールとペイルーンを両脇に抱きかかえて眠りについた。




 白いモヤの中。

 聞き慣れた二人の声が聞こえる。


「さて、どこまで視界が届くやら。わしもままならぬものなのでな」

「そういう言い回しは、どうかと思いますよ」

「どうか、とはなんじゃ?」

「いやらしい。そういうことを言うから、あなた達は嫌われるのですよ」

「ほう、それは良いことを聞いた。覚えておこう」

「覚える、などと出来もしないことを」

「そうじゃな、すでに知っておることを覚えるなどと、滑稽なことじゃ」

「負け惜しみを……。いずれにせよ、私達は見るだけです。ですが、がどうするかは、私のあずかり知らぬこと」

「お主らのそういうところが、嫌われるのじゃよ」

「それを聞いて安心しました」

「ならば、良いではないか。あとはほれ、いつもの様にうまくやるじゃろうよ」


 俺は誰かの話し声を聞きながらフワフワと宙に漂い、何かを見ている。

 地響きを立てて駆けだす巨人たち。

 それを見送るメルビエ。

 その横には、お腹の大きな巨人もいる。

 あれが彼女のお姉さんかな?


 不意に視点が上空からのものに変わる。

 森のなかに動く影がある。

 その先にはメルビエの村だ。

 深い谷に囲まれた、小さな村。

 僅かな土地に段々畑をつくり、作物を育てているようだ。

 その畑の一角を踏み荒らす影がある。

 あれは……なんだ?

 禍々しい瘴気が、ここにまで届いてくるような気がする。

 あれは……恐ろしいものだ。

 だから、メルビエが危ない。

 恐るべき影が彼女の家に近づく。

 だめだ、早く逃げろ。

 走りだすメルビエ。

 その彼女を覆い尽くす黒い影。

 逃げろ、メルビエ……。

 逃げるんだっ!




