第110話 機械じかけの女神(第二章 完)

 メルビエを助け出し、きた道を戻り始めた俺達。


 先頭はセスとエレン。

 中程に俺たちが固まり、そのすぐ後ろをメルビエがレーンに付き添われて進む。

 時折振り返ると、綺麗なままの方の顔でにっこり微笑んでくれるので俺も微笑み返す。

 もう、大丈夫そうだな。

 本人がああやって笑ってくれるのに、俺が悲観するわけにはいかないからなあ。

 なんにせよ、急いで戻ろう。


 大きな空洞を抜け、細い上り道に入る。

 途中、フューエルが体を寄せてきた。


「紳士様、この度のなさりようには、その……なんといいますか、父に成り代わりお礼申し上げます」

「うん?」

「……私は納得したわけではありませんが、それでも彼女はこれで幸せになれるでしょう。領民の幸せを願うのは領主の義務です、ですからお礼申し上げるまでです。あくまで、私は納得しておりませんが」

「まあいいじゃないか、俺はうわさ通りの、ただの女好きだよ」

「でしょうね……」


 そこで一旦言葉を切ってから、


「紳士様は紳士の名誉というものをどう考えていらっしゃるのです」

「どうと言われてもなあ、今する話じゃないだろう」

「いいえ、失礼ながら、やはり今、お聞きしたいのです」

「うーん、一言では言いづらいが……」


 彼女の望みそうな理想でも語ってやれば満足するかといえば、そんなことはないだろう。

 フューエルはたぶんとても知的で、直情的で、それでいてその性格を貴族というオブラートで包めるタイプの人物に見える。

 そういう相手には、繕っても仕方がない。

 ストレートに攻めるのが一番かね。


「俺は君が見たこともないような異国の地で、平民として生まれ育ったんだよ。本当に、普通のどこにでもいるサラリーマン、まあ要するに労働者だった。両親も早くに亡くしてね、去年、この国に来るまで自分が紳士だということも知らなかったし、ホロアなんて存在も初めて見たんだ」

「まさか……」

「そんなわけで、可愛い子に従者にしてくれと言われりゃ、断る理由もないし、従者にしたからには、なるべく一緒に楽しくやっていきたい、家族としてね。試練だの名誉だのってもんは、言ってみれば飯の種でしか無いのさ」


 話しながら再確認する。

 俺は家族ができて嬉しかったんだなあ。

 たぶん、その嬉しいという気持ちだけでここまで来たんだよ。

 だからきっと、これからもそれ以外はおまけなんだよな。


「しかし、それでは……デュースはあのなのですよ? それではあまりにも……」

「だからこそ、ですよー」


 と隣を歩いていたデュースが口を挟む。


「デュース!?」

「ご主人様はー、この方は街で出会った私をー、名も知らぬただの魔導師の私を二つ返事で従者にしてくれましたー。あれほどさまよい探し求めた主人を得るということがー、こんなにもあっけないものだとは想像もできませんでしたけどねー。その時わかったんですよー、力も名声も、つまるところ手段でしか無いとー。私の力はー、それなりに人の役には立ってきましたがー、私自身はただこの人の隣にいるだけで満たされるんだとー、それはもう、本当にそれだけのことなんですよー」

「そんな……こと、私にはわかりません!」

「そうですねー、ですが昔教えたでしょー、理解と納得は別物だとー。世の中の全てに納得を求めると折り合いが付けられなくなりますよー」

「でも……納得出来ないものをどうやって受け入れるのです!」

「難しいですねー、それには答えがありませんからー。その都度、決めていくしか無いのですよー」

「デュース……」

「友人や師は自分で選ぶこともできますがー、家族というのは理由もなく存在している関係なんですねー。私も最近までそのことがわからなかったのですがー」

「家族、ですか」

「そこには必然性も合理性もないのですねー、不思議なものですがー、すでにそうあるものにとっては納得に意味など無いのですよー」

「それでは私は……」


 と言いかけて、フューエルは言葉を切る。

 ふと、気がつく。

 そうか、彼女もデュースと家族になりたかったんだな。

 だからずっとデュースに俺よりいいところを見せようとムキになってたのか。

 でもその関係の先には、家族ってもんは無いんだろうなあ、と思う。

 たぶん彼女もわかってるんだろうけど。


「かつて幼いあなたの友情はー、いつも私の孤独を温めてくれましたよー。ですから今あなたが孤独を感じているのならー、それに手を差し伸べたいと思うのもー、当然なのかもしれませんねー」

「デュース?」

「どうでしょうご主人様ー。試練を終えたらフューエルを妻に迎えるというのはー」

「な、な、何を言っているのです、デュース!」


 フューエルは驚きのあまり狭い道でひっくり返る。

 俺も驚いたが、そもそもナンパするなといったのは自分じゃないのか?


