第93話 お祝い
馬車は順調に進む。
山にはいってすでに二週間ほどだろうか。
二台体制になった馬車の操作も慣れてきたようで、以前のペースに戻ってきた。
山越えも後半戦で、少し高度を落として、木々も増えてきた。
もう少し高いところだと、一部紅葉だったが、この辺りまで下るとすっかり夏だ。
わりと暑い。
途中、きれいな湖のほとりで昼食をとった。
「ねー、およいでいい?」
食事の準備中にフルンが犬耳をパタパタさせながら聞いてきた。
「冷たくないか?」
「平気だよ? シェプちゃんにも水浴びさせてあげるの」
「ならばよし。岩場が多いから、怪我しないようにな」
「うん、行ってくる! いこう、ウクレ!」
フルンはウクレを誘って泳ぎに行ってしまった。
拾った仔馬のシェプテンバーグの面倒を見るために、最近フルンはウクレとべったりだな。
年少組のフルン、アフリエール、リプル、ウクレはいつも仲がいいが、長耳のアフリエールはペイルーンに師事して薬を作っているし、牛娘のリプルはモアノアに料理を教わって忙しくすることが多くなった。
奴隷であるウクレも御札づくりでアンにこき使われているが、こちらは相対的にまだ余裕が有るようだ。
というよりも、アンがうまくコントロールしてフルンと遊ぶ時間を作ってやっているみたいだ。
結果的に、探索中以外は暇なフルンの相手はウクレがすることになっている。
「しかし、フルンはどんどん子供っぽくなってないか?」
同年齢のアフリエールが大人びてるだけなのかもしれないが、フルンも年頃の女の子としては、ちょっとわんぱくすぎるかも。
元々フルンと一緒に住んでいた、盗賊のエレンに聞いてみたら、
「フルンはあれが素なんだよ、きっと」
「そりゃあ、そうだろうが」
「僕と初めて会った時はやさぐれてたからねえ」
「あのフルンがか?」
「まあ、色々あったのさ」
フルンもウクレも故郷を戦争で焼け出されたと言っていたからなあ。
そういうところでも、通じるところがあるのかもしれない。
まあ、今のびのび暮らせてるならそれで良し。
過去の埋め合わせを今やろうとするのは不毛だからな。
俺も小さい頃、両親がいないことを嘆いていたことがあったが、そんな時に言われたんだよ。
今ある幸せを過去の埋め合わせに使うと、今楽しむ分が残らない。
自分がいなくなったら次はそれを嘆くのか?
とかなんとか。
たしか、ばーちゃんに。
いや、隣のお姉さんだったっけ?
今から思えば、それがきっかけで、俺は前向きに今を楽しむタイプになった気がする。
そんなわけで、二人にも過去は過去として、今を楽しめるように健やかに育ってもらいたいね。
気温は高いが、水は冷たい。
俺の隣では、オルエンたちが湖の水をせっせと汲み出している。
そういえばお風呂ができたんだった。
水が貴重なので試してなかったけど、今日あたりいけるのかな?
皆で裸のお付き合いといこう。
ウキウキした気分で水浴びするフルンたちを眺める。
珍しくエレンまで一緒になって泳いでいたが、俺は見るだけだ。
水浴びしてる連中はみんな素っ裸だ。
エレンもスクミズを着て泳げばいいのに同じく裸だ。
そういや、あのスクミズは水着じゃないんだっけ。
まあ、みんな元気そうで、問題ないかな。
見てる俺的にも問題ないな。
馬人の撫子も一緒に泳いでいる。
教わらなくても、泳げるものなのか。
野生の力だなあ。
先に水からあがって水びたしの撫子をタオルで拭いてやっていると、
「ごしゅーさま、おーぱい」
「おう、はらへったか。今、花子のところに連れて……」
ん?
「ごーしゅーしーさま?」
しゃべった!
撫子が喋った!
「おい、おまえらちょっとこい、撫子が喋ったぞ!」
慌てて手近な従者たちを呼び寄せる。
「おーぱーいー」
「よしよし、いい子だな。偉いぞ撫子」
駆けつけたウクレたちも驚いている。
「もう喋ったんですか! 早くてもあと数ヶ月はかかるものだと」
「えらい! ナデシコ偉い!」
「ご主人様におっぱいかー、将来が楽しみだねえ、旦那」
まったくだ。
めでたいので今夜はごちそうにしよう。
なんだろ、赤飯か?
