第72話 大商人 後編
俺たちが飛び込んだ扉の先は小部屋で、出口のこちら側は結界があるのか、敵は入ってこれないようだ。
そして部屋の中央には大きな精霊石が浮いていた。
といっても、ボズのものよりはかなり小さい。
半分もないだろうか。
これが尽きたらおしまい、ということなのだろう。
床に敷いた毛布の上に、プールを寝かせる。
肩甲骨のあたり、さっきまで羽が生えていたところが、丸くえぐれて、わずかに血が滴っている。
幸い、プールはすぐに意識を取り戻した。
「すまぬな……、まさかこのような時に、羽が抜け落ちるとは」
声の調子からして、命にかかわる感じではなさそうだ。
だが、かなり弱っているようには見える。
「そんなに簡単に抜けるものなのか?」
「妾の種族は何度か羽が生え替わるのだが、その時にいささか魔力が狂うそうだ。もう少し前もって兆候がでると聞いていたが、妾も初めてのことでな……」
「まあ、たまにはそういうこともあるさ。俺なんかしょっちゅうしでかしてるしな。それより、羽はまた生えてくるのか?」
「そのはずだが……。なに案ずるな。元より羽など、飾りのようなものだからな」
さほど血が出ているわけではないが、傷跡は痛々しい。
ひとまず血止めのクリームを塗って、今からレーンが治療するようだ。
「レーン、頼む」
「かしこまりました! さあ、プールさん、体を楽にして」
側についていたいが、レーンの治療の邪魔になるだろう。
プールのことは僧侶であるレーンに任せることにする。
安全は確保できたようなので、俺たちも交代で休憩を取る。
回復できるときにしておくのは大事だからな。
「間一髪でしたねー」
地面に座り込んだデュースが、汗を拭いながらそう言うと、返り血にまみれたセスが答えて、
「ですが、良い連携でした。すこしタイミングがずれただけで、切り抜けられなかったでしょう」
「皆が自分のポジションを理解しているからですよー。そうは思いませんかー、メイフルさん」
同じく地面に座り込んで水を飲んでいたメイフルは、急に話をふられて照れ笑いする。
「うちはエレンはんについていっただけでっせ?」
そういうメイフルから水筒を受け取ったエレンは、
「その割には僕より半歩先に飛んでた気がするけど」
「そうでっか? 気のせいでっしゃろ」
「まあ、そういうことにしとくよ」
仲がいいのは結構なことだ。
つられて笑う俺に、レーンが寄ってきた。
「ご主人様、ひとまず血止めはしましたが、早く戻ったほうが良いでしょう!」
「酷いのか?」
「いえ、そういうわけではありません。ただ、彼女の話では抜け替わりの時はほとんど魔力も抜けてしまうそうです。彼女のように普段から膨大な魔力を蓄えているものには、その負担は大きいと思います。はやく休ませるべきでしょう」
「よし、ちょっと待ってろよ。今終わらせてくるからな」
そういうわけなので、さっさと終わらせよう。
部屋の中央に進むと精霊石は輝きだし、重々しい声が響いてきた。
(試練を終えし者よ、汝、我らが盟友たる放浪者よ……)
やっぱり盟友なのか。
女神とか放浪者って何なんだろうな。
(汝の匣は汝の器なり)
(すべてを盛るはあたわず。なれば汝は選ばざるを得ぬ)
(迷いは我らの世界を分かつ。汝、迷うなかれ)
(全てはネアルの導きのままに)
相変わらず、わかるようなわからないようなことを言って、光は消えた。
これで二つ目の試練は終わりだ。
奥の隠し通路から下まで通じる竪穴が有り、そこを通って一気に塔を出た。
前回と違って、誰が祝ってくれるわけでもなかった。
ここの塔はちょっと殺伐としすぎだったな。
それよりもプールだ。
担がれて戻ったプールを見てアンたちも驚いて飛び出してきたが、当のプールが呆れた顔で押しとどめる。
半分は照れ隠しだったみたいだが。
「すまぬが休ませてもらう。熱が出ることもあるのでな。難儀なものだが、許されよ」
「ああ、気にせず寝とけ」
「そうしよう」
しばらく、そうしてそばについていると、ふとプールがつぶやいた。