 ガバっととび起きた時には、うっすらと窓の外は白んでいた。

 俺はぶっとりと寝汗をかいていた。

 悪夢にうなされたせいか。

 まるでガキみたいだな。

 だが、夢と切り捨てるには、妙にリアリティがあって、不安を駆り立てる。


「どうしました? 顔色が悪いですよ」


 すでに起きて側に控えていたアンが、コップに水を継ぎながら声をかける。

 手渡された水を飲み干して、今見た夢の内容を語る。


「女神様のお言葉の一つに、夢は心をつなぐとあります」

「ふむ」

「メルビエの心に生じた不安が、ご主人様に夢を見させたのかもしれません」

「そんなことが有るのかな?」

「私は、あると思います。あるいは何もなかった、という安心を得るための努力は、決して無駄ではないと思いますよ」

「ふむ……」

「後になって後悔しては遅いのでは?」

「そうだな」

「彼女はやがて従者になる身です。従者と同様に配慮することは、自然なことだと思います」

「ふむ。お前の言うとおり、何事もなかったことを確認するだけでも、意味があるよなあ」


 だが、その時の俺は、何かを確信していたようだ。


 オルエンにレルル、コルスにエレンを巨人のメルビエが住む村まで送り込むことにする。

 馬で飛ばせば二人乗りでも三十分もかからないらしいので、すぐに結果はわかるだろう。

 その間にセスたちを起こして支度をさせる。


 妙にイライラしてじっとしていられず、中庭に出て帰りを待っていると、フューエルが戻ってきた。


「む、お早いお目覚めで」


 直接鉢合わせれば、挨拶をせざるを得ないようだ。


「そちらこそ、ご苦労さん。大事のようだな」

「ええ、ですが、すでに騎士団の手配は済ませました。ご出立は昼ごろでしょう? 失礼ですが、私はそれまで少し休ませて……」


 その時、レルルの早馬が駆けつけた。


「ご、ご主人様! 一大事であります! メ、メルビエ殿が、魔物に襲われ行方不明だとか、い、急ぎお出ましを……」


 レルルは息を切らせながらもそれだけを一気に話し終える。

 当たらなくてもいい予感が、あたってしまったのか。


「何事です!?」


 フューエルも驚いているが、話は後だ。

 すでに支度を終えていた従者たちを従えて、出発の準備をする。


「お待ちください、うちの馬車であれば、村まで四十分ほどでつきます。八人は乗れますので、それで向かうのが良いでしょう」


 事情を理解したフューエルが提案してくれる。

 ここは素直に感謝すべきだろう。

 まずは八人行って、残りの戦闘メンバーは徒歩で向かわせようと人選していた所、フューエルが、


「私も参ります。これは私の義務だと考えます。馬車をお貸しする条件だと考えてもらっても構いません」


 あくまでよそよそしいスタンスだが、別にダメ出しなんてしないさ。


「ありがとう、感謝するよ」


 とだけ言って、用意された馬車に乗り込んだ。

 馬車で出向くのは、俺とフューエルの他に、デュース、セス、レーン、紅、フルン、オーレだ。

 メイフルにはレルルの後ろに乗って先行してもらう。

 捜索なら盗賊が初動で動いたほうがいいだろう。

 現地ではすでにエレンやコルスが探してくれているらしい。

 アン、ペイルーン、プール、カプルにもあとから行かせることにした。

 無事でいてくれよ、メルビエ。




「では、村の衆が出払った隙を突いて、魔物が襲撃。小屋を襲われたメルビエが、身重の姉をかばって魔物をひきつけ、単身村を出てそのまま行方不明というわけですか」


 馬車に揺られながら、フューエルが確認してくる。

 レルルから聞いた話をまとめるとそうなるな。


「そもそも、なぜ彼女の危機を知ったのです?」


 フューエルは当然のことを聞いてくる。


「夢のお告げでね」

「紳士様、私は真面目な話をしているのです」

「俺だって真面目だよ」

「……そうですか」


 フューエルは不服そうだが、まあ俺だって信じないよな、そんな話は。

 早朝の薄暗い林道を抜けると、切り立った崖に挟まれた場所に出る。

 これがメンソ谷だそうだ。


「ここから十分も川沿いに行けば、彼らの村に出ます」

「こんな人里のすぐ側にオムルの集落が有るんですねー」

「ええ、彼らは三百年ほど前に北から土地を追われて流れ着いたようです。実際に交流が始まったのは、ここ数十年の話しらしいですが」

「なるほどー」


 フューエルとデュースが話している。


「御存知の通り、本来オムルは粗野で凶暴ですが、この村の者達は比較的温厚です。それでも戦士としては一人で並の人間十人分は働きます」

「そうですねー、オムルはグッグとならんで、もっとも強力な古代種の一つですからー」

「ええ、余程のことがない限り、後れを取るはずは……」

「メルビエは戦いが苦手だと言っていたが、それでも村が全くの手薄だったわけじゃないだろう。レルルの話では魔物の正体は不明だというが、強力なやつなのだろうか?」


 疑問点を尋ねると、フューエルが答えて、


「谷に出る魔物といえば、まずオグルです。たしかに強力ですが、そこまででは無いでしょう」

「オグルってのは戦ったことがないな」

「これはオグル獅子ともいわれ、文字通り獅子に似たたてがみをもつ、凶暴な魔物です。上位種族と言われるレオルやレオグルだと魔法も巧みですが、オグルであれば、ギアントよりは勝りますが、巨人の敵ではないかと」

「なるほど、他に情報はあるのか?」

「あの近辺で、結界がいくつか破られるという事件がありました。どうやら強力な魔物が引っかかったようなのですが、未だ正体はつかめていません。それ以外ですと、オブズが、これは山地に住む狼のような魔物ですが、これが冬になると山を下ってくるぐらいですね」


