第74話 馬
白いもやの中。
久しぶりの感覚だ。
いつもの声……は聞こえないな。
いつもの声ってなんだっけ?
首を傾げながら、周りをよく見ると、目の前に二人の人物がいる。
かなり若いカップルだ。
若いけど夫婦かな。
女の方はお腹が大きい。
今にも生まれそうだ。
などと考えていたら、急にお腹を抑えてうずくまる。
陣痛だ!
どうしよう!
思わず動揺するが、隣の男も動揺していた。
いや、お前の嫁だろうが、しっかりしろよ太郎。
ああそうだ、こいつ、太郎なんだ。
太郎ってこんな顔だったっけ?
いや、それよりも花子だ。
花子は股を開いて必死に産もうとしている。
いやこれ、俺はどっか出てたほうがいいんじゃないの?
だが、太郎は懇願するように俺を拝み倒す。
拝まれてもなあ。
花子の股ぐらからは、足が見えていた。
馬の足だ。
なんかテレビで見たな。
足を引っ張ってやればいいのか?
どうなっても知らんぞ。
赤子の足を掴んで、俺は必死に引っ張る。
きつい。
色んな意味できつい。
花子は苦しそうだ。
太郎は泣きそうな顔をしている。
俺も泣きそうだよ。
とにかく頑張れ。
あれだ、ひっひっふーだ。
あとちょっと。
もうすぐ……あと……すこし。
よし、生まれた!
そう叫んだ瞬間、目が覚めた。
目を覚ますと、俺はペイルーンの股ぐらに顔を突っ込んで寝ていた。
道理で変な夢を見るわけだ。
ペイルーンを起こさないように静かに床を離れると、外にでる。
雨はすっかり上がり、見違えるような快晴だ。
今日も暑くなるな。
「おはようございます、ご主人様」
景気良く自分の乳をしぼっていたリプルが一番に挨拶する。
よく眠れたようだな。
オルエンとウクレが馬に餌をやっていたので、側に寄ってみる。
「おはよう……ございます」
「おはよう、おうまちゃんたちの機嫌はどうだ?」
「良い……ようです」
花子にブラシをかけていたウクレが俺に向き直り、
「ハナコも大丈夫そうです。これならいい子を産むと思います」
「へー、そうかあ……って花子は妊娠してたのか?」
「はい……ご存知ありませんでしたか?」
「いや、聞いたような……聞いてないような」
「も、申し訳ありません。てっきりご存知かと……」
恐縮するウクレを制してオルエンが、
「いや……前に……お話……しました。酔って……おられたので、お忘れになった……のでは」
「そうかもしれん。いや、だからこそ、あんな夢を見たのかな?」
「夢ですか?」
二人が尋ねるので、かいつまんで話してやる。
「難産の知らせでしょうか。何事もないといいんですけど」
ウクレは不安そうだ。
「大丈夫だって、夢ではちゃんと生まれてたし」
「そ、そうですよね。きっと大丈夫です」
「予定日とかわかるのか?」
「たぶん、まだ先だと思います。人間ほどはっきりとはわからないですけど」
「そうか、しかしあまり無理はさせられないな」
「デュース様は、しばらくはゆるやかな行程なので、大丈夫だろうとおっしゃっていました」
「なら、大丈夫なのかな」
「はい」
「ウクレは馬のお産に付き合ったことがあるのか」
「はい。何度もあります。ローゼルの馬は半分野生なので、夜のうちに勝手に産むのですが、様子を見ておかないと、デローズやカラスに襲われるんです」
「そりゃ大変だ」
「あと自分の乗馬が産むときはつきっきりで手伝ったりもします。たぶん花子は初産なのでついててあげたほうがいいと思います」
そういやウクレは戦争で部族は散り散りになったんだっけ。
その後、奴隷になって俺に買われたわけだが。
嫌なことを思い出させてしまったか、と思ったが、気にしてはいないようだった。
他の従者と分け隔てなく接してるつもりだけど、ウクレだけはうまく行ってるのか自信がない。
というか、常にウクレに対してはどこか気を使って接しているんだよな。
同じ奴隷でも姫奴隷のエクはそういう心配をしたこと無いんだよなあ。
なぜだろう。
それよりも、今は花子か。
「俺は馬のことはわからんからなあ。とにかく、花子のことは任せるよ。手伝うことがあったらなんでもいってくれ。あてにしてるぞ」
「は、はい。がんばります!」
その時は、それで花子のことは一旦忘れてしまったのだが、まさかその日の晩に異変があるとは思わなかった。
今日は、きれいな湧水のある丘を野営地とした。
雨も降らなかったので楽なもんだ。
