第98話 予兆
翌朝。
久しぶりに普通の町で、普通にテントを張って泊まり、普通に出発した。
今日も普通に旅をしたいところだ。
御者台にはいつもの様に俺とベテラン魔導師のデュース、そして真ん中に牛娘のリプルが座っている。
朝早めに出たので、まだ涼しい。
秋を感じるな。
だが、遠くを見ると夏っぽい雲が浮かんでいる。
そういや、山の上から海の彼方になにかスジみたいなのが見えたんだよな。
ちょうど空と水平線の境目ぐらいに。
「白い筋ですかー? それは南方のデール大陸にかかる天空の輪ですかねー」
「天空の輪?」
「古くは女神の帯とも呼びましたがー、デール大陸では国によっては女神信仰がありませんのでそう言う呼び方もー」
「ほうほう。それで、具体的には何なんだ?」
「白い筋ですねー」
「トートロジーだな」
「そうですねー、でも、なんだかわからないんですよー。空に白い筋が一本あるだけでー。ちょうど太陽の通る線上にありますねー」
「ほほう、赤道か」
「そうともいいますねー、さらに南にももう一本あったようなー」
なんだろうな、いったい。
土星の輪みたいなリングでもかかってるのかな?
そういえば、土星の輪とかって惑星上から見たらどう見えるんだろうなあ。
子供の頃、科学図鑑とかで見た気がするんだけど、ああいうのってどこまで当てになるのやら。
少し前になにげに恐竜の本を見たら全然違ってたし。
そういえば百科事典とかこの世界にあるのかな?
まとめて勉強できて便利そうなのに。
すぐ後ろに座って帳簿をつけていた、考古学博士のエンテルに聞いてみると、
「百科事典ですか? エツレヤアンのアシアーヌ工房、世間では百科工房と呼ばれていますが、そこが作っていますね。かれこれ三十年はかかりきりのはずですが」
「ほほう、どんなのだ?」
「あらゆる時代、あらゆる階級、あらゆる種族の知識を網羅するとして、十年前に第一巻を販売して好評でしたが、当時は私もまだ駆け出しで、高くて手が出ませんでしたね」
そりゃ残念。
読んでみたかったけど。
「完成したら奮発して買ってみたいな」
「全百巻の予定で一冊二十年ですから、たぶん、完成しないのでは」
「めちゃくちゃだな。もうちょっと考えて作ればいいのに」
「そういう人は、百科事典なんて途方も無い事業に手を出さないのではないでしょうか」
「そうなのかな」
いろんな奴がいるもんだ。
気分を切り替えて、再び景色に目をやる。
山は越えたとはいえ、まだこの辺りは道の起伏が激しい。
ゆっくりと丘を超えると、遠くに海が見えた。
残念ながら、白い筋はここからじゃ見えないようだ。
「もうすぐ海に出ますねー。あとは海沿いに進めば、目的地のアルサの港町ですよー」
「おお、もうすぐか」
「途中寄り道しなければ、二週間もかからないでしょうねー」
なんだか感慨深いな。
半年の旅もいよいよ終わるのか。
あとは、紳士の試練をこなせばいいわけだ。
どうか無事に終わりますように。
ふと隣を見ると、おとなしく座っていたリプルと目が合う。
にっこり笑った瞬間、馬車が少しはねて、四つの胸が揺れる。
貫禄出てきたなあ。
「どうしました?」
「いや、ちょっと暑くなってきたなと思って」
「そうですね。中に入られます?」
「そうしよう」
日差しと目線を避けるようにキャビンにはいる。
もっとも、幌馬車の中はかなり暑いんだけどな。
とおもったら、なにかひんやりする。
見るとどまんなかに大きな氷の塊が置かれていた。
すごいな、オーレが作ったのか。
「これは助かりますね。かなり違いますよ」
アンをはじめ、皆も喜んでいる。
皆に喜ばれて、オーレも幸せそうだ。
