第92話 QOL
修理を終えた馬車は、日程の都合でペンキも生乾きだが、すっかり元通りになっていた。
連結部は工夫が凝らされていて、自在に曲がる足場とジョイント、さらにロープでうまくつながっている。
移動中に行き来もできるようだ。
後部の馬車は、木造の小屋そのもので、家馬車というらしい。
中は六畳間程もないが、小さな暖炉というか竈があって、カプルはそこで火をおこして鍛冶屋のようなこともする。
元は自分の道具を作ったり手入れしたりするために始めたそうだが、今ではそちらの方もかなりの腕のようだ。
以前作ったという細工入りのナイフなどは見事なものだった。
「だれか使ってくださいな。わたくしはどうも戦いは苦手ですわ」
ナイフを使うエレンは愛用のものがあるからと受け取らなかったので、俺がもらうことにした。
俺がいつも鞄に忍ばせていたナイフは奴隷少女のウクレに譲る。
安物だが、俺からのプレゼントだと嬉しいらしい。
狩りの時に持って行くとそばかす混じりの頬を染めて喜んでいた。
喜んでくれると、俺も嬉しいよ。
カプル自身は、クラスとしては戦士らしい。
一応、ホロアの嗜みとしてどれぐらい戦えるかは試してみたのだが、戦士というだけあってペイルーンや俺なんかよりはよほどまともに戦える。
剣術が巧みというわけではないが、筋力が強く、大きな斧を振り回す姿は結構怖い。
見た目はちょっとハイソなお嬢様なのにな。
細身の体でありながら、力強く斧を構えると、たしかに戦士っぽいところも無いわけではないような。
ビキニアーマーとか着せたら似合いそうだな。
ああいうとんでもない格好の女戦士とは、まだ出会ったこと無いけど。
大工として重い工具などを使うせいだろうか、とにかく力持ちだ。
部屋の中には俺には持ちあげられないほど大きなハンマーなどもある。
室内の半分ほどはそうした仕事道具で、残りは製図台やら資材などが並んでいる。
要するに完全に仕事部屋なわけだ。
職人の仕事部屋にあんまりホイホイ出入りすると、気を悪くするんじゃないかと思ったが、カプルはそうでもないらしい。
「一人でいるのが好きなわけではありませんわ。わたくしに課せられた試練だと思えばこそ、あの地で長く制作に励んでいたのですけれど、人恋しくなるたびに神殿まで出向いては、修理にかこつけて神官の方々とチェスなど打って、無聊を慰めていたのですもの」
そりゃあ、十年もこんなところにいればなあ。
「ですけど、そんな日々も終わりますのね。こんなに沢山の仲間を連れてわたくしを迎えに来てくださったんですもの」
そういって嬉しそうに微笑むカプル。
そんな期待に応えられるほど大した主人じゃないんだけどねえ。
まあ、がんばろう。
エレンは自分の細工道具だけでは作れなかったものを作れると喜んでいたし、オルエンも甲冑の手入れを頼んでいた。
なにげにすごく役立ってるな。
俺みたいに観念的な長所とはわけが違うぜ。
カプルにフルンの刀を作ってもらえばいいんじゃないかと思ったが、試しに俺の東風をみてもらうと、
「これはわたくしの技術とここの設備では無理ですわね。このレベルの刀は、大きな炉、上質の鉄、さらに職人がそれ一筋に何十年も修行を積んで初めてなし得るものですわ」
そんなものか。
とりあえず、今ある安物の剣を、研ぎ直して貰うらしい。
家馬車の隅にあったベッドは一旦取り外してしまった。
数人で作業をするには狭いからだという。
外したベッドは、キャンプの際にでも使うことにした。
そんな感じで馬車もいい感じにリファインされて、再び出発する。
出発して気がついたが、連結したせいで後ろが見えなくなっちゃったんだよな。
今までは最後部はセスの指定席で、後ろを見張ってたのだがそれもできなくなった。
その代わり、家馬車には、側面に出窓がついていて、そこから周りを覗ける。