いやあれは別のお祝いだな。
まあ、なんでもいいや。
午後も順調に馬車は進む。
出発前にお風呂に水を張ってデュースに沸かしてもらったので、早速堪能するとしよう。
湯船はあっても、洗い場がないので気にせずダイレクトに入る。
お湯が跳ねないように慎重に体を浸す。
ちょっとぬるめのお湯が気持ちいい。
「サイズはどうでしょう? ご主人様が従者を三人ほど抱えて浸かるのにちょうどいいサイズにしてあるはずですわ?」
「なら、あと三人、入ってもらわないとな」
と言って、目の前にいたカプルにアン、それにアフリエールを指名する。
三人共メイド服を脱ぐと、ゆっくりと俺の隣に身を沈める。
だが、三人目のアンの段階で、お湯が溢れそうだった。
「これは、すこしお湯を減らさないとあふれるのでは?」
と尋ねるアンにカプルが、
「大丈夫ですわ、弁がついていて、溢れないように水位を調整していますもの」
とのことだ。
すごいぞ、このお風呂。
「では……」
おそるおそるアンも湯船に浸かる。
「ふう……」
右手にアフリエール、左手にカプル、真ん中にアンを抱きかかえて、たぷたぷとお湯に浸る。
気持ちいい。
カプルは着痩せするタイプで結構でかいんだよな。
ぎゅーっとわしづかみにすると、
「ん……」
と小さくつぶやいて、頭を俺に預けてくる。
負けじとアフリエールも小ぶりな胸を俺の腕に押し当ててくる。
「まだ昼間ですよ……」
そう言いながら、アンもゆったりを体全体を擦りつけてくる。
たまらん。
めっちゃ気持ちいい。
このままよいしょと……と思ったところで、ドタドタと謎の足音が。
馬車の中で走るのは一人しかいないんだけど。
「あー、もうお風呂はいってる! 私もー!」
と言うが早いかフルンは服を脱ぎ捨てて、俺の足元あたりに飛び込んだ。
「あ、これ以上は定員オーバーですわ!」
カプルの声を打ち消すように激しく水しぶきが上がり、家馬車の中は大洪水となった。
あーあ。
「ごめんなさーい」
謝りながら床を拭くフルン。
何故か俺も一緒に拭いてる。
「そろそろフルンには、剣だけでなく従者としての立ち居振る舞いの修業が必要ですねえ」
同じく床を拭きながら、アンがつぶやく。
のびのび育ちすぎるのも考えものか。
まあ、そのうちな。
その日は森に囲まれた高原でキャンプを張った。
オルエンとエレンは今夜の獲物を取りに行き、カプルは馬車の改装を続けていた。
アンとデュースは今後の予定を立てているようだ。
残りは銘々が自分の仕事をしている。
俺の仕事は撫子を抱っこして、焚き火の番かな。
焚き火には大きな鍋がかかっている。
野菜とソーセージなどを煮込んだ、ポトフみたいなものだ。
撫子はさっき花子からたっぷりとおっぱいを貰って眠そうにしている。
俺も腹減ったな。
酒でも飲むか。
隣で鍋のアクをとっていたリプルに酒の用意を頼むと、料理の支度をしていたモアノア達のところに飛んで行く。
代わりに俺がアクを取ってみる。
この大きな鍋いっぱいに作っても、今じゃ足りなくなったんだよな。
撫子はまだミルクしか飲めないが、それ以外にも旅に出てから撫子を抜いて従者が五人増えたし、この五人もかなり食べる。
しかもフルンは育ち盛りすぎてますます食べる量が増えている。
その割にはあまり胸も育ってないんだけど。
いや、そんな数ヶ月ぐらいではかわらんか。
リプルはグッとでかくなったが、もともとそういう種族みたいだしな。
鍋だけなら他にもあるのでどうにかなるが、他の部分も含めてちょっとは改善しないとな。
お風呂もいいけど、カプルにはそのあたりもやってもらうか。
石組みの竈は使いづらそうだし、例えばあれをポータブルで使いやすいものに変えるとか、水回りも洗いやすい大きなシンクを作るとか色いろあるよな。
……なんてことを考えているとオルエンたちが戻ってきた。
結構遅かったな。
「まあね、でもお陰で大物がとれたよ。血抜きに時間がかかっちゃって」
エレンが自慢げに話すだけあって、手押し車から溢れそうなほどの立派な牛をゲットしていた。
うまそうだ。
「これは大物だすな、さっそく捌くだよ」
モアノアが巨大な包丁、というよりなたを振りかざしてどんどん解体していく。
すごいよなあ。
