第107話 ふわふわ

 翌日。

 謎の遺跡に別れを告げて出発した。


 雨上がりのぬかるんだ林を抜けて、再び街道に戻る。

 山越えの頃と比べると、やはり街道は人通りが多いな。

 のんびりすすむ俺達の横を馬車が何台も追い抜いていく。


 順調に夕方まで進むと、大きなキャンプ場についた。

 売店やトイレの他に、警吏の詰め所のようなものまである。

 高速のパーキングか、道の駅ってところだな。

 便利なものだ。


「この辺りは陸路で内陸に大量に商品を運ぶのでー、こうした場所がいくつも用意されてるんですよー」


 とデュース。

 周りを見ると、商人の方が多いようだ。

 何十台も馬車が並んでいるのは、なかなかに壮観だな。


 焚き火を起こして腰を下ろすと、何やら大きな掛け声が響いてきた。


「ねえねえ、なんかきたよ」


 とモアノアを手伝っていたフルンが飛び出してくる。


「おう、なんか景気いいな」

「見に行こう!」


 手を惹かれて街道まで出ると、何やら俺達の進行方向から団体様がやってきた。


「ぅえっさほい、ぅよっさほい、ほーれほれ、ほい!」


 なんだありゃ。


「ぅえっさほい、ぅよっさほい、ほーれほれ、ほい!」


 褌一丁のむくつけき男たちが団体で歩いてきた。


「うわー、筋肉がいっぱいきたー」

「すげーな、なんの祭だ?」

「なんか引っ張ってるよ」


 見ると太い荒縄で台車を引いている。

 台車の上には立派な丸太が何本も積まれている。

 重そうだな。

 街道のがっちりした地面がきしんで見える。

 男臭い掛け声を響かせながら、材木は俺達の前を通り過ぎて行く。


「あれは材木勧進ですね。正面の巫女が札を掲げていましたよ」


 と僧侶のレーン。


「材木勧進? 勧進って神様に納めるのか」

「そうです。エメレトール神殿と書いてありました。ここから北に二日ほど行ったところにある小さな神殿ですね。立て直しでしょうか」

「あれってやっぱり、それ用の木があるのか?」

「そうですね。エツレヤアンのネアル神殿でも、ズドウ山に神殿を作るための木を育てています」

「ほほう、あの山か」


 アフリエールの祖母の頼みで登った山だが、あれももう、ずいぶんと前になるな。


「彼らの道程に女神の祝福のあらんことを」


 レーンが手を合わせて小さく祈りを捧げる。

 たまに僧侶っぽいな。

 ほーれほれと掛け声をかけながら去っていく行列を見送ると、腹が減ってきた。

 キャンプに戻ると、かまどを作って火をおこしたところだった。

 まだ、掛かりそうだな。


 夕食の支度を進める間、デュースが新人従者のオーレに魔法の手ほどきをするというので、見学することにした。

 オーレは魔法が使えるものの、呪文を全く知らないという。

 そこでデュースがレクチャーするという話だったはずだが、例のフライングヘッドの騒ぎで、あの時は結局なにも教えられなかったらしい。


 二人は小さいテーブルを挟んで向かい合わせに座る。

 精霊石でできた燭台のようなものがテーブルの四隅に置かれている。

 そして中央には空っぽの鉄の皿が置かれていた。

 緊張した面持ちのオーレの手を取り、デュースが優しく言い聞かせる。


「さあー、まずは目を閉じてー、ゆっくり深呼吸してくださいねー」

「わかった、すーはー、すーはー」

「いいですねー、そのまま心を落ち着かせてー」

「うん、だいじょうぶだ」

「普段、水を凍らせるときは、どんな気持ちになりますかー」

「気持ち? 冷たい……気持ちいい……気持ちだ」

「そうですかー、冷たいのは心地いいですねー。心をその時の気持ちにしてくださいねー」

「きもちいい……きもちいい……なった」