「こうして寝ていると、子供の頃、熱を出して寝込んだ時のことを思い出すな……」
「おまえにも、そういうことがあったんだ」
「ふふ、おかしいか?」
「いや、俺もそうだったなあ、ってな。風邪の時にばあちゃんが作ってくれたアイスが、また旨いんだ」
「アイスとは? いや、なんだか知っている気がするな。戒めの眠りの中で、なにかの夢を……」
「明日にでも作ってやるよ。うまくいくかわからんけどな」
「楽しみにしていよう」
「ああ」
「すこし……眠るとするか。薬が効いておるようでな」
「しっかり寝ろ」
それだけ言うと、プールはすぐに眠りに落ちてしまった。
やっぱり、結構辛かったのかもしれない。
翌朝、目を覚ますとプールはすでに起きていた。
「もういいのか?」
「うむ、痛みもない。だが、すこし魔力が足りぬな。やはり、明日までは安静にしていよう。それに……」
「それに?」
「例の件が片付かねば、ここを立ち去るわけにも行くまい?」
「そうだな」
夕べはプールがこの状態だったので、打ち上げもせずに寝てしまったのだが、今日はメイフルを呼んでお祝いと行こう。
その時にどうするか決めるとするか。
その前にアイスだな。
「牛乳で作るアイスだか? シャーベットなら知ってるだども、それとはちがうんだべ?」
うちの料理担当であるモアノアも、他の皆も知らないというので、適当に作ろう。
祖母が何度か作ってくれたのを頑張って思い出してみる。
うーん。
思い出せん。
なんだかアイスだけでなく、祖母の顔まで忘れてしまった気がする。
あれ、どんな顔だったっけ?
ほんとに思い出せないぞ。
うぐぐ、なんて祖母不幸ものなんだ俺は。
両親の顔は割と覚えてるんだけど、こっちは写真があったからなあ。
祖母は写真が嫌いで、何も残ってなかったんだよな。
まあ仕方ない。
要するにアイスなんてのは牛乳と生クリームと砂糖と卵を混ぜて冷やせばいいわけだ。
生クリームは手に入らなかったのでしぼりたてのミルクだけで作る。
牛娘のリプルから搾った乳は脂肪分多めで甘いので、どうにかなるんじゃなかろうか。
エンテルにたっぷりと氷を作ってもらい、何度もかき混ぜているとそれっぽくなってきた。
なんかザラザラしてるけど、こんなもんか。
「ははあ、これがアイスだべか。どれ、味見してみるだ」
とモアノアが味見をすると、たいそう気に入ったようだ。
なかなか上手くいったな。
さっそくプールに食わせてやろう。
テントで寝ているプールのところに行くと、プールはフルンたちに囲まれてなにやら楽しそうに話していた。
「ねえねえ、みて、プールが仰向けに寝られるって喜んでるよ!」
「別に喜んでなどおらぬ。ただ、一度ぐらい、仰向けで寝てみたいと思っておっただけだ」
「ほら、顔笑ってるもん」
フルンに茶化されるようだとプールもまだまだだな。
「ほら、これがアイスだ。フルンたちも食え」
「ほほう、それがな。どれ、いただくとしよう」
銘々が受け取って食べる。
「これは、なかなか」
「冷たい! 柔らかい! あまい!」
「こんなの、初めてです」
「私のミルク、こんなになるんですか?」
「おかわり! おかわりちょうだい!」
「外にあるぞ、自分でついでこい」
「おかわりー」
子どもたちが飛び出すと、プールと二人残される。
「どうだ、まだ痛むか?」
「いや、それはない。違和感はあるがな」
「そうか」
「慣れるまでは暫く掛かろうが、じきに慣れよう。この首輪のようにな」
そういって首元を指す。
彼女の首には奴隷の印である首輪が常にかかっている。
これなしで魔族が街に入ることはできないからな。
俺たちの間にはこんなものは要らないだろうが、俺たちがここでこうしているには必要なものだ。
世の中って、そういうどうでもいいことの積み重ねで出来てるよなあ。
いいかえれば、世の中の仕組みの大半は自分たちにとって、どうでもいいことだってことなんだけど。
自分たちに関係ないことに意識を向けすぎてると、自分のことがわからなくなるからな。