俺も魚を三枚に下ろすぐらいはできるけど、こういうのはちょっと厳しい。
ほら、内臓がどばーってなるし。
しかしでかいな、これ。
何人分だよ。
「百人分はあるだすな。五回は食えるだよ」
とモアノア。
そうか、百人前でも五食分でしかないのか。
まあ、気にせずいっぱい食べよう。
モアノアがさばいている間に、石を組んでかまどを作り、もう一つ火をおこす。
切り分けた肉の塊を金串に挿して、火にかける。
それをぐるぐる回しながら焼いていくらしい。
滴る肉汁がウマソウな臭いをあげる。
焼けたところをナイフでこそぎ落としては、塩を付けて食べる。
うまい。
別の塊は塩で固めて葉っぱでくるみ、地面に埋めて火を載せる。
なんかこう言うのTVで見たことあるな。
俺は牛といえば焼き肉かすき焼きだろうと思うんだけど、タレとか割り下を考えるのが面倒なのでしゃぶしゃぶにしてみたい。
「しゃぶ……だすか?」
「こう、肉をうすーくスライスしてだな、お湯をくぐらせて食べるんだ」
「はー、なるほど、おもしろいだすな。お肉はどこを使うだすか?」
どこがいいんだろ。
ある程度脂が乗ってるほうがいいのかな?
「んだら、背中のほうがいいだすかな、ちょっと準備するだよ」
そういって小鍋にお湯を張り、すこし酒を食わえる。
それに切ったばかりの肉をさっとくぐらせて、塩で食べる。
うまい。
でも塩だとちょっと物足りないか。
ワインやビネガーをあれこれしてつけだれを作って食べてみたが、こっちのほうがいけるかもしれない。
醤油欲しいなあ。
「あらー、おいしそうなものを食べてますねー」
打ち合わせを終えたデュース達がやってくる。
他にも手の空いた連中が匂いにつられてやってきたようだ。
揃ったところで、お祝いに景気のいい歌なんかを歌いながら、みんなでがぶがぶ食べる。
撫子は自分が主役だとわかっているのかどうなのか、手を叩いてきゃっきゃとはしゃいでいた。
牛を平らげた頃には撫子はすっかり眠ってしまったので、エンテルに任せてテントに運んでもらった。
あとは遠慮なく飲むとしよう。
しこたま飲んで、いい感じに酔っ払う。
いつの間に寝たのか、目を覚ますと白いモヤの中にいた。
あれ、まだ夢の中か?
「匣は手に入ったか」
「ああ、ばっちりだ」
「見事な匣じゃな。カプルはようやってくれた。これはよい器となるじゃろう」
声のする方を見ると、モヤの一部が晴れて、匣が現れる。
草地の一部が石畳みの台座となり、その上にカプルが作ってくれた匣が置かれている。
「で、これってなんなんだ?」
「匣は匣じゃ。そうであろう?」
「まあ、そりゃそうなんだけど」
「撫子はよく育っておるようじゃの」
「そうみたいだな」
「紅も安定してきたようじゃ」
「安定って?」
「ほれ、もうここまでライズできるようじゃぞ」
いつものハスキーボイスに促されるままに後ろに目をやると、紅が立っていた。
「マスター、ここは一体……」
「ああ、ここは俺の夢だ」
「夢……というと眠っている時にみるという……」
「そう、それそれ」
「違うと思いますが」
「え、違うの?」
「酔いつぶれてお休みになったマスターを馬車に運んで寝かしつけたあとに、微弱なフォス波を検知しました。その波長をトレースしようとした瞬間、ここに飛ばされたように認識しています」
「つまり……どういうこと?」
「マスターは異なる世界を渡れるのでしょう。であれば、ここもまた別の世界では無いのですか?」
「え、あれ、まじで? じゃあ、どうやって戻るんだ? というか俺はどうやってきたんだ?」
「わかりません。ですが、皆のコアは認識できます。そう遠くない場所なのでは」
「皆のコア? ……ああ、そういえば感じる。でもなんだこれ、いつもと全然感じが違うぞ?」
いつもはもっと具体的に、特定の方向から感じるのに、今は漠然とあらゆる方向から気配がやってくるような、そんな感じだ。
どうなってんだ、これ。
「ここには、他に誰も居ないのですか?」
「あ、そういやいつもの声が」
呼びかけようとして、俺はあの声の主が誰なのか知らないことに、改めて気がついた。
「今更、呆れたものじゃのう。それでも我が主か?」
「そうは言ってもわからんものはわからん」