 尾根を超えるときに襲われたあいつか。

 あれもひどい目にあったな。

 しかしオムルとかオブズとかややこしい。


「それ以外は特に……」


 そこまで熱弁して、フューエルは話している相手が俺だと気がついたようだ。


「と、とにかく、メルビエは領主の代理として私が責任をもって助けます!」

「彼女が無事ならなんでもいいさ」

「む、それはそうですが……」


 そこで話は途切れた。

 しばしの沈黙の後に、馬車は目的地につく。

 出迎えたのはオルエンだ。


「お待ち……していました、マイロード」

「おう、どうなってる?」

「まずは……自己紹介を。こちら、メルビエの父……トルボン氏、そして、姉のオルビエ」

「あんたが紳士どんか、娘がせわになったぁ、きいとるが」


 声の主を見上げると、高い。

 メルビエの倍はあるか?

 十メートル位あるんじゃなかろうか。

 それほどの巨人が頭の上から話しかけてきた。


「お初にお目にかかります。クリュウと申します」

「こ、こりはまあご丁寧な……」

「お嬢さんとはいずれ主従の誓いを交わすことを約束したのです。それ故に彼女の危急に参上した次第」

「むぅ、そのことは今、あれの姉から聞いただ。まんず驚いたが、アレが望むなら否やはねえ、だども……」


 そこにフューエルも顔を出して、


「ロングマン、一体何があったのです」

「むぅ、おぜぇさままでお出ましいただいたか。もうしわけなか」

「それは良いのです。それよりも」

「んだ、生け簀をオグルどもが荒らしとるちゅーだで、おらたちが懲らしめにいってる間に、村に別の魔物が現れただ。どうにもおそろしか魔物で、残ったもんじゃ太刀打ちできずに、手も出せずにひっくり返ってただよ」

「まさか……」

「メルビエは納屋に身重の姉を隠すとぉ、一人で出ていったってぇ話だ。今さっき知らせを聞いて飛んで戻ったもんで、まずはこちらの紳士どんのお仲間ぁと第一陣の調査隊をだしたところだべよ。おらも今、皆を仕切り直して出るところだっただぁ」

「わかりました。では、我々も協力します。騎士団にも連絡を入れておきました、すぐに救援も来るでしょう」

「んだぁ、ではいくべぇ。ほれ、オルビエ、いつまでも泣いてるでねぇ、メルビエはきっと無事に連れ戻るだ」


 メルビエの姉は大きなお腹を揺すりながらすすり泣いている。


「オルビエさん、彼女は必ず連れ戻します。そのように泣かれてはお腹の子にも良くない。どうか心を落ち着けて、お待ちください」

「し、しんずざまぁ、どうか、あのこぉ…、あの子はあんた様のことを、とても嬉しそうに話してただよ、んだから、どうか、どうかぁ……」

「大丈夫、さあ、急ごう」


 腰を上げたところにエレンがやってきた。


「旦那、もうついたのかい?」

「ああ。今さっきな。どうなってる?」

「いくつか候補は絞れたから、方針を決めようと思って連絡に来たんだよ、ちょうど良かった。ロングマンの大将は……といたいた」


 とメルビエの父親に話しかける。


「谷の東側はまずないね。北西の山に入る道が一番有力だけど、南の小道にも一本痕跡があったね、こっちはメイフルに任せたよ。あとは足あとはないけど川沿いかな」

「んだぁ、川沿いはすでに人が出てるだ。南はぁ、オグボン、ベボン、おめえらまかせただ」

「んだ」

「おし、じゃあおらたちは山に行くべか」


 どうやら俺達は崖を登って山に向かうらしい。

 歩きながらエレンに話を聞く。


「一応、魔物の足あとはいくつかあったんだけどね。どうもオグル獅子っぽくてそこまで強い相手じゃないからねえ。ここの連中を叩きのめす魔物となるとちょっと……あとは一つ妙な気配がね」

「ふぬ」

「コルスが気配をたどって先行してるはずだから、まずはそれを追ってみよう」


 作戦が決まったところで俺たちは村を出発する。

 俺達の他に、メルビエの父のトルボン他四人のオムル族がついてくる。

 トルボンは他の巨人と比べてもひときわ高い。


「メルビエの父ロングマンはオムル一の強者です。彼の武勇はこの界隈では知らぬ者はないのですが、特にあの長い腕を活かして巨大な魔物をたやすくなぎ払う姿から、彼をたたえて皆がロングマンと呼ぶのです」


