第108話 超大型新人
ふわふわベッドで惰眠を貪って起き上がると、すでに日は登っていた。
タイミングを見計らって、アンが朝食を寝室に運んでくる。
「おはようございます、よくお休みになれましたか?」
「一人寝が寂しくて、ふて寝してたよ」
「ふふ、その割には寝すぎて目がただれてますよ。まずは顔を洗ってくださいね」
用意された手桶で顔を洗う。
昔のヨーロッパなんかじゃ、これ一杯で朝の支度をしなきゃならないと聞いた気がするが、こちらでは特にそういうことはなく、側に水瓶があるので水は使い放題だった。
朝食をとりつつ、アンと雑談をかわす。
「しかし、立派な屋敷だなあ。やっぱこういうのにも憧れるよな」
「そうですねえ。私どもの部屋も、とてもよいベッドでフルンは跳ねまわって抑えるのに大変だし、ウクレは勿体無くて床で寝るとか言い出すしで大変でした」
「くそう、俺をのけものにして楽しくやってたんだなあ」
「ふふ。やはりうちはみんな一緒がいいですね」
「そうだな」
身支度を整えて屋敷の裏手に回ると、リンツ卿が用意してくれた荷馬車に、必要な物を移し替えているところだった。
「おはよー、ご主人様。ゆうべねー、ベッドがねー、すごくてねー」
フルンが駆け寄ってくる。
「おう、あんまりアンを困らせるなよ」
「うん! でもねー、ふわふわでねー、それでねー」
とだいぶ興奮している。
やっぱりふわふわベッドはいるな。
「フルン。急がないと時間がないってアン様が」
「あ、うん、今行くー」
そういうウクレはすごくたくさん荷物を抱えてる。
精霊力を抑える薬は時々飲んでるらしいが、すっかり元気になったな。
馬車を見ると、幌馬車の方はすでに中身がほとんど抜かれていた。
こいつにも世話になったなあ。
試練が終わったら、また迎えに来るから、しっかり留守番してろよ。
「馬車を切り離しますわ、皆さんは少し離れていてくださいな」
引き綱を手にしたカプルが周りに注意を促す。
太郎をつないで、空っぽになった幌馬車を動かす。
馬車は離れにある倉庫にしまっておいてくれるらしい。
幌馬車にしばしの別れを告げて、荷物の整理を手伝う。
昼前にはどうにか支度が整ったようだ。
領主のリンツ卿に見送られて、俺達はアルサの街に向けて出発した。
新しい荷馬車はがたがたと揺れる。
リンツ卿はそれなりにいいものを用意してくれたようだが、しょせんは荷馬車なので仕方あるまい。
荷馬車は、屋根もない軽トラックみたいなもので、二人がけの御者台にデュースと俺が座り、花子が引いている。
荷台にはテントや食料、その他の荷物が積まれていて、御者台の他に乗るスペースはほとんどない。
半数は徒歩だ。
ルタ島は道路も整備されていて、塔の間は主に平地を十数キロしかないそうなので、移動が負担になることは無いはずだ。
ただ、冬のキャンプになるので冬用のテントを一つ、買い足すらしい。
もう一台の家馬車は結合部だった扉の部分を開け放ち、そこが一人分の御者台になっている。
そこにはカプルが座り、太郎が繋がれてのんびり引いている。
これらが新しい旅の足だ。
半年の旅の間暮らした幌馬車がなくなると、微妙に寂しいな。
日暮れまでに街に入ろうと急いだせいか、荷馬車がぬかるみに車輪を取られてしまった。
「あらー、やっちゃいましたねー。なれない馬車だとこんなものですかー」
「まあ、しょうがない。ほれ、みんなで押すぞ」
と頑張って押し上げるが、運悪く後ろにいた俺を含む数人が跳ね上がった泥をもろに浴びてしまった。
そうしたら、泥遊びでもしてると思ったのか、撫子までやってきて自分から泥を浴びてキャッキャとさわぐ。
みんなして泥だらけだ。
往来の真ん中で風呂を立てるわけにも行かず、軽く泥を拭うだけで旅を続ける。
しまらんなあ。
森のなかの川のほとりで、少し遅目の昼休憩をとった。
支度の間に小川で水を汲んで体を清める。
面倒なので俺達は水を浴びるだけ。
撫子は桶にお湯を張って、洗ってやる。
「みーずー、みぃずー」
「これはお湯だよ、おゆ」
「おーゆー?」
お湯をパシャパシャと弾きながら、きゃっきゃと喜ぶ撫子。
「湯加減はどうですかー? 少し冷めたのではー」
そういってデュースが様子を見に来る。
「いや、むしろもうちょっとぬるくてもいいかも」
「じゃあ、薄めましょうかー」
と水を汲みに戻る。
「あつーい? つめたいー?」
「お、どっちだ、熱いか?」
なんだかすごい勢いでボキャブラリーが増えてるな。
そろそろ読み書きも教えていい気がしてきた。
「あーつーいっ!!」
そういって語尾を強めた瞬間、どんと頭を殴られたような衝撃をうける。
なんだ?