「ふふ、まあいずれわかろう。のう、紅」
「あなたは……誰でしょう? 知っている声です」
「そ、そうだろ? 聞き覚えはあるのに誰だかわからないってのは……」
「そう、知っている。この声を、私は知っているのです……」
そういった紅は泣いていた。
紅が泣くところなんて初めて見たよ。
いつもほとんど表情の変わらない紅が、こんなわかりやすい感情表現ができるとは、思ってなかった。
そうか、紅も泣けるんだ。
「ああ、再びこの声が聞けるとは……。新たな肉体を得て生まれ変わったこの身でも、その声だけは忘れません」
「生まれ変わった?」
「そうです、マスター。私はこの人形の体を得て、生まれ変わったのです。あなたがあの漆黒の闇の中、四足の前に散った私に名を与え、再びこの世界に呼び戻してくれた。だから私はこうしてここにいるのです」
そう話す紅の体は真っ赤に輝き、辺りのもやを吹き飛ばす。
体から発する光はすさまじい風圧となって、俺まで吹き飛ばされそうになる。
「む、いかん。エムネアルの記憶が逆流しておる。お主が刺激を与えすぎるからじゃ」
「え、俺が悪いの?」
「当然じゃ、だいたいいつもお主が悪い」
「そんなこと言われたってわかんないだろ、何がどうなってこうなってるのか、たまにはわかるように説明してくれよ」
「開き直るな、ちゃんと行ってフォローして来るのじゃ」
「そうは言っても……」
とにかく、紅に落ち着いてもらわないと。
こういう時はあれだな、ハグだ。
抱きしめれば大体どうにかなる。
というわけで、頑張って側まで歩いて行って、紅を抱きしめた。
「マスター」
「紅、よくわからんけどわかったから落ち着け。俺はここにいるし、お前も俺の腕の中にいる。それでいいじゃないか」
「はい……そうです、ここにこうしていられる。この瞬間をネアルに捧げることが、我らの望み。******に残る姉妹たちもまた……」
「ん、今なんて言った? よく聞き取れなかったけど」
「******……どうやら検閲がかかるようです。私は若干の記憶を取り戻しましたが、その多くは*********の施行する検閲にかかるようです。現状ではほとんど説明できません」
「検閲?」
そういえば判子ちゃんもそんなことを言ってたような。
誰かが見張ってるのかな?
「いえ、世界がそうできている、ということです。光より速く進むことができないように、資格のない情報をやりとりすることはできません。情報は世界の本質であり、物質はその投影に過ぎません」
「そうか」
わからんけど、まあいい。
それよりも今、大事なのは、頷いて紅を落ち着かせてやることだ。
「大丈夫です。私の精神は安定を取り戻しました。」
「そりゃよかった」
「ふふ、女の扱いはうまくなったのう」
ハスキーボイスに褒められる。
照れるぜ。
「良い子達じゃ。ほれ、潮時じゃ、起きるが良い。もう朝じゃぞ」
「ああ、そうか……起きよう」
目を覚ますと、馬車の中だった。
いつの間に寝たんだろうな。
また何か面倒な夢を見ていた気がするが、思い出せん。
日はすでに高いが結構肌寒い。
隣には紅が眠っていた。
紅が眠るなんて、珍しいこともあるものだ。
「……ん…ここは?」
「おはよう、紅。よく眠れたか?」
「私は、眠っていたのでしょうか」
「ああ、よく寝てたな。いい夢見られたかい?」
「そうです、なにか……夢というものを見た気がします」
「そうか、俺もなんか見たんだけど、どうも起きると忘れるんだよな」
「夢とはそういうものらしいですね。私も、だれか懐かしい人に会ったのですが、それが誰だったのか……」
「そういうのは気になるよなあ、でも夢って起きたらどんどん忘れていくもんだからなあ」
「虚しいものですね」
「まあ、夢だからな。起きてる間のことを覚えてりゃ十分だよ」
「そうですか。なにか、もったいない気がします。覚えていないのに、とても幸せな気分で」
「そうだな」
「できることなら……もう一度、見てみたいものです」
そう言って柔らかく微笑むように見える顔の紅をみてると、細かいことはどうでも良くなってきた。
さて、朝飯にするか。
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