第71話 大商人 前編

 今日は休みだ。

 エンテルたちは、朝早くから遺跡調査の付き添いで出かけている。


 俺はといえば、テントの中で牛娘のリプルを後ろから抱きかかえて乳をしぼっていた。

 リプルが自分で四つのおっぱいの上段を、俺が下の段を絞れば倍の速度で絞れるという寸法だ。

 紳士が朝からやるにふさわしい、勤勉かつ効率的な仕事だな。

 桶にはみるみるミルクが溜まっていく。


「どうだ、俺の乳搾りも上手いもんだろう」

「あの……お上手、なんですけど」

「けど?」

「手つきがちょっといやらしいというか、気持ちいいというか……あ…」

「そこはほら、サービスだと思ってくれれば」

「はい……」


 何がサービスだと自分で突っ込みつつ、がんばって揉みしだく。

 いやあ、大変な仕事だなあ。


 こちらの小さいテントはリプルやフルンたち年少組が占拠している。

 いつからあるのか、小さい人形なども飾られていてすっかり子供部屋になっている。

 テントでも滞在期間が長いと生活臭が出てくるよな。

 そんなところで乳を揉むのも、乙なものだ。


「どうだすか? もう、溜まったみたいだすな、乳は貰ってくだよ」


 我が家の料理人であるモアノアがやってきて、桶いっぱいに溜まったミルクを受け取る。


「今日はバターを作るだよ」

「あ、私も手伝います」

「大丈夫だ、こんだけ頑張ったんだべ、ちいと休むといいだ」

「ごめんなさい」

「あやまることは、なーんもねえだよ。みんなちゃんと自分のやることをやってるだ、それでいいだよ」

「じゃあ、ちょっと休みますね。なにかあったら、呼んでください」


 モアノアがテントから出て行くと、リプルは滴る乳を綺麗に拭き取って服を着てしまった。

 ああ、もったいない。


「あの、脱いでいたほうが良かったですか?」

「いや大丈夫。ゆっくり休みなさい」

「はい、そうします」


 と言って、テントの隅でなにか探し始める。

 本が乱雑に積み上がっているあたりだ。

 いつの間に増えたのか、いっぱいあるな。


「この間、エンテルが本屋さんに連れて行ってくれたんです。本ってすごく高いと思ってたんですけど、結構安くで買えるんですね。私、お小遣い全部使っちゃいました」

「本が好きなんだな」

「はい。あ、でもウクレも沢山読みますよ。」

「そうなのか」

「私よりいっぱい字も知ってますし……もう、フルンがまた散らかしちゃったみたいです。えーと……」


 本を整理してから、積まれた本の一冊を取ってきた。


「今、このご本を読んでるんです。さまよい人エッペルレンって本なんですけど、不思議な世界からやってきたエッペルレンが悪い王様をこらしめるんです!」

「へえ、面白そうだな」

「あ、ご主人様がお先に読みますか?」

「いやいや、俺はまたこんどでいいよ」

「そうですか」


 ちょっと安心した顔でリプルは本をめくりはじめる。


「ぱっと消えたり現れたり、すごく不思議なんです。私も、そんなことができたらいいなあ」


 不思議な世界からやってきただけのことはあるな。

 俺もそんなことができたら何をするだろ?

 ……覗きぐらいしか思い浮かばんな。


「でも、難しい字も多くて、なかなか進まないんです」

「俺もこっちの言葉はそこまでペラペラじゃないからなあ」


 普段は意識せずに読んでるんだけど、ちょっと意識すると謎の言語に見えてきちゃうからな。

 まあそれでも読み書きできるんだけど。


「そういえば、ご主人様は異世界から来られたんですよね? 異世界ってどう違うんですか?」

「建物とか乗り物とか、そういうのは結構違うんだけど、住んでる人はそんなに変わらないかな」

「ふーん、異世界ってもっと不思議なのかと思ってました。逆さまの家とか、潜っても息が苦しくない湖とか、飲んでも酔わないお酒とか……」


 そうだなあ、異世界って魔法の国とか天国とか、そういう不思議世界な気がするもんだよな。

 ここも魔法の国と言えなくもないけど、摩訶不思議というほど変な世界じゃないもんな。

 魔法の仕組みはイマイチわからんが、電気製品の仕組みを全部理解してるかといえば、そんなこともないし。

 紅はなんだか科学よりの技術で作られてるっぽいしな。

 そう言えば衛星の件はどうなったんだろ?