「お父上もー、それを望んでいたようですしー」

「ま、まさか、父がそんな……」

「あの人は真面目ですからねー、そういう人なりにちゃんとあなたのことを考えているんですよー」

「じ、冗談ではありません! まったく、ほんとうに! デュースも父上も何を考えて!」


 顔を真赤にしつつもぷりぷり怒って列の先頭に行ってしまった。


「いいのか、アレ」

「大丈夫ですよー、脈はあると思いませんかー?」

「アレで脈ありなら、道ですれ違って目があっただけでも脈アリって言えそうだな」

「あははー、そうですねー。でも彼女なら先日のお姫様や騎士団長とも十分釣り合うと思うんですけどねー」

「釣り合うってなにが?」

「それはもちろん、伴侶としてですよー。従者ならともかくー、妻同士の間にはそれなりに釣り合った格式というものが必要でしょー。リンツ自身は小さな領主ですがー、フューエルの母親はそれなりに名門ですからー、ウェルディウス家やキッツ家ともどうにか釣り合いが取れますよー。もっともご主人様は気にしないでしょうけどー」

「妻って何人ももつものなのか?」

「庶民はともかく貴族はそうですねー」

「しかし、結婚なんてなあ」

「あらー、エンディミュウム様はともかくー、すくなくともキッツ家のお嬢様はそのおつもりだと思いますよー。コンツもご主人様ならお仕えするにふさわしい方だと言ってましたしー」


 まじか。

 あれは一夏のアバンチュールだったのでは。


「あははー、殿方は結婚の話をされると決まってそういう顔をしますねー」

「……そういう顔してた?」

「してましたねー、気をつけてくださいねー」

「そうしよう」


 なんだか妙な話になっちまったな。

 まあ、メルビエを助けだして安心したってのもあるだろうが。


 気を取り直して、俺達は洞窟をすすむ。

 出口はもうすぐだ。

 ここを出れば大急ぎで街に帰って船出だ。

 なんだか実感がわかないけど……。




 くねくねと続く道を上る。


 もうどれぐらい進んだだろうか。

 やけに長い洞窟だ。


 ……さっきは簡単に下ったはずなのに、上りはずいぶんと長い。

 単調なようで決して周期的ではないうねりが、俺の感覚を狂わせる。

 周りをすすむ連中も押し黙ったままだ。

 空気が重い。

 ひどいプレッシャーだ。

 蛇行する道を曲がる度に、何かがはらりと剥がれていくような気がする。

 なんだろう。

 なにか俺を守っている大事なものが失われていくような感覚……。

 気がつけば、周りの連中が一人、また一人消えていく。


 それでも俺は、進まねばならない。

 たった一人になっても……俺は……この闇の中を…ひと…り……。


 それでも俺は……進むべきなのか?

 一人で進んでどうする。

 戻らなければ、あいつらのいる場所に。


 慌てて振り返ったその先には闇が広がっていた。

 その中に赤く光る点が二つ……。

 あれは……。

 あの、恐ろしい光は……。


「ばかっ! いいかげん起きてくださいっ!」


 突然、頬をひっぱたかれて正気に戻る。

 なんだ、何が起こった!?


「もう、見ていられないのでまた余計なことをしてしまったじゃないですか、どうしてくれるんですか!」

「は、判子ちゃん!?」


 地面にひっくり返っていた俺に馬乗りになって襟首を掴み、ペシペシと頬を叩きながら判子ちゃんが怒鳴る。


「な、なにしてんの?」

「それはこちらのセリフです。周りを見なさい!」


 慌てて見回すと、俺は先ほどの分岐路で倒れていた。

 周りは黒い霧が立ち込めている。

 やられてたのか!?

 いつのまに?


「さっきからです! ここに入った途端、瘴気にやられて気絶したんです! まったく、黒澤さん、あなたは隙だらけすぎます」

「す、すまん。それで助けてくれたのか」

「いいですか、私の干渉はあなたにしか効きません。ですから、あなたのモナドに私がフォールすることで、相対的にここの時間を止めています。今のうちにどうにかしなさい!」

「時間を?」


 改めて見ると、確かにまわりの動きは止まっていた。


「正確にはあなたの次元結合因子への干渉により、相対比を上げただけです。世界に流れる時間とあなたに内在する時間が同じ変化率を持つのはなぜか考えればわかるでしょう」

「なに、変化率って」

「あなたがこの世界の他の全てと同じように時間が流れていると感じるのは、ただの偶然の一致です。あるいは必然かもしれませんが、本質的に依存関係はありません」

「わかるように言ってくれよ」

「時間を止めたので今のうちにどうにかしなさい!」

「なるほど」


 気絶している皆が動かないだけでなく、周りに漂う黒い霧も止まっている。

 周りを見渡す内に、視線が洞窟の奥の一点に止まる。


 ぞくっ……と背筋が震える。

 何かがいる。

 闇よりも深く昏い、真っ黒な肌。

 ほとばしる鮮血のような赤い瞳。

 あれは……アヌマールだ。


 その前ではセスが吹き飛ばされたポーズのまま固まっている。

 少し離れてオルエンが盾でフューエルをかばっているのが見える。

 戦闘の途中だったのか。

 だが、どうみてもアヌマール一匹に押されている。

 やばい。

 怖い。

 怖くて今すぐ逃げ出したい。

 だが、もう一度見るとアヌマールの放った魔法の雷が倒れたフルンに突き刺さりかけていた。

 それで判子ちゃんが時間を止めてくれたのか。

 それに気がつくと俺は恐怖も忘れて、フルンに向かって走りだす。

 倒れたまま固まったフルンを引っ張りあげると、どうにか手前まで引きずる。


 改めて状況を確認すると、先頭にいたセスやフューエルたち数人以外は皆倒れている。

 隣にいたデュースや後ろのレーンなど後衛の主力が倒れたままじゃ戦闘にならない。


「あの先頭の彼女が張ったシールドがここまで効いていなかったのでしょう。最初の波動でほぼ全員ひっくり返りました」


 と判子ちゃん。

 相手にならないなら逃げるしか無いが……。


「し、しかしこれじゃあ皆を連れ出すのは無理じゃないか?」

「そうは言っても、私にはこれ以上はどうにもできません!」

「あれって倒せないかな? 今なら剣で突き刺せば……」

「無駄ですね。あの生物は表面の空間を湾曲させています。高次歪曲結界というやつですね。四次元で無限に歪曲した断面を作ることで、三次元上のあらゆる物理干渉を無限遠の距離で防ぐのです」

