第95話 青

 いい天気だ。

 明け方には嵐はやんでいた。

 見上げると、空の彼方まで突き抜けるような澄んだ青だ。

 周りを囲む山々も、すぐ近くに見える。

 雪と岩と空のコントラストが鮮やかだ。


 こんないい天気なら、山登りもしてみたくなるな。

 あくまで、ハイキング程度の話だけど。

 むしろ雪渓を見てるとスキーとかやりたくなる。

 山は楽しく遊ぶもんだよ。

 それに引き換え学生時代の山岳部の友人と来たら、毎度毎度苦行みたいな山行ばかりで……。


 順調に馬車は進む。

 ゆるい坂を登るにつれて、道が細くなってきたかと思うと尾根道に出た。


「さあー、ここが最後の難所ですよー」


 デュースも表情を引き締める。

 口調は相変わらず伸びきってるけど。


「ここが山越え最大の難所、ヘンデルカールですわ」


 この山に住んで十年になるカプルが指さしたのは、緩やかにカーブした鋭い尾根だ。


「ほほう、カールってことは氷河で削られた崖か」

「そうなんですの? こういう抉れた窪地のことをそう言うとしか存じませんわ」

「ああ、氷河ってあるだろ、氷が長い時間かけて流れるやつ」

「それも存じませんわね。氷が流れますの?」

「まあ、そういうのがあるんだけど、それが何万年もかけて山を削っていくと、こういうお椀みたいな形の崖ができるんだ」

「へえ、そうなんですの」


 まあ、俺も山野郎だった友人の受け売りだけどな。


「なんにせよ、天気が穏やかでよかったですわ。ここは風が出るだけで超えられませんもの」


 カプルの言うとおり、かなりの難所のようだ。

 尾根の右手は垂直に切り立っていて、落ちたら終いだな。

 左手はまだゆるやかな傾斜だが、分厚い雪が残っていて、たぶん落ちたら止まらない。

 道幅に十分な広さはあるが、慎重に進む。


「そういえば山の上では魔物を見ないけど、このへんには住んでないのか?」

「さあー、オブズなどの高山に住む四足の魔物はいるかもしれませんねー。鹿と狼のあいのこみたいなやつですがー、群れで襲ってくるので凶暴ですよー」

「そんな奴に今襲われたら大変だな」

「あはは、ご主人様がそういうことを言うとー、よく出ますよねー」

「俺も自分で言ってて、そう思った」

「ならー、言わないでくださいよー」

「口にしてから後悔するってこともよくあるだろ!」

「そうですねー」


 心配になってきたので上の見張り台にいるエレンとフルンに声をかけてみる。


「どうだ、あやしい奴らは見えないか?」

「今のところは大丈夫だよ」


 エレンの朗らかな返事が返ってくる。


「そうか、まあ用心してくれ」

「ご主人様も登ってきたらー? すっごい見晴らしいいよ!」

「ああ、俺の分まで見といてくれ」

「わかったー」


 とフルン。

 まあ、大丈夫そうだな。


 騎乗で前を行くオルエンは、今日は少し距離をとっている。

 道が狭いからかな。

 逆に、いつも遥か先を先行している忍者のコルスは、すぐ前の目の届く範囲にいる。

 レルルは後ろからついてきているはずだ。

 顔を出して覗くが死角になって見えない。

 バックミラーがいるな。

 鏡はあるけど、曲面のミラーとか作れるのかな?

 あとでカプルと相談してみよう。

 そのカプルやセスも馬車を降りて、前後を護衛している。


 しかし、すごい景色だな。

 尾根の上にいるせいか、視界が広く、どこまでも山が続いている。

 そんな景色を見渡すと、左手の彼方に海が見えた。

 おお、結構近いじゃん。

 あのへん、あったかそうだなあ。

 水平線に入道雲が出てる。

 更にその向こう、水平線ギリギリの空になにか白い筋が見えた。

 目の錯覚かと思ったが、妙にくっきりとしたきれいなラインだ。

 デュースに聞こうと思ったが、慎重に馬車を操ってるので邪魔しちゃ悪いな。

 あとにしよう。


 尾根道を三十分ほど進む。

 道はゆるく右手に曲がっており、その先で尾根が別れて左手に下っていくようだ。

 今ちょうど中間地点か。

 あと三十分も進めばここを抜けるかな?