背面にあたる壁には扉が付いているので、そこを開けておいてもいい。
椅子でもおけばのんびり景色をみながら旅ができそうだ。
一方の手綱を握るデュースは少し大変そうだ。
「太郎たちにはー、まだ余裕があるんですけどー、曲がる時が大変そうですねー」
そうだろうなあ。
「急ぎたいんですけどー、しばらくは様子見ですねー」
「そろそろ急がないとやばいのか?」
「そうではなくてー、この時期は嵐がきやすいですからー、足止めも覚悟しておかないとー」
「台風か」
「夏もそろそろ終わりますからねー」
嵐がすぎれば、一気に秋めいてくるんだろうが、もうちょっと暑さは続きそうだな。
まあ、山の上は寒いんだけど。
日差しは強いんだけど、空気は冷たい。
多分、平地より十度以上低いんじゃなかろうか。
夜は毛布にくるまらないと風邪を引きそうだ。
今日もゆるい坂を登る。
一時間も進むと森が切れて、一気に見晴らしが良くなる。
馬車の少し前を、フルンとウクレに引かれて仔馬のシェプテンバーグが歩いている。
フルンはなにか一生懸命話しかけているようだが、話の内容までは聞こえない。
いつかフルンがあれにまたがり、オルエンのように颯爽を駆けまわったりするのかな。
フルンのことだから、さぞ豪快に走ることだろうなあ。
結局、今日は三時間ほど進んだだけで宿泊となった。
山の上だと水場も限られるのでキャンプ地の選定が難しいというのもある。
「へえ、こんなところに水場があるんですね」
地図とにらめっこしていたアンがつぶやくとカプルが、
「ここは夏の間だけ雪解け水がとれますわ。ここが枯れると次の水場までは二日かかりますわ」
「なるほど。では、しっかり水を補充していきましょう」
「家馬車の方にも水タンクが有りますわ。屋根裏に仕込んであるので蛇口から水が出ますのよ」
そういえばあまりに自然にくっついてたので気が付かなかったが、カプルの作った家馬車には小さなシンクがついている。
もちろん蛇口も有り、ひねると水が出る。
このごく当たり前の装置が、こっちの世界では見たことなかったんだよなあ。
と思ったらエクが、
「お城には付いておりました」
アフリエールも、
「祖父の家にはありました。はじめて見た時、勝手に水が出てくるんでびっくりしました」
という。
「ほんとだ、すごい、水がじゃぶじゃぶでる!」
フルンが喜んで蛇口をひねっていたが、もったいないのでやめさせた。
「汲み上げが大変ですけど、ご協力頂きたいですわ」
「ねえ、なんで水瓶が屋根裏についてるの?」
そう尋ねるフルンに、
「高いところの水は下に流れ落ちようとするものですわ。ですから、その力を利用してここから押し出されてくるのですわ」
「へー、すごい! カプルが考えたの?」
「いいえ、これは昔からある仕組みですわ」
「そうなんだ! でもはじめて見た!」
しかし、いいよなあ、こっちの馬車。
キャンピングカーみたいで。
「ここは居心地いいな。テントよりこっちで暮らしたくなるな」
俺がそう言うとデュースが、
「嵐の季節になるとテントも張れませんしー、馬車内で過ごせるようにするのもいいかもしれませんねー」
「しかし、幌馬車のスペースをいれても、全員は寝られないだろう」
「そこをカプルの工夫でどうにかして貰えませんかねー」
そうカプルに話を振る。
「かしこまりましたわ。今、二十二人いるんでしたわね」
「そうですねー。夜営が四人、あと小さい子もいますので、そのあたりを考慮すればどうにかー」
「そうですわね……」
とカプルはしばらく考えるポーズをとっていたが、まとまったようだ。
「まず、ここの上に上がっていただけます?」
そう言って壁にかけられたはしごを設置すると、暖炉の煙突の横から上に出る。
家馬車の屋根裏は、中央が高さ二メートル弱の切妻の屋根で、傾斜の両側に窓がついていた。