「わからん」

「わかりなさい! だから体が真っ黒なのですよ。ただあの目だけが光を吸収し、外界を見ているのです。あの赤い光は収束して落ち込む際に生じた赤方偏移の色ですね。ですからまずはインフォミナルプレーンからの情報干渉で結界を破る必要があるでしょう。あなた方風に言えば、魔法で結界を破るんですね」

「判子ちゃんはすぐに難しいことを言うな」

「お褒めいただき光栄です」

「つまり、攻撃は無駄だと」

「おりこうですね」

「褒めてくれてありがとよ」


 そういえば前に見たアヌマールは灰色の肌だった気がするがこいつは完全に真っ黒だ。

 結界とやらが違うんだろうか。

 なんにせよ、明らかに押されている、逃げたほうが良さそうだ。


「あ、そういや前に紅は止まった時間の中を動いてたぞ。あいつを起こそう」

「彼女が? 完全に同期ができているのですか? むむ、やはり彼女は闘神の……」

「とにかく紅はどこだ?」


 紅を探すと、近くに倒れていた。


「起きろ、起きてくれ、紅!」

「……マスター、これは、いったい……」

「アヌマールにやられたんだ。奴は今すぐそばにいるが、判子ちゃんが時間を止めてくれたので助かってる。今のうちに皆を連れ出したい」

「了解しました」

「判子ちゃん、これってタイムリミットとかあるのか?」

「時間停止ですか? 特にありません」

「そうか、しかしなるべく急ごう」


 とはいえ、二人がかりでも大変だ。

 特にメルビエが重い。俺の数倍は力持ちの紅でも大変そうだ。


「なにか台車でも用意しないと駄目じゃないか?」

「しかし、このような場所では難しいのでは」

「だよなあ」


 と相談する俺達にしびれを切らした判子ちゃんが、


「もう、何をだらだらやっているんです。早くしてください!」

「そうはいっても……あれ?」


 なにか嫌な気配を感じてはっと振り返るが、アヌマールはまだ止まったままだ。

 よかった。

 再び紅と相談を始めるが、今度はなにか物音が聞こえる。

 おいおい、止まった時間の中でなんで俺たち以外が音を立てるんだよ。

 と振り返る。

 ずず……、ずず……。


「う、動いた!」


 ゆっくりとだが、確実にアヌマールが動く。


「そんなバカな!」


 俺より先に判子ちゃんが驚く。


「どうして、ありえません! まさかあの結界は時間まで断絶してるのですか!? そんな……」


 驚いている間に、アヌマールは完全に動き始めてしまった。


「だ、駄目です、このままではアレに引きづられて時間が元に、切り離さないと!」


 アヌマールに向かってかけ出す判子ちゃん。

 だが、すでにアヌマールは完全に自由に動いている。

 一瞬で判子ちゃんの前に飛び出ると、拳を突き出す。

 セスの土手っ腹に穴を開けた、あの突きだ。


「きゃあっ!!」


 吹き飛ばされる判子ちゃん。

 なにかバリアのようなもので致命傷は防いだようだ。


「あたた、なんですかこの馬鹿力は! 一撃でシールドの耐久度がほとんど削られ……ひえええっ!」


 喋ってる途中の判子ちゃんにアヌマールが更に追い打ちを掛ける。

 とっさに紅が飛び出して斬りつけるが効果が無い。

 俺も剣を抜いたものの、正直手の出しようがない。


「ひ、ひいい! このバケモノ、私のリンクをぶった斬りました! 私、また戻れないじゃないですか!」


 丸いバリアの中でしゃがみこんでアヌマールの攻撃をしのぐ判子ちゃん。

 だが、バリアは一撃ごとに小さくなっていく。


「あ、だめ! そんな! ハレンチな! そ、それ以上だめええぇぇっ!」

「くそったれが!」


 思わず俺も斬りつけるが、あっけなくかわされ、逆に相手の一撃を腹に……。


「黒澤さんっ!」

「マスター!」


 もうダメか……と思った俺に、致命傷の一撃は中々届かなかった。

 あれ?

 と目を開け手前を見ると、光る何かが攻撃を抑えている。

 あれは……いつかの女神様?


