第80話 商売繁盛

 いつもの白いもやの中。

 何故だかわからないけど俺は正座して、説教を食らう準備をしていた。

 だが、一向に声がかからない。


 はて……。


 ぼおっとあたりを眺めていると、徐々にもやが晴れてくる。

 見上げると、一面の星空だ。

 いや、星じゃない。

 ほそいほそい、蜘蛛の巣ような細い筋が、メロンの皮のように天球に張り巡らされている。

 その筋を目で追うと、大きな光の筋へとまとまっていき、やがて巨大な大河となる。

 白い光の川だ。


 ふと気が付くと、俺が立っている場所もまた、真っ白い光の川の上だった。

 大きな川もまた、より大きな川へと流れこんでいく。

 幾つもの川の流れを束ねた先には、巨大な、とても巨大な白い柱が立っていた。


「三途の川じゃないよな?」


 我ながら、マヌケなことを考えつつ、とりあえず太い流れの方へと足を進める。

 途中、川に刺のようなものがいくつも刺さっていた。


「ははあ、これが楔か」


 などと一人で納得しながら、ぶつからないようによけながら歩く。

 その楔は、まだ真新しいものもあれば、砕けて抜けかけているものもある。

 その一つが、今にも折れそうだったので、思わず手を伸ばすと、どこからか声がかかった。

 いつもの声だ。


「手を出さずとも良い。それはお主の領分ではない」

「そうなのか?」

「見よ、その先を」

「うん?」


 促されるままに前を見ると、白い河に、ポッカリと穴が開いていた。

 よく見ると、いくつも穴が空いている。


「大丈夫なのか?」

「大丈夫じゃ」

「しかし、大きな穴があいてるぞ」

「大丈夫になったから、抜けたのじゃよ」

「そうか」

「大丈夫でないのは、あれじゃな」


 言われた方を見ると、足元の白い川から細い筋が一本、伸びている。

 そして、それが中程で何かに断ち切られたのか、ぷっつりと途切れている。


「ははあ、あれか」

「あれじゃな」

「あれってなんだっけ?」

「気にせずともよい。ふふ、グズグズしておると、デストロイヤーに喰われるぞ」

「え、なんだって?」


 急に生々しい機械音がしたかと思うと、空に球形の物体が浮かび上がる。

 なんだありゃ。


「ほれ、ついてまいれ」


 急に現れた手に、俺はぐいぐい引かれている。

 手の先にあるはずの顔をどうにかしてみようとするのだが、目が曇って見えない。

 目を開けてしっかり見ようとするのに、なぜかまぶたが重くて、前が見えない。

 それでも、無理に目をこじ開けて、前を行く声の主を見る。

 俺の手を引き、さっそうと走るその後姿は、まるで……。




 よく覚えていないが、すごく疲れる夢から目覚めると、今朝も蒸し暑かった。

 一晩中続いた雨は、朝方には上がったようだ。

 朝まで高いびきで寝ていた判子ちゃんは、


「お世話になりました」


 と出ていこうとするが、家に帰れないんじゃなかったのか?