地面も水はけがいいのか、すっかり乾いている。
ただ、他に旅の者は見当たらず、今夜も貸し切りだ。
本当は一組でもいたほうが心強いんだけどな、まあ言っても仕方ない。
食事を終えてまったりしていると、ウクレが不安そうな顔でやって来た。
「ハナコの様子がおかしいんです。落ち着きがなくて歩きまわってて、たぶん出産が近いんじゃないかと」
「え、もう生まれるのか?」
「はい」
「ど、どうすりゃいいんだ、お湯か?」
「いえ、人間じゃないので、見守るだけです」
「そ、そうか」
「とにかく、今夜はつきっきりで様子を見ようと思います」
「わかった、なんでも言ってくれよ。手伝うからな」
自分の子でもないのに、そわそわするな。
「ご主人様が動揺すると、みんな不安になりますよ。ウクレに任せておけば大丈夫です。しっかり構えていてください」
アンにたしなめられたので、どんと構えることにする。
俺も貫禄無いなあ。
夜遅く。
花子はなかなか子を産まない。
難産のようだ。
現代ではなかなか分からないが、出産というのは非常にリスクが高い。
馬の出産でも母子ともに常に危険が伴う……はずだ。
よく知らないんだけど。
とにかくガンバレ。
さらに待つこと数時間。
焚き火に当たって時間を潰していた俺を、ウクレが呼びに来る。
「手がでました」
いわれて飛んで行ってみると、確かに花子の大事なところから腕が出ていた。
「え、これ……手?」
俺が驚くのも無理は無いよな。
だって人間の腕が二本、花子のあそこから生えてるんだもん。
「自力で出れないみたいです。腕を掴んで引っ張ります」
「お、おう」
ウクレたちは驚いていない。
そういうもんなの?
手首を掴んで必死に引っ張る。
頭が見えた。
完全に人間なんだけど。
しかもなんか光ってるし。
思わず顔に手をやろうとして、ウクレに怒られた。
「首を掴んじゃだめです。手をひっぱって」
「お、おう」
「がんばって、あとすこし、あと……」
やがてズルリと抜け落ちた。
フルンやウクレより少し小さいぐらいだが、完全に人の子だ。
女の子のようだ。
花子の子だけど。
「う……ぁ……」
少女は小さく声を上げながら、自分で体を起こし、よろよろと立ち上がる。
途中何度もよろめくが、自分の力で立ち上がった。
「がんばって、おかあさんのおっぱいはそこよ、がんばって」
ウクレが必死に励ましている。
俺も驚くのは後回しにして、とりあえず応援してみた。
花子の娘は、どうにか立ち上がり、母親の乳に吸い付いた。
花子はそんな自分の娘をなめてやる。
人間の少女が馬の乳に吸い付いている姿は非常にシュールだ。
っていうか、どういうこと。
「無事に生まれてよかった……」
「いや、よかったんだけど、どういうこと? 馬じゃないの?」
「馬人ですね、私の故郷でも何十年かに一度ぐらいは生まれます。とてもおめでたいことです」
「そうなのか、まあそれならいいんだけど」
良くない気もするけど、まあいいや。
遠巻きに見ていたアンたちもやってきた。
「生まれたんですね。しかも馬人とはおめでたい。この子は従者として立派に育てましょう」
「え、従者にするの?」
「駄目でしょうか。良い子に育つと思いますが。相性はどうでしょうか」
「大丈夫だと思います、光ってましたし」
ウクレが自信を持ってすすめる。
「それは良かった。では初乳が済んだら、契約させましょう」
「え、生まれたてでするの?」
驚いて尋ねるとアンが呆れた顔で、
「月のものが来るまでは無理に決まっているでしょう。三年ぐらいはお預けです。あとで血を飲ませてやってください」
むしろ三年でいいのかと思わなくもないが、外見的にはフルンとさほど差があるわけでもないし、いいのかも。
フルンたちもなんとなく子供扱いしてるけど、こっちの世界じゃ結婚して子供産んでてもおかしくない年齢だしな。
改めて見ると、しっとりと濡れた栗色の髪が、白い肌に張り付いて艶かしい。
細面で、すこし長い鼻が、馬っぽいのかな。
耳の形も変わっているかも。
将来は美人になりそうだ。
今も十分かわいいけど。
騒ぎを聞きつけて、眠っていたフルンが起きだしてくる。
「ねえ、うまれた? ハナコだいじょうぶ?」
「ああ、生まれたぞ。とびっきりの美人だ」
「ほんと? ほんと? やったー」
花子に飛びつこうとするフルンを慌てて取り押さえる。