メイフルはちゃんと自分のことをみてるのかな。
ついでに俺の方も見てくれてるといいんだけど。
「どうした、何を笑っておる」
「ん、笑ってたか?」
「ふん、首輪を見て良からぬ妄想でもしたか」
「よく分かるな」
「従者なれば当然だろうに」
「そうだったな」
「首輪も羽も、些細な事でただの形に過ぎぬ。貴様の従者であるという関係の前にはな」
そこでプールは言葉を区切り、だまってアイスを食べる。
「これがミルクからできているのか」
「ああ、砂糖を入れて凍らせるんだけどな、丁寧に混ぜて、空気を混ぜ込むのがコツなんだ。ほんとうはもっと滑らかになるんだけど、素人仕事じゃ、こんなものだな」
「ふふ、だがうまかった」
食べ終えてからになった皿を見ながら、ポツリと呟く。
「ミルクでさえこうして形を変えれば、別のものとなるのだな」
「うん?」
「ただ、そばにいたいというだけでは、なかなかうまくは行かぬもの。貴様に仕えることで得たものもあれば失ったものもある。ここにいるものは皆、そうであろう」
「そうだな」
「逆にそばにいるだけで手に入れたと錯覚することもあろう。貴様に取り付いていた時の妾も、そうであったな」
メイフルは、今頃何をおもってるんだろうな。
「言わずともよいであろうが、そのような顔をされるとな」
「変な顔をしてたか?」
「その思わせぶりな顔が、我らをたぶらかすのだ。罪な顔よ」
「てれるな」
しばらくプールはなにか考えていたようだが、結局、何も言わずに俺に皿を差し出した。
「ところで、もう少しこれがほしいのだが?」
「あいつらが食べつくしてないといいけどな」
と差し出された皿を受け取ったところに、フルンが飛び込んできた。
「プール! おかわり持ってきたよ!」
「おお、気が利くな。どれ、頂こう」
再び賑やかになったテントから出ると、エレンを探す。
昨日、換金しそこねたコアをまとめている所だった。
「出るかい、旦那」
黙って頷くと、エレンは荷物をまとめる。
セスとデュースも連れて四人で冒険者ギルドに行き、コアを換金する。
ついでに塔をクリアした証明書とやらも貰ってしまった。
グースエルの称号を得た英雄の証らしい。
ボズの時はなかったよな?
と尋ねるとエレンが教えてくれた。
「箔付けのために出すものだからね。新しい塔だとその辺の格の話もあるんだろうさ。ここはその点、上位ランクの塔だから」
「へえ、じゃあ俺もはれて英雄というわけか」
試練の塔をクリアしたものに与えられる称号こそが、英雄だそうだ。
つまり女神グースエルの塔をクリアした、グースエルの英雄、という肩書が俺についたわけだ。
なんかかっこいいじゃないか。
「紳士がそうそうひけらかすものじゃないけどね。自慢していいのはホロアマスターの称号だけさ」
「ちょっとは自慢させてくれよ」
「後で僕らがたっぷり褒めてあげるよ」
どっさりと金を受け取ると、デュースがその一部をギルドに差し出していた。
証明書のお礼という形で、寄付をするらしい。
面倒なもんだな。
まあ、世の中そんなもんだ。
ギルドを後にして、その足でメイフルのところに向かう。
店はすっかり片付いていた。
空っぽの店内で、メイフルは店の掃除をしていた。
「まいど。プールはんは、どないですのん?」
「おかげさまで、今日はもういいようだよ」
「そうですか、そらよかったですなあ」
「とりあえず、昨日の分のギャラを渡しておくよ」
「そらおおきに……ってちょっと多くおまへんか?」
「結構儲かったしな。それに、これでもう終わりだから」
「ああ、そうでしたな。見事クリアしたんでしたなあ。おめでとさんでございます」
「ほんとに世話になったな」
「こちらこそ。おかげであれこれ稼がせてもらいましたし……」
そこで会話が途切れる。
なんとも言えない雰囲気を打ち壊すように、奥から店長が出てきた。
「おや、紳士の兄さん、来てたんだね」
「おじゃましてます」