 とフューエルが教えてくれる。


「なるほど、そりゃ頼もしいな」

「紳士様も先の飛首騒ぎでは先陣に立って剣を振るわれたとか。かの気陰流の達人だと聞いております」

「そりゃあ……」


 と否定しようと思ったが、フューエルはどうも俺の実力を知ってて聞いてる感じだったので答えずに置いた。

 まあなんだ、女の子ってのは本来、好意を持たない相手にはこれぐらいキツ目にあたってくるもんだよなー、と逆にこの感触に新鮮さを覚えるぐらいだ。

 こんな状況でなければ、もっと積極的にお話したいところだが、今はやめておこう。


 日が差さぬ谷は朝霧で視界も悪い。

 切り立った細い道を俺達は急ぐ。

 細いと言っても巨人が使う道なので、俺達には余裕があるんだけど。


「マスター、セス達が近いようです」


 と紅。

 俺もさっきからあいつらの気配を感じていた。

 同時にメルビエの気配を探っていたのだが、残念ながらよくわからない。

 契約していればもっとはっきりわかったのかもしれないが、あちこちに散らばっているであろう他の巨人たちの気配が多くてぼやけている。

 俺はコアの気配を感じ取っているようだが、自分の従者でなければ実際にははっきりとはわからないんだよな、これが。


「現在、感度をあげて直径十キロで捜索していますが、該当する気配は魔物も含め……っ!」


 一瞬、皮膚が総毛立つような感触を覚えたかと思うと同時に、紅が頭を抑えてうずくまる。


「どうした!?」

「強力な……パルスが……センサーが一部損傷……」

「パルス? 攻撃されたのか!?」

「いえ……なにか、精霊力の、ソナーのような発信だと思います。それを受けてしまいました。感度をあげていたために保護装置が働きませんでした」

「鼓膜が破れたみたいなもんか。大丈夫か?」

「遠距離探査が不可能になりました、自己修復に数日はかかります。申し訳ありません、マスター。それ以外には支障ありません」


 生憎と紅の負傷はレーンでは治せない。

 紅のレーダーがやられたのは痛いが、仕方あるまい。


「先ほどー、一瞬ですが魔力を感じましたー、アレにやられたのでしょうかー」

「そうみたいだな。そういうことをする魔物っているのか?」

「うーん、確かダンジョンの壁の向こうの敵を探る魔法でー、魔力を飛ばしてその変化で位置を掴むという呪文があると物の本で見たことがあるのですがー、呪文そのものは伝わってないですねー」