「後ろにも有りますから、ご主人様はあちらで休憩されては?」
との事だったので、そのまま家馬車まで抜ける。
「おお、すずしい」
こちらは板張りで密閉度も高く日も遮るせいか、更に涼しい。
こりゃいいな。
これで扇風機でもあれば、完璧なのになあ、と思わずぼやくと、
「扇風機とはなんですの?」
ちょうど蒸し器のワッパを仕上げていたカプルが尋ねる。
「うーん、こう動力を使ってな、こんなかんじの羽を回して風を送るんだ」
と身振り手振りで説明する。
「風車の逆の仕組みですわね」
「そうだな。ただまあ、動力がないけど」
「動力は、馬車が動いている間は車輪の回転を取れば良いですわね」
「ああ、そうか」
「なるほど、そうやって風を起こす仕組みですの。面白いですわ」
「いけそうか?」
「歯車を作るのにとても時間がかかるのですけど」
「そりゃあ、あんなにいっぱい削るんだもんな」
「削るのはよいのですけれど、寸法が作ってみないとわからないのが困るのですわ。型がない場合、現物合わせですり合わせるのに時間がかかりますの」
「計算しないのか?」
「計算……できるんですの?」
「なんか昔習ったような……」
スマホの中を漁ると、百科事典アプリに歯車の解説があった。
やっぱいいな、百科事典。
翻訳しながら説明する。
「すばらしいですわ、こうやって計算できれば、いくらでも歯車が作りたい放題ですわ! この、こちらの絵の歯車はどうやりますの? こちらは?」
興奮するカプルにひたすら翻訳してやる。
終いには三角関数などまで教える羽目になった。
久しぶりのレクチャーだよ。
算数はいいけど、工学系は苦手なんだよな。
プログラミングなら教えられるのに。
つきっきりでレクチャーしてたらいつの間にか夕方だった。
すでに今日の宿泊地についていた。
馬車を降りて、とりあえずビールかな。
疲れた。
「ご主人様の世界は、とても技術が進んでいますのね。一度行ってみたいものですわ」
カプルは俺の隣で今日教えたことを復習していた。
「たしかに進んでるんだけどな。進みすぎて素人にはわけのわからないものが多いんだよ。これもそうだけど」
スマホを改めて見せる。
「そういえば、この箱はなんですの? 魔法の書物かと思っておりましたが」
「まあ、それに近いけどな」
これも何年もはもたないよなあ。
本体かソーラー充電器が壊れたらおしまいだし。
こういう役立ちそうな情報だけでも、書き出しておくべきだな。
問題は何が役に立つ知識か、その時にならないとわからないことだな。
いわゆるサバイバル的な知識は、こちらの冒険者のスタイルに合わせたほうが都合がいいので、あまり役にたたないんだよな。
つまり、こちらの技術で再現できる科学技術的なものを持ってくればいいんだろうが……むずかしい。
「この三角関数というのがあれば、角度が自在に計算できますわね。そもそも、この数字の書き方が素晴らしくわかりやすいですわ」
「ええ、それはとてもいいですね。私も計算がだいぶできるようになりました」
「わたくしもがんばって身につけますわ」
側で内職していたアンとそんなことを話している。
楽しそうだな。
まあ、すぐに役に立つ勉強は楽しいよな。
学校の勉強も実はほとんどが役に立つんだけど、案外使いどころに気が付かなかったりするもんだ。
夕食を終えると、カプルは家馬車に戻っていった。
早速、扇風機を作ってみるらしい。
いつの間にか団子製造機は完成していたので、今モアノアが蒸し上げた団子の種をこねている。
そのとなりでフルンが教わりながら、カプル特製のまるめ道具で団子を丸めていた。