「いいですよー、お腹のー、みぞおちの辺りに精霊力がたまっているのを感じますかー?」

「……わからない」

「ゆっくりとー、意識をおへその上辺りに集中してくださいー」

「集中……集中……、あ、なにか……冷たい感じだ」


 実際に周りの空気はここだけ冷えてきている。

 オーレを中心に、熱が吸われている感じだ。


「そうですよー、それをじっくり意識してくださいー、そして、だんだん、周りのことを忘れてくださいねー」

「集中……集中……、冷たい……凍る……体が……」

「さあー、深呼吸してー」

「すーはー、すーはー、なんだか、お腹の氷が大きくなる」


 いつの間にか中央の皿の上に、小さな氷の塊が浮いていた。

 それが徐々に大きく膨らんでいく。


「そうですねー、集中してー、集中ですよー」

「集中……集中……」

「さあ、ゆっくりとー目を開いてー」

「うん……あっ」


 今やオーレの目の前にはサッカーボールほどの氷の塊が出来上がっていた。


「心を乱してはいけませんよー」

「氷ができてる……」

「そうですよー、これがあなたの作った氷ですー、立派ですねー」

「水もないのに大きい」

「そうですねー、今のあなたの魔力ではー、何もなしにこれぐらいの氷が作れるということですー」

「すごい、いままで小石ぐらいのしか作れなかった」

「それはー、作り方を知らなかったからですよー」

「デュースすごい、先生だ、オーレ、もっと知りたい」

「これから、一つずつ教えていきますからー、しっかり覚えてくださいねー」

「頑張る」

「頑張りましょー」


 今日のレッスンはそこまでだった。

 なんだかよくわからんがすごいな。

 すごいが、やはり魔法はわけがわからん。


 食事の後に、デュースを捕まえてさっきのことを聞く。


「オーレはどうなんだ?」

「うーん、難しいですねー」

「あまり良くないのか?」

「いえー、わからないんですよー」

「わからないとは?」

「彼女から感じる精霊力とー、実際に発揮する魔法の力にー、かなり隔たりがあるんですよー」

「隔たり?」

「直接彼女から感じる精霊力はー、せいぜいペイルーンと同じ程度でー、あれだと良くて爪の先程度の氷しか作れないはずなんですがー、先ほど彼女は呪文もなしにあのような大きな氷を作りましたー。あれだけの力が出せるはずは無いんですがー」

「ほう」

「炎より氷のほうが魔力の消費が大きいのでー、エンテルは桶いっぱいの氷を作るのに一時間はかけていますが、あれだけできる人は実はそうそういないのですよー」

「そうなのか、本人は自分の魔法は頼りないようなことを言っていたが」

「それはまあ、彼女はあの若さでアカデミアの教授にまで上り詰めた人ですからー、そういう基準で見ればそうなるかもしれませんがー、あれだけの氷魔法が使えればー、それだけで一家族が十分食っていけるようなー、そういうレベルの技能では有りますねー」

「そうなのか、うちはみんな優秀だからなあ」

「そう言ってもらえると、従者冥利に尽きますねー」


 そういってデュースはにっこり笑う。


「話を戻しますがー、そもそも空をとぶ魔法は非常に膨大な魔力を使いますのでー、本来なら彼女が飛べるはずないんですよねー。しかも呪文に寄る力のコントロールもなしにー」

「ほう。ところで魔力と精霊力って何か違うのか?」

「一緒ですよー。魔法を使うために使う精霊力を特に魔力と呼んだりするだけですー」


 そうだったのか。

 まぎらわしいな。


「とにかくー、呪文も知らないのに風呂桶いっぱいの水を一瞬で凍らせたと聞いた時からー、ちょっと疑問に思ってたんですけどー、うーん、彼女の正体が関係しているのでしょうかー」