 と思ったら、オルエンとコルスが戻ってきた。

 デュースが馬車を止める。


「どうしましたー?」

「この先のゆるい傾斜のところで、かなり道がぬかるんで流れているでござる。少々馬車では厳しい気がするでござるよ」

「そうですかー、まずは見てみましょー」


 そのまま馬車を降りて見に行く。

 少し進むと、昨夜の大雨でぬかるんだ道が、一部流れてへこんでいる。


「道を補修しないとダメですねー。馬車に戻って土を取ってきてくださいー。私はその間に地面を乾かしておきますー」


 ということで、手分けして道を治すことになった。

 そんな準備もしてたのか。


 オルエンの指揮のもとでの土木工事はこなれたもので、デュースが乾かした地面の上に土や砂利を詰めて押し固めていく。

 足りない分は、手押し車を押して、尾根の手前まで取りに戻ったりもした。

 二時間ほど精を出して、どうにか補修が終わった。


「ふう、おつかれさん」


 皆をねぎらう。


「いやあ、疲れた疲れた。旦那もおつかれー」

「久しぶりの肉体労働でしたなー」

「戦闘よりも、疲れる気がしますね」


 などと口々に話す。


「うん? なにか聞こえない?」


 エレンが急に立ち上がってメイフルに尋ねる。


「聞こえますな……なんでっしゃろ」

「そういえば、今、誰が見張りに立ってるの?」

「紅はんちゃいますのん?」

「紅はレルルと土を取りに行ったまま、まだ戻ってないんじゃない?」

「ほな……誰でっしゃろ?」


 エレンとメイフルはせわしなく周りの様子を伺う。

 どうした、なにごとだ?


「なにか来る……どっち?」

「うしろ! 紅はんとレルルはんが追われてます!」

「オブズだ!」


 二人に言われて来た道を見ると、さっき話題に登ったオブズという魔物に紅とレルルが追われている。

 手押し車は捨てて、馬で逃げてきたようだ。

 場所が悪いとはいえ、レルルの俊足でも今にも追いつかれそうだ。


「みんな戻ってー、馬車を出しますよー。オルエンは戻って二人をフォローして下さいー」

「うむ」


 オルエンはシュピテンラーゲを駆って援護に向かう。


「皆は馬車の後方十メートルで壁を作ってくださいー。崖から落ちないように気をつけてー。あくまで壁を作ってくださいねー、馬車との距離を一定に保ちながらですよー。勝負はここを抜けてからですー」


 馬車に戻るとデュースはすぐに馬車を出す。

 と言っても飛ばす訳にはいかない。

 さっきまでと同じペースは維持している。


 セスとフルンが最後尾で壁を作る。

 その後ろにコルスとカプル。

 最後に俺とレーン。

 更に家馬車の上にエレンとメイフルが登り、弓を構える。


 先ほど修復した道を超えたあたりで紅達が追いついた。

 同時に魔物の群れも襲い掛かってくる。


「ギゃんっ!」


 エレンの矢に射られた魔物が、痛そうな悲鳴を上げて谷底に落ちていく。

 次いでセスに両断された首が、ゴムマリのように雪の斜面を転がり落ちていった。


 一匹一匹はかなり弱い。

 だが、すごい数だ。

 さっき通ってきた道の上をうめつくすほどに溢れている。

 細い道を一点で守ればいいのかといえばそうでもない。

 追いかけてくる敵に向かって左手、カールの方は、ほぼ垂直の崖でどうしようもないが、反対の雪渓のほうは、人間はともかく、奴らは走れなくもないらしい。

 時々後ろがつかえると、そちら側に押し出されるように列がはみ出して、そのまま側面から襲ってくる。

 むろん、すこしバランスを崩すだけで崖下に滑り落ちていくのだが、何しろ数が多いのできりがない。

 おまけに側面に人を置いて壁を展開したくても、道幅が狭いので融通がきかない。


 エンテルとペイルーン、ウクレまで馬車の上に上がり、必死に矢を放っているが、そもそも矢も無限にあるわけじゃないからなあ。

 なくなったらどうするんだ?