「すごい、コロコロしたら団子がいっぱい出来る!」
「すごいだすな、これならいくらでも作れるだす」
「たべほうだい! 団子たべほうだい!」
「ああ、よだれ、よだれがたれるだす」
「あわわ、あぶない! だんごまもらなきゃ!」
とあわてて団子を口に放り込むフルン。
それは守ったことにならないぞ。
横でペイルーンも見ていたので聞いてみる。
「どうだ、これで丸薬もいけそうか?」
「うーん、どうかしら。団子とは質感がだいぶ違うし。これぐらい粘りがあるといけるんでしょうけど」
「そうか」
「でも、こういう改善は必要ね。人手を無限に増やせるわけじゃないし」
「そりゃまあな」
「一度、全部の工程を見なおしてみなきゃだめね。あとでカプルと一緒に相談に乗ってよ」
「おう、いいぞ」
となると、あとは御札か。
「どうだ、アン。そっちはどこか効率化できそうな所はないのか?」
「そうですね。といっても、神聖な作業ですし、紙に字と文様を書くだけですから。印刷するわけには行きませんし」
「だめなのか」
「効果が薄いようです」
「なるほど」
融通が効かないもんだな。
御札は魔法を使うときの補助になる、一種の触媒のようなものだが、これはこれで謎だよな。
どうせ謎の仕組みで動くなら、女神様もマニ車の合理性を見習えばいいのに。
「私も皆のお陰で最近はかなり時間が取れるようになったので、それほど大変ではないですよ」
「だったらいいけどな」
「強いて言うなら乾燥でしょうか。とくにこの時期は湿度が高くて墨の乾きが悪くて」
「そういえば、こっちも乾燥が一番のネックね」
とペイルーン。
ふぬ、乾燥か。
扇風機がうまく行けばどうにかなるかもしれないな。
そのへんから、攻めてみよう。
翌朝、起きてのんびりコーヒーを飲んでいると、カプルが呼びに来る。
ついていくと、家馬車の角に、細長い扇風機が置かれていた。
「もう出来たのか!」
「ええ、まだありあわせで作った実験的な仮組みですけど、ちょっと張り切りすぎてしまいましたわ」
そういうカプルは、眠そうだ。
のめり込むタイプみたいだな。
「で、これ、もう動くのか?」
「馬車を動かさないとダメですわね」
そう言って土台の部分のフタを開ける。
「ここから下の車軸へとつながっていますわ。ここの歯車を差し込むと、動力につながって回りますの」
そう言って手で歯車を回すと、羽が動く。
「この、羽の部分は、昨日見せていただいた資料にあった、シロッコファンというものにしてみましたわ。これのほうが、角においてスペースが取れそうでしたもの」
「おお、いいな」
いわゆるタワー型の扇風機だ。
羽が剥き身なのがちょっとこわいけど。
「あとで外枠は作りますわ。羽に触れると大変ですし」
「そうだよな」
しかし、これだけの細工が、一晩で出来てしまうのか。
カプルのスキルもかなりすごいんじゃないか?
そんなわけで、馬車が走り始めると早速扇風機を稼働テストだ。
扇風機の前には俺の他にもアンやフルンやら、手の空いたものが何人か待ち構えている。
「これが風を起こすのですか?」
とアン。
「たぶんな」
「うちわのような形ならわかるのですが、あの格子のような筒から風が出るというのはどうにも」
「まあ、見てりゃわかるさ」
「はい」
見学人の疑問をよそに、カプルはいそいそと支度をする。
「では、いきますわ」
そう言って、歯車をあいた軸に差し入れる。
すると突然、扇風機のファンが回り始めた。
しかもすごい勢いで。
「す、すごい風ですね、嵐みたいです」
「すごい! すごいよ! 風がビュービューふいてる!」
「いや、これはちょっと……」
やり過ぎじゃないか?