何が起こった?
周りを見ると、皆の動きが止まっている。
それだけじゃない、いま撫子が弾いた水しぶきまでが空中で止まっていた。
驚いて立ち上がろうとした瞬間、声が響く。
「マスター! 撫子をお湯から上げてください!」
後ろから紅の声がかかる。
とっさに撫子を見ると、手を上げた姿勢で固まっている。
目線を桶に移すと、縁にそって凍り始めているじゃないか。
それを理解した瞬間、俺は大慌てで撫子を抱きかかえ、桶から持ち上げた。
次の瞬間、バシッ、という轟音とともに、桶が吹き飛んだ。
「な、なにごとですかー!」
慌てて戻ってくるデュースに説明しようにも、俺も何が起きたのかさっぱり。
俺に抱きかかえられた撫子はわんわん泣いていたが、幸い怪我はないようだ。
桶は無残に砕け、中のお湯はすべて氷となって床に転がっていた。
おそらくは、瞬時に凍った衝撃で、桶が吹き飛んだのだろう。
「うーん、ナデシコがやっちゃったんでしょうねえ。凄い魔力を感じたので」
「こいつがか」
「でしょうねー。しかし危なかったですねー。そのまま体ごと凍りついていたら、命に関わりましたよー。よくすくい上げられましたねー」
「俺もとっさのことでなあ」
泣きじゃくる撫子をあやしてる間に、側にいた従者に後片付けをしてもらう。
落ち着いたところで、紅が声をかけてきた。
「マスター、よろしいですか?」
「紅か、俺も聞きたかったんだ。今のはなんだったんだ?」
「先程、マスターの周りで時間変化の歪みとしてフォス波を検知しました」
「フォス波ってのは、前の判子ちゃんの時に時間が止まったっていうあれだよな」
「はい」
「つまり、やっぱり今のは時間が止まってたのか」
「その可能性はあります」
「でも、お前の声が聞こえたけど」
「今回は、私も停止した時間を認識しました」
「というと?」
「私も停止した時間の中で動けたようです」
「なんでだろ」
「不明です。ただ、私とマスター以外は停止していたように思います。もっとも停止と言っても、どこまで停止していたのか、あるいは時間の流れが極端に遅くなっていただけなのか、今の一瞬では判別できませんでした」
「ふぬ」
俺が止めたのかなあ?
そんな感じはしなかったけど。
「そもそも、静止した時間の中で音声が伝わるのかどうかも判別できません。もう少し時間があれば観測できたのですが」
と紅は言うが、止まった時間の中の時間の長さってなんだろうとか考えてるとますますわからなくなった。
まあ、理屈より実践だよな、俺は工学系なんだよ。
というわけで、さっそくあれこれ試してみたが、残念ながら再び時間が止まることはなかった。
自由に止められれば、色々夢が膨らむのに。
俺じゃないとなると、判子ちゃんが撫子を助けるために止めてくれたんだろうか?
それならそれで、顔を出せばいいのに。
そういえば今までも時間がスローに感じて危機を乗り越えたことがあったけど、あれって何か剣の極意に目覚めて意識がどうこう、とか、アドレナリンが、みたいな話じゃなくて、本当に時間を止めたり遅らせたりしてたんだろうか。
うーん、わからん。
どうにかもう一度時間を止めてみようとふんふんやっているうちに、デュースがなにかを手に戻ってきた。
「お守りを作ってきましたー。先日の塔で黒の精霊石が手に入っててよかったですよー」
そう言って、真っ黒な石のついた精霊石のネックレスを取り出し撫子にかける。
「これがあれば、この子の魔力を全部吸い取ってくれますからー、自分で制御できるまで身につけさせましょー」
確かに、撫子から感じる力がグッと少なくなった。
「へえ、黒い精霊石ってのは、そういう力があるのか」
「そうですよー、魔力封じの結界などにつかいますねー。高いのでなかなか手に入りませんがー、コアの輝きもおさえられますねー」
「ほほう。で、こういうのは、よくあることなのか?」
「よくはないですねー、ただ魔力の強い子はたまにいますのでー。そういえばフューエルもそうでしたねー。暴走すると命に関わりますからー。撫子はそんな前兆は見せなかったんですけどー」
「しかし、魔法ってのは呪文とかなしでも使えるんだな」
「魔法というより、魔力があふれただけですねー、それをコントロールするのに呪文と修行がいるんですよ」
「なるほど、そういやオーレもそうだったな」