「はーい、ご主人ちゃん。よくもまあ、こう次々とピンチになるわね」

「そ、そりゃどうも」

「っていうか、困ってるなら私を呼びなさいよ! そんなシーサの雌犬なんて頼らないでさー」

「な、何を言うのです! どこの闘神か知りませんが、生意気な!」


 うずくまったままの判子ちゃんが声を張り上げる。


「生意気なのはあなたよ」


 女神様はアヌマールを抑えた体の一部をスーッとのばすと、その先端を同じく神様のシルエットにしてバリアの中の判子ちゃんを直接踏みつける。


「ふふん、あんたを助ける義理はないのよ、このまま踏み潰しちゃおうかしら。どうせただのインスタンスでしょ。本体もそのうち締めあげちゃうわよ」

「ひぃ、や、やめ」

「オラオラ……。うふふ、いい気味ね!」

「ひ、ひぎぃ」


 女神様は下品な言葉遣いで罵りながら判子ちゃんを踏みつけている。


「ま、まってくれ。彼女は俺の友達なんだ、話せば分かる」

「えー、ご主人ちゃんまでこいつらを友達とか言っちゃうの? 私ショックー」

「そりゃいいから、と、とにかくこの場をだな」

「はいはい、ってあれ? なんだかエネルギーがみるみる減って」


 見る間に彼女の光が薄れていった。

 どうもアヌマールに吸われているようにみえる。


「ば、馬鹿ですかあなたは。実体ももたずにそんな姿を晒していれば、ロストするのは当然でしょう!」


 判子ちゃんに言われて動揺する女神様。


「え、まぢで? ど、どうしよう。体、体……そういえばなんかあったわよね、紅と同じ人形!」

「この間のアレ?」

「そう! それよそれ、持ってきてよ、もうアレでいいわ!」

「いや、あれは街においてきたからここには……」

「えー、もうどうすんのよ! いいわよ、取り寄せるから。ほら、そこの雌犬! ゲート開きなさい! ショートゲート! 座標は送るから!」

「ちょ、なんで私がそんなことを!」

「私が自分で開くだけのエネルギーがもう無いのよ! 早くポート開けなさいよ! ってつながらないわよ! 手出しなさい、ハンドシェイクよ!」

「どうなっても知りませんよ! えーいもう、座標確認、開きなさい!」


 判子ちゃんが女神様の手を握ると地面に白い穴が開き、にゅるりと先日ゲットした人形の素体が飛び出てくる。


「きた! あとは名前よ名前! それがないと受肉できないんだから! 名前を呼んで、私という概念を実体化しなさい!」


 名前!

 また名前か!

 しかし、こいつは先送りできそうにない。

 今決めなきゃいかんっぽいぞ。


 改めて俺は女神様のシルエットを見る。

 真っ白い体は光っててよくわからないが、長い髪と思しき影は二股に分かれてすっと尻尾のように伸びている。

 あの姿は……まるで颯爽と空を飛ぶ、小さな燕みたいだ。


「燕! ツバメね! それが私の名前! 私は燕!」


 俺が口にするより早く、彼女はそう叫ぶと光るシルエットは人形の中に吸い込まれていった。

 次の瞬間、人形は立ち上がるとまばゆい光を放ち始める。


(我が名は燕。べヘラの暮れなずむ極星、内なる時を刻む者、闘神の楔抜きたるもの、偉大なる放浪者たる我が主よ、我が授けられし名は……クロサワ・K=K・ツバメ)


 今や人形の体は赤く輝き、白かった髪は真っ赤に染まっていた。


「きたーっ、体よ体! 何億年ぶりかしら! ああ、この感触、この匂い、ああ、私、生きてる!」


 感極まって浮かれている人形……じゃなくて燕だっけ。


「おい、目の前に敵が!」

「へ?」


 と振り返った燕がアヌマールの一撃で吹き飛ばされる。

 すごい勢いで壁に激突するが、ダメージは受けてなさそうだ。


「あたた、もう、生まれてすぐ死ぬかと思ったじゃない! このバカタレ!」


 そう言って手をかかげると、呪文の詠唱もなしに指先から何かの光を出す。

 それを食らったアヌマールは急に苦しみだした。


「ほら、結界を剥ぐから、早く皆を起こしなさい!」

「お、おう」


 いつの間にか時間停止が解けていたのか、起こすまでもなく皆が動き始めた。


「こ、これはいったい!」


 と体制を立て直したセス。


「話は後だ、アヌマールを抑えてるうちに!」

「なんと」


 剣を構えるセスに、燕が声をかける。


「セス! あなたはご主人ちゃんの剣をつかいなさい! イーストウインドならこいつでも斬れるわ!」

「おまえは!?」

「いいからはやく!」


 混乱するセスに、俺は自分の愛刀の東風を押し付ける。


「だいじょうぶ、あいつは仲間だ。頼む」

「かしこまりました!」


 剣を受け取り駆け出すセス。


「いいわよ、行って!」


 燕の合図とともに、アヌマールを包んでいた黒い衣は消え去り、暗灰色の肌がさらされる。


「覚悟っ!」


 掛け声と同時に一閃。

 アヌマールは見事に真っ二つに切り裂かれた。

 このとんでもないバケモノでも、真っ二つにされると絶命するようだ。

 二つになった死体は地面に転がって、もう動かない。


「おお、やったな、セス!」

「はい、彼女のおかげでしょう。結界を剥いでくれたからこそです」

「そうでもないわよ。私が剥いだのは無限結界だけだもの。残りは結界ごとセスが斬ったんだから、たいしたものよ」

「ところで、あなたは一体? その体はいつぞやの人形のようですが」

「あ、そうだった。ご主人ちゃん、紹介してよ、紹介!」


 そういわれても、なんと言って紹介するんだ?