 オーレは、ダークホロアとか言ういわくつきのホロアらしいからな。


「そんなに違いが出るものなのか?」

「わかりませんー。なんせただの伝説ですからー」


 そういえばデュースもアンもダークホロアという単語はあれ以来口にしていないな。

 やはりはばかられるものなのか、漏れることを気にしているのか。

 わからないものだからこそ、慎重になるのかもな。

 俺も気をつけよう。


「あるいはー、これも伝説のような話ですけどー、覚醒した魔導師は僅かな力で大きな魔法を引き起こせると言いますねー」

「覚醒! かっこいいな!」

「そうですねー。普通の人は信じてませんけどー、私の師匠が実際にほとんど精霊力を使わずに強力な魔法を使っていたのを見ていますのでー」

「ほう、デュースの師匠か。どんな人なんだ?」

「もう昔のこと過ぎて名前も思い出せないんですがー、美しくて強い人でしたねー。今思えば、あの人は賢者だったんですねー」

「賢者! すげーかっこいいな!」

「そうですねー、魔法を嗜むもののあこがれですねー」

「で、賢者ってどんなんだ?」

「賢者とはー、世間では精霊魔法と神聖魔法の両方を使う人だと思われてますがー、実際にはこの世の真理を解明してー、世界の理の外へと解脱した人のことを言いますねー」

「解脱か、でも、そうなるとこの世界には賢者っていないんじゃ」

「さすがはご主人様ー、理解が早いですねー。普通の人にはそこが理解できないんですがー」

「俺の世界にはそういう教えの宗教があるからな」

「なるほどー、異世界でも真理は収束していくものなんですねー」

「そうかもな」

「とにかくー、私の師匠の場合は最初からそうだったのかー、途中で真理に至ったのかはわかりませんけどー、最終的にこの世界から旅だったような気がしますー」

「はっきりしないのか」

「しませんねー。どうも最後の方の記憶が曖昧でー。大切な記憶なのにー、ままならないものですねー」

「そうだな。俺も祖母のことはあんまり思い出せないんだよな。両親は小さい頃に死んじまったから仕方ないにしてもなあ。しょうもないガキのイタズラみたいなことは覚えてるのに」