「あなたに心配される言われはありません」

「ケチだなあ、心配ぐらいさせてくれよ、近所のよしみじゃないか」

「そんな勝手は許しません。私があなたを監視する、あなたは私に監視される、それがあるべき姿です」

「じゃあ、監視してていいから、もう二、三日いたらどうだ? あてもないんだろう」

「うぐぐ、人の弱みに付け込んで……」

「決まりだな」


 こっちの大きいテントじゃ色々アレがナニして居づらいだろうし、もう一個の方に場所を作って……。


「おーい、フルン」


 とフルンを呼ぶ。


「なあに?」

「お客さんだ、しばらくそっちのテントで寝泊まりしてもらうからな、よろしく頼むぞ」

「お客さん! すごい! ご招待!」


 フルンは喜んで判子ちゃんの手を引いていく。


「私フルン、ようこそ!」

「あ、はい、どうも……判子です」


 二人共外見的には同年代に見えるが、感じは随分違うな。

 いや、そうでもないか。


「みんなーお客さーん」


 そう言ってフルンが小さいテントに判子ちゃんを引っ張り込む。


「お、おじゃましま……ひひゃぁっ!」


 と叫んで判子ちゃんが転がり出てきた。


「どうした?」

「ち、乳が、おっぱいがいっぱい……」

「ああ、リプルが搾ってたのか」

「は、ハレンチです、いったいこんな子供に何をさせてるんですか!」

「失礼だな、リプルはもう一人前の牛娘だぞ、毎日そうやって皆の飲むミルクを搾ってるんだ」

「み、みんなの!?」

「判子ちゃんも昨夜、乳粥食っただろう」

「あ、あれが?」

「ほら、ちゃんと礼を言っとけよ」

「うぐぐ、こ、こんな一年かそこらですっかり順応して、これだから放浪者は……ブツブツ」


 そう言って再びテントに潜り込む。

 聞き耳を立てると、最初はフルンが一方的にまくし立てていたが、すぐに判子ちゃんも含めて笑い声が響く。

 うん、フルンに任せとけば安心だな。


 ひとつ肩の荷が下りたので、のんびりと……、と思ったら今度は店のほうが盛り上がっていた。

 どうやらメイフルが呼び込みをやっているらしい。

 アンを捕まえて様子を聞くと、上々とのことだ。


「へえ、塔があの有り様だから駄目かと思ったが」

「塔は駄目でも旅の冒険者も一定数いますし」

「ほほう」

「場所どりもメイフルの目利きが効いているようです。広場の反対側とこちらでは、人通りが倍ぐらい違いますね。ここに入った日は夜遅くについたのに、よくわかるものです」

「なるほど」

「ですから、売上は思ったよりいいですね。それに目当てのお客様が来られてますし、つかみはいいのではないでしょうか」

「新作もあるしな」


 紳士の挑戦というのは、商品の包み紙に刷った、クイズのことだ。

 こいつ目当てのリピーターを呼び込もうという、うちのキラーコンテンツだな。

 感覚では単純に一、二割程度売上があがる気がする。

 なかなかの成果だ。


「あとはそうですね、兵士が多いみたいです。例の騎士団と一緒に何やら演習とかで近くの砦から集まってるとか」

「ほう」


 などと話していると、景気のいいメイフルの声が聴こえる。


「おっとそこ行く旦那、昼間から重い顔してますな、飲みすぎでっか? そんなあんさんに紳士印の胃腸の妙薬、胃のもたれをすぅっととって、今夜も楽しゅう騒げますで」


 などといった調子だ。


「たいしたものですねえ。あの話術ひとつとっても、かないません」


 とアンは感心する。

 言われてしばらく観察していたが、たしかにたいしたものだ。

 あれって、照れとかもあるけど、才能がないとできないよな。

 同じ文面をスラスラしゃべるだけなら、練習すれば出来るんだけど、相手の顔色を見ながら、押したりひいたりの駆け引きはちょっと練習だけではどうにもならない感じだ。

 客商売は学生時代に小売バイトをしてた経験しかないが、そう思う。

 セールストークのうまい奴は同じバイト仲間でもすごく上手いし、ダメな奴は経歴二十年の社員でも駄目だったからな。


 人は物を買うときに、余程の必需品でもなければ、ただ必要というだけで必ずしも買うわけではない。

 最後のひと押しってのは必要なわけだ。

 それがブランドだったり、割引だったり、ウリ文句だったりする。

 メイフルは別にトークだけが上手いわけじゃない。

 客に金を出す決断をさせる、その駆け引きが上手いのだ。

 もちろんそれは、その場限りの技ではない。

 事前に商品を見極め、需要を知り、金を出す一歩手前までのお膳立てをする。

 そのすべてをやってこその商人、というわけだ。

 商人というクラスはないそうだが、いれば間違いなくメイフルは盗賊ではなくそっちになってたのかもな。

 それで今まで苦労したのだろうが、これからはうちで思う存分、商人をやって貰いたいところだ。


 そんなわけで、最初、メイフルには商売の方を任せるつもりだったが、本人が探索に入ると主張した。


「おこころざしは嬉しいんですけどな、うちも紳士の従者となったからには、盗賊の腕を鈍らせるわけにはいきまへん。それに、うちらが探索する時間帯は、客の中心である冒険者連中も探索で籠もってますから、うちが手を出す必要あんまりおまへんからな」