「あーもういいわよ、自分でやるから! えーはじめまして、私、この度ご主人ちゃんに名前をいただきまして、従者となりました燕です。さっきまで女神エクネアルをやっていましたが、受肉する際に記憶もほとんどなくしちゃったのであんまり覚えてません。まあ、このエミュレーションブレインもちっちゃいから仕方ないわよねー。あと前世っていうか、女神だった頃は紅の妹でした。今後は皆の妹分としてよろしくしてくださーい」


 一息に自己紹介する燕。

 でもって、あっけにとられる皆。


「め、め、女神様! もしや赤竜からお助けくださった女神様では!」


 レーンが感極まった顔で詰め寄る。


「あー、そんなこともあったわね。実体化する前のことは曖昧だからよくわかんないけど」

「ああ、ありがとうございますありがとうございます! ああ、なんというありがたさ、女神様がこうして受肉されるところを拝見できるとは! しかも、我らが主人の従者として! なんというありがたさ!」

「ちょ、ちょっと、もう私は神様じゃないんだから、そんなにありがたがらないでよ!」

「そうおっしゃらずに、何卒私めにありがたいお言葉をおおぉぉ!」


 レーンはミーハーだと思ってたけど、それ以上に狂信者っぽいな。

 オルエンに頼んで引き剥がす。


「よく見ると、全員はいないのね。早く皆も紹介してよ。私、ずっと見てるだけだったから、早くみんなとお話したいのよ」

「そりゃあ、構わんが。とにかく戻るか」

「あ、そうだ。その前に……」


 燕が今ぶった切ったアヌマールの死体に近づく。


「コアはどこかしら? ……あ、あった」


 死体の中から金色に輝くコアを取り出す。


「ふむ、エルミクルムはまだ生きてるわね。メルビエ、こっち来て」


 とメルビエを呼び寄せる。


「あ、あんのぉ、め、女神様?」

「違うってば、私は燕。あなたの後輩よ!」

「そ、そうだべか」

「じっとしててね。エルミクルムの汚染をキャンセル……っていうか解毒するから」


 そう言ってメルビエの前でコアをかかげると、コアの光がメルビエを包み込む。

 するとみるみるうちに、彼女の顔のどす黒いシミが消えていった。


「これで大丈夫でしょ、ケロイドはレーンに直してもらって。私、治療は苦手だから」

「え、なんだべ? 顔の痛みが取れちまったべ?」

「まだ完全じゃないわ、でもすぐに戻るわよ。安心して」

「ほ、ほんとだべか? ああ、めがみさばぁ」

「だから女神じゃないってば!」

「やったー、ありがとう、ツバメー!」


 隣でいつ飛びつこうかウズウズしていたフルンに抱きつかれてまんざらでもなさそうに見える燕。

 そして顔の傷は残るものの、毒の痕が消えたメルビエ。

 なんだかよくわからんが、良かった。

 ほんとうによかった。




 洞窟を出ると、メルビエの父親たちも待っていた。


 娘の顔の傷を見て驚いていたが、従者になったと聞いてさらに驚き、ついには感極まって泣き出してしまった。

 この巨体が泣くのだから、大地を震わせんばかりの大号泣だ。


 これにて一件落着か。

 海をわたる前に解決できてよかったよ。


「それにしても驚きましたねー、とうとう女神様まで従者ですかー」


 とデュース。


「紅の妹って言ってたから、紅も女神だったんじゃないのか?」

「そうかもしれませんねー、謎だらけですねー」

「あとで詳しく聞かんとな」


 元女神こと燕は、フルンとレーンに挟まれて質問攻めにあっている。

 紅はいつもの無表情だが、燕の側にいた。

 あれはなにか聞きたそうな顔だけど、押しの強いのがいるから手が出せずに居るのか。

 まあ、慌てることはない。

 彼女はもう、従者だ。


 そういえば判子ちゃんも何故かまだいた。


「さっきのバケモノにリンクを切られたので戻れないんですよ! しばらくご厄介になります」

「やったー、またすごろくしよう! 前より面白いよ!」


 聞きつけたフルンが飛んでくる。


「それは楽しみですね……」


 とやけっぽく答える判子ちゃん。

 まあ、いいけどね。

 恩人だし。


「そういや、前の撫子の時も判子ちゃんが助けてくれたのか?」

「……そうなりますね、不本意ですが」

「そうか、助かったよ」