前側の端には水のタンクが設置されており、後部側には小さな覗き窓があった。
あいたスペースには、何やら資材が積まれていた。
「ここから外に出られますわ」
そう言って窓を開けると、屋根に出る。
外周にそって簡単な足場があって、座るぐらいならできそうだ。
「ここに手すりをつければ見張り台になると思いますわ。風が強い時は屋根裏でも良いですし」
「ほほう、いいな」
「あとは前方の御者台の見張り台にも屋根を付けて、さらに幌の上に足場を通せば、見張り台どうしで行き来できますわね」
立体構造で秘密基地みたいになってきたぞ。
なんかかっこいい。
「ひとまず、屋根裏を夜営の方が酒盛りできる程度に整えておきますわ」
「そりゃいいね。見はりがいがあるよ」
エレンが嬉しそうに笑う。
まあ、こいつらなら飲みながらでも手抜かりはないだろう。
「ここに五人は入れますわね。あとは……」
そう言ってふたたび下に戻る。
カプルは家馬車の中を見渡しながら、
「ここを寝室にすると融通が効きませんわね。ここはリビングとして、ご主人様にくつろいでいただくほうがよいでしょう」
実に寛げそうだ。
「あとは寝床ですわね」
そう言いながら、幌馬車の方に移動する。
「やはり、ここにベッドを縦に詰むしかありませんわね」
「だろうなあ」
「組み立て式のベッドを用意しますわ。多少狭いですが私どもでしたら眠れるでしょうし」
そりゃそうかもしれんが、カプセルホテルもびっくりだぞ。
大丈夫か?
「あくまで非常用の寝所ということですわ。普段はテントで眠るのでしょう?」
「そりゃまあ、そうだ」
「あとは……この机はメイド長が御札を作られるのですね?」
馬車の前の方に置かれたちゃぶ台を指さす。
「アンでいいですよ」
と前置きしてから、
「ええ、と言っても移動中は無理ですけど。夜などに外でできない時はそこで私とレーン、それにウクレが内職をしていますね」
「ではアンと呼ばせてもらいますわ。そういうことでしたら、後ろの家馬車の机を使ってくださいな。三人なら十分書き物ができますわ」
「そうさせてもらいます」
「この机を片付けて、この辺りをフラットにしておけば、一先ずスペースは確保できますわね。それから……」
そのまま御者台のところまで抜ける。
「上に上がる梯子は内側のほうが良さそうですわね。上に屋根をつければ少し幌を削って梯子を常設しても良さそうですわ」
上を覗き見ながら話す。
確かに今の梯子は不便だったんだよな。
外についてるから移動中の昇り降りは危なくて。
まあ、危ないのは俺ぐらいだけど。
「すべて整えるのに二週間程度はかかると思いますわ」
「そんなすぐにできるのか?」
「腕によりをかけて、やらせていただきますわ」
「おうちの改造だ! かっこいい!」
フルンがおおむね俺の意見を代弁してくれたので、話はまとまった。
相談している間にテントも張れて、夕食の支度も整っていた。
馬車の横に大きなテーブルを広げる。
これもカプルが作ったものだ。
家馬車の外壁の一部が天板になっていて、取り外して足をつけるとテーブルになる。
これ一つで十数人は並んで座れる。
さらに今まであった小さいテーブルやら何やらを並べると全員がテーブルにつけた。
すごいぞ、屋外でテーブルに座って団体で食事とか、外国の農家みたいな感じだ。
具体的にどこの国だと言われたら困るけど、なんとなくああいう感じ。
全員でテーブルに向かって食事をとるのはエツレヤアンのあの小さな家以来だな。
揃って食事をとって、満足する。
いやあ、モアノアが来てから食事レベルはすごく上がったけど、カプルのお陰で生活レベルも急上昇してるな。
やっぱ生活のクオリティは意識して上げてくべきだよな。
テーブル以外にも、なんだか色々な小道具が出てくる。
ビーチで使うような折りたたみのベッドとか、篝火をたく燭台とか、鍋を吊り下げる台などもあった。