「あはは、そうですねー。そういえば私も師匠と住んでいた小屋をまるこげにして叱られましたねー」

「昔からわりとしでかしてるんだな」

「今でもしでかしてるようなことを言わないでくださいよー」

「そういうしでかしはないけど、ここ一番で大事なことを忘れてたりするよな」

「そうでしたっけー? 忘れましたー」

「そういうとぼけ方は、年寄りっぽいぞ」

「うぐぐ、気をつけましょー」


 その後、だらだらと話がずれて、ただの雑談になってしまった。


 しかし覚醒か。

 デュースはおそらく世界トップクラスの魔導師なんだろうけど、そんな彼女でも覚醒とやらはできていないらしい。

 そもそも、師匠の曖昧な記憶を除けば、覚醒した魔導師にあったこともないという。

 ただの言い伝えのような存在らしい。

 もし、オーレがそうだとすると、技術とは別の先天的な能力だったりするのかな。

 旅もそろそろ終わりだというのに謎が増える一方だな。


 それにしても、今夜はやけに冷え込むな。

 ここ数日、一気に朝晩は寒くなってきたが、今夜は特にひどい。

 体が暑さに慣れてるせいも有るんだろうな。

 こういう時は風邪をひきやすい。

 アンとエンテルがしまっておいた予備の毛布を引っ張り出してきた。

 それを子どもたちに手渡しながら、暖かくして寝るようにと言い聞かせる。

 俺の方は天然のアンカを入れるとしよう。


「アンカとはなんですの?」


 俺と一緒に毛布にくるまってむっちりと肌を合わせている大工のカプルが尋ねてくる。


「こっちにはないのかな。石炭とか木炭の粉を固めたものに火をつけて金属とかの箱に入れてな、温まる道具だ」

「石炭というのは存じませんけど、木炭というと、たしか木材を蒸し焼きにして炭にした燃料でしたわね」

「お、こっちにも木炭はあるのか。俺の世界じゃ一昔前まで燃料の主流だったんだけどな」

「ありますよー、精霊石の取れないー、はるか北の方ではよく使ってますねー。雪深い森のなかに炭焼き窯がずらりと並んでましたねー」


 同じくねっとりを肌をすり寄せるデュース。


「あー、たしかに精霊石があればそっち使うわな」

「そうですねー、これがない国は、色々不便でしたねー」

「だろうな」


 まあ、俺は人間アンカがあるから平気だけど。

 むにむに。


「ほかにも陶器のこんぐらいの入れ物にお湯を入れて暖を取るタイプのアンカもあるな」

「あん……、暖房用途でしたら、カイロがありますわ。小さな金属のカプセルに火の精霊石を入れてゆるやかに発熱させますの」

「おお、カイロか。そりゃいいな。冬場に探索するときには一人一個ぐらい持ちたいところだな」

「お持ちでなければ、用意しますわ」

「いいですねー、ルタ島は冬場は雪も降るようですしー、冬の間も通して試練に挑むなら必要でしょうねー」


 というデュースにカプルが、


「でも、カイロではせいぜい指先しか温まりませんから、きちんと毛皮などを用意すべきですわ」


 そういう時はあれだよな。


「カイロはな、首の後とか腰とか、大きな血管の通るところを温めると、血の温度が上がって全身が温まるっていうな。冷やす場合もそうらしいけど、どんなもんだろう」

「まあ、そうなんですの」

「へー、そういえばー、夏場は濡れたタオルで首筋を冷やせと昔から言いますねー。そういう理由だったんですかー」


 などとマシュマロのようにふわふわな、二つのむっちりアンカに挟まれながら、あたたまる。

 いいなあ、これ。

 あったかいと、眠くなるなあ、夜はこれからなのに……。




 朦朧とする意識が晴れてくると、目の前はいつもの白いもや。

 どこかから、二人の女声の声が聞こえる。


「やれやれ、片手落ちじゃのう」

「しょうが無いじゃない、まさかあんなことになってるなんて」

「お主も見ておったであろうに」

「見てたわよ、ずっと。見てるだけ。何もわからないわ。他にどうしろっていうのよ。エネアルだってそうじゃない」

「そうじゃな。わしもまた、見るだけしかできぬ」

「はー、つらい」

「辛いということは、自我が覚醒しておるということじゃ。自己を認識すれば状態が変わり、非可逆な変化を生む。それはつまり、お主の中に新たな軸ができつつ有るということじゃ。ほれ、我らの主が来ておるぞ」