 思わず不安を口にすると、


「あら、大丈夫ですわ。このところ毎晩内職して作りためて置きましたわ」


 カプルが斧の一振りで魔物を三匹ほど吹き飛ばしながらそう言って笑う。


「おお、気が利くな」

「こんな事もあろうかと思ったのですわ」


 なんて頼もしいセリフだ。

 敵の数は減っていないが、壁のほうが安定してきた。

 コンスタントに敵を削れるようになったので、危うく抜かれかけることがなくなってきた。

 そうこうするうちに、どうにか細い尾根道を抜ける。

 後は広い下りの道だ。


 そこでアンと運転をかわったデュースが出てくる。


「ここなら魔法が使えますよー、まとめて吹き飛ばすので下がってくださーい」


 デュースの合図とともに前を開けると、杖を一振り。

 たちまち巨大な稲妻がほとばしったかと思うと、数珠つなぎに襲い来る魔物を貫いた。

 魔物たちは黒焦げになって、あるものはそのまま倒れ、あるものは崖から転がり落ちていった。


 群れの過半数を失った魔物たちは、とうとう諦めて逃走し始める。

 だが、こんな状況で混乱した魔物がまともに退却できるはずもなく、バランスを崩して次々と崖に落ちていった。

 ちょっと気の毒だな。


「ふう、片付きましたねー」

「おつかれさん」

「みなさんもおつかれでしたよー」


 だが、その時。

 雪渓に転がる死体の山の中から、一匹の魔物が飛び出してきた。

 その牙はまっすぐデュースの首もとを狙う。

 俺はとっさに魔物に体当たりを食らわすが、勢い余って雪渓に飛び出してしまう。


「ご主人様!」


 デュースの差し伸ばした手は、あと少しのところで届かない。

 勢いのついた体は徐々にスピードを上げて雪の斜面を滑り落ちる。

 必死で足を突き立てようとするが、氷のように固まった地面にはまるで歯がたたない。


「うおぉ、止まれ!」


 とっさに腰にさしたカプル特製のナイフを抜き、氷の斜面に突き立てる。

 両手でナイフを持って脇を締め、体重を乗せる。

 ガガガッ、と音を立てて、どうにかスピードが落ちる。

 腕が抜けそうだが、そんな心配をしてる場合じゃない。

 もう一度足を蹴り立てて地面に突き刺す。

 今度は何かに引っかかった。

 それでどうにか滑落は止まった。

 学生時代に一度やっただけの滑落停止訓練だが、思ったより自然に体が動いた気がする。

 チラリと足元を見ると、崖がすぐそこまで迫っている。

 あと数秒滑ってたら真っ逆さまだったな。


 上を見上げると、俺を助けるためにあたふたしているのが見えた。

 早く頼むよ、あんまりもちそうにない。


 すぐにロープを体に縛り付けたエレンが、慎重に斜面を下ってくる。


 あと十メートル。

 あと三メートル。

 あと……ちょっと。


「やあ旦那。雪遊びはもうちょっと安全なところでね」

「ああ、そうしよう」


 俺の体を確保すると、エレンは持ってきたもう一本のロープの端を結びつける。

 固定したことを確認すると、エレンが上に合図を送る。


 ふう、助かったか。

 紙一重だったな。

 と、氷に抜き挿したナイフを抜いて腰に戻す。


 ピシッ!