早速ベッドで寝転んで一杯、と思ったら、フルンに取られてた。
さすがフルン。
楽しそうなものには目がないな。
「すごーい、なんだかくつろぐよ! ほら、星が見える!」
くそう、楽しそうだな。
フルンが寝たら次は俺の番だ。
燭台で周りを照らすと、ランプとは違った雰囲気が出るな。
なんだかキャンプグッズが増えて、オートキャンプみたいになってきた。
これだけ作れるなら、頼めばなんでも作ってくれそうだな。
うーん、何を頼もう。
「ねえねえ、カプル。お風呂作って! 足の伸ばせるやつ!」
あ、またフルンに先を越された。
「お風呂……いいですわね。風呂を作るのは簡単ですけど、燃料の薪の確保が旅の身では難しいと思いますわ、それに水と……」
「水は雨とか無いとダメだけど、薪はいらないよ! デュースがぱぱっと魔法で沸かしてくれるもん」
「まあ、でも風呂桶いっぱいのお湯をわかすのは大変なのではありません?」
「だいじょうぶ! だってデュースは世界一の魔導師だもん!」
「世界一はオーバーですけどー、風呂桶のお湯程度なら別に造作も無いですよー」
「まあ、ステキですわ。私、お風呂が大好きなんですけど、お湯の工面が大変でしょう。ですからたまの贅沢でしか無理でしたの。前に使っていた物は古くなってばらしてしまったので、改めて作りますわ。床をはがせば風呂桶が設置できますの。まずはお風呂からですわね。急いで設計しなければ」
そう言ってカプルは家馬車に走っていった。
すごいぞ、ついに備え付けの風呂まで。
馬車なのに。
フルンが寝たので、折りたたみベッドに寝転がって星を眺める。
なんだか空が近い。
この辺りは高度はどれぐらいだろう。
森林限界を超えてるので、二千メートル以上はあるのかな?
あれって場所によって違うんだっけ。
そんなことをぼんやりと考えていたら、カプルが図面を手にやってきた。
「どうでしょう、簡単な図面をひいてみたのですけど」
見ると、家馬車の角を四角く繰り抜いて、足が伸ばせる程度の風呂桶が嵌めこまれている。
床と風呂桶の縁がフラットになっているので、底が浅そうだがどうなんだろう?
「床が底上げされていますから、胸元まではつかれるはずですわ」
「肩まで欲しいがしかたないか」
「使わない時は床にしないと狭いですもの。それに大きすぎても、重くなりますわ」
「そりゃそうか」
「湯殿としてだけでなく、夏場は水を張って、水浴びなどもできますわね」
「ほうほう」
「ちょうど出窓のベンチの向かいになりますので、水浴びする私どもをゆっくりとご主人様に鑑賞していただくことも可能ですわ」
「それは実に革新的なアイデアじゃないか」
「ご主人様はそういうのがお好きだと、エレンが申しておりましたから、組み入れてみましたの」
「最高だよカプル君。よろしく頼む」
「おまかせくださいませ、ですわ」
そう言うとカプルは再び家馬車に戻っていった。
まさか、今から夜通しやるんじゃないだろうな。
でも待ちきれないな。
ふと隣に目をやると、酌をしていたアンが、恨めしそうな顔でこちらを見ている。
「完成の暁には、ひとつよろしく」
「それはまあ、やれと言われれば、何でもいたしますけれど」
と釈然としない顔だ。
そういう顔をされるとますますそそるのが、男ってもんだよなあ。
「湯浴みの見せ方をエクに教わらないと……」
などとブツブツ言いながらアンがテントに方に去っていった。
そういう全方位に真面目なところも、アンの魅力だよなあ。
ところでアンは酒瓶ごと持って行っちゃったんだが、誰が酌をしてくれるんだ?
しかたがないので、一人ベッドに身を預けて、あれこれ妄想を楽しむのだった。
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