「なるほど、じゃあ、そういう魔法を使う魔物がいたとしたら、こちらの位置は掴まれてるわけだな」

「そうなりますねー。フューエル、物見の精霊をだせますかー」


 デュースが一歩後ろにいたフューエルに話しかけると、頷いて返す。


「精霊を召喚します。しばしお待ちを」


 と呪文の詠唱に入った。

 十秒ほど唱えると、手にした小さなステッキを振りかざす。

 同時にステッキの先端から光の輪が広がり、地面からニュルニュルと緑色の光の玉が溢れてきた。


「さあ、お行きなさい。行って大地の営みを損なう物を、その目で見極めるのです。さあ、お行きなさい」


 ステッキを振り下ろすと、光の玉は瞬く間に四散した。


「行きました。魔物を見つければ反応があるでしょう」

「ずいぶんと精霊を出せるようになりましたねー」

「まだ、とっておきが有りますよ」


 感心するデュースに、ちょっと嬉しそうな顔で答えるフューエル。


「それは楽しみですねー、さあ、行きましょー」


 今のも魔法か。

 召喚というからには、今の光の玉を呼び出して使役するとか、そういう魔法なんだろう。

 色いろあるんだなあ。


「いまのは精霊召喚の魔法ですねー。召喚は無属性の人間ならではの魔法ですねー」


 とデュース。


「無属性とは?」

「ホロアや古代種は体内に宿したコアの相性でー、得意な魔法が決まるものですがー、人間はコアがないので魔力さえあればなんでも使えるんですよー」

「ほほう」

「ですからー、例えば私も火の精霊ぐらいなら呼び出せるんですがー、火だけ呼び出しても燃やすぐらいしか使い道がないので普通の魔法のほうが良かったりするんですねー。召喚は多くの精霊を用途に応じて呼び出せないと有り難みがないんですよー」

「なるほど。じゃあフューエルは召喚魔法の使い手なのか?」

「いいえー、彼女は魔法全般が巧みでしたねー。万能型の魔導師ですねー」

「そりゃすごい」


 と感心しつつ、フューエルの顔を見ると、ぷいと顔を背けられた。

 手強い。


 すぐに俺たちは進み始める。

 しばらく行くと、少し視界が開けた。

 谷の斜面をずいぶんと登ってきたようだ。

 あちらこちらに松明の火が見える。


「霧が晴れるまであと二時間はあるだぁ、そうなればも使えるだが」


 とメルビエの父が言う。

 目を使うってなんだろうと思いながら更に進むと、先行していたセス達と合流出来た。


「ご主人様、良い所に。今、レルルを伝令に出そうとしていたところでした」


 とセス。


「何かわかったのか?」

「この先を登り切った峠の先に、メルビエのものと思しき衣服の切れ端が残っていました。ヤブにひっかかっていたものです」


 取り出した布を見た父親が頷く。


「こいつはオラがあいつの誕生日に贈ってやった半纏だべ、間違いねえ」

「よし、じゃあ後を追おう」

「それが、ヤブの先は切り立ったがけで……」

「まさか……」

「いえ、落ちた形跡はありません。ただ、コルスが今捜索中ですが、まだ、足あとも見つからず」

「よし、エレン、頼む」

「あいよ」


 エレンもすぐに飛び出した。

 メイフルも呼び戻したいが今は無理か。

 俺達も後を追う。


 痕跡のあった崖の近辺でエレンが調べた結果、どうやらいくつかの足跡を見つけたらしい。

 一つは巨人で、間違いなくメルビエのものだという。


「わかるのか?」

「彼女の足あとは覚えてるからね」

「頼もしいな。それでどっちに行ってる?」

「うん、崖にそってまっすぐ北だね。ここじゃわからないけど、もう少し行くと、木が折れてる。そこを通ったんだ」

「ふむ」

「ただ、すぐ前にもう一つ、これは人間だね。たぶん、鎧……でも騎士の甲冑じゃないな、重量級の戦士風の人間が同行してる。並走してるから、敵じゃないと思うよ」

「ふむ。村に人間はいたのか?」


 メルビエの父に聞くが、首をふる。


「どう思う?」

「わからないね。たまたま通りすがった冒険者とか……」

「そんな都合のいい話があるか?」

「割とよくあると思うけどねえ」

「そうかな、まあいい。追いかけよう、先導してくれ」

「あいよ」

「コルスは先行できるか?」

「任せるでござる」


 コルスを送り出して、俺達はヤブを漕ぎながら山道を進む。

 その間にも、先ほどフューエルが放った緑の玉がゾクゾクと戻ってきてはまた飛び去っていく。

 ああやって何か報告に来てるんだろうか。


「だめですね、この辺りに魔物は見つかりません」


 とフューエル。


「そうか」

「あるいは、精霊が近づけないほど強大な魔物……とか」

「怖いな」

「そういうセリフは、紳士様が口にするものではないと思いますよ」


 フューエルは手厳しい。

 あまり紳士に高望みされても困るんだけどなあ。

 とは思ったが、ここは適当に、


「気をつけるよ」


 と答えておいた。

 そういえば、夢で見たよな、なにかすごく恐ろしい魔物が……なんだかあの気配には覚えがあるんだけど、なんだっけ?