「あ、ほんとだ。こっちこっち」


 どこからか、招く声がする。

 声はすれども姿は見えぬ。


「こちらです、マスター」


 いつの間にか隣にいた紅が、俺の手を引く。


「きたきた、どう、みんな無事だった?」

「おかげさまでな」

「ま、私にかかればあんな火の玉の一つや二つ、チョチョイのチョイよね」

「たいしたもんだ」

「それよりもほーんと参っちゃうわね、まさか私の体が無いだなんて。ちょっとご主人ちゃん、地球行って取ってきてよ」

「気軽に言うなあ。そもそも地球のどこに有るんだよ」

「えーと、どこに埋めたっけ? あのガス惑星に沈めといたはずだけど」

「ガス惑星? なんだそれ」

「木星のことでは?」


 と紅。


「おお、木星かー、って地球じゃねえじゃん」

「すぐ側じゃない。近接時なら光速で三十分ぐらいでしょ? ショートゲート作ってもいいし」


 という声に紅が答える。


「地球には光速航行技術も無ければゲートもありません」

「え、ないの? ネアルの予言だと地球ってそろそろゲート・ステージに到達してるんじゃ?」

「ベヘラ枝は観測可能な範囲で六つに分岐しています。その際のコストが物質化の閾値を上げる結果となっています」

「なんでそんなことになってるのよ! ご主人ちゃんだって見てたでしょ? 1999年に空から宇宙人がやってくるっての、ネアルの予言が漏れてたやつ」

「それは恐怖の大王じゃないのか?」

「そだっけ? じゃあどうするのよ!」


 見えない声が俺を問い詰める。


「俺に言われても、なにがなにやら」

「そうだ、紅。あんたのウェルビネで」

「あれは四足に壊されました」

「むかーっ、だいたい何よ、よく見たらあんたの体、舟憑きどもの素体の孫コピーじゃない。なんで平気でそんなの使ってるのよ!」

「マスターに気に入ってもらえているので、問題ありません」

「うぐぐ、聞くんじゃなかった」

「いずれにせよ、現在、地球への経路は塞がれています。我々には不可能でしょう。軌道上のメインゲートか、あるいはインフォミナルプレーンまでライズする必要があります」

「うぐぐぐぐ、折角、旅の最後にばーんと真打ち登場って感じで現れて、ビシバシ試練を乗り越えて大活躍しようと思ってたのに!」

「お主、まさかあのまま受肉するつもりではなかろうな」


 呆れた口調でつっこむハスキーボイス。


「そうよ、決まってるじゃない」

「バカモノ、あのような力のまま現れれば、国が消し飛ぶわ」

「えー、いいじゃない、それぐらい」

「たわけめ。体がのうて、ちょうど良かったわい。これもネアルの思し召しじゃな」

「ぶーぶー」

「呆れたやつじゃ。もっとも、それじゃから、最後までウェルビネが残ったのかもしれぬがな」


 俺のよくわからない話はそのへんで終わって、あとはなにか雑談を交わした気がする。

 いや、これから交わすのか。

 これからってなんだ?


「あら、ご主人ちゃんも徐々に因果関係を超越したものの見方ができるようになってきたじゃない」

「ほんとうに***はわけのわからないことを言うな」

「え、今名前言った? 言ったわよね!?」

「うん? 俺なんか言ったか?」

「あーもう、検閲されてるじゃない、ご主人ちゃんのオタンコナス」

「マスターはまだ、そこに至ってはいません」


 紅がよくわからないフォローをしてくれる。

 しかし、紅は地球のことを知ってるのか。


「はい。ここではファーツリーへのリンクが保たれていますので」

「ファーツリー?」

「そうです。検閲が一部解除されたようです。ファーツリーとは世界の根源たる情報の流れ、インフォミナルプレーンの層が織りなす連なりを、永遠に育ち続ける木の姿になぞらえて、そう呼びます。マスターの世界では、世界樹と呼ぶのではありませんか?」