 とのことだ。

 メイフルも色々考えてるんだろう。

 プールも言ってたっけ。

 従者になることで得るものもあれば、失うものもある、と。

 結果的に今は店に専念してもらってるが、探索に出る時は盗賊として活躍してもらうとしよう。


 昼ごろからまた降り始めたが、呼び込みが効いているのか時間が経つに連れて、客がどんどん増えてくる。

 キャンプ場の端、通りに面したところに陣取ってワゴンで店を出しているわけだが、かなりの人だかりだ。

 一度人だかりができれば、それが次の客を呼ぶ。

 今もフルンとリプルが品出しを手伝い、店は繁盛している。


「せっかくなのでー、私も占いを売りましょうかー」


 客が並ぶ様子を見て、デュースも触発されたのか、久しぶりに占いを売り始めた。

 買い物客がつられて買っていくので、なかなかいい塩梅だ。


 あとは任せて、俺はテントに引っ込む。


 テントの中では、ペイルーンとアフリエールがせっせと丸薬を作っていた。

 奥には干した薬草が山積みされている。


「メイフルが来てから売れすぎよ、作るペースが追いつかないわ」


 とこちらも向かずにペイルーンが愚痴る。

 なにか手伝うとするか。


「だったら、その丸めた薬を馬車に持って行って乾かしといて」


 言われるままに、丸薬の並んだ木箱を馬車に運ぶ。

 雨に濡らさないように慎重に馬車に移るとこちらは洗濯物でいっぱいだった。

 その奥で、エクとプールがチェスを指しながら、うちわで丸薬を仰いでいた。


「どうした、貴様もペイルーンに顎で使われておるのか」

「まあね。手で仰ぐのも大変だろう」

「なに、片手間で出来る。大したことではない。アフリエールなどは汗みどろになって働いておっただろう。後でせいぜい、労ってやることだ」

「そうするよ」


 木箱を渡して、テントに戻る。

 今度は売り子を代わったアンがレーンとウクレと一緒に御札を作っていた。

 そこにフルンが飛び込んでくる。


「ねえアン! 赤札追加だって、ある?」

「赤札ですか。ウクレ、奥の分はもうかわいてる?」

「あ……はい、大丈夫です。墨もかわいてます」

「じゃあ、検品しましょう。フルン、あと五分ほどかかります。できたら持っていきますから」

「わかったー」


 その奥ではお嬢さん方が並び、包装紙に手刷りでクイズを刷っている。

 うーん、マニュファクチュアだなあ。

 邪魔しちゃ悪いので、馬車に戻ろうとすると、子供部屋テントから顔を出した判子ちゃんに呼び止められた。


「黒澤さん、ちょっと」

「どうした、めしはまだだぞ」

「違います!」

「じゃあ、なんだい?」

「私はタダ飯をむさぼるつもりはありません」

「つまり、なにか手伝いたいと」

「そういう解釈も成り立ちます」

「そうかそうか。おーいフルン!」

「なーに?」


 すぐに駆け寄ってきたフルンに任せる。


「判子ちゃんも手伝いたいってよ」

「でも、お客さんだよ?」

「一宿一飯の恩義を返したいってさ」

「そっかー、義理と人情だねえ。わかった、じゃあ一緒に品出しして!」


 フルンは勢いよく判子ちゃんの手を引っ張っていく。


「あ、ちょ、ちょっとまって」


 振り回されてるな。

 よしよし、頑張ってもらおう。

 働かざるもの、なんとやらだ。

 俺はもう、十分働いたよな?