「へっ?」


 なにか嫌な音が。


「やばい! 早く上がって」


 エレンが急かすが、次の瞬間、ナイフを突き立てたところから真横に一列、綺麗にヒビが入り、そのまま地面がポッキリ折れた。


「ぐわっ!」


 突然地面がなくなり、宙に放り出される。

 腰に巻いたロープが食い込む。


「うぐっ」


 痛い。

 ぶらぶらと宙を舞う、俺とエレン。

 どうやら俺が乗っていたところは、崖の上にハングした薄い氷の板だったようだ。


「ちょっとまずいね」

「そうみたいだな」


 下を見ると目がくらむ。

 崩れた氷が、まだ落ち続けているのが見える。

 あ……今、岩壁にぶつかった。

 うわー、ありゃだめだ。


 上を見ると、割れた氷の断面にロープが食い込んでいる。

 そう、長くはもたないな。


「急いだほうがいいね、僕が先に登るよ」

「ああ、任せた」


 エレンは俺の紐を伝わってするすると戻る。

 すぐに崖の上に出たようだ。

 アレが俺にもできればね。


「おまえ、降ってきたのか?」

「え?」


 突然、誰かに話しかけられる。

 え、だれ?


「おまえ、空から降ってきたのか?」


 周りを見回すと、三メートルほど下の壁面の横穴に誰かいた。

 誰だ!?


「空から主人が降ってきた! やった!」

「え?」

「おまえ、ご主人だろ? オーレの体光ってる、オーレわかる」

「いや、その……なんだ」


 俺の足元にいる人物。

 青白い肌に白い髪。

 まるで氷の妖精みたいな娘が、青白く輝いていた。


「旦那、誰か居るのかい?」


 エレンが崖の上から顔を出す。


「むう……主人は渡さない」


 氷の妖精ちゃんは突然空中に飛び上がる。

 いきなり絶壁の上に飛び出すので、びっくりして大事なところがヒュンとなる。

 だが、彼女はふわりと宙を舞い、俺にしがみついた。

 その背中には、トンボのような四枚の羽が生えている。


「いこう、ご主人」


 と言って、俺の体を掴むとなにか手から光るものを出してロープを切り裂いた。


「おわ、旦那っ!」


 ロープが切れたことを察してエレンが顔を出すが、同時に羽娘がさらに手から何かをだす。

 光るそれは、たぶん氷のつぶてだ。


「大丈夫か?」


 エレンに声をかけると、俺を抱きかかえた娘が、


「大丈夫、ご主人は守る」

「そうじゃなくて」

「ちょ、旦那、敵かい!?」

「行く!」

「おい、お前! アレは味方だ、おま……」

「離れるな!」

「待てってば、おい!」


 羽娘は混乱する俺を抱えたまま、彼女が出てきたのであろう壁の横穴に飛び込む。


「旦那! 旦那ーっ!」


 エレンの叫び声は瞬く間に遠ざかっていく。

 何もかも混乱したまま、俺は羽娘にさらわれてしまった。




 ……ぽちょん。


 冷たい。


 ……ぽちょん。


 水の音がする。

 寒いなあ、寒い。


 周りは氷づくしの壁だ。

 床も氷だ。

 寒いに決まってる。


 よく見ると壁も天上もうっすらと青く光っている。

 目の前にはさっきの羽娘だ。


「さあ、従者にしてくれ」

「いや、それよりもだな」

「オーレ……毎日、天に祈ってた。空から、主人が降ってくるように……って」

「そ、そうか」

「そしたら、お前が降ってきた。お前……ご主人だろう? からだ、光ってる……」


 たしかに光っている。

 ただし青色に。

 ホロアは赤いし、古代種や魔族は金色じゃなかったっけ?

 青は初めてだな。

 何者だろう。


「体が光ってるってことは、そうかもしれないが……」

「やっぱり、迎えに来てくれたのだろ?」


 まあ、別に来るものは拒まないわけだが。

 ふむ、まずは自己紹介か。


「俺はニホンの紳士、クリュウと言うんだ。君は何者だ?」

「オーレは……オーレだ」

「オーレって、もしかして名前か?」

「そう。ピオのオーレ。だからオーレ」

「そ、そうか」


 オレっ娘かと思った。

 オーレね、伸ばすのね。


「へん……か?」

「いや、そんなことはないぞ。ちょっと耳慣れなかっただけだ」

「そうか」

「それで、君はホロアか? それとも……」


 青白い肌に切れ長の瞳。

 少し青みがかった白い髪。


「オーレは……知らない」

「そ、そうか」

「オーレは、天井の下で生まれた。ピオ村でエンドゥーンとして育った。でも、エンドゥーンじゃない。オーレは石から生まれた……らしい」


 石から。

 精霊石か?