 本に熱中しているリプルをおいて、テントから出る。

 火の消えた焚き火の側では料理人のモアノアが小さな桶を棒で何度もかき回している。

 あれでバターを作るのか、大変そうだな。

 アンとレーン、ウクレの三人はテーブルで御札を作っている。

 アンとレーンがサラサラと筆で書いたものに、ウクレが緊張した面持ちでハンコを押している。

 あんなに緊張してたらつかれるだろうに、ウクレは根が真面目すぎるよな。


 アフリエールは薬草をすり潰していた。

 薬草はメイフルに紹介してもらった店で安く仕入れてきたらしい。

 こんな町中では取りに行く手間を考えると、そのほうが安上がりだったりするようだ。

 プールとエクはいつもどおりチェス。

 オルエンとフルンは狩りに行くと言っていた。

 残りは遺跡だ。

 で、肝心の紅はというと、どうやらオルエンとフルンについて、狩りに行ったらしい。


「どうした、手持ち無沙汰なら、妾と一局うつか?」


 ちょうどエクに負けたらしいプールが矛先を俺に向けてきたが、その手にはのらん。

 負けるとわかってる勝負はしないのだ。


「手加減が必要ならそういえばよい。つまらぬ見栄を張っているから、好いたおなご一人ものに出来ぬのだ。反省するのだな」


 ズバズバ言うなあ。

 うちのお嬢さん方は割りと口が悪いよな。


 そういえば今日は珍しくプールが背中の羽を広げている。

 いつもは小さく折りたたんでいるんだけどな。


「暑くなってきたせいか、蒸れるのだ」

「難儀なもんだな」

「そうでもないがな、まあ、慣れだ。で、うつのか、うたぬのか?」

「やめとこう」

「では、ご奉仕でもいたしましょうか?」


 とエク。


「いやあ、さっきリプルの乳を堪能したからな」

「そのリプルはどうしたのでございます?」

「今、中で休憩中。本を読んでるよ」

「さようでございましたか」


 しかし暇だな。

 昼飯にはまだ間があるし。

 こっちに来てだいぶましになったと思ったが、それでもやることのない状況ってのはちょっとだけ落ち着かないな。

 日本にいた頃は忙しいのが当たり前だったもんなあ。

 まあ、ごろごろするか。


 エクの膝枕でのんびりしていると、あっという間に昼になっていた。

 鍋いっぱいのパスタを食べていると、遺跡に行っていた学者のエンテルたちが戻ってきた。


「いいですね、本格的な発掘になると思います。街の方との協議もありますが、あとは向こうに任せておけばいいでしょう」


 と言うエンテルの手をとってメイフルが頭を下げていた。


「いやあ、結構礼金も奮発してもらえるみたいで、助かりますわー」

「このあたりで、あれほどの遺跡が見つかるとは思いませんでした。価値はあると思いますよ」

「けど、うち一人じゃ金にはできませんでしたからなあ」

「一人でできることは限られてますからね。私ではあの隠し通路は見つけられません」

「いやあ、そうなんですけどな、とにかくおおきに」


 俺はすぐ、自分にできることを忘れちゃうけどな。

 一緒に昼食を取ると、メイフルは帰っていった。

 明日からはまた、塔の探索だな。




 さらに数日が過ぎた。


 探索の方はいよいよ大詰めだ。

 塔の十二階は大きな部屋で、そこにひたすら敵が出てくる。

 そいつらをしのいで、ちょうど反対側にある出口まで辿り着けばゴールのはずだ。

 わかりやすいのはいいんだが、ちょっと敵が強すぎる。

 幸い敵はガーディアンではなく魔物なのでプールの幻術が効く。

 それで壁を作りながら少しずつ進むのだが、それでも厳しい。

 敵の何体かはノズの上位種で、こいつはかつて神殿の洞窟の底で青の鉄人がぶった切った魔物だ。

 真正面からやるには、俺達にはなかなか荷が重い相手だ。


 オルエンとフルン、セスと紅が交互に前衛に立ち、敵をしのぐ。

 そしてデュースが定期的にでかい魔法をかまして前を開け、あらたな壁を作って前に進むという作戦だ。


 ちょうど呪文を唱えたばかりのデュースが呼吸を整えながら、待機中のセスと言葉をかわす。


「はぁ、はぁ、うーん、きりがないですねー」

「デュースは少し休んでください。もう十発は大魔法を唱えています」

「魔法はいいんですけど、呪文が長いと顎がつかれますねー」

「そういうものですか」


 火を使う魔法使いが、火を出すだけならそもそも呪文は要らないらしい。

 ただ、そうした火は向きも力も定まらず、たちまち拡散してしまう。

 それを呪文によって集中し、練り上げ、攻撃とするのだそうだ。


 今回も安全寄りに振った作戦にしてみたが、どうなることやら。

 そもそも安全と言っても完璧ではない。

 極稀に壁を抜けてくる敵がいるからだ。

 かと言って一度に壁をはらないのは、幻影の効果が薄れるからだそうだ。

 あまり派手すぎる術は成功率が低くなる。


 昔、プールがとんでもない攻撃魔法に見せかけて俺たちをビビらせた時に、デュースがすぐさま幻影だと気づいたように、幻術を成功させるには、もっともらしさというのは大事なようだ。