 というわけで、馬車に戻るとプールが団扇の手を止めて出迎える。


「追い出されたか」

「怠け者には居づらくてね」

「だろうな。どれ、こちらに来い。我らが慰めてやろうではないか」

「そいつは、うれしいねえ」


 というわけで、三人並んで洗濯物に埋もれながら丸薬を乾かしていると、占いを売り終えたデュースが戻ってきた。


「はー、久しぶりの売り子はつかれますねー」

「おう、おつかれさん」

「それにしても、メイフルはよく売りますねー、売り物が変わったわけでもないのにこれですからー」

「楽しそうだよな、あいつ」

「天職というものでしょうねー、結構なことですよー」

「そうだな」

「とはいえ、そろそろ客足も途絶えますねー、モアノアが夕飯の支度に入りましたしー、もうちょっとで皆の手もすきますよー」

「つまり、そこからが俺の出番というわけだな」

「そうですねー、たっぷり労ってあげてくださいねー。それが一番の喜びですからー」

「おう、任せとけ」

「ところでー、彼女はいいんですかー?」


 判子ちゃんのことだ。


「どんな様子だ?」

「不器用ですねー、転んでもう少しで商品をぶちまけるところでしたー」

「そうか」

「危険ではなさそうですけどー」

「俺にもわからんからなあ、でも俺にしてみりゃ、つい一年ほど前までは隣に住んでる妹みたいな女の子だったわけで、そう無下にはできんのよ」

「かしこまりましたー」


 彼女の正体とか、日本と行き来する秘密とか聞き出したい気はするんだけどな。

 いや、やっぱり聞かなくてもいいかも。

 下手に聞いてホームシックにかかったり、余計な面倒事に巻き込まれても困るからな。

 今の暮らしは、十分満足してるからなあ。


 日が沈むと客もいなくなる。

 此処から先は夜の商売、酒と女を売る時間だ。

 俺たちも早々に店じまいして、晩飯だ。


「いやー、売り子は楽しゅうおますな。仕入れやら商品開発も楽しいんですけど、うちはやっぱ売り子が一番性におうてますな」

「随分儲かったな。探索と同じぐらい売れたんじゃないか?」

「うちは商品に魅力が有りますからな、売りやすうおますで」

「しかし、ちょっと売り過ぎじゃないか、作るほうがオーバーワークだぞ」

「そうですなあ、確かに考えんとあきまへんな」

「在庫切れで機会損失を出すのはまずいからな」

「そうですなあ」

「機会損失ってなんですか?」


 とアンが尋ねる。


「うん、つまり需要はあるのに、商品を切らしてると売れないだろ。店の都合でそうやって売れないと、本来あるはずだった儲けがなくなるから損するわけじゃないか。それを機会損失っていうんだよ」

「なるほど、でもそれだけだと、作れなかった分の儲けが減るだけなので、しかたがないことなのでは?」

「そうなんだけどな……」


 なんと答えようか悩んでいるとメイフルが話をつなぐ。


「わざわざ買いに来てもろて、ほしいもんが手に入らなんってなると、今度は別の店に流れてまいますやろ。一度逃した客は、なかなか戻ってきまへんからな。そういうのも大事でっせ」

「ははあ、確かにそうなりますね。買い手の視点で考えるというのは、簡単なようで難しいものですね」

「他にもいろいろありますで、うちは生ものがおまへんから、あんま気になりまへんけど、在庫の保管も結構な問題ですわな。倉庫もただやおまへんし。あとはオーソドックスな需要の問題、これからの季節、よう腹壊しますからな、胃腸の薬は多めに要りますで。こちらはペイルーンはんがきっちりやってくれてますけどな」

「まあね、作るのは任せといて。でも、あと一人ぐらい人手がほしいわね」


 と肉を頬張りながら、ペイルーンが胸を叩く。

 人手か。

 これだけ従者がいても足りないってのも凄いな。


「街をぶらぶらしてれば、またすぐにひっかかるんじゃないの?」


 とペイルーンは気軽に言うが、そんな簡単なもんじゃないだろう。

 簡単なときも多かったけど。


「まあ、善処するよ」

「期待してるわ」


 判子ちゃんはというと、フルンたちと並んでガツガツと飯を食っていた。

 ほっといて良さそうだ。

 気にせず俺は酒でも飲むとしよう。

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