「しかし、無明の持ち主は魔力をもたないものなんですがー、あるいは撫子は結界を打ち消す能力を持っているのでしょうかー、もう少し育ったら、きっちり育てないといけませんねー」
とデュースはどこか嬉しそうにしている。
撫子はすっかりいつもどおりでキャッキャと遊んでいる。
噂に聞いてた子育てと違って全然手がかからないと思ってたが、なにがあるかわからんな。
トラブルで手間取ったが、俺達は再び出発する。
日が暮れる前にはアルサの港町に入りたいな。
昼下がりの林道をのんびりすすむ。
俺は馬車から降りて、馬車の少し後ろを撫子の手を引きながら歩いていた。
新しい荷馬車は、クッション性が皆無で、ちょっと乗れたものではない。
家馬車ならその点は問題ないが、せっかくなので散歩だ。
フワフワととぶトンボを見つけた撫子が、俺の手を離して追いかける。
つられてフルンも一緒に追いかけ始める。
それを見ていたアフリエールとウクレが笑い出す。
平和だねえ。
「ところで、アルサの街についたらまずはどうするんだ?」
隣を歩いていたアンに尋ねる。
「まずは船の手配ですね。こちらはリンツ卿が事前に準備してくださっていたようで、港に行けば大丈夫なようです」
「何から何まで、世話になるなあ」
「ええ、ありがたいことです。あとは、食料の買い出しなどですか。こちらはさほど困らないとは思いますが」
「ふぬ」
「あとは……」
しばらくアンと話していると、フルンと撫子が寄ってくる。
撫子の手にはトンボが掴まれていた。
「みてみてー、ナデシコがトンボ捕まえたよー。あ、逃げた」
「あー、あー」
「ははは、逃してやれよ」
「うー」
撫子はちょっと残念そうに飛んで行くトンボを見送る。
それが見えなくなると、俺の方を振り返り、
「たかいー、してー」
「お、よしよし、じゃあ肩車だな」
とねだる撫子を担ぎ上げる。
「かたー、たかいー」
ちょっと重くなったかな?
すぐそだつな、ほんと。
結構重いので、少し遅れだした。
気が付くと最後尾をあるくセスに追いつかれていた。
「代わりましょうか?」
とセスに言われるが、なんのその。
まだまだ行けるぞ。
と思った瞬間。
グキッ!
「うっ……」
やばい、腰が……いかん…。
撫子を落とさないように必死に踏ん張るが、今にも腰が折れそうだ。
すぐに異常に気づいたセスが、撫子を抱きかかえて下ろしてくれる。
と同時に、俺はその場に崩れ落ちた。
「ご主人様!」
「こ、こしが……」
「腰?」
「ぎ、ぎっくり腰だ……これ」
あまりの激痛に、みるみる脂汗が出てくる。
「それはいけません、フルン! レーンを呼んできなさい、急いで!」
セスに言われてフルンが走りだすのが見えた。
「ごーしゅじーさまー」
心配そうに声をかける撫子をフォローする余裕もない。
すぐにやってきたレーンが呪文をかけてくれる。
それで痛みは和らいだが、まだ立てなかった。
まいったね、こりゃ。
「背筋を痛めていますね。こういう症状は、私の腕では一発回復とは行きません。申し訳ありませんが、まずは氷で冷やすべきでしょう」
とレーン。
「ああ、任せるよ」
「今、担架を用意しています。馬車まで運びますのでお待ちください」
というわけで、地面にうずくまったまま、動けない俺。
呪文のお陰でじっとしてればどうにかなるレベルまで痛みは治まったが、さっきはマジでやばかった。
ぎっくり腰がこんなにひどいとは。
昔、上司がぎっくり腰になってすごく痛かったと語っていたのをオーバーだなあとか思ってすみません。
いや、まじで。
これはダメだ。
とにかく動けそうもないので、待つしかなかった。
「ごめーなさいー」
俺の手を握って謝る撫子。
「大丈夫だよ、おまえのせいじゃないから。なに、すぐに良くなる」
「うー」
「ほんとだって。俺を信じなさい」
「うーうー」
泣きそうな撫子の頭をなでてやる。
結構痛いがそれどころじゃない、撫子を泣かすわけにはいかんじゃないか。
というわけで、やせ我慢しつつ待っていると、ドスンドスンと地響きがしてきた。
はて、担架を持ってくるにしては派手な音だな。
と頭を起こして馬車の方を見ると、まだ誰も来ていない。
あれ、と頑張って振り返ると俺達の来た方から、女の子が歩いてくる。
でも、なにか変だな。
結構近いのに遠くに見える。
いや、痛みで変になったわけじゃないぞ?