 じゃあ、やっぱりホロアなのか?

 ホロアも精霊石から生まれるとか言ってた気がするし。


「ピオ村では成人すると旅に出る。オーレは空が飛べたから、魔界の太陽を抜けてこの雪の山に来た。ここは冷たくて気持ちいい。ピオ村は暑くて、辛い」

「そうか」

「長老は言った。お前は主人を探せと。そうすれば幸せになれる。オーレ、それを信じて探した。そして……みつけたみたいだ」

「君は俺の従者になりたいのか?」

「そうだ」

「従者ってなにか知ってるのか?」

「知ってる。主人の剣になり盾になる。オーレはお前の羽になる」

「わかった。じゃあ、お前を従者にしよう」

「ほんとか? お前がオーレの主人になるのか?」

「ああ、そうだ」

「そうか、よかった……よかった」


 硬い表情だったオーレの顔が、わずかにほころぶ。

 カワイイ。


 とにかく、こんな氷漬けの状態じゃどうにもならん。

 まずはみんなと合流したい。

 心配してるはずだ。


 わりとすぐ近くに皆の気配を感じる。

 向こうも感じてると思うんだけど。


「よし、そういうことなら契約だな」

「契約?」

「主従になった事を誓う儀式だ」

「儀式は大事だ」

「まあ、やり方は色々あるけど……」


 今は血を飲ませるだけでいいか。

 指先を刀で少し切り、血をにじませる。


「この血を舐めるんだ。それで契約の儀式は完了だ」

「血の誓いか。それは知ってる」


 オーレはそっと俺の指を口に含むと、吸い付いた。

 一瞬、全身がさっと光ったかと思うと、すぐに光が収まる。

 よかった、他の従者と色以外は変わらないみたいだな。


「すごい……もう幸せになった」


 オーレは素朴な、だが心からの笑みを浮かべる。


「心が……あたたかい。体は寒いのがいいが、心はあたたかいのがいい。お前見てると……幸せだ。ご主人って……すごいな」

「そりゃよかった」

「ムッ!」


 オーレは突然、険しい顔つきになると立ち上がる。


「敵だ。ご主人弱そうだが、オーレが守る。オーレにしあわせくれたご主人は、命にかえても守る」

「敵?」


 そうだった、この娘……オーレは勘違いしたままだった。


「ちょっとまて、さっき側にいたやつなら俺達の仲間だ」

「仲間?」

「彼女も俺の従者、つまりお前の先輩だ」

「先輩? つまり……オーレより偉い?」

「まあ、そんなところだ」

「ど、どうしよう。オーレ、攻撃した。しでかした」

「しでかすのはうちではよくあるが」

「どうしよう? 怒られるか?」

「謝れば大丈夫だと思うぞ」

「そうか、よかった。頑張って謝る」

「そうしてくれ。まずは皆のところに連れてってくれるか?」

「みんな? まだいるのか? 群れか?」

「ああ、たくさんいるぞ」

「そうか。群れは多いほどいい。もっと幸せになれるな」


 そう言ってオーレはニッコリ笑う。


「とにかく合流しよう。どうやればあっちにいけるかわかるか?」

「一度外にでる。ご主人、オーレに掴まれ」

「よし」


 差し出された手を掴んで、彼女に抱きつく


「あ……」

「どうした?」

「すごく…オはずかしい」

「そ、そうか」

「では、飛ぶ」


 オーレの精霊力が一瞬高まったかと思うと、背中からニュルニュルと羽がはえてきた。

 先ほど見た、トンボのような四枚の大きく細長い、半透明の羽だ。

 コルスの張った結界のように、シャボン玉の油膜っぽい模様がゆらゆらときらめいている。


「しっかり、捕まってろ」


 そう言うと、オーレはふわりと宙に舞う。

 そのまま一つ羽ばたくと、すっと飛び上がった。

 羽ばたいて飛んでるんじゃなくて、魔法か何かで浮いてる感じだな、これ。

 来た方とは別の道をたどって、地上に出る。