 強い魔物といえば、先日の赤竜が思い浮かぶが、あんなもんがいたら大事だよな。


 谷間と違って崖の上は日が当たるせいか霧も晴れてきた。

 視界が開けると進みやすい。

 ペースを上げると、やがて洞窟に出た。

 足あとはこの奥に続いているらしい。


「なんでまた、こんなところに」

「ここで歩幅が広がってる。ペースを上げてるね」


 とエレン。


「ほう、そんなことまでわかるのか」

「足跡を読むのは盗賊の基本だからね」

「ほほう」

「……これ、なんだろう。ところどころ妙なあとが……引きずってるんでもない、まるで宙に浮かんで飛んでるような……」

「飛んでる? この間の樽型ガーディアンみたいなもんか?」

「そいつは見たこと無いけど、どうかな? こいつは二本足で浮いてる感じかなあ」

「体のサイズはわかりますかー?」

「うーん、二メートルぐらいかなあ、足は小さめかも。あとは何か……周りに波紋のようなものがあるね」


 デュースの問にエレンが答える。


「うーん、まさかー、いやでもー」

「どうしたんだい?」

「万が一の話ですがー、それはおそらく……コルス、良いですかー」


 とデュースはコルスを呼び寄せる。


「なんでござる?」

「知覚、恐怖、絶叫、探知、それに暗視の結界を張ってくださいー」

「大盤振る舞いでござるな、かしこまったでござる」

「フューエルは闇の波動へのレジストをー」

「わかりました。しかし、それではまさか……」

「アヌマール……の可能性がありますねー」

「アヌマール!」


 俺とセスが驚く。

 無理もない、かつて俺たちが全く手も出せずにやられた相手だ。

 あの時はよくわからないままに九死に一生を得たが、本来は当時の俺達が束になってもかなわぬ相手らしい。


「大丈夫なのか?」

「そうですねー、非常に強力な相手ですー、まずは魔法の削り合いで勝たねばなりませんー。アヌマールと呼ばれる魔物はー、中身は色々あるんですけどー、一般に闇の衣と呼ばれる百通りもの結界をその体に張り巡らせていますのでー、それを解呪していかねば攻撃が通りませんー」