「全くもって不本意です。続けて闘神に手を貸すなど……ぶつぶつ」


 不機嫌そうなので、これ以上は構わないでおいた。


 村に戻ると、すでに日は傾いていた。

 別動だったメイフルやアン達も村にいた。


 ロングマンことメルビエの父親を始め巨人村の連中が、お礼をしたいと引き止めるが、今日は無理でも明日には出発しないとまずいので、長居するわけにはいかないんだよな。

 そもそも、アルサの街に残してきた連中も心配してるだろうし。


 巨人のメルビエはどうするかと言えば、結局ついてくることになった。

 従者となったからには着いて行けと、父親と姉にきつく言われたからだ。


 そんなわけで出発の準備をしていると、急に村が賑やかになった。


「どうやら騎士団が到着したらしいよ」


 エレンがいうので覗いてみたら、率いているのは愛しのダーリンこと、エディだった。

 小隊を二つほど率いてのお出ましだ。


「やあ、ダーリン。こんなところまでご苦労さん」


 驚かそうと忍び寄って声をかけると、予想以上に驚かれてしまった。


「え、どうしてここにいるの!? ルタ島に渡ったんじゃ?」

「それがいろいろあってね、出発は明日に……」

「明日って、船はもう打ち止めよ!」

「へ?」


 どうやら、今日の午前の便が出たあと、急に海が荒れて出せなくなったらしい。

 例年よりだいぶ早いが、今年は嵐も多かったし、気象が安定していなかったからだろうとの話だ。

 とにかく、俺達は来年の春までルタ島に渡れないことになってしまった。

 なんてこったい。


「ほんとうに、あなたらしいわね、ハニー」

「そう言われると照れるよ、ダーリン」

「とにかく話はあとね。私は魔物退治しないと。この辺りは縄張りの境界だから長引くと面倒なのよ。それが終わったらたっぷり慰めてあげるわ。アルサの街に居るんでしょう?」

「今はこちらのリンツ卿のご息女の屋敷に世話になっていてね」

「ああ、領主の……」


 と頷いて、エディはフューエルに挨拶する。


「お久しぶりですわ、フューエル様。領主様はお元気かしら?」

「ご無沙汰しております、エンディミュウム様。父も変わりなく。それよりもその、失礼ながら、紳士様とはどういう……」

「あら、気になる? ねえハニー、あなたから紹介してよ」

「え、俺から?」


 参ったな。

 安易にガールフレンドとか言うと蹴られそうだ。


「彼女は、その……なんだ。心の友だよ」

「あはは、いいわね、心の友。そうねえ、じゃあそういうことみたいよ、フューエル様」

「そう……ですか」

「ふふ、心の友のハニーにはあとで聞きたいこともあるのよね。どうやってあの偏屈者のローンを口説いたのか……とかね。彼女、あなたにメロメロよ?」

「え、まぢで?」

「じゃあ、またあとでね」


 色々問題発言を残してエディは行ってしまった。

 よく考えたら、心の友ってそれじゃああの変人ボルボルと同じじゃないか。

 あかん。

 今更言っても遅いけど。

 いや、それよりも試練だ。

 どうしよう。


「もう、こればっかりは仕方ありませんねー。まあ、来年頑張りましょー」


 とデュース。

 遅れてきていたアンも、


「気に病むことはありませんよ、ご主人様。メルビエが無事だったのですから。それに、新しい従者も増えたとか」

「お、そうだ。燕をお前らにも紹介しとかんと」


 と燕を引っ張ってくると先ほどと同じような自己紹介をして皆を驚かせる。


「あの、女神さま……でよろしいのですか?」


 アンがおずおずと尋ねると、


「あら、あなたがアンね。あなたの祈りは朝夕ちゃんと届いていたわ。貴方の声を聞くのが、毎日楽しみだったのよ」

「ありがとう御座います、エクネアル様」

「やだ、エクネアル様はやめてよ、燕よ、ツーバーメ。いい名前よねー」

「そうですか、ではツバメ。貴方の名は聖書でもお見かけしたことはないのだけれど、元はどちらの……やはりネアル様の?」

「え、私って載ってないの? あんなに活躍したのに? あれ、してないっけ?」

「申し訳ありません。私の勉強不足かもしれませんが」

「ま、まあいいわ。私もう燕だし。そもそも自分でもあんまり覚えてないし。それよりほら、早く帰ってあれしましょ、あれ」


 あれってなんだ?