とか言ってる間に、女の子はどんどん近づいてきて……あれ、まだ近づくのか?
なんかおかしいぞ?
かなり近づいてるはずなのに、まだ遠くにいる。
まて、あれは……もしかして、でかいのか?
「オムル族! 魔族ではありませんが、野蛮な巨人です! 味方とは限りません、警戒を怠らずに」
「うむ」
レーンの言葉にセスが前に出て声をかける。
「そこのご婦人、ここには今、負傷者がいます。少しお待ちください」
その言葉に反応した巨人は穏やかな声でこう言った。
「あんりま、あんたら大丈夫だべか?」
「失礼、今道を開けるので、しばしお待ちを」
「気にすることねーだ、おらに手伝えることはねーべか?」
モアノア並みのすごい訛りだな。
というか同じ方言なんだろうか。
「お気遣いいたみいります。ですが、手は足りておりますので」
「そうだべか」
そこに家馬車から守衛ちゃんことクロが四本足を器用に使い、クニクニ歩いてきた。
「ご主人様ー、クロちゃんが運んでくれるって」
「お、そうか。じゃあ頼む」
「ノレ、ノレ、ボス」
クロは俺の横まで歩いてくると、腰を落とす。
クロの本体は五十センチ四方ほどの四角い座布団程度の平面で、四隅から脚が四本伸びている。
脚には関節が三つついていて、それが全方位に器用に曲がりながら歩く。
イメージ的には、一人用こたつが歩いてる感じかな?
「よし、乗ったぞ」
「ハコブゾ、オチルナ」
俺を乗せて持ち上げると、クロは慎重に俺を運び出した。
そのまま家馬車まで運んでくれる。
途中、今来た巨人が横を追い抜きざまに声をかけてくる。
「あんた、変わったもんに乗ってるだべな」
「ああ、可愛いだろ」
「見たことねえべが、世の中には変わったのりもんが有るだべなあ」
改めて見るとこの巨人は身長三メートル程で、むっちり系の体格に可愛い顔が乗っている。
訛りまで含めて、モアノアを巨大化したイメージだな。
こんな巨人までこの世界にはいたのか。
まあ、魔物からスクミズまで居るんだ、なんだって居るさ。
「そんだ、これおらの村でとれたリンゴだよ、良かったら食べてくんろ」
と懐から大きな包を出す。
どうやらリンゴがくるんであるらしい。
「いいのかい?」
「んだ、おらの弁当だども、どうせ余るだよ。味はいいだで、保証するだ」
「じゃあ、ありがたく……」
と手を伸ばして受け取ろうとした瞬間、巨人の娘の体が金色に光りだした。
「な、なんだべ? こりゃあ、いったいどうしちまっただ!?」
怪我の功名でもなかろうが、なんか久しぶりに来たな。
相性が良ければ光るという例のアレ。
まさかの巨女従者の誕生なのか。
「おめでとうございます。貴方も我が主人と相性バッチリのようですね!」
隣で俺の治療をしていたレーンが全力で祝いの言葉を述べる。
「あ、相性だべか?」
「そうです! 我が主人、ニホンの紳士ことクリュウの従者となる気はありますか?」
「し、紳士様!? あんた紳士様だったべか。み、見た感じじゃわからなんだべよ」
「おっと、今は黒の精霊石が邪魔をしていました。撫子さん、少し離れてくれますか?」
とレーンが撫子に話しかけると、
「うー」
といって俺の手を掴んだまま離れようとしない。
たぶん、俺を心配してるんだろう。
「撫子、ちょっとアンのところに行って氷をもらってきてくれ」
「こおりー?」
「そうだ、そういえばわかる。頼んだぞ」
「いくー」
と撫子はテケテケと馬車に向けて走りだした。
撫子が離れると同時に、巨人の女にも、俺が紳士だとわかったようだ。
「んはっ、ほんとだべ、この神々しい気配は紳士様に違いねえべ、その紳士様がおらを従者にもらってくれるちゅーだべか?」
「君にその気があればね」
「お、おらなんかにはもったいねー話だども……」
「うん?」
「じ、従者ってことは、ずっとお供するだべ?」
「そうだな。うちの家族になるってことだ」
「おら、今は村を離れられねえだ。もうすぐ、あねさんの子が生まれるだで、おらがいねえと困るだよ」
「そりゃめでたいが、大変だな」
「んだぁ、だども……」
「うん?」
「あんたのお顔見てると、おら、おら……なんとも言えねえ気持ちになってきただ。……ああ、どうすりゃいいだべ」
どうと言われても俺も困るが、巨人の女の子なんて言う美味しい従者を逃す気はないので、脈があるなら、もうちょっとアプローチしてみよう。