 崖の中腹から空に舞い上がると、ちょうど俺を探しているデュースたちを見つけた。

 エレンやフルンもいる。


「ご主人様ー、どこです!」

「ごーしゅじーんさまー」

「ご主人様ー」


 皆、口々に俺を呼んでいる。


「おーい、ここだここ。オーレ。あそこにおろしてくれ」

「わかった」


 そう言うとオーレはふわりと舞い降りる。


「ご主人様!」

「ああ、よかったー、ご無事だと信じてましたー」

「あーんよかったー、ごしゅじんさまー」


 一斉に駆け寄って俺に抱きついてくる。


「すまん、心配かけたな。そっちはみんな大丈夫か?」

「ええ、大丈夫ですよー。気配をたどって、手分けして探していたところですー」

「そうか」


 落ち着いたところで、エレンが尋ねる。


「で、こちらはさっきのご婦人みたいだけど、もしかしてもう手なづけた?」

「まあ、そんなところだ。彼女はオーレっていって」

「彼女が俺?」

「いや、オーレって名前」

「ああ、そうなんだ」

「で、俺の従者になりたいって言うからさっき契約したばかりで」

「ほんと、旦那は少し目を離すとすぐ新しい従者を増やすね」

「そこが俺のいいところだろ」

「そういうことにしとくよ」


 そう言ってオーレを紹介すると、オーレはガチガチに固まって頭を下げる。


「さっきはすまない。オーレ、勘違いした。おまえ、味方だった」

「あはは、しでかすのはうちの家風だから気にしなくていいよ。僕はエレン、よろしく」

「よかった、怒られなかった。よろしく頼む」


 そこで改めて皆を代表するようにデュースが握手を交わし、話しかける。


「はじめましてー、ご主人様の従者の一人、デュースと申しますー」

「オーレ……だ。よろしく。お前たち……みんな従者か?」

「そうですよー」

「じゃあ、みんなオーレの仲間か?」

「そうですよー、これからよろしくお願いしますねー」

「うん……うん、こんなにいっぱい。オーレ、もう幸せになった。ご主人すごい」

「今までお一人だったんですかー?」

「ピオ村は小さな村だった。年寄りが多い。長老のほか、数人だけ。若いのはみんな、旅に出た。オーレも幸せになるために、主人を探して、見つけた」

「よかったですねー。ところで、見た限り下からやってきた方のようですが、女神の柱……えっと魔界風に言うと魔界の太陽を抜けて来られたんですかー」

「そうだ」

「なんという種族、または部族でしょー?」

「エンドゥーンだ。ピオ村のエンドゥーン族」

「エンドゥーンですかー。ですが、他の皆さんは黄色い肌に角が生えていたのではー?」

「そうだ。オーレはエンドゥーンではない。石から生まれた」

「石?」

「そうだ」


 首を傾げるデュースに俺も説明する。


「そうそう。石から生まれたって言うから、魔族じゃなくてホロアなんじゃないか?」

「うーん、ですがこんなホロアは見たことないですねー。よほどレアな種族でしょうかー」

「そうかもな。なんせさっきまで真っ青に光ってたし」

「へっ?」


 デュースが今まで見たことのないようなマヌケな顔をする。


「あ……お?」

「ああ、氷の中ですげー綺麗に青白く光ってて……」

「青くー光ってー……」

「ああ」


 デュースがすごく動揺してる。

 なんか心配になってくるじゃないか。


「それでー、契約しちゃったんですかー」

「おう」

「け、契約ー……あははー」

「え、なんか俺まずいことした?」

「い、いえー別にー。あはは……はっ!」


 デュースは慌てて握手したままの手を離す。


「ど、どうした?」


 オーレも不安そうだ。


「あー、いえー、その……ちょっと手が痒くてー、あはは……」


 とわざとらしく手をかく。


「オーレさんー、ちょっと失礼しますよー」