「ねえ、あの子? 馬じゃないの? ハナコが人間うんだの?」
「まあそういう感じらしい」
「すごい、ハナコがんばったねえ」
「ああ、がんばったな」
「あの子の名前は? 名前!」
「名前か……俺が考えるのか?」
「とうぜんでしょ、うちのものはぜんぶご主人様のものなんだから、ご主人様がきめないと!」
「うーん、なまえかあ。太郎と花子の娘だしなあ……」
と悩みながら周りを見渡すと、ピンクの花が目に入った。
足元に映える小さな花で、ちょっと撫子の花ににているな。
死んだ祖母が好きだったんだよ。
顔は思い出せなくても、好みぐらいは覚えてるぞ。
よし、決まりだ。
「彼女の名は撫子だ」
「ナデシコ?」
「ああ、俺の故郷じゃヤマトナデシコといってな、可憐で繊細だが、芯の強い撫子という花を女性の魅力に例えて呼ぶんだよ」
「ふーん、かっこいい! わたしもヤマシコになる!」
「お、なるか、お前ならなれるぞ、がんばれ」
新たな仲間となったナデシコちゃんは、もうしばらく母親に預けておくとして、俺もどっと疲れた。
寝てもいいかな。
でも、ウクレはまだ起きてるみたいだし。
「私なら大丈夫です。徹夜でお産するのは普通ですし」
たくましいな。
体が弱そうなイメージあったけど、さすがは遊牧民なのか。
なにがさすがなのかは分からないが、おじさんは先に寝ます。
翌日。
「では、早めに契約させましょう」
とアンに促されて、撫子に血を飲ませることにする。
撫子を抱きかかえると、俺に顔を擦り付けて甘えてくる。
どうやらなついてくれてるようだ。
これなら、大丈夫なのかな。
頭をなでてやりながら、傷をつけた指を差し出すとれろれろと器用に指をしゃぶる。
やがて体がひときわ輝いたかと思うと、すっと体の光が消えた。
用心のために、今日はこの場に留まることにした。
産後に無理をさせるわけにも行かないしな。
撫子はおっぱいを飲んだら眠くなったのか、ひょこひょこと俺の隣にやってきてとなりにぺたんと座り込む。
どうでもいいんだけど、素っ裸なんだよな。
さっきアンが服を着せようとしたが嫌がったようだ。
ウクレいわく、しばらくすれば慣れるらしい。
毛布でくるむようにして膝に抱きかかえると、犬のように「くーん」と鳴いて、俺の頬を舐める。
生まれたばかりだから、言葉が話せないのは仕方ないとして、教えれば話すようになるんだろうか。
「馬人はとても頭がいいので、すぐに話せるようになるはずです」
とウクレ。
「馬人というのを、育てたことはあるのか?」
「いえ、でも別の部族の馬人はよく知っています。族長の従者で、かなりご高齢だったのですが、とてもやさしい人でした」
「ほほう」
「この子は、きっと優れた従者になると思います」
「そりゃあ、楽しみだな。ウクレみたいにしっかりした子に育つといいな」
「わ、私なんて……」
「そう卑下するもんじゃないぞ。ウクレもしっかりしてるからな」
「あ……ありがとうございます!」
俺は褒めて伸ばすタイプなので、しっかり褒めてやらないとな。
実際、ウクレは色々頑張ってくれてるけど、デュースやエンテルなんかだと逆に乳のもみ具合ぐらいしか褒めてない気がするので考えないといかん。
そんなことを考えながら向かいにいたデュースの乳を眺めていると、
「ご主人様も授乳ですかー」
「いや、やめとこう」
話題をそらそうとして、ふと、太ももが生温かくなっていることに気がついた。
これって……。
「ん…ぁんああ……」
撫子がスッキリした顔で俺を見る。
やりましたね、お嬢さん。
俺の膝の上で、ばっちり粗相してくれました。
「あらー、いいのをもらっちゃいましたねー」
ニヤニヤ笑うデュースの後ろから、
「た、たいへん!」
とウクレが慌ててやってくる。
「あぅ……」
撫子はちょっとびっくりしていたようだが、別に怒ってないから気にしなくていいぞ。
「トイレをちゃんと躾けないといけませんね」
「そんなすぐに覚えられるのか?」
「大丈夫……だと思うのですが」
「だといいなあ」
なんだか、大変なことになってきたな。
もう一度、花子から母乳を貰って、撫子はむしろの上で眠っている。
すやすやと眠る姿は、かわいいもんだ。
まあ、かわいければいいか。
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