 壁を一枚作る術というのは幻影以外にもある。

 要するに、これは幻術ではないかと思わせないのが、最大の秘訣らしい。

 そういえば、先日のモアノアの時にでた巨大な魔物の幻影もそうだったもんな。

 気づいたからといってどうできるかは、また別問題かもしれないが。


 かすり傷を負ったフルンをかばうようにセスと紅が前に出る。


「これぐらい平気なのに!」

「いいからじっとしてください! 呪文が乗りません!」


 興奮気味のフルンを押さえつけてレーンが治療する。

 そろそろやばいか。

 出口まではちょうど半分。

 だが、敵の数は一向に減る気配がない。

 進むべきか引くべきか。


 デュースは呪文詠唱中なので、となりで呼吸を整えていたオルエンに聞いてみる。


「まだ……皆、体力に余裕は……あります」

「よし、だったら進もう」

「すこし……前を広げて、エレンとメイフルを交互に加えるのは……どうかと」

「ふぬ、いけるか?」


 エレンたちに確認すると大丈夫そうだ。

 当の二人はすきを見て倒した相手からマメにコアを回収していた。

 この修羅場によくやるよ。


「プール、頼むぞ」

「うむ」


 と答えてから、


「くしゅん!」


 と、大きなくしゃみをした。


「どうした、風邪か?」

「いや、体調はなんともない。ちょっと埃でも吸ったのではないか?」


 額を触ってみるが、熱もない。

 見た目も変わらないしな。


「案ずるな、それ、次行くぞ」


 そう言って、前方の両脇に新たな壁をたちあげる。

 今度は少し広めだ。


「ほな、お先に」


 とメイフルが前に出て、セスと紅に並ぶ。

 俺とレーンは左右に分かれて、中央のデュースとプールを守る形だ。

 一番後ろではフルンとオルエンが休憩中。

 エレンも弓を構えて、すきあらば後ろから撃ち抜こうとしている。


「次、行きますよー、それ!」


 とデュースが掛け声をかけると、前衛の三人がさっと脇によけて、そこからデュースが巨大な火の玉を飛ばす。

 それで目の前の数体がまとめて消し飛んだ。

 その隙に、更に前に進む。


「ちょ、ちょっと休憩をー」


 さすがにバテたのか、デュースはその場に屈みこんだ。

 大丈夫かいな。


「水、水くださいー。喉がカラカラですー」


 というので腰の水筒を手渡す。


「あと一息だな、次のタイミングには、一気に出口まで道を作って駆け抜ける余裕があるはずだ」


 とプールがいうが、それでもし魔物にバレたら帰りはどうするんだろう?


「帰りは別の出口があるそうですよー」

「そうなのか、便利だな」

「さて、もう一発かましますかー」

「それはいいけど、もう少しでかい呪文はだめなのか? 前の火柱とか」

「ここでこれ以上大きいのは危険ですねー、空気がなくなりますー。火炎や雷撃の弱いところですねー。氷のほうが上級ダンジョン向けなんですよー、実はー」


 そんな違いがあったのか。

 とはいえ、エンテルは戦闘向けじゃないしな。


「まー弾はまだまだあるので、お任せくださいー」


 とデュースは再び詠唱にはいった。

 その瞬間、プールがもう一度大きなくしゃみをする。


「どうした、やっぱり風邪か?」

「いや、なんだか背中がむず痒いような……」


 そう言って羽をパタパタと小さく動かす。


「ちょっと水でも飲んで休め。お前に何かあると大変だからな」

「うむ、それはわきまえているのだがな。はて……」

「大丈夫ですか! 少し回復しておきましょうか?」


 とレーンも様子を見に来る。


「いや、どうも背中が……」


 さらに羽をパタパタ動かしていると、突然二枚の羽がポロリともげた。


「は?」


 俺は思わず声を上げる。


「しまった、生え変わりか!」


 え、生え変わるの?


「気をつけろ、術が解け……」


 最後まで言い切らずに、プールが気を失う。

 慌てて抱きかかえた瞬間、一斉に壁が消えてしまった。


「走れ!」


 考えるよりも先に、皆に命令する。

 同時にセスが前に飛び出し、前方の敵を切り払う。

 仕留めるのではなく、手足に傷を与えて攻撃力をそぐつもりのようだ。

 一歩遅れてフルンとレーンが武器を振り回し、セスが傷つけた魔物たちを弾き飛ばして強引に道を切り開く。

 オルエンが背後を守るように俺の後ろに立つ。

 エレンとメイフルは敵の上を飛び越えると一気に出口まで走りぬけ、扉を開けて振り向きざまに弓を連打した。

 デュースは紅にガードされながら、小さい火炎と雷撃を織り交ぜ、弾幕を張る。

 それだけのことを、皆は俺の一言でやり遂げる。


 そうしてこじ開けた道を、俺はプールを抱きかかえて走り抜けた。

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