 改めて、恐る恐る彼女の手を取る。


「大丈夫……ぽいですねー。でなければとっくにダメでしょうしー、ぶつぶつ」


 デュースは意を決したように、


「オーレさんー。今ー、幸せだとおっしゃいましたねー?」

「そうだ」

「私達はー、他にもまだいますがー、みんなご主人様の従者ですからあなたの仲間ですー。仲間ですからあなたも仲間として受け入れますよー」

「そうか、よかった」

「ただ、ご存知かと思いますがー、魔界の方が地上で暮らすのは大変ですー、うちにも魔族が一人いますけどー、見かけ上奴隷として暮らしていただかねばなりませんー」

「聞いたことはある。だから上には行くなと言われた。でも、来てよかった」

「奴隷と言っても、あくまで見かけだけですよー、ただ、そうでないと人の世界は魔族を受け入れませんのでー」

「魔界にもしきたりは有る。オーレ、物分かりいいほう。オーレはご主人についていければ、なんでもいい」

「ありがとうございますー」


 そこまで話すと、デュースは俺に向き直り、


「では、話はまとまりましたー。皆心配してますしー、急いで帰りましょー」

「お、おう」


 肝心な話が聞けてないんだけど。

 さっきは一体、彼女の何に動揺したんだよ!


「そうだ、青い光のことはしばらく内緒ですよー。特にアンとレーンにはー」

「お、おう」


 だからなんなんだよ!


 雪山をしばらく歩いて、馬車に合流する。

 遠くに俺の姿が見えた時点で、子どもたちが泣きだしているのが見えた。

 うーん、久しぶりのとんでもない大失態をしちまったな。


「よかった、よかったぁ、ご主人様、生きてて……」

「ほんとに、わたし……もう……ああーん」


 しばらくはしがみついたまま泣かれて身動きできなかった。

 子どもたちが落ち着いたところで、アンがやってくる。


「ご無事だと信じておりましたよ、ご主人様」

「ああ、すまなかったな」

「いいえ。それよりも、あの方は?」

「ああ、まあ予想通り新しい従者だ。名前はオーレ。よろしくしてやってくれ」

「やはりそうでしたか。どうです、レーン。私の言ったとおりでしょう?」


 後ろにいたレーンに話しかける


「さすがはお姉さま。賭けはわたしの負けですね」

「賭けてたのかよ」

「はい。エレンさんがご主人様は女性に連れさられたと言っていたので、新しい従者を連れて帰ってくるかどうかに賭けておりました! 先日、カプルさんを仲間にしたばかりなのでさすがに無いかと思ったのですが、さすがはご主人様、おみそれしました! して彼女は? やはり魔族ですか?」

「いや、ホロアだと思うんだけど。ただ、体が青く光ってて……」


 そこまで言って、口止めされてたことを思い出した。


「へ? あお?」


 アンが目を丸くしている。


「あお…く…ひかる……ホロア?」

「あ、ああ」

「うきゅぅ……」


 うわ、アンが倒れた。

 慌てて抱き支える。


「あはははは、それはすごい! まさかお姉さまも、ご主人様がそんな人を連れてくるとは思わなかったでしょうね! あは、あははははははは!」


 レーンまでハイになって笑ってる。

 それよりもアンの治療をしてくれよ。


「あー、ばらしちゃったんですかー」


 デュースが寄ってくる。


「アンは大丈夫ですかー?」

「あはははは」

「わからん」

「あはははははは、あははははははっ」

「うるさいレーン!」

「す、すみません、ご主人様。さすがのわたしも、こんなに驚いたのは初めてです!」

「いいからアンの治療を……」

「い、いえ、もう大丈夫……」


 とアンが自力で起き上がる。


「お、おい、大丈夫か?」

「ええ。ちょっとショックが大きすぎて」


 そんなにやばいのか?