ファンがすごい唸りをあげて、今にもぶっ壊れそうだ。
「素晴らしいですわ! こんなにも出力が得られるなんて!」
「いや、カプル、いくらなんでもやり過ぎだろう」
「あら、そうですの? ちゃんと風が起きてますわ?」
「いや、風は起きてるけど、これじゃあ、落ち着いて涼めんだろう」
「……それもそうですわね。ファンを回す事ばかりに気を取られていましたわ」
我に返ったカプルが土台の歯車を引き抜く。
それで、キシミをあげていた扇風機はとまった。
「回転数を計算しなおさなければいけませんわね。適正な回転数とはいかほどなのでしょう」
「回転数はわからんが、風量は心地よいそよ風ぐらいがベストだぞ」
「なるほど、そうかもしれませんわね。手動で回して、調整してみますわ」
カプルは調整に入ったようだ。
「ねえ、もう終わり?」
せっかくの風が止まって残念そうなフルン。
「もう少しお待ちくださいな。ちょうどいい風を送れるように調整いたしますわ」
「えー、今のビュービュー吹いてて嵐みたいで楽しかったのに」
「やり過ぎると馬車が壊れてしまいますわ」
「そうかな?」
「そうですわ」
まあなんだ、扇風機が作れそうなことは分かった。
動力が馬車だと、取り回しが大変そうだが、昼間一番暑い時間に風を起こせるのはいいよなあ。
さらに、この風をうまく循環させれば、上の薬草なんかも早く乾かせるんじゃなかろうか。
残念ながら、扇風機が完成する前に今日の目的地に着いてしまった。
しかもまた、天気が悪い。
今日のテントは大きい方だけにする。
天幕だけで床のない大きいテントは、条件次第で中も水浸しになる。
そこで、テントの中にベッドを置いて、床が濡れても大丈夫なようにした。
中においておく荷物も上げ底だ。
そしてテントの入口を馬車の最後尾、家馬車の裏口から張ったタープにつなげて置く。
これは、広いキャンプ場の場合だ。
一列に並べられない場合は、馬車の連結部から出入りできるように側面を開けてつなぐ。
今夜はこの方式だ。
これによって、十分広い寝室を確保しつつ、雨でも濡れずに移動できるわけだ。
馬車の両サイドにもタープをかけて、馬をつないだり、火を焚いたりする。
旅も終盤にきて、ぐっと快適になってきたなあ。
今日、泊まるのはエントペという村だ。
湖の漁で生計を立てている、小さな村だ。
俺達は村の側でテントを張る。
まだ日が沈む前なのに、空は暗い。
雲がどんどん流れていく。
「これはまた、嵐ですねー」
とデュース。
「そうみたいだな」
「こう、立て続けに来られると大変ですねー」
「テントはだいじょうぶかな?」
「大丈夫だと思いますけどー、しっかり張り綱も張っておきましたしー」
そこに買い出しの支度をしたメイフルとオルエンが出てきた。
「お、買い出しか?」
「そうでっせ。まあ、あんまり期待は出来まへんけどなあ」
「そうなのか?」
「こういう小さい村は、そこまで物流の余裕がありまへんねん」
「なるほど」
と未来の大商人メイフル。
でも、たまには買い物もしたいな。
付き合うとしよう。
村に入ると嵐に備えて漁船を陸に上げたりなんやかやで忙しそうだ。
「こりゃ、タイミングも最悪ですな」
メイフルが言うとおり、役場の隣にある小さな市場も閉まっていた。
せめて子どもたちにおみやげでも買いたかったんだけどな。
諦めて戻る前に役場に顔を出す。
たまに手紙が届いてたりするからな。
実際、二通ほど手紙が来ていた。
手紙って固定の住所に出すものだと思い込んでいたが、今の俺達のような住所不定の旅人相手に出す場合は、目星をつけて通過点の役場や宿に送りつけるらしい。
一通はアフリエールの祖母から、もう一通はデュース宛で差出人は知らない人物だな。