「君の村は近いのか?」
「んだ、ここから一山越えたメンソ谷にあるだよ。おらの足なら二時間たらずだべ。山間の小さな村だぁ」
「お姉さんのことが片付いたら、改めてうちにくる気はあるかい?」
「そ、それでもいいだべか?」
「ああ。なんせ人生の一大事だ。無理強いはしないから、しっかり考えるといい」
「し、紳士様はどこにおすまいだ?」
「今は旅の身でね、これから、ルタ島というところに渡るんだ。たぶん、来年の春にまた戻ってくると思うが」
「ルタ島!? じゃあ試練の途中だべ? もしかして、新聞に乗ってた桃園の紳士ってのはあんただべか?」
「世間ではそう言われてるみたいだな」
「んまー、おら読んだだよ。飛首退治の話、えれぇかっこ良かっただぁ」
俺も読んだけど、ずいぶん脚色されてたな。
恥ずかしくて読むのが辛かったが、レーンなどは喜んでいた。
「そげな有名な紳士様がおらをもらってくれるだか? おら、オムルなのに戦うのは苦手だし、うすのろだべ。足引っ張るだよ」
「そんなことはないさ。ここだけの話、俺も結構頼りない方でね、みんなが助けてくれるからどうにかやっていけてるんだ」
「そったらこと……」
「今もぎっくり腰でひっくり返って歩くこともままならない始末だからな」
「ぎっくり腰! いたいべ? あのつえぇおとうも、そうやってひっくり返ってただよ。大丈夫だべか?」
「まあ、どうにかね」
そこに撫子が氷を持ってやってくる。
どうやら氷が切れていたので、オーレが作っていたみたいだ。
他の連中も、ぞろぞろとやってくる。
皆も突然の巨人の出現に驚いていたが、俺がナンパ中だと知ると黙って見守ることにしたようだ。
見られてると、照れるんだけどな。
「こーりー、こーりー」
走ってきた撫子から氷を受け取ると、レーンが冷やしてくれる。
本当は家馬車の中に入って休みたいが、巨人が気になるのでここで粘るぜ。
「さあ、じっとしてください」
と言ってレーンが腰に氷を押し当てる。
冷たいが、痛みが引くのがわかる。
炎症は冷やすに限るよな。
一時期手首が腱鞘炎にかかったことがあるが、医者にとにかく冷やせと言われて毎日冷やしてたのを思い出した。
あの頃はよく、あんなになるまで頑張ってたなあ。
それで何か得るものがあったのか考えると虚しくなるが、まあいいや。
努力に対価を求めると、ろくな事にならんからな。
とにかく、冷やすことで割と楽になってきた。
そうなると頭の方もしっかりしてくる。
改めて巨人の娘を見る。
サイズがでかい以外、あまり人とは変わらないようだな。
体がでかいので胸もでかいんだけど、むっちり系なので更にでかい。
ここまででかいと、おっぱいの枠を越えた無限の可能性を感じるな。
それはさておき、姉の出産か。
花子の出産もそうだったが、大変だもんな。
そもそもすぐ歩き出せる馬なんかと違って、生き物として未成熟な状態で生まれてくる人間の出産ならなおさらだ。
巨人がどうかは知らないけど。
出産前の女性は情緒も不安定になるというし、妹の手助けもいるんだろう。
そういう状況で無理強いはできないので、それが落ち着くまでは待つ方向かな。
「それで、お姉さんの出産予定日はいつだい?」
「年末の予定だぁ」
「そうか、と言っても生まれたからすぐにOKとは行かんよな。赤子が生まれれば人手もかかるだろ」
「そうだべ。産後の肥立ちがよくても、首がすわるぐれえまではかかるだな」
首がすわるってよく聞くけど、具体的にどういう状態なんだろう。
っていうか、どれぐらいかかるんだろう。
「人間だと三、四ヶ月は最低かかりますが、オムル族の赤子はどれぐらいかかるのでしょう?」
俺が悩んでいると、レーンが代わりに尋ねてくれる。
「んだ、同じぐれえだよ」
「では、調度よいではありませんか。試練を終えれば我々は再びアルサの街に戻ってきます。その時に改めてご決断されては?」
「んだぁ、お坊さんがそげに仰ってくれるなら、おらも安心だぁ」
お坊さんってレーンのことか。
まあ僧侶だからお坊さんで間違ってないのかもしれないが。
尼さんとは言わないんだな。
「よし、じゃあ決まりだ。そういえば、まだ名前を聞いてなかったな」
「おら、メルビエっていうだよ」