「デュース、彼女は大丈夫なのですか?」

「ええ、肌に触れても爆発するなどということはなかったですよー」

「そうですか」

「ただの迷信かー、あるいはすでに契約済みだったからかー、そこはわかりませんけどー。私も実物を見るのは初めてでー」

「そういうことならかまいません。ですが、表向きは魔族とでもしないとまずいでしょうね」

「ですねー、彼女には魔族の奴隷として暮らしてもらうよう話してありますよー」

「そうですか」


 そう言ってアンはオーレの元に歩み寄る。


「はじめまして、アンともうします。うちではメイド長。つまり従者たちのまとめ役をやっています」

「オーレだ。つまりお前が、群れのリーダーか?」

「そうです」

「オーレ、なんでも聞く。リーダーに従う」

「ありがとうございます。ちょっと失礼しますよ」


 そう言って、アンは彼女の頬に手を差し伸べる。

 一瞬躊躇した後に、そっと頬に触れる。


「きれいな、白い肌ですね」

「そうか? 村では薄いと言われてた」

「きっとご主人様に気に入られますよ」

「そうか! 幸せになれるか?」

「ええ、ここにいれば皆、とても幸せでいられます」

「よかった」

「朝夕、仕事は大変ですが、皆と協力して幸せになりましょう。よろしくおねがいしますね」

「わかった」


 それだけ言うと、アンは皆に号令をかける。


「さあ、ご主人様も無事にお戻りになりました。日が暮れる前にここを抜けましょう」




 夜。

 少し遅くなったが予定の宿営地まで辿り着いて、キャンプを張る。

 オーレは今、フルンの洗礼を受けて双六を囲んでいるところだ。

 ちらっと覗き見たが、楽しそうでよかった。

 いつものアレの方はさっき済ませておいた。

 こっちは俺もオーレも幸せになれる、いい塩梅だった。

 残念ながら、特に変わった服は着ていなかった。

 バニーガールとかでも良かったのにな。

 で、肝心の彼女の正体だが……。


「ダークホロア?」

「そうです」


 とアン。


「なんかかっこいいな」

「かっこいい……まあご主人様ならどんな感想を持たれても今更驚きませんが、この世界で神職にあるものならその言葉はタブーです」

「そうなのか?」

「ご存知でしょうか。千年以上前に世界を滅ぼそうとした魔王オルイデ。その魔王が従えた闇のホロアこそがダークホロア。つまり彼女の種族は魔王の尖兵であり、我らの敵……と言われております」

「ほほう」

「ダークホロアはホロアと相反する精霊力を持ち、両者が接触するだけで、巨大な精霊力へと還元し、爆発すると言われています」


 反物質みたいだな。


「ですから、そのようなものがもし実在すれば、とんでもないことになると思うのですが……実際には私達が触れてもなんともありませんでしたし、やはり迷信だったのかも知れませんね」

「そうそう、だいたい、素朴でいい子じゃないか」

「そう思います」

「どうせあれだろ、魔界で生まれるちょっとレアなホロアの一種とかなんだよ。で、その魔王の話が尾をひいて、そんな感じになったんじゃないのか?」

「ええ、そうかもしれませんね。ただ、ダークホロアの名を知るものは未だにそう信じているでしょうから、ばれないようにしなければなりません」

「そうだな。迷信は怖いし」

「ただ、うちでその名を知っているのは私とレーン、デュースだけのようですから、本人に口止めしておけば大丈夫でしょう。私達にしても、青く光ったと聞かなければ外見だけではわかりませんでしたし。伝説ではもっと違った、どす黒い巨大な魔物として描かれていましたので。それに、すでに契約を済ませたあとなら光る心配もないはずです」

「そうだな」

「首輪は街についたら工面しましょう」

「ああ、そっちは頼むよ」

「かしこまりました」


 というわけで、謎は解けた。

 そんないわくつきの種族だったのか。

 うちの桃園もますますバリエーションが豊かになってきたなあ。

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