他に用事もないので諦めて戻ろうとすると、商人らしき男と行き合った。
「おや、たしか紳士の挑戦の紳士さまでは?」
紳士の挑戦とは、商品の特典であるなぞなぞのことだ。
こいつがうちの目玉になっている。
商人仲間には噂でボチボチ知られているらしいが、この男は俺達を直接見知っているようだ。
ペルウルの街に滞在中、近くで露天を出していた行商人だそうだ。
どうやら、嵐の中を急ぎ出発するらしい。
理由を尋ねるとそれとなく言葉を濁していたので深くは尋ねなかった。
そのかわり、積み荷を減らしたいので、生ハムの原木を安くで買ってくれないかという。
肉はいくらあっても足りないのでまとめて買うことにした。
馬車まで運んでもらい荷物を受け取ると、行商人はそのまま出発してしまった。
今から出れば次の町まで今日のうちにはつけるそうだが、それでもすでに風は強い。
今にも降り出しそうだ。
確実に嵐になるだろうが、なんでまたこんな中を。
そう思ってメイフルに話を振る。
「しかし無茶するな。嵐の夜に出て行くなんて」
「そうですなあ、あのお人、めんたまがカネの形してましたで」
「あ、やっぱり?」
さぞ、美味しい儲け話でもあるんだろう。
あやかりたいね。
「ところでコルスはんは?」
「いや、まだ戻ってないようだぞ」
いつもソロで先行しているコルスは、夜には戻ってくるんだけど、今日はまだみたいだ。
忍者としても剣士としてもすごく強いコルスのことだから、あまり心配はいらないけど、こんな天気だと気になるな。
「なんや掴みはったんかもしれまへんなあ」
「いかにも、でござるよ」
いいタイミングで、そばの茂みから飛び出してきた。
隠れて話に加わるタイミングを測ってたんじゃないだろうな。
「おう、おかえりコルス。で、なにがあったんだ?」
「じつは……」
ここから更に三時間ほど行くと、もう少し大きなエペチオという町がある。
そこの神殿にご信託があったそうだ。
「新しい試練の塔が生まれる、だそうでござるよ。日付も場所も不明でござるが、エペチオの近辺は上を下への大騒ぎでござったよ」
「へえ、新しい塔ねえ」
コーザスでは壊れるし、山の上では枯れ切った塔を拝んだだけで、しばらく試練の塔に登ってないな。
「たたた、たいへんですよー、塔ができるって話ですー」
デュースが手紙片手に飛んできた。
「らしいな」
「あれ、もうごぞんじでー?」
「コルスが調べてきてくれたぞ」
「そうなんですかー、私も今、友人からの手紙で知ったんですがー」
さっきの手紙はそんなことが書いてあったのか。
「それで、もう塔はできたんですかー?」
「まだらしいでござるよ。情報が錯綜して、どうにもさっぱりでござったな」
デュースの問にコルスが答える。
「そうですかー。これは由々しき事態ですねー」
「そうなのか?」
「そうですよー。出来立ての塔はー、ボロ儲けなんですよー」
「ボロ儲け!」
「そうですよー、塔では何度も宝物がでますけどー、出来立ての塔の一回目の宝は通常の数倍とか数十倍の価値のお宝が出てー、すごく貴重なレアアイテムもでたりしてー、とにかく大変なんですよー」
「そ、そんなことが!」
「みんなバーゲンって言ってますけどー」
「バーゲン!」
「しかも、普通は塔ができてからご信託があるので第一発見者が軒並みかっさらうんですがー、今回みたいに女神様からのリークがあると塔を探してうじゃうじゃ冒険者が集まってきますよー」
「そりゃそうだわな。俺達も行くか!」
「さすがに嵐の中はちょっとー、そもそも正確な場所もわかりませんしー」
「それもそうだな」
「うーん、どうにかして一番乗りにあやかりたいですねー」
「そうだな」
しかし、それならボズの時もできたての塔だったんだろう。
無理して乗り込めばよかったんじゃないのか?