「メルビエか、俺達は二、三日中には島に渡る予定だ。それまではアルサの街にいると思う」
「んだら、明日にでも改めて挨拶に伺うだ。今日は今からアルサの街に荷物を卸しに行くだよ」
と背中に担いだ背負子を指さす。
「そうか、じゃあそこまで一緒に行こう」
「んだ」
そんなわけで、従者候補の巨人メルビエと共に、俺達は再び出発した。
最初はちょっと不安定だったが、慣れるとクロにのっかるのも悪くないな。
本体部分をあまり揺すらずに進むので、負担が少ない。
「ねえねえ、巨人って強いんでしょ? メルビエもつよい?」
「おらぁ、駄目だなあ、狩りも苦手で、いっつもおとうに怒られてただよ」
「へー、そうなんだ。でも、苦手なことも有るよね」
「んだなあ、おらは力仕事は得意だぁよ」
早速仲良くなったフルンは、彼女の肩にまたがってメルビエと話している。
小柄なフルンだと、彼女の右肩にすっぽりおさまってしまう。
うーん、でかい。
峠を抜けると、海の見える丘に出る。
もちろん、目指すアルサの街も見えた。
海の彼方に目をやるが、ルタ島というのはわからなかった。
デュースなら知っているだろうが、彼女の荷馬車は少し前を行っている。
丘を下る道を進むと、ふたたび木に隠れて街が見えなくなった。
「あー、うーみー」
俺の隣を歩いていた撫子が残念がる。
海が好きみたいだなあ。
しばらく道を進むと、道なりの広い道と、細い小道に分かれていた。
「こっちのほうが街にはだいぶ近いだよ。馬車は通れねえだども」
「そうか、近いのか」
正直、クロに揺られて座っているのがちょっとしんどくなってきた。
というか座ってる姿勢がしんどい。
家馬車で寝てればいいんだろうけど、巨人のメルビエともう少し話もしたいし。
というわけで、馬車組にはそのまま進んでもらって、俺とメルビエ、その他数名は小道で近道することにする。
木々がほんのり色づいた小道は、鳥のさえずりが聞こえる気持ちのいい道だった。
こうやってのんびり風を感じながら進むと痛みも和らいで穏やかな気持になるな。
平和なもんだ。
だが、近道というだけあって、すぐにまた街道に出る。
「ここで待ってるといいだよ」
メルビエの言葉に従いのんびり待っていると、向こうから馬に乗ったご婦人が一人、優雅に進んでくる。
「あんりま、あれは領主のおぜう様だべ」
「おぜ……お嬢様?」
「んだ、おらたちの村の領主様の娘だ。すまねえけんど、ちょいと道を譲ってもいいだべかな、んぁ、でも紳士様と領主様ってどっちが偉いんだべ?」
「はは、気にしなくていいさ。道を譲ろう」
と脇にそれる。
「おや、メルビエではありませんか。連れのものは見ない顔ですが」
見るからにお上品な娘さんが、お上品な口調で話しかける。
「こ、こんのお人は……その…えっと」
としどろもどろになる。
まあ、平民が貴族を相手にするとこうなるっぽい。
俺は格別フレンドリーだからな。
「そちらの御仁は怪我をなされているのでは?」
俺を見てそういう。
「いや、ちょっと腰をやってしまいまして」
「それはいけません。街にピッケレンという医者がおります。彼にかかればよいでしょう」
「それはご丁寧に」
「いいえ、お気になさらず……ん、それは?」
彼女は俺が座っていたクロに目を留める。
「そ、それはガーディアンではありませんか。なぜ、ガーディアンがそのように人を運ぶのです!」
「いやあ、こいつはどうにも懐いていまして、こうしていうことを聞いてくれるのです」
「なんと、そのようなことが有るのですね。初めて知りました」
そう言って彼女は感心して微笑む。
「実に良い物を見せていただきました。見たところお困りの様子です。些少ですが、これは治療の費えにしてください」
懐から小さな袋を取り出す。
要するに金だ。
そういえば、さっき水浴びしたあと着替えがなくてボロっちいシャツに着替えてたんだった。
しかもぎっくり腰でひっくり返ってたから埃もかぶってるし。
たしかにみすぼらしい。
それはそれとして、受け取って良いものか逡巡していると、今度は別の何かがやってきた。
みると全部、若い娘だ。
今度はなにごとだ?
「クリュウさまー!」
「紳士様ー!」
「桃園の紳士さまー!」
何やら俺の名を叫びながら俺達の横を駆けていく。
なんか俺、変なことしたっけ?