「決まってるじゃない、ご奉仕よ!」


 顔をおさえてくねくねと身を捩る。

 てれてんのかな、あれ。

 まあいいけど。


 そんなわけで、俺達はぞろぞろとアルサの街に戻った。

 留守番組はすでに船の件は知っていたようだが、それよりもメルビエの無事と新しい仲間を喜ぶ気持ちのほうが強かったようだ。


 そのふたりとも改めて俺流の契約を交わして、名実ともに従者となった。

 メルビエは中々に大変だったが、俺もよく頑張ったと言えよう。

 そもそも体格差的に色々無理があるよな。

 家馬車には入れないので、人の家の庭にテントを張って頑張ったわけだ。

 それでも、


「おらぁ、幸せもんだぁ」


 とのことで、満足してもらえたようだ。

 俺もそう言ってもらえると幸せだよ。


 燕の方は、まあなんというか、こっちもこっちで大変だった。

 結論から言うと、泣かれてしまった。


「だって、あんなに痛いと思わないじゃない!」


 だそうだ。


「いつもあんなことさせられるの? ご奉仕ってなんかこう、もっとすごい気持ちよくて幸せな感じだとおもってたのに!」

「いや、そのうち慣れるって」

「ほんとに? みんなも我慢して、無理やりやらされてるんじゃないの?」


 そんな不安になることを言わないでくれ。


「大丈夫ですよ。ほら、こうしてご主人様のそばにいると、心が穏やかに落ち着いてくるでしょう?」

「そ、そうね。それは……そうかも」

「そうでしょう。最初はだれでもそういうものですから」


 とアンになだめられると、落ち着いたようだ。

 なんでもアンにまかせておけば安心だな。


 燕は落ち着いたところでフルンに引っ張られていった。

 すごろくの相手をさせられるらしい。

 判子ちゃんも一緒に。


「二人が喧嘩しないように見はっとけよ」

「なんで?」

「女神と判子ちゃん……の国は仲が悪いらしい」

「そうなの? ハンコちゃんいい人だよ」

「ほら、ウクレだって仲間だけど、彼女の国とこの国は戦争してるだろ。大人の事情ってやつだ」

「そっかー、じゃあしょうがないね」


 フルンにはこっそりと耳打ちしておいた。

 また喧嘩されたらかなわん。

 と言っても口で言うほど仲が悪くも見えないけど。


 そういえば、メルビエを助けてくれた女戦士のアンブラールは謝礼も受け取らずに去っていった。


「色々と面白いもんを見せてもらったよ。お代はそいつで十分さ。これも、女神様の思し召しってね」


 とのことだ。

 縁があれば、また会えるだろう。

 あのビキニアーマーに。

 セス……は難しそうだが、オルエンやカプルには似合いそうだなあ、あれ。

 カプルに頼んで、あつらえてもらおうかな。

 実戦じゃ使えそうにないけど。


 あとは、まあいつもどおりだ。


「それにしても、どうするかね」

「そうですねー、時間はたっぷり有りますしー」


 家馬車の内風呂にデュースと二人、ゆったりと浸りながら相談する。

 今はフューエルの屋敷の庭に置いた家馬車の中だ。

 まさかここにずっと住むわけには行かないからなあ。


「まずは、住むところだな。メルビエもいるから前の家ぐらいのサイズじゃ話にならんよな」

「お金はさほど困ってないので、ある程度広い家を借りましょう。春までの仮住まいですし」


 と机で手紙を書いていたアン。

 何故か裸だ。


「そうだなあ……」


 お湯を波立てないように、左手でワシャワシャとデュースの柔らかいところを揉みほぐしながら、右手でグビリと酒をあおる。

 杯を差し出すと、側に控えた紅が酌をする。

 こちらは全裸にエプロンとヘッドドレスだけという、軽装のメイド服だ。


「それにしても、まさか女神様が仲間になるとは思いませんでした」

「そうよねー、色々話を聞きたいけど、どこまで聞いていいものやら。肝心なことは記憶が無いって言ってるけど、嘘はついてなさそうよね」


 対面にはエンテルとペイルーンが同じく全裸で足だけを湯船に浸している。


「聖書でも、受肉した女神は、その霊性とともに多くの力を失うと有りますので、そういうことなのでしょう。クレナイも、前世は女神で姉妹であったとツバメは言っていたけど、記憶はないのでしょう?」


 エンテルが尋ねると、


「はい。彼女には非常に親しみを覚えているのは確かですが、それが同じ人形の体を持つからだと言われても、否定はできません。そういう認識です」

「そうですか」


 そういってエンテルが天井を仰ぐと、大きな胸が揺れる。

 そこにモアノアが冷やした酒の追加を運んできた。


「ごすじんさま、おかわりだぁよ」

「お、いいところに来たな。おまえも入れよ」

「んだぁ、じゃあお邪魔するだ」


 モアノアは小柄むっちり系の肢体を湯船に沈める。

 四方をおっぱいに囲まれているな。

 つまり、ここは今、おっぱい天国だ。

 ずっとこのままでいいのにな。


「それにしてもー、ご主人様といると、予想を超えたことが次々と起こって楽しいですねー」


 とデュース。


「俺は何も起きずにイチャイチャしてるのが一番なんだけどな」

「それじゃあ、従者は増えませんよー」

「それも困るな」


 ここまで来たら、今後も積極的に増やしていきたいところだ。


「で、元女神様はどうしてる?」


 俺が尋ねるとペイルーンが窓から外を覗き見る。

 体を伸ばした時に、小ぶりな胸がぶらりと下がっていやらしく揺れた。


「まだフルンたちと遊んでるみたい。庭のテーブルですごろくしてるわよ」

「そうか」

「あ、終わったみたい」

「ほう」

「ツバメ! こっちこっち!」


 ペイルーンが手招きする。

 しばらくすると裏口から入ってきた。


「なに? ご主人ちゃんこっちにいるの? ってうわっ! この部屋なに! なんで裸!? なにやってるの!」


 なにってナニだろう。


「もちろんご奉仕ですよー、あなたもご一緒にどうぞー」


 とデュース。


「ご、ご奉仕!? こんなハレンチなのもごほうし!?」


 ハレンチって判子ちゃんみたいなことを言うなよ、と言いかけてギリギリ言葉を飲み込んだ。

 紅が立ち上がって、いつの間にかメイド服を着ていた燕の側に歩み寄る。


「さあ、服を脱いでください」


 といって、ブラウスのボタンを外し始める。

 燕はされるがままになっていたが、ショーツを脱がされて全裸になると、


「ねえ、エムネ……じゃなかった、紅。あなた、しあわせ?」

「はい、マスターに仕える以上の幸せを私は知りません」

「そう……、じゃあ、私もしあわせかな?」

「当然です」

「そっかー、えへへ、よかった。ね、紅も一緒に入ろう」

「わかりました」


 紅もエプロンを取り、二人揃って湯船に足を入れる。


「じゃあ、交代しましょうかー」


 デュースが湯船から出ると、巨大なカタマリが二つ、ぷるんとゆれて飛沫を飛ばす。


「うわ、でかっ!」


 燕は目を見開いて、自分の中位な塊をほどよく揺らした。

 やっぱりここは天国だな。

 女神様もいるし。




 白いモヤの中。


「どうやら、無事にエクネアルは受肉できたようじゃな」

「そうやってあなた方はいつまでこだわり続けるのです?」

「良いではないか。我らは皆、ネアルの夢に添うて生きるのじゃよ」

「それを言い訳にしているのでは?」

「そうかもしれんな、じゃが、それも良いではないか。何かを成し遂げたものを労うのは当然じゃ。それが神と呼ばれる存在であってもな。それにみよ、匣はつかわずに済んだ。僥倖じゃ」