「あの時はエツレヤアンに話が伝わった時は、とっくにバーゲンは終わったあとでしたので」
とアン。
まあ、そんなもんかもな。
パチンコの新装開店とはわけが違うか。
降って湧いた儲け話に胸を弾ませながら、晩飯を待つ。
その前に生ハムパーティだ。
すぐに食える状態らしいので、モアノアが余分な皮をそぎ落としている。
生ハムの原木ってロマンだよな。
原木とは豚の足まるまる一本分のハムのことだ。
昔、会社の先輩が突然買ってきたので、仕事場でワインあけて朝までひたすら生ハム食べまくったことがあったな。
食っても食ってもなくならないのですごかった。
あんまり生ハムの原木が素敵だったので、その後、自分でも買おうとして一人じゃ食べきれないことに気がついて冷静になったけど、ハムの原木は男心をくすぐる何かがあるよなあ。
それ以前に、肉がロマンだよな。
最近、家馬車の二階は、連日宴会場になっていて、夜通し誰かが飲んでいる。
そこで夕食を待つ間、エレンが削いでくれたハムをパクパク食べる。
ビスケットに挟んだり軽く炙ったり、よりどりみどりだ。
酒がすすむぜ。
そうして時間を過ごすうちに、夕食の支度ができた。
いつもより遅いな。
「すまんだすよ、風が強くなってきたもんだで、中でやってたから時間かかっただよ」
「そうか、おつかれさん。ちょっと竈とかも考えなきゃダメかもな」
「そうだすなあ、ごすじん様をお待たせするわけにもいかないだで」
「俺は別にいいんだけどな」
そんなわけで、今夜はみんな馬車の中で食べることにした。
雨はまだだが、すでに風が強い。
何組かに分かれて、適当に食事を摂る。
俺は幌馬車の前の方で年少組と一緒にたべている。
「塔かー、いいなー、レアアイテムだって」
となにやら妄想するフルン。
「私、新しい剣が欲しいなー」
「お前この間、すごい聖剣を拾ったじゃないか」
「うん。でもやっぱりあれ、大きすぎるからちょうどいいのがほしい」
「ははは、そりゃそうか」
「うん! リプルおかわり!」
そう言ってフルンはスープを飲み干し、リプルに茶碗を突き出す。
「お前たちもなにか欲しくないのか?」
他の子達に聞いてみる。
リプルは小鍋からおかわりをすくう手を止めて、
「私、ミルクを絞るときの新しい手桶がほしいなあ。今のやつ、ちょっと大きさが足りなくなってきてるんです」
「それはお前、カプルに頼めば作ってくれるだろう」
「そ、そうですね。そうします」
「ウクレはどうだ?」
「え、私は……べつに」
「遠慮はいらんぞ。どうせ塔が出してくれるんだからな」
俺が買ってやれるものならこっそり買ってやるけど。
「うーん、じゃあ、シェプテンバーグに手綱と鞍を……」
「それもそのうち買うってオルエンが言ってたぞ?」
「そ、そうなんです、はい」
みんな欲がないなあ。
「わたしはおかわり欲しい!」
「あ、ごめんなさい!」
フルンに言われて慌てて手を動かすリプル。
俺もおかわりもらおう。
ついでもらったスープをすすりながら、欲しい物を考える。
俺も欲しい物とかべつに無いな。
他も同じようで、とくに特別なものが欲しいわけじゃないらしい。
なんというか、この物が足りてるって感じは、日本にいた頃はあまり感じたことがなかったんだよな。
次々に新しいもんが出るから、なんか買わなきゃダメな気がして。
明らかにこっちの世界のほうが色々足りてないはずなのに、不思議なもんだ。
「そういえばアフリエール、おばあちゃんはなんて言ってたんだ?」
すでにうたた寝状態の撫子をひざまくらに抱えていたアフリエールに聞いてみる。
さっき手紙が来てたからな。
長耳銀髪ハーフのアフリエールは、かつては色々あった祖母ともすっかり和解して、今では時々来る手紙を楽しみにしているようだ。
さらに、子どもたち全員にしょっちゅう何かを贈ってくれるので、みんなも楽しみにしている。
「はい、みんな元気かって。冬に備えてセーターを編んでくれてるから、私達の分、贈ってくれるって」
「わたしの分もあるんだって!」
「私もです」
などと口々に言う。
そんななか、
「オーレのことは書いてなかった」
と一人不幸になるオーレ。
「そりゃお前、まだ向こうは知らないんだからしょうがない」
「だ、大丈夫。これから手紙で頼むから」
アフリエールが慌ててフォローする。
「私の交代で着ようよ」
こちらはリプル。
「ほ、ほんとか、よかった。オーレ、のけものじゃなかった」
よかった。
オーレが不幸になるとほんとしんどいからな。
しかし、超暑がりで氷の中で暮らしたがるようなオーレがセーターなんて着れるのか?