駆け抜けていく娘たちを呆然と眺めていると、そのうちの一人が俺を見て立ち止まる。
「あら、あなた……もしかして……」
と言いかけるが、すぐに連れの娘が、
「どこ見てんのよ、そんなボロ来た紳士がいるわけ無いでしょ!」
「でも……」
「後光もさしてないじゃない! 貴方紳士様みたことないの? この間港で見たでしょ!」
「う、うん……けど……」
「ほら、行くわよ。二頭引きのおっきな馬車だって。山手の領主様の屋敷から向かってるって確かな情報なんだから。女に甘いって言うから、紳士の中じゃ一番狙い目よ!」
「あ、まって、まってってばー。あの、これご喜捨です、お困りの様子なので……」
その娘は俺にコインをつかませると、そのまま駆けて行った。
だいたい分かった。
俺の追っかけか。
いつの間にか、俺もモテモテになったんだなあ。
先のフライングヘッドの騒ぎは、わりといい感じに新聞に乗ってからなあ。
「まったく、街の娘たちときたら……あんな男のどこがよいのでしょう」
お上品なお嬢さんが毒づく。
「あら、ごめんなさい。ご存じないかしら、桃園の紳士という女たらしの紳士を」
「はあ」
「紳士でありながら種族も問わず見境なしに次々と……そのようなふしだらな者が栄誉ある紳士の名を語るなどと、許せません!」
「す、すいません」
なんか知らんが、嫌われてるようだ。
有名税ってやつだろうか?
ばれないようにしないと。
「ふふ、あなたを責めているのではありませんよ。ガーディアンを懐かせるような懐の深さを持つ者こそが、本当の主人というものです」
ガーディアンなら懐が深くて他の種族だとダメなんだろうか、などと考えていたら、彼女は金の包を隣にいたレーンに手渡し、馬に飛び乗った。
よどみない所作が実に優雅だ。
見とれていると、ふと彼女の髪飾りが目につく。
気品のある装いからはちょっと浮いた、可愛らしいチェリーの髪飾りだ。
そのギャップがまた、彼女の魅力を引き立てているように見える。
でも、紳士クリュウはなぜか嫌われてるらしい。
「では、私はこれで」
「あ、せめてお名前だけでも」
思わず声をかけると、
「レイルーミアス家のフューエル、この先にある領主の一子です」
「フューエル!? って、デュースの言ってた?」
「デュース! なぜその名を……」
あ、やばい。
驚いて口走っちゃった。
メルビエの言う領主って、リンツ卿の事だったのか。
あそこには巨人なんていなかったからてっきり別だと思ってたけど、考えてみりゃあのへん全部そうなのかも。
「あなたまさか……」
諦めて名乗ろうとしたところに、荷馬車を駆るデュースがやってきた。
ああ、タイミング悪いなあ。
「ご主人様ー、お待たせしましたよー」
と馬車を寄せてくるデュース。
「お、おう」
「おやー、そちらはー?」
目の前のお嬢さんを見初めたデュースが声をかけると、
「おばさま!」
「へ?」
とデュース。
「おばさまですねっ!」
「フューエル、フューエルじゃありませんかー!」
馬を降りて駆け寄る娘。
「おばさまー!」
ごんっ!
そこにデュースの杖が炸裂した。
「あいたっ、な、なにを……」
「だれがおばさまですかー、おねえさまなり、名前なりで呼びなさいー」
「あたた、以前はおばさまと呼んでいたのに」
「あなたもこんなに立派な娘に育ったではありませんかー。私より背も高くなってー。さあ、あらためて抱きしめさせてくださいよー。可愛い弟子のフューエル」
「デュース!」
そう言って熱い抱擁をかわす二人。
このまま、フューエルさんは俺への機嫌も直してくれるといいんだけど。
「では、この方が……そのデュースの主人、なのですか?」
「そうですよー」
「し、しかし、どう見ても紳士には……」
「あー、それはですねー」
隣にいた撫子を抱き上げて一歩下がる。
「これでお分かりでしょー」
「あ……たしかに」
「この娘が黒の精霊石を身につけているのでー」
「う、そ、それは……その、とんだ失礼を」
彼女もバツが悪いのか、言葉がつまる。
まあ、俺は気にしないけど、気まずいのはお互い様だ。
「と、とにかく、立ち話もなんですし、紳士様は腰を患っているとか。ひとまず街の別宅にでも……」
とのフューエルの言葉で、俺達は彼女の家に招待された。
昨日の屋敷に比べれば、こじんまりとしているが、それでも立派なものだ。
街外れの小高い丘に、立派な屋敷が並ぶ一角にある。
ようするに高級住宅街なんだろう。
馬車を中庭に入れて、俺達は客間に通された。
そこで、フューエルが呼んでくれた医者に治療を受ける。
呪文と投薬で腰はかなり楽になった。
二、三日安静にしていれば治るという。
くれぐれも力仕事などしないようにと念を押して、医者は帰っていった。
「ふう、一時はどうなることかと思ったぜ」
「旦那もちょっと腰を使い過ぎなんじゃないかい?」
とエレン。