「ゲームとか神話じゃ聞くけどなあ、そういうのがあるのか。そういや、アンに聞いた神話にも、そういうのがあったっけ」

「そうです」

「そうよー、ネアルは自ら闘神となると、次に百万の闘神を生み出した。シーサを退け、世界の楔とするためである、ってね」


 と見えない声が言う。


「なんか、俺が聞いたのと違うぞ?」

「そうだっけ? まあ、どっちでもいいじゃない。あー、それよりも私の体、どうしよう。もう、なんでもいいから用意してよ。木人形でもいいわよ?」

「私と同タイプの素体を保持しています」

「えー、なんかやだ。あんたを倒した連中の体よ?」

「厳密にはかなり違います」

「それでもよ! なんかやじゃない? シーサほどじゃないけど」

「先の竜から奪ったエネルギーは、あのまま無限回廊にトラップしてあるのじゃろう。アレでホロアを作ればよいではないか」

「そんなのつまんなーい。どうせ仮の体ならロボットとかがいいな。ほら、メイドロボだっけ。ご主人ちゃんも学生の頃、そういうのが出てくるエッチなゲームしてたじゃない」

「なんで知ってるんだよ!」

「見てたもの」

「プライバシーの侵害だ」

「主従の間にそんなものはないのよ」

「ぶーぶー」

「真似しないでよ!」

「すねた。もう起きる」

「あ、ちょっと、逃げるな! ねえってば!」




 むにむにしてるうちに寝てしまったようだ。

 喉の渇きを覚えて目を覚ます。

 ここは幌馬車の中だったか。

 薄明かりの中、手探りで枕元の水差しを探し、ぬるめの水をいっぱい飲む。

 ちょっと暑くなったな。

 両隣の人間アンカは、蒸し暑そうに肌を晒して眠っている。

 もう一眠りしてもいいが、あまり眠くない。

 なんか、すごく疲れる夢を見た気がするんだが、気のせいか。


 周りを起こさないように起き上がると、家馬車の方に移る。

 こちらは夜営組が起きているはずだ。


 下の階はちゃぶ台を挟んでアンとエンテル、ペイルーンが雑魚寝していた。

 何やら書類が散らかっているので、おそらくは、遅くまで何か相談していたのだろう。

 そっと屋根裏部屋に上がる。

 ここも階段がついたので、上がりやすくなった。


 上では二十四時間体制の紅の他に、セスとメイフルがいた。


「おや、大将。眠れまへんか?」

「ちょっとな」

「ちょうど夜食にするところでしてん。どないです?」

「いいな、けど軽めにな」


 携帯コンロにかけられた小鍋にはスープが煮立っていた。

 用意されたパンに何かの肉のパテを塗りたくって、スープと一緒に食べる。

 はー、満足した。

 満足したところで、紅の隣に移る。

 窓の前で外を見張っていた紅に話しかける。


「よう、どんな塩梅だ?」

「平穏です」

「そりゃあ、何より」

「先程……」

「うん?」

「微弱なフォス波を検知しました。マスターがおめざめになる時には、時折、発生するようです」


 フォス波というと時間方向に伝搬する波とか何とか言うあれだな。


「そうか。判子ちゃんがなんかしてるのかな?」

「どうでしょう」

「ところで、先の地下洞窟内で竜やら女神にあっただろ」

「はい」

「その時に、女神がお前の名を出してたのって、なにか心当たりはないのか?」

「ありません……と言いたいのですが、実はわかりません」

「わからない?」

「知らない、と断言するには、どうにも私の記憶は曖昧です。以前は完全に知らなかったと思われる記憶を獲得しつつあるのかもしれません」

「博士ってのに作られた時の記憶か?」

「そうかもしれませんし、違うかもしれません。先日、夢を見た時から少しずつ、自分の記憶が拡張されていくのを感じます」

「ほう」

「先日の地下施設でも、私は自然に施設にアクセスすることが出来ました。あの時まで、私はああした操作が自分に可能だということを知りませんでした」

「なるほど」

「そうした具体的な変化は他には確認できませんが……、曖昧で申し訳ありません」

「まあいいさ、そういうのは気楽にやるのが一番だと思うぞ」

「ありがとうございます」


 なんか、最近良くわからないことが増えてきたなあ。

 わからないことが多いと、なんだか自分の土台というか、常識のようなものがふわふわとたよりなく感じて不安になる。

 それを言うなら、ここに来たしょっぱなからわけがわからないことづくしだけど。

 今さら何をって話だよな。

 不安なぐらいで生きていくのに支障があるようじゃ、世の中生きていけないだろう。

 我ながら、前向きな性格でよかったぜ。

 そのまま朝までだらだらと過ごして、キャンプ場を出た。




 それからの一週間程は何事も無く過ぎた。

 途中、小さな村で珍しい料理をくったり、海で泳いでクラゲに刺されたり、のんきなもんだ。

 そして……。