「ふぬ」

「騎士団のように対結界魔法陣の錬成に長けた者が入れば有利なのですがー、ここはフューエルに期待しましょー」

「お任せください」


 フューエルはどっしりと構えて深く頷く。

 頼もしい。


「最優先はメルビエの救出ですよー、戦わずに済みそうなら回避する方向で進めてくださいねー」


 デュースの言葉に、全員がうなずく。


「さあ、慎重に行きますよー、ここはすでにヤツのテリトリーだと思ってくださいねー」


 俺達は最大限の警戒態勢で洞窟に足を踏み入れる。

 メルビエが入っていっただけあって、洞窟は大きい。

 と言っても、メルビエの父親を始め、同行する巨人の戦士たちにはちょっと狭すぎるようだ。

 彼らには入口で待ってもらうことにして、俺達だけですすむ。


 ゴツゴツとした洞窟を進むと、奥から嫌な気配が漂ってくる。


 それにしてもアヌマールか。

 今でも想い出すと身の毛がよだつ。

 竜も強かったが、あの強さにはなんというか威厳というか、まっとうな強さがあった。

 言葉にするのが難しいが、例えば青の鉄人ゴウドンや雷竜などは、同じベクトル上で測れる強さなんだよな。

 それに比べてアヌマールは、まるで幽霊が怖いとでも言うような、何か別の……強さへの畏怖ではなく、死への恐怖みたいな独特の恐ろしさがあった。

 なんというか、生き物が元々もってる死への恐怖を具現化したかのような、そういう存在に思える。


「セス、どうだ?」


 先頭を行くセスに声をかける。

 かつて致命傷を受けた身だ。

 俺以上にプレッシャーを受けていてもおかしくはないのだが、セスは振り返ると力強く頷いた。


「大丈夫、お任せください」


 決して虚栄ではない自信に満ちた表情に、俺の心も落ち着く。

 大丈夫だ、今のセスなら、そして俺たちならやれる……といいなあ。

 自信はないが、俺がうろたえるわけには行かないのだ、どんと行け、俺。


「道が分かれてるね。しめた、どうやらメルビエたちと魔物は別の道に入ったみたいだ。追ってるわけじゃないようだよ」

「おお、そうか。よし、急いで追い付こう」


 足跡を追っていたエレンの言葉をうけて、俺達はペースを上げて追いかける。

 待ってろよ、メルビエ。


 一本道を下って行くと、やがて大きな空洞に出た。

 広い地面の中央が大きく裂け、地の底へと続いている。


「足あとはこっちだね。小走りに奥へと続いてるよ。相変わらず人間と一緒だね」

「よし、すすむぞ」


 地面の裂け目にそって進むと、徐々に裂け目が狭まっていき、天井も下がってくる。


「見つけました」


 不意にフューエルが声を上げる。

 彼女の周りには先程の緑の光がいくつも漂っている。


「この先、二百メートル程、岩陰に二人、隠れているようです……どうやらメルビエは負傷している様子」

「そりゃいかん、急ごう」


 慌ててかけ出す俺。

 だが、百メートルも進んだら、いきなりセスが飛び出して俺を静止する。

 と同時に地面に矢が突き立った。


「メルビエの同行者か! 我らは救援だ、姿を見せられよ!」


 セスが前方の闇に向かってランプを掲げながら呼びかける。


「おやまあ、これは勇ましい侍が来てくれたもんだ」


 奥でゆらりと人影が動いた。


「あたしはアンブラール、ちょいと警戒してたもんで済まないね。そっちの男前の兄さんも、大丈夫かい?」


 そう言って弓をおろしたのは、屈強の女戦士だ。

 しかも、ゲームみたいなビキニの鎧を着てる!

 あんなの実在したんだ!

 っていうか、腹筋がすごい、薄明かりに照らされてもわかるムキムキっぷり!


「いや、こちらは大丈夫。俺はクリュウという。それよりもメルビエは無事か?」

「へえ、あんたが。彼女は無事さ、と言ってもちょいと手傷を負ってる。僧侶はいるかい?」

「ああ、居る。はやく、彼女のところに案内してくれ」

「おっと、クリュウって言ったね、紳士の旦那。あんたはここでお留守番だ」

「なぜだ?」

「乙女心ってもんさ。ほら、僧侶は早くしな、他にもついてきてもいいよ、すぐそこだ」


 有無を言わせぬ彼女の口ぶりに、俺は従うしかなかった。


「レーン、頼む」

「お任せください」


 レーンの他数人をつかわせる。


 俺に見せたくないということは、怪我がひどいのか?

 しかし、血痕などはついてなかったはずだが……。


 待つこと十分。

 レーンについていったセスが戻ってきた。


「セス、メルビエはどうなった?」

「命には別状ありません、あの女戦士の処置も良かったようです」

「そうか」

「ただ……」

「うん?」

「熱と毒の瘴気を顔に浴び……とてもお見せできる姿では……」

「なんだって……」

「何より本人が合わせる顔がないと……」

「それは……治らないのか?」

「わかりません。レーンの話では普通のやけどであれば、金さえ積めばどうとでもなるそうですが、あの毒の場合、影響が抜けるのに何年もかかるとか、あるいは生涯そのまま、とも」