「最近は慎ましくやってると思うけどな」
「とか言いつつ、あんな大物にまで手を出してるじゃないか。あのサイズでどうやってご奉仕してもらうつもりなのさ?」
「しらん! しらんが、なんというかまあ、ロマンが有るじゃないか」
「旦那のロマンはわかりづらいねえ」
とまあ、いつもの軽口がたたけるところまでは回復しているようだ。
ネタにされた当の巨人のメルビエとは、屋敷の前で別れた。
「また、明日も街に来るだで、その…顔出してもいいだか?」
「待ってるよ、少なくとも明日出発したりはしないから」
「んだぁ、んなら、おだいじになぁ」
彼女は毎日、街に物を売りに来ているらしい。
明日はもっと積極的にアピールしてみようかな。
「メンソ谷に住むオムルは比較的温和で、人間ともうまく折り合いをつけて暮らしています。父がここに来る前はそれでも多少のいざこざはあったようですが……」
夕食の席で、フューエルが話す。
ただしフューエルが話しかけているのはデュースであって俺ではない。
さり気なく無視する感じだ。
学校でもいたよな、そういう女子。
「それは珍しいですねー」
「ええ、特に彼女、メルビエは人懐っこく、よく人里にも顔を出していました。最近では街の業者に山でとれた季節のものを卸しているようです」
「そりゃあええですな、商売を通したコミニュケーションは相互理解の近道ですわ」
とメイフル。
「そうなのです、父の働きかけで取引を始めたようですが、彼女をはじめ、巨人が直接街に顔を出すことで、今では巨人にも慣れてきたようです。山向こうと違い、この辺りではやはり珍しいものですから」
「そうですねー、慣れは大事ですからねー」
「ところで、彼女は先ほど何をしていたのです?」
「それはまあ、うちの主人の事ですからー」
「ま、まさか彼女にまで手を出そうと!?」
「人聞きの悪い事を言わないでくださいよー、彼女もまた、相性が良かったのですよー。あとは本人の意志次第ですねー」
「し、しかし……巨人を従える紳士など聞いたことがありません! 確かに彼女はとても良い娘ですが、それとこれとは話が……」
「そういう常識を超越したところが、うちの主人の魅力なんですよー」
「デュース、まさか惚気けているのではないでしょうね?」
「あらー、貴方もそれがわかるぐらいには大人になったんですねー」
「むぐぐ、し、しかし私も領民の幸福を守る義務が……」
「きっと彼女も幸せになれますねー、うちの皆がそうであるようにー」
「うぐぐ、確かに、よそのお家の有り様に口を出すのは不躾だとは思いますが」
「そんなつれないことを言わないでくださいよー、かわいい弟子のフューエル」
「ならば弟子の心配も少しは聞き届けていただきたいものです!」
「そうですねー、でも、貴方にこそ私は、祝福してもらいたいのですよー」
「そ……それは……」
フューエルは明らかに言い過ぎたことを後悔している顔をしていたが、はて、こういう時元凶の俺としては、黙ってスープでもすすっておくべきだよな。
そこに、女中が一人、メモを持って入ってきた。
フューエルはそれを一瞥すると、席を立つ。
「食事中に申し訳ありません、少々席を外しますので、みなさんはそのままお寛ぎください」
と言って出て行った。
「相性が合わないというのは、不便なものですね」
隣に座っていたアンがつぶやく。
「なに、趣味が合わなかろうが、ポリシーが異なろうが、友達にはなれるもんだ。単に喧嘩する回数が多いだけだよ」
「そんなものでしょうか」
「ああ、そんなもんだ」
デュースは出て行った彼女のあとを目で追っていたが、目線を戻すと、少しため息をつく。
「孫に嫌われたばあさんみたいなため息をついてるぞ、デュース」
「嫌な喩えをしないでくださいよー」
「すまんすまん、だが、彼女はよほどお前のことが好きだったんだな」
というよりも、師として崇拝していたのだろう。
「そうですねー、とても懐いてくれてましたからー」
「俺みたいなナンパな主人の従者ってのは、デュースにとっては役不足かね」
「私もいろんな人とー、それこそ歴史に名を残す勇者と呼ばれるような人とも旅をしてきましたがー、ご主人様がいちばんですねー」
「よせよ、照れるじゃ無いか」
「私も言ってて恥ずかしいですけどねー」
「そこを我慢して、彼女に言ってやらんと。そういうのは言わないとわからんもんだぞ」
「そうですねー」
わかってもらうことを期待するような人間関係は、信頼ではなくただの依存だからな。
大抵、ろくでもない形で喧嘩になっちまうんだよな。
その日、リンツ卿の娘のフューエルは帰ってこなかった。
なにか領地で問題が起きたらしく、父の代わりに出向いたらしい。
俺達は用意された部屋で夜を明かしたのだった。
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