「結構なことです。あれは世界の因果を書き換えるもの。放浪者とはいえ、余計な負担は避けるべきです」

「つまりは久隆のことを心配しておるのじゃろう」

「どうしてそういう結論になるのですか」

「ふふ、どれだけ長い間、ここにこうしておると思っておる」

「長い間、などと、ここでは無意味な表現です」

「そうじゃな、じゃが、それもまたよい」

「あなたはよくてもこちらは困ります。まったく、私のインスタンスにも困ったものです」

「ほんにな、あれではまるで、お主そのものじゃ」

「失礼な。あなた方はほんとうに、失礼極まりないハレンチ集団です」

「ふふ、まったくじゃ」


 二人の会話は、その存在ごと徐々に遠ざかっていく。

 あとに残った俺を、両隣に立つ紅と燕が支えてくれる。


「ちょっと遠くなっちゃったわね」

「ですが、すぐに届きます」

「そうね、エネアルも待ってるわ。はやく、迎えに行きましょう」

「ええ、はやくエネアルのところに。そしてあのお方に我らの夢を届けましょう」

「そうね、それがいいわ」


 再びモヤに埋もれながら、はるか遠くから響く懐かしい声に、耳を傾けるのだった。




 それから数日が過ぎた。

 世間様では俺はルタ島に渡ったことになってるらしい。

 新聞を見たら、桃園の紳士を波止場で涙ながらに見送る乙女たち、などという見出しが踊っていた。

 いい加減だな。

 まあ、TVどころかインターネットの時代になっても世間にはデマがまかり通ってたわけだし、新聞と口コミしかないようなこっちの社会で、そんなに正確な情報なんて広がることはないか。


 今日はフューエルの屋敷でパーティだ。

 エディの他にも、懐かしい顔が並ぶ。

 バダム翁などもゲートを使って会いに来てくれた。


 船が再開するまで四から六ヶ月はかかるという。

 いつまでもここに厄介にはなっていられないので、いずれ住処を見つけなければなるまい。

 まあ、空き家を借りるぐらいの蓄えはあるさ。


 この旅の間に、ずいぶんと従者も増えたものだ。

 クロまで入れると二十五人だもんな。

 ざっと十人増えたのか。

 いいペースだな。

 今後も頑張ろう。

 まあがんばるのはいいとして、うちわだけのパーティで盛り上がって飲み過ぎたのか、かなり酔いが回ってしまったようだ。


「あらー、ちょっと飲み過ぎじゃないですかー。外でさましてきてはー?」


 と赤ら顔のデュースに言われて酔醒ましにテラスに出ると、フューエルがいた。

 はめられたか?


「もう酔ったんです?」

「まあね、シラフじゃ君に話しかける勇気も持てない」

「だったら、まずは乾杯ですね」


 傍に控える女中からグラスを二つ受け取り、俺に手渡す。


「何に乾杯します? 紳士の名誉?」


 といたずらっぽく笑う。

 彼女もだいぶ酔ってるな。


「それじゃ悪酔いしちまうよ。君のその可愛らしいチェリーの髪飾りにしよう」

「こんなものに乾杯する殿方は初めてだわ」

「俺だって初めてさ、乾杯」

「乾杯……ふふ、ほんとあなたって癪に障る人」

「なおせると思うかい?」

「なおしちゃダメよ。間違ってあなたを気に入ったりしたら、困るもの」

「なるほど」


 と、グラスを口に含んで顔をしかめる。


「失恋の味は、ワインまで酸っぱくするんだな、知らなかったよ」

「人生いくつになっても勉強よ。デュースが五歳の誕生日にこの髪飾りに添えて贈ってくれた言葉……私の座右の銘なの」

「身につまされるよ」

「なら、お勉強なさい。女性に声をかける時は、自分でとびっきり甘いワインを持ってくることね。じゃないとまた顔をしかめることになるわよ」


 そう言うと彼女はさっそうとその場を去った。

 後ろ姿が凛々しい。

 なるほど、こういう瞬間に、男は女に惚れるのか。


 一人残されたテラスできれいな月を眺めながら、残ったワインをしかめっ面で一気に煽る。

 青春の味だねえ。


「ご主人様、主役が不在では、場が盛り上がりませんよ」


 そこにアンが呼びに来た。

 恋愛ごっこは終わりにして、ちょっとは主人らしいこともしておきますかね。

 従者たちに恥をかかせるわけには行かないからな。


 ほろ酔い気分の体を奮い立たせて、俺は大切な従者たちの待つ輪の中へと溶けこんでいった。

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