ベストぐらいにしたほうがいいかも。
あとでアフリエールに言っとこう。
馬車の中は、オーレの作った氷のお陰でだいぶ涼しい。
湿度はひどいけど暑いよりマシだろう。
食べ終わってオーレとアフリエールが食器を片付けるとフルンがすごろくを取り出す。
またか。
フルンさんは小さな体で激しいから、やりだすと寝かせてくれないんだよ。
あくまですごろくを。
気がつけば外はすでに嵐だった。
幌にバラバラと大粒の雨が当たる。
牛娘のリプルは相変わらず怖がりのようで、突風で馬車が揺れるたびに反応する。
そんな仕草も見ててかわいいんだけど、かわいそうなので膝に抱きかかえてやった。
嬉しそうにニッコリ笑うリプルはもっとかわいい。
「リプル、しあわせそう……」
オーレが羨ましそうにしてたので、もう一方の膝にオーレも抱える。
二人だとさすがにちょっと重い。
重いのを我慢しながら頑張ってすごろくに勤しんだ。
「みんな、そろそろ寝なさい」
そこにアンがやってくる。
もうそんな時間か。
「ご主人様はどうなさいます?」
「ああ、そうだな」
なんだか眠くなってきた。
カプルにレクチャーさせられて、昼寝してないしな。
「もう寝るわ、こっちでこいつらと一緒に」
「そうですか。では支度を」
とアンが一旦下がる。
「ご主人様、一緒に寝るの? 夜もご奉仕!?」
「いや、もう寝かせてくれ。ねむい……」
「えー、まあいいや。一緒にねよう!」
そう言ってフルンが大慌てですごろくを片付けて寝床を作る。
普段の子供用テントもそうなんだけど、フルンの寝床はクッションやら毛布がごちゃごちゃとつまった、ほんとに犬小屋みたいな感じでそこに丸くなって寝るわけだ。
さすがにそれだと寝にくいので、以前は真ん中にアフリエールたちが寝て、フルンだけ端っこで丸くなってたようだが、今は撫子とオーレも丸まって寝る派なので、テントの中は二分されてるらしい。
そもそも六人で寝るのは無理があるだろう。
あっちも大きくするか、誰か移したほうがいいのかな。
とはいえ、誰か外すってのもなあ。
と悩むうちに寝床ができた。
馬車の御者台のすぐ後ろにクッションを並べてフルンたちが丸まり、その次に俺達が川の字を書いて寝る。
そこにアンがエンテルを連れて戻ってきた。
手には水差しとうちわを持っている。
あれで寝付くまで扇いでくれるわけだ。
ここの暮らしでの、最大の贅沢の一つだよなあ、と思っている。
「おやすみなさい!」
とフルンの声がしたかと思うと、もう寝息が。
早いな。
俺のすぐとなりで体を横たえているウクレなどは緊張しているのがわかる。
別に変なことはしないから安心して寝てくれていいんだけど。
それとも、期待されてるんだろうか。
確認するためにモミモミしたくなるけど、アンとエンテルが見てるからなあ。
などと考えていると、俺も眠りに落ちていた。
白いモヤの中。
俺は目の前に有る匣を見ている。
真四角の匣はちょうど中央で上下に別れ、蓋を外したように上部が宙に浮いている。
匣の内部は球形に繰り抜かれており、それが詰め込まれる時を待っていた。
「まだなのか?」
「そうじゃな」
「焦らすなあ」
「わしらには無い、感覚じゃな」
「そうなのか?」
「いや、ここにはない、というべきか。なにせこの世界には時がないからのう」