「まずはおめでとう。大したもんじゃないか、この速さでクリアしちまうなんてね」
「メイフルにも世話になりましたよ」
「そりゃお互い様さ。お陰でメイフルも独り立ちさせるだけの物を用意出来たよ」
どうやらメイフルは一人街を離れる決心をつけたらしい。
結局、それしかないのかな。
「私もまあ老けたもんだ。これしきの怪我で、ダメになっちまうなんてね」
「まだ元気そうですが」
「口だけは回るんだけどね、ま、潮時ってもんさ。年を取れば、いつかはその日が来る。私の場合、それが今だったってことさね」
自嘲気味にそう言うが、その声はさっぱりしている。
たぶん、商売に関しては吹っ切れているのだろう。
「ほら、メイフル。掃除はもういい、打ち上げに行くんじゃないのかい?」
「そうなんですけど、どうも掃除したりひん気がしましてなあ」
そう言いながら、メイフルは店内を見回す。
ここを離れて、彼女はどこで商売ができるんだろうか。
ここに来るまで、彼女はどんな風に過ごしてきたんだろう。
そんなことを少し想像しただけでも、離れがたい気持ちが痛いほどわかる。
「そういうのを未練というんだよ、まったくこの子は最初に教えただろう。商売には退き時があるんだよ。損切りできずに借金こさえて露頭に迷いたくなければ、そいつを忘れちゃいけないよ」
「店長……」
「大店にいた頃も、あれこれ面倒見てきたけど、あんたはずいぶんマシなほうさ。胸を張っておいき、あんたは自慢の弟子だよ」
「わかりました、うちは必ずペレラ一の大商人になってみせます!」
「それでいい、それで」
「はは、店長は厳しおますなあ」
「私が厳しいんじゃないよ、商売が厳しいんだ、何度も言わせるんじゃないよ」
「へいへい」
「返事は一度」
「へい!」
後片付けをしてから、メイフルを連れてキャンプに戻る。
すでに宴会の準備はできていた。
細かいことはあとに回して、今はとにかく楽しむとしよう。
それから二日経って、俺達はペルウルの街を後にした。
すっかり春めいた通りは心地よい風が吹いているが、俺たちの表情はすぐれない。
しばらくは皆黙って馬車を進めていたが、とうとう我慢できずにフルンが口を開く。
「ねえ、メイフルは来ないの?」
隣にいたエレンが、仕方ないといった感じで返事を返す。
「どうかな。僕らにはわからないよ」
「ねえ、ご主人様。呼びに行かなくていいの?」
さて、なんと答えたものか。
俺にできることは全部したよな。
だから、あとはもう待つだけだ。
デュースも何も言わずに、いつもより少しだけゆっくりと馬車を進める。
そうして小さな橋を一つ越えて、四つ辻が見えてきた。
そこにはすっかり見慣れた娘が立っていた。
「旅の紳士はんとお見みうけします」
「いかにも」
俺はちょっと胸を張って答える。
「あんさんを見込んでの頼みなんやけど、うちを雇うてもらお、思いましてな」
照れくさそうにはにかむ彼女に、俺は尋ねる。
「お嬢さん、あんたは何ができるんだい?」
「聞いて驚きなはれ、うちは将来世界一の大商人になる女ですねん」
「そりゃあいい。うちも商売の専門家が欲しくてね」
「うちの手にかかれば、売上倍増間違いなしやで」
「じゃあ、契約成立……だな」
そう言って俺が差し出した手をメイフルが握り返す。
と同時に、彼女の体は輝きだした。
「なんですのん、これ」
「うん」
「うちが……どないな覚悟で……追いかけてきた思てますのん!」
「俺は来ると信じてたけどな」
「あはは、あんたはやっぱり、大将の器ですなあ」
そこで我慢できなくなったのか、フルンがメイフルに抱きついた。
「やったー、メイフルきたー、きたー!」
「あ、こら、ちょいとまちなはれ、そないしがみつかれたらあきまへんがな」
「もう、心配したんだから!」
「すんまへん、すんまへんて、あ、ちょっと」
そうして、春の陽気に負けない笑顔で、俺達は新しい従者を迎え入れたのだった。
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