「そうだ、お前の時みたいに、契約したら一発で治ったりしないかな?」

「あれはホロアだけの特性です。古代種の彼女では……」


 なんてこった。

 今の彼女の気持ちを考えると、いてもたってもいられなくなる。


「とにかく……会わせてくれ」

「お待ちください、紳士様」


 とフューエルが止める。


「そのような状態で、彼女がお会いできるとは……」

「そうかもしれんが、じゃあこのまま会わずに帰れってか? それで彼女はどうするんだ」

「し、しかし……」

「とにかく、俺は行く」

「紳士様!」


 俺はフューエルの静止を振り切り、メルビエの居る洞窟の奥まで駆けつけた。


「メルビエ!」


 岩陰に身を寄せる彼女に声をかけると、慌てて顔を背ける。

 その顔には女戦士のマントと思しき布がかけられていた。

 うずくまる彼女の大きな体は、一際小さく見えた。

 俺は無言のまま彼女の隣まで歩み寄る。


「よく、無事だったな、メルビエ」

「紳士……さまぁ。おら……」

「お前の姉さんも無事だったぞ、よくがんばったな」

「んだぁ……」

「さあ、こっちを向いて」

「だども……おらはもぅ」

「大丈夫、おまえはちゃんとやり遂げたんだ。だから自信を持って前を向いてくれ」

「紳士……さまぁ……」


 彼女は何かを決心したように俺に向き直る。

 はらりとマントが落ちると傷ついた顔があらわになった。

 左半分は愛らしい顔のまま、だが右半分は青黒くただれていた。

 ただ瞳だけがかつてのまま、くるくるとこちらを見つめる。

 そして、その瞳は涙に濡れていた。


「いい子だ。いい子だから、ちょっと早いが、ご褒美をあげないとな」

「紳士……さま?」


 俺はカプルにもらった愛用の短剣を取り出すと、自分の指先を切り裂いた。

 すぐに血が溢れてくる。

 その指先を彼女にそっと突き出す。


「だ、だめだぁ、おらはもう、そんな資格はねえだ」

「従者に資格なんて無いさ。あるのは相性だけだろう。それに……」

「んだぁ?」

「おまえみたいなすてきな子を放っておいて、他のやつに取られちゃかなわんからな。さあ、お願いだから、俺の従者になってくれ」

「しんし……ざまぁ……」


 彼女はその可愛い瞳からポロポロと涙を流す。

 やがて、意を決して体を乗り出し、顔を近づける。

 俺の指先を大きな口に含むと、体が輝きだし、彼女は従者になった。


「し…んしさばぁ、おら……おら……」

「これからはご主人様と呼んでほしいな」

「んだぁ、ご、ごしゅじんざまぁ…」


 泣き崩れる大きな頭を抱きかかえて、優しくなでてやる。

 あいにくと都合よく奇跡が起きて傷が治ったりはしないのだが、別に構わんさ。


「あはは、良かったねぇ、あんた」


 例の女戦士がメルビエの肩を叩く。


「戦士さまぁ……その、すまんこったです」

「なに、気にするこたぁ無い。ちゃんと幸せにしてもらいな」

「んだぁ」

「しかしあんた、噂の桃園の紳士様だろう? 女好きとは聞いてたが、中々どうして筋金入りだね」


 今度は俺の肩を叩く。


「なに、こういう性分でね。それよりメルビエを助けてくれたんだろう、改めて礼を言うよ」

「いいってことさ、それよりも早くずらかった方がいい。ここは何が出るかわからないからね。さっきもこの娘を襲った何かに追い詰められてここまで逃げてたんだよ。どうやらあたしのおいてきた形代に引っかかってそれてくれたようだけど」

「ああ、アヌマールだろう、さっきの枝分かれを左にそれてたな」

「アヌマール!? 本当かい? まさかそんな大物だったとは」

「おそらくね。とにかく急ごう。メルビエは動けるか?」

「んだぁ、もう平気だ。お坊さんのお陰で痛みも引いただよ」

「そりゃいい、だがお坊さんはよせよ、今日からは同じ従者だ」

「そ、そうだっただ」

「はい、私、レーンと申します、以後よろしくお願いします!」

「ご、ごていねいに、おぼうさ……でながった、レーン」

「はい、よろしくです」


 というわけで、無事にメルビエを助け出して従者にした俺達は、大急ぎで地上を目指すのだった。

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