「見えましたー、あれがアルサの港町ですよー」


 デュースの声に、皆が一斉に馬車から降りる。

 小高い丘から見下ろすと、きれいな半円を描いた湾の中ほどに大きな街が見える。

 その向こうにも大きな円形の湖がみえた。

 湾内には港に入りきらないような大きな舟も何艘も浮かんでいる。


「ついたの? 終わり!?」


 フルンがはしゃぐが、アンが一言、


「まだです」

「えー」

「これから、馬車を預かっていただく領主のお屋敷に向かわねばなりません」

「後でいいよー、先に街に行こうよー。あんなおっきな街だよ!」

「ダメです。お待たせしているのですから、早く行かないと」

「そっかー、じゃあしょうがないね」


 フルンは聞き分けがいいなあ。

 そんなわけで、俺達はゴールを目の前にして進路を変える。

 峠を超えて半日ほど行くと、例のリースエルの息子という領主のいる荘園に入る。


 屋敷についたのは、日が暮れる直前だった。

 途中、連絡が行っていたのか、門は開かれ執事が出迎えてくれる。


 アンとデュースを連れて、客間で主人が来るのを待つ。

 すぐに領主のリンツ卿がやってきた。


「紳士様、わざわざこのような僻地に足をお運びいただき、光栄に存じます」

「こちらこそ、無理な願いをお聞き入れ下さり、感謝の念に堪えません」

「なんの、私どもの家族がデュースに受けた恩に比べればこの程度のこと。そして大恩ある彼女を従者にしてくれた紳士様のお役に立てるのであれば、なんなりとお申し付けくださいますよう」

「リンツ、ありがとうございますよー、あなたのその気持だけで十分ですよー」


 そう言って前に出たデュースの手をとって、リンツ卿は顔をほころばせる。


「お久しぶりです、デュース。母からは聞いていましたが、こうして実際に従者となったあなたを拝見出来て、これ程嬉しいことはありません。覚えておいでですか、私がまだ少年だった頃、あなたに教えを受けたワルガキ共も今では皆要職についておりますが、顔を合わす度に皆、あなたのことを話したものです。それがまあ……」


 あとはいつもの様に積もる話となった。

 ほんとにデュースはモテモテだな。


 そのまま晩餐に招待される。

 全員で、とは行かないのでアンとデュースだけにして残りは別室で旨いものを出してもらったようだ。

 俺の方はあんまりマナーができていないので、味わって食べるとは行かなかった。

 美味そうな料理だったのに。


 食事の際に、デュースがリンツ卿に、


「そういえば、フューエルはどうしたんでしょー。会えるのを楽しみにしていたのですがー」

「それがなんというか、今朝早くに、あなたを迎えに行くといってアルサの街に出向いたのですよ」

「あらー、入れ違いだったんですねー。私達は街によらずに直接こちらに来てしまいましたからー」

「だから、何度もおとなしく待てといったのですが……、誰に似たのやら」

「あの子はリースエルに似たんですよー。彼女も小さい頃はそれはもう、とんでもないおてんばで」

「らしいですな。私が物心ついた時には、すでに聖女と呼ばれる、いまの母でしたので」

「そうですねー。色々有りましたからー」


 とデュースは笑う。


「ところで、ご滞在はいつまで? 領地の種まきも終わり余裕が有ります。私共ではいつまででもご滞在いただきたいところですが、どうやら沖の風向きが代わった様子。こうなると一週間もしないうちに潮の流れがかわります。急ぎ海を渡られる方が良いかと」

「あらー、そうなんですねー。ギリギリ間に合ってよかったですよー。では明日にでも出発しましょうかー」

「帰路には必ずお立ち寄りください。至上の英雄をお迎えする栄誉に、ぜひあずかりたいですからな」

「頑張らなければいけませんねー」

「その際にはあらためて紳士様に娘も紹介いたしましょう」


 紳士の試練を終えれば、ホロアマスターの称号を得られるという。

 それはあらゆる英雄の中でも最高の栄誉だそうだ。

 その為にここまで長々と旅をしてきたんだ。

 がんばらんとなあ。


 夜は来客用のふわふわベッドが用意されてたんだけど、一つ問題が。

 従者のみんなは別に用意された控室で休むらしくて俺一人なんだよな。

 この世界にきて一年半ほど経つが、昼寝はともかく、一日たりとも一人で寝たことがなかったのでなんか寂しい。

 そうなると豪華なベッドも調度品も目に入らずに、鬱々とベッドに潜り込んだ。

 あ、すげー柔らかい。

 うぐぐ、この上で従者たちとしっぽりしたらいい塩梅だろうなあ。

 くそう、いつか成功者になってこんなベッドを買おう。

 そんなことを思ううちに、いつしか眠りに落ちていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る