「時がないってどういうことだ?」
「そのままの意味です、マスター」
いつの間にか紅がいる。
「もうちょっとわかりやすく」
「時間変化に依存した副作用がない、ということです」
「わからん」
「物事が非可逆的に、時間の経過に合わせて進んでいかない。たとえば私の言葉を聞いて、その結果マスターの行動に変化が起きることはない。何らかの状態があれば、それによる作用は常に一定だということです」
「うーん、さっぱりわからんが、でもこうして交互に喋ってるじゃん」
「それは、あとからここでの状態を破壊的に解釈しているだけです」
「あとから? あとっていっても、今こうしてお前の言葉を聞いてるぞ?」
「ここに今はありません。すべては後付の解釈です」
「それでいいのか?」
「それで何が困るのでしょう?」
「わからん」
「マスターがわからなければ、誰もこの世界をわかることはできません」
どこか物悲しげな紅の言葉にドキッとする。
ここの紅は感情豊かだなあ。
「誰って言われてもなあ」
「それでは、その腕に抱いたコアの運命は、誰が決めるのです」
「それは……」
慌てて俺は腕の中を見る。
さっきまで抱いていたはずの光は、まだおぼろげでつかみどころがない。
どうしよう。
どうすりゃ、これをつかめるんだ?
「マスター、もう時間がありません。どうか……」
「紅、そんな悲しい顔しないで、もうちょっと優しく教えてくれよ」
「マスター……」
「うーん」
だめだ、考えがまとまらない。
意識がぼやける。
「マスター、マスター」
「うーん、だめだ、それ以上は……むにゃむにゃ」
「マスター、おきてください」
「おわっ!」
紅に耳元でささやかれて起こされると、まだ深夜だった。
「夜分に申し訳ありません」
「あれ、今夜見張り番だったっけ?」
「いえ、デュースが起こしてくるようにと」
「敵襲か!?」
「不明です。ただし、そこまで緊急ではないかと」
「そうか」
時間は深夜の三時頃らしい。
少し日が短くなったので、夜明けまでにはまだ間があるな。
俺の腕枕で寝ていたウクレを起こさないように体を起こす。
嵐はすでに収まっている。
なんか、尻のあたりがムズムズする。
蒸れたかな?
寝ぼけ眼で家馬車まで移動すると、主だった戦闘メンバーがみんな起きていた。
「どうした?」
「それがですねー、どうもみょーな気配がするんですよー」
「気配?」
「こう、空気が張り詰めたようなー、キーンと言う感じのー」
「敵じゃないのか?」
「クレナイは検知できてないですねー。ただ、彼女も漠然とした精霊力の乱れはかんじるとー」
「はい、マスター」
「つまり、どういうこと?」
「わかりませんねー。今エレンたちに出てもらってますー」
「そうか」
裏口から顔を出すと、月が明るい。
きれいな満月だ。
すっかり晴れたようだな。
たしかになにか変な感じではあるが、やばそうな気もしない。
ぬかるんだ地面をみて表に出るのはやめた。
周りのテント場は俺達以外の宿泊客はない。
遠目に見る限り、村はまだ寝静まっているようだ。
オルエンと紅が、御者台上の見張り台に上がる。
あとは中で待機だ。
さて、